春の匂い

2007/02/28, 16:53 | 固定リンク

2月28日 水曜日 晴れ 

 春の匂いがするね。
 
 テクノロジーが進歩して、安価に何でもできる時代になった。デザイナーに会えば「近頃、何ちゃってデザイナーが増えてね」と嘆きの声。映像作家に会えば、「何ちゃって監督が増えてね」と。かく云う俺も、テクノロジーの恩恵に預かっている訳だから、「何ちゃってエンジニア」にならないように気をつけてはいるが、真偽のほどは?な訳で。ならば、プロフェッショナルなエンジニアより自分が勝っている場面とは何か?それは自分の音楽に対するヴィジョンと情熱だけだと思う。ミキシングの作業を俺がもし名だたるスタジオでやったなら、それはアルバムプロジェクトの即崩壊を意味する。単に経費の面だけでも。確かに見えている風景がある。それを人に伝えたい。だから、主観と客観の狭間で粛々とそこに近づいていくしかない。記すと、簡単。でも、あまり人に勧められない。時に気が触れそうになることがある。音楽を貫く背骨を見失うことなく、細々に渡ることの積み重ねで、そこに到達する訳で。本当のところは何年も経過してみなければ分からない。嗚呼。

 昨夜、とあるドキュメントを見た。あるバンドを一年ほど追いかけているものだった。そういえば、ウチもそうじゃん。確かに美しい風景もある。ただ、何も映ってはいなかった。途中からイライラしてきた。音楽でさえ、不快に思い始めた。俺にとって、その作品は「何ちゃって」の極北に位置するものだった。でも、それは高い評価を受けているんだと。ふーん、そうなんだ。だとするなら、それと自分の考えとはあまりに異なる。時代がそれを求めているとしても、そこが相容れないのは仕方ない。

 春の匂いがするね。

 創作からの逃避。靴を磨いた。逃避その2。地下の仕事場を抜け出して、2階で詩を書いている。風が舞っている。

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by 山口 洋  

レングス

2007/02/27, 17:58 | 固定リンク

2月27日 火曜日 晴れ 

 個人的には、だけれど、ジェリー・ガルシア・バンドがディランの「Simple twist of fate」みたいな曲を10分以上延々と演奏しているのを聞いてるのが好きだ。インプロヴァイズされたものの中には、程よい緊張とほころびがある。そこに自分の日々を重ねるのは悪くない。だから、再び個人的には、だけれど、ドナルド・フェイゲンの素晴らしく構築された音楽を聞いていると息苦しくなることがある。ジョナサン・リッチマンの音楽はある程度構築されていて、曲は短いけれど、オケがスカスカだ。だから、そこに身を委ねる隙間がある。「Land of music」はその微妙なラインをよくよく考えて作ったつもりだし、都会でも田舎でも世界中どこでも響くようにと思っていたが、まだちょっとクドいかもという反省はある。何にせよ、どんな場所であれ、自分の内なる宇宙に入っていくための、あるいはそこから外界に出ていくためのサウンドトラックになればと願ってはいる。

 博識な人物から教えられたことで、この時代、着うた(やったことないから、それがどんなものなのか俺は知らないけど)と云うものがシングルの役目を果たしつつあるのだと。約1分以上の音楽はユーザーに受け入れられないのだと。あはは、そうですか。そういう時代なのかもしれんね。
 そう考えて、自分の作ったものを振り返ると、Aメロに辿り着くまでに、「助走」のようなイントロが曲によっては2段階あるので、平均して歌に入るまで40秒くらいを要する。90年代に作ったものなんて、イントロ3分、みたいな曲もある。あはは、だめじゃん。それでも、大抵ミックスの際に、イントロはエディットしてるのだ。バッサリと不要だと思える部分はカットしてる。
 随分前にサントラを合計3枚分作った。その際に学んだことは、それらの音楽はどれだけ早く聞き手にその「主眼」を届けるかってことだった。だから、曲は短い。
 今誰かに曲を書く時、豪勢なデモは作らない。イントロはほぼない。1分は無理だけれど、1分20秒で「主眼」に達することを心がけてる。でも、自分のライヴじゃ、曲によっては同じコードを繰り返して、延々と循環しながらインプロヴァイズされた演奏をする。つまり、両極にあるように思える「レングス」についての思考は同じことだと思えるようになった。30秒で伝えられない者に10分の演奏は出来ない。その触れ幅の中で、考えていけば、「レングス」とはある意味「流行」のようなものであって、ある程度意識したなら、主眼に重きを置いていればいいんじゃないか、と思うのだ。
 なんて事を考えつつ、詩作は混迷を深めたまま。裏庭には使えないことばの屍が溜まっていくだけ。でもね、そこからきっと浮かび上がってくるんだと思う。平たい言葉が。それは無駄な作業じゃないと思って、今日もコンピュータに向かってる。アーメン。

追伸
 キーラの新作にギターを弾いてくれ、とファイルが届く。曲とそこに込められた思いを勝手に受け取って、「分かった、やってみるよ」と返事を書く。書いたあとで、「えっと、これって契約どうすりゃいいんだ?」と思うのだが、着うたの一方で、こうやって海を超えてやり取り出来るっちゅーテクノロジーの恩恵も受けてんだなぁ、と。1分20秒からアイルランドの暴走族についての曲から、自分の音楽まで。もうborderって言葉も死語かもしれんね。

by 山口 洋  

牛乳とウコン粒

2007/02/26, 22:08 | 固定リンク

2月26日 月曜日 晴れ 

 牛乳とウコン粒を飲んでまで、酒場に行く必要があるのか?答えは否。でも、人間は24時間考えてる訳にはいかん。テーマがデカければデカいほど、思考の入り口に立つのには時間がかかる。書けずに戻ってくるには徒労感がつきまとう。ままよ、今夜も行くか、と。ブラックホールに吸い込まれる。放っておいてくれる処が好きだ。うっとうしくなってくると河岸を変える。ある一定の量を超えると、何処までも飲めると云う悪癖がやってくる。嗚呼、そういえば、プロフェッサー・ロングヘアーがかかってたなぁ。いい店だったなぁ。でも、俺も大人だ。さあ、帰るか。そんな日々です。

by 山口 洋  

病葉

2007/02/25, 16:20 | 固定リンク

2月25日 日曜日 晴れ 病葉

 昭和82年の作詞作業に取りかかった。ipodに記録された「その岩」が語った言葉を咀嚼する。考えすぎて、分からなくなったら、ほぼ毎晩夜の街で酒と共にその世界に沈没する。昭和82年と俺の間には「団塊の世代」ってものが横たわっている。この世代については書きたいことが山ほどある。でも、今はそれを自分の中にとどめておいて、発酵してくるのを待つことにする。ただ、大量の人間が定年を迎えて、マーケットが拡大する、とか、セカンドライフを田舎で、なんて言葉を聞くとき、ふつふつとわき上がってくるものがある。
 昭和82年氏は「病葉」と云う言葉を使った。今までに聞いたこともなかった。「諦めとはある種のespoirである」。病葉はもっとサイクルの大きな再生について考えるべきである。うーん。
 書いたこともないようなでかいテーマを平たい言葉で。そこに辿りつくまで、コンピュータには永遠に文字が刻まれる。その道のりは平坦ではないけれど、実りがある。何故なら、それはある種の「復讐」でもあり、自分について考えることでもあるからだ。「病葉」が朽ちて、次の世代のジェネレーションのための寝床になるのであれば、それもまた大きな再生だと思うのだ。

 かつて、この国は大家族だった。高度成長と共に、核家族化した。付き合いは途絶えた。老人たちが尊敬されにくい世の中になり、ある種の知恵は伝承されることなく死に絶えた。街の風景は効率化を優先するあまり、サイディングと看板に埋め尽くされ、財産を守るためにセキュリティーが強化される。都会はアスファルトで埋め尽くされて、呼吸を停止。だから、地下に動脈を作る。一握りの富裕層が沈黙の塔に住み、人の心は金で買えるとうそぶく。金利は殆どなく、仕方なく国債を買って、国の借金を増やし、自分の首を真綿で絞め、その国債はアメリカの国債を買い、その金でかの国はミサイルを作る。大家族時代、ある種の家には「奥の院」のようなものがあった。そこにはいろんな意味で障害のある人が住んでいたりした。いや、住む場所があったとも云える。たとえば犬神家の助清のような。そのような人物は確率的に必ず生まれる。この時代、共生するにはどうしたらいい?俺の場合、分かりやすく目につく障害がないだけの事で、自分がまともだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。だから、歌を書いている。

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by 山口 洋  

飛ぶための羽根

2007/02/22, 18:17 | 固定リンク

2月23日 木曜日 天候不明 

 何だかんだと凄まじい勢いで日々は過ぎてゆくのです。モーレツに疲労が蓄積していたので、寝ました。とにも、かくにも寝ました。頭が痛くなるくらい寝て、結局音楽に復帰しました。昭和82年の作曲の続きです。昨夜、とある人物と話をして、普遍的なメロディーっちゅーもんが、過剰でも不足でもない「絶妙な位置」に落ちていることを学びました。また、やり直しです。普段自分の曲ではここまで詰めることがないから、この作業が俺にもたらしているものは大きいのです。長い間、音楽と携わることで、無意味なプレッシャーを取り除くことが出来るようなりました。「音と戯れる」。難儀な道だけれど、ようやくその入り口まで来たのかな、と頭痛と共に感じるこの頃です。

 はて、さて。ここからは羽根の話。
 もうずっと前の事だけれど、この国で音楽をやって生きていくことに辟易としていた時期がありました。世の中はバブル。でもどうしても、その考えについていけない。そんな時にネイティヴ・アメリカンについて書かれた本を読みました。目から全面的に鱗。「そっか、こんな生き方があるのか」。それからは日本語で書かれたそれらの本をよみあさり、じっとして居られなくなって、彼の地に何度も足を運び、現実と矛盾と色褪せない理念を学び、ヴィジョンクエストと云う「割礼」のような儀式もし、(中略)今に至ります。
 以来、ずっと僕の首には羽根がぶら下がっています。酔っ払うと、すぐ人にあげる癖があるので、もう何代目か不明ですが、風呂に入る時も、演奏する時も、眠る時も、ずっとぶら下がっています。装飾品を身につけるのはあまり好きではないのですが、これだけはもう身体の一部と化してしまったのです。生きていると、訳が分からなくなることがある。でも、これを見ると、あの「色褪せない理念」に立ち返ることができる。僕にとっては子供の頃から夢想してきた、飛ぶための羽根なのです。
 そんなに好きなら、作ればいいじゃん、とウチのスタッフであるチビが申しました。奴がヒートウェイヴの音楽の作り方に賛同してくれるジュエリー・ショップを探してきてくれました、俺はまだ行ったことがないけれど、話を聞く限り、その方のモノ作りの理念は素晴らしいものでした。羽根の裏側にひっそりと「espoir」と記してあるなら、そりゃ素敵だ、と思うのです。話が具体的になったら、またアナウンスします。

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by 山口 洋  

スコア・スコア・スコア

2007/02/21, 18:38 | 固定リンク

2月21日 水曜日 曇り 

 都内某スタジオ。某サウンドトラックのレコーディング。セッション前に譜面が配られた。10曲。ぐえっ。これだけの長きに渡って、ミュージシャン稼業を続けておきながら、俺は譜面アレルギーなのだ。一度は勉強しようと思ったことがある。でも、どうしてもおたまじゃくしと音楽が結びつかなかったので、バンザイした。その代わり、一回聴かせてもらったなら反応できる能力は身につけた(と思う)。
 うちの音楽にホーンとかストリングスがあまり入っていないのは、現場で何度か「こんなフレーズ弾けねぇよ」と云われて、トラウマになったからである。すべてのミュージシャンがこの手をいぢわるをする訳じゃないが、頭の中に鳴っている音を譜面のないまま、口伝えすると、時々この手の失敗をやらかすことになる。嗚呼。
 それにしても、背後で池畑さんが叩いてるってことは、小舟からタンカーに乗り移ったみたいな安心感があるもんです。どうにかこうにか1度のミスで切り抜けたけど、普段あまりしない類いのキンチョー(カタカナだな)をしました。うぐぅ。じゃ、夜の街に打ち合わせしに行ってきます。

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by 山口 洋  

うぐぅ

2007/02/20, 18:36 | 固定リンク

2月20日 火曜日 天候不明 。

 明日はレコーディングなんである。10曲ギターを弾いて欲しいと。映画のサントラだって聞いたけど、つくづく自分の音楽のやり方はヴィジュアルなんだなぁと。風景が頭の中に見えてこないと、何をどうしたらいいのか、まるでアイデアが湧いてこない。これもまたひとつの経験だね。何年か前にサントラを二枚作った。その時にあったものは「形容詞」だけが記された紙一枚だった。「主人公、哀しむ」みたいな。あまりにもシュールなリクエストだったけど、それはそれで愉しい作業だったし、テレビから時々流れてくるのも嬉しいし、好き放題にやらせてもらったし、監督がとても好きな人物だったし。ま、これも経験ってことで。うぐぅ。

by 山口 洋  

春だったんだね、広島2007。そして箸のない駅弁。

2007/02/19, 23:27 | 固定リンク

2月19日 月曜日 晴れ 

 飲み過ぎた。ホテルで無情の目覚ましが鳴った。「ここは何処?私は誰?今日は何をすればいいの(おねぇチックに)?」。自問してやっと気付いた。俺は広島に行くのだった。今日一日の行程をぐちってもいいかい?金沢ー京都ー広島ー福山ー岡山ー東京っちゅーあり得ない行程なのだった。アーメン。
 どうやって広島に辿り着いたのか、まるで記憶なし。多分、乗り換えたんだが、記憶なし。車中、気絶。広島は春の匂いがしたよ。FM広島で生放送に出て、ボンバー石井の番組で奴のマーチンを借りて歌い、RCCの大好きな番組に出て、福山に立ち寄って取材。あ、一瞬だけどポレポレにも行ったよ。昨日は藤井一彦が福山の夜を熱くしてたんだそうな。
 考えてみると、ちゃんと食事をしていなかった。やっと食欲が出てきて、帰りの新幹線で喰おうと張り切って駅弁を買ったら、箸が入っていなかった。俺の哀しみ、分かってくれるかい?どうやって揺れる「のぞみ」の中でそれを喰ったかは、イマジンしてくれ。

 「land of music」のプロモーションは多くの友人達によって支えられています。行程はしんどかったりするけれど、メジャーレーベルに居た時よりも、取材の数は増えている気がします。それらの気持ちに応えるべく、伝えたいことを伝えていきます。本当にありがとう。箸のない男から愛を込めて。

by 山口 洋  

メロメロ炎上

2007/02/18, 23:26 | 固定リンク

2月18日 日曜日 天候失念 

 金沢だ。メロメロポッチだ。
 池畑さんと俺のデビューステージ。とは云え、我々が事前にリハーサルをするはずもなく。生ギターVS生ドラム。PAを通過しているのは俺の声と生ギタ−のみ。客席は池畑さんの生音を聴いているという(実際、池畑さんの50cm隣にお客さんが)大都市じゃ考えられない素晴らしい状況。確かにほころびたりする場面もあるけれど、素晴らしいドラマーと演奏するってことはかけがえのない悦びなんである。昔、ジョナサン・リッチマンとやらせてもらった時に、ガットギターとカクテルドラムっつー素晴らしい組み合わせだったんだが、いつか俺もやってみたいと思ってた夢が叶った。嗚呼、幸福。
 トンガ帰りの青年が作るトンガ料理(絶品!)を喰らって、杉野清隆君やTAKUさんと共に夜の2ステージ目に突入。

 これで俺と渡辺某、俺と魚、俺と池畑さん、俺と池畑さんと渡辺某、俺と魚と池畑さんっちゅー全ての組み合わせでライヴをやったことになる。それぞれに違っていてとても面白い。今後もいろいろやってみるから、楽しみにしといてね。
 素晴らしい空間にはそこの神様が棲んでいる。何曲か演奏してると、それが降りてくる。後は流れに身を任せるだけ。メロメロポッチは確かにひとつの文化だと俺は思う。ありがとう。多謝&再見。

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by 山口 洋  

旋律と戦慄

2007/02/17, 23:43 | 固定リンク

2月17日 土曜日 雨 

 人に曲を書くってことは、曖昧な旋律ってもんが許されない訳で、3日間唸り続けて、アドヴァイスも受けて、辿り着いたところは、最初に書いたものと音符にして、16小節で15くらいしか変わらないものだった。考えてみれば、自分が歌うために書いてるもんは、そこまで詰めてやらないので、1番と2番のメロディーが違うなんてことはざらにあって、時々レコード会社のデイレクターに「山口君、メロディー1番と違うけど?」なんてことを云われて、「何か問題あんの?」と嘯いていた自分を今頃になって反省したりする。that's日本的と云えばそのままだけれど、この作業から自分の曲にフィードバックされるものは大きい。もしこれに歌詞を書くことになったら、メロディーと言葉数をびったり合わせてみようと思うが、お前いったい何年曲書いとるんじゃ、まったく。旋律の戦慄。おぎゃー。

 外は雨。暖かくなったり、急に寒くなったり。この惑星はどんどんおかしくなってる気がする。九州じゃ、花が狂い咲いてると云うし。ゴアさんじゃないけど、ひとりひとりに出来ることはあると思うんだ。山で暮らしていると、燃えるゴミも燃やせない(あまりに近所に民家がないので、まるでノロシを上げてるみたいにすぐバレる)し、燃えないゴミは捨てるところがないし、まったくこの国の過剰包装もええ加減にせぇ、と云いたくなる。その前に俺の場合、この机の上にある無糖缶コーヒーから始めよう。今日は13本もある。狂ってる。

 明日は金沢。池畑さんと俺っちゅー、初めての組み合わせです。どうなるのか、俺にも分からんとです。俺も愉しみにしています。明後日は広島にプロモーションに行っております。それじゃぁ、何処かの空の下で。

by 山口 洋  

昭和82年のメロディー

2007/02/16, 23:29 | 固定リンク

2月16日 金曜日 晴れ 

 昭和82年のメロディーを探して、思案の池に沈む。ずっと考えている。どんなにハイテックな機器を持っていても、考える時に必要なものは、複数のカセットテープレコーダーとメトロノームと無糖缶コーヒーとipod、それにマーチンのD-28だけ。机の隅に適当に乗っかった、それらに向かって、池に舞い落ちる木の葉を探す日々。色気なし。

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by 山口 洋  

主観、即ち、客観。

2007/02/15, 22:29 | 固定リンク

2月15日 木曜日 晴れ 

 昨夜の最終便で東京に戻り、ホンジツ、岩のような魂に会う。アゲイン。
 「主観、即ち、客観」。その岩が語った言葉。やろうとして、出来なかったことは、すべてこの言葉の中にあった。感服。表現者のおそらくすべてブチ当たるであろう命題を、このように言語化されると、ちょっとだけ目眩がして、受け止めるには咀嚼の時間が必要になる。

by 山口 洋  

命の灯

2007/02/14, 23:44 | 固定リンク

2月14日 水曜日 曇り 

 引き続き、故郷にて渡辺某とプロモーション。福岡滞在中、せっかく生放送が4本もあったのに、サイトにアナウンスがなかったみたいで、申し訳ない。とにもかくにも、九州地区のみなさん、イベンター「つくす」の魂のプロモーション、何かが伝わったなら、4/17の福岡のライヴに是非、足を運んで下さい。

 昨夜、友人の父上の訃報が届いた。父上の職場は俺の親父と同じで、かかっていた病院が俺の母親と同じ、そして放蕩息子どもは同じく東京に住んで音楽を愛しながらも、故郷の事を気にかけていた。だから、ずっと気になっていた。亡くなって、初めてお会いするのは切なかった。でも誤解を怖れずに書けば、お会いできて良かった。その穏やかな表情の中から、言葉にはできないものを沢山受け取った。
 滞在中、友人の命日とも重なったが、行けなかった。だから、せめてプロモーションの合間に自分の家の墓に寄って、いろんな事をお願いしてきた。「亡くなった人は光になって、それぞれの家族を見守っている」。誰かが教えてくれた通りだと、俺も思うから。

by 山口 洋  

フルージア

2007/02/13, 22:00 | 固定リンク

2月13日 火曜日 晴れ 

 故郷にて。実にデビュー以来だと思うけど、渡辺某と二人してのプロモーション。ラジオとかテレビとかwebとか、いろいろ。本日の白眉は生放送の最後の場面で奴が放った曲フリ「それでは、ヒートウェイヴの新しいアルバムLand of musicから聞いてください、フルージア!」。素晴らしい。

by 山口 洋  

福岡にて

2007/02/12, 19:04 | 固定リンク

2月12日 月曜日 晴れ 

 日本晴れ。
 故郷にて、いくつかの取材と、インストアライヴを渡辺某と共に。九州は気持ちが楽になる場所。当たり前か。昨日ですっかり肩の力が抜けたから、のびのびと演奏した。受けた取材も、宮崎や北九州と云う、遠い場所からわざわざやってきてくれたものだったので、これを期に九州全県を渡辺某と廻ってみようか、なんて事を考えたりしています。明日からも引き続き福岡に滞在して、アルバムを伝えるためのプロモーションをやっています。多分サイトの更新が間に合っていないと思うけど、明日はごきげんなDJ、ブッチ氏と斉藤フミちゃんの番組(FM福岡)に出てることは確かだと思います。仕事の合間に聴いて下さい。じゃ、美味いもの喰ってきます。

by 山口 洋  

久留米にて

2007/02/11, 23:32 | 固定リンク

2月11日 日曜日 晴れ 

 久留米。小学校に上がるまで、この街に住んでいた。記憶とは自分勝手に改ざんしてしまうものだとしても、あちこちにそれと合致する名残りが残っていた。
幼い頃は小さな街そのものが「世界」のすべてだった。だから、こうやって大人になって見つめてみると、随分遠くまで来たなぁ、なんてことを思ったりする。渡辺某とは長い付き合いになるが、こうして二人きりでライヴをやるのは初めてかもしれない。古い故郷にその音は響き合って、不思議な感慨と共に、ステージに立っていた。愉しんでくれたかい?来てくれて、ありがとう。4/17は福岡でバンドのライヴです。また今日とは違う風景を味わいに来て下さい。

by 山口 洋  

徒然

2007/02/10, 22:01 | 固定リンク

2月10日 土曜日 天候不明 

 お腹すいた、と俺が申した。思い返せば、日々の中で餌のようなものばかり喰っていた。昨夜、やっと時間を見つけて、某駅で食したものは「そば」ではなく「餌」そのものだった。美食の趣味はないけれど、心のこもったものを喰ってないと病気になるぜ、と俺の身体が申した。案の定、発熱。人間は喰ったもので出来ている。足りなかったものは心が作った食事だった。解熱と共に唸りながら、喰いたいものを夢想したら、なんてことはない、白いご飯と、味噌汁と、海苔と、卵焼きと、野沢菜だった。つまんない夢だ。でも、それ以上のものは何も望んではいなかった。そう云えば、美食家のSちゃんに、京都で上記のメニューだけを店に置いている処に連れて行ってもらったことがある。驚愕の味だった。簡素でいて、深かった。Sちゃんと俺には共通の友人が居て、さよならを云う時間もなく逝ってしまった。それがずっと心に引っかかっていた。無情だとは思うけれど、俺にはどうすることもできん。ならば、質素だけれど、心のこもった美味いもんを喰うことを心がけよう。面倒なこと、山ほどあるけど、歌い続けよう、とそう思うのだった。
 明日からは我がハートランド九州に戻る。いい音楽やって、美味い酒飲もう。うまく循環すれば、それが元気の源になる気がするから。

by 山口 洋  

仙台にて

2007/02/09, 23:39 | 固定リンク

2月9日 金曜日 曇り 

 仙台にてプロモーション。協力してくれた多くの人々、本当にありがとう。寒い中、足を運んでくれた人たち、ありがとう。今年中に、必ず戻ってきます。多謝&再見。

by 山口 洋  

2007/02/08, 23:29 | 固定リンク

2月8日 木曜日 晴れ 

 どれだけ友人が居たとしても、親友と呼べる関係はそうあるもんじゃない。そのうちのひとり。滅多に会わないのだけれど、奴は絵描き。14歳の誕生日に俺にギターを教えてくれたのは奴で、俺は絵を描くことを伝えた。そのうち互いの才能は交錯して、奴は絵描きに、俺はミュージシャンになった。空白の時間は互いの作品が埋める。そうやって、俺たちは30年近くの時間を過ごしてきた。
 新しいアルバムを聞いたと、手紙がきた。世知辛い日々に、その内容がどれだけ嬉しかったことか。自分たちが作ったものが、人々の日々にどんな風に響いているのか、本当のところは分からない。だから、制作中に迷ったときには、願わくばあいつの日々に響くように、とか思ったりする。いつまでも俺は俺で、奴は奴のままなのだろうけど、心のままに書いてくれたその気持ちが嬉しかった。本当に嬉しかった。

by 山口 洋  

いろんな形

2007/02/06, 23:35 | 固定リンク

2月6日 火曜日 晴れ 

 えっと、俺。引き続き全国をプロモーションで廻っるっちゅー日々です。週末は仙台に、日曜日からは九州に行きます。先日の大阪での「渡辺圭一拉致インストア・ライヴ」ではいろんな発見をしました。あたり前と云えば、それまでなんだけど、俺と奴が二人で演奏すると、初期ヒートウェイヴのタイム感が蘇ってくると云うか、何と云うか。神戸でのトリオは魚さん不在で空いたスペースをどのように使うかってことを学びました。なので、ツアーに到るまでに、いろんな事を試してみようと思っています。
 久留米(俺、小学校上がるまでこの街に住んでた)では、玄界灘に育まれた「九州タイム感」みたいなものを楽しんで下さい。金沢では池畑さんと俺っちゅー、これまた初めての組みあわせ。どうなるのか、まったく不明なところにワクワクしてます。願わくば魚先生ともどこかで演りたかったんだけど。

by 山口 洋  

続・大阪にて

2007/02/05, 23:29 | 固定リンク

2月5日 月曜日 晴れ 

 大阪のFM802でいくつかの番組の収録。その美しいDJ嬢にはずっと前に会ったことがある。多分。でも、ブースの中で彼女を前に、真っ昼間の番組でイケてない主人公の歌を歌うのは照れる。恥ずかしいんだってば。いくら無駄に芸歴が長いと云えど。でもそんな機会を与えてくれてありがとう。家事に忙しい人とか、営業中のサラリーマン氏なんかが、これを聞いてライヴに足を運んでくれたら本望だ。続いてのDJ氏は俺がバンドを始めた年に生まれた青年だった。軽く目眩を覚えたが、知らないことを知ったフリをしないところが好きだった。ちわきさんの番組はコメントでの出演だったけど、俺、飲み過ぎると今でも哀しみの河を渡りますから。意味不明。ありがとう。大阪。またバナナホールに戻れて、俺は嬉しい。だから、4月のツアーには「また今度」じゃなく、足を運んで欲しい。番組でも云ったけど、あのハコは大阪の音楽を育んできた。ミュージシャンも「明日はバナナ」と話しただけで、いいライヴをやることが決まったようなもんだったのだ。機材もスーパー素晴らしいものじゃないけど、いい音なんだよ、あのハコは。つまりそれが文化なんだと、俺は思うんだ。店の人の想いや多くのミュージシャンの汗を涙がしみ込んでる。新しいハコがどんなに大金をかけても出ない音ってもんがあるのさ。じゃ、待ってるぜ。

by 山口 洋  

大阪にて

2007/02/04, 23:41 | 固定リンク

2月4日 日曜日 晴れ 

 神戸で渡辺某を拉致して、大阪にてインストア・イベント。新しい曲は既に昨日とは違うものになっていた。ギターとベースと云う、普段ほとんどやらない組み合わせだったけれど、いくつかの発見をした。久留米のライヴはこの組み合わせ、金沢は池畑さんと俺っちゅー、初めての組み合わせ。何ひとつ同じにはならないと思うから、是非、来て下さい。
 渡辺某は九州へ、スタッフは東京へ。俺は明日、大阪でキャンペーン。一人で大阪に残留中。

by 山口 洋  

神戸にて

2007/02/03, 23:40 | 固定リンク

2月3日 土曜日 曇り 

 神戸でグルーヴァーズとライヴ。彼等が楽器車を走らせて、独自の轟音を神戸に響かせているのはまさにプロの姿だったし、我々が会場でバンドのメンバーに新年の挨拶(2月だよ)をしつつ、限りなく少ない楽器で演奏してるのも、ひとつのあり方だと思えた。そんな意味で、同じトリオとは云え、いろんな表現の方法があることを伝えられたんじゃないか、と思う。新しい曲は未だ途上の道。けれど、人前で演奏して初めて分かることがある。これから俺たちはいろんな形でフレキシブルに旅を続けて、4月のツアーに臨みたいと思っています。
 一彦のロックジェットを借りて、何曲か一緒に演奏した。痛快なロックンロールをいいバンドと演奏してるのは愉しかった。ありがとう。

by 山口 洋  

the Circle

2007/02/02, 23:45 | 固定リンク

2月2日 金曜日 晴れ

 都内スタジオ。某氏とレコーディング。プロジェクトの詳細については言及する立場にないから、記さないけれど、彼がこの時代と向き合う姿勢が、一世代若い我々よりも遥かに前を行っていることに強烈に胸うたれる。もちろん云うまでもなく、その音楽に込められた想いをも含めて。
 思い返せば、90年代初頭。初めて彼の仕事場を訪ねた。かねてから気になっていたロバート・フロストについて彼に質問した。すると「じゃぁ、調べてあげよう」とマッキントッシュのキーを叩き始めた。それは俺が初めてインターネットを直に観た瞬間だった。かなり驚いた。これで図書館通いから解放される。そう思って、俺も即座に購入した経緯がある。早かったのだ。あまりにも。
 帰りしな、ロバート・フロストについて書いた作家にそのいきさつを電話で伝えた。こんな風に長い時間をかけて、どこかで何かが繋がっていくこと、テクノロジーは使いようだと思うこと、想いはいつか円環を描く(かもしれない)こと。それって「united」って言葉の本当の意味だよね、と話した。

by 山口 洋  

music

2007/02/01, 22:46 | 固定リンク

2月1日 木曜日 晴れ 

 哀しみの河が酒で決壊したり、複数のあまりにも異なる音楽のことを考えていたり、エトセトラ。結局は何処を向いても「音楽」にまみれて生きています。プロモーションだ、ライヴだ、ゲスト出演だ、レコーディングだ、ソングライティングだ。確かに目の回るような日々だけれど、そのひとつひとつが何処かで繋がっているような、妙な必然を感じる今日この頃です。

by 山口 洋  
- end -