hobo jungleを遠く離れて

2007/03/31, 16:20 | 固定リンク

3月31日 土曜日 雨 

 ツアーに力を尽くす前に、俺には休息が必要やったとです。だから飛行機に乗って、我が心のハートランド阿蘇に帰ってきたとです。たった2日だけれど、ちょっとだけ「ほっ」としてみたかったとです。蛇口がネズミに喰われてる(味せんやろ?)とか、外壁が吹き飛ばされてる、とか、些細なトラブルはあったけれど、窓を全開にして、山の空気が家中に入ってきた瞬間、「来て良かった」と思ったとです。夕方からビールを飲んで、風呂入って、日付が変わる頃には撃沈したとです。至福。

by 山口 洋  

初めての江の電

2007/03/30, 23:40 | 固定リンク

3月30日 金曜日 晴れ 

 ようやくいろんな事が一段落して、生まれて初めて江の電に乗ったとです。電車に乗ってワクワクしたのは何と久しぶりのことか。ユルいにも程があるし、観光客も沢山乗ってるけど、地元の人々の生活に欠かせない路線。故郷を走る宮地岳線(分かんねーか)を更に小型化したような電車が時々路面電車にもなりつつ、歴史のある街を走ります。江ノ島駅を過ぎて、目の前に海が開けてきた時、仕事場をこっちに移して良かったなぁ、と心からそう思ったのでした。

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by 山口 洋  

行脚、完了

2007/03/29, 21:40 | 固定リンク

3月29日 木曜日 春の陽射し 

 もう完全に春の陽射し。桜が待ちきれなかったかのように咲き出している。道玄坂のマークシティーの入り口近く。無機質な近代建築の横に咲き誇る一本の古い桜。この木はずっとこの街を見つめてきたんだと思う。儚く、そして美しいから、近くに来たら、是非会いに行ってみてください。

 本日、日帰りにて名古屋でプロモーション。足かけ3ヶ月以上に渡ったプロモーションも今日で終わり。たまに折れそうになったこともあったけれど、支えてくれた多くの人々に心から感謝を。ありがとう。心ある人々の尽力の元、作品を伝えるために出来るだけの事はやりました。さぁ、少しだけ気分を変えたら、ツアーに向かいます。新幹線の中で、アルバムプロジェクトに賛同してくれた人々に宛てて、携帯で(ごめん、コンピュータ重かったんだ)メッセージを書きました。

 帰りの車内で、知覧の特攻隊の資料を読んでいました。この時代に好きな事を思い切りやれる幸福を噛み締めています。

by 山口 洋  

取材

2007/03/28, 22:57 | 固定リンク

3月28日 水曜日 晴れ 

 この仕事場にて、初めての取材。雑誌、「スローハンド」。旧知の編集者と共に、ゆっくりと時間は流る。カメラマン内藤さんの仕事は素晴らしく、写真嫌いな俺は「これ、アーテイスト写真で使わせて下さい」、とか口走りそうになる。そこにプロフェッショナルが居て、自分の職務をまっとうする時間。それはかけがえのないものだ。

by 山口 洋  

理想を失わない現実主義者

2007/03/27, 22:55 | 固定リンク

3月27日 火曜日 曇り 

 アニメーション監督、宮崎駿さんのドキュメントを観た。俺は氏の作品を一度も観たことがない不届き者だが、氏のモノ創りの姿勢はひどく胸をうつ、ある意味、失われた「まっとう」なものだった。理想を失わない現実主義者であること。映画を創ることは「裸=honest」であること。でなければ、いつか自身にしっぺ返しがきて、映画が創れなくなること。逡巡、そして逡巡。老いと共生、あるいは抗いながら、果てしなく前進すること。大胆かつ謙虚であること。エトセトラ。その作品を観てみたい、と心から思った。
 海の近くの仕事場もようやく環境が整った。明日はこの場所で初めての取材だ。

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by 山口 洋  

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2007/03/27, 22:55 | 固定リンク

3月27日 火曜日 曇り 理想を失わない現実主義者

 アニメーション監督、宮崎駿さんのドキュメントを観た。俺は氏の作品を一度も観たことがない不届き者だが、氏のモノ創りの姿勢はひどく胸をうつ、ある意味、失われた「まっとう」なものだった。理想を失わない現実主義者であること。映画を創ることは「裸=honest」であること。でなければ、いつか自身にしっぺ返しがきて、映画が創れなくなること。逡巡、そして逡巡。老いと共生、あるいは抗いながら、果てしなく前進すること。大胆かつ謙虚であること。エトセトラ。その作品を観てみたい、と心から思った。
 海の近くの仕事場もようやく環境が整った。明日はこの場所で初めての取材だ。

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by 山口 洋  

入間にて

2007/03/25, 23:00 | 固定リンク

3月25日 日曜日 雨 

 埼玉県入間市。昔の米軍ハウスを改造した「so-so」にてリクオとライヴ。惜しまれながら閉鎖された、川越の鶴川座の連中が新しく立ち上げたスペース。
 今まで、この建物が育んできたもの。これから刻まれていくであろう歴史。それらが微妙に絡み合っているのを肌で感じる。願わくば、この地域で文化を育む場所として、愛されつつ育っていってくれることを祈る。リクオは各地でいろんな経験をしてきたんだろう。その演奏に何があっても動じない強さがある。何にせよ、身体には気をつけて。御同輩。

by 山口 洋  

my name is Buddy

2007/03/23, 19:02 | 固定リンク

3月23日 金曜日 晴れ 

 九州に帰れば「おまえの博多弁はおかしい」と、東京に居れば「未だに訛りが抜けんねぇ」と、相変わらずノーウェアな私です。はかどらない片付けを円滑に進めるのは、良質の音楽やろ(かなり逃避)と私の脳味噌が申したので、CDを買いに行ったとです。メガストアは今や私にとっては辛い場所です。以前も書いたけど、複数の音楽が混じっとるのが耐えられんとです。でも、ライ・クーダーの新譜、ジャケ買いです。裏を見て曲名買いです。例えば「One cat, one vote, one beer」。これ以上、何を望むことがあろうか、と。ストイックに音楽道を探求するのもひとつの人生。でも、こうやってゆるやかにルーツミュージックを仲間達と奏でつつ、短編小説を連ねたような作品を創るのも、もうひとつの夢なのです。部屋に心のこもったゆるやかな音楽が流れていきます。嗚呼、至福。

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by 山口 洋  

down by the seaside

2007/03/22, 23:12 | 固定リンク

3月22日 木曜日 晴れ 

 仕事場を海の近くに移したとです。窓を開けると、ほのかに潮の香りがするとです。さんさんと陽の光が降り注ぐ場所で、音楽と戯れようと思っています。
 朝まで片付けとったとです。不意に海が見たくなって、午前6時の江ノ島です。路地裏から続々とチャリンコにボードを装着したサーファーが現れるとです。今までサーファーと何の縁もなかったけれど、この季節、この時間に波に乗っとる人たちは本当に好きなんだろうなぁ、と。俺は波乗りが出来んので、名物のしらすを買ったとです。悪くないです。

 ここに来て、一番びっくりしたのは、ゴミの収集に関することです。多分、この地域のゴミ処理施設の規模が小さいんだろうど、事細かに分別して出すようになっています。可能な限りリサイクルする仕組みになっています。あまりに難しすぎて、すぐに覚えられるようなものではありません。でもね、それって素晴らしいことだと思うとです。企業が過剰包装するのは、ユーザーがそれを望むからです。それらは99%ゴミになります。今まで気付かなかったけど、この国の包装事情は「異常」だと思います。何を買ってもゴミがついてくるとです。いざ、分別してみると良く分かります。なので、最近、俺も店で懇願します。「頼むから、包装しないでくれ」って。そっちの方が結果的に楽なんす。東京の仕事場の近くに、Kっちゅーあまり好きじゃない、ハイソなスーパーがあります。まれに行って、例えば「アサリ」を買うやないですか?既に発泡スチロールのトレイにラップされて、充分に包装されているにも関わらず、黙ってると、ビニール袋に入れられ、更にアルミの簡易保冷バッグに入れられ、とどめに「保冷剤、お入れしましょうか?」なんて事を云われるのです。それがハイソな人々の心を満たしているのだとしたら、頭おかしかです。
 云っとくけど、俺はエキセントリックなエコ人間じゃないです。どちらかと云うとガサツです。でも、こういう状況になって初めて気付くとです。包装は結局タダじゃないとです。作るにも捨てるにもエネルギーを使うとです。値段の中にしっかり含まれとるとです。それを減らしたら、企業も楽やし、値段も下がるし、ゴミも減るし、いい事ばっかりやないですか。
 何てことを考えつつ、アナログ盤を聞きながら、片付けとります。リビー・タイタスが流れています。ネットも電話も何も繋がってないけど、音楽を作るのに本当に必要なものだけ、揃えようと思っています。シンプルに暮らしたいとです。何てことを書いておきながら、blogを更新するために東京に戻ってきました。バカ。来月には「Land of music」のツアーが始まります。みんな来いよー。それば伝えたかったとです。にゃん。

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by 山口 洋  

99%の敗北、4%のパントマイム

2007/03/18, 17:49 | 固定リンク

3月18日 日曜日 快晴 

 我々の新しいアルバムを聴いた、とある友人のシンガーの感想。「男は99%の敗北でできている」。ぐはは、思わず吹き出したよ。残りの1%?それは秘密。

 「4%パントマイム」って好きな歌がある。「人生の4%はパントマイムだ」っちゅー内容だったと思う。云えてる、と思う。

 ハウスダストにまみれながら、巨石が歌うものを書き上げた。その歌には上記の両方のパーセンテージが込められている。その上で湧き上がってくるポジティヴな感情がある。本人に伝えなきゃいけないから、簡単なデモテープを作った。自分で書いておきながら、俺には到底歌えなかった。それには経験が足りなさすぎる。思い返してみると、一月半に渡って、彼が語る世界の中に棲んでいた。きっと、それは実在するんだろうけど、俺には想像が及ばない世界でもある。だから大変だったし、面白かった。(まだ終わってないって)たぶん、それは「生命(いのち)の泉から笑う」ことだと思う。「ありがとう」と云う感謝の気持ちを込めて。

by 山口 洋  

ロニー・ロニー・ロニー

2007/03/17, 17:08 | 固定リンク

3月17日 金曜日 晴れ 

 愛するロニー・レインの人生を描いた映画「ロニー」が公開されると。で、試写会があると。普段、タダで潜り込むなんてことはしません。コンサートであれ、何であれ、お金を払って楽しむのが礼儀だと思っているから。ただ、試写があることを知って、心がモーレツに動いたのです。今、観なきゃとても後悔する気がしたのです。いつもの直感ってやつです。俺は招待状を持っていないにも関わらず、「ロニー・レインが好きなんです」と受付にいらっしゃった宣伝会社の人に伝えたところ、快く入れて下さいました。
 ずっと前から、彼の音楽が好きだったのです。いや、「彼そのもの」が好きだったのかもしれません。音楽が流れてくると、確実に空気が変わるのです。今、この時代に街で溢れている音楽とは対極にあるものです。虚勢がまったくない、彼の生き方そのものが音楽に反映されているのです。映画の冒頭、スリムチャンス時代に彼が乗っていたバスがレストアされて、おそらくウェールズあたりの田園地帯を走ってきます。そこに彼の音楽が流れてくる。早くも涙腺決壊。いかんいかん、ただのファン(そうなんだけど)みたいな文章だね。俺は出来るだけ多くの人にこの映画を観て欲しいのです。

 映画は彼のキャリアをほぼ網羅しています。幼少時代から、スモール・フェイセズ、フェイセズを経て、ソロになり、スリムチャンスを結成し、サーカス小屋であちこちを廻り、そして難病に冒され、死に至るまで。ずっと、彼の頭の中にあった言葉は、実父が語った「楽器を持て。そうすれば、いつも友達に囲まれる」と云うものでした。涙。映画は編集次第で時間軸をどのようにも操れるものです。けれど、この作品では一貫して、彼の人生のスピードで時間が流れていくのです。登場人物もまたしかり。有名無名に関係なく、並列に描かれ、彼を愛する者としてロニーを語ります。つまり真ん中に制作者の「愛」を感じるのです。決して沢山のバジェットに恵まれていたとは思えません。聞けば、まずはカメラを借りることから始まり、照明はBBCの廃棄物を譲り受け、テープは撮影済みのものを再利用し、支援者を集め、本職の傍らで、黙々と長い時間をかけて作られたと。けれど、仕上がりは云うまでもなく、深く心を打つものです。それは単に僕が彼のファンであるからと云う理由ではなく、初めて彼を知った人も「音楽って素晴らしい。人間って素晴らしい」と深い感銘を受けていました。生きていると、人間の愚かな行為ばかりに目が向くものです。けれど、このような音楽、映画、モノの作り方、生き方を観るとき、捨てたもんじゃねーな、と心から思います。そんな情熱は時間をかけて伝播していくと思っています。僕はひどく励まされます。この作品を配給しようと決めた人々も、きっと心を動かされたからでしょう。いつの時代も、忘れたくないものがあると、僕は思うのです。ありがとう、ありがとう。

 5月からシアターN渋谷などでレイトロードショーで公開されます。ロニーの事を知らない人も、是非足を運んでみてください。僕は試写室を出たとき、銀座の空が少しだけ広く見えて、猥雑な人の営みが愛おしく思え、そして阿蘇に帰って、焼酎を飲みながら、彼の音楽を聞きたくなりました。

by 山口 洋  

飛ぶための羽根その2 eagle talk

2007/03/16, 21:43 | 固定リンク

3月16日 金曜日 晴れ 

 2月23日付のダイアリー(http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=07020021)の続き。

 ひょんな事から知り合った、ジュエリー・デザイナー中野さんに会ってきました。彼のお店はknife*acoustic groove(http://k-a-g.com/)(http://kannna-peace.seesaa.net/)と云う名前で、代官山の北口を出てすぐのところにあります。情熱だけは人の5倍くらいある、うちのスタッフ、チビの熱意にほだされ、今回「飛ぶための羽根」を作ってくれていたのです。

 氏に会うのは初めてだったのに、駅の近くにぽつねんと佇んでいた氏を観て、「あ、彼が中野さんだ」といつもの私の直感が申しました。情熱と日々と現実の厳しさをすべてひっくるめた上で、独立して魂のこもった仕事をしている人は、鋭くて優しく、そして深い目をしているものです。我々は握手を交わしてすぐに、同じ方向を向いてモノを作っていることを理解し合いました。嬉しい瞬間でした。

 いわく、日本のジュエリー職人の技術は素晴らしいものなのだと。けれど、安価でそれを請け負う海外の業者に押され、技術が伝承されず滅びていきつつあると。同じことはいろんな分野で起きていると思います。僕はmade in Chinaを即ち否定するものではありません。技術が伝わるのは素晴らしい側面もあります。ただ、例えば中国の経済が更に活性化し、日本と同じような状況になった場合、他の国がそれを請け負うようになるだけのことだと。魂の入ったモノ作り。それは「確かな技術」と「たゆまぬ努力」。そしてそれを支えるユーザーがあって成り立つものだと思います。そんな意味で、彼のモノ作りのヴィジョンと世界を見つめる目は素晴らしいものでした。僕らの音楽の作り方はマイノリティーなのかもしれないけれど、こうやってメゲずに自分の信念を貫いている人が居る。昨日も書いたけれど、そんな「勝手な連帯」が僕をひどく励ますのです。ありがとう。
 
 で、飛ぶための羽根です。そりゃ立派なものを作りたいけれど、あまりにも高いものもどうなんだろう、と。かと云って、ショボいものとか、いい加減な素材を中野さんが使う訳もなく。氏の逡巡の果てに。使っているうちに、身につけた人々のそれぞれの羽根になっていくであろう、シルバーの素材。ターコイズ、楚々と掘られた「KNIFE」と「ESPOIR」の2文字、職人さんの確かな技術、それに繋がる中野さん独自のリング、エトセトラ。made from his spirit。今回は猛々しく飛ぶのではなく、飛ぶための意思を静かに胸の中に持っている人をイメージして作られています。性の区別を付けることなく。ブラボー。

 おそらく50個くらいの限定になると思います。ツア−先の各会場で欲しい人はゲットして下さい。ツアー終了後、お店でも売られることになりますが、代官山と云う場所ゆえ、どうしても高くなってしまいます。革紐が付属していますが、自分の好きなチェーンを付けるのがいいと思います。写真のチェーンは中野さんのお店のものです。素晴らしいものなのですが、付けると値段が上がり、皆さんが手に取りにくくなってしまうので、欲しい人は買えるように10個くらいそれも別に用意してもらっています。

 写真を撮っていて、以前共に音楽を作ったネイティヴ・アメリカン、トム・ラブランクとの作品にちなんで、勝手にeagle talkと名付けました。試作品で作られた2つのフェザーは、もう中野さんと僕の胸に下げられています。何だか兄弟みたいだな。へへ。

追伸
 今日、素晴らしい映画を観たのです。愛するロニー・レインのドキュメント「ロニー」。試写室を出て、銀座の空が広く見えました。俺、音楽好きで良かった。詳細は明日書きます。

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by 山口 洋  

撃沈と砂塵

2007/03/15, 17:11 | 固定リンク

3月15日 木曜日 曇り 

 依頼されていた曲をようやく書き上げて、依頼主である巨石(キングコングって云った人も居るけど、云い得てると思う。確かに)に聞いてもらった。一言、「甘いなぁ」。否定はされなかったが、優しさを含んだ一種の完全なるダメ出し。俺とて、手を抜いていた訳じゃない。雑巾の最後の一滴を絞るようにして書いたのだが、過程なんてどうでもいい。結果がすべてだ。巨石から観れば、おいどんの人生なんて甘っちょろいものであることは間違いない訳であって、そのあたりを完全に見透かされてる。背伸びは良くない。俺は石であって、巨石でもキングコングでもないのだから。ただ、小石には想像力がある。かつて祖父も、親父も、時代をそれぞれの形で生き抜いた背中を観て育ってきた。ならば、俺にも書けるはずなのである。
 巨石が年下である団塊の世代に向けて放った言葉は痛快極まりなかった。現役バリバリのオールドパンク。彼がこのような発想をする人だとは、出会うまでつゆ知らず。パブリック・イメージとは恐ろしいものだ。苦言と優しさとヴィジョンとパンクな精神が岩から放たれつつ、それらが同居する時。あるいは巨石がパブリック・イメージから発掘される時。この国や時代を少しだけ愉快にする方法論がそこには見え隠れする。とりあえず、俺は「撃沈」と云う気分であるが、決して悪い感情でもない。何故なら「叱咤」されることに飢えているから。そこに込められたメッセージを拾い上げて、咀嚼して、歌にして、誰かが聞いてくれるのなら、俺の職業も悪いもんじゃない、と思うのだった。さ、浮上するぞ。

 時を同じくして、心の「兄貴」と録音させてもらった音源が届いた。そこに同封されていた文章には違う言葉で、巨石が語ったこととほぼ同じ内容が記されていた。「united=連帯」とは「独立」の礎の上にある。巨石、兄貴、俺を繋ぐ道には確かに「血の轍」が刻まれていて、そこには「お前はお前の道を往け」と書いてある。ならば、行くだけなのだ。砂煙を上げて。砂塵と共に。

by 山口 洋  

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2007/03/14, 22:20 | 固定リンク

3月14日 水曜日 晴れ 

 とあるプロジェクト(て、ほどの事でもないか)にかかりきりになって忙殺されてます。なので、ここの更新はしばし不定期になります。あいすいません。

by 山口 洋  

懲りないグルーヴ

2007/03/11, 23:04 | 固定リンク

3月11日 日曜日 曇り 

 縁あって、とあるシンガーのCDを渡された。伴慶充がドラムを叩いていた。俺の好きな音楽だったし、情熱に溢れていたし、奴の懲りないリズムも素晴らしかった。嬉しかったんだ。俺は。しかし、あんたも懲りない男だね、本当に。音楽を続けるってことは並大抵の事じゃない。でもこうやって、続けてるってことは、あんたも音楽に愛されてんだよ。でも、たまにはライヴに顔出せよな。待ってるぜ。

by 山口 洋  

Sea of love

2007/03/10, 19:36 | 固定リンク

3月10日 土曜日 晴れ 

 もうひと昔以上前の事になるけれど。
 東京に出てきた頃、海育ちの俺たちは近くにそれがなくて、窒息しそうだった。湘南まで行けば、海があるらしい。そう聞いて、楽器車に乗って、出かけた。なんと、砂が黒かった。九州の砂浜は真っ白なのだ。それを観て、我々が放った言葉。「こんなん海じゃねぇ」。今となっては、神奈川の皆さんに甚だ失礼な言葉だとは知りつつも。でも、その時は本当にそう思ったのだ。
 ようやく仕事に一段落ついた。俺は海が観たかった。海が近づいてくると、匂いがする。いきなり視界が拓けて、目の前に江ノ島。あぁ、洗われる。ここからずっと、南極にも、北極にも、インドにもアフリカにもパタゴニアにも通じてるのね、なんて小学生みたいな事を想う。サザエの壷焼でも喰って、ビール飲んで「ぷはぁ」なんて云ったら幸せだろうねぇ。ごめんね、そしてありがとう。湘南。

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by 山口 洋  

循環する歌

2007/03/09, 16:39 | 固定リンク

3月9日 金曜日 晴れ 

 思い返せば、かつて甚だ地球環境に優しくない男だったとは思う。でも、国道246号線の渋滞の末尾に連なるとき、第三京浜から環八に連なる無数のテールランプを観たとき、化石燃料を自分の都合で浪費している自分にぞっとする。何か買い物をして、当たり前のようにレジ袋をもらう。国民ひとりあたりの平均が年に300枚だと。作るにも燃やすにもCO2が発生するのだと。山に暮らしていると、燃えないゴミはどうしようもない。だから、過剰包装ものはできるだけ買わないようにする。俺ひとりが生活して出た排水を河に戻すには(もちろん下水なんかないので)巨大な浄化槽が必要で、そこには微生物が居て、絶え間なく分解するためには撹拌が必要で、要するに電気が必要になる。CDが郵送されてくる際のクッションープチプチだって、いざ捨てようとすると、その処理に困る。飲み屋で何かを注文し過ぎて、残す。それは即ち生ゴミになる。発電の何割かは今や原子力が担い、永遠に分解できない物質は地方の地下深くに埋められる。何だか耐えられない。ヒステリックになる気はない。でも、一握りの富裕層が大多数の貧困層を牛耳っているという世界の図式の中では、無意味なCO2の生産と云う意味で、俺は決して貧困ではないと思うのだ。だから、自分にできることはやってみる。歌詞なら裏紙に書けるし、チャリンコは身体にもいいし、やれることは沢山ある。音楽や芸能が使い捨てになっている遠因に、このようなことなことがあるのではないか、と考えたりもする。循環する社会。例えば、仕事場の倉庫には使わなく(使えなく)なったコンピュータが何台もある。最初から循環を目指してそれらが作られていれば、多少価格が高くなったとしても、それでいいではないか。車だってそれでいいじゃん。同じように、音楽も歌い継がれて、循環していくものだと思う。目先の収入も大事だけれど、10年先を見越した音楽への取り組みってもんがあると思うし、作ってる側にも時流を形成してる責任ってものがあるはずだ。テレビがデジタル化されて、古いものが使えなくなる。巨大な需要は生まれる。でも、日本全国のテレビが同時に使えなくなるってことは、一体どれだけのゴミを生み出すんだろう?何年か前、亡くなった親戚の遺したものを整理したことがある。彼女はずっと病の床に居た。だから、沢山のビデオテープを持っていた。それを責める気はない。でも、彼女がこの世に居なくなった後、それらを有効に活用する手だては見つからなかった。結局自治体に頼んで捨てた。それはコンテナ一台分はあった。いろんな意味で切なかった。
 シンプルに暮らしてみようと思う。モノを手に入れる際、「ちょっと待った」と考えてみようと思う。「本当にそのギター必要かい?」と自分に聞いてみようと思う。だって、ギターなんてほぼ進化は止まってるよ。一人のライヴなんて、ヤイリの職人さんが作ってくれたたった1本で2時間こなせるんだぜ。そんな事云ってたら、ギターメーカー潰れるじゃんって、そうじゃないと思うよ。あの会社は作ったギターを永遠に面倒みてくれる。だから、それを愛用することによって、裾野が広がりゃ、長い目で見れば、それが一番いいんだって。多分。それはクールな考え方だと俺は思うんだけど。

 そんな事考えながら、循環する歌を書いています。あともう少し。だ、と思う。

by 山口 洋  

旅に出たいぜ、ハニー

2007/03/07, 21:57 | 固定リンク

3月7日 水曜日 晴れ 

 流れる風景が観たい。
 

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by 山口 洋  

the rocky road

2007/03/06, 17:39 | 固定リンク

3月6日 火曜日 雨 

 ずーーーーっと歌詞を書いている。昨夜、「ん?かなり近づいたな」と思ったが、撃沈。道は果てしなく遠い。でも、無駄に芸歴が長いと、それすら楽しでいるフシがある。結局、朝方まで粘って、もう何度目かカウント不能になった「撃沈」。でも、俺は書く。ずっとずっと、「ここではない何処か」を求めてはいたんだろうが、今宵、この瞬間、燃えていなければ気が済まなくなってきた。人生は思ってるよりは短い。恋せよ、乙女。
 
 昼過ぎに起きて、東京FMに行き、旧知の長友君の番組に出た。もう随分前の事だけれど、深夜、彼の生番組の後、俺は2時間の生番組をやっていた。スタジオはひとつしかなかったから、CMの間にスタッフごと入れ替わる。でも、一度もゆっくりと話したことはなかった。互いにいろいろあったんだろうけど、こうして10年以上の時を経て、語り合うのは悪くない。

 家に戻り、詩作に復帰する前にこれを書いている。
 
 「Land of music」。2006年はギター1本を抱えて、日本を2回廻った。得難い経験だった。マネージャーも帯同していないので、俺が全ての人と対峙することになる。それは時にキツかったけど、良かった。地方都市の置かれた状況は想像を超えるくらい、ヒドいものだった。それでも、音楽への情熱を失わない輩は数多く居た。影も形もない我々の新しいレコードに賛同してくれる人々も続々と現れた。こんな雪の中、誰がライヴに来るんだ、と思ったこともある。でも、人々は何かを求めてやって来る。とりあえず、問題なのは数ではなく、想いや願いだった。俺はそれらの集合体に鼓舞されて、熱くなった。同時に全ての人とは云わないけれど,ほぼみんなが疲れていた。何かに疲れきっていた。俺は俺で、疲れていなかったか、と云われれば、それは嘘になる。だから驚異的な音圧で、彼等を無理に鼓舞するような音楽を作りたくなかった。少なくとも、そのような衝動はほとんど湧いてはこなかった。時代と自分をすり合わせた上での、直感なのだから仕方のないことだ。
 それぞれの闘いの日々、闘いの場所で疲弊しきった者に必要なのは「安らぎ」だと思った。自分をも含めて。俺が一番好きなのは「おふとんの国」に他ならない。みんなが寝る時の「睡眠導入剤」のような音楽。でも、聞いているうちに、ここではない何処かに確実にトリップするような音楽。体内と外界のふたつの宇宙を繋ぐような音楽。明日の朝、目覚めと共に、一日を始めるための音楽。エトセトラ。そのようなものを作りたかった。
 このアルバムはライヴで完結すると思う。だから、多分ライヴアルバムも作る。それは既出の「Land of music」とは違う形になっていると思う。対になって完成するものだと思う。魚を除く、それぞれのメンバーとライヴをやってみたが、違う風景がフィジカルに見えてきて面白かった。手前味噌だが、やはり渡辺圭一も池畑潤二もタダ者ではなかった。彼等の肉体から発せられるものは。それらが複合的に組合わさったとき、どのような音楽になるのか、自分でもワクワクしている。「この瞬間」をどのように昇華させるのか?長い時間をかけて、完成させたものを「肉体」から発することが出来ることに歓びを感じている。アルバムのプロモーションももうすぐ終わる。その総量はメジャーのレーベルに居た時のものを遥かに上回るものだった。各地で自分の利益を度外視して、奔走してくれた連中が居た。本当にありがとう。俺に出来ることは、魂から音楽を奏でて、観客をハッピーにすることだ。楽しんでくれ。音楽には力がある。ライヴに足を運んでくれ。そこは自由な場所だから。

 正直な話、1979年にバンドを作ってから、楽だったことなんて一度もない。でも、音楽は本当に素晴らしいものだ。かけがえのないものだ。やればやるほどそう思う。伝えたいことがあるから、熱くなる。バカ、かもしれん。でもこみ上げてくるものに感謝する。無性に生きてることに感謝したくなる時がある。だって、やりたい事が目の前にあるのなら、それをやらずに何をやればいいんだ?損とか徳とか、株価が上がったとか、下がったとか、俺には分からん。雨ニモ、風ニモ、マケタトシテモ、生きてることは止める訳にはいかん。続けることだ。と俺は思う。じゃ、待ってるぜ。

by 山口 洋  

脆弱

2007/03/05, 15:39 | 固定リンク

3月5日 月曜日 春の嵐 

 いけませんねぇ。
 確かに、いろんな事をやらなくちゃいけなかった。睡眠時間を削って、頑張ってたフシもある。でも、そんなことは日常茶飯事だったし、山を超えたら、少し休むか、などと考えていた。
 始まりはハウスダストだったように思う。花粉症かもしれん。猛烈な鼻水とくしゃみに涙目。それでもメゲずにレコーディングして、しまいにゃ発熱。これって、インフルエンザ?それとも前述の病気全部?とにかく一歩も動けなくなった。しゃーないけど、結果的には効率悪いだけじゃん。丸2日、ミノムシの如く、じっとして、ようやく人間以下のところに辿りついた。みなさん、季節の変わり目には気をつけてください。

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by 山口 洋  
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