帰らざる河

2005/10/31, 23:17 | 固定リンク

10月31日 月曜日 曇り 

 また、やってしまった。オマエはアホか?左様。どうしようもなくアホらしい。しゅん。
 今日は大人しく飲もうと思っていた。いや、そうしなければならないシチュエーションだった。しかし、俺は禁断のパディーに手を染めてしまった。それを飲み干し、更にブッシュミルズでとどめを刺した。その店で先日「哀しみの河」を崩壊させてしまったばっかりなのに。しゅん。九州男児のマスターがこう云った。「山口さん、帰らざる河に船出しましたね」。それが、最後の記憶だった。しゅん。そして、それは確かに「戻れない河」だった。別に俺は飲んだからと云って、悪酔いしたりはしないらしい。ただ、異様に明るくなるだけで。でも、自分の行いを翌日聞かされると、時々人間を止めたくなる。しゅん。俺はお、俺は、、、大人になりたい。

by 山口 洋  

最期とその場所

2005/10/30, 15:59 | 固定リンク

10月30日 日曜日 曇り 

 ニチヨウビ。昨日はちょっとばかし飲み過ぎた。だからソファーにひっくり返って、日曜の午後のドキュメンタリーを観てた。それは訪問看護士さんが「自宅での死」を選んだ人々を支援するっつー番組だった。
 人はいつから病院で死ぬことになったんだろう?俺がガキの頃は、多くの人が自宅で家族に見守られて最期を迎えていた。高度成長、核家族化、エトセトラ。仕方ないと云えば仕方ない。けれど、自分の身に置き換えてみたら、病院で最期を迎えることを好む人は少ないだろう。実際のところ、「末期ガン患者の在宅ケア」ってものを自分で経験してみると、それは愛があったとしても並大抵のことではなかった。右も左も分からないド素人がどんなににわか勉強をしたとしても、「愛」だけで切り抜けられる問題じゃない。専門的な知識を持ち、物心両面でバックアップしてくれるシステムがなければ、今の時代にそれを貫くことは難しい。結局、患者と同じように日に日に疲弊していく俺を見かねた親が、自ら病院行きを選んだ。もちろん病院の人々は心からケアしてくれたのだけれど、親があれほど望んでいた「帰宅」を果たしたのは、魂が抜けた後だった。それは何とも云えず切ない経験で、自分の無力さだけが浮き彫りになった。
 聖路加病院のその看護士さんはシステムを作った。彼女はどんな時も笑顔を絶やさず、患者さんはもちろんのこと、家族の精神的ケアまでこなす。人間として、心から尊敬に値する女性だった。
 人が一生を終えるのは自然なことだ。通常、若い世代は上の世代の死を看取って、いろんな事を学ぶ。育ててくれた事への恩義を、看病で少しだけ返すことによって、親も子も死というどうにも出来ない運命を「受容」していくように思う。愛をもって、最期の日々を何とか心に残るものにしようとフントーする姿を見て、孫の世代も育つ。死が決して不自然なものではないこと、いつかは自分にもやってくること。だから、毎日をおろそかにしないこと。命を祖末にしないこと。エトセトラ。訪問看護士さんと家族全員に見守られて、おばあさんが旅立つ。その部屋に居るすべての人の表情はとても美しいものだった。何だか、とても考えさせられる。
 

by 山口 洋  

チョコレート工場

2005/10/29, 23:56 | 固定リンク

10月29日 土曜日 雨 

 突然思い立って、「チャーリーとチョコレート工場」を観に行く。「シザー・ハンズ」以来、俺はティム・バートンの映画のファンなのだ。彼の描くファンタジーは途方もなく架空な分だけ、リアリティーがある。自分には縁遠い分だけ、学ぶことが沢山ある。子供から大人まで分け隔てなく楽しめるところが素晴らしい。映画館を出て、雨模様の東京の空が入った時よりも広く見えた。
 前作「ビッグ・フィッシュ」。このダイアリーに時々登場する酒癖の悪い友人Tの勧めで観に行ったんだけど、「ヒロシと涙工場」みたいになってしまって、映画館の灯りがつくのが恥ずかしかった。多分、ビデオ屋さんには置いてあると思うから、是非。

by 山口 洋  

古都を行くも

2005/10/28, 23:50 | 固定リンク

10月28日 金曜日 晴れ 

 キンヨウビ。親類の墓参りをするため鎌倉に出向く。若い頃は墓参りの意味なんて全く分からなかった。けれど、トシを重ねてくると、俺がここまで育った(大して育ってないけどね)のは俺ひとりの力じゃないって事を身に染みて思い知る。信じてる神はいないけど、節目節目に出向いて挨拶するのは悪くない。
 その墓は由緒ある円覚寺ってとこにあった。仏の道を行く人にもいろいろあるんだろうけど、その住職はかくあるべしと思えるような人だった。まったくゴウツクバリでないと云うか、何と云うか。寺と云うものが何のためにコミュニティーに存在しているかって事を身をもって教えてくれる人だった。「まぁ、お茶でもいれるから上がって行きなさい」。彼はそう云って、穏やかに微笑みつつ、人生について語ってくれた。何の金品を要求する訳でもなく(そんな事を考えた俺の方が卑しい)別れしなに句を短冊に書いてくれたりして、実はちょっとカンドーしたのだった。
 「去年より 又寂しいぞ 秋の暮  蕪村」
 何であれ、その人の品格のようなものは顔に全てが刻まれている。達観と云うよりは、ちょっとオイタもしたであろう(失礼)、ちょっとエロかったかもしれない(本当に失礼)、その上でこの道をまっすぐに歩いてきた人の表情に、背筋を伸ばされ、そして励まされた。縁あって、あちこちの庵を訪ねているうちに、抹茶だの(俺は正式な飲み方を知らなかったので、「すいません、飲み方分かりません」と云ったら、「いいんです。お寺ですから」と優しく諭された。)、お菓子だの、さんざごちそうになった。そう云えば、この風景、俺が幼少期を過ごしたこの国、そのものだった。もうすぐ紅葉が咲く季節。きっと四季おりおりの風景があるのだろう。いやはや、何とも素晴らしかった。
 せっかくここまで来たのだから、海を見に行った。初めて湘南の海を見た時、九州の海育ちの俺は黒い砂浜を見て、「こんなん海じゃねぇ!」と思ったものだが、都会暮らしも長くなると、夕陽が沈んでいく相模湾を観て、グッと来るものがあった。俺は東京のド真ん中に住んで、一体何をやってるんだろう?と思った。急激にこのあたりに引っ越したくなったので、逗子から葉山にかけて、車を走らせた。ん?悪くない。悪くないぞ。故郷のそれとは全然違うけど、海と山があるだけで、こんなに気持ちが違うものなんだろうか。
 とは云え、第三京浜を下りて、環八に辿り着いた途端、渋滞に巻き込まれた。何だかよう。せっかくリフレッシュしたのに、前の車のテールランプを見つめてるだけで、その気持ちは萎えていくのだった。アーメン。
 結局のところ、大都会に辿り着いた。我が家である。頭の中にはクリスタルキングの有名な曲の荘厳なイントロが鳴り響いていた。くそっ。都会で生きるにはたまには肉を喰らおう。そう思って、新しく開店したトンカツ屋に入ったら、そりゃあもう油が悪かった。くそっ。何となくムシャクシャしたので、楽器屋でMbox2を買った。これがあれば、わずかな機材で日本中何処に行っても簡単なデモなら作ることができる。へっへぃ。こいつとPower Bookを持って、来週から田舎に逃亡じゃーと思ったのも束の間。インストールだのレジスターだの、やっているうちに日付が変わった。くそっ。俺はまだ修行が足りんわい。ね、住職さん?

by 山口 洋  

曲作りの季節

2005/10/27, 20:31 | 固定リンク

10月27日 木曜日 晴れ 

 モクヨウビ。一キロ泳いだ以外は曲作りに没頭。夕方、渡辺某がやってきて、自分の書いた曲を持ってきた。奴のデモは酔っ払いの戯れ言のようにも聞こえるが、中にはラフカット・ダイアモンドが必ず潜んでいる。それをプロ・ツールスにブチ込んで、考えてみる。俺はいつも他人のアイデアに飢えてる。永年の間に築き上げられた「手癖」みたいなものがあって、それが俺の味と云えばそうなんだけど、どこを切っても金太郎飴みたいな俺の音楽にしかならない。だから、こうやって奴のアイデアから曲を作るのはとても楽しい。昔のようにリハーサル・スタジオで顔を付き合わせて、ウンウン唸りながら作るのも相変わらず好きなんだけど、こうやってしばらく会わない時間に、俺のアイデアを足して、また奴に戻すってのも悪くない。早速、ギターで作られた曲を、我が家の古いピアノにリズムを足して、その曲は違う魅力を放ち始めた。彼が今、忙しいのかどうか不明だけれど、それをネットで魚ちゃんに送ってみようと思う。

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by 山口 洋  

カリフォルニア

2005/10/26, 22:45 | 固定リンク

10月26日 水曜日 雨 

 スイヨウビ。一キロ泳いだ以外はずっと歌を書いている。カリフォルニア。何故かカリフォルニア。どうしてサビがそうなのか、さっぱり分からず。頭の中にあるのは、海の香りがする小さな街。初冬の函館のようで、九州の小さな漁村のようで、みんな何処へ行ってしまったんだろう?送り火と迎え火の間に。もうすぐ暦は冬。世界が擦れて見える。そこから夜が染みてくる。無数の漁り火、無数の真珠の光、凍てついた道、空には無数の星。強烈な眠りの波、後悔と記憶の波。文明は海岸線で終わりを告げる。漂ってゆく独り、抗ってゆく独り。波のように自由で、風のように孤独だ。男たちの肋骨も、女たちの鎖骨も。伝えられなかった記憶を辿りながら、立ち去る理由を探している。あぁ、カリフォルニア。

by 山口 洋  

ピースニクスとウチのトゥルー

2005/10/25, 20:16 | 固定リンク

10月25日 火曜日 晴れ 

 創作の合間に泳ぎ、再び創作の合間に「トゥルーへの手紙」を観に行く。映画の中身はともかくとして、犬好きが早く家に帰って、自分ちの犬をぎゅーしてやろうと思うってことは、ひとつの立派な反戦映画としての役目を果たしていると思う。ウチのトゥルーも芸はないけど、案外可愛い、とか思う。はい。親バカです。

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by 山口 洋  

only one

2005/10/24, 22:14 | 固定リンク

10月24日 月曜日 晴れ 

 月曜日。歌を書いている。例によって、グルングルンに廻るだけで何処にも辿りつきやしない。アルバムを創る上での最終行程にマスタリングってものがあって、そのスタジオで初めて完成したものを通して聴くのだけれど、「おまえ、云ってることが20年前と何ひとつ変わってねぇ」と毎度ながら己に愕然とするのだった。伝えたいことはたったひとつしかないらしい。でも、そうなんだからしゃーない。あまりにも近く、あまりにも遠い。
 虫にたとえてみた。
 街灯に集まる虫のように、彼はやってきた。ぐるぐる廻りながら、光を求めて。平凡につまづいて、ややこしさを抜けて、歪んだ夢も見て、まだぐるぐる廻ってる。終わるのは嫌だけど、続けるのも怖かった。続けるのは嫌だけど、終わるのも怖かった。手のひらから砂がこぼれ落ちてゆく。どこまで行けば見えるんだろう。いつまで待てば終わるんだろう。食べ物だけが腐るんじゃない、と誰かの声が聞こえてくる。しょーもないサービス精神、意味のない正義感。きっと手放せばいいのさ。過去は既に終わってる。病も憎しみも別れもない。欲も競争も苦しみもない。恐怖や敵もない。きっと、手放せばいいのさ。モンゴルの草原で、エジプトの砂漠で、あんたはまた生まれてくるだろう。心配するなよ。

by 山口 洋  

アルバムへの第一歩

2005/10/22, 23:55 | 固定リンク

10月22日 土曜日 曇り 

 念願のニュー・アルバムに向けて、ようやく第一歩を踏み出した。まだ関わってる人間の全員のコンセンサスを取れた訳じゃないけど、すべて全員の力でやれることを最大にやるつもりだ。きっと困難も沢山あるだろうけど、それも楽しみにしている。「寄らば大樹の影」っつー時代は終わった。レコード会社は次々に潰れていくだろう。でも、今は逆に考えるなら、自分たちで好きなように切り拓いていける時代だと思う。それは音楽にも反映される。ならば我々はそのような道を行きたいと思う。スマイリー原島氏の名言に「音楽はヴェンチャーじゃねぇ、アドヴェンチャーだ」っつーのがあるんだけど、俺もそう思う。売れる、売れないってことがバンドの善し悪しの基準だとするのなら、ヒートウェイヴの26年は完全なる負け犬の歴史である。それは自覚してる。一度たりとも、何かのアニヴァーサリーを祝った記憶もない。けれど、人生を完全に折り返していても、それだけではない、と思うのだ。何故なら、未だに音楽が嫌いになったことは一度もないし、どこにも到達した実感すらないからだ。でも、訳もなく、お?何だか近づいてんじゃねーか、今の俺たちは誰にも出せない音を出してんじゃねーか、っつーいつもの根拠のない自信だけがある。俺はアホなのか?アホかもしれんね。でもやっぱり可能性は無限大だ。いつまで生きてるか、なんてことは誰にも分からん。だったら、好きな事に没頭してたい。俺は笑いながら「ありがとー」と云って感謝して死にたい。つまりはそんな決意です。結構充分にトシも喰ったんで、ヘラヘラ笑いながらやります。楽しみにしといて下さい。ハイホー。

by 山口 洋  

午前3時のアロハ・オエ

2005/10/21, 23:07 | 固定リンク

10月21日 金曜日 曇り 

 俺はこのところ水泳に復帰していた。泳いでいると、躯と精神のバランスがとてもよろしい。丸。
 夕刻、スタッフ2名が我が家にやってきて、来るべきニューアルバムをどうやって制作するかについて話をした。いろいろと大変な事はあるとは思うが、ようやくそんな時期になったことを嬉しく思う。丸。
 腹が減ったとうちのチビ(27)が云うので、近所に飲みに(奴は喰いに)繰り出した。そこに渡辺某が合流した。奴は「さっき喰ったんよねー」と云う割には思いきり飲んで、喰った。奴が密かに曲を書き溜めていることを知っていたので、デモテープを持ってくるように伝えてあったんのだが、やっぱり手ぶらでやってきた。微妙な丸。
 さらに俺の携帯が鳴って、もうすぐ楽天に買収されるかもしれないTBSの酒癖の悪いTが合流することになった。渡辺某とT、それに俺。うーん、微妙なメンツだ。これにユダのマネージャーHが加わって、昨年、とんでもない飲みになったことがある。それがどんなにヒドかったかについてはみんな家庭があることだし、言及は控える。バツ。
 一行は近所のバーに河岸を変えた。くだらん話に終始していた。わっはっは、平和じゃ平和。世は安泰じゃ。微妙に丸。
 さ、もうええやろ。充分に飲んで喰って、話したし。我々はバーをを出て、家路に着こうとした。その時、誰かが云った。「おっ、焼き肉喰おうぜ」。ま、まじすか。午前2時に焼き肉すか?想像しただけで、俺は気持ち悪くなったのだが、場の勢いを止めることが出来ず、我々は焼き肉屋に突入した。かなりバツ。
 奴らは「カルビ!」だの「ロース!」だのを喰い続けた。俺は元からあんまり焼き肉が好きではない。午前2時の焼き肉はほぼ拷問に近かった。しかし、場をシラけさすのも好かん。なので、俺は「焼き人」に徹することにした。しかし、もうもうと立ちのぼる煙に巻かれているうちに、本当に気持ち悪くなってきた。す、すまん。卑怯者と呼ばれようと、俺は帰る。気持ち悪い。ゴゼン3時に焼き肉、午前3時に焼き肉かよー。泣きながら家に着くと、自分から焼き肉の臭いがした。俺から焦げたウシさんの臭いがするぅ。そのまま倒れ込んで、目覚め、鏡を見ると、顔じゅうにブツブツが出来ていた。これは、焼き肉アレルギーに他ならないのであった。完全にバツ。

閑話休題。

 exピールアウトの揚げ物好きロッカー、コンちゃんからメールが来た。いわく、ラジオを聴いていたら「ん?」と思う曲が流れたので、誰の曲か気にしていたら、それは明星のニューシングルだった。一日中、頭の中にぐるぐるしてたので、近所のツタヤでそれを手に入れた。いい曲だった。でもって、何となく俺のwebを見たら、明星の事が書いてあった。偶然ってすごいですねぇ、と。 まる。
 それを明星にメールで伝えたら、返信が来た。嬉しいっすねぇ。その曲、明日のライヴでやってみることにしますぅ。ミュージシャンがこんな風に有機的に関わってんのはとっても素晴らしい。少なくとも、午前3時に焼き肉を喰うことよりは。アロハ・オエ!。

by 山口 洋  

stories#2

2005/10/20, 23:44 | 固定リンク

10月20日 木曜日 晴れ

 引き続き、沢山の物語を送ってくれて、ありがとう。そのひとつひとつに、それぞれの響きと風景と想いがあり、まるで短編集を読んでいるかのようでした。殆どが個人的な事情を綴ったものなのですが、すべてをあらためて読み返してみると、背後で「時代」と云う手に負えない「怪物」のようなものが糸を引いている姿が浮かび上がってきます。僕も含め、今を生きる人々がその怪物に翻弄され、日々フントーしています。「時代」を語るには、あまりに沢山の要素があります。でもそれを「時代のムード」と云う言葉に置き換えるなら、この国には「何もかもがあるけれど、何かが決定的にない」(村上龍さんは作品の中でそれを「希望」と書いてたけど)と云うムードが蔓延しているように感じています。池畑兄の至言。「一番怖れているもの」と云う問いに、「無知」と応えていました。この「無知」が意味しているものは、「知らないこと」ではなく「知ろうとしないこと」なんだと目から鱗の思いがしました。
 同時に「頑張りすぎてパンクする」ことが多い気もするのです。「弱さ」もたまに美しさだったりするのです。何せ、抗っている相手は「時代」っちゅー怪物だったりする訳だから。
 じゃ、どうしたらいいんだ?って。17,8年程前、僕のヒーローの一人であるケヴィン・エアーズに会ったことがあります。彼は簡単に記すと僕の中では「頑張らない人」の代表です。音楽業界に嫌気がさすと、遠い島にエスケイプしたりします。彼は澄んだ瞳でこんな歌を紹介してくれました。英語があまり得意ではない僕の意訳なんで、正確かどうかは?ですが。

「僕は本当に僕なんだろうか?」

野望なんてあるわけがなく
競争の日々より釣りの方が好きだった
生まれつきの怠け者だったけど
自分に何が出来るかってことぐらい知っていた
間違った時代に間違った場所で生まれたのさ

金や支払いのために働く
それは明後日には意味のないことになる

健康のためなのさ
僕は本当に僕なのだろうかと夢を見るとき

誰かは逃げてるだけだと云う
でも気づいた時にはみんな逃げた後だった
でも私たちができる一番の事は
私たちが何処に居るのか知ることだと信じてる

「進歩」と呼ばれている間に
私たちは魂を売り続けてる

僕は本当に僕なのだろうかと夢を見るとき

by 山口 洋  

ラーメン喰いたい

2005/10/19, 23:22 | 固定リンク

10月19日 水曜日 晴れ 

 夜中に突然、ラーメンが喰いたくなることないかい?俺はある。そして、今がその時なのだ。家から歩いて2分くらいのところにスカした博多ラーメン屋がある。この店、総合的にあまり好きではないのだけれど、頭の中がラーメンに支配されてしまうと、つい行ってしまう。で、喰った後に必ず激しく後悔する。
 中学の頃からその癖はあった。俺の部屋には無線があって、深夜に悪友と連絡を取り合い、チャリンコに乗って、家を抜け出し、「Mラーメン」を食する。至福だったなぁ。確か200円だったなぁ。汚ったなくて、どんぶりもヌルヌルで、誰かが寸胴を盗み見たら、猫の頭が入ってたっつー噂もあったけど、とにかく美味かった。その店はとうに無くなったんだけれど、先日、福岡に帰った際、Mが閉まってた日には遠征して喰いに行ってたラーメン屋が現存してたのを発見した。う、嬉しかった。残念ながら、その時は諸般の事情で喰えなかったんだけど、今度帰ったら絶対喰うぞ。その店はこれ
http://heno.biz/old/2003/200311/031128/031128_2.html
だ。汚い(すいません)、安い、早い、美味いっつー、俺が求める理想のラーメン像を全て満たしてくれる店である。うーっ。喰いてー。誰か代わりに行ってきてくれー。

by 山口 洋  

明星とラジオの収録

2005/10/18, 20:23 | 固定リンク

10月18日 火曜日 曇り 

 俺的ブライテスト・ホープ、明星とラジオの収録。都内某スタジオにて。この世の中でどうやったら、この手の人間が形成されるのか?飄々と我が道を行くところが音楽にも反映されていて素晴らしい。奴は明日が自身のシングルの発売日だと云うのに、それを持参しなかったどころか、そのブツをまだ手にさえしていなかった。いろんな意味で素晴らしくないか?。事務所やレコード会社の人間をたずさえることなく、奴はいつもの格好でひとりでふらりとスタジオに現れた。
 殆どアホな会話に終始してたけど、奴の音楽は素晴らしかった。是非web siteで試聴してみてくれ。俺はこんな音楽が街で流れてたら、多分救われたような気分になる。それは俺にとっても励みと呼ぶにふさわしいものだ。それから奴が教えてくれたミュージシャン、Magnetもかなりキレキレでイケてた。早速明日レコード屋に行ってみよう。何にせよ、ありがとう。

http://www.akeboshi.com/

by 山口 洋  

秋刀魚

2005/10/17, 23:27 | 固定リンク

10月17日 月曜日 雨 

 秋刀魚を喰った。美味かった。彼(彼女かも知らん)は何処をどう回遊して、何処で志半ばにて捕獲され、市場を経て、トラックで氷漬けにされて店に運ばれ、巡りめぐって俺に喰われるのか。ちょっとだけ「すまん」と思いながら、焼いたからには喰い尽くした。そこにあったのは秋刀魚の焼死体ではなく、凛とした秋の景色だった。ありがとう、秋刀魚。俺は喰ったもので出来てる。何だか躯に秋のエネルギーが満ちてきた気がしてる。いや、真面目な話、お腹からグルグルすごい音がするんだよ。

by 山口 洋  

all or nothing

2005/10/16, 23:29 | 固定リンク

10月16日 日曜日 雨 

 all or nothing。俺の言葉で「ゼロかゲロか」。一日中、吐き続けた。何も出すものがなくなっても吐き続けた。もう毒も何も残っていないだろう。身体はしんどかったけれど、妙に心は晴れやかだった。昨日、散々迷惑をかけたであろうお店に連絡。自分のしたことを詫びたら、「何を云ってんですか、愉しかったじゃないすか」と返ってきた。彼はほぼ同年代の九州人。身体もデカいが心もデカかった。ありがとう。
 そして送られてきた漱石の言葉。俺とて、いつまでも愛して止まないのは彼が書き記した「こころ」なのである。ありがとう、アゲイン。

 山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世はすみにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
 人の世を創ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣にちらちら
する唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば、人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世より猶住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の土は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、あり難い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるいは音楽と彫刻である。

by 山口 洋  

哀しみの河

2005/10/15, 23:27 | 固定リンク

10月15日 土曜日 雨 

 超無気力。誰でもそうだとは思うけど、心の底には哀しみでできた河が流れている。それが溢れそうなのは充分自分でも分かってはいた。そんな時、素晴らしく居心地の良い飲み屋に居て、アイリッシュなんぞをしこたま飲んで、人々の優しさに触れて、すべて決壊した。つまり壊れた。たまっていた毒のようなものが、殆ど全て流れ出ていった。またしても俺はトラになってしまったが、その記憶さえなかった。

by 山口 洋  

公園に行く

2005/10/14, 20:24 | 固定リンク

10月14日 金曜日 晴れ 

 超無気力。音楽を聴く気にもならず、活字を読む気にもならず。そんな日に無理をするのは止めておこう。ロクな結果を生むはずもないし。だから犬を車に乗っけて、公園に行った。美味しいものを食べて、少年達のサッカーを観て、寝転がって、都会にしては広い空を観てた。3種類の雲が浮かんでた。ダメ人間を満喫。ウチの犬は13歳。獣医さんによるとおばあちゃんらしい。親バカだけど、奴は可愛い。奴は俺を裏切らない。久しぶりにゆっくり奴といろんな話をした。奴はダテにおばあちゃんではなかった。「いいじゃん、たまにはゆっくりしようよ」と奴は東京なまりでそう云った。いい時間だった。しかし、とにかく、奴は臭かった。獣臭もある線を超えると、病み付きになったりもするのだが(俺は肉級の匂いが好きだ。変態だと云われても、あの匂いは妙にヤバい)、今日の奴は微妙な臭いを発していた。よし、風呂入るか?と聞いたら、「ワン」と即答したので、ゴシゴシと洗ってやった。

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by 山口 洋  

トラになる

2005/10/13, 18:16 | 固定リンク

10月13日 木曜日 晴れ

 久しぶりのトラだった。昨夜、どうやって帰宅したのか、まるで記憶なし。でも、悪い酒ではなかったことは確か。新しい人生の始まりに二日酔いってのも悪くない。

by 山口 洋  

降り止まない雨はない

2005/10/12, 18:07 | 固定リンク

10月12日 水曜日 晴れ 

 ほぼあり得ない日々だった。約3年に渡って、俺の日々は呪われていた。100%、俺が正しいと主張するつもりはない。俺はそんなに正しい人間ではない。けれど、どう考えても、巻き起こる事柄の数々は理不尽の極みに達していて、それは笑ってしまう位に前厄、本厄、後厄っちゅーもんと合致していた。暴力、誹謗中傷、恫喝、人格障害、噂の流布、盗み、破壊行為、エトセトラ。俺がキレて、「目には目を」をやってしまうと、今度は俺が犯罪者になる。だから、警察に何度も足を運び、状況を訴え、守ってくれるように頼んだが、現場検証に来た刑事は「うわぁ、ヒドいですねぇ」と云うだけで、捜査を確約してくれなかった。あり得ねぇ、と思ったが、俺に出来ることはそれだけだった。
 自分の身は自分で守るしかない。結局のところ、助けてくれたのは多くの友人たちだった。間違っていることは間違っている。正当な手続きを踏んで、やれることをやることでしかない。弁護士、裁判所、税理士、司法書士、エトセトラ。今までに何の縁もなかった職種の人々とやり取りし、意味不明な言葉の数々を学び、数限りない手続きを繰り返し、思うように進まない状況に何度も絶望的な気分になり、役所と云う役所に行き、無数の書類のやり取りをし、そして今日、ようやくそれは落着した。長かった。ひとえに長かった。解決と云う言葉にはほど遠いけれど、これで彼等と何の関係もなく暮らしていくことができる。一生何の関わりもなく生きていくことができる。そして、鍛えられた分だけ、俺はタフになった。本当に大切にしなければならないものは何なのか?それを身にしみて理解した。
 俺が今、これを書いているのは、俺のプライバシーを吐露したいからではない。ただ、世の中にはいろんな困難がある。あり得ない困難がある。そのまっただ中に居る人々に伝えたいことがある。これらの日々の中、俺の古い友人は自死を選んだ。俺の電話に最期のメッセージを残して。俺は何もしてやれなかった。それは何よりも辛いことだった。でも、どんな土砂降りの雨でも、決して降り止まない雨はない。暗闇の中だからこそ、見えてくる光がある。その光とは、金では決して買うことの出来ない「愛」だったりする。誰にも愛されていない人間なんていない。だから、絶望することはない。友人や家族はきっと君を支えてくれる。できれば、笑うことを忘れないでくれ。
 俺は新しい友人の店で、パディーで祝杯を上げた。ぐるんぐるんになるまで酔っ払った。悪くなかった。悪夢はもう終わりだ。さぁ、新しい人生を歩もう。

 支えてくれた多くの人たち。そう、あなたの事です。本当にありがとう。
 

by 山口 洋  

dirty old man

2005/10/11, 23:01 | 固定リンク

10月11日 火曜日 秋の風が吹く日 

 急に思いたって、ブコウスキーのドキュメント映画「オールド・パンク」を観に行った。世の中に「コイズミ・チルドレン」と云う言葉があるなら、さしずめ俺は「ブコウスキー・チルドレン」って事になる。脳味噌の隅々まで彼の言葉が染みとおっている(残念ながら、訳文だけど)から、ドキュメントの内容に目新しいものがあった訳ではない。けれど全編を通して、ギャグや毒舌よりも、もの哀しさが支配しているのは、おそらく制作者の意図であり、ある部分は彼の本質なのだろう、と秋の風に吹かれながら思った。親の資質をどのように受け継ぐかってことは、全ての人に通じる命題だと思う。否が応でもDNAに刻まれてしまった抗い難い部分、自分で変えられる部分、幼い頃に刻まれてしまったトラウマ、エトセトラ。何はともあれ、人は「愛」がなけりゃ生きられない。我がdirty old manの瞳の中に、子供の頃には決して出来なかったであろう「少年の目」を見つけて、「愛」ってすげぇ、俺は独りごちた。老人の瞳に輝く少年の光。それはとても美しいものだった。Don't try!

http://www.zaziefilms.com/bukowski/

by 山口 洋  

長雨

2005/10/10, 23:12 | 固定リンク

10月10日 月曜日 雨 

 すっきりしない天気が続いている。その昔、10月10日ってのは統計的に一番晴れが多いから、「体育の日」になったっちゅー話を聞いたことがあるんだけど。
 夕刻、都内某スタジオ。この冬に発売になるヒートウェイヴのライヴDVDのMA(映像と音を合わせる作業)。初めて通して観たんだけど、このバンドのイケてるところも、そうでないところも、余すとことなく記録されてます。なので、いろんな理由でライヴに足を運べない人もお茶の間で楽しめる作品になってます。
 しかし、スタジオと云う閉鎖された空間がトシと共に、芯から苦手になりつつある。窓がないのが苦しい。どうしようもなく苦しい。一般の人が観たこともないようなこの無機質な空間(そうだね、宇宙船のコクピットみたいだとでも云えば分かってもらえるかな?)の中で、果たして暮らしの中に響く音楽を創ることが出来るのだろうか、といつもでっかい?マークが頭の中を駆けめぐる。もうヒートウェイヴはスタジオで録音することはない、と思います。機械が嫌と云うほど発達したこの時代、我々は独自の方法を模索するつもりです。先日参加した明星のレコーディングは彼の自室にて行われていました。ま、いろいろと大変な事はあるんだけど、それもまた良しってところが素晴らしい。ダニエル・ラノアによると、重要なのは機械ではなく、まずはいつでも演奏できる、そのリラックスできる環境にあると。確かに今日のスタジオも、びっくりする位いい音なんだけど、訳もなく疲れる。ウチのバンドにこれ以上ハイパーな機械は必要ないと、確信したのでした。このDVD、ミキシングは8割方、俺の仕事場で、残りは魚の仕事場で行われています。多分、観た人はゴキゲンな音だと思ってくれるはずです。
 深夜。ヴェンダースがこんな事を云ってました。「人生における最高の瞬間は、知らない街で迷子になった時だ。すなわち、それが旅だと思う」。ごもっとも。

 最後に。福岡の素晴らしいところは都心からしばらく車を走らせるだけで、こんな景色に辿り着けるところにあると思います。住んでた時はそれが「あったりまえ」だと思ってたけど、今は何て贅沢なんだろ、と思わずには居られません。

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by 山口 洋  

フントーするミドルエイジ

2005/10/09, 23:20 | 固定リンク

10月9日 日曜日 曇り 

 埼玉県川越市。この街が小江戸と呼ばれていることなんてツユ知らず。でも実際足を運んでみるといい街なのだった。ガキの頃の記憶。俺は久留米って街にダブらせてたんだけど、鍋持って、豆腐買いに行ったっけなぁ、とか。古き良き町並みがそのまま残されている。何の根拠もないんだけど、多分街道沿いの宿場町なんだと思う。いろんな想いを抱えて、いざ江戸に到着する前の最後の宿場っちゅーか。
 今日はその古い家並の中にある歴史ある小屋、鶴川座にて、ピアノ中年リクオと鶴川座スタッフの主催によるイベント。単純にいい祭りだったなぁ。いい小屋の響きだったなぁ。それは客席の笑顔が証明してた。人々が暮らしてる街があって、音楽があって、祭りがあって、笑顔がある。たったそれだけの事なんだけど、それを見つける事すらこの国ではひどく苦労する。リクオやスタッフがどれだけフントーしたかって事も、何となくだけど知っている。ミュージシャンって輩はそういうエネルギーに引っぱられるもので、誰ひとりとして、自分のエゴを押し通す者は居なかった。新しい友人も沢山できたし、旧友とも再会したし、何にせよ、演奏してるのがとても楽しかった。彼等が蒔いた種はいろんな風に勝手に繋がって行って、どこかで思いがけない花を咲かせるはずだよ。ありがとう、心から。多謝&再見。

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by 山口 洋  

モノとの訣別

2005/10/08, 21:51 | 固定リンク

10月8日 土曜日 雨 

 身軽で居たいから、シンプルに暮らそうと心がけてきたけれど、意に反してモノは増えていくばかり。大して何も買わないのに、雨後のタケノコよろしく溢れていくモノたちを横目に、俺は半ば恐怖を覚えていた。でっかい地震が来て、モノに埋もれて圧死するのは嫌だ。
 新しい本を読み終えたら、手許に残すのは本当に大切なものだけにして、誰かに進呈しよう。CDはipodに入れて、若者に進呈しよう。ギターが一本増えたら、可愛がってくれそうな奴に一本プレゼントしよう。
 そう思い立って、まずは身の回りのものから整理を始めた。多分、そんな季節なのさ。捨てることに罪悪感がある。でも、申し訳ないけど、誰にも差し上げられない類いのモノは捨てるしかない。
 ipodを使うようになって、誰かの言葉を借りれば、「学生の頃にレコードをカセットに録音してた」感じを思い出した。無論mp3だからして、音質はかなり?だけれど、例えば、バンドの過去のライブラリーがリハーサルも含めてすべて収録されているからして、至極便利。旅先や車の中で、嫌いな音楽を聴かされることもない。でも、我々がミックスの時にこだわってる音がユーザーの環境で再現されているか、と云うと、それもまたかなり?なのだ。音楽の評論を生業としている方の家に行った際、LRのスピーカーが逆にセットされていて、おまけにスピーカー・ケーブルが逆相(片方のスピーカーのプラスとマイナスが逆に接続されてた)っちゅー、ミュージシャンにとって末恐ろしい状況で音楽が再生されていたことがある。それでも格好いい音楽は格好いいんだけど、今後は配信される音楽にはそれなりのマスタリングが必要だとは思う。

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by 山口 洋  

会うと云う行為

2005/10/07, 23:27 | 固定リンク

10月7日 金曜日 雨 

 満席の飛行機で東京に戻る。限りなく灰色に近いブルー。

 モーガン・フィッシャーから、ちょっと前にメールがあった。「ヘイ!ヒロシ。アル・クーパーが来日するんだ。紹介するから会いにいこう」。俺は彼にどうしても伝えたいことがあった。俺の勝手な事情だけど、恩義もあった。でもヤボ用が立て込んでいて、叶わなかった。前回の来日の時もそうだった。
 誰かに会うこと。それには「その時」ってもんがある。理屈じゃないけど、厳然としてそれはある。多分、アルさんの場合は単純に「その時」じゃなかったってだけの事なんだろうけどね。
 昔、心酔してたネイティヴ・アメリカンのメディスンマン、ローリング・サンダーをネヴァダのカーリンって街まで勝手に訪ねて行ったことがある。遠路はるばる彼を訪ねておきながら、家の前まで来て、突然「その時」じゃないと思った。だから、ノックをせずに立ち去った。それからしばらくして、彼が亡くなったことを知ったけれど、不思議と後悔はなかった。
 ヴァン・モリソンを紹介してやると、彼の友人に云われたことがある。けれど、まったく会いたいと思わなかった。俺は彼がアルバムを出す度にアルバムを買って聴く。その関係で何の不足もなかった。
 高名であろうとなかろうと、その人が何処に住んでいようと、誰かに会いたいと強く願ったとしたら、自分の経験から云って、それは数年のうちに叶う。世界はその程度の広さだと思う。でも、握手をしてサインをもらうことは「会う」と云う行為とは違う気がする。実際にその人物の前に立ち、相手の目を見た時に、自分のダメなところも含めて、いろんなものが見えてくる。そこから個と個の関係が始まる。そんな気がする。つまりその人物に会うに値する何かが自分の中に存在しなければ、永遠に「その時」は来ない。そんな事を考えながら、満席の飛行機に乗っていた。

by 山口 洋  

夢の跡

2005/10/03, 23:48 | 固定リンク

10月3日 月曜日 晴れ 

ヤボ用の合間。
かつての俺たちの特別な場所、平和台球場跡地を通る。
西鉄、太平洋クラブ、クラウンライター、そしてとんでもなく
弱かったダイエー・ホークスとか。子供の頃の記憶とおっさん達の
野次。そして想い出は白球と共に、広がる青空と共に今もある。
球場はドームに移転し、平和台は遺跡の発掘のために取り壊された。
仕方がないけど、哀しかった。
わずかに名残りを残す外野席のスタンド。
今現在も発掘中の遺跡より、もう誰も座ることのない朽ちてゆくスタンドの方が、俺には遺跡のように見えた。

by 山口 洋  

hometown

2005/10/02, 23:47 | 固定リンク

10月2日 日曜日 晴れ

バンドのメンツを見送って、俺は故郷に滞在。
育った街に居心地の良い飲み屋があるって事は何ものにも
代え難い。至福。

by 山口 洋  

能古島にて

2005/10/01, 23:40 | 固定リンク

10月1日 土曜日 晴れ 

地元の有志によって開催された「のこふぇす」に出演。能古島は博多湾の真ん中に浮かんでいる島なんだけれど、かく云う俺も約30年ぶりの訪問。
急遽決まったイベントだからして、集客と云う意味では厳しかったが、有志のみなさんの地元にかける意気込みは充分に伝わってきた。博多湾の彼方に灯るあかりを見つめながら演奏するってのは、なかなか得難い経験だったよ。ありがとう。

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by 山口 洋  
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