振幅、宮城県白石市にて

2008/08/31, 20:54 | 固定リンク

8月31日 日曜日 雨 

 東北の小さな街での2days。自分のアホさから真剣な部分まで、すべての振幅が、街や人々の想いや食べ物や会話によって引き出された気がするのです。このカフェについて、多くの語る言葉はあまり意味がないような気がしてきたとです。気になる人は是非、足を運んで欲しいとです。この時代にどう生きるのか、そのヒントが、訪れてくれた人の数だけあると思うからです。心からありがとう、と。多謝&再見。

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by 山口 洋  

宮城県白石市にて

2008/08/30, 13:08 | 固定リンク

8月30日 土曜日 雨 

 カフェ・ミルトン2days、初日です。新しいアルバムへの第一歩をこの場所から踏み出せたことを、心から嬉しく思っています。ありがとう。

追伸
ヤイリギターの迅速あまりある、対応に感謝します。送られてきた郵送物にはパーツはもちろんのこと、工具まで入ってました。

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by 山口 洋  

食と音楽

2008/08/29, 14:09 | 固定リンク

8月29日 金曜日 雨 

 「お前は食までプロデュースするんか?」みたいな気はまったくありません。俺の本分は新しい歌を書いて、歌うことですから。ただ、この国をグルグル廻っているうちに、政治家は世襲で、一般ピープルの気持ちなんて分かるはずもなく、大型郊外店が林立、あるいは撤退みたいな事実がある一方で、古くからの、多種多様な文化が根付いている素晴らしい国だとも思うようになりました。旅ガラスを疲れを癒してくれるのは、メタボる可能性が高い、高カロリーの食事ではなく、例えば東北のおっかさんが心を込めて作ってくれた、芋の煮っころがしだったりするとです。

 外国には稀に、美味しいご飯と音楽を同時に味わえるような場所があります。家族でふらりとやってきて、美味いものを喰って、音楽を楽しんで、ついでに一杯ひっかけて、また明日からの鋭気を養う。そのような場所が日本にも増えつつあります。例えば、横浜のサムズ・アップとか、明日から2daysをやらせてもらう宮城県白石市のカフェ・ミルトンとか。旅を続けていると、いろんな職種の人間と知り合います。連中と話していると、抱えている問題や構造的矛盾、そして「espoir」がほぼ同じであることに気づきます。何かに魂を込めて、向き合っている人間の想いを繋げていくこと。それも旅ガラスの「吟遊的」使命かもしれん、と最近考えるようになったとです。

 函館に音楽と野菜作りに情熱を傾けているアホみたいに真っすぐな夫婦が居ます。一番の実労働をやっているのはターシャ・チューダみたいな奴のおかんなので、新しい形の「3ちゃん農業」と云えるでしょう。文章にすると伝わりにくいのですが、農薬を使わないなんてのは当たり前で、一度だけ、その作業を手伝ったことがあるのですが、草むしりも、すべて「手作業」で行われます。俺なら、さっさと文明の利器を使ってしまうところすが、奴らにしか分からない「こだわり」があるんだと理解しています。そこで食した「野菜」の本当の美味さに驚愕したので、明日からのライヴで実験的にオーディエンスに食べてもらうことにしました。野菜マニアの俺はもともとドレッシングを使わないのですが、「おー、ルッコラってこんな味だったのね、すげー」みたいな。野菜本来の味がするとです。地産地消ではないので、若干地球には優しくないのですが、是非食べて欲しかったとです。今頃、ミルトンのスタッフが知恵をしぼって、それらの食材を使った美味しい料理を作ってくれてると思います。ライヴに来てくれた人はその野菜も買えるようになっています。贈答も出来ます。「Land of ベジタブル / the eating」だそうです。アホか、お前。

 蛇足ですが、この男。無類の音楽好きで、ウォーターボーイズのマイク・スコットにどうしても俺の音を聞かせたくて、イギリスに渡ったっちゅー、無意味に熱いエピソードを持っています。

 じゃ、野菜に負けないライヴを二日間ブチかましてきます。enjoy yourself!!


追伸
 俺の歯なんすけど、深夜12時に、とある場所に「秘密の歯医者さん」がやってきてくれて、「テクマクマヤコン」診てもらいました。プロフェッショナルに「大丈夫っすよ」って云われると、痛みって楽になるもんすね。感嘆&感謝。

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by 山口 洋  

まじ、怖かったす、宇都宮

2008/08/28, 17:56 | 固定リンク

8月28日 木曜日 嵐 

 東京を出た時から、観たことのないような空だった。それでも俺はタカをくくっていた。俺とて、いろんな修羅場を乗り越えてはきたのだ。この程度の天候なら、何とかなるだろう、と。

 宇都宮まであと百キロを残して、雨は尋常ではなくなってきた。こりゃ、どう考えても通行止だろ、そう思った。まずは車線が見えない、ワイパー殆ど意味なし。バケツをひっくり返したような大雨。高速道路と云うよりは池の中を走っている感覚。かすかに視認できる前の車のテールライトだけが頼り。30キロ以上出せない。でも、俺はプロだ。こんな無茶苦茶な天気で、オーディエンスなんて来る訳がない。それでも行かなきゃならない。真面目に身の危険を感じた。そういえば、前回の宇都宮は台風だったなぁ。俺、呪われてんのかなぁ。背中に汗をたっぷりかいて、どうにか、こうにかたどり着いた。ふーっ。

 決して大入りとは云えなかったが、それでもオーディエンスは来てくれた。聞けば、かなり遠方からも。ってことは、だよ。時間帯が違うとは云え、少なからず、あの雨の中、決死の覚悟でやってきてくれたって訳だ。ここで燃えなきゃ男じゃねーだろ、九州人。と、アッパーな演奏をしていたら、今度は俺の愛機、ヤイリ君の3弦のペグ(糸巻き)が完全に壊れた。調弦不可能。これが出来ないってことは、死活問題なのだが、それでもやるしかない。多分、オーディエンスには分からなかったと思うが、だんだん下がっていくチューニングに全体を合わせた。だから、いつものキーでは歌えなかった。何とかなるもんだなぁ、と少し自分に感嘆。でも最後の曲で、嫌な音がして、ペグとしての機能を完全に失った。アーメン。続いて、感電。リハの時も感じてはいたが、マイクに唇が触れる度に、かなりの電流が流れる。通常、電極を逆にすれば解決するのだが、それも叶わず。でも、やるしかない。雨に打たれた挙げ句、感電かよーーー。

 でもね、俺は思ったのだ。こんな天候の中でも「音楽」を求めてきてくれたオーディンスにはハッピーになって欲しい。昔だったら、自分に意味もなくキレてたところだが、踏ん張った。それを可能にしてくれたのは、オーディンスのエネルギーとハコの主人の想いだった。ありがとう。

 蛇足だけれど、この天候のせいで、物販のスタッフも来れなかった。余剰人員って、それ、俺だけでしょ?この場合。何事も経験だと、終演後、俺が物販のブースに立つことにした。人生初。慣れないから大変だったけど、みんなが働いたお金で、こうやってCDが売れていくのを実際に観るのは悪くなかった。

 はい。そんな訳で、凄まじい一日でした。ホテルに戻って、ほぼ秒殺。気がついたら、何も喰っていなかった。でもね、得たものはたくさんあったのです。「これに懲りないで、宇都宮にまた来てくださいね」って。もちろんですとも。今度こそ、晴天の下で。でも、二度あることは三度あるってか?後から聞いたんだけど、あの凄まじい雨、一時間に100ミリ降ってたんだって。お願いします。あれで事故が起こらなかったのは奇蹟っすよ。

 みんな無事に家に帰ったかーー?

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by 山口 洋  

brother

2008/08/27, 21:57 | 固定リンク

8月27日 水曜日 晴れ 

あんたは水で出来ている 
あんたは祈りで満ちている 
そして いつだって渇いている

あんたは怒りで出来ている 
だからこそ そこはかとない優しさがある

あんたには消えない喜びと哀しみがある 
まだ熱く燃えるものもある

お互い 流れ続けようぜ 
死ぬまで生き延びようぜ 
道を切り拓こうぜ ブラザー 

life goes on

by 山口 洋  

日々雑感

2008/08/26, 20:53 | 固定リンク

8月26日 火曜日 雨 

 あんなにクソ暑かったのに、このところ急に温度が10度近く下がって、慌てて靴下を履いたり、とか、長袖を着たり、なんてことをしているうちに、雨に打たれて風邪を引いた。
 どうも夜の街っつーのが好きになれなくなって、それでも近所の悪友どもの誘いに乗って、飲みに繰り出した。それから絵描きの親友の家を訪ねて、モノを創ることについて、ワインを空けて語り合った。気持ち良い時間が流れていたんだけれど、帰ってきたら、ものすごい歯痛が襲ってきて、何も手に付かず、こりゃ近々に苦手な歯医者に行かなければ歌えんばい、と危機感を感じた。

 とはいえ、そんな時間のなか、ようやく新しい曲がひとつ完成しようとしています。これからの旅の中で、客席に投げかけながら完成させよう、と。今週は宇都宮、白石2daysです。白石ではカフェ・ミルトンの協力の元、食に関する新しい試みを考えています。それは会場に来てのお楽しみってことで。ソロのツアーもvol4を迎えるにあたって、画期的なギターの弾き方を思いついたので、珍しく家で練習なんぞしております。それにしても、歯が痛い。

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by 山口 洋  

into the wild

2008/08/22, 23:45 | 固定リンク

8月22日 金曜日 曇り 

 普段、ここで紹介する映画や本は、実際に自分の目で見たものに限られる。でも、今回は違う。俺が世界一好きな「映画監督」ショーン・ペンがこの作品を手がけているのを知ってから、ずっとずっと心待ちにしていたから。彼が作った3本の映画は一貫して「魂の救済」をテーマにしてきた。最初の映画「インディアン・ランナー」を早稲田松竹で観て、号泣してから、もはや他人だとは思えなくなった。未だに何の個人的接点もないんだけれど。
 新作「into the wild」はジョン・クラカワーによる同名の原作を随分前に読んで、深い感銘を受けていた。裕福な家庭に育った青年が、全てを捨てて、何故荒野に入って行ったのか?あるいは行かねばならなかったのか?それはある種の青年にとって、避けがたい命題でもある。それをショーンが10年をかけて映画化した。9/6からロードショー。まだ観ていないから、何とも云えないけれど、こんなに映画館に足を運ぶのが嬉しいのは、本当に久しぶりなのだ。できれば、好きな映画館で観たいなぁ。3回くらい観たいなぁ。広島の横川シネマ、とか。ちなみに沖縄の桜坂劇場ではこの秋、公開だと。

 でも、ショーン。いつか音楽やらせて欲しい。あんたの映画のためなら、何だってやるぜ。

http://intothewild.jp/top.html

by 山口 洋  

ジャスティス

2008/08/21, 03:53 | 固定リンク

8月21日 木曜日 晴れ 

 弁護士を生業とする人物からの葉書。その内容がとても好きだったから、抜粋。無断転載をお許しください。いわく、

「この仕事に携わっていると、今でも、何が正義なのかわからなくなることがあります。人にはみな正義(言い分)があり、うなづけるものを持っていますが、相手方の相談を受けている弁護士も、同じように感じているのではないかと推測されるからです。私は、自分の依頼者の「正当」な利益を守らなければなりませんが、「正当」かどうかの判断は私に任されています。いくつになっても、こんな基本的なことの判断に右往左往する自分に、恥じ入るほかありません」。

 おわらない自問自答、そして自己検証。自戒の念も込めて、人は「自分の正義」を振り回しすぎると思う。相手にとっての「正義」と自分のそれとが重なり合う場所はほんのわずか、かもしれない。あるいは皆無なのかもしれない。けれど、その煩雑かつ面倒な作業を生涯続けていくしかないんだってことを、彼の文章は教えてくれる。彼とは「仕事」で会いたくはないけど、このような人物とゆっくり酒を飲んでみたいなぁ。それがどんな道であれ、ある部分では同じ場所に繋がっていることを確かめられる気がするから。

by 山口 洋  

帰巣本能と文明の利器

2008/08/20, 13:20 | 固定リンク

8月20日 水曜日 晴れ 

 世界中、言葉が通じようが通じまいが、住所さえ分かっていたら、何処にでもたどり着けるのが数少ない特技。街には「成り立ち」があって、過度に人工的に作られていないものは、このあたりに川が流れて、このあたりに飲み屋が集まっていて、ここを歩くと危ない、みたいな事は何となく分かる。
 ソロのツアーは、自力でその街に近づいていくのが好きで、ずっとそうしてきたのだが、正直に書こう。運転しながら、地図を観るっちゅー行為がだんだんしんどくなってきた。目のフォーカスが素早く切り替わらないのだ。それを老眼と云うのか、どうかは曖昧にしておきたいのだが。同じトシの友人が「カーナビ買えばいじゃん。あんたみたいな面倒臭いタイプの人にうってつけの、過度にぎょーぎょーしくなくて、安くて、ポータブルなのがあるよ」。そんな訳で、買ったとです。はい。便利です。認めます。でも、こいつに頼りすぎるのはどうにも虫が好かんので、付き合い方、考えます。

by 山口 洋  

怪傑おはなどん

2008/08/19, 11:45 | 固定リンク

8月19日 火曜日 晴れ 

 友人が生後10ヶ月の娘、「おはなどん」を連れてやってきた。惑星からの物体X、はたまた怪傑おはなどん。男とか女とか、ホモサピエンスだとか。そんなものを超えるものが確かにあるなぁ。

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by 山口 洋  

2008/08/18, 02:58 | 固定リンク

8月18日 月曜日 晴れ 

 誰かがマネーゲームで原油の価格をつり上げて、「勝ち組」だとか「負け組」だとか云ってるのなら、そのバベルの塔に棲んでいる「勝ち組」の奴は本当に愚かだ、と俺は思う。本物の馬鹿だ。奴らの高級車のボンネットに見事なウンコをお見舞いしたいところだが、そんな事で捕まっても意味ないから、やらない。

 漁師は漁に出れなくなり、魚が喰えなくなる。輸入飼料が高騰して、チーズやバターが喰えなくなる。第一、ミネラルウォーターより牛の乳の方が安いってのはどういうことだ、と酪農家の友達が云っていた。牛は子供を産まなければお乳が出ないんだそうだ。考えてみりゃ、当たり前だ。そこに至るまでには手間暇がかかる。水は開かれた公共財であるべきで、企業が囲い込んで利益を上げるのは間違っている、とボディー・ショップの女性社長が語った。同感だ。人間は喰ったもので出来ている。食料自給率を上げることは、CO2を減らすことにも繋がるはずだ。そりゃ、たまにはフォアグラ喰うのもいいけどね、それが飛行機で運ばれてきてること考えたら、せめて残さずに喰って欲しい。職業に貴賎はないのだけれど、第一次産業は尊いと思う。彼らが居なければ、「食い物」はないのだから。彼らが「農薬」を過多に使わずとも、生きていくのに充分な対価が支払われるようなシステムは作れないのだろうか。一方、飽食日本人が食べ残す残飯の量は、世界中の飢えている人々に必要な食料にほぼ匹敵するのだそうだ。レストランで、残されたまま下げられていく皿を観ると、苛々する。喰えないんだったら、頼むなよ。頼んだんなら、喰えよ。喰い尽くせよ。俺たちゃ、何かの「死」の上に生きてんだぜ。「屍」を食べさせてもらってんだよ。最近何かの本で読んだんだけど、戦時中飢えていた日本人は飼い犬まで喰ったと。首を締めて殺して、3日間土に埋めて、喰い尽くしたと。そしたら、タンパク質ってのはすごいエネルギーで、カサカサだった肌がツルツルになったと。俺だって、本気で飢えたら可愛い犬を喰うかもしれんよ。そのくらい生きることには執着してると思うし、暴力性だって充分に内包してる。

 随分前の話だけど、某大学の農学部ってとこに、良く呼ばれて演奏しに行ってた。そこの女子学生に「山口さん来てくれるんで、ニワトリ絞めときましたー」と笑顔で云われて、こいつ格好いいな、とシビれたことがある。本当の話だけど、「牛丸」って行事があって、子牛にパイプが刺さってて、グルグル廻りながら、丸焼きにされていた。「俺たち、殺したからには喰い尽くしますから」って。またシビれた。多分、自分が殺せないものは喰っちゃいけないんだと思う。それが正しいんだと思う。でも実際のところ、牛はおろか、俺は魚でさえ殺せない情けない男だからね。せめて、何かの屍を頂いてること、誰かが俺の代わりにそいつを「殺して」くれていること。それだけは忘れずにいようと思う。原油だって、それは本物の「屍」なんだから。

 さ、歌書こ。

by 山口 洋  

その街

2008/08/17, 22:38 | 固定リンク

8月17日 日曜日 曇り 

 旅から帰ってきて、音楽を担当させてもらったそのドラマの完成品を観た。僕自身、福岡を離れて、随分たつのです。えっと、かれこれもう18年か。いろいろ変わってしまったなぁ、とか、祝いめでた、おっさん達が歌ってるの「生」で聞きたいなぁ、とか、中尾ミエさんみたいなおばちゃん、近所に居たなぁ、とか。きっと全国に散らばるあの街出身の輩が、ぐっときながら見るんだろうなぁ、とか。ぐっさん(親しみを込めて愛称で失敬)の演じる博多人気質が全国の人に伝わるといいなぁ、とか。

 音楽に関して云えば、予算とか、納期とか、そんな事じゃなくて、もっと「がっつり」と全面的にやらせて欲しかったと云うのが本音。プロットを読んだ段階で、実は10曲くらい作っていたのだが、諸々の事情で、レコーディングできたのは3曲だけだった。それゆえ、僕らが作ったものではない音源がたくさん使われていた。もちろん重要なシーンでは、心をこめて使われていたのだが、この状態で、名前がクレジットされることには少し抵抗がある。まぁ、長年のファンにはどれが僕らが作ったものかってことは聞いてもらえば分かると思うのだが。生き馬の目を抜くような視聴率競争の中で、こんな事を書くのはクリエイターのわがままだと知っていながらも、そのこだわりを失くしたら、自分じゃない、とも思うのです。

 とは云え、あの街には、もらってばかりで、何も返さないまま、流れ者になって、今は海辺の街にたどり着いているような、居心地の悪さがずっとあったのです。ほんの少しだけれど、恩返しをさせてもらったような気持ちです。

by 山口 洋  

代官山にて

2008/08/16, 22:41 | 固定リンク

8月16日 土曜日 曇り 

 沢知恵の音楽が、周到かつ入念な準備の上に成り立っていることが、一緒にやってみてよく分かった。俺は前もって、いろんな事が頭にインプットされると、どうにも瞬発力を失ってしまうので、ステージに上がって感じるであろうことに全てを賭けた。たった一回のライヴで「響き合う」と書くには、あまりに傲慢やろ、と思えるほど、二人の音楽への向き合い方、これまでの道のり、その他もろもろ、は違っていた。ただ、オーディンスはそれだけの「幅」を目撃したのでは、と思うけれど。
 それにしても、楽屋で彼女が生まれたばかりの息子さんをあやしているのを見て。女性には勝ち目なし、とあらためて実感。母は強し。沢さんの言葉を半分借りれば「いい女は俺のもの、でも女性を所有するなんて、おこがましいにもほどがある」つー、感じすかね。

追伸
響き合うってどんな風に?
例えば、この写真のように彼女とは中空に絵を描ける日が来ると
僕は勝手に夢想しています。

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by 山口 洋  

released

2008/08/15, 14:04 | 固定リンク

8月15日 金曜日 晴れ 

 hobo jungle tourは当たり前だけど、リクオと過ごす時間が長かったから、いろんな話をした。飛行機の中で、実覚えのある表紙の本を奴が読んでいたので、確認したら、「それ昨日まで俺が読んでた本だよ」とか、あはは。
 
 確か、豊橋の飲み屋だったと思うけど、奴が「今、何の本が売れてるか知ってる?」と。俺はしょっちゅう本屋に行くけれど、目的のものを買ったら、とっとと帰るタイプだから、「知らない」と応えた。すると奴、「蟹工船だよ、資本論も売れてるよ」。「嘘だろ?、誰が買うの?」。「派遣の人たちがシンパシーを感じて読むらしいよ」。「ふーん」と応えてはみたものの、にわかには信じ難く、翌日、本屋に行ってみたなら、果たして確かに、あの「蟹工船」が堂々のベストセラーになっているではないか。80年以上の時を超えて、こんな日が来ると多喜二は思っていただろうか?

 俺がその本を手にしたのは高校生の頃だった。学校生活と云うよりは、この国の教育システムにどうしても馴染めず、圧倒的な疎外感を感じていた。だから、授業中にプロレタリアートの本を読みあさっていた。ジョー・ストラマーが「パンクとは態度である」と云ったのと同じように、渇いた心に水のように染みとおってきた。「治安維持法と特高警察」と云う本で、多喜二の最期を知り、時代は違っても、筋の通った生き方をしようと、悶々とした日々の中で、心に決めた。後に、小樽にある文学館を訪ねて、彼の母が獄中に居た多喜二のために書いた手紙を読んで、母の愛の深さを知って号泣した。彼の母は文字の読み書きが出来なかった。けれど、息子のために、それを必死で覚えたのだった。深い愛情がつたない文字からにじみ出ていて、切なかった。

 話を戻すけれど、俺が高校生の時分に「蟹工船」をはじめとする本から力をもらったのは確かだ。幸いなことに、俺には音楽があった。それを続けることで、随分廻り道もしたけれど、どうにかこうにか、今を生きている。けれど、今を生きている若者たちが、あの時の自分と同じような気持ちで、毎日を送っているのだとしたら。そう考えると複雑な気分になる。村上龍さんが近年の作品で書いていたけれど、「この国には何もかもがあるけれど、希望だけがない」。そのような状況が本格的に来ているのだとしたら。とあるブラジルのシンガーがこう云ったのだそうだ。「どうして、日本はこんなに自殺が多いんだい?僕の育った街じゃ、生きることに忙しくて、死ぬ暇なんかないのに」と。

 欲望とのつきあい方。僕はそれを学んでいるところだ。we shall be released。リクオとそのような曲を各地で何度も演奏したけれど、それに勝る曲を僕はまだ書いてはいない。

by 山口 洋  

手のひらを太陽に

2008/08/14, 14:19 | 固定リンク

8月14日 木曜日 晴れ 

 雑務は昨日のうちに終わらせた。ふと気がつくと、今日やらなければならないことは何もなかった。「お、休日か?」。「休日だよ」。仕事場にはベランダが二つあって、ここで友達とビール飲むと愉しいだろうなぁ、とか、BBQとかやってみるか、とか、思ってはいたものの、ただの一度も実現したことがなく。突如、休みを迎えると、やりたいことが何も湧いてこない自分が空しかったりして、急いで考えた。俺は何がしたかったんだ?まずは野球だろ。午前中に近くの中学校に行って、目一杯練習した。やっぱり足がもつれた。それからちゃんと飯を喰うことだろ?帰ってきて、由緒正しい日本のご飯を自分で作って喰った。でもって、ゆっくり本を読むことだろ?ベランダに寝袋を敷いて、太陽を浴びながら、読みたかった本の世界にどっぷり浸った。新しく買ったディレイは二ヶ月箱に入ったままだろ?ソロのライヴで、使えるかと思って買ったものを試してみた。これがあると、「シャドウズ&ライト」のジャコ・パスみたいなことが出来るはずなのだが、果たして、出来た。でも、このギター・サーカスみたいな感じは目指してるものとは違うなぁ、とか。満喫したところで、これまでに書いた曲の断片みたいなものをまとめておくことにした。有象無象に断片だけはあるのだが、まだ何ひとつ完成してはいない。何かの歌にあったみたいに、手のひらを太陽に透かしてみる。確かに血潮は流れていた。嗚呼、休日。

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by 山口 洋  

季節はずれのメリークリスマス

2008/08/13, 16:34 | 固定リンク

8月13日 火曜日 晴れ 

 今日はとある人物の母上の誕生日だったから、友人の花屋さんに頼んで、花を贈った。いくつかのメールが来て、友人達は盆だから、実家に帰省すると。ちょっとだけ羨ましかった。子供の頃、盆なんて夏休みの「真ん中あたり」としか思っていなかった。それが、いつからだろう、いい風習だな、と。先祖が帰ってきて、みんなが集まって、ときに踊って、食べて、飲んで、墓参りをする。俺には家族が居ないから、ちょっとだけ胸がきゅーんとする。

 俺が尊敬する野田敏のデモテープを聞いていたら、その母上から「ありがとう」と電話がかかってきた。些細なことだけれど、そんな事が妙にぐっと来たりもする。ところで、野田敏のその歌なんだけど、彼がいろんな苦労を乗り越えて、自分の子供達と「メリークリスマス」と歌っているのだが、急に心のド真ん中に入ってきて、泣けて仕方がなかった。それって、ビリー・ブラッグが娘の歌を歌ったりすんのと同じで、突然、心のド真ん中に刺さるのだ。50年渇き続けた男が家族を想って歌うとき。俺はこの男の「今」が詰まったアルバムをどうしても作らなければならん、とまた固く心に誓ったのだった。

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by 山口 洋  

暑中見舞い

2008/08/12, 00:37 | 固定リンク

8月12日 火曜日 猛暑

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by 山口 洋  

移動日

2008/08/11, 19:59 | 固定リンク

8月11日 月曜日 晴れ 

 陸路で金沢から東京に戻る。飛行機だと1時間なのだが、陸路は果てしなく遠い。遠過ぎる。道中、北陸シリーズを振り返った。陸路の良さは、当たり前だけれど、ひとっ飛びにいかないところにある。大型郊外店に埋め尽くされた今日だって、その街の成り立ちや必然性が見えてくる。アメリカを一日に1000マイル移動しても、変わらないことの方が多い。けれど、この国はわずか30キロで、言葉も、食べ物も変わる。とても豊かだと思うのだ。

 ずっと撒いてきた種が、いろんな場所で実をつけつつある。新潟も、高岡も、云うまでもなく金沢も、本当に素晴らしかった。お客さんが心から音楽を楽しんでいる。「自分の街で音楽を聞くために」尽力を惜しまない人々が居る。すべての会場で、地元で音楽を続けているミュージシャンとも演奏することができた。もうしばらくしたら、このエリアの点は線になっていくだろう、と思う。それが嬉しい。さぁ、今日は寝よう。

by 山口 洋  

魔界のアジフライ、石川県金沢市にて

2008/08/10, 19:15 | 固定リンク

8月10日 日曜日 晴れ 

 俺が心から愛してやまない、金沢市民の台所、近江町市場。約半年振りに足を踏み入れて、その変貌ぶりに絶句した。所詮、俺は旅人である。そこに暮らす人たちにはそれぞれの事情があるに違いない。だから、深く考察もしないで、いろいろ発言することはできない。けれど、日本中から消えつつある市場 - 中でも独特の活気と猥雑さがあるここ近江町がずっと残って欲しいと、心から思う。それは文化だと思うから。

 云わずと知れた、「メロメロポッチ」は近江町市場の入り口にある。街が再開発されようとも、ここには金沢のアウトサイダーたち - 老若男女 - が今夜も集まってくる。ある種、いいバイブレーションを出す「魔界」みたいなもんだ。俺は彼らが発している「気」を受け止めたら、後は運ばれていくだけ。

 アンコールで乱入してくれた金沢が誇る才能、杉野清隆が新曲「アジフライ」を歌ってくれた。名曲だ。俺には絶対書けない。金沢の皆さん、この「魔界」を大事にしてください。広島から来た友人が「金沢おそるべし」と名言を吐いていたのだが、確かにその通りだと、俺も思う。人間にはこのような場所が必要なのです。また戻ってきます。それまでどうか元気で。
多謝&再見。

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by 山口 洋  

富山県高岡市にて

2008/08/09, 08:37 | 固定リンク

8月9日 土曜日 晴れ 

 この街に来るのは何度目なんだろう?もはや、地図がなくとも出歩ける。駅前には、いつも絶品の富山湾の魚を食べさせてくれる鮨屋さんがあって、主催者のW君に連れられ通っているうちに、四季折々の魚を頂いた気がする。夏には夏の、冬には冬の素晴らしさがある。盛夏であることは間違いないのだけれど、緑があり、海がある分だけ、涼しい。ほのかに秋の香りさえ漂っている。
 田んぼの真ん中にあるカフェ・ポローニャでライヴが行われるのは今日で10回目。この街に音楽は根付きつつある。僕は八重山や新潟で吸収したものを、あるがままにこの街に伝える。地元で三人の子育てをしながら、ピアノを弾いているチヨリンとロッキンな演奏をする。今までに聞いたことのない、渾身かつ奇麗なブギーピアノ。心からありがとう。

 犬は吠えて、キャラバンは進む。それが何であれ、続けることは大変だ。けれど、そうやって(このガーデンにあるように)花は咲き、人々の暮らしを彩る。僕は流れ者の一人として、いつもこの街から力をもらっている。本当にありがとう。来年は街が出来て、400年なんだってね。また、必ず戻ってきます。それまでどうか、元気で。多謝&再見。

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by 山口 洋  

去り難し、新潟

2008/08/08, 08:46 | 固定リンク

8月8日 金曜日 晴れ 

 また来年、戻ってきてもよかですか?

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by 山口 洋  

新潟にて

2008/08/07, 23:59 | 固定リンク

8月7日 木曜日 晴れ 

 ちょうど一年前くらいのことだっただろうか?俺は15年振りにやってきた新潟の街で、深夜、途方に暮れるしかなかった。灼熱の街。気温36度。ライヴは良かったと思う。でも、小屋とどうしてもソリが合わなかった。それは仕方のないことだ。
 楽屋に、ラスタヘアーのクマガイ某が無粋に入ってきた。「山口さん、俺の店に来てください」。未だ、奴の店の名前さえ覚えられないのだが、俺は行ってみた。そして、それは今日に繋がる道への第一歩だったのだ。

 新潟の日本海沿いにあるネフは、到着した途端、良いバイブレーションを俺に運んできてくれた。すべて、無理な行いをやることをやめた。俺は東京からの道中、半ズボンにビーサンだった。そのままステージに上がった。ここでブーツに履き替えたなら、それは新潟の海に失礼だ。ステージには海からの風が吹いてくる。云うことなし。それに乗っからせてもらおう。俺もクマガイ某も、決して、ジャック・ジョンソンのようには演奏できず、無駄に熱くはなるのだが、それはそれでいいではないか。俺も日本中、いろんなところで演奏するのだが、ここは素晴らしい。本当に素晴らしい。楽しんでくれたかい?一年前があって、クマガイ某との出会いがあって、リクオとジョイア・ミーアで演奏し、そしてたくさんの人々が協力してくれて、今日がある。それが全てだった。来年はここで祭りがやりたい。ありがとう。新潟。新しい旅の始まりに、また新しいヒントをもらったよ。佐渡に沈んでゆく夕陽が本当にきれいだった。  

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by 山口 洋  

on the road, again vol.4

2008/08/06, 17:29 | 固定リンク

8月6日 水曜日 晴れ 

 いよいよ明日から「on the road, again vol.4」始まります。約半年かけて、日本全国をゆっくりと廻ります。その日々の中で、新しい曲を生み出していけたら、と「今度こそ」考えています。最初のクールは新潟、高岡、金沢。ザ・日本海。それぞれの会場に特徴があります。旅先でみなさんに会えるのを楽しみにしています。

by 山口 洋  

花火

2008/08/05, 21:03 | 固定リンク

8月5日 火曜日 晴れ 

 かつて、僕は細海魚、浜田亜紀子、トム・ラブランクと共に、この写真展のために音楽を作った。制作のためのバジェットは皆無だったけれど、被爆者の方々60人の笑顔を山の家の床に並べて、眺めているだけで、関わったミュージシャン全員に強いイメージが湧いてきた。それを一気に録音して、完成させた。得難い経験だった。
 撮影した宮本佳子が心がけたのは、「それぞれの被爆者の皆さんが、遺影にも使えるように、できれば笑顔で、カメラに向かって欲しい」という、俺が一生かかっても云えないようなむこうみずなリクエストだった。結果、写真に刻まれたそれぞれの「笑顔(そうでない人も居るけれど、きっとそれはその方にとっての笑顔なのだと僕は思っている)」が圧倒的な力で僕に迫ってくるのだった。その笑顔の中には堪え難い経験を乗り越えて、「espoir」にたどり着いた深い深い表情がいくつもある。実際のところ、残念なことに既に「遺影」として使われた写真もあるのだと。同時に語られた60の証言は、人類の貴重な「財産」だと僕は思っている。このまま、これらの写真や証言が埋もれていくことは、どうしても堪え難い。実はこれらのファイルが一部、僕の手元にもあって、いろんな方面に働きかけている最中でもある。テレビ業界、音楽業界、出版界、いや何でもいい。僕は個人的に原爆資料館にまずは展示されるべきだと勝手に思っているのだが。写真を観て、何かを感じた人はアイデアを寄せてくれないだろうか?

http://cornel.jp/pickup/pickup009.html


追伸
江ノ島では今日、大空に4000発の花火が上がっていた。それがいろんなものに見えて仕方なかった。

by 山口 洋  

訂正

2008/08/04, 16:30 | 固定リンク

8月4日 月曜日 晴れ 

 野田敏との熊本でのライヴ、昨日、10月あたりにと書きましたが、まったくもって俺の勘違いかつ、早とちりで、おそらく12月の中旬あたりになるそうです。すいません。スタッフから詳細が届けられ次第、newsおよび、このblogで報告します。ごめんね。

by 山口 洋  

巨星逝く

2008/08/03, 22:34 | 固定リンク

8月3日 日曜日 晴れ 

 空港の売店でスポーツ新聞の見出しに「赤塚不二夫さん死去」の文字を見つけて、絶句。俺の世代でニャロメを描けない奴の方が少ないだろう。そして、いつしか自分はバカボンのパパより年上になってしまった。彼は満州生まれ。その意味は俺が語るべくもなく。けれど、生涯彼は「ギャグ一筋」。その姿勢がとても好きだった。「これでいいのだ」、その言葉は俺にとって、ある種「walk on the wild side」と同義だった。合掌。

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by 山口 洋  

師匠来たりて

2008/08/02, 16:20 | 固定リンク

8月2日 土曜日 晴れ 

 山の家に、我が師匠、野田敏が来てくれて、ビールを片手に二人で話した。彼の新しい曲も聞いた。素晴らしかった。僕は51歳にして「渇いている」男のアルバムを一緒に作って、世の中に出す使命がある、とあらためて強く思った。決して楽な道のりではないだろうが、僕らはそこに漕ぎ出そうと思う。おそらく二年くらいはかかるだろう。野田敏を知っていて、あの歌声とエネルギーが未だ忘れられない人は是非、力を貸してくれ。さしあたって、10月にある僕の熊本でのライヴに、彼は出てくれることになっている。彼のリ・スタートになる記念すべき一日から見届けてくれると嬉しい。

 師匠を励ますなんてのは、おこがましい行為なんであって、俺は彼に「音楽業界を嘆いているよりも、いい曲を書くことに全力を尽くして欲しい」と云われ、まったくもってその通りだと思った。お互い、しのぎを削るってことで、よろしく。

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by 山口 洋  

溢れる光

2008/08/01, 16:53 | 固定リンク

8月1日 金曜日 快晴 

 過日、ずっと僕らをサポートしてくれている親しい友人の母上が亡くなった。友人がどれだけ母想いなのか知っている僕としては、胸が詰まる想いだった。けれど、こうも思うのだ。僕の経験から云って、亡くなったはずの魂は、溢れる光になって、毎日僕らに降り注いでいる。決して消えてしまった訳ではない。彼らはもはや何にも縛られることはない。完璧に自由。残念なことだけれど、子は親を亡くして一人前になる。受け入れ難くても、それはとても自然なことだと思う。誰にだって、いつかはやってくる、たった一度きりの経験。その死を見つめたとき、見えてくる生がある。無償の愛はなくならない。親を亡くしたとしても、君は孤児ではないんだよ。絶対に。

 写真は山の家にある、友人たちと作ったグレイブヤード(のようなもの)。宗教を持たない僕だって、今や山口の姓を名乗る者は僕ひとりしか居ない訳だから、都会の納骨堂に先祖代々の遺骨は納めてはある。どうにも頼りのない番人。けれど、どうしてもそこでは静かに祈ることは出来なかった。フリースタイルでいいと思うのだ。時にはビールを飲みながらでも。だから、友人たちと作った。来る人たちが、好きな木を植えていく。勝手なやり方で、それぞれが祈る。山師の友人が手を入れてくれる。イングリッシュ・ローズからコショウの木、桜にコデマリに杉。無茶苦茶だ。そこに眠っているのも俺の親だったり、近所の方の母上だったり、エトセトラ。しまいにゃ、うちの犬まで。そして、何よりも、溢れる光と、降り注ぐ雨がその木々を育てる。僕はその光景を眺めながら、新しい歌を書いている。life goes on。面倒なことも、辛いことも、ややこしいことも、愉しいことも、いろいろあるけど、lifeは続く。死を描くためには、生きていなければならないから。

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by 山口 洋  
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