idiot wind

2005/09/28, 23:28 | 固定リンク

9月28日 水曜日 晴れ 

昼。スントー・ヒロシと映像作家のW君、ホライズン・プロジェクトに燃えながら取り組んでくれている若者、3人がスタジオにやってくる。そのうち話すことになると思うけど、とあるプロジェクトに音楽を加えるため、俺はグレッチを弾くことになった。いつものようにブヒブヒと現れたスントー・ヒロシは俺の目の前にヴィデオ・モニターをセットし、流れる映像を観ながら弾けと云う。果たしてそこに流れていたのは、パブロ・ピカソのドキュメントとか、古いタップダンスの映像とか、エトセトラ。うーん、相変わらず彼の脳味噌はある意味想定内、ある意味理解不能。でも同じヒロシでも分かり合えたら面白くないからね。早めにスタジオに現れた魚先生にも急遽参加してもらって、結局、俺は2時間ギターを弾いていた。録音し終えて、「ん。俺はもう満足したから、後は好きなところを好きなように使ってくれ」と云って、その場を立ち去れるのはニール・ヤングだけで、俺にはミックス作業と、何と云っても今日はリハーサルが待っていた。

バンドは相変わらずそれぞれの事情を抱えてはいるけれど、その日にしかできない音楽による会話が随分成りたってきた。テンポやノリと云ったものは、もちろんリズム隊の手中にある訳だけれど、それが二度として同じものにならないのが素晴らしく素敵だと、俺は思う。渡辺圭一は3日前に40路に突入した。初めて奴に会った時、彼は確か16歳だった。はは、24年か。これでバンドは全員40代って訳だ。それがどうした?とちょっとだけ強がってみる。中川敬がかつて「サヴァイヴァーズ・バンケット」っちゅー歌を書いてたけど、「いまじゃ墓場はおまえの歌でみな踊る」。この一節は深い。とりあえず、いろいろあったけど、俺たちは生き残った。知り合いも何組かは生き残った。くだらない縄張りみたいなものも、もうない。この前、とあるフェスに向かう飛行機の中に、いくつかの同世代のバンドが乗っていた。音楽をやってんのが、好きでたまらん。ただ、それだけ。みんな顔にそう書いてあった。未だに何処にも辿り着いとらん。だから、2回目のスタートラインに立って、ケツを上げた。そんな気分。モノの本によれば、人生には3度のチャンスと転機がある。多分、このバンドはツーストライク取られてることは間違いない。でも、少なくとももう一回は思いっきりバットを振れるのさ。ファールで粘ることだって出来るのさ。だから打席に立ち続ける。それが好きだしね。自分で諦めてしまわない限り、ミュージシャンに「引退」の二文字はない。

家に帰り、亡き母親の誕生日を祝った。きれいなオールド・イングリッシュローズが咲いていた。大切にしたいのはまっすぐな愛だよ。

それから今日は知性のかけらもない知らせも届いていた。それは言わば、ディランの言葉を借りれば「idiot wind」以外の何者でもないのだが、それも度を超すと、質の悪いギャグにしかならない。この前、何かの本に書いてあったけど、我々が子供の頃は皆、貧しかった。決して裕福ではなかった。けれど、自らを「貧しい」と思っている者はあまり居なかった。何故ならテキトーにみんなが貧しかった訳だし、それを感じない程度には幸福だったのだ。けれど、この時代に巣食うある種の亡者たちは違う。精神的な貧困は人間としての貧しさだ。醜い。あまりに醜い。そして芯まで病んでいる。俺は平穏を愛している。ならば、そのような人間まで愛さなければならないのか?答えは「ノー」だ。憎まない。けれど、そのような人間たちと付き合っている暇はない。「ジャスティス」あるいは「プレシャスネス」。とても素晴らしい言葉。でも、使い方を間違えると、「idiot wind」と同義になることを、自らの肝に命じておきたい。

今日ね、一番響いた言葉。
「砂漠に居ても、星の読み方がわかれば、どこにいるか、わかるじゃん?」
私はそのような人間で居たいと思います。ワン。

by 山口 洋