a thousand days

2010/02/11, 14:43 | 固定リンク

2月11日 木曜日 雨 

 雨。こんな日は無理をせず、休養日に充てよう。
 好きな音楽の話でもしようか。家では、うるさい音楽は聞かない。テレビも見ない。そんな時、ここ数年いつも流れているのが、Mitchell Froomの「a thousand days」。彼が古いピアノで自作の曲をポロポロと弾いているだけの作品。深遠。いい音楽を聞いていると、眠気が襲ってくる。朦朧とした意識の中で、僕は過去や未来に旅をする。やがて、はっと我に返って、自分のやるべきことを始める。彼の音楽は雲のようで、雲の隙間から差しこむ一筋の光のようで、何もないけど、何もかもがある。優れた短編小説、あるいは映画みたいだ。僕が映画監督だったら、全編にこの音楽を使うだろう。どんな暴力的なシーンでも、愛をささやくシーンでも、この音楽は人間の心の深さを伝えてくれるだろう。
 僕の脳味噌は特別に「オトコ」脳のようで、同時に二つのことができない。ひとつのことには猛烈な集中力を発揮するけれど、音楽を聞きながら、かかってきた電話に対応することもできない。でも、この音楽だけは特別。大切な手紙を書くこともできる。と云うよりは、流れていた方が心の深いところから、文章をしたためることができる。いつか、ギター一本でこんなアルバムを作ってみたいと思う。
 今まで何人の人にこのアルバムをプレゼントしたことだろう。多分10人くらいか。「ありがとう、素晴らしかったよ」という意見が返ってきたことは一度もない。どうしてなんだろうね。パダ・オ・リアダ(ショーン・オ・リアダの息子)が雨の日に、亡き父のピアノをつま弾いている作品がある。それと並んで、生涯忘れられない作品のひとつ。
 先週の日曜日。一緒に20キロのレースを走ったマスイぴょんが「本当に苦しいとき、ヒロシさんの竹田の子守唄、頭の中で歌うんすよ」と云ってくれたが、僕の場合、これまではベタだけど「born to run」とか「london calling」だったのだけれど、本当に苦しいときに「a thousand days」が頭の中で流れるようになったら、すごいだろうな、と思う。それは主観と客観が入り交じって、どっちがどっちなのか、もはや分からない。そんな心境だと思うから。主観すなわち、客観。そんな場所にいつかたどり着きたい、と思う。

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by 山口 洋