岡山にて

2006/02/28, 01:39 | 固定リンク

2月28日 火曜日 天候不明 

 だんだん、長い文章を書けず。すまぬ。

 神戸のホテルで起きて、田中さんとランチをハーバーで喰って、ラジオ関西の愛ちゃんと云うラブリーなパーソナリティーの番組に出て、岡山に向かって、歌った。
 で、岡山。確かにお客さんは少なかった。でも愛とガッツと、もろもろ。俺は込めたよ。何か届いてたら、俺は嬉しい。
 そうそう。スキッパーズっちゅーいい店があるんだ。岡山に。ギネスもアイリッシュ・シチューもあるんだ。今日も軽く2ステージ目をやらせてもらった。マスターは俺と同学年。こんないい店、大事にしてあげてね。だめだ、もう寝ます。尽力してくれた、みんなありがとう。愛してるよ。

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by 山口 洋  

目に映るこの国、そして神戸のセクハラ。

2006/02/27, 23:38 | 固定リンク

2月27日 月曜日 

 このツアーを思い立ったきっかけ。それは「もう一度、この国を自分の目で見てみたい」と云うことでした。ツアーが折り返し地点にさしかかったこともあり、僕の目に映った風景を一旦記しておきたいと思います。あくまでも主観によるものであることをお断りしておきます。

 地方都市は、似たような現状を抱えているように見えます。例えば、大型郊外店が出来る。一時的な雇用が生まれる。人はそちらに流れる。駅前の商店街は四苦八苦する。ひどい場所では、郊外店の採算が取れなくなると、撤退する。商店街はほぼ死滅状態。つまり街はある意味破壊された状態となって放置される。郊外店の多くには、大手資本のレコード店も入っています。資本主義の世の中だから、淘汰されることは仕方ないのかもしれません。ただ、僕の心の中には割り切れないものが澱のように残ります。
 例えとして、どうかとは思いますが、僕はとある店でしか洋服を買いません。元々、着るものにあまり興味がないのと、店に行くのが面倒なのと。とは云え、あまり貧相な格好をする訳にもいかず。僕はその店で買い物をしていると云うより、店長その「人」からモノを買っているのです。彼は洋服に関して、豊富な知識を持ち、僕の職業も理解してくれた上で、勧めるものは勧め、決して押し売りをしません。彼にはこだわりがあり、仕入れたものの中から、いつも取り置きをしておいてくれます。僕は季節が変わると、気分転換に出向き、彼が勧めてくれたものの中から、いくつかまとめ買いをします。サイズが合わないものはフィットするまで、何度でも手を入れてくれます。自分の売るものに誇りと責任を持つ彼の姿はまさにプロフェッショナルで、見ていて惚れ惚れします。同じように、かつてはレコード屋さんもそんな存在でした。得てして、怖い店主が居て、何度も通ううちに仲良くなって、豊富な知識をお裾分けしてくれる。僕はそうやって、福岡時代にブルースなどのルーツ・ミュージックを身体の中に入れました。それはネット時代の今でも別の形で可能なのかもしれないけれど、目の前に「人の顔」があった云う意味に於いては違うものだと、僕は思うのです。例えば、金沢には古い金物屋さん、味噌屋さん、新鮮な食べ物に溢れた市場なんかが、歴然と暮らしの中に残っています。金沢と他の都市と何が違うのか、そこに学ぶべきことがあるような気がしています。
 同じような意味で、僕らが作る音楽はコンピュータを多用していたとしても、「人の顔」が見えるものであって欲しいと心から思います。

 雪国の暮らしは、想像を絶するものでした。僕にとってもそれらの地方を旅することはハードでしたが、所詮旅人。そこに暮らしている人たちに心から敬意を払います。東京にわずか2センチの雪が積もっただけで、トップニュースになり、交通機関がマヒすることを考えてみて下さい。弘前市は今年の豪雪で、既に今年度の除雪費用を使ってしまったと聞きました。このような事にこそ、税金を即座に投入して欲しいと思うのです。

 この国の自然はとても美しいものでした。撮影したいくつかの写真を見てもらえば分かってもらえると思います。そして、文化。例えば食べ物。ちょっと移動しただけでも、必ず違う名物があります。それらは必要に迫られて、歴史の中で作られたもので、アメリカを一日に1600キロ移動しても、こんな事は起こり得ません。それはそれは素晴らしいと思うのです。

 最後に。どの場所にも、アホみたいに音楽を愛している人々が大勢居たこと。それだけでも旅に出た甲斐があったと云うものです。

 神戸。今週6度目の富士山を観た。もうええちゅーねん。オープニングで歌ってくれた酒井君は素晴らしいミュージシャンだった。俺は23歳の時、あんな演奏は出来なかった。俺?ともかくキャラバンは進むのさ。やるしかないのさ。ポストカードが売り切れたり、いろいろと迷惑をかけてごめんよ。今日はね、自ら物販を買ってでてくれた田中さんと民やん(だっけ)がもし居てくれなかったら、ひどいことになってました。ありがとう。力を尽くしてくれた人々。俺もね、身体はひとつしかないんだ。君たちの助力がなかったら、今頃死んでたと思う。ありがとう、心から。
 終演後、みんなで飲みに出かけた。す、すまん、俺に与力がなくて。でもお店の人も、友人たちも、本当にありがとう。俺はこれを書くので精一杯です。最後に今日は飲み屋で神戸のドン、M女史に俺が襲われている写真を載せておきます。セクハラですから、これ。俺、彼女を愛してるけど、怖かった。にゃー。また会おうぜ。

追伸
 本当はもっと書きたいことあるんだけど、もうダメッす。また明日。みんな、ありがとう。

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by 山口 洋  

老人の愚痴の記録、されどキャラバンは進む。

2006/02/26, 22:28 | 固定リンク

2月26日 日曜日 雨 

 寝た。とにかく寝た。起きたら、身体が老人になっていた。最近MCでおじいちゃんキャラになっていたのが悪かったのか。昨日の往復6時間の車移動で、腰をどうにかした模様。初めての経験だけど、右手も動かず。そう云えば、昨日少女に「どうして、そんなに早く手が動くんですか?」って聞かれたっけ?だましながら使ってた喉もイカれた。ままよ、今日は仕事とは云え、黙っていようと思えば、喉は使わずに済む。いろんな人に鍼だのカイロだのを勧められたが、ここは自分の判断でじっとしておくことにしよう。動物だって身体の調子が悪ければじっとしてるじゃん。腰は湿布と毛布、喉にはマフラーっちゅー情けない格好でこれを書いています。
 夕方、細海魚大先生あらわる。彼もこの作業に2週間あまり没頭してたんだと思う。本当にお疲れさま。偉大な仕事でした。二人で出来上がったものを聞いて、ふたりごちて、俺はその足でマスターを届けた。本当に何から何まで自分たちでやってるんだけど、とても充実した日々だよ。この音源による次のアクション、もうちょっとしたら、みんなにアナウンスできると思うんで、楽しみにしてて下さい。
 明日からはツアーに復帰します。ようやく関西まで辿り着きました。とは云え、ツアーはまだ前半戦が終了しただけ。このツアーの意義ってのは、もう一度音楽の素晴らしさをダイレクトに届けたい、俺たちが始めたことを理解してもらいたいって事です。だから、最後までやり抜きます。仕事で疲れてる人ほど、足を運んで欲しいのです。音楽にはそれだけの力があると、俺は信じています。
 今日の写真はコメ先輩のマネージャー、チカちゃんによる東北「ロック難民」の後ろ姿。自分たちじゃ撮影できないしね。哀愁よりもアホみたい前向きな姿を感じてくれたら、と思います。じゃ、関西にいくでー。

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by 山口 洋  

今週5度目の富士山、浜松にて。

2006/02/25, 23:15 | 固定リンク

2月25日 土曜日 晴れ 

 浜松からの帰りの車の中でこれを書いてます。深夜の車中で原稿書くっつーのは、かなり無謀です。気持ち悪いす。ううっ。なので、短い文章をお許し下され。 

 ここのところ、ずっと一人で廻っていたんだけれど、今日は東京から車で移動ってこともあって総勢6名。俺は運ばれて歌うだけっちゅー楽な役を今日ばかりは享受することにしました。急遽参戦が決まったコメ先輩。日に日に歌が前に出てきてる気がします。

 俺?俺は相当壊れてたかも。すいません。でも、いつもの事なんだけど、ステージに立って音楽をやってると身体の底からなかったはずのエネルギーが湧いてくる。そんでもって、自分への闘争心みたいなものも湧いてくる。それがある限りは大丈夫だと思う。多分。 浜松。客席は楽しんでくれてたのかな?最後にちょっとしたプレゼントも用意してたんだけど。いつも、いつも僕らのために尽力してくれた人々に心から礼を云います。俺、今週だけで5度目の富士山を観ました。時速120キロで深夜の高速を走る車の中で、これ以上書くと、大事なものまで戻してしまいそうなんで、今日はここまでです。ありがとう。浜松。多謝&再見。

追伸
 車中はずっと「嫌いなミュージシャンしりとり」をしてました。眠れない俺のためにつき合ってくれてありがとう。望、浜松再訪。

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by 山口 洋  

一人オリンピックその後

2006/02/24, 23:12 | 固定リンク

2月24日 金曜日 曇り 

 三重県桑名市のホテルで起床。起きたら、ここが何処か分からなかった。ツアー史上最高度の疲労を記録してたけど、俺は東京に帰らなきゃならなかった。魚先生も弱音を吐くことなく、仕事に没頭してる訳だから。それを聴くために、俺は帰る。この一週間で、相馬、東京、高岡、金沢、東京、名古屋、桑名、東京っつー移動をして、ライヴを5本やってることになる。ちょっと狂ってるし、疲れない訳がないけど、ここはがんばるしかないのさ。名古屋まで、ちゃんと指定席のチケットを持ってたけど、混んでいて、ギターを持ってる身としちゃ、そこまで移動することが出来なかった。名古屋駅を多分夢遊病者みたいに移動して、新幹線に乗って、そこからの記憶がない。乗り物じゃ眠れないんだけど、気絶してたんだろうな、きっと。
 そんな訳で、明日の浜松はヘタレます。近いので、東京からスタッフの運転する車で移動することにしました。記録係のOも帯同。そんでもってせっかく車で移動するんだから、とコメ先輩も来てくれることになりました。ネットを通じて、曲を書いてんだけど、俺は会う暇もないし、渡りに舟、浜松にコメ先輩。ありがとう。浜松のコメ・フリークも是非来て下さい。
 コメ先輩。このツアーを「ヒロシの一人オリンピック」と名付けました。3/18の東京ファイナル公演には、無事完走したなら、先輩から金メダルが授与されることになってます。だから、メゲられないのです。イナバウアーは俺、出来ないけど。ロック・ビールマンスピン(何やそれ?)なら出来るかもしれん。
 家に戻ると、相馬の母から伝言メールが来てました。「あんた、ちゃんと病院行きなさい。私より先に死んだら、許さんよ」。ははーーーーっ。しかと受け止めました。

 ところで、本題。魚さんのスーパーミックス。ほぼ完成に近づいています。もうすぐみんなにアナウンスできると思うんで、楽しみにしてて下さい。

by 山口 洋  

奇人変人列伝#2、三重県桑名市にて。

2006/02/23, 18:42 | 固定リンク

2月23日 木曜日 晴れ 

 三重県桑名市。寅さんが泊まっていそうなホテルに居ます。フロントのおじさんはきっとLANケーブルが何なのか知らないと思うけど、ちゃんとネットに繋ぐことが出来ます。ちょっとカンドー。
 蓄積された疲労も、もう峠を越して、何が何だか分からなくなってきました。でも、音楽をやると不思議と元気になる。せめて一日でも休みがあると、かなり復活するとは思うんだけどね。

 さ、三重県に居ます。俺は三重が好きなんだ。行ったことのない人は分からないかもしれないけど、三重県は広い。名古屋の方から入っていくと、どんどんディープになっていく。そして土地には不思議なエネルギーがあるんだ。立ってるだけで、俺の身体が何かを感じ取る。もちろんそんな場所には奇人変人がウヨウヨしてる。(あの、褒めてますから)今日の小屋は三重の玄関口、桑名にある。オーナー姉弟とはもう10年来の付き合いになるかな。実直で素敵な姉、救いようのないアホな弟、でもとっても可愛い奴。

 まずは地元のシンガー、吉元君が歌ってくれた。今日が初めてのステージだったそうな。きっと思い通りに行かなかったんだろうけど、俺は26年やってても、未だにそうだよ。だからこそ、続けていられるんだと思う。心配するなよ。きっと大丈夫さ、君が音楽を愛してるなら。
 そして、俺の可愛い妹分(本当に心がきれいな奴なんだ。あんな妹が居たら、いいなぁといつも思う)と小向定君が歌ってくれた。定君の何が素晴らしいって、音に無理がないところが。彼のこれまでの人生がその音楽に凝縮されてる。改めて、いろんな事を教えられたよ。ありがとう。

 さて、と。俺?俺はね、このツアーでいちばん苦戦したよ。昨日の会場は頭上に電車が走ってた。今日は窓の外を車がびゅんびゅん走るんだ。甚だ会場に引っ張られる俺としては、それらとどう響き合っていいのか全然分からなかった。まだまだ甘いね、俺も。俺の兄弟みたいな、マサルが(最近彼は舞踏をやってる)俺の曲で踊りたいと云った。だから、やってもらった。いやぁ、あり得ないよ。でもきっとマサルの身体は今表現に向かってんだね。うまく行ったかどうか、不明だけど、俺は愉しかったよ。ありがとう。結局、会場のお客さんたちに助けられたライヴだった気がする。この小屋がコミュニティーの中で、不可欠な存在になっていきますように。店主、平田姉弟のモーレツな働きっぷりを見て、俺はそう思わずに居られなかった。沢山の足を運んでくれた人たち。本当にありがとう。

 そうそう。平田の発案で、最後に「満月の夕」を全員で演奏した。あまりにも多種多様な人たちが居たから、俺は定君とグルーヴを作ることに集中した。あはは、あり得ないレゲエ・タッチの曲になってけど、それでいいじゃん、と俺は思う。音楽にタブーはないのさ。

 嬉しかったこと。ひどいアトピーに悩んでいた可愛い妹分その2。一時、危篤状態までなったんだそうだけど、まっすぐ前を向いて、それを乗り越えた。そして、新しい仕事を得て、その給料でチケットを買って、ライヴを観にきてくれた。嬉しかったよ。ひどい病のさなかに居る人たちが音楽や誰かの言葉を支えに生きているのだとしたら、俺がここでヘタレてる場合じゃない。逆に力をもらってるのは俺の方かもしれんしね。ありがとう。そしておめでとう。life goes on だよ。ヒッキー。

 今日は平田姉弟と積もる話があった。だから、最後まで店に居て、飲んだ。どうやってホテルに帰ったのか、覚えてないけど、いい時間だった。姉弟に幸あれ。この小屋が歴史を積み重ねて、みんなに愛されますように。

 午前6時。携帯にベロンベロンに酔っぱらった平田弟からメッセージが入っていた。「おう、ヒロシ。何でーゆきてかえらずーやらなかったんだよ! あの曲は名曲なんだよ。ちゃんとやれよな。No regrets!」。奴は飲むと強気になるのが悪い癖だ。はは。分かった分かった。じゃ、今度な。飲みたい気持ちは分かるけど、お前も身体に気をつけろよ。バカ。

追伸
 この旅の途中で出会った人々の数。すんごい事になってます。だってもらった名刺の数、半端じゃないんだもん。俺は名刺すら持ってないし。お礼の手紙も書けず、心苦しく思ってます。この場を借りて不義理をお詫びします。



 

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by 山口 洋  

春の匂い、名古屋にて。

2006/02/22, 23:04 | 固定リンク

2月22日 水曜日 晴れ 

 わずか10日余の間に北海道から南下してきたのだけれど、名古屋でさえ、随分南に来た気がする。陽射しも、空気も、何もかも。もう既に春の匂いがする。
 
 新幹線とタクシーを乗り継いで、小屋にやってきた。いい感じにユルい。久しぶりに(多分20年振りくらいかな)モニタースピーカーもなかった。でも、俺もこの旅で随分タフになったのだった。その位は技量と愛で乗り越えられる。会場は高架下にあって、頭上を電車がガンガン通る。その昔は画家のアトリエだったのだそうな。そう云えば、創作のエネルギーに満ちてる。企業臭がプンプンするピカピカのでっかい箱より、俺はこっちの方が好きだったりする。第一楽屋もないから、逃げる場所もない。だったら、お客さんと触れ合えばいいじゃん、と思う。

 この箱はでかい音が似合わない。だから、ツアーの中で、一番小さな音で演奏した。PAブースは俺の頭上にあって、エンジニアは音を確認することもままならないのだ。でも、問題はそんな事じゃない。例えば10年来の友人が物販を買ってでてくれたり、亀山の某Mに再会したり、佐野さんとのポッドキャストを聞いた輩がインタビューに来てくれたり、アップル・コンピュータの人が同じくそのポッドキャストを聞いて駆けつけてくれたり。世の中はいろんな風に繋がってる。だったら、流れに身を任せて、出来ることを楽しんでやることでしかない。
 このツアーがもたらしてくれたもの。それは例えば、街や人や箱に引っ張られるってことだと思う。そこに身を委ねて、自分の引き出しの中から最良のものを出す。そうすれば、同じライヴはなくなる。全てが違ってくる。それが「自由」って言葉の意味のような気がしている。名古屋、ありがとう。この街には何度も来たけど、そのどれとも違う演奏だった気がしています。

 そうそう。今回のツアーを支えているたった一本のギター。それは名古屋にほど近い岐阜は可児市にあるヤイリギターの職人が作ってくれたものです。北海道ではさすがに寒さにびっくりして、チューニングが狂ったりしたけど、過酷なツアーにもメゲず、弦も一度も切れることなく、俺のお供を努めてくれています。どんな箱にも調和して、俺のイメージ通りの音を出してくれるようになりました。人間と同じく、ギターも育つのです。たった1本のギターで、2時間のライヴのダイナミクスをつけることが出来るのか、始めは半信半疑でした。でも、このギターなら問題ないのです。ありがとう。大切にします。

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by 山口 洋  

俺も終わりだ、ハニー。

2006/02/21, 23:47 | 固定リンク

2月21日 火曜日 晴れ 

 品行方正な俺は、昨夜も後ろ髪を引かれながら、打ち上げを早めに後にした。卑怯者と呼ばれようと、俺ももうじいさんなのだ。ツアーを続けながら、体力をキープせんといかん。許してくれ。ちなみに、その打ち上げは朝まで続いたらしい。
 遂に、自力で起きられなくなった。ホテルのフロントからの電話で目覚めた。ボサボサのボサノヴァ頭でロビーに下りていくと、熊野某は徹夜してるのに元気一杯。まったく若いってことは、それだけで羨ましかったりする。空港まで送ってもらい、男どもの抱擁をして、さ、東京だ。たまってる仕事を片付けて、さっさと寝るぞ、と思った俺がバカだった。最近の飛行機はカードで発券できるようになっている。俺はANAのカードを機械に入れて、意気揚々と搭乗ゲートに向かった。ん?何だか様子がおかしい。ばったり出会った、高岡でのお客さんはJALのチケットを持っている。ん?何だかおかしい。うちのスタッフが気を効かせて、次のANA便も押さえてくれてたのが仇になったのだ。俺が乗るはずの便は目の前の「JAL」と機体に大書された飛行機だったのだ。がーん。俺はいいひとオーラを身体中から出して、JALの係員に訴えた。「あと、5分しかないですけど、俺、荷物もANAに載せちゃったんですけど、な、何とかJALに乗せてくれませんか?」。「お客様、残念ながらもう間に合いません」。がーん。目の前をJALの飛行機が滑走していく。む、空しい。空しすぎる。ちょっとでも溜まってる仕事を片付けようと、一分でも多く眠ろうと、そのために俺は名古屋ではなく、東京に戻るはずだったのに。無駄にした時間、2時間。だから、俺は小松空港の喫茶店でこれを書いてるって訳さ。にゃー。俺は普段、この手のミスをしない男なのだ。もう終わってる。にゃー。これを書き終えて、コンピュータの蓋を閉めたら、そこには「no regrets」っちゅーシールが貼ってあったとさ。後悔先に立たず。

 ようやく飛行機は離陸した。金沢ー東京ってルートは、当たり前だけど、日本海側から太平洋側に抜ける訳で、眼下に白山、立山連峰、南アルプス、富士山、駿河湾、そして、次第に天気が悪くなっていく様子を眺めてた。飽きなかった。まるで巨大な立体的地図を見てるみたいだったんだ。

 東京に戻るやいなや、走り回って用事を片付ける。明日のライヴにコンタクトがねぇ、とか、いろいろ。夜、魚先生がやってきて、ミックスしたものを聞かせてくれる。まったく、彼の頭の中はどうなってんだろ?録音したものとは全く違う次元の音楽が完成に近づいていた。感服。でも、彼が若干憔悴していたのを俺は見逃さなかったけど。何にせよ、俺はツアーを、彼はミキシングを、圭一はデザインを、とそれぞれに動き続けてるのであった。

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by 山口 洋  

悪法と不覚の涙、金沢の夜。

2006/02/20, 23:03 | 固定リンク

2月20日 月曜日 冷たい雨 

 開演前の楽屋代わりのホテルに居る。久しぶりに頭にきてる。最近、誰かから、この4月に「電気用品安全法」っちゅー法律が施行されて、01年以前に生産された電子楽器、テープレコーダー、レコードプレイヤー、その他の音響機器の売買が実質的に禁止になると聞いた。ウソだろ?と思ってたが、どうやら本当らしい。新聞に窪田晴男さんが書いてる文章を送ってもらって読んだ。お、俺は血管切れそうだ。何なんだ、その法律は。何のための法律なんだよ?
 みんなは詳しく知らないだろうけど、レコーディング機器ってものは、ヴィンテージものが多い。当時の部品はもうないし、個体差はあるけど、程度の良いものは極上の音がする。みんな、大枚はたいて買って、大事に使ってる。俺の仕事部屋にだって、いくつもある。何故、今の技術で同じものが作れないのか、本当の理由は分からないけど、音が違うんだってば。それは今時、真空管を使ってる電気製品なんてないってことに由来するんだろうけど。その音色は暖かくて、太い。例えば、俺のアンプはヴィンテージと云うか、使ってる間に古くなった60年代のもの、70年代のものなんだ。良く壊れるけど、大事に使ってる。板さんの包丁と同じで、俺にとっては大切なものなんだよ。換えがきかないんだよ。新しいものも試したけれど、同じ音は絶対にしない。だから、何度も書くけど、大切に使ってる。道具ってそんなもんだろ?ある日、板さんがお上から「明日から包丁の使用を禁止!」なんて云われた日にゃどうする?みんな法を犯してでも使うだろ?じゃなきゃ、外食できないんだぜ。それと同じ事が起きようとしてる。あのね、浜崎あゆみだって、レコーディングのどこかのプロセスで、それらの機材を使ってるのはほぼ間違いない。歌手が新品のマイクでレコーディングしてるのを俺は見たことがない。多くは古いマイクなんだよ。魚ちゃんなんて、この法律が施行されたら、殆ど手に入らないものばかりを使ってる。あのね、それらのヴィンテージもの。程度が良いものは高い。だから、コンピュータでシュミレートされてるんだよ?過去の逸品に対して、どうしてお上はそんな態度を取るんだろう?俺は理由が分からない。知ってる人が居たら教えて欲しいよ。だいいち、誰が決めたんだよ?何の効力があるんだよ?おかしくねぇか、この国は。それらの機材が環境に有害な物質を含んでるっつーのなら、100歩譲って、理解する。でも、そんな訳ない。秋葉原に行ってみなよ。怪しい真空管屋の親父さんとか、そんな連中が未だ、何処かから仕入れて、それらは売られてるんだよ。有り難い話だよ。ぷんぷん。俺は思うけど、禁止されても、みんな自分の音を出すために、それらの機材を使い続けるだろうね。それが違法って云うなら、お上の方が狂ってるね。職人をバカにしちゃいかんよ。悪法を決めた奴がどんな音楽を聞いてようと、それらはこれらの機材で作られてんだからね。
 写真家が現像の際に使う液体は、環境に優しいとは云えない。心ある写真家はみんな処理に気を使ってる。だからと云って、じゃ、アナログのカメラは禁止って話じゃねーだろ?デジカメにはデジカメの良さがある。でも、アナログの質感には代え難いものがあるじゃねーか。今まで、どれだけの素晴らしい写真がそれによって生み出されてきたんだ?本当に大切にしなきゃいけないものは何なんだよ?

 さ、気分を変えてと。高岡のホテルで目覚めて、ロビーで友人とコーヒーを飲んだ。そこにW君がやってきて、高岡の鮨屋に連れていってくれた。美味かったなぁ。つい何日か前に相馬の「太平洋側」の鮨を頂いたばかりだったから、その質感の違いが面白いんだ。アメリカをね、例えば一日に1600キロ移動したとする。でも、食い物は殆ど変わらない。メキシコとの国境とか、ニュー・オーリンズあたりは別として。そんな意味で、この国は隣町には必ず違う名物がある。それは必ず、その町の環境や風土と密接に結びついてる。それは俺は文化だと思うんだ。大切にしなきゃいけないものだと思うんだ。W君の車で金沢に入ると、だんだん空気が変わってくる。古い金物屋さんが街の真ん中にある。歴史を感じる味噌屋もある。本当に良い街だよ。「金物屋安全法」とか「味噌屋禁止法」とか出来ないことを心から祈るよ。
 この旅ではできるだけ地元のミュージシャンと関わりたいと思ってた。だって、俺の知らないことを音楽で教えてくれるから。今日の小屋、店主熊野の勧めもあって、金沢のシンガーTAKUさんがやってきてくれた。歌う「風雪」って感じなんだな、彼は。風貌も小熊みたいで何だか憎めない。あ、今日の店、めろめろぽっちに関してはもう書かなくてもいいよね。
 昨日と今日、続けて見に来てくれたお客さんの多く居たんだと思う。だから、曲がかぶらないようにした。何だか、箱の雰囲気に引っ張られて、俺のアホな部分が沢山引き出された気がする。俺の愛する以前のこの店の店員、あっこちゃんに、「昨日の方が緊張感があって好きでした」って云われたけど、ごめんね、あっこちゃん。ツアーを続けてると、よりその日のエネルギーを大切にする方に意識が振れてしまうんだ。でも、俺は愉しかったし、何よりも歌ったら、疲れが吹っ飛んでた。そっか、音楽をやることは特別でも何でもないんだって事を実感した。
 アンコールにTAKUさんが出てくれて、「満月の夕」を歌ってくれた。新しいユニットとして、出来はどうなのよっつーもんではあったが、TAKUさんがこの街の人々に深く愛されてること。それから、この歌がみんなに愛されてること(大合唱になってたし)を知って、不覚にも熱いものがこみ上げてきた。何だかね、音楽をやってて良かったと心から思ったんだよ。ありがとう。こんな瞬間は何ものにも変えられない。ミュージシャン冥利につきる。
 ありがとう。とにかく、ありがとう。また戻ってきます。北陸の旅。これにて終了。もらったものは計り知れません。多謝&再見。

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by 山口 洋  

「至上の愛」、高岡にて。

2006/02/19, 23:51 | 固定リンク

2月19日 日曜日 晴れ 

 昨夜、ハープをレコーディングして、「うっしゃー、これで終わりじゃー」と思っていたら、魚先生から電話で「じゃ、ひとつブズーキも」って事で、目眩がしたが、人力テクノにブズーキをダビングすると云う、彼の意味不明なアイデアはとても魅力的だったから、最後の力を振り絞ってやってみることにした。とは云え、全てのやりとりは電話によるものなのだ。お互いの頭に浮かんだフレーズも全て電話でっつー前代未聞のものだった。多分、体力、集中力ともに、無駄な事をやれるだけのものは残っていなかったので、4種類のブズーキを弾いて、無事魚先生にファイルを渡すことが出来た。しかし、意味不明であればあるほど燃える人種ってのも奇人変人なのかもしれんね。はは。何にせよ、俺はツアーに魚はリミックスにと、バンドは日本のいろんな場所で獅子奮迅にがんばってるのである。
 
 ツアーは北陸に突入。午前中の飛行機で富山空港へ。東北の地獄の移動を経験した身としては、この40分の空の旅がどれだけ楽に感じたことか。明日の金沢が終わったら一旦東京に戻る行程にしたので、荷物も北海道ー東北よりも激減。窓からは富士山や立山連峰が見える。きれいだなぁ、とか。人間って勝手だなぁ、とか。
 空港にはサラリーマンW君の出迎え。会場のある高岡市に向かうまで、いろんな話をした。高岡って知らない人も多いよね。かく云う俺もそうだった。アルミ産業を主とする人口18万の街だよ。街のいろんなところから雪を頂く立山連峰が見える。いざって時、自分の暮らしを俯瞰できる山があるってのは、それだけで落ち着く。それがビルなのか、山なのかってのは、俺にとっては死活問題だ。W君は、このライヴの構想を5年間温めてたんだってさ。2000年に黒部市でライヴをやってから、北陸に沢山応援してくれる人たちが増えた。本当に嬉しい。俺はね、北陸が肌に合ってる。何でか分からないけど、無駄なテンションが一切無くなる。フツーの自分で居れるんだ。
 会場のジャズ・カフェは驚くなかれ、田んぼのど真ん中にあった。こ、ここにどうやってお客さん来るわけ?と思ったが、それは都会の発想であって、みんな車でやって来るらしい。マスターはとってもシャイな人なんだけど、きっと音楽が好きなんだろうなぁ、とか。このツアーは何処に行っても、音楽の好きな人ばかり。ほら、ここにも、また。会場を一目見て、また余計なテンションがなくなった。本当のところ、疲れてたんだ、俺は。でも、今俺が出来ることをやればいいんだってことを、会場やW君や沢山の手伝ってくれてるスタッフから教えられた。
 小さな子供から、年頃のお嬢さん方や、ライヴの間じゅう俺が突っ込んでたおばさま方、そして、鋭い目で俺を見つめてる連中とか、エトセトラ。ファンはもちろんのこと、街のいろんな人たちが会場を埋め尽くしてくれてんのが、嬉しかった。だから、俺はそのような選曲をした。無理にテンションを上げなかった。泣いてる人は居る、居眠りをかましてる客は居る。俺を睨んでる奴はいる。おしゃべりしてるおばさまは居る。それでいいのさ。昔、俺がやってたラジオを(かれこれ10年以上前の話なんだけど)を聴いてた人たちが複数居たのも嬉しかったな。あ、届いてたんだって。今頃返ってくる何か。あの頃は毎週深夜、生で2時間やるのはそれなりにしんどかったんだけど、やってて良かった、と単純にそう思う。こうやって10年経過しても、忘れずに観に来てくれる人が居る訳だからね。
 何にせよ、W君の仕切りは5年に渡って構想を練ってただけあって、完璧だった。地元に、音楽を愛する店が田んぼの真ん中にあって、いろんな人たちがやってきて、美味しいものを飲んだり食べたりしながら、音楽を楽しむ。それは書けば当たり前の事なんだけど、なかなか難しいんだよ。ライヴが終わった頃には俺はすっかり元気になっていた。音楽の力はすごいもんだね。でも、きっと明日は全く違うライヴになるんだよ、はは。
 ありがとう。いつもこれしか書けないけど、ありがとう。マスターが店の名前が恥ずかしいって云うから、書かないけど、本当に素晴らしい空間だったよ。でも、それは彼やそこに集う人たちが作り上げたものだよ。W君は云うまでもなく、今日もまた多くの力を貸してくれた人々。本当にありがとう。いつも、いつも同じ事しか書けないけど、新しい音楽の中にその気持ちを込めます。でもって、また帰ってきていいすか?云われなくても、また来るけど。多謝&再見。願わくば、みなさんがそれぞれのハピネスと共に夜を迎えていますように。高岡のホテルにて。
 
追伸
写真はすべて、飛行機の中から撮影したもの。この国って美しいよ。
たまに、自然を見てて、そう思う。

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by 山口 洋  

東京へ

2006/02/18, 20:21 | 固定リンク

2月18日 土曜日 晴れ 

 相馬からスーパーひたちで東京へ。駅にボノが見送りしてくれるなんて。俺とコメは幸福者だ。
 何事もなく、東京に戻れる、と思った。甘かった。前を走る列車が事故を起こした。知らない駅に停車したま、時間だけが過ぎていく。コメと、「いったい何処まで苦労すんだろうね」と苦笑した。
 東京。俺には眩しすぎた。上野駅にはマネージャーとチビの出迎え。ありがたい。その後、打ち合わせを2本、そして約8分に渡ってハープを吹き続けると云う恐怖のレコーディング。残ってる体力はわずかだったから、根性で吹いた。酸欠で倒れそうになった。明日からはまたツアーに復帰だ。とにかく寝よう。

by 山口 洋  

ボノとコメと相馬の夜

2006/02/17, 20:19 | 固定リンク

2月17日 金曜日 晴れ 

 これを書いているのは18日。福島県相馬市から東京上野に向かうスーパーひたちの中。隣でコメ先生が携帯で日記を執筆中。噂通りにこの電車はよく揺れる。でも悪くない。

 一週間に渡って、北海道から東北を縦断してきたんだけど、日本は広い。本当に広いんだってば、道中、何人の人に「あんた、その行程は無茶だよ」って云われたことか。東京に住んでる人間(俺も含む)は「東北」ってひとくくりにするけど、どれほど、多種多様な要素を含んでるかってことが身に染みて分かった。たとえば、昨日は山形から福島県相馬まで移動したんだけど、その景色はまるで違うものだった。雪国の暮らしがどれだけ大変なものかって、テレビを観てるだけじゃ分からなかった。そのような気候の中、笑いを忘れず、日々行きている人々に僕は心から敬意を払います。

 えっと、何だっけ?昨日の事が思い出せない。そうだ。山形から在来線に乗って仙台を目指したんだ。何日か前、雪崩で不通になってた路線。乗ってみて納得。俺やコメ。つまり雪国初心者にしてみれば、こんなところを電車が走る方がどうかしてるっつー風景だった。その電車に乗っている間、山形のツゲ姉から電話がかかってきた。優しさが身に染みます。
 電車は仙台に着いた。風景は一変。俺とコメ先輩は久しぶりに大都会を観て、ビックリする。そこにはずっと長きに渡って、俺たちを応援してくれている相馬のレコード屋さん、通称ヒコちゃん(今日から彼の事をボノと記すことにします。理由は内緒)とコメ先輩のマネジャーC嬢が迎えにきてくれてた。俺たちはボノ号に「積載」してもらった。おおっ!車で運んでもらえるってのはこんなに楽なのか?ボノ号はファンキューブっちゅー車だったが、コメ先輩と俺は「ロックスターみてぇな気分だよな?」と車窓を観ながら、コーフンを隠しきれなかった。
 相馬についた。ボノはロックスターを寿司屋に連れて行ってくれた。相馬の魚介類ってのは、絶品なのだ。
 会場の101は、昔から何度もお世話になってる。俺はここのマスターを一人の人間として尊敬してる。一言で書くなら、生き方が格好良い。何にも依存せず、自分の腕で、人生を切り拓いてきた風格が表情ににじみ出てる。そんな人だ。今日だって、金曜日の夜と云う稼ぎ時に、ボノとの信頼関係もあって、ライヴに時間を割いてくれたのだった。かつて、東北で、あるいはこの地で俺のコンサートを開いてくれた人たちも、物販だ、何だかんだ、力を貸してくれてる。本当にありがとう。
 今日のコメ先輩は素晴らしかった。楽屋に漏れてくる音を聴いてるだけで、シンガーとして、歌が前に出てきてるのが分かった。きっと、彼の中で何かが発酵して、次の世界が見えてきたんだろう。嬉しかったよ。
 一方、俺はどうなのよ?と聞かれたら、プロフェッショナルとして、体調、喉ともに万全だとは云い難かった。でも、ライヴは一期一会。言い訳はしたくない。行程のせいにもしたくない。自己管理の問題だ。相馬の人たちに何かが、届いていることを願う。
 
 終演後、俺とコメ先輩の心のアイドル、ボノ母にもお会いした。季節の変わり目には必ず手紙をくれる優しき人だ。そして、ボノの計らいでコメ先輩の誕生日(今日じゃないけどね)を祝った。こんな光景はいつ観てもぐっと来る。
 
 書きたいことは一杯ある。
 まずはコメ先輩。東北の三カ所。奴が居なかったら、と考えるだけでぞっとする。それほど、奴は俺を励まし、気遣ってくれた。もう俺なんかよりずっとタフなところは沢山ある。シンガーとしても、何も云うことはない。きっとこれからも歌を書き続けていくんだろうし。心残りがあるとするなら、俺の体調のせいで、曲を完成させられなかった事。でも、ツアーはまだ続く。どこかでやり取りを復活させたいと思ってる。ありがとう。コメ。 

 ボノ、ボノ母、力を貸してくれた皆さん。本当にありがとう。いつも同じことしか書けないけれど、新しい音楽の中に、僕の気持ちを込めます。ありがとう。

 そしてマスター。「もう一度、ちゃんとやろう」と云ってくれました。必ず帰ってきます。ありがとう。

 セットリスト。ある事情により載せることは出来なくなりました。とても哀しいことだし、俺が世間知らずだったとも云えます。俺は「この街じゃ、こんな歌を歌ったんだよ」と云うことを皆さんに伝えたいだけなんだけど、今はこれ以上詳しくは書けません。いろんな事を僕も学ぶ必要があります。ご迷惑をお掛した、本当の意味での音楽ファンー音楽に愛をもって接している人々ーに心からお詫びします。

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by 山口 洋  

ミュージシャンの横顔と、降りつもる雪、そして胃痛に納豆汁。山形にて。

2006/02/16, 23:17 | 固定リンク

2月16日 木曜日 雪 

 昨夜。庄司屋の蕎麦を喰って、すっかり元気になった俺とコメ先輩は、今日のライヴの会場(普段は洋風居酒屋でもある)に足を運んで、内なる奇人変人のツゲさんが作る東北絶品料理を喰って、驚愕していた。そこに山形のサラリーマン諸氏が現れ、気がつくとすっかり意気投合していた。そして、当然のようにボトルが一本空になった。
 寝た。多分8時間は寝た。俺には睡眠が足りなかった。そして、俺とコメ先輩は早起きして、曲を書くことになっていた。でも猛烈に胃が痛い。動けない。とにかく大人しくしておく他ないから、毛布にくるまって生まれたての子鹿(コピーライト、渡辺圭一)のように震えていた。すいません、コメ先輩。
 弘前からくだんの竹内君とショウイチ君が演奏に加わりに、そして物販を手伝いに、車で8時間かけて、やってきてくれた。実のところ、キリで胃に穴を開けられてるみたいに痛かった。何も喰っていなかった。そしたら、ツゲさんが納豆汁を作ってくれた。美味すぎて、泣けた。俺もね、26年もバンドやってるけど、小屋の人が開演前に納豆汁を作ってくれたことはない。何だかね、東北の人たちはシャイなんだけど、心があったかい。外はしんしんと雪が降っていた。その分だけ、余計に人の心遣いが身にしみる。俺にできることは、音楽を人に届けることだけ。あるいは、弘前と山形をつなぐことだけ。

 山形の人々は一度、心の扉が開けば、後はオープンだと思った。だから、あることないこと喋った。その顛末は別として。昨日、絶対来てね、と書いた手前。あんな納豆汁を作ってくれたからには、ここで燃えなきゃロックンローラーの名がすたる。嬉しかったのは、昨日友達になったサラリーマン諸氏が観に来てくれたこと。「あの、ただの酔っぱらい(そうかもしれんけど)じゃないんですね」的笑顔を浮かべてくれてたこと。エトセトラ。
 アンコールで、竹内君、ショウイチ君、コメ先輩と演奏した。竹内君は弘前の時よりぐっと良くなっていたし、ショウイチ君は今後間違いなく伸びます。きっと素晴らしいベーシストになるでしょう。コメ先輩はいつもになくアグレッシブでした。ありがとう。

 山形もまた。音楽を愛する人たちに沢山出会えて、幸福でした。ライヴの後には芋煮が待っていた。それが美味かったのなんの。フランク・フライド・ライト。山形に居る方はもちろんのこと、この街に来たなら、是非足を運んで下さい。音楽に対する愛に溢れてるよ。飲みにくるのも、また良いよ。最後にツゲさんはサイコーのおっかさんの味を操る奇人変人でした。関わってくれた全ての人に深い感謝を。俺はおとなしく寝ます。多謝&再見。

追伸
 コメ先輩も相当お疲れの模様。獅子フンジンの活躍っぷり。そりゃそうだよね。あんな移動をした日にゃ、誰だってそうなるよね。現地の人すべてが、弘前ー山形っつー移動は無謀ですよ、と。それはそうと、竹内ーショウイチ組は車で帰っていったんだけど、気をつけろよ。未来ある若者なんだから。

1. ハピネス
2. ノーウェアマン
3. Sweet heart / She's hurt
4. 灯り
5. 風にハーモニカ
6. パラノイア・ボヘミアン・ブルース
7. 歌を紡ぐとき
8. カリフォルニア
9. Wild in the street
10. 新しい風

Encore
11. 冬のメロディー(w/竹内晃、成田ショウイチ)
12. 誰も居ない庭(w/成田ショウイチ)
13. 世界の果て(w/古明地洋哉)
14. 満月の夕

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by 山口 洋  

日本奇人変人列伝 - あり得ない行程 - ビバ庄司屋

2006/02/15, 19:57 | 固定リンク

2月15日 水曜日 晴れ 

 今日と云う一日がここまでのツアーの中で、一番すさまじかった。

 昨夜、弘前の音楽界を束ねている某斉藤(名はヒロシ)さん達と飲んだ。愉しかった。そこでの会話の内容はとてもじゃないが、ここでは口に出来ない。イマジンして下さい。音楽を心から愛している人たちってのは得てして、奇人変人であって(褒めてますから)、どの土地に移動しても、必ずキーパーソンと呼べる奇人変人がコミュニティーの中心に居る。日本も捨てたもんじゃない。それぞれの奇人ぶりに関しては通りすがった俺がおいそれと書く訳にはいかないので、もう少し親しくなったら、書いてみようと思う。それぞれのエピソードがそれぞれに強烈であることだけは間違いない。でも、俺はそういった人々に気に入られる才能を持ってるみたいで、それはとても嬉しいことなのだ。

 朝、っつーか、殆ど眠ることのないまま、俺とコメは弘前から山形に移動することになっていた。俺たちは東北をナメていた。雪の怖さをまだナメていた。ホテルに前述の竹内君、イケメン・ロッカー君が迎えにきてくれて、弘前駅まで送ってくれた。記録係のOとはここで別れた。そう、俺とコメはまだ東北をナメきっていた。自分たちの身に巻き起こる事の凄まじさに気付くことなく。

 コメの荷物は俺のそれを凌駕していた。奴は両手にギターを2本持っていた。先に旅慣れた俺は奴の哀れな姿を見て、笑った。おまけに、奴は首からも機材をぶら下げ、背中には物販が詰まった「これからどちらの山のピーク、攻めるんですか?」みたいなリュックサックをしょっていた。かく云う俺も背中にギター、右手に超重いトランク、左手にはコンピュータとカメラっつーいでたち。哀れな二人組は弘前駅に立った時点で、ロック難民と化していた。弘前駅から青森駅までは在来線だった。つまり、通勤とか通学とかの人民が沢山居るってことなのだ。俺たちはトイレに行くこともままならず、ホームを歩くだけで精一杯。背中のギターがつっかえて、満足に列車に乗ることもできず、乗り込んだ時には前夜の酒も相まって、既に涙目になっていた。雪はどんどん深くなる。山あいの駅ではホームに積もったそれは俺の身長を遥かに超えていた。(ほんとだってば。信じて下さい)前夜、地元の人が云ってたっけ。「山形は遠いですから、気をつけて下さい」。俺たちはこう思ったのだ。「だって、東北を移動するだけじゃん」。し、しかし、東北はデカかった。ナメてた俺たちが悪かった。何とか青森に着いた。待ち時間を過ごすにも、ホームには何もないし、第一寒い。駅前にコーヒー屋が見えたが、そこに辿りつくまでに、どれだけの労力を使ったことか。俺とて、昔はリュックをしょって世界を旅した男なのである。でも、その経験を持ってしても、この旅は過酷だ。難民ロッカーはコーヒー屋で互いの身を案じた。「俺たちは山形に行けるんだろうか?」。八戸行きの特急に乗り込むまで、また同じだけの労力を使った。途中、ヤケを起こした俺は「青森りんご目玉オヤジ」っつー意味不明の携帯ストラップを3つ買った。何で、そんなものを買ったのか、自分でも理由が分からない。とにかく、特急に乗った。今度こそ座ることができる。
 八戸に着いた。乗り換え地獄はまだ序章だってことを難民たちは知らなかった。俺たちはまだ東北をナメていた。ここで新幹線に乗り換えて、仙台を目指した。俺たちは「腹が減っては戦ができん」とか何とか云いながら、やっと駅弁にありついていた。コメが地図を見ながら云った。「山口さん、ところで山形ってどこすかね、見つかりませんよ」。そして二人は探した。や、山形は俺たちが思っていた場所より遥か遠くにあった。茫然自失。意気消沈。新幹線にテロップが流れる。東北を貫く山脈を越える在来線はほとんど運休。北海道では落雪で若者が亡くなった。云々。おい、コメ。俺たちゃ、山脈越えなきゃいかんのだよ。二人は無口になった。仙台に辿り着き、重い荷物と足取りで、在来線乗り場に向かった。駅員さんに涙目で訴えた。「あ、あの。ぼくたち山形に行きたいんですけど」。彼はこう云った。「雪崩で運休してます」。アーメン。山形は「世界の果て」なのか?お前がそんな歌を書くからだ。理不尽にもそんな想いが頭をかすめた。俺たちに残された手段は山脈を迂回するバスしかなかった。また歩いた。山形はチベットなのか?いや、そんなはずはない。
 バス停には沢山の人が並んでいた。俺たちのアホみたいな荷物は好奇の視線の対象になった。あるいは、他の乗客からはあからさまに迷惑がられていた。コメがすかさず、運転手に訴えた。「こ、これを、荷物室に入れて下さい」。運転手はこう云った。「じゃ、最後にね」。そして乗客は次々に乗り込んでいく。ロック難民は我が身を呪った。ま、また立ちっぱなしかよ。立ちヒロシ。くー。でも、どうにかこうにか座席を確保した。前方に座ったコメの首が発車とともに、がくっと折れた。コメ、す、すまん。許してくれ。

 山形には地元のイベンター、ツゲさんが迎えにきてくれていた。まるでアホな弟どもを思う姉御のような方だった。救われた。ホテルに直行してチェクインした。つ、着いた。つ、着いたぞコメ。山形はチベットじゃなかった。ホテルの鍵は暗証番号で開けるタイプのものだった。俺は自分の誕生日をそれにした。さぁ、このいまいましい荷物とおさらばだ。でも開かない。開かないんだってば。俺はフロントに戻り、涙目を通り越して、泣きながら訴えた。「ぼ、僕の暗証番号、誕生日なんです。でも開かないんです」。「お客様、誕生日は?」「1226です」。「あの、お客様ごご自分で1216とお書きになっていらっしゃいます」。今度は俺の首が折れた。お、俺は自分の誕生日を間違っていた。もうダメだ。脳も身体も限界に達してる。

 こんな俺たちを哀れに思ったツゲさんが山形名物の蕎麦を食べに連れて行ってくれた。正直なところ、もうどうにでもなれっつー気分だった。でも、信じられないくらいうまかった。俺たちは餓鬼のごとく、喰いまくった。「うめー」、「うぐぐっ」。その店の名は庄司屋と云う。あのね、今日はボキャブラリー少ないから、美味いとしか書けないんだけど、本当に美味いんだってば。更に驚いた事に、俺たちは喰ったら元気になっていた。コメと飲みに行く約束までしてしまった。恐るべし、庄司屋。

 そんな訳で果たしてツゲ姉さんが奇人変人なのかどうかを確かめに、コメと夜の街に出かけます。あの、山形のみなさん。ここまで辿り着いたからには、明日のライヴで全力を出し切ります。だから、観に来てくれー。

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by 山口 洋  

弘前にて

2006/02/14, 23:07 | 固定リンク

2月14日 火曜日 雨 

 全身筋肉痛なわけです。理由は明快。持ち運んでる荷物が多いからす。ギター一本とは云え、その廻りのもの何だかんだ。積み重なると、重くなる。一番ムカつくのがコンピュータ。でも、これがないと、情報をみんなに伝えられないしね。アップルさん。お願いだから軽いものを作って下さい。でも、こんな身体じゃ、演奏に支障をきたす。だから、熟考の末、着るものを東京に送り返した。もういい、俺は着替えない。だから、いつものようにダンディーに決まってなくても、許して下さい。(笑うな!)だって、明日からの行程表を見たら、在来線の乗り換えが複数組み込まれてるんだもん。ざ、在来線って、この荷物を抱えて、ホームの上り下りをするってのは、死ねっつー言葉に等しいんだってば。おまけにね、道は雪で滑るんだよ。危ないんだってば。そんな訳で「初めての泣き言」を書いたらすっきりしました。
 魚さんから電話があって、「お前のハープが必要だ」と。やりますとも、魚さん。

 弘前。地元のシンガー、竹内君が歌ってくれ、合流したコメが歌ってくれ、そして俺も歌った。客席から俺が感じたこと。一般的に東北人はシャイだと云われる。でも、心の中はそうではないと思う。云いたいことが云えずに引きつってしまう人の方が俺は好きだったりする。そんな意味では俺もシャイの部類に入るのかもしれない。でも、終演後、僕やコメのところに来てくれた人々は決してシャイではなかった。地元のシンガーは自分の歌の録音物を、件の斉藤さんはまっすぐなエロ話を、若いミュージシャンは野望と不安を、誰かは椅子やテーブルを運んで、ライヴの手伝いをすることを、何処かでこのライヴの開催を知った人は自ら照明の卓の前に座ることを、エトセトラ。確かに俺と音楽と弘前を結ぶ線が見えた。とりあえず、やるべきことは新しい音楽に全力を注ぐことだと。毎日同じことしか書けないけれど、ありがとう。弘前。今後の俺やコメに期待して下さい。応えはそこの中で。多謝&再見。

1. ハピネス
2. I have no time
3. Still burnig
4. 灯り
5. パラノイア・ボヘミアン・ブルース
6. トーキョー・シティー・ヒエラルキー
7. 遠い声
8. フールとクール
9. パンダマン・イン・ユア・ソウル

Encore
10. unkown w/竹内晃
11. Goast w/古明地洋哉
12. 世界の果て w/古明地洋哉


 

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by 山口 洋  

どうして旅に出なかったんだろう?

2006/02/13, 23:08 | 固定リンク

2月13日 月曜日 雪 

 って曲は友部さんだったよね?まさに、そんな事を想う日々。迷ってるなら、勇気を持って一歩を踏み出した方がいいんだって。まだ2本目だから、偉そうなことは云えないけど、それは確信に変わりつつある。

 昨夜、トマトスのキヨシさんの店で愉しい夜を過ごした。俺は彼が大好きなんだ。どうしてって、彼があまりに音楽を好きだから。確か俺はミック・ジャガーになってたなぁ、とか。
 朝起きて、キヨシさんと兄弟の契りで飲んだグラッパがぐわんぐわんに残っていた。嗚呼、またやってしまった。でも仕方ない。俺と記録係のOは札幌から千歳行きの電車に乗った。しかし、雪祭りが終わったばかりのその電車は満員だった。あのね、どれだけ軽くしても、二人が抱えてる荷物は半端な重さじゃない。どうにか、こうにか空港に辿り着いて、ようやく俺はカニを喰った。ザ・ブーム一行が稚内でカニを喰い尽くしている(そう、それは大げさに書けば、稚内のカニが全滅してしまうのではないか、と思わずには居られないくらいの量だった)写真をメンバーに見せられて以来、どんなに体調が悪くても、どんなに喰いたくなくても、俺は北海道に来たら、カニを喰う人間になってしまった。君に云われなくても、俺の精神構造が貧しいことくらい分かってるって。とある人物に、そんなにカニ食べると腰が抜けるよ、と意味不明の助言を受けたが、俺は喰った。そして案の定、腹を壊した。
 
 弘前。飛行機で千歳から40分。既に雪の質が違うのを感じる。雪国素人にはこっちの雪の方が更に歩きにくい。Oに至っては自重を制御(奴は俺の倍くらい体重がある)できず、しょっちゅう欽ちゃんみたいな歩き方になっている。空港には地元のシンガー、竹内君が迎えにきてくれていた。で、中華一筋35年っつーすんごい店に連れていかれた。いや、凄かった。美味かった。鍋さばきが尋常じゃなかった。カンドーした。しばらくその師と話した。どの道もきっと同じところに繋がっている。表情に凄みと優しさが同居している。そして雪国での暮らしがいかに大変かっつー話をした。真面目な話、雪との闘いっちゅーもんは俺たちの想像を超えている。ちなみに、誰も住んでいない家ってのを見せてもらったんだが、家が雪に埋もれていた。あり得ない光景だった。そして何がすごいって、地元の人同士が本気でしゃべると、俺は殆ど理解できない。通訳が必要だ。でも悔しい。だから、分からないところは復唱してゆっくり喋ってもらった。こう云うのって素敵だよ。

 実のところ、弘前に行くことが出来るのは、斉藤さんっつー人物が経営してるJoy popsっちゅー店があるからなのだ。彼はデビュー当時の俺のライヴを仙台で見たらしい。その時、俺はエキセントリックが洋服着て歩いてるってくらいピリピリしてたんで、そのライヴもドラムにケリを入れたりして、大変な暴れっぷりだったらしい。(すいません)でも、彼は「何じゃこいつは?」と気に入ってくれて、店で大プッシュしてくれたのだそうだ。そうして、前述の竹内君を含め、若いシンガーや聞き手にそれが伝えられた。実際、店に足を運んだら、入り口で池畑さんが「中之島ブルース」を歌っていた。ひひひ、どんな店や?ザ・バンドのボックスが面出しで売られていた。地方都市にこんなレコード店があることがどんなに俺を励ますことか。弘前も他の地方都市と同じく、大型郊外店に押されて、商店街は衰退の一途を辿っている。そして、郊外店は利益が出なくなると、さっさと撤退する。資本主義だから仕方ないけど、でもある意味街を破壊している。そんな商店街にインビな紫色の光を放ちながら、Joy popsは営業を続けている。
 何故か斉藤さんはラジオ番組を持っていて、このひと月に渡って、ヒートウェイヴ特集を組んでくれていた。だから、俺は彼と二人で喋り倒した。1時間番組が2時間になった。はは、まいっか。同行しているOはテレビ制作会社で、「旅番組」を作っていた。だから、旅慣れている。その奴がこう云った。「山口さん、日に日に、この旅は面白くなってきますねぇ」。うん、俺もそう思うよ。この旅で出会う人たちは素晴らしきキチガイである。こだわりを持った人たちである。ドリーマーでもある。いるじゃん。こんなに沢山。彼等は地元でがんばっている。そして俺は流れる男だ。だから、それを次の街に繋げていけば、いいのだ。明日は某コメが合流する。さっそく奴から詩が送られてきた。旅の途中で完成できれば、と思う。身体はひーひー云ってるけど、愉しいよ。ありがとう。愛すべきキチガイのみなさん。どうして俺は旅に出なかったんだろう?

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by 山口 洋  

札幌にて

2006/02/12, 13:46 | 固定リンク

2月12日 日曜日 厳寒 

 あのね。寒い。「寒い時期に北に行くのが好き」なんてうそぶいたのは、どこのどいつだ。あのね、寒い。道がかちんこちんに凍ってて、ちょっと身の危険を感じるし、空気が異様に乾燥してて、喉のダメージもある。荷物は重い。既に全身筋肉痛になってるし。トホホ。ツアーはまだ一本終えたとこなのである。
 札幌。会場の「くう」は、昨日の「あみだ様」とは180度趣を異にしていた。し、しまった。電車の中で、今日は突っ込まれても大丈夫なように、セットリストを考えていたのだけれど、「くう」は昨日とは違う意味で、音楽の愛に溢れていて、店主に突っ込まれることなく、一音一音を大事に演奏できる空間だった。何でだろうね?そのお店が音楽を愛してるかどうか、それだけは店に入った瞬間に分かる。まだ二日目だけど、両日ともそんな場所でやらせてもらってんはとても幸福だ。後に知ったのだけど、オーナーご夫妻は「全国音楽利用者協議会」と云う組織を運営されてて、理不尽な某著作権団体と交渉を重ねておられたのであった。「おかしいことはおかしい」。このような態度がどれだけ、俺を励ますことか。興味のある人は「くう」のサイトにアクセスしてみて下さい。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sphere/
 外はとても寒かったけど、音楽をやっている間はとても幸福だった。それは足を運んでくれた人々や、お店の意思が俺を引っ張ってくれたからだ。今回、敢えてBGMはお店に任せることにしてるんだけど、開場の際はジョニ・ミッチェルが、終演後はウォーレン・ジヴォン、エリック・カズ、ピーター・ウルフがかかってた。それはね、引っ張られる。嬉しいもんだよ。
 少しはあったまってくれたかい?俺は、いろんな人から毎日エネルギーをもらってます。本当にありがとう。次はトリオで来れたらいいな。小さな音でも充分に楽しめる素晴らしい空間だよ。このツアは確かにハードだけど、今のところ、それを上回るだけの、何かが自分の中に蓄積していくのを感じています。
 また「くう」での再会を誓って、俺は日本一の飲み屋に行った。また、その場所も音楽への愛に溢れてる場所なのさ。友人たちとくだらん話をして、いい音楽を聞いて、いつまでもそうしてたかった。
 明日は弘前に飛びます。支えてくれた、多くの人々。足を運んでくれた人々。本当にありがとう。受け取ったものは、頭の中にある新しい音楽に込めます。多謝&再見。どうか、お元気で。

一部
1. ハピネス
2. The homes of Donegal
3. 灯り
4. 誰も居ない庭
5. ノーウェアマン
6. Carry on
7. パラノイア・ボヘミアン・ブルース
8. 33
9. I have no time
10. Still burning

二部
11. 遠い声
12. フールとクール(ballad of middle age)
13. カリフォルニア
14. それでも世界は美しい
15. 歌を紡ぐとき

Encore
16. パンダマン・イン・ユァ・ソウル

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by 山口 洋  

ツアー初日 苫小牧にて

2006/02/11, 23:15 | 固定リンク

2月11日 土曜日 晴れ 

 初日の行軍は「心配のあまり」2日のみ帯同するチビと、記録係のOとの3人での旅と相成った。千歳に着くやいなや、寒かった。我々にとっては常軌を逸してる寒さだ。でも、それもまたよかろう。14年振りの苫小牧。かつて「歌の宅配便」ってのを始めた場所もここだったし、何だか縁がある。
 今回、ポストカードを作ったから、行く先々で、いろんな人に実際に出してみることにした。それもまた楽し。
 会場のアミダ様は29年の長きに渡ってこの街で良質の音楽を提供してきた。オーナーのツルさんって人は会った瞬間にタダ者ではないな、と思ったけど、同時にこの人は人間として、とってもまっすぐな人だな、といつもの直感がそう云った。このツアーの醍醐味。それはその街の「顔」とか裏の「顔」とか、そんな人たちに会えることにある。実際のところ、小さな街で小屋を29年も続けてるってだけで、その人は並大抵じゃないのだ。
 ライブを始めた途端、びっくらこいた。何かを奏でるたび、あるいは歌うたび、ツルさんが突っ込んでくるのだ。音楽生活26年、こんなオーナーは初めてだ。でも、その突っ込みは決して無意味なものではなかった。ちょっとね、じーんとした瞬間もある。とにかく俺が彼を好きになったってことだけは間違いない。お客さんも、遠方から来てくれた人も居るし、この「店」のお客さんも混じってる。それが嬉しかった。だって、考えてもみくれ。今、都会でその小屋のお客さんが混じってることなんて皆無に等しい。実際のところ、あまりにも空気が乾燥していて(それは誰のせいでもない)、喉はボロボロに近かったけど、初日から、このツアーの醍醐味を味わった。俺、この店が大好きになったんで、「また来る」って云ったら、ツルさんに「no thank you」って云われちゃった。はは。さいこーだよ。
 このライヴの開催のために骨を折ってくれた、地元のシンガー杉本、それからBariちゃんと演奏した。それもまた、楽しかった。彼女たちの声は俺の声より、乾燥した空にとっても響いていたよ。
 何だかね、初日からこのツアーをやって良かったと思ったんだよ。オーナーの心意気、それを取り巻く人々、エトセトラ。きっと大変だと思うんだけど、東京の音楽業界が見失ってるものが、ここには確かにある。終演後、ツルさんの手料理を喰ったら、美味すぎて、ちょっと泣けた。俺が新人バンドのプロデューサーだったら、絶対この店をブッキングするね。彼が受け入れてくれるかどうか不明だけど。
 ありがとう。苫小牧。また勝手に帰ってくるから、よろしく。尽力してくれた多くの人たちに心から感謝します。ありがとう、アゲイン。多謝&再見。

 このツアー。その日のセットリストを掲載することにします。同じライヴは二度とないから。

 1. ハピネス
 2. 君を連れてゆく
 3. OLD MAN (ツルちゃんに捧げる)
 4. パラノイア・ボヘミアン・ブルース
5. 銀の花
 6. Tokyo city hierarchy
 7. 風にハーモニカ
 8 . Sweet heart / She's Hurt
 9. カリフォルニア
 10. フールとクール ( ballad of middle age)
 11. 歌を紡ぐとき
 12. Still Burning

Encore
13. I shall be released (w/杉本千恵)
14. Irene good night (w/杉本千恵)
15. unknown (w/Bari)
16. unknown (w/Bari)
17. 満月の夕

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by 山口 洋  

理解と誤解、そして俺は待ってるぜ。

2006/02/10, 23:29 | 固定リンク

2月10日 金曜日 晴れ 

 理解と誤解はある意味に於いて同義だと思ってきた。でも、それはどうやら違うらしい。会ったことのない人間についてはやっぱり何も分からないけれど、会って、目を見て、話して解ける誤解ってもんがある。それが理解って意味だとしたら、そんなに悪くもないかな、と。
 午前2時。今日からツアーが始まる。何時間後にはもう飛行機に乗って、零下の国から南下してくることになってる。俺の本分とは何ぞや?それは歌を書いて歌うことだ。それらの旅の中で、もう一度確認しようと思ってる。随分前にジャクソン・ブラウンがやったこと、あるいは吟遊詩人がやってきたこと、エトセトラ。それがこの時代に出来るってのは幸福なことだと思うんだ。ある場所にはシンガーのあいつがやってくるらしい。だったら、俺にはテーマがあるから、歌詞を考えておいてくれないか?そんなメールを送った。魚が書いた名曲の歌詞のモチーフ送ってくんない?そしたら返信がきた。それらをとっかえひっかえ、頭の中とやりとりして、いろんな人々に会って、歌を書きながら、進んでいきたい。おまえ、飲み過ぎに注意しろよ。じゃ、何処かの空の下で会えるのを楽しみにしています。一本として同じセットリストにはしないつもりです。

by 山口 洋  

春の前に

2006/02/09, 23:55 | 固定リンク

2月9日 木曜日 晴れ 

 暦によると、もう春だって、何処かで誰かが云ってた。ウソつけ。今年の冬はえらく長いし、寒いって思ってんのは俺だけじゃないと思うけどな。でもそれゆえ、春になって何かが芽吹いてきたら、嬉しさが倍増するんだろうね。そう思って生きてるよ。俺は決して全身がハッピーな男じゃないけど、ささやかなハピネスを歌に乗せて全国に運びたいと思ってる。じゃ、何処かの空の下で。

by 山口 洋  

旅立ちの前に

2006/02/08, 23:08 | 固定リンク

2月8日 水曜日 晴れ 

 背負えて、軽くて、なおかつ丈夫なギターケースをネットで吟味して買った。考えてみたら、今まで楽器のケースはよりヘビーデューティーになる一方だった。俺のグレッチのケースなんて、象が踏んでも絶対に壊れないし、外国のエアラインの人間が、持ち主が見ていないのをいい事に空港のバックヤードで投げようもんなら、ギターが壊れる前に、そいつの身体がぶっ壊れる。つまりケースってもんは俺じゃない誰かが、運ぶ事が前提になっていた。で、実際のところ、久しぶりに自分で運ぶってことになったら、こんな重たいもの、持てるかい、って。勝手だ。最近とんとご無沙汰だけど、世界中をウロウロしてる時はいつも超身軽ないでたちだった。そこがどんな気候の国であれ。そんな意味で、必要最低限の機材って何だ?ギター、ハーモニカ、ケーブル1本、以上。スタッフが居るときゃ、あれやっといてね、あ、この曲であれ使う(かもしれない)んで、用意しといてね、よろしくー。みたいな男の豹変っぷりに、自分でも驚く。ディランの30周年コンサートのバンドを「ほぼMG'S」が努めてた。いろんなゲストが出てきて、彼等をバックに歌うのだけれど、音楽プロデューサーのG.E.スミスが曲によって、ギターをとっかえひっかえしてるのに比べ、元祖MG'Sのスティーブ・クロッパーは最初から最後まで同じテレキャスターを弾いていた。格好いがった。いがったんだってば。MG'Sの歴史の中で、きっと鍛えられてたんだろうね。 つまりは「本当に大事なものは何やねん(何故か関西弁)」ってことを見つめてみたいと思ってる。甚だ極端ではあるけど。そんな意味では、旅と音楽ってものが久しぶりにイコールで結びついてるツアーなんである。期待と不安とスケジュールの恐怖と酒量と体調。いろんなものがごちゃ混ぜになってます。はい。みんな迷わず来て下さい。
 話は変わって。早めのバレンタイン・プレゼントを頂きました。禁断のパッチでした。パッチって九州弁?早い話がモモヒキです。「2月の北海道の寒さを知らねーだろー」と某ミュージシャンに脅された俺がびびっていたからです。嬉しいんだけど、一度足を通したが最後、二度ともうそれなしには生きていけないような。ビミョーな感謝の気持ちです。ってお前ここに書かなきゃ誰にも分かんねーだろ?確かに、さもありなん。失礼。

by 山口 洋  

Other voices

2006/02/07, 15:48 | 固定リンク

2月7日 火曜日 天候不明 

 前にも書いたけど、今回のソロ・ツアー用に絵はがきを作った。アイルランドで撮影した写真に、ちょっとだけ言葉を加えたものが30枚綴りの本になってる。メールはとっても楽だけど、やっぱり手書きの文字の魅力は捨て難い。文字にはその人そのものが滲んでいるから。詳細は近くアップするから、見て下さい。ところで、そのポストカード・ブックに「Other voices from Donegal, Ireland」っちゅー名前を付けた。大好きなカポーティーの「遠い声 遠い部屋」の原題は「Other voices, Other rooms」と云うのです。勝手に引用してすいません。カポーティーさん。この場を借りて、御礼申し上げます。
 友達からメールが来て、「おーい、アイルランドのRTE(TV局)のwebでマイク・スコットとリアム・オ・メンリィが一緒にやってるよ」と。その番組のタイトルは「Other voices」だった。偶然だけど、何だか嬉しい。どこかでいろんな事が勝手に繋がってんだなぁ、と勝手に嬉しい。ところで、その映像。素晴らしかった。番組そのものが、音楽への愛に溢れてる。そこで奏でられてる音楽が素晴らしい。生きてると、いろんな事があるけど、やっぱり音楽は素晴らしい。そう思えることがとても嬉しい。それは俺にとって「encourage」以外のなにものでもない。ありがとう。コンピュータってこう云う時に、素晴らしいツールだな、とも思う。テクノロジーがなきゃ、この映像、絶対に観れないんだけど、動かしてるのは音楽への愛情と人の心。学ぶことが沢山あるよ。
 そうそう。リアムが単体で出演してるとこも、面白かったよ。彼はだんだんあの国に居る瞳の澄んだじいちゃん然としてきたなぁ。立ち振る舞いが。朝刊にボノのインタビューが載っていて、彼はアフリカのエイズを患ってる人々のために企業と組んで、がんばってる。「企業に利用されてると思いませんか?」との問いに、彼は「それで誰かが救われるんだったら、どんどん利用してくれ」、と。リアムとボノの生き方はまったくベクトルを別にしてるようだけど、音楽や世界への愛と云う意味で、同じことのように思える時がある。そんな態度の総称が「Other voices」だったら、俺は嬉しい。さ、俺も自分が出来ることをやろう。

http://www.rte.ie/tv/othervoices/20060201otherv.html

by 山口 洋  

表情考

2006/02/06, 23:55 | 固定リンク

2月6日 月曜日 曇り 

 「結局は 飲みにも行けない この人生」 字余り。

 なんだかんだ。寒風ふきすさぶ街を走り回る。電話、メール、ひっきりなし。あるいは書類を書きまくる。もうミュージシャンがマネージャー任せって時代も終わったんだな、と実感。そう云えば、廻りのミュージシャンはみんな自分の手帳を持ってる。どーしてそんなもん、持ってんだろ?と思ってたけど、必要だ。早く気づけよ、自分。「そうだ。手帳、買おう」。

 街は寒かった。トーキョー・シティーの寒さは骨身に染みる。例えるなら、開き直れない。ニューヨーク・シティーは寒すぎて、開き直れる。でも、ロンドンとここトーキョーは心に堪える。いつもコピーだコーヒーだと、仕事場から一番近いコンビニ(駅の中にある)に、いつもの時間になると、いつものホームレスのおじさんが寝床を求めてやってくる。もう顔見知りになって、会釈くらいはする。ここで眠るってことは一体どういう事を意味するんだ、と考える。ここは自由の国だから、彼の人生は彼がつかみ取ったものだ。だから、俺がとやかく云う問題じゃないかもしれない。でも、ここで眠るってことは一体どういう事なんだろう。グルグルと考えが頭を廻って、そして分からなくなる。でも考えないよりはマシかも、と自分に言い聞かせる。ある種、彼の表情は哲人然としている。超然として見える事もある。最近知り合いになったフォトグラファーが山谷の人々を撮影しているのだが(写真展に行きたかったけど、行けなかった。次は必ず)、驚くほど凛とした表情を浮かべている。ヒエラルキーの何処が上で下なのか、俺には分からん。俺が中流なのかどうかも分からん。それは比較する対象によるし、自分の人生を誰かと比べたくもない。でも、おそらく上ではない場所から、世や我が人生やこれからを見つめるとき、俺には分からない心境になり、それがあのような表情を作るんだと思う。「幸福」って何だ?と聞かれたら、夢中になれるものがあるかないか、だと応える。そしてそれには、応分の金が必要ではある。

by 山口 洋  

結局のところ

2006/02/05, 23:38 | 固定リンク

2月5日 日曜日 晴れ 

 昼過ぎまで眠った。今日は休もうと思っていたが、ソロ・ツアーが目前に迫っていた。ほぼ一月に渡って、旅ガラスになると、税金の申告も出来なくなる。俺とて、一応社会人なのである。しゃーない、面倒な事はやってしまおう。そんな訳で、夜まで山のような領収書と格闘した。
 そんでもって、メンバーのみなさんに完成したものを配った。それを聞いてくれた魚から、素晴らしいアイデアをもらったので、更にミックスをやり直して、作業が終わったのは午前5時を廻っていた。明日だけは、お気に入りの飲み屋でアホになって、気持ちを切り替えようと思う。

by 山口 洋  

貫徹

2006/02/04, 23:17 | 固定リンク

2月4日 土曜日 天候不明 

 現在、2月5日の午前3時。長い旅が終わった。記録によると、間にライヴは挟んだものの、1月26日にこの曲のミキシングを開始して、実に10日に渡って、たかが一曲にウンウン唸ってたことになる。あ、あり得ない。時間をかけりゃいいってもんじゃないけど、ちょっとアンビリーバブルだった。おかげで3つのバージョンは手にしたけど。たまにはメゲなかった自分の根性を褒めてやろうと思う。データのバックアップが終わる頃には朝になるだろう。飽きるまで眠ろう。
 

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by 山口 洋  

厄明けの日

2006/02/03, 19:28 | 固定リンク

2月3日 金曜日 天候不明 

 同じく、厄明けを迎えた人物と、「今日は飲み明かそうぜ」と語ってはいたものの、諸事情でそれは叶わず。でも、信心深くない俺ですら、目の前の暗雲が晴れたような気分になる。確かにロクでもない3年間だった。時に身の危険も感じたけど、幸か不幸か、また生き延びた。誰かの歌じゃないけど、「サヴァイヴァーズ・バンケット」っちゅー気分ではある。せっかくもらった生だから、悔いのないように生きようと、改めて思う。

  このところブログの更新が滞ってるのには訳がある。単純に、毎日ミックス三昧で、何の色気もなくて、書くことがない。短気で、集中力が持続しない俺なら、あっと云う間に終わりそうだけど、今回に限ってはそうじゃなかった。(終わってないけど)何せ、内包してるいろんな矛盾とか、相反するものとか。光と影、ネガとポジ、ドライとウェット、広さと狭さ、大きさと小ささ、夢想と現実、エトセトラ。何ひとつどちらかに振り切れていなかった。無理に振り切るのも良くないことは分かっていた。でも、それが日々で、その中に音楽がある。フィクションとは云え、まったくノンフィクションじゃないって訳でもない。あぁ、面倒臭い。ファンタジーは何処に。

 それら相反するものをどのようなバランスで配置するのか。それこそ無数の組み合わせがある。そりゃ、一回でうまくいきゃ苦労しないさ。でも、その日々を書き綴ってると、だんだん愚痴っぽくなってくる。それは気分が良くない。あぁ、面倒臭い。

 厄明けの日に。

 逆転の発想。ダサいと呼ばれているものを思いっきり真ん中に据えたら、開き直りのあまり、クールに思えることがある。人呼んで、ダサ・クール。それこそが自分が探しているものだった。80年代に自分が作ったもの、あるいは写真なんてものを見せられると、ダサさの余り死にたくなることがある。しょうがないんだけど、エバー・グリーンなものにもう少し目を向けていれば、と後で悔いる。分かりやすい話で書くなら、おまえ、何で、もみあげ刈り揃えてんの?とか、何でジーンズ、折り返してんの?とか。そのサングラスはねーだろ?とか。つまり2006年に生きているのなら、決して時代に流されることなく、そこで生息してることの意味をちゃんと見つけておかないとね。そんな音楽がもうすぐ完成する予定。そしたら、街に繰り出そうと思う。美味いだろうな、酒。
 
 

by 山口 洋  

星の下 未知の上 そしてノーザン・ライツ

2006/02/01, 23:17 | 固定リンク

 2月になった。厄明けまで後2日になって、いつから俺はこんなにシチ面倒臭く、あーでもない、こーでもないと思い悩む人間になったのか?思考がループしてる原因を探るためにも、昨夜からの自分の行動を思い返してみようと思う。読んでる皆さんのためになるのかどうかは甚だ不明だけれど、ね。

 確かに俺は今までのミュージシャンがやってきた事より、多くの事例を抱えてはいる。未知の方法で音楽を作ってるし、ミキシングもやってるし、目が覚めてから、仮眠をむさぼるまでの間、音楽や、それにまつわる諸々の事の中に埋没してはいる。でも、今の時代、八百屋さんだって、魚屋さんだって、自分が売りたいものと、生きていくこと、社会の中で存在してる意味、エトセトラ。そんなものの中で七転八倒してるって意味では大差はないはずだ。バンドをやってるのは、死滅したヒッピーの「共同幻想」を現代に照らし直して、より小規模だけれど、現実を見据えた上で「個人」の強烈かつバラバラな「意思」の集合体みたいなものが、音楽の奇蹟を起こすことができると信じているからだ。それをバカみたいに信じているからだ。大事なのはイマジンする力とギャグとわずかな金、そして「honest」であること。うん、こう書いてみると、多分それは間違っていない。

 今朝。午前5時。ようやく「光」に辿りついて、それを暮らしてる街の中で聴いてみたくなった。ここで、グっときたら、もうこの曲に関わってんのは終わりだ。そう決めて、ミックスし終えた曲をipodに入れた。そぼ降る雨の中、風邪を引かないように、ダウンジャケットを着て、フードもかぶった。ヘッドフォンはいつものやつじゃなくて、低音が良く聴こえるこいつにしよう。完璧だ。

 朝の首都高にトラックが走っていく。ドラムがビートを刻み始める。お、いいぞ。完璧だ。音楽に合わせて、歩くスピードを調節する。景色が流れていく。雨が降っている。濡れる。歌詞が染み通ってくる。心も濡れる。そして、音楽はハイライトに向かっていく。その時だった。丁重に俺は刑事に呼び止められた。二日前のこの時刻。付近で強盗事件があったらしい。あくまでも丁重に、そして執拗に。彼は職務質問を続ける。云うまでもなく、俺にやましいことはない。名前も電話番号もその日のアリバイも何もかも。洗いざらい彼に告げた。何故に、こんな時間にこんな格好で、空を飛びたそうな踊りを舞いながら、この道を歩いていたのかも。確かに俺の振る舞いは怪しい、と自分でも思う。でも、信じてくれ、刑事さん。俺は無実だってば。戒厳令じゃないんだから、俺は好きな時間に街を歩いていいはずだ。職務質問にしては随分長い取り調べの上、俺は放免となった。彼も大変な職業だと思う。こんな時間に働いているなんて。でも、その後、失われたインスピレーションは二度と戻ってこなかった。それが問題なんだよ。アーメン。

 昼に起きた。3時頃、メンバーやスタッフがやってきた。今までのミックスを聴いてもらった。俺は仕事部屋から逃げた。早朝の「確認作業」に自信が持てなかったから、対峙する勇気がなかった。この根性なし。反応は少なくとも、「オー、イェーッ」と云うものではなかった。全員が満足するものを、必ずしも目指している訳じゃないけど、多分、この曲はまだ手を入れる場所がある。そう受け取った。何だか、最近よく揺れてる自分が情けなくなった。

 夜。久しぶりに佐野元春さんにお会いした。彼とて、いろいろあるに違いない。でも、体温がいつも変わらない。真似ができない。素晴らしい。つい最近、とある事で励ましのメールをもらったところだった。「時間があれば、近く会おう」と記されていたが、こんなに早く実現するとは思っていなかった。

 それは、佐野さんがやられているポッド・キャスティングの番組で、「music united(だったと思う。間違ってたらすいません)」と呼ばれるものだった。つまり、真の独立を目指すミュージシャンの「勝手な連帯」を目的としたもので、俺の前には藤井一彦がゲストとして呼ばれていた。
 実際の会話は番組を聴いてもらうとして、先人との1時間半に渡る会話はとても有意義なものだった。時に俺より長く生きている方として、同じフィールドに立っている方として、一人の人間として、男として、ミュージシャンとして、シンガーとして。あるいは同じ時代に生きるソングライターとして。エトセトラ。どさくさにまぎれて、どうしても聞いてみたかったことを幾つか尋ねてみた。その応えはこうだった。

1. 「この時代にhonestであろうとするほど、ポリティカルにならざるを得ないんだ」。

2. 「男にはね、何度だって思春期がやってくるんだ。でも俺は23歳ではないんだ」。

 そっか。目から鱗。帰りしな、マネージャーとトンカツを喰いながら(俺、ロースカツ。マネージャー、ヒレカツ。笑うところです)、自分の何度目かの「思春期」について考えてみる。ふむ。思い巡らせていたことが、違う色彩で見えてくる。確かに鮮やかに見えてくる。そっか、これは灰色じゃないんだ。たかが言葉、されど言葉。イマジンの石。空に高く、もう一度投げてみよう。

 家に帰った。ずっと、考えている。メールがきた。そこにはフィンランド人のマジシャンの言葉が記されていた。いわく。
 
 「フィンランドの冬空にはオーロラが現れます。それは世界中のどんな魔術よりも不思議で威厳があり、畏怖の念を持つと同時にこんなに美しいものは無いと思わせるものです。今、この瞬間だって、遠い空にはオーロラが踊り狂っているかもしれないんです。そういうふうに思えば、突然いろんなものが見えるようになることがあります。足元だけを見ていると、砂や土や石ころしか見えなくても、ちょっと視線を上げればそこには深い森も、どこまでも続く砂丘も、あるいは雪景色を裂く一本のみちだって、見えてくるかもしれないんです・・・」。

 俺もまた、自分の足元しか見ていなかったことに突然気づいた。机の上には今日、佐野さんから頂いた最新のマキシシングルが置いてあった。タイトルは「星の下 路の上」。閃いた。それは自分が生きている場所を指し示していた。「星の下 未知の上」。「死ぬまで悩みなさい」って事が「へっへー。わっかりました。あったりまえじゃん」。そう云えるような明日の朝がやってきそうな気がしています。訳もなく、佐野さんはもちろんのこと、刑事さんも含め、今日(メールもね)出会った人々すべてに「ありがとう」と云いたくなったところで、焼酎を飲んで寝ます。ありがとう、アゲイン。明日、また出直します。ワン。

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by 山口 洋  
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