音楽地獄

2006/08/31, 00:51 | 固定リンク

8月31日 木曜日 晴れ 

 悪友から「酒飲む暇もないなら、お茶でも」との誘い。けれど、俺にはその暇もなく。む、空しい。ライヴに必要なコンタクトをチャリンコ飛ばして買いに走って、店員の対応が遅いだけで、イライラしてくる。確かに時間はないのだけれど、こうなるともう末期的症状ではある。
 俺の8月は音楽と共に終わる。手をつけたまま完成出来ずに放置してある曲のミックスにいそしみ、ツアー中に完成させるはずの新曲群に手を入れ、いろんな場所で共演する相手の曲を覚え、ライヴの構成を考え、10月のレコーディングの段取りをし、エトセトラ。何処を向いても音楽アリ地獄からは逃れられない。忙しいとは書きたくない。たぶん、どうしようもないくらい、時間の使い方が下手なんだと思う。

by 山口 洋  

半ばを過ぎて

2006/08/30, 01:38 | 固定リンク

8月30日 水曜日 晴れ 

 ゆっくりと、だけれど確実にアルバムは完成に近づいている。今日、6曲目がほぼ完成した。それは真夏の大都会東京で録音されたものなのだけれど、ちっともそんな感じがしない。理由は俺にも分からない。録音を開始したのが、今年の一月。夜にはもう秋の虫の声が聞こえてくる。本当に一年中、音楽にまみれてるなぁ、と我ながら呆れる。でも、この時代にやりたいことを存分にやれる幸福。それを同時に噛み締めてもいる。

by 山口 洋  

the pan-within

2006/08/29, 00:12 | 固定リンク

8月29日 火曜日 晴れ 

 その昔。とあるコンサートで、俺のCDをウォーター・ボーイズのマイク・スコットに手渡すためにイングランドに行った男に会った。「何でそんなことしたん?」とヤボを承知で聞いたなら、奴は「いや、ただ、渡したかったんです」と応えた。
 時は随分流れて。奴は故郷に戻り、老人介護の仕事をしながら、畑を耕し、農薬を使うことなく野菜を栽培している。奴から収穫された野菜と共に、ジェノベ・ソースが送られてきた。果たして、それは美味かった。名付けるなら「whole of the moon」。掛け値なしに美味かった。素晴らしい音楽のような味がした。

 夢想するんだ。勝手に、有機的に。音楽を通じていろんな事が繋がっていくこと。俺のライヴに来てくれたなら、何故かそこに奴のジェノベ・ソースが売っていること。その日はそんなに遠くない未来にやってきそうな気がしている。 

by 山口 洋  

生活の中の音楽

2006/08/28, 19:12 | 固定リンク

8月28日 月曜日 晴れ 

 「生活の中の音楽」って言葉を良く使う。作り手として、リスナーの日々の中で響いて欲しいと、いつも思ってる。ところが、送り手である俺は、文字通り朝から晩まで音楽漬け。例えば、ひとりで北海道に行った。短い夏。空は広く、空気は美味く、人はとてもあったかく、食い物は云うまでもなく、飲み屋には最高の音楽が流れていた。だったら、しばらく居ればいいじゃん、と思う。そーだ、稚内の方に行ったことねーな、沙流川はどうなったんだろう、噂の富良野のコーンを喰ってみたい、中標津のオオカミたちにもう一度会いにいこう、旭川の弟は元気か、函館の兄貴は元気かな、とか。若い頃のように、どうしてフラフラ流れていかないのか、自分でも分からん。ただ、俺には責任があって、約束した日にアルバムを出すためには帰るしかなかっただけのことで。
 そんな意味で、北海道のミュージシャン達は本当にのびのびと音楽を「暮らしの中」で愉しんでいた。パーカッションの彼はいつ会っても「明日ライヴなんすよ」と云い、シンガーの彼女は「来週、オーロラの撮影でーす」と云い、もうひとりのシンガーは「家で猫が待ってまーす」と云い、ギターの彼は俺なんかよりすぐれた技術を持ちながら、絃の張り方を知らなかった。はは。俺が日本一好きな飲み屋はね、トマトスのキヨシさんの店。俺たちがバンドを始めた頃、どこの小屋にもあった4115ってスピーカーから、客に合せた極上の音楽が流れてくる。今回はね、「Tatto you」のB面から始まった。一緒に飲んでたWが「山口さん、B面からっすよ」。とコーフン気味に話してたけど、最後の曲「Waiting on a friend」になる頃にはしっかり店にあったギターを握ってバカになってた。そして、ランディー・ニューマン。キヨシさんは俺にグラッパを飲ませて、店の窓を全開にした。冷えた札幌の空気が一気に入ってくる。うーん。深夜になると、キヨシさんの店に行くことしか考えてないんだけど、いつもベロベロに酔っ払ってるから、あの極上の店が何処に位置してんのか、分からない。たぶん、有名なニッカの看板の近くだよ。毎回、死力を尽くして(そんなに大げさでもないか)キヨシさんの店を探すのさ。それがまたいいんだ。
 有名とか無名とか、いくら稼いだとか、そんな話じゃないんだ。みんなそれぞれに生活のためにお金を稼ぐのは大変だと思う。だけど、そんな日々の中で、音楽に夢中になってる。本当に「無理」がないんだ。俺はまた、東京の地下のスタジオで、彼等の顔を思い出しながら、音楽を作ってる。彼等の日々に響いてくれることを願って。

 次に訪れる街は富山の高岡市。売り出し中の唐揚げ王子、近藤智洋と行くことになってる。主催者の渡辺君はとっても熱くて、「暮らしの中での音楽」についてメールを送ってくる。そうかい、そうかい。じゃ、「旅」をテーマにライヴをやってみようか、と思う。翌日の金沢は「熱い」のがテーマかな。地下室に居ながらにして、遠い街のことを想うのも悪くない。そうそう、北海道からヘロヘロになって(それは毎晩飲んでた俺のせい)帰ってきたら、富山からは名産の「呉羽梨」が、四国からは新米が、北海道からはじゃがいもが届いてた。ありがとう。本当に嬉しいよ。いろんなものが新しいアルバムの中に込められいくのが。
 

by 山口 洋  

移動日

2006/08/27, 20:11 | 固定リンク

8月27日 日曜日 晴れ 

 札幌から東京に戻る。
 これからはウィーク・デイはミキシング、終末はライヴと云う日々が続く。身体と脳味噌の折り合いの付け方を見つけなきゃ、と思う。新しい歌の育て方と、昔の曲との折り合いもね。
 沢山の友人達に会って、それぞれの人生が前に向かって進んでいることを知った。悪くなかった。

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by 山口 洋  

北の国の短い夏・札幌にて

2006/08/26, 20:03 | 固定リンク

8月26日 土曜日 晴れ 

 苫小牧から札幌に向かう。2月に見た車窓とはまったく違う世界がそこには拡がっていた。あらゆる生命の息吹。色とりどりの花々。抜けるような蒼い空。冬の寒さが厳しい分だけ、北の国の短い夏には生命が咲き誇っている。美しい。
 札幌駅には旧知のC。スープカレーを食べに連れて行ってくれた。美味いね、これ。
 会場「くう」のオーナーは御同輩。ご夫婦で店を切り盛りしてるんだけれど、その「音楽の関わり方」に見習うこと多し。とてもナチュラルで、しかも筋が通ってるんだわ。食べ物もとっても美味いし。俺は小屋に「水餃子」があるのを初めて観たよ。
 ところで、俺のライヴ感はまだ「空回り中」。何であれ、それぞれのハピネスを持ち帰ってくれたら、それでいいんだけれど、北の国はなかなか手強い。未だ俺は「東京」を引きずっている模様。このツアーには「ミュージシャンの原点」があるんだから、早く取り戻さなきゃね。でも、リクエストに応えて昔の曲を沢山歌ったんだけど、「変わったもの」と「変わらないもの」が如実に見えてきて、面白かったよ。愉しんでくれたかい?
 「くう」でもピザやエビフライや水餃子をごちそうになった。知らない土地で音楽と関わる人たちと話すのは、とても貴重な時間なんだ。いろんなものが見えてくる。御同輩、本当にありがとう。どうか身体に気をつけて。戻ってくるな、と云われても、僕は戻ってきます。云うまでもなく、快晴の土曜日に足を運んでくれた人々、心からありがとう。
 札幌には日本一好きな飲み屋があるのね。そこでいい音楽と、マスターの話を聞いてたら、必ず俺はバカになる。友人達も沢山来てくれて、嬉しかったなぁ。それぞれの道に幸多からんことを。みんな、ありがとう。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ツアー初日・苫小牧にて

2006/08/25, 19:32 | 固定リンク

8月25日 金曜日 快晴 

 千歳空港を出た途端、空が広かった。空気が美味かった。住んでいる人には、至極あたりまえの事なんだろうけど、それだけでも旅に出て良かったと思う。
 苫小牧。アミダ様と云う歴史のある小屋にはツルさんって強者が居る。この街で何十年も小屋を続けるってことは、多分並大抵の事じゃない。音楽が地域に根付くために。東京の業界人がすっかり忘れてしまった「初心」と「もてなしの心」と「気骨」のようなものが、耐えた風雪と共にここにはある。「on the road,again vol2」だったはずのツアー・タイトルは何故か「三度笠道中/三度」になっていて、チケットは手作りで、ツルさん直筆のダイレクトメールが前回足を運んでくれたオーディエンスに届き、そこにはアイヌの言葉が記されていたらしい。見かけはとっても怖いのだけれど、旅人にまずはコーヒやサンドイッチをふるまってくれる優しい人なのだった。まずは「tea or coffee?」。何処かの国の「その感じ」にとても似てる。
 俺はずっとレコーディングの日々を過ごしていて、微細なことにこだわっていた。なかなかライヴ感が戻ってこないし、耳が肥えているオーディエンスも手強かった。北海道だと云うのに大汗かいてるし。でも、地元のシンガーやミュージシャンたちと一緒に演奏する頃にはその感覚が戻ってきた。彼等はそれぞれに地元に住んで、音楽活動を続けている。ちょっと羨ましかったりする。俺みたいに朝から晩まで音楽をやるしか能のない者とは違う「音楽との関わり方」から学ぶことは沢山ある。シンガーの歌からは北の地に暮らす者の想いが滲んでくる。ギタリストは演奏の殆どをフィンガー・ピッキングで通していたし(彼の人格も好きだったな、俺)、いつも俺を空港まで迎えにきてくれるパーカッショニストのバウランは確かに北海道の音がした。生音がきちんと聞き取れる小屋で、彼等と響き合うのは本当に愉しかった。いつかドーナル・ラニーが教えてくれたのだけれど、「世界中、何処に行っても、誰とどんな音楽を演奏しても、何も学ばないなんてことはないんだよ」と。その通りだと、俺も思う。
 小さな街の小屋では、終演後にその店で飲むことになる。今日もまた、ツルさんの心ずくしの食べ物がテーブルに並ぶのだった。俺は彼がライヴ中にPAをやりながら、ギャグを飛ばし、料理までこなしていたのをステージから見ていた。カニとかジンギスカンとか、イクラ丼とか。贅沢だなぁ。この手のツアーが止められないのは、人の心に触れることが出来るからで、真ん中に音楽があって、酒が進むほどに、壊れる人間が出てきて、例えば今日は「とうきび」の見事な喰い方を伝授されたりする。ツアーを始める前は「さっさとホテルに帰って、曲を仕上げる」なんてうそぶいていたのだが、目の前の魅力的な人物達との会話を反古にするほど、俺もバカではないのだった。そうそう。ツルさんに「アミダの皿の洗い方」を伝授してもらったんだよ。それひとつとっても、レッキとした歴史の重みがあったんだよ。ちょっと飲み過ぎたけど。
 ツルさん、ミュージシャンのみんな、手伝ってくれた人々。本当にありがとう。また戻ってきます。多謝&再見。

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by 山口 洋  

夏の終わりの気配

2006/08/24, 23:43 | 固定リンク

8月24日 木曜日 晴れ 

 地下室に閉じこもって仕事をしていても、夏の終わりの気配がする。暑いのは嫌だけれど、妙に寂しい。今年は何ひとつ「夏らしさ」を味わうことなく終わってしまいそうだから。
 第三クールで録音したものに、目鼻をつけるためミックスした。これで心おきなくツアーに出られる。「on the road,again vol.2」。明日、苫小牧からスタートです。今回も誰も帯同することなく、一人きりで廻ります。見かけたら、気軽に声をかけて下さい。各地で参加してくれるミュージシャンとは出来るだけ、セッションをするつもりです。メニューも何も決めていません。その街に着いて、空気を吸ってから決めることにします。どうしても聞きたい曲があったら、恥ずかしがらずどうぞ。全てに応えられるかどうかは不明だけれど。10月の最後のレコーディングに突入する前に、新しい歌も仕上げつつ、旅を続けるつもりです。忙しくて、新しいグッズを用意する暇がありませんでした。でも、strikes backシリーズは2枚とも手にしてもらえるようにしておきます。post cardもね。じゃ、会えるのを愉しみにしてます。

by 山口 洋  

こころ、アゲイン。

2006/08/23, 23:04 | 固定リンク

8月23日 水曜日 晴れ 

 節々が痛い。レコーディングで頑張りすぎたのと、スタッフ不足で久しぶりに機材を運んだのと。明後日からツアーなんだから休めばいいものを、結局のところ、この2日間で録音したもののミックスに取りかかる。このアルバムのレコーディングで、このバンドにとってのベストの録音方法がようやく確率されつつある。歌も含めて、せーので録って、必要最小限のものを加える。修正しないこと。その中に日々とか、想いとか、閃きとか、奇蹟と軌跡とか、たまにイケてる自分とか、イケてない自分とか、全てがある。俺たちは10何年もかけて、あり得ないほどの金をレコーディングにつぎ込んで、いっとう最初のやり方に戻ってきた。でも、それは昔のそれとは違う。何が違うと問われるなら、多少の自信と、ダメな自分を受け入れる強さのようなものがある。レコーディングは何度でも修正が出来る。でも、それをやっていくと、何のデコボコもない退屈なものにしかならない。それをようやく学んだのだ。多少の自信と共に。
 
友人宛のメールの抜粋。

 眠れない夜に。
 夏目漱石の「こころ」を今更ながら読んでいます。本屋を隅から隅まで歩いたけど、今の自分の触手に触れるものがなかったからです。

 何度も何度も(たぶん初めて読んだ時から30年は経過してるでしょう)読んだはずなのに、ストーリーは記憶とかなり違っていたりします。それを体よく、井上光晴さんの言葉にすり合わせて、「過去の捏造」ではなく「創造」と僕は呼んでいます。

 驚くべきことは。
 この数年に自分が経験した、およそこの世のものとは思えない醜い人間の行いの数々が、「明治時代!」に既に書かれていることでした。つまり、僕が云いたいのは、人間と云う愚かな生き物は100年前と大して変わっていないことと、マスターピースと呼ばれるものは時空を超えて、人間の本質を捉え、その輝きは決して失われるものではないと云うことです。モノを創る人々は、目先のことではなく、このような事に没頭すべきなのです。

 夏目漱石にあって、村上春樹さんにないもの。それはたぶん、この国の「季節感」のようなものです。僕が知らない植物でさえ、それがまるで映画のように、頭の中に描き出されるのです。それは「過去」のものではなく、今、吹く風の匂いと共に。書かなくても分かると思うけど、それは決して村上さんをけなしているのではありません。この国自体がそのような風景を私利私欲のもとに失ってしまったんだと思います。

 僕が伝えたかったことは、モノを創る人、それを伝える人の気骨と恥骨。それをいつも考えていたいと思います。流行に流されるのではなく。

by 山口 洋  

レコーディング2日目

2006/08/22, 23:11 | 固定リンク

8月22日 火曜日 晴れ 

 スケジュールも、やらなきゃならないことも、何もかもがタイトな2日間だったけれど、素晴らしいものが出来つつあります。スタジオを出て、録音したものを聞きながら、流れてゆく車窓と共に、しばしの幸福に浸っていたら、ぼんやりとアルバムのタイトルが浮かび上がってきました。関わってくれた人間たち、すべての総合力だと。こんな時、バンドをやってて良かったと、心から思えるのです。ありがとう。昨日書いた、このスタジオのエンジニアTは、素晴らしい仕事をしてくれました。田村、お前だよ。ありがとう。奴と今年の正月にばったり会うことがなければ、このスタジオでやることも、制約を創造力で乗り越えることも、この音が生まれることもなかったのです。人の縁とは本当に不思議なものです。

by 山口 洋  

レコーディング第三クール初日

2006/08/21, 23:51 | 固定リンク

8月21日 月曜日 多分晴れ 

 盛夏。レコーディング第三クール、都内某スタジオにて。スタジオと云っても、ほんのりいかがわしくて、ヘビーメタルを録音するのを得意としてるようで、夜なのに「おはようございます」と発するようなアホな連中が絶対に行き来してなさそうな、そんなスタジオ。
 今年の正月、ここのハウスエンジニアにばったり会った。奴は10年以上前、某リゾートスタジオのアシスタントとして、某県山中で働いていた。アシスタントと云えば、聞こえは良いが、録音業界とカメラマンの世界の下克上と云ったら、そりゃぁもうヒドいもんで、奴はあんなことから、こんなことまで、ありとあらゆる業務を山深いところにあるスタジオでこなすあまり、「湾岸戦争」が勃発したことを半年以上知らなかったと云う、無敵のエピソードを持っている。当時から熱くて暑い男だったが、晴れて下克上の末にエンジニアとなった今も、充分に暑苦しいところが、妙に俺の心にヒットしたのだった。
 スタジオにはブースがなかった。ははは。仕方がないから、コントロール・ルームで俺は歌っていた。でも、何だかしっくりこない。音がお上品なのである。さんざんみんなで考えた末、ひとつの部屋にメンバー4人がカンズメになって、せーので録音した。でも、何の問題もなかった。奴と今頃、ここで再び仕事が出来たことが嬉しかったし、どんな状況であれ、時代とたぶん逆行する形で打開策を見つけることが愉しい。今日ここに居た人々は、奴とはまた違った形で、熱くで暑苦しいんだろうと、帰りしな録音したものを聞きながら思った。悪くない。

by 山口 洋  

詩作とレコーディングの準備

2006/08/20, 20:50 | 固定リンク

8月20日 日曜日 晴れ 

 同じテーマとタイトルなのに、二つのまったく違うメロディーと歌詞が浮かんできたら、どうしたらいいんだろうっちゅー、初めての悩みの最中。えーい、2曲にして書いちまえ、と日程的にかなり追い込まれているにも関わらず、歌詞を書く。往生際、かなり悪し。前回、ツアーをしながら曲を仕上げるという理想は、あまりの時間のなさに玉砕したが、今回ばかりは飲んでる暇があったら、さっさとホテルに帰って曲を書こうと思う。(云ったな、お前)
 明日からは、たった2日間のレコーディング東京クール。でもこれで、アルバムは冬と春と夏の空気をパッキングすることになる。

食事しながら、ぼーっとテレビを見てたら、湯布院が映ってた。「あの」緑色だよ。あぁ、あの山の中に帰りたい。

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by 山口 洋  

渋谷

2006/08/19, 18:06 | 固定リンク

8月19日 土曜日 晴れ 

 昨夜、藤原新也さんの「渋谷」を読んでいた。時代、街、人。それらを見つめる彼の視線と行動は、刺激と示唆に富んでいた。素晴らしかった。この街に住んで、もう4,5年になる。もう、いいだろう。充分だ。そう思ったら、急に猥雑なこのエリアが愛おしく思えた。

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by 山口 洋  

普遍で不変で不偏のもの

2006/08/18, 22:38 | 固定リンク

8月18日 金曜日 晴れ 

 時を同じくして、ゼロからモノを生み出す知人たちから複数連絡があった。彼等は口を揃えて、「どうやって、この時代に自分の作品をすり合わせたらいいのか分からん」と云った。そんな事、俺も分からん。それに意味があるのかどうかも分からん。暮らしの周囲を見渡してみて、「どうも自らの価値観が、メディアから垂れ流されているものとは全く違うらしい」って事はいつも感じる。違和感に次ぐ違和感。でも、それが創造力を通じて、ファンタジーを生み出すこともある。新しいものの殆どは古くしかならない。コンピュータは家電ではない。何故ならじいさん、ばあさんが全自動洗濯機を難なく操るほどには簡単に出来てはいないからだ。だから、すぐに古くなるし、同時に家電への可能性も含んではいる。
 太古の昔から、変わらないことがある。人はある地点で自らの「死生観」について深く考察し始める。俺のそれをと、問われるなら「born to die」。おぎゃーと生まれたその日から、人は死に向かって生きている。それは誰にも必ず一度やって来る「人生最後の経験」だ。そう考えたなら、今自分が何をやるべきなのか、おぼろげながらも輪郭が見えてくる。それがネガティヴだとは思わないし、曖昧にしておきたくないし、俺が死んだところで世の中が変わるわけでもない。ならば、我々はもっと不偏のものを、自分の直感を信じて貫けばいいじゃないか。闇の中で見える光を描けばいいじゃないか。そんな話をした。この歳になると、大抵のコンプレックスは多少の諦めと共に払拭されてくる。何を迷う必要がある。と云いかけたところで、その言葉が自分に向いていることに気づいて、思わず苦笑した。

by 山口 洋  

渋谷のオアシス

2006/08/17, 22:45 | 固定リンク

8月17日 木曜日 晴れ 

 一日だけ、音楽を頭から追い出すことにした。渋谷の街で、本屋を隅から隅まで眺めたけれど、欲しいものは何もなかった。あぁ、本屋よ、お前もか。結局手にしたのは夏目漱石の「こころ」(何度目だよ、買うの)と「薪ストーブ大全」。あちこちで垂れ流される音楽と熱気に疲れてきて、逃げ込んだのは、いつもの蕎麦屋。「せいろ」とビールを頼んで、「うーん、美味い」ひとりごちたら、廻りは俺も含めて、すべておっさんで埋め尽くされていた。つまりは、ここはおっさんのオアシスなのだった。訳もなく、気が休まる。

by 山口 洋  

半ばを過ぎて

2006/08/16, 22:06 | 固定リンク

8月16日 水曜日 晴れ 

 夕刻。アルバム・プロジェクトはその道のりの半ばあたりを折り返した。楽しかったとか、辛かったとか、長かったとか。感慨を漏らす暇などあるはずもなく、結局、主観と客観を絶え間なく繰り返して、ゴールに向けてひた走るだけなのだった。権利をも含めて、自分たちの音楽を、やり方を取り戻すため、音楽ビジネスに一石を投じるため、の試みなのだが、沢山のサポートを受けていながらも、その道のりは楽なものではなかった。それはやる前から分かっていたことだけれど。俺は一旦音楽に没入すると、何も見えなくなるから、「人間的な生活」なんてものはなくなる。おまけに、事務的な煩雑なことを平行してやることは骨身に染みた。たまりかねて、いろんな友人に相談したら、「だから、あんたはアーティストなんだから、そんな事、得意だったら気持ち悪い」と口を揃えて云われて、普段、自分が「アーティスト」だなんて口が裂けても云わないし、思いもしないのだけれど、「確かに人間として、著しくバランスを欠いてんのが、俺なんだから、オールラウンドに出来る訳ねぇよな」と思い返すのだった。そんな時、心から助力、尽力してくれた人々の事は一生忘れないだろうし、逆に困難な道だと知るやいなや、さっさと踵を返した人間とは、歓びを分かち合えないのが残念だけれど。でも、たぶん、人とはそんなものだろう。
 たぶん、ここからの道のりの方が困難になることは間違いない。まだ「核」になる言葉が浮かんでこない。それがちょっとだけ怖いのだけれど、焦らず粛々と道を往こうと思う。
 週明けに、都内で短いレコーディング(3クール目 - 灼熱の大都会でベーシックを録るのも悪くないか、と)を行って、それからひとりでツアーに出ます。是非、会いにきて下さい。今回、体力をつける暇はなかったけど、前回痩せこけてしまった反省をふまえ、今はちょっと太ってます。へへ。それから、10月に東京で一本だけ、今年最後のバンドのライヴをやって、レコーディングの第四クールに突入し、11月の末にフィニッシュするつもりでいます。

by 山口 洋  

過日

2006/08/14, 21:35 | 固定リンク

8月14日 月曜日 晴れ 

 過日。其の一。
 ミキシングの合間、誘われて知り合いのライヴを観に行った。「生」の音楽を聞くのは久しぶりだった。行ったことのないハコだったから、ちょっとワクワクした。噂にたがわぬいいバンドだった。俺が好きだった音楽と「集合が重なるように」重なっている部分があるんだろうけど、その解釈っちゅーか咀嚼の仕方がとても面白かった。
 ところで。そのハコのおそらく専属であろうPAマン(女性だったけど)の仕事はヒドかった。フロントのスピーカーから出てくる爆音は「拷問」に等しかった。俺は自分の耳を守るために、時々耳を塞いだ。何と不幸な事に、ステージに上がっている連中は表の音をコントロールすることは不可能なのだ。可哀想に。何故に、あそこまでの音量を出さねばならんのか、何故に、あのようなEQ(簡単に書くと加工)を施すのか?人間の耳はスーパー素晴らしく出来ていることを、プロであるあなたは知らないのか?足りない部分を耳が次第に補正することを知らないのか?シェフが自分の舌を鍛えるために、喰い歩くが如く、多くのエンジニアはもっといい音を聞くべきだと思う。落語の音量はとても小さい。けれど、耳がそれに慣れてくる。咳払いさえ、躊躇する。客もある程度の緊張感を強いられる。それゆえ、落とすべきところで「どっかーん」と笑いが起きるんだと俺は思う。日本の小屋の機材は外国のそれに比べれば、とても充実している。けれど、せっかくの使い手があのような仕事をするなら、本末転倒だと、俺は思う。

 過日。其の二。
 再び、ミキシングの合間。NYから来ている友人家族と、浅草に行った。蕎麦を喰った。100点。あぁ、素晴らしきかな、下町の文化。気取らないその雰囲気。客の食べるスピードに合せて、料理を出す、そのタイミング。値段。繰り返すけど、100点。

 本日。ミキシングに没頭。もうすぐ、アルバムは折り返し地点に立つ。

 寝る前に、音楽ライターの松山晋也さんが送ってくれた本「めかくしプレイ」を読んでいる。ミュージック・マガジンの連載をまとめたもの。100人のミュージシャンにブラインドで、松山さんちの膨大なライブラリーから選ばれた曲を聞かせて、その演奏者とタイトルを当てさせる。これが素晴らしく面白い。人選もジャンルも幅広く、ところどころにギャグも散りばめられて、「お、このアルバム買ってみよう」っちゅーディスクガイドとしても面白い。是非。かく云う俺も「めかくしプレイ」されたんだけど、松山さんにすっかり足元見られてるっちゅーか、何っちゅーか、情けない。それは読んでのお楽しみ。例えば、音楽雑誌に誰かのインタビューが載っていたとして、彼等の広告も載っていたとして、何となく「そう云うことか」と醒めてしまうような部分が全くないのが、この本の素晴らしいところだと俺は思う。

by 山口 洋  

おうちロック

2006/08/11, 23:42 | 固定リンク

8月11日 金曜日 晴れ 

 昨日から、アルバムで唯一何も考えずにロッキンできる曲にギターを弾いている。た、楽しい。「最近、どうしてグレッチ弾かないんですか?」といろんな人に云われてたんだが、全然そんな気分になれなかったのだ。でも、ひっさしぶりに何かがこみ上げてきた。今なら剛速球投げられるぜー。だから、弾いた。左のギターはレスポールJrをGチューニングにして。右はグレッチをフルボリュームで。アンプはいつもの古いデラックス・リバーヴ。たぶん俺はキースと一彦と俺を足して3で割ったみたいになってた。あはは。あの、云っとくけど、ここは俺の家なんである。いくら30Wでもうるさいもんはうるさい。いやぁ、でも、エレクトリック・ギターの破壊力って、すごいなぁ。びっくりしたなぁ、もう。惚れ惚れしたぜー。

by 山口 洋  

old guitar

2006/08/10, 23:53 | 固定リンク

8月10日 木曜日 晴れ 

 朝方から、「こりゃ、エレクトリック・ギターだろ?」と脳味噌がそう云うので、うちにある唯一のギブソン、58年製のレスポールJrを引っぱり出してきて、アンプにダイレクトに繋いで弾いた。我ながら、惚れ惚れするくらいいい音だった。思い返すと、自分の音楽にエレクトリック・ギターをダビングしようなんて思ったのは、ほぼ1年振りくらいの衝動だった。

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by 山口 洋  

ありがとう

2006/08/09, 23:22 | 固定リンク

8月9日 水曜日 曇り 

 今日の深夜には、アルバム完成までの「果てしなく長い」道のりのうち、5分の2の地点をようやく通過できそうです。去年の末に、アルバムプロジェクトなる、人に云わせると「無謀な計画」を立ててから、2006年はたとえ何があろうとも、猫まっしぐらにアルバムを完成させること念頭にやってきました。マスタリングが完了する11月の末まで、猫パンチを振り乱しながら、突っ走るつもりでいます。
 これだけのサポートを(本当にみんなの名前をブックレットに載せられるのかっちゅー不安があるくらい)受けて、僕らがやるべきことは、頭蓋に渦巻くものを真っすぐに表現することだと思ってやってきました。時に不安になることもありました。例えば、たまにメディアから流れてくる音楽と、自分たちの目指しているものがまるで違う方向を向いていたりするからです。「時代」を検証することなく、我流で突っ走っていたならともかく、この国の今を出来るだけ見つめた上の結果だったりするので、愕然とすることもありました。けれど、完成する曲が増えてくるにつれ、次第にアルバムの輪郭が浮かび上がってきています。この時代に生きる人々へのサウンドトラック。音楽はバンド史上最高のものに着々と向かっています。それを確信できたことが、とても嬉しかったのです。本当にありがとう。

by 山口 洋  

叶えられた祈り

2006/08/08, 22:56 | 固定リンク

8月8日 火曜日 曇り 

 「カポーティー」という映画が封切られるらしい。観たい。ずっとずっと前から、カポーティーが書くものが好きだったから。才気に溢れ、滅裂にして冷徹。それが彼のパブリックイメージかもしれないけれど、その文章にも行動にも、ひどく心を動かされてきた。中でもとりわけ好きな作品があって、そこからインスパイアされたものを曲にした。もう10年以上も温めていたものだ。
 昨日から今日にかけて、夜を徹して、その曲のミキシングをしていた。それは山梨の山の中で一発録りされたもので、後半に何気なく、俺は口笛を吹いている。ミキシングの最中、そこにジョンの魂が宿っていることにハタと気づいた。そう云えば、魚さんが「この曲って、どうしてもdon't let me downのフレーズを弾きたくなるんだよね」と云ってた。たぶん、ジョンとカポーティーはデッド・パン(相手が笑えないくらいのキツい冗談)を通して、俺の中で繋がってるんだろうね。彼等が与えてくれたものが、永い年月を経て、結実する。不思議なリレーションだけれど、人と人とはそうやって繋がっていくんだと思う。もうすぐ、完成する。早く、みんなに聞かせたい。いい曲だよ。

by 山口 洋  

静寂への賛美歌

2006/08/07, 23:09 | 固定リンク

8月7日 月曜日 晴れ 

 昨日から今日にかけて。NHKで放映された、いくつかのドキュメントを観た。原爆に関するものも、硫黄島で起きたことに関するものも。胸がえぐられるような想いだった。昨日はたった1つの文字も書くことが出来なかった。そして、今日もレバノンとイスラエルの間には砲弾が飛び交っている。
 地下室で、汗をダラダラかきながら、考えていた。自分に出来ることはたったひとつの事でしかない。「静寂への賛美歌」。気持ちを込めて、マンドリンを弾いた。とある曲のミックスに取りかかった。そして同時に新しい曲を書いている。自分が音楽に没頭できることは、何て幸福なんだろう、と思う。

by 山口 洋  

レコーディング

2006/08/05, 22:11 | 固定リンク

8月5日 土曜日 晴れ 

 独り仕事場で歌を歌う。この作業、誰にも見られていないから、余分な力は入らないのだが、今ひとつ緊張感に欠ける。次第に良いのか悪いのか、分からなくなる。あまりにうまく行かなかったら、もうすぐ魚先生の助けを乞おうと思う。
 昼過ぎ。15歳のKと二人でロックンロールしに、スタジオに行く。奴がテレキャスター、俺がドラムっつー布陣。俺は極悪な事ばかり奴に教えてる気がしないでもないが、喜々としてギターをかき鳴らしてる奴を見てると、俺も幸福になる。そ、何も考えず身体で音楽をやるのがよろし。ガラスの向こうに気配を感じたから、見やると渡辺某と池畑さんがそこに。はは、そんな事なら一緒にセッションしてもらえば良かった。
 家に帰り、今度は作曲作業。相変わらず、一日中、音楽にまみれているのだった。アーメン。

by 山口 洋  

友と語ること

2006/08/04, 23:52 | 固定リンク

8月4日 金曜日 晴れ 

 たまに、心がもう持ちこたえられなくなることがある。鏡を見ると、目に光がなくなっている。そんな時は意地を張らず、信頼できる友人にありのままを話す。愚痴と云うよりは流れ出てくるままに吐露する。これまでの経験から、九州人にありがちな、「そんな事、人に云えるかい」っつー感じで、自分の中に溜め込んでいると、いつか自分が壊れることを知っている。自分を客観的に見れてるうちは、まだ戻ることができる。こうなるにはどこかに理由がある。友人と、その原因の場所まで下りていく。原因を見つけたら、複雑にこんがらがった糸をほどいていく。自分で自分を追いつめてた事が分かる。涙が出てくるんだったら、泣けばいい。let it be。すべてあるがままに。簡単な事じゃないけど、すっと心が軽くなる。
 新しい音楽を創ることは、深い深い暗闇に自らの意思で入っていくことでもある。体力がなければ、帰ってこれなくなることがある。その世界では「わずかな光」でさえ、眩しく見える。それをじっくり観察して、また地上に戻ってくる。しんどい作業だけれど、仕方がない、と思う。フィジカルとメンタル。そのバランスが崩れていたなら、望んでいる音は鳴り響かない。
 今宵は友人と互いの父親について沢山話した。俺の父親は数学者だった。こう書くと、アカデミックに捉えられがちだけど、そうじゃなくて、あり得ないくらいまっすぐな求道者だったと書くのが、正しいと思う。残念ながら、俺にはその手の才能がまったくなかった。彼は6次元を研究していた。4次元までは何となく理解できる。でもその先は何度説明を受けても、俺には理解不能。ある日、機嫌の良かった彼は息子に「相対性理論」を教えてくれた。かの有名な「e=mc2」。たぶん、いろんな例を用いて、分かりやすく説明してくれた。「おおーーっ」と俺はかんどーした。すげぇ、宇宙とか人生とか、過去とか現在とか、目の前で起きていること、とか。全部これで説明できるんだ、と。翌日、俺は学校に行って、友達にその凄さを説明しようとした。けれど、俺の頭の中には何も残っていなかった。つまりは理解していなかったのだ。
 彼は死んで、俺はミュージシャンになった。自分と自分の外側に、2つの宇宙があるのを感じる。その間を繋いでるイタコみたいだと、自分で思うことがある。随分遠回りしたけど、友人と話していて、俺が求めているものは父親が随分前に教えてくれた「相対性理論」にかなり似てることに気づいた。ちゃんと説明できないんだけど、確実にそこにある何か。曖昧模糊としながらも、そこにある何か。「わずかな光」。意味もなく、おおっーーーー、と思った後で、すっと心が軽くなってることに気づく。たぶん、それでいいんだよ。へべれけになりながら、俺は友人と、父親と確かな愛に感謝する。明日はがんばらないことをがんばりながら、また道を行こうと思う。

by 山口 洋  

セミが鳴いた日

2006/08/02, 23:58 | 固定リンク

8月2日 水曜日 晴れ 

 完全に昼夜が逆転してる俺の毎日。一応、朝方目が覚めて(っつーか、寝るのが「朝」なんだけど)、今日こそは生活を逆転させてやると、根性出して起きるのだが、ソファーで新聞を読んでるうちに、TKO負けを喫するのが常。
 で、今日も昼に目覚めた。「みんみんみー」と嬉しい声。セミが鳴いてる。たった一匹だけど。嬉しかったなぁ。昨日、セミを語ったら、こんなサイトを紹介された。目黒寄生虫館(本当に寄生虫に愛のある館です。決してグロくないので、興味のある方は是非)といい、このサイトと云い、何かに熱中するってことはそれだけで人をカンドーに導くものです。この人、本当にセミが好きなんだろうなぁ。
http://homepage2.nifty.com/saisho/Zikade.html

 さて、俺は地下に戻って、昼間はレコーディング、夜は曲を書くっちゅー日々です。アルバムプロジェクト。一年がかりとは云え、遊んでる暇はないのです。今年の1月に録音したリズムトラックにようやく着手しました。スタジオに行くのも面倒なので、今日はここで歌を歌います。最近は、後から歌を録音することは殆どありません。レコーディングで何が嫌いって、後から歌を歌うこと。孤独です。気が滅入ります。魚先生といろいろ試してみた結果、リズムセクションが本気で演奏してる時、ピークに達しそうになったら、俺も同時に本気で歌う。多少ヘクっていても、一切修正しない。それがヒートウェイヴには一番合ってることに気づいたのです。とはいえ、稀にこうやって後から歌わなければいけない曲もあります。それはそれはさびしー作業なので、
深く考えるのはやめて、とっとと録ります。

 夜。作曲活動。煮詰まると、ノックバットをブンブン振ります。それもまた哀しい光景ではあります。

by 山口 洋  

セミが居ない夏

2006/08/01, 19:35 | 固定リンク

8月1日 火曜日 曇り 

 8月。盛夏。
 俺がずっと地下に居たせいもあるけれど、実のところ今年、まだ夏を感じたことはない。梅雨も未だ体験したことのない長くて暗いものだったし。
 はたと気づいた。今年、俺はまだセミの声を聞いていない。俺がガキだった頃なんて、この時期になると、朝、セミが「あぢーーーーっ」と一斉に大合唱を始めるので、寝ていられなかった。「貴様ら、皆殺しにするぞ!」ちゅーくらいうるさくて、でもそんな事できるわけなくて、耐えられなくて、海に行って泳ぐ。それが盆までのありがちな一日。バンドを始めてからも、俺たちのスタジオには壁にメンバー分の水中マスクとシュノーケルがあった。渡辺君はウニの密猟をさせたら、天下一品。俺はそれを水中で集める係。そうやって飢えをしのいだっつー、ウソのような本当の話。俺たちの海は岩場で、さぶんと飛び込むと、既に水深5メートルはあった。セミの声と、夏草の焦げる匂いと、目の前に拓ける海は3点セットで俺の夏。セミの成虫としての一生は一週間あまりだと聞く。だから、彼等も「咲きどころ」を地中でいろいろ考えてるんだと思うけど、早くしないと、夏終わっちゃうよ。っつーか、早く出てきてね、セミさん、セミさん。俺は寂しい。
 大学を出て、「造り酒屋のラベルデザイナー兼配達係」っちゅーバイトをしてた時期がある。遠くまでトラックで配達に行って、昼頃に河原で弁当を喰いながら、NHKのAMラジオを聞く(昔のトラックにFMなんてついてなかったのよ)。各地の農林通信員みたいな特派員が、それぞれの夏を伝えてくれる。沖縄がギンギンに夏の時、北海道の人は長袖を着てたりする。俺は遠くに想いを馳せて、詩を書いたりする。いい番組だったなぁ。その頃の俺の夢は「新日本紀行」のテーマを作曲することだった。
 外国に居る知人に、「日本の夏が恋しくなったら、夏っちゅー歌、ききなよ」とメールを書いた手前、どんな曲だったっけ、と自分で聞いてみたら、ものの見事に、「あの夏」が蘇ってきた。音楽って不思議なもんだね。レコーディングしたのは、ずっと後だけれど、書いたのは俺が22歳の頃だった。何だか、知ってる人のようで他人のような不思議な気分になる。たまには、いいもんだね。

 昨夜、ようやく曲を書き上げた。本日、依頼主に渡した。気に入ってくれて、俺も嬉しい。何だか、難産の末に生まれた曲だったんで、しばらく時間を置いたら、俺も歌ってみようと思ってる。でもって、もう1曲のオファー。あぁ、これでちょっとだけ夏を感じられると思った俺が甘かった。また地下に逆戻り。嗚呼、セミが居ない夏。

by 山口 洋  
- end -