夕食ばんざい

2008/03/31, 19:41 | 固定リンク

3月31日 月曜日 曇り 

 不摂生した挙げ句、検査の結果を聞くのが怖くて、ドクターからバックれた「根性なしの不良中年」山口洋です。ら、来週は必ず。
 
 何に於いても、熱中しすぎるのが悪い癖です。物事に客観性は不可欠です。ミキシングに於いても、「主観即ち客観」という次元には達しつつあるのですが、どうにもこうにも没入の危険を感じた時は、料理にエスケイプするのが吉。本日はキーマカレー。いい素材を使って、超大雑把に作ります。血液型は俺様のO。両祖父母からして全てO型。ブラッドタイプなんて、気にしてませんが、ここまで濃縮されると、確かに典型的なO型だと人は云います。なので、計量するなんてことはほぼありません。すべて勘が頼りだからして、たまに、ものすごい失敗もします。先日、来客があった際、「超」気合いを入れて、前もってトマトソースを作っていました。けれど、いざパスタを作る際、ワインのコルクを空けるのが面倒臭くて、手元にあったシェリー酒をブチ込んだところ、とてつもなくマズくなってヘコみました。果たして、今日の結果は如何に?美味しくできたら、近所に住んでるヤモメの酔っぱらいY君にお裾分けしようと思ってます。以上、「夕食ばんざい」でした。スタジオにお返しします。

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by 山口 洋  

ミキシングの日々

2008/03/30, 23:32 | 固定リンク

3月30日 日曜日 雨 

 ミキシングの日々です。このバンド、自分で云うのも何だけれど、宇宙まで達してます。ヘッドフォンで聞くと、ブっ飛びです。

 今週末、入間のsosoと云う昔の米軍兵舎を改造した小屋の一周年を記念して、リクオと2daysのライヴです。確か去年も奴とやったけれど、こちらも違う宇宙に到達してるんで、お見逃しなく。詳細はnewsを。

by 山口 洋  

春に想う

2008/03/29, 18:43 | 固定リンク

3月29日 土曜日 晴れ 

 カーテン越しに漏れてくる春の光を浴びながら、ミキシングに没頭しています。思えば、いい時代になったなぁ、と。スタジオに行くことなく、こうやって音楽と戯れることが出来る訳だから。飽きたら散歩したり、コーヒーをいれたり。僕は外食が嫌いで、一人で居る時は殆ど「修行僧」みたいな食事しかしません。フォアグラとかキャビアとかステーキとか、そんなものは仕事場にはありません。当たり前か。

 随分と前のことだけれど、中国の盧溝橋を訪ねたときのことです。その場所は僕の父親の人生を変えた場所です。そこを起点にするもろもろの事が、彼の人生を大きく変えたのです。詳しくは書きませんが。だから、どうしてもそこを訪ねてみたかった。中国語がまったく話せないので、北京で大きな紙に「盧溝橋」と書いて、その場所を目指しました。東京に暮らす人にもいろいろあるように、人民もいろいろです。何人かの親切な人々が身振り手振りで方法を教えてくれます。何度も電車やバスを乗り継いで、僕はその場所に辿り着きました。盧溝橋には「抗日資料館」が併設されています。そこに展示されているものはいわずもがな、日本軍が行った行為についてのものです。直視するのが辛い類いのものです。そこに足を踏み入れた僕は、広島や長崎の「原爆資料館」で展示を見つめるある種のアメリカ人の心境と似たようなものだったと思います。冷たい視線を感じたのも事実。けれど、来てくれてありがとう、と云ってくれた人が居たのも事実。僕に出来ることは?考えた末、橋の下で書いたばかりの「ハピネス」を歌いました。あとはこの経験を、これからの自分にどう生かすかが問題なのだ、と強く思いました。全体的な視野と個人的な感情、それが融合する場所があるのか、ないのか。それは未だに模索中です。ただ、僕にとって、メディアが伝えてくれることは「参考」にしかならず、いつだって、自分の問題として、自分の目でそれを観て、考えていたいと思っています。決してヒステリックになることなく。

 「次の世代に残したいのは家や土地ではなく希望だ」と云ったシンガーが居ました。ある作家は「この国には何もかもがあるけど、希望だけがない」と。まったく同感です。でも、毎年忘れず咲き誇ってくれる桜を眺める度に、嬉しさと切なさと儚さを同時に受け取るのです。「音楽の力」。そのかけがえのない「espoir」を次の世代に伝えたいと僕は思っています。

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by 山口 洋  

春もろもろ

2008/03/28, 16:41 | 固定リンク

3月28日 金曜日 晴れ 

 ミキシングに復帰してます。もう少し作業を進めたところで、こいつを作品にするかどうか、アナウンスできると思います。その前に風呂入れ、自分。

 春もろもろ。まずは、師匠ダニエル・ラノアのレコーディング・ドキュメント。観たい。
http://redfloorrecords.com/
 
 次に先日ここで紹介した「ケルトふたたび」の澤村栄一氏がこの本で「高知県出版学術賞」を受賞との報告。「文化賞」、「ペンクラブ賞」と並んで3冠達成。残り僅かにて、欲しい人は急がれたし。詳細はここに。
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=08030007

 最後に。長きに渡って我々を応援してくれている広島一アホな男、DJのボンバー石井が10年以上続けてきた番組「ぼんばか」。本日が最終回です。生放送です。そりゃ出演しますとも。電話だけど。かの街の文化を支えてきた名物番組です。是非、聞いて下さい。広島FMにて26時より。

by 山口 洋  

人生のスリル

2008/03/27, 02:01 | 固定リンク

3月27日 木曜日 晴れ 

 桜が咲く季節はいろんな理由で胸が痛くなるとです。そんな時は新しい友達スマイリーとギョウちゃんが居るバンド、スリルを観に行きます。ステージの上に一体何人居たんだろ?このバンドを維持するの、モウゴツ大変だと思います。でも、バッカみたいに音楽好きなんだろうなぁ、と、それぞれのミュージシャンの顔や演奏に、それぞれの形で書いてあることに感銘を受けたとです。外国のフェスでブチかまして欲しいなぁ、この演奏。ありがとう。

by 山口 洋  

食生活

2008/03/26, 13:52 | 固定リンク

3月26日 水曜日 晴れ 

 午前中と云う未知の時間にラジオに出演。でも、パーソナリティーがとっても好きな人物(彼はミュージシャン)だったので、愉しい時間を過ごさせてもらった。ところで、若くて情熱のあるプロモーター(女性)とインドカレーを食しながら、食生活の話になったのだが、一人暮らしの彼女の典型的な晩飯は「カップラーメンとコンビニの納豆巻」で、ラーメンのスープを「味噌汁感覚」で食するのだと。「人間は喰ったもので出来てるんやから、たまには自分のためにご飯作りなさい」とオレがボヤいたなら、彼女の職場の先輩(女性)が「カップラーメンの容器は甚だ身体に悪いから、せめて陶器の器に移して食しなさい」と。「おいおい、そんな暇があるなら、せめてインスタントラーメンにして、キャベツを入れてみる、とかさ」と更に俺がボヤいたら、同席していた女性が「あら、私、ミロとトマトジュースとおにぎりの晩ご飯が好きだった」みたいな。「それ、栄養は確かにあるかもしれんけど、食い合わせが人間離れしてる」とまた俺がボヤいたところ、その女性が刺したとどめは「私、彼氏の家に初めて行った時、コンビニの弁当二人分と、コーラを買って行ったんだけど、コップがなかったから、弁当の蓋にコーラを注いで飲んだことがある」と。完敗です。ちゅーか、二人がそれで乾杯したのかどうか聞くの忘れたのが心残り。まったく。

by 山口 洋  

赤い靴下

2008/03/25, 13:51 | 固定リンク

3月25日 火曜日 曇り 

 縁あって、レッドソックスの開幕戦に同席させてもらったとです。改めて、プロっちゅーか、職人ってすげぇ、と心から感嘆。松坂がどんなに調子が悪くても、「ここぞの一球」に魂が入っているのを観て、すげぇ、と。岡島もバリテックもラミレスもアスレチックスのスズキっちゅー日系の選手も、職人そのものやったとです。そんな連中の仕事を前に、ビール片手に観戦なんてできるはずもなく、目の前で繰り広げられる筋書きのないドラマに釘付けになってました。ただ、「運」としか云いようがないものも、確かに「実力」のうちで、念じ続けた者だけが、それを引き寄せて報われるんだっちゅーことをも教えてもらった夜でした。ブラボー、感謝。

by 山口 洋  

確かなLand of music、カフェ・ミルトン再び

2008/03/23, 12:16 | 固定リンク

3月22,23日 土、日曜日 曇り 

 はてさて。リクオと宮城県白石市が誇るLand of music、カフェ・ミルトンにやってきました。何度も書いたけれど、この場所にはポルトガル語を話す音楽の神様が棲んでいます。長い時間をかけて、途方もない情熱と愛に引き寄せられて、その神様は降りてきんしゃったとです。多分。人口3万人、チケットは二日間とも売り切れ。会場に集う老若男女からは暖かいバイブレーション。後は音楽を無理なく奏でるだけです。マスターは発熱をおして3年煮込んだ熟カレーを、ママさんは何度聞いても覚えられない「スジャータ」に良く似た名前のブラジル料理を、もうすぐ旅立つ一粒種君はフライヤーの折り込みを、PAマンはいつも最善の努力を、いつもアルバムを取り扱ってくれるMレコードの店主Hは腎臓結石の激痛をモルヒネで緩和して、その母上76歳は昼間から日本酒を、笑顔を絶やさず手伝ってくれる人々は気配りを絶やさず、「the Rising」を抱いた「山羊(説明すると長くなるので事情は割愛 - ミルトンは山羊抜きに語れんとです)」のお雛様がカウンターから音楽を見守り、そして再会を心待ちにしていたKは入院生活を乗り越えて、エトセトラ。様々な人間たちの想いを乗せて、ライヴは進行していくとです。真ん中に「音楽」と「愛」。書けばこれだけの事だけれど、そんな空間はそうあるものではないのです。二日間かけて、我々はいろんな音楽を演奏しました。さんざん歌って、笑って、吠えて、踊って、何故かメイクされて、食べて、飲んで、祝って、悩んで、話して、エトセトラ。自分の家よりくつろげるってのは、一体どういう事なんだと、苦笑する俺。音楽にはいろんな可能性があります。これだけのエネルギーを受け取ったからには、必ずそれを返しに来ます。ヒートウェイヴにはいろんなバージョンがあるとです。機は熟した、いや、熟するように力を尽くしてくれた、の方が正しいな。愉しみに待っていて下さい。酔っぱらいのリクオ君も、きっといろんなものを受け取っていると思います。彼方の蔵王連峰には雪。そして麓は春の匂いがしたとです。本当にありがとう。帰りたくなかった。

by 山口 洋  

トリオ・ツアー最終日、吉祥寺にて

2008/03/19, 16:05 | 固定リンク

3月19日 水曜日 雨 

 ソロ・ツアーで種を撒いた場所をトリオで機材を減らして、コンパクトに廻ってきたこのツアーも最終日。気負わずに音楽が出来て、お客さんが酒を飲めて、飯も喰える - 東京では数少ないLand of music = 吉祥寺のスターパインズ・カフェにて最終日を迎えました。ギリギリの人員と機材でやっていたゆえ、トラブルも多々あったのですが、バンドにとってはとてもいい経験でした。多くの出会いもあったし、とりあえず、飛び道具なしで、ほぼ生音で勝負する。それはバンドを飛躍的に進歩させるとです。ツアー中に、このセットに魚ちゃんを迎えて、外国に飛び出すかっちゅーアイデアもメンバーで話し合いました。近いうちに実現するかもしれません。

 にしても、ゆっくりオーディエンスが楽しめるはずが、客席は満員状態で、申し訳なかったっす。せめて2daysにするべきでした。あれじゃ、インターミッションの間に酒も買いに行けんよね?スターパインズの素晴らしいスタッフも、今回「入魂のカレー」を用意していてくれたんだけど。

 哀しかったのは、ヒートウェイヴのサウンドをほぼ25年支えてくれていた、俺のメインのアンプ、名器「ampeg VT-40」がライヴ中にお亡くなりになったこと。古い楽器なので、丁寧に使ってきたのだけれど、長きに渡る過酷なツアーに遂に耐えきれなくなったのか、突然音が出なくなりました。ごめん。本当はあそこから、炸裂するつもりだったんだけど。仕方なく、生ギターで演奏を再開したら、生まれて初めて演奏中に「指がつり」ました。弾かなきゃいけないんだけど、無理すると本格的に「つり」そうで、いやはやなかなか得難い経験でした。

 ライヴ中にも話したけれど、来年はバンド結成30年を迎えます。バンドは日々前進中です。しばらくバンドの予定はないけれど、何処かで見かけたら、是非気軽に足を運んで下さい。この機会に古くなった機材はすべてメインテナンスを施しておきます。古い友人から、新しい友人まで、多くの人々が足を運んでくれて、本当に嬉しかったっす。云うまでもなく、忙しい仕事の中、音楽を愉しみにやってきてくれた人たちもね。また会おう。多謝&再見。

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by 山口 洋  

時間

2008/03/18, 16:23 | 固定リンク

3月18日 火曜日 晴れ 

 とあるライヴのミキシングを始めました。それを完成させるために没入する訳ではなく、時間の空いた時に、コツコツと積み上げていく。そんなミキシングです。前にも書いたけど、旅三昧の寅さんのような暮らしを送ると、曲を書く時間がないのです。いろんなミュージシャンに聞いてみたけれど、洋の東西を問わず、同じ悩みを抱えています。旅から帰って、そのモードに頭が切り替わるまで2日はかかります。空いた時間にミキシングをやっておこうっちゅー考えです。

 さて、明日はトリオツアーの最終日です。気軽に遊びに来てください。「飲む、喰う、音楽を愉しむ」。トリオツアーではその全てが可能なように、やり方を模索しているところです。

by 山口 洋  

走る

2008/03/16, 21:50 | 固定リンク

3月16日 日曜日 快晴 

 朝から日本晴れ。もう春だね。窓を全開にして空気を入れ替えよう。うちのバンドに関わってくれてる人たちが、近所で行われるマラソンに出場するのだと。いったい、何処を走るのか不明だったので、応援には行けなかったけど、昼過ぎにはその結果がメールでもたさられた。どうやら、海沿いを走っていたらしい。
 編集者S君、2時間44分で完走。天晴! っていうか、君、これはもう立派なランナーやん。一方、飲んだくれのweb担当Y君、1キロ地点で棄権。約1万人のランナーの中で、最初の離脱者だと。情けな。おまけに誰よりも膝が痛そうだし。この前、海辺で君とサッカーした時、そうとう身体にキてるなーとは思ったけど、同輩、頼むよ。身体、鍛えなさい。我が家に遊びに来て、美味そうにビールを飲んでる彼等を観てたら、俺も走りたくなってきた。

by 山口 洋  

拷問

2008/03/15, 20:01 | 固定リンク

3月15日 土曜日 晴れ 

 昨夜は都内某所で壮大な宴会が行われていました。どうしても車で行かざるを得なかったのと、ドクター・ストップとも相まって、一滴も飲まずに宴を過ごすと云う、人生初めての体験をしました。これが辛いっちゅーか、何ちゅーか、ほぼ拷問に等しいものがありました。福岡でマブダチになった、サックスのスマイリーちゃんのテンションに全くついて行けない自分が哀しく、言い換えるなら、飲むと、このテンションと渡り合っている自分に驚きました。人生に無駄が必要なように、酒も同じです。カンゾー先生の云うことを聞いて、早く治そうと固く誓いました。

 トリオ・セッション。来週のスターパインズで最終日です。気軽に遊びに来て下さい。仕事が終って、飲みつつ、喰いつつ愉しめるヨカ場所だよ。

追伸
沢木耕太郎さんの新作「凍」、読み始めたら、止まらなくなって一気に読了しました。真のクライマー、山野井夫妻がヒマラヤの高峰、ギャチャンカンに挑むドキュメント。彼のノンフィクション・ライターとしての全てが詰まっている素晴らしい作品です。本屋で見かけたら、是非手に取ってみて下さい。

by 山口 洋  

HBC、東京にて

2008/03/14, 19:33 | 固定リンク

3月14日 金曜日 大雨 

 天晴、浦田賢一。
 いったいどのようにして、このメンツを、このヴォリュームで、このスケジュールの中で。「お前がやれ」と云われたら、目眩がして、アラスカまで逃げるだろう。会場では、同世代に混じって、子供たちがエア・ギターやエア・ヴォーカルで踊っていた、と。確かに「HAKATA」と云う街にはややこしさがあるのだけれど、いい感じでトシを重ねて、自らの利益のためでなく、何かを伝えようと、自然に一体となって、フントーしていた沢山のミュージシャン、スタッフ。オヤジの香りは充分にしたけれど、美しい光景だった。多謝&再見。

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by 山口 洋  

頭蓋の中の風景

2008/03/13, 20:08 | 固定リンク

3月13日 木曜日 晴れ 

 何日も前から、発熱した頭の中に途切れない音が鳴っていたとです。複数の楽器やリズムが鳴っていたので、ギター一本ではどうにもならん、と久しぶりに音楽専用のコンピュータに向かいました。こいつに相対したのは実に「made in Aso」以来です。最近、とみにコンピュータが好きになれず、ギター一本で音楽を作っていたとです。さて、スピーカーの間から立ち上ってきたのは、世界の何処かにありそうで、なさそうな、頭蓋の中の風景そのものでした。メインの楽器がブズーキだったのは、多分何日か前に某レコーディングでそれを弾いたからで、珍しくブラスの音が鳴っていたのは「hakata beat club」の影響かと。こんな風に音楽は繋がっていくんすね、多分。でも、やっぱり生身の人間とやる音楽が好きだな、俺は。

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by 山口 洋  

音の羽根

2008/03/11, 23:55 | 固定リンク

3月11日 月曜日 晴れ 
 
 ハードな日々がたたって、東京に戻るや否や、熱を出して寝込む。情けな。
 
 とはいえ、今日は某大物バンドのレコーディング。なので、行きましたとも、スタジオに。そのスタジオのチーフ・エンジニアはその昔、某スタジオのアシスタントだったのですが、彼のライブラリーの中から彼の「初録音作品 - 俺の93年のデモテープ」を引っ張り出してきてくれました。完全に忘却の彼方にあるものに出会うのも悪くないです。今、聞いても互いにいい仕事をしてたし。
 ところで、スタジオからの帰り道、若い友人の新譜を聞きながら帰ったのですが、今の季節と相まって、その音楽は天に昇って行きそうでした。音楽には羽根が生えるんだね。作品を生み出すことは、大変なことではあるのだけれど、このような瑞々しい音楽を聞くと単純に励まされるのです。ありがとう。

by 山口 洋  

home of the beat

2008/03/09, 13:46 | 固定リンク

3月9日 日曜日 雨  

 福岡にて、「hakata beat club」に出演。実のところ、「何でこの街に生まれたんだろう」と思ったこともある。でも、このトシになると、受け入れられるものある。この街が輩出した多くのミュージシャンと演奏しているのは本当に愉しかった。後ろで素晴らしいホーンセクションが鳴ってるのと、ドラマー3人と演奏してるってのはなかなか得難い経験だったす。

by 山口 洋  

dirty old man、その後。

2008/03/08, 23:55 | 固定リンク

3月8日 土曜日 晴れ 

 東京から福岡に向かう飛行機にて。今日は、とある本の紹介です。

 まずはその懲りない人物像を参照されたし。

http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=05110014
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=06010022

 著者、澤村栄一氏とはひょんな事で知り合った。氏は高知生まれで、フルブライトの奨学生として60年代初頭にアメリカに渡り、英語学者として、さらに世界中を渡り歩き、見聞を広め、帰国した後、高知大学に迎えられ、退官までその職を努めた人物。こう書くと、堅苦しいことこの上ないのだけれど、大学教授と呼ばれる人には、実に退屈な人物も居れば、「あんたはロックンローラーですかい?」と我が目を疑いたくなるようなアウトサイダーも稀に存在する。かく云う俺の父親も、同じ職業にて、おおよそ「壊れた人格」の愛すべき人物であったからして、この話は信用されたし。

 随分と前の話、俺は深夜のラジオ番組をやっていた。生放送の2時間番組。ほぼ全国の地方都市にネットされていた。思えば、いい時代だった。選曲権はすべて俺に委ねられていたし、どんなテーマで番組をやろうが、ほぼ自由だった。イントロにのっかって喋るなんてことはしなかったし、フルコーラス流すこともできた。もっとも、喋りはヒドかったけど。レコードが思うように買えなかったガキの時分、随分とラジオにはお世話になったので、せめてもの恩返しとして、番組に愛は込めた。
 澤村氏(以下、栄ちゃん)は入院中の病室でそれを聞いていた。入院の理由?それはイマジンしてください。だいたい分かるでしょ?「何じゃ、この若者は(当時は俺も若かった)?」と。彼は番組に手紙をくれた。文面から相当な奇人変人っぷりを読み取った俺は、高知に行った際(細かな経緯は省略するけど)、彼を病院まで訪ねた。彼は院長から特別に個室を与えられていたが、一歩踏み入れてみると、そこは「あんたの研究室かい?」と云わんばかりに本で埋め尽くされていた。苦笑。同じような光景を俺は何度か見たことがあったから。握手を交わし、「こりゃ、長い付き合いになるな」と直感した。以降、我々は年の差を超えて、親交を温めてきた(温めてもらった、の方が正しい)。彼は「友人」として、俺に接してくれた。あまりにも膨大な「知識 - 雑学 - 博学 - 生き延びるための知恵 - 励まし - ユーモア - エトセトラ」を俺に授けてくれた。会話の多くは書簡だったけれど。
 これまでの人生で「他に類を見ない、あまりに有益な奇人変人たち」に沢山出会ってきた。それぞれの分野で「我が道を往く」姿にどれだけのエネルギーをもらったか分からない。多分、太古の昔から、ジョー・ストラマーのような、ブコウスキーのような、ヘンリー・ミラーのような、LF・セリーヌのような、デニス・ホッパーのような人物は存在したのだ。栄ちゃんの魂はそれらの偉人の中で、並び賞されるものだ、俺にとっては。先日も「この国が勲章をくれてやると云うのだが、こんな腐った政治家どもからもらいたくないので、断った」と留守番電話にメッセージが残されていた。

 「ケルトふたたび - 新生アイルランドをめぐって / 澤村栄一著 / 南の風社刊」は高知新聞に連載された彼のコラムをまとめたものである。こう書くと、凡庸に聞こえるが、単にアイルランドを憧憬の地としてではなく、かの国のメンタリティー、歴史、音楽、問題定義はもちろんのこと、話は沖縄、アイヌ及びネイティヴな人々、アメリカ、果ては神道、シャーマニズム、もちろん土佐人気質にまで及ぶ。それらはケルトの渦巻きよろしく、始まりも終わりもなく、現実とファンタジーとを我々の目前に描き出す「渾身の一冊」である。もちろん、密かに毒が盛られたユーモアがちりばめられているので、良くある「研究書」のように肩が凝ることはない。何故、我々がかの国から出てきたものに惹かれたのか?その理由を今更ながらに教えてくれ、読後、何故か自分が見えてくる。そこに行ったことがある人もない人も、是非読まれたし。 

 栄ちゃん、俺もこのトシであんまり飲めなくなってしまったヘタレですが、また「ひろめ酒場」で一杯酌み交わせる日を夢見とります。

 なにぶん、限定本なので、以下の方法で手に入れて下さい。つーか、これまたインディペンダントなやり方でリリースするところに、俺はシビレます。

この本を入手するには、とりあえずこちらまでメールを下さい(宮本弘二)(nf_nm@ms2.megaegg.ne.jp)。

追伸
 もう一冊紹介したい本があるとです。先日のトリオのツアー、広島にて手渡された「中電さん、さようならー山口県祝島 原発とたたかう島人の記録」。その中にこういう記述があります。「無知であることは罪なの、僕がそうだったからよくわかる」。恥ずかしながら、僕はこの現実を知りませんでした。島人とこの本を作り上げた人々の想いに感銘を受けました。その紹介はもう少し読み込んでからにします。教えてくれて、ありがとう。

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by 山口 洋  

春の匂い

2008/03/07, 17:51 | 固定リンク

3月7日 金曜日 

 休日です。何もしたくなかったとです。だから、海に行ったとです。砂浜を走り回る犬たちを飽きるまで眺めてました。可愛いなぁ。運命の犬、早く目の前にやってきてくれないかなぁ。風はもう春の匂いがするよ。家の前の梅は満開です。

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by 山口 洋  

嗚呼、呼子のイカ。佐賀にて

2008/03/05, 13:59 | 固定リンク

3月5日 水曜日 曇り 

 佐賀っす。この街も多くの友人たちが「種」を撒き続けてくれたとです。ようやくトリオで初上陸です。これまでの会場と違って、いわゆるライヴハウスだったので、「生音」って訳にはいかなかったんだけど、それでも小さめの音で、座って楽しんでもらえるようやってみたとですが?その土地土地でがんばっている若いPAマンに、「音がでかい」だけがロックンロールじゃないことを伝えるのも我々の仕事です。そんな意味で、今日の彼は、ひとつひとつ丁寧に仕事をこなしてくれました。ありがとう。会場は大人しめだったけど、それぞれ愉しんでくれたかい?

 ステージから見ていると、「あ、この人、音楽やってんだな」っつーのがすぐ分かります。「多分ドラマーだな」とか「ベーシストだな」とか、我々に盗むものがあるかどうか不明だけど、そういう愉しみ方も距離が近いトリオセッションならでは、かなと。

 佐賀の友人達と話すうち、新しい可能性を沢山発見したとです。確かに街は閑散としているかもしれない。けれど、自分の育った街を愛し、人々を繋ぐために新しいメディアを立ち上げ、ミュージシャンやご当地のタレント諸氏を巻き込んで、フントーしている奴らは本当にいい顔をしとったとです。俺にできることは音楽をやることだけ。自分の街を「どげんかせんといけん」ちゅー想いは何ものにも代え難いとです。それにしても、呼子のイカは美味かった。世界最高峰。本当にありがとう。九州中から集まってくれた連中と熱くそれぞれの街と時代を語り合って、いい夜は更けていったとです。

 長崎から来てくれた女性がthe Risingのエコバックを毎日使っていると。嬉しかったっす。みんなに伝えなきゃ。今日、うちのweb担当、酔っぱらいのヨシ君がジャック・ジョンソンのライヴにおける新しい取り組みを、編集担当のS君がビョークの発言を俺に伝えてくれたのですが、それぞれミュージシャンが自分の立ち位置から起こしている言動に励まされるのです。

 俺は一旦、東京に戻って、また九州にすぐ戻ってきます。

by 山口 洋  

和解

2008/03/04, 19:11 | 固定リンク

3月4日 火曜日 雨

 報告です。
 過日、ソニーとの間で「和解」が成立しました。

 ヒートウェイヴは90年から約5年間、エピック・ソニーとの契約の元、アルバムを5枚発表していました。けれど、我々のアルバムは廃盤の憂き目に遭っていて、何とかしようにも、我々の手が全く及ばない状況にありました。新しくファンになった人々が昔の音源を聴きたいと思っても、それを聴くことが(一部を除いて)叶わない状況にありました。けれど時代は変わり、配信によって、それらを届けることが出来ます。レコード会社も大きな出費やリスクを負うことなく(サーバーのハードディスクの容量とある程度の人件費を除いて)、言わば「過去の財産」によって、収入を得ることができます。もちろん我々も。ならば、それを残さず公開して欲しい、あるいはitunes musicstoreに門戸を開いて欲しい、と。それに関しては、リリースした時と違って、制作上のコストのかかり方が全く異なる訳だから、新たに違う条件で契約を結んで欲しい。そのような申し入れするために、ソニーの法務セクションを訪ねたのが、2005年9月15日のことです。
  
 その際、担当者氏は口頭で、iTunesの件に関しては無理だが、少なくとも「mora」における配信は、協議して善処するとの回答を得ました。しかし、連絡はありませんでした。「その後の推移」について質問書を送ったところ、ソニーから配達証明付きの文書が届き、要約すると、「ソニーの見解に同意するならば、配信を行うこともやぶさかではない」との内容でした。我々が契約した90年当時、世の中には「配信」なんてことを考える人は居ませんでした。したがって、契約書の中にその項目は盛り込まれていません。そこで、文化庁が後に「送信可能化権」と云う法律を作りました。文化庁の見解では、実演家(つまり我々)とレコード会社が「配信」に関しては等しく権利を保有していると云う法律です。つまり我々の許諾なしに、勝手に配信したり、それを止めたりは出来ないと我々は解釈していました。しかしソニーからの文書には「送信可能化権を含む一切の権利を当社が保有すると理解している」と記されていて、そこの見解が大きく食い違っていました。不本意ながら、話し合いがうまく行かない場合、法廷で解決しなければならないと思っている旨、弁護士が先方に伝えました。そして、2006年初頭、我々の音源は配信サイトから、何の連絡もないまま削除され、裁判が始まったのです。

<< 詳細ないきさつはリンク先を参照して下さい。>>

http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=05090015
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=05120011
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=06010015
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=06030001
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=07050012


 そして、2007年4月27日、「送信可能化権」をめぐるソニーとの裁判に、東京地方裁判所の判決が下りました。簡単に書くなら、ほぼ全面的な敗訴です。

<<判決の主文に関してはこちらのサイトにpdf形式にて掲載されています。2007年5月15日付のところにあります。リンク、ありがとうございます。>>
http://ootsuka.livedoor.biz/ 


 その後、裁判所の和解勧告を受けて、協議が始まり、先日、「和解」が成立しました。内容は平易に書くと、以下のようなものです。
 
1. 一番の争点であった、「送信可能化権」に関しては、ソニーが100%保有していること。
2. 配信に関する印税率も、新たに決めるのではなく、契約当時の印税率をスライドして適用すること。
3. 我々がソニー在籍時に残した全54曲の楽曲のうち、25曲を、ソニーは和解成立後30日以内に配信を開始すること。
4. ソニーは音楽配信の発展状況をふまえ、曲数の追加について検討すること。

 「裁判」のビフォー・アフター。変わったところは「3」の部分で、裁判以前に配信されていた10曲弱(それは我々が選んだものではありません)が25曲に増えた、と云うことのみです。その曲目を我々が選ぶことができたと云う点では「微々たる前進」と云えるかもしれません。ただし、これ以上の曲数増はソニーも譲歩してくれませんでした。その理由は1曲アップするのに、費用がとてもかかる(約8万円)、からだと。1審で完膚無きまでに敗訴した以上、2審で、それがくつがえる可能性はほぼ無いに等しく、「この時代に、この案件、この争点で」、今一度、完膚無きまでに「負けた」と云う事実を残すのも、ひとつの方法ではないかと(ワイセツ裁判のように、時代に法律が追いつくには時間がかかることもある)考えました。また、我々が敗訴したことによって、後に続くであろう人々にとって、マイナスの状況を作ってしまうのではないか、と随分逡巡しました。が、しかし。いかんせん、個人が大企業と争うことには限界があります。ひどく骨の折れる作業です。業界に投げ込んだ「小石」から巻き起こったはずの、小さな「波紋」をそれぞれの道で役立ててくれた方がいい、と判断しました。事実は包み隠さずここでお伝えした上で、僕は本分である音楽に戻る決意をしました。「それが出来ることの、すべて」でした。

 元より、これは金銭のための闘いではありませんでした。もう少しマトモな状況にしよう。それは「商売」には違いないけれど、「文化」である側面も忘れたくはない。僕らを含め、ミュージシャンがこの時代に音楽を創って、生きていくにはどのようにすればいいのか?多種多様な音楽が共存する「豊かな文化」を目指すには、どうすればいいのか?そもそも、何故、ミュージシャンは配信と云う新しいメディアで、自らの楽曲をハンドリングさえ出来ないのか?一体、「権利」とは誰のためにあるのか?エトセトラ、エトセトラ。

  その「答え」は風の中にもないのかもしれません。けれど、これからも独自の方法でそれを模索していくつもりです。幸い僕らはレコード会社に頼らない新たなアルバム製作方法(HWアルバムプロジェクト2006)を通じて、沢山の「Land of music = 音楽の場所」を見つけることができました。それらはかけがえのないものであり、励みと呼ぶにふさわしいものです。友人の言葉を借りるなら、「音楽は契約の中にではなく、それぞれの心の中にある」、と。

 これらの日々の中で、僕らをサポートしてくれた皆さんに心から感謝します。ある人物は費用を、ある人物は煩雑な調整作業を、弁護士氏は法律に於いてド素人の僕に、分かり易く説明してくれ、ある偉大なソングライターは自作の詩を送ってくれました。特に、バンド脱退と共に、この世界から潔く身を引き、家業を継いで地元で仕事を続けている当時のメンバーには多大な迷惑をかけました。藤原君、本当にありがとう。僕らはまっすぐに生き抜くことで、魂のこもった音楽を創り続けることで、その気持ちに応えたいと思っています。

 
 

by 山口 洋  

広島にて

2008/03/03, 03:28 | 固定リンク

3月3日 月曜日 黄砂 

 広島っす。バンドで来たのは実に7年振りだそうです。ほんま、ごめんな。こんなに長く空けて。

 一人で来て、何度も種を撒いて、多くの友人達が協力してくれて、今日のライヴがあったとです。でも、ワンステージで3本絃を切るし、池畑さんがスティックを折るっちゅー場面も久しぶりに観た気がするとです。音楽は難しいのです。その力加減が。でも、いろんな意味でとってもライヴだったと思うとです。とってもリアルだったとです。何もやっても盛り上がる、そんな空気じゃなかったゆえ。願わくば、そんなみなさんの日々の中で輝く一瞬、そんなものを受け取ってくれてたら、嬉しいです。古くからの俺の友人たちは、ほんま、心を砕いて、今日のライヴをいいものにしようと奔走してくれてました。ありがとう。口に入った、瀬戸内の恵みも、相変わらずアホアホな広島の夜も、何もかも、俺たちの糧になったとです。今度は魚を連れて4人で来るぜ。多謝&再見。ありがとう、心から。来てくれて、ありがとう。

追伸
クアトロの若いスタッフも、fm広島のみんなも、本当にありがとう。

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by 山口 洋  

blue blues / no fear & money、岡山にて

2008/03/01, 02:15 | 固定リンク

3月1日 土曜日 曇り 

 岡山っす。最近、渡辺圭一のblogに負けていると評判のロックンロール・ダイアリーです。

 前回、一人でこの街に来た時、新しいハコ「blue blues」で歌ったとです。スタッフの熱意に打たれてね、今度はトリオで来てみようと。階段上がってびっくりしたよ。ステージがでっかくなり、楽屋も新設されていたとです。あんたら、男前や。いつも我々を応援してくれているno fear /no moneyの連中も家族総出で手伝ってくれました。まだPAには不安があるからと、全てのPAも入れてくれました。愛だよなぁ、愛。

 我々は今日も演奏を楽しんだとです。トリオも随分タイトになってきたなぁ。昨夜、4人のヒートウェイヴで何にもないところから、世界に出ていくか、このトシで、なんて事を話し合ったとです。何だか、少年のような気持ちでバンドをやってんのが、嬉しいです。足を運んでくれた人たちが明日の日曜日をゴキゲンに暮らしてくれたら、いいなぁ。ありがとう。いつも、本当にありがとう。この街に来て、飲む場所が見つからなかったら、blue bluesに行ってみんですか?素晴らしきland of musicだよ。ギネスを飲むなら、スキッパーズへ。うっしゃー、明日は広島じゃー、待っとれよー。

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by 山口 洋  
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