up up

2006/01/31, 23:43 | 固定リンク

1月31日 火曜日 雨 

 一日中、このモニター(写真)を見続けていると、気が触れそうになることがある。最近、俺は気分転換が下手かもしれん。クリエイティヴィティーなんて、一日中キープ出来るもんじゃないしね。でも、明日はメンバーも来る事だし、出来る限り仕上げておこう、とまたモニターを睨むのであった。アーメン。

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by 山口 洋  

fool to cry

2006/01/30, 23:50 | 固定リンク

1月30日 月曜日 晴れ 

 昨日は一日、コンピュータに近づかなかった。幻聴のように聴こえてくる音楽を頭から追い出したかった。実際のところ、最近の仕事っぷりはヤバかった。客観性を見事なまでに失って、殆ど自分の奴隷みたいだった。
 今朝は2時間ほどの仮眠で目が覚めた。何とはなしに鏡を見たら、髪の毛がヘルメットみたいになっていた。昨日は気分を変えるために、新しいツイードのジャケットを着ていたのだが、頭がヘルメットじゃ意味ねぇ。意味ないってば。哀しくなって、だんだん自分に腹が立ってきた。考えてみたら、今年になって自分の顔なんて顧みたこともなかった。とは云え、美容院の椅子に座るのはもっと嫌だった。だから、ハサミでじょきじょき切った。ま、失敗したらスキンヘッドにでもするさ。そんな気分だった。気がついたら「坊ちゃん」みたいになっていたが、ヘルメットよりはマシだった。
 渋谷の空に響く音楽に仕上げたかった。だから、渋谷の空を見上げながら、ずんずん歩いた。網膜に焼き付くまで歩いた。随分人にぶつかった。でも、音楽はイメージなんだよ。家に帰って、その空が見えてくるまで粘った。見えてきた。嬉しかった。そして同時に阿蘇の裏庭に刺す光を想った。少しだけ見えてきた。嬉しかった。あともう少しだ、坊ちゃん。

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by 山口 洋  

Legendary heart

2006/01/28, 23:29 | 固定リンク

1月28日 土曜日 曇り 

 柴山俊之さんの事を書こうと思う。前回のLost in timeもそうだけれど、今回のライヴが柴山さんの誘いじゃなかったら、受けなかったと思う。何故なら、俺はニューアルバム・プロジェクトのミキシングの真っ最中で、6.2Kを1db(分からなかったすいません。要は細かいってこと)上げるだの下げるだの。そんな世界に居た。所謂地獄耳になっていて、聴こえないものまで聴こえたりする。だから、ライヴをやってる場合じゃない。実際のところ、リハーサルをしている時間もない訳だし。
 サンハウスと云うバンドは俺が福岡で1979年にヒートウェイヴを始めた時点で、既に伝説になっていた。俺はヘソ曲がりだし、若かったし、伝説に興味はなかった。今をどう生きるかって事にしか。それよりも生で観ることができるルースターズにひどく感銘を受けてた。生意気な事を書けば、「俺にも出来るかも」と思わせてくれたけど、超絶なライヴを目の前で繰り広げていた。後になって、ルースターズがサンハウスに多大な影響を受けていた事を知ったけれど(多分、俺がルースターズに影響を受けたみたいに)、思うに影響を受けたからと云って、手を繋いで歩んでいくのではなく、「お前はお前の道を行け」ってな関係が良かったんだとは思う。
 九州の北部から生まれてくる音楽を「めんたいロック」とジュッパヒトカラゲにされた時期があって、運が悪いと「めんたいこロック」と呼ばれたりした。若かった俺はインタビュアーにそう云われる度に、「俺は違います」と云ってキレてた。だって、諸先輩から学んだ事は「お前はお前の道を行け」って事なんであって、それを一緒くたにされたら、タマらん。「俺とお前は違うんじゃ」と云う一点に於いて、みんなロックンロールに身を削ってた訳だし。
 池畑兄と演奏するようになって、彼よりも上の世代のミュージシャンと出会う機会が増えた。実際のところ、出会ってみると人間的には「独立」と云う言葉の意味を体現している人たちばかりで、その機会を増やしてくれた池畑さんには心から感謝してる。きっと20代の頃には理解できなかったんだろうけど、今になって感謝の気持ちと共に理解できるリレーションと云うものがある。
 で、柴山さんである。彼は俺より一回り上の世代になる。ロックンロール第一船団と云うものがあるとするなら、彼の世代やその仲間はいつも先頭を走ってきた。あるいは走ってこざるを得なかった。いつも切り拓いてきた人々である。表現の方法は違うのかもしれないけれど、彼等が切り拓いてくれたからこそ、歩いていける道がある。その関係性の中には「徒弟制度」のようなものはない。誤解を怖れずに書けば、本当にない。この道をついて来いと云われた覚えは一度もないし、云われたとしてもついて行かないけれど、それでも彼らが道なき道を開拓してくれた事に永遠の恩義を感じている。荒野をゼロから開拓するのと、先達の轍が残っているのとじゃ、えらい違いだ。
 もうひとつ。バンドと云うものは名うてのミュージシャンが揃っているから、ゴキゲンになるというものではない。キース・リチャーズがスタジオミュージシャンになれないように、スタジオミュージシャンはキースにはなれない。手っとり早くグルーヴには辿り着けないけれど、グルーヴやダイナミクスと云うものは、音楽理論なんてものを遥かに超えたところにある。だから、手にするのは面倒臭いけど、素晴らしい。その命題に柴山さんたちは今一度挑んでいる。ミラクルを手にしようと、フントーしている。 自分の伝統芸の中に埋没していないところに強烈に胸打たれる。フツー、考えるのだ。自分の人生は後どれくらいなのか。どれだけ金を持っていれば、楽に暮らしていけるのか。家族を養えるのか。でも、そうじゃない生き方を体現するのがどれほど難儀なことだろう。そんな意味で、ジヤイヤは途上のバンドだった。それが素晴らしかった。俺はミックスの1dbの世界の中で、本当に大事なものを受け取った気がしています。ありがとうございました。今日の写真は柴山さん愛用のマイクです。刻まれた「キ」と云う文字がいろんな事を語っています。さ、俺は俺の道を行こう。多謝&再見。
 


 
 

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by 山口 洋  

encouragement

2006/01/26, 20:44 | 固定リンク

1月26日 木曜日 晴れ 

 もうやることがなくなった。絵を描いていた頃、一番難しかったのは、どこで止めるかって事だった。あそこに「赤」をちょっとだけ入れてみよう。そんな考えで、取り返しのつかないことを沢山やってしまった。
 マネージャーがコーヒ−片手にやってきた。聴いていわく、「何処を悩んでんのか、ちっとも分かりませんねぇ」。そ、そう?そうかもしれんね。
 夕方。4日に渡るフントーの末、HWニューアルバム・プロジェクトの記念すべき1曲目が仕上がった。長かったけど、充実した旅だった。
 我々のアルバムにはいつも「For love help, and encouragement on the way」と記されている。実のところ、僕はいつも「encourage」の恩恵を受けている。このブログを観て、沢山の友人たちが電話をくれた。旧知のエンジニアとか、食べ物の差し入れも沢山。ありがとう。中でも「驚愕」するほど嬉しかったのは、以前ここ

http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=05110014

に書いたS氏からかかってきた突然の電話だった。

「もしもし?誰だか分かる?」
「分かりません」
「俺だよ。S」
 
 その声はとても片方の足を切断した70代の男性のものではなかった。

「退院したんだよ」
「良かったですねー。ところで酒とか飲んでませんよね?」
「飲んでるよ。ビールは酒のうちに入らんからね。毎晩、孫娘くらいの年齢の女の子に電話して、飲んでるよ。それがね、みんな来てくれるんだよ。あっはっは」

 あっはっは。じゃないと思うけど、エロは元気の源であることは俺も認める。エロ万歳! Dirty old man。
 何だかんだ。

 彼はエネルギーに満ちていた。創作の意欲にも満ちていた。ま、負けられん。俺なんて彼の半分ほどしか生きてない。今年中の再会を誓って電話を切った。うっしゃー、俺もがんばるぞ。おーっ。

 
 

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by 山口 洋  

迷走は続く

2006/01/25, 19:44 | 固定リンク

1月25日 水曜日 天候不明 

 迷走は続く。とにかく続く。作っては壊す。その繰り返し。ロックンロール・ミュ−ジックなんて「熱いうちに打て」ってそれだけの事かもしれんけど、それだけじゃない。「ここじゃない何処か」を探していて、結局「何処にも辿り着かない」けど、妙にポジティヴで、しかも切ない。なんて場所を探しているから、ややこしい事は自分でも分かってる。でも日々は限りなくそれに近いし、そんな音楽じゃなければ、俺は熱くなれないから仕方がない。
 六本木ヒルズに住んでいる社長が逮捕された。俺は個人的に彼が好きにはなれないけど、さんざん時代の寵児だともてはやして、今度は奈落に突き落とされる。マンションの耐震偽装はしばし、何処かに消える。何だか切ない。切なくないかい?某社長の摘発に関しては、見えない作為を感じるし、マンションを購入した人の問題が落着した訳でも何でもない。こんな世の中で生きていて、本当に大事なことは何なんだ?時々、俺もそれを見失うし、それは決して簡単な事じゃないけれど、廻りに振り回されてはいけない、といつも思う。どんな時も同じ体温で、誰に対しても同じ態度で、それを見つめていたいと思う。
 殆ど朝。ようやく辿りつきそうな音を聴いて、急激に睡魔が襲ってきた。もう寝よう。

by 山口 洋  

迷走の果て

2006/01/24, 23:43 | 固定リンク

1月24日 火曜日 晴れ 

 昨日から迷走に次ぐ迷走。仕事場から一歩も外に出ないまま、何をやってもうまく行かず。閃きもなし。この曲がゴミなんちゃうか?とか、歌がゴミなんちゃうか?とか。いろんな考えが頭をよぎる。しまいにゃ、「俺って才能ないかも?」と云う考えに到ったところで、ようやく食事(餌)に辿り着く。そう云えば、何も喰ってなかった。何とかしろよ、その性格。と一人で突っ込むも、ボケる気力もなし。
 飯を喰ったら、今度は機械が云うことをきかなくなった。蹴飛ばしたい衝動に駆られながらも、機械の値段を思い出して、ぐっと堪える。友人Tに連絡して、思いきりボヤいた後で、直す方法を聞き出して、ついでに「あんたは真面目すぎるからさ。ま、肩の力を抜いて楽にやんなよ」と、慰められる。ここでメゲるのも癪にさわるので、力を抜きつつ、しつこく粘る。深夜3時。船出からほぼ40時間後、光が見えた。うっしゃー、と急に元気になるも、さすがに体力が残っていなかった。でも、確かに冒険だったけど、見たことのない場所に辿り着きそうだ。な、長かった。続きは明日。アーメン。

by 山口 洋  

ミックス開始

2006/01/23, 23:45 | 固定リンク

1月23日 月曜日 晴れ 

 一日中、家から一歩も出ることなく、コンピュータの前に貼り付いてミックス。深夜、迷走を重ね、行き詰まって撤退する。色気なし。

by 山口 洋  

ソロ・ツアー

2006/01/22, 21:09 | 固定リンク

1月22日 日曜日 晴れ 
 
 ソロ・ツアーの事を書いておきます。全国各地で多くの人々が協力してくれていると聞いています。この場を借りて、心から礼を云います。本当にありがとう。ツアーを思い立ったのには幾つかの理由があります。まずは、一年間のアルバム制作期間中に、この国をもう一度自分の目で見ておきたかったこと。NYはアメリカと云う国の中にあるけれど、一般的なアメリカとは相容れません。同じように、トーキョーもまた、ヒジョーに特異な街です。僕はトーキョーのど真ん中か、阿蘇の大自然と云う、とても偏った場所で殆どの時間を過ごしているので、この国が今どうなっているのか、できるだけ見てみたいのです。「株」と云うバブルに本当に多くの人が浮き足だっているのか?僕はそんなことはないと思います。それゆえ、バンドでは行くことが難しい街を中心に選びました。出来るだけその街を自分の足で歩き、沢山の人に会えたらと思っています。
 今回のツアーは、多分スタッフは帯同しません。一人で廻ります。ひえーっ。かなり過酷ですが、その方がより見えてくるものがあると思ったからです。途中で僕が「もうダメです」と音を上げたら、話は別ですが。ヘタレる可能性も否定しません。なので、いつもは一人のライヴでも楽器を3〜4本使ってますが、ギターは一本しか持てません。音響のスタッフも当然居ません。ミュージシャンとしての力量が問われるってことで、アクシデントも楽しみます。あ、絃が切れたら、ライヴは中断します。「ヒロシの公開絃張りショー」をお楽しみ下さい。すいません。
 願わくば、旅の過程で曲を書き上げたいと思っています。(出来んのか、おまえ?)それらを育てつつ、南下していくつもりです。(ほんとかよ?)でも、せっかくいろんな街に行くんだし、ヤンバルクイナを見るような気持ちで僕を待っててくれた人には、「あの曲をやってくれー」っちゅーリクエストに応えるかもしれません。遠慮なく、ライヴの最中にどうぞ。あ、空気は読んでね。
 もちろん、HWニューアルバム・プロジェクトに賛同してくれる人々も各地で募集します。地方で手に入れずらいアルバム等も出来る限り揃えておきたいと思っていますが、何せ一人なので(持てないちゅーの)、良い方法をスタッフと考えておきます。せっかく旅をしているので、気の利いたものはないかな、と考えて、ポストカード・ブックを制作中です。間に合えばいいけど。僕の写真ー愛してやまないアイルランド・ドニゴールの風景ーと言葉が入った絵はがきが30枚綴りの本になっているものです。
 それから、あちこちでいろんなミュージシャンが出てくれることになりそうです。せっかくなので、出来る限り多くのミュージシャンと音楽で会話したいと思っています。何にせよ、見かけたら気軽に声を掛けて下さい。一般的に思われているほど、怖い人間ではありません。
 
 明日からはレコーディング第一クールで録音したものをミックスする作業に入ります。ええもん録れてます。実験、冒険。充実してます。楽しみにしていて下さい。多謝&再見。

by 山口 洋  

第一クール録音完了

2006/01/21, 23:08 | 固定リンク

1月21日 土曜日 雪 

 目覚めたら、外は一面の銀世界。たいてい二日酔いで目覚める自分も、こんな日は朝に感謝したくなる。
 スタジオで第一クール、最後の録音。機材をまとめて、毎度引っ越しのような作業をして、家の仕事場に機材をセットアップする。

追伸
この写真、車の窓に貼り付いた雪。何となくアイルランドの形に似てないかい?ゴールウェイとかコネマラあたり。

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by 山口 洋  

旅路の果て

2006/01/20, 23:04 | 固定リンク

1月20日 金曜日 天候不明 

 昨日までの2日間。ソファーの上にて、冬山に登るようないでたちで、ただ屍と化していた。ヒドい風邪をひいていたから、レコーディングをキャンセルせざるを得なかった。
 ようやくスタジオワークに復帰。第一クールも残すところ、あと二日。今回、アルバム制作にあたって、一年と云う長い期間を設けたのには訳がある。作業の過程で出てくるアイデア、つまり副産物のようなものも、全て試してみることにしたのだ。リズムトラックを録り終えてからは、ほぼ全ての時間が俺と魚のあーでもない、こーでもないと云う試行錯誤に費やされる。この二人組は敢えて、伝家の宝刀を抜こうとしない。いつも突拍子もないところから、新しい音楽の可能性を探ろうとする。突破しようとする。それがいいのか、悪いのか不明だけれど、行き着く先が分かっているのなら、音楽の冒険をする意味をあまり感じない。 
 今日、取り組んでいたデモにはリズムが入っていなかった。しかし、二人の頭の中には「明確に」リズムが鳴っていた。慌てて、池畑兄に連絡するも、忙しくて時間が取れなかった。止むをえん。叩くか。こうして、二人はドラムとベースをとっかえひっかえ演奏して、謎のリズムトラックをゲットした。
 第一クールの冒険はもうすぐ終わります。今までの自分たちとは違う、新しい地平に立っている、確かな手応えがあります。3月頃には無料配信やマキシ・シングルのような形で皆さんに届けられると思います。楽しみにしていて下さい。

追伸
 ドラムセットがなくて、困っていた我々に、栃木さんが「てきとーに見繕って、持っていって下さい」と大事なセットを貸してくれました。ありがとう。いい音でした。

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by 山口 洋  

満月の夕

2006/01/18, 22:19 | 固定リンク

1月18日 水曜日 天候不明 

 震災から11年目の昨日。いろんなところで「満月の夕」が流れていたよ、と聞かされた。物事の移り変わりが手に負えないほど早いこの世の中で、書いた曲が愛されていることを知るのはソングライター冥利に尽きると云っても過言ではない。
 一方、スタッフから「mora」によって配信されていた、ソニー時代のアルバム2枚の音源が削除されていると報告を受けた。「満月の夕」が収録されているアルバム「1995」もそこに含まれたので、今現在アルバムが廃盤になっている状況では、リスナーが新たにその曲を手にする可能性はほぼゼロになったことになる。
 
 事のいきさつはこうである。昨年9月にソニーの法務を訪ね、廃盤になっている我々の過去のアルバム5枚を全て配信して欲しいこと、それが叶わないのであれば、i Tunes music storeに門戸を開放して欲しいこと、それにあたっては制作時とはコストのかかり方が違う訳だから、新たに契約を結び直して欲しい事等を文書と口頭で申し入れた。担当者氏は口頭で、i Tunesの件に関しては無理だが、少なくとも「mora」における配信は担当者と協議して善処するとの回答を得た。しかし、待てど暮らせど、何の連絡もなかった。仕方なしに、「その後の推移」について質問書を送った。結果、昨年の12月11日にソニーから配達証明付きの文書が届いた。要約すると、「ソニーの見解に賛同するならば、配信等を行うこともやぶさかではない」との内容だった。我々が契約した90年当時、世の中には「配信」なんてことを考える人は居なかった。したがって、契約書の中にそんな項目は盛り込まれていない。そこで文化庁が後に「送信可能化権」と云う法律を作った。文化庁の見解によると、実演家(つまり我々)とレコード会社が配信に関しては等しく権利を保有していると云う法律である。つまり我々の許諾なしに、勝手に配信したり、それを止めたりは出来ないはずなのである。しかしソニーの文書には「送信可能化権を含む一切の権利を当社が保有すると理解している」と記されている。そこの見解が大きく食い違っている。不本意ながら、話し合いがうまく行かない場合、法廷で解決しなければならないと思っている旨、弁護士が先方に伝えた。そして、最近。我々の音源は何の連絡もなしに削除された。
 ソニーに一匹のミュージシャンがモノ申すことは、アリが巨象に文句を云ってるみたいなものである。その気になれば踏みつぶすことなんて、簡単だろう。でも、時代は変わるのだ。おかしいことを「おかしい」と云えない国なら、僕はそこで暮らしたくないし、ずっと自由を求めて、音楽をやってきたのなら、そこのところを曖昧にはしておきたくない。実のところ、我々が契約した時の社長、丸山さんや、我々の音楽を多くの人に伝えようとフントーしてくれた当時のソニーのスタッフ達には恩義がある。だから、複雑な気持ちではある。だから、どうやったらうまく解決するのかは不明だけれど、冷静に事を解決したいと思っている。僕は無意味な争いや闘いは嫌いだ。
 と書いておきながら、「満月の夕」を含む、削除されたそれらの歌が死んだとは僕は思わない。昔から、歌は時代に合わせて形を変えながら、歌い継がれてきたんだから。あのー、僭越ですけど、ここにコードも載せておくんで、歌いたい人はおおいに歌って下さい。それが一番嬉しい。歌詞は「discography」のところにあります。
http://www.five-d.co.jp/heatwave/rock_diary/body/2003/jul/24.html

by 山口 洋  

レコーディング

2006/01/17, 22:25 | 固定リンク

1月17日 火曜日 曇り 

 昔はもう少し無理が出来た(と思う)はずなのだが、たっぷり寝たにも関わらず、体調は回復せず。著しく集中力と判断力が落ちて、周囲に迷惑をかけてるだけって様相を呈してきたので、早めに録音を切り上げて、明日は終日寝ていることにする。すまん。
 

by 山口 洋  

ダウン

2006/01/16, 22:20 | 固定リンク

1月16日 月曜日 曇り 

 起きた時から、調子が悪かった。身体中がダルかったし。スタジオに行ってもギャグにキレがないし。レコーディングは都内に場所を移して、これからは延々と続く魚と俺の作業。でも、夜になって、とうとうダウン。作業は魚とスタッフに任せて早退と相なった。そんな訳で、早く寝ます。おやすみなさい。

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by 山口 洋  

2006/01/15, 23:17 | 固定リンク

1月15日 日曜日 曇り 

 映像のクリエイターである友人からこんなメールが届いた。

私事ですが、
先日、先輩から今月末での解雇を告げられました。
立ち上げから参加した3人だけの会社で、今後もどういう契約形態にすれば、一緒にやっていけるかということを相談していたつもりだったので、少しびっくりしました。

社を離れることになるケースを想定してなかったわけではないですが、(結果としてそうなる可能性も高いと思っていたのですが)2週間前になって、他人のような口調で告げられたことに動揺しています。
 
 個人的感情と経営者としての立場は一致しない。いつもの僕ならこういうケースで心を閉ざしてしまうのですが、先輩の気持ちも想像して(僕の身勝手な行動に腹は立てたでしょうが、応援してくれているとは思うので)あと2週間、気持ちよく勤めようと思います。
 
 今、この時代にこのような体験をしている人々は沢山いると思う。けれど、だからと云って、彼のクリエイターとしての生命が断たれた訳ではない。「ハピネス」は人の数だけ種類があってしかるべきだと僕は思う。やりたい事に夢中になれる幸せ。僕にとって、それ以上の「ハピネス」はない。
 明日からの東京でのレコーディングに備えて、山の中で録音したものをどうすべきか、撮影した写真を観ながら考えていた。自分で云うのも何だけれど、スピーカーの間から立ちのぼってくる景色が素晴らし過ぎて、泣いた。風景の中に求めていた「切なさ」と「ハピネス」と「エスポアール」があったからだ。こんな時、人生や関わっている人々に感謝したくなる。本当にありがとう。友よ、暗闇の中だからこそ、見えてくる「光」がある。それさえあれば、きっと大丈夫さ。
 

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by 山口 洋  

下北沢にて

2006/01/14, 15:09 | 固定リンク

1月14日 土曜日 雨 

 そう云えば、今日はライヴだった。レコーディングの事で頭がいっぱいで、メンバー全員がスタジオで数日一緒に過ごしていたにも関わらず、誰ひとり「リハーサルどうする?」なんて事を云う輩は居なかった。大物っつーか、何も考えてないっつーか、いっぱいいっぱいっつーか、妙な自信っつーか、何と云うか。
 声を掛けてくれたのが lost in time じゃなかったら、今日のライヴはやらなかったと思う。何故なら、そのまま某高原で録音作業に没頭してた方がはるかに効率がいいんだし。何よりも、彼等は俺がヒートウェイヴを始めた時にまだ生まれてなかったのである。そんな連中とやるのは嬉しいような、ヒドくトシを喰ったような、でもそんな事は全く関係ないような、微妙な気分ではある。同時に、世代は違っても、2つのバンドにどこか重なる部分があるとするなら、多少の気恥ずかしさを込めて、音楽に対して「honest」であることだと思う。事実、客席の最前列にはおそらく彼等のファンであろう妙齢の女性たちが居て、総じてイノセントな瞳で音楽を楽しんでいた。まったくスレていなかった。そういう状況になると、俺はどこを見て歌っていいのか?になるのだが、音楽の川が、太古の昔から延々と何処かに向けて流れ続けていて、たまたま俺たちが早く生まれたってだけの理由で上流から「ドンブラコ」と流れてきたに過ぎんっつーことと、願わくばその川は「honest」に向けてこれからも流れ続けていくのだって事を受け取ってくれたら嬉しく思う。
 若い世代と音楽の話をするのはとても愉しかった。それは同時に自分を確認する作業でもあるからだ。呼んでくれて、ありがとう。また、何処かの空の下で。

追伸
 我々がライヴの前日に「ところで、明日、何着る?」なんて会話を交わすはずもなく。でも全員黒いシャツを選んでるところが何だか笑える。

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by 山口 洋  

移動日

2006/01/13, 14:35 | 固定リンク

1月13日 金曜日 曇り 

 機材をまとめて東京に戻る。昨夜、居合わせた全員で飲みながら、録音したものを聞いたのだけれど、素晴らしかったっす。苦労して、ここまできた甲斐があったと云うか。今まで出来そうで出来なかったものがハードディスクに記録されています。「音楽 - 音を楽しむ」と云う言葉の意味がようやく分かってきた気がしています。それにしても、休みが欲しい。

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by 山口 洋  

Dream harder

2006/01/12, 23:35 | 固定リンク

1月12日 木曜日 晴れ 

 1月12日の朝7時にこれを書いています。もちろんこんな時間に起きた訳ではありません。楽しいけれど、過酷な作業を終えて、みんなとさんざ飲んで話して、いつの間にか朝陽が昇ってきました。レコーディング中は気が高ぶって、ほとんど仮眠しかできない(僕の寝床はソファーです)ので、思いついた事を書き留めておこうと、コンピュータに向かっているところです。
 このスタジオ。実は商業用のスタジオではありません。某高原にある、歯医者さんのプライベート・スタジオなのです。歯医者さんの趣味(と云う領域は遥かに越えてるけど)が高じて、2階がスタジオになっているのです。でも、音楽を愛している人のスペースは所謂レコーディング・スタジオとは違う、味わいのある音がします。昼間はもちろん歯科医院として営業しています。それなのに、爆音を出す我々を受け入れてくれたことにまず深く感謝しています。都会では100%あり得ないことです。こんな人、世の中に居るんだ、と思っていたら、彼の所蔵CDの中に沢山のアイリッシュのアルバムを見つけました。何だか、何処かで繋がってるなーと、勝手にひとりごちています。
 おそらく、我々のレコーディングは超がつくくらいアナーキーなものです。いろんなアイデアがあって、それらを全部試してみます。いつもは専門職である録音エンジニアも不在で、ザ・バンドがビッグピンクでやっていたように、全部自分たちで考えてマイクを立て、録音しているのですが、今回はスケジュールがあまりにタイトであるため、エンジニア氏が来てくれています。実は34歳の彼は、我々と仕事をするのが初めてなのですが、どんな状況でも嫌な顔ひとつせず、無茶なリクエストを全て試してくれます。無茶なアイデアと云うものは、殆どが結果的に却下される場合が多いのですが、その中に予想だにしなかった、効果を上げるものもあります。だから、その努力を怠っていては人と違う音は出せないのです。こんな風に徒労を苦労と思わないエンジニアと出会えたことも嬉しく思っています。
 今回、新しい曲の冒険をしに来たのですが、同時に今のバンドで(特にソニー時代の)以前の曲も今の解釈で録音しています。何故なら、それらの楽曲は聞きたいと思う人が居ても、聞くことが難しい状況だったりするからです。昨夜は池畑兄のものすごいドラムを目の当たりにしました。いや、何と云うか、凄まじい光景でした。何だか、ものスゴイものが出来上がりつつあります。日程は限られているのに、アイデアは無尽蔵にあります。瞬発的に、大胆に、けれど繊細に。ヒートウェイヴが持つポテンシャルが沢山記録されていきます。とんでもなく大変な作業でありますが、多くの人たちの創造力がそこに記録されていくことに興奮している毎日です。

 と、ここまで書いて爆死。

 さて、午後11時です。ここでの作業、無事終了しました。繊細な曲、切ない曲、考えられないほどアホな曲、その他もろもろ。何ひとつ完成しているものはありませんが、素晴らしき冒険の日々でした。いや、まじで。これから東京に戻り、続きの作業に取りかかります。楽しみにしといて下さい。某高原、最後の晩餐は渡辺圭一家に代々伝わる「水炊き」でした。リズム隊の合作による飯は美味かったっす。
 お世話になった方々、声援をくれた皆さんに心から礼を云います。ありがとう。


 

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by 山口 洋  

レコーディング3日目

2006/01/11, 20:33 | 固定リンク

1月11日 水曜日 晴れ 

 この山あいの街には「異常乾燥注意報」が発令されてます。それは多くの楽器にとっては良い事なんだけれど、生身の喉にとってのみ、地獄と呼ぶにふさわしい状態ではあります。
 さて、音楽三昧の日々を送っている我々に、全国からいろんな心遣いが寄せられています。今朝は絶品のトマトソースとパンチェッタやクッキー。さっそく、頂きました。美味しいものは人を元気にします。美味いコーヒーが飲みてー、と思っていたら、美味しいコーヒーが送られてきました。(あの、別に催促してる訳じゃないんで)。喉を冷やさないように、とファンから頂いたアウトドア用のマフラーもとっても重宝してます。とにかく、ありがとう。今日も音楽の宇宙を目指します。にゃーっ。

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by 山口 洋  

レコーディング2日目

2006/01/10, 02:20 | 固定リンク

1月10日 火曜日 晴れ 

 レコーディング2日目。
 苦労するのが好きな人間なんていないけれど、頭の中に渦巻いてる風景に近づいていくのは、やっぱり容易な事じゃなかったりする。試行錯誤を繰り返して、午前2時にようやく、誰も見たことがなかった景色がスピーカーの間から立ち上ってきた。ひどく疲れたけど、嬉しかった。

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by 山口 洋  

Recording開始

2006/01/10, 00:07 | 固定リンク

1月9日 月曜日 晴れ 

 某県の某所にて、多くの人々の尽力のもと、レコーディングを開始しました。広い空、透き通った空気、異様に乾燥していることを除けば、素晴らしい環境です。ここまで辿りついたことを嬉しく思うと同時に、身の引き締まる想いです。っつー割には、スタジオには笑い声が絶えないけど。HWニューアルバム・プロジェクト。初めての音がハードディスクに記録されました。

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by 山口 洋  

川越にて

2006/01/08, 23:00 | 固定リンク

1月8日 日曜日 曇り 

 川越にある小屋、鶴川座が100年に渡る歴史に幕を下ろすことになった。出来たばかりの小屋にはない何かがここにはあって好きだった。芸人の汗や涙や泣き笑いの名残りとか、かつて映画館だった頃の息吹とか。この世には努力しても、どうしようもない事がある。例えば、この小屋が無くなることがそうなのだけど、きっと足を運んだ人の胸の中には、それぞれの鶴川座が刻まれているはずだよ。終わりはまた始まりでもあるのだから。
集まったミュージシャンたちはそれぞれに円環を描くように音楽を奏でていた。みんなそれぞれにエゴを持った人たちなのだけれど、そんな事よりも、水の流れのような、フロウを自然に創り出していたのが素晴らしかった。こんな時、人って生き物は信じるに足ると云うことを実感する。それもこれも、鶴川座の歴史と、集まってくれた人と、何とかこの場所を残そうとフントーした人々の想いが創り上げたものだと思う。ありがとう。また何処かの空の下で。

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by 山口 洋  

on the road, again

2006/01/07, 18:18 | 固定リンク

1月7日 土曜日 曇り 

 年明けから鼻息荒くてすいません。七草粥喰ったら、エネルギーがこみ上げてきました。うっしゃー、やったるでー、と力に満ちております。いくつかお伝えしたいことがあります。

 明日、川越の鶴川座でのライヴを終えたら、そのままバンドはレコーディング第一クールに突入します。厳しい冬に、何故か雪深い某県の山中にて、プロジェクトを開始します。ここは所謂レコーディングスタジオではないのですが、「音楽の冒険」を始めるにはうってつけの場所だと、いつものように私の直感が申しております。我々はマゾではありませんが、この国に「四季」と云う素晴らしいものがあるのなら、敢えて「冬っ!」と云う場所で、震えながらその空気感が録音できたら、と思うのです。ネットに繋がる環境かどうかも不明なので、ドキュメントをお伝えできるかどうか?ですが、凍死しないように楽しんできます。願わくば桜が咲く頃には、あるいは木々が芽吹く頃には、新しい音を配信などの(どういう形でかは不明ですが)形でお届けできれば、と思っています。HWニューアルバム・プロジェクトは一年がかりでやります。いろんな場所で、いろんな季節に録音していくつもりです。とは言え、超自転車操業であることも確かです。引き続き多くの方の賛同をお待ちしています。まずは第一歩を踏み出せることに感謝しています。乞うご期待。ありがとう。

 レコーディング第一クールは2月の初旬に終わる予定です。そこから僕はギターを持って、旅に出ます。北は北海道、南は九州の端まで、できる限り多くの街を廻りたいと思っています。この国をもう一度、自分の目で観てみたいのです。その中で、新しい音楽を仕上げていくつもりです。たぶん、一本として同じライヴはありません。ある会場には誰かが来る(かも)しれません(誰か分からないけど)。もうすぐ詳細をお伝えできると思うので、楽しみにしていて下さい。1995年に「1995」をリリースした後、バンドのツアーを終えて、それでもやり残した感じが否めなかったので、「ひとり1995ツアー」で小さな街を廻りました。集客が厳しかった場所もあったけれど、多くのものを僕にもたらしてくれました。ほぼ10年振りに「原点」に帰ろうと思い、そのツアーを「on the road,again」と名付けました。フル・バンドでのライヴはもちろんの事、これからはフレキシブルにやっていきます。昨日も書いたけれど、「行動あるのみ」、案ずる暇があったら、自分たちのポテンシャルを、そして音楽の素晴らしさを伝えることに、エネルギーを注ぐつもりです。みなさんと何処かの街で会えるのを楽しみにしています。多謝&再見。

追伸
これらの事を進めていくにあたって、多くの人の尽力を得ました。この場を借りて、礼を云います。ありがとう。

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by 山口 洋  

行動

2006/01/06, 23:18 | 固定リンク

1月6日 金曜日 晴れ 

 年が明けてからと云うもの、いろんな事が重なって陰鬱な日々を過ごしていた。もう、いいだろう。暗闇は充分に見たし、戻ってこよう。もうひとりの俺がそう云った。思いつくことから、片っ端にやり始めた。頭の中には某所で見た張り紙「行動せよ!」っつー言葉があった。あちこちに、相手の都合も考えず連絡を取った。本当に勝手な奴だ、と自分でも思う。馬車馬みたいに働いたら、明け方の4時には、プロジェクトをひとつ終えていた。本当に勝手な奴だ。

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by 山口 洋  

体温

2006/01/05, 15:19 | 固定リンク

1月5日 木曜日 晴れ 

 世の中がバブルの絶頂だった90年に俺たちはデビューした。プロとして初めてもらった月給は確か7万円。家賃と楽器のローンを払ったら、その日のうちに懐はマイナスに転じる。世の流れとは完全に逆行していた。笑い話だけれど、俺は栄養失調で次々に前歯が欠けた。でも今になって思えば、それが良かった。奇妙な世の中を外野から眺めることが出来たから。やがてブイブイ云わせてた連中の凋落が始まり、俺はアルバム3枚目の印税でようやく前歯をゲットした。確かにヘンな時代だった。実体のないものに多くの人間が一喜一憂したあげく、破綻して例の1995年と云う忘れられない不気味な年を迎えることになる。
 2006年。先が見えない時代だと人は云う。そんなもの、昔からそうだったぜ、と俺は思う。あの頃の不気味さと何かが似てると、俺は思う。でも多分、「希望 - Esopoire」があれば人は生きていける。それは待っていて、手に入るものじゃない。多分、それはいつの時代も変わらない「体温」のようなものだ。本当に大事なものは何なのか、それを見つめていることだと、俺は思う。
 通りかかった道すがら、何てことない壁を見つめていた。凛々しかった。落書きされても変わらない「体温」のようなものが彼にはあった。

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by 山口 洋  

謹賀新年

2006/01/04, 21:33 | 固定リンク

1月4日 水曜日 晴れ 

 新年、おめでとう。
 俺はと云えば、新年早々、アホな誓い(ある意味真っ当なことではあるんだけど)を立てたせいで、ソファーの上から殆ど動くことができず、ウンウン唸ってるだけっつー、空しい日々を過ごしてました。それが何の誓いだったかってことは、効果が出るまで、しばしの秘密ってことで。
 さて、仕事始めは仕事部屋に自らビデオをセットして作曲風景を記録すると云うものでした。某O監督の命令によるものなのですが、この風景、何処かで観た覚えが、と考えてみたら、それは電波少年(だっけ?)と云う番組だったような。か、監督。云われた通りにやりますんで、格好いい作品、作って下さいね。

追伸
 そうそう。カメラが新型になりました。ゴキゲンです。
 

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by 山口 洋  
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