奈良の呪い

2008/09/30, 03:23 | 固定リンク

9月30日 火曜日 雨 

 一年前、奈良の蔵武Dでは、とっても気持ち良くライヴをした記憶があった。だから、雨が降ろうとも、何度となく、会場とホテルを往復しようとも、屁とも思わなかった。この時点で、俺もまだまだ甘いね。へへ。
 何が起こったのか、ここには記さない。だって野暮だもんね。だからライヴなんだもんね。一言で書くなら、このツアー史上、一番タフな状況ではあった。音楽に集中できないと云う意味に於いて。それもこれも、この雨なのに、こんなにお客さんが来るとは思わなかったとか、一挙に大量のフードの注文を受けたことがなかったとか、エトセトラ。
 一部と二部のインターミッションの間に考えた。このままじゃ、終われん。結果的に、最終的には音楽に集中できたことによって、かつてなかったような不思議なライヴにはなった。だから、この稼業は止められん。こんな大雨の日に、みんな来てくれて、ありがとう。通常のライヴの何倍ものエネルギーは確かに使ったけれど、音楽は素晴らしいと、人は素晴らしいと、あらためて思った。
 終演後、何故か深い話になった。俺と8つしか変わらない女性が本物の「おばあさん」になったとか、住職は痛風だけど、何故かお店に欠かせない存在だったりとか、いろんな人生が古い蔵に交錯して、このツアーならではの深い味わいがあった。今更ながら、同じライヴは二度としてない。今日と云う一日を、愛と敬意を込めて「奈良の呪い」と命名しよう。一日でひと月ぶんくらいの振幅、味わったなぁ。また来年、帰ってくるね。帰ってきてもいい?本当にありがとう。俺、この場所、大好きだよ。ほな(奈良風に)。

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by 山口 洋  

生きる

2008/09/29, 21:36 | 固定リンク

9月29日 月曜日 雨 

 三重県鈴鹿市の病院。我が友「月の庭」の岡田マサルに会いに行く。マサルは病と共に生きていた。ちょっと熱を出しただけで、「もうダメかもしれん」と弱気になる俺には、奴の痛みがどれほどのものなのか、想像すら出来ん。それでも運命を呪うことなく、逡巡の末に、受容して、前を向いて生きる男に、実のところ励まされたのは俺の方だった。「生きる」ことの意味。互いに散々アホの限りを尽くしてきて。そして、奴の目は澄んでいた。側に行って触ったなら、あの懐かしくて、ムサ苦しいマサルの匂いがした。マサル、また会おうぜ。Life goes on!

http://www.kabukimasazo.net/index.htm

by 山口 洋  

育つ、静岡にて。

2008/09/28, 23:08 | 固定リンク

9月28日 日曜日 曇り 

 行きしな、昨日頂いた、古謝さんのアルバムを聞いていた。これほど「丁寧に」創られた歌のアルバムを聞いたのは久しぶりだ。車窓と相まって、心が震えた。

 静岡、UHU(ウーフー)。多分、三度目。その度に刺客が送り込まれる。今回は「あぶぅ」君。お世辞ではなく、彼の歌と演奏、俺は好きだった。見てくれは「荒野のガンマン」みたいなんだけど、いい歌書いてる。リズム感も素晴らしい。この街は懐が深い。ほんとうに。実のところ、俺は風邪気味だったのだけれど、音楽に没頭している間に、元気になっていた。前に来た際に、「お店の名物を増やしなよ」と伝えたら、一生懸命煮込んだカレーが名物になっていた。もちろん食しましたとも。美味しいよ。

 終演後、オーナーや、静岡が誇る才能、丸山旔二郎君、そしてもちろん「あぶぅ」君とも演奏した。お世辞抜きで、彼らの音楽は素晴らしい。興味のある方は是非、彼らのサイトを訪れて、聞いてくれたし。多謝&再見。

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by 山口 洋  

海をバックに歌うことのハピネス

2008/09/27, 17:22 | 固定リンク

9月27日 土曜日 晴れ 

 しかし。ミュージシャンと云う生き物が世界中を埋め尽くしていたなら、きっと戦争なんて起きないだろうなぁ、と実感したイベント。神奈川県は江ノ島にて。でも、GDPは甚だ低い国になるだろうけど。それでもいいじゃん。ハピネスなんて、ある種の人たちにとっては絶対に「金」が第一義的なものじゃないと、俺は思う。
 この季節にしては珍しく澄んだ空と海をバックに歌うことの幸福。いつもはもっと激しくなるんだろうけど、そのようなテンションはまるでなかった。あまりにトンビが気持ち良さそうに空を飛んでいたから。

 それにしても。古謝美佐子さんの歌声は凄かった。10年以上前に、古謝さん、大工哲弘さんと俺っちゅー謎のメンツでやらせてもらった時に、シンガーとしての自分について、ひどく考えさせられたのだが、古謝さんはあれから「本物の」おばあになって、その歌声の中には「祈り」とか「魂」とか、エトセトラ。全てあった。彼女が歌っている間、上空のトンビを観察していたが、あからさまに彼らはその「歌声」に影響されていた。ジェラシーとか、そんなものをすべて超えて、素晴らしい。

 このイベントは江ノ島の海をきれいにしよう、と。収益で、ゴミ箱が増えるのだと。主催している人たちの、その想いはまっすぐなものだった。それに応えたミュージシャンの想いもそのように。自分で志願して、イベントに出ることなんて、滅多にないが、たくさんの面白い人間と知り合えて、良かった。きっと何かに繋がっていくだろう。ありがとう。

追伸
しかし、何故に江ノ島にあれだけの注射器が漂着するのだろう?使用済みの医療器具を海洋投棄する者が居るからなのか?拾うものが居て、捨てるものがいる。ニンゲンとは不思議な生き物だ。機会を見つけて、俺もゴミ拾いに参加してみようと思う。

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by 山口 洋  

繋がる

2008/09/26, 19:42 | 固定リンク

9月26日 金曜日 曇り 

 明日から怒濤のツアーが始まるので、阿蘇、福岡、東京、渋谷を抜けて、海沿いの街に戻りました。山に居る間、実のところ、友人が巨大なファイルをメールで送ったので、アナログ回線ではいかんともし難く、(結果的にはサーバーにアクセスして、巨大ファイルを取り除いて開通させたのですが)、しばし不通になっていました。
 でも、思うのです。緊急な用件は確かに困るのだけれど、どうしようもないものはどうしようもないんであって、「繋がっている」と感じている人間ならば、相手が何処にいようとも、その存在は確かに感じているので、何の不安もないのです。この件で、通信手段について、もう一度よーく考えてみようと思いました。多少の迷惑をかけるかもしれないけれど、携帯、やっぱり捨てようかな、と。山に遊びにきてくれたこの友人(写真参照)のように、雲に浮かんでいるが如く、悠然としていたいものです。

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by 山口 洋  

山の生活

2008/09/25, 21:45 | 固定リンク

9月25日 木曜日 雨 

 すっかり更新が滞ってしまったのは、山の中で、悠々自適に暮らしていたからではなく、草刈りだ、掃除だ、冬の準備だ、エトセトラ。結局、ギターケースからギターが出ることは一度もないまま、帰ることになりました。とほほ。ロックンローラー@全身筋肉痛。それにしても、ここでも、環境の変化を肌で感じます。まず天候がおかしい。この時期、爽やかで、少し肌寒いくらいの風が吹き抜けるはずなのに、梅雨のように空気は湿気に満ちていて、温度は高く、居ないはずの虫が大量発生し、飛来する虫たちも、いつもの悠然とした振る舞いではなく、どこか落ち着きがありません。生き急いでいる、と云うか。
 でもモノ作りに携わる友人たちとは、美味い酒を飲みました。山の中ゆえ、エンドレス。誰かがこと切れるまで、宴は静かに続きます。さて、エネルギーをチャージしたところで、明日は都会に戻ります。

by 山口 洋  

山にて

2008/09/24, 11:47 | 固定リンク

9月22日 水曜日 晴れ 

 山に居ます。この数日間、誰とも喋ってません。寒いので、焼酎のお湯割りを飲んだら、いい感じで酔ってます。灯りに蛾が吸い寄せられるように集まっています。実のところ、俺は蝶より蛾の方が好きです。何だか、自分に似ている気がするのです。

 あたりは漆黒の闇です。当たり前だけれど、夜は「ひたすらに」夜です。昼はこれでもかと云うほど昼で、雨は無茶苦茶に雨で、霧には抵抗のしようがありません。そのような場所に独りでぽつねんと居ると、心のねじれていた部分がいつの間にかリセットされるのです。ただし、「田舎暮らしバンザイ」みたいな番組のような生活かっちゅーと、そんなことはありません。確かに自然の中に居るのは気持ちいいけれど、やならくちゃならないことが山ほどあります。僕みたいに、2,3月に一度しかやって来れない場合は、くつろぐ前に、草刈りだ、掃除だ、カビとの闘いだ、その他もろもろ。
 
 月末から、江ノ島を皮切りに、また旅に出ます。江ノ島、静岡、奈良、高松、松山、福山、和歌山と続いて、11日のスターパインズす。気軽に遊びにきてください。待っとるよ。

by 山口 洋  

って云うか、民家?山梨県都留市にて

2008/09/20, 12:46 | 固定リンク

9月20日 土曜日 曇り 

 台風一過。俺とマネージャーは山梨県都留市を目指した。山梨にはレコーディングでは何度も来たことがあるが、一度たりともライヴをやったことはなかった。47都道府県。ライヴをやったことがないのは、ここ山梨と、残すは難攻不落の福井県を残すのみとなった。
 そもそも、カーナビで今日の会場「高部座」を探したときから、不穏な空気が漂っていた。ナビによると、それはとんでもない山の中にある。しかも、ネットで検索しても、「高部座」は発見できなかった。怪しい。怪しすぎる。車はナビに導かれ、どんどん市街地を離れ、山の中に入っていく。目の前には山里の風景が広がっていく。(写真参照)もう充分だろ、と云うくらい登った時「高部座」が現れた。それは「高部座」と云うよりは、明らかに「高部さんの家」だった。まぎれもなく。都会の家に慣れた我々には信じられないくらい巨大な家。座敷は「遠山の金さん」状態にブチ抜かれ、軽く50畳はあり、老若男女のために座布団が敷き詰められ、真ん中にはご先祖様の仏壇が鎮座し、ステージは玄関に設置されている。民家なのに、何故か自前のレッキとしたPAが設置されていて、俺は頭の中の?マークを払拭するのに苦労した。こりゃ、「最低」か「最高」かどっちかだろう。でもなるようにしかならん。おまけに、俺はこう云う状況が嫌いじゃなかった。
 「高部家」の入り口にはチャウチャウと柴犬のハーフ、「チャウ」が居た。久しぶりに出会ったイケてる雑種犬。微妙にチャウチャウ、絶妙に柴犬。俺はグラビアアイドルを撮影する写真家みたいに、奴のポートレイトを撮るのに熱中した。(写真参照)もちろん、ご先祖様にも挨拶したが、巨大な家には「奥の院」があって、そこから「高部」のおとんとおかんがお出ましになった。おかんは今日ライヴにやってくる老若男女のために3升の「赤飯」を炊いてくれた。もちろん頂いたのだが、美味すぎて、涙腺決壊。っていうか、俺にはほぼ「反則行為」に近かった。
 話はまだ続く。今日は俺のソロライヴのはずなのに、続々とミュージシャンがやってくる。車椅子で自ら車を運転して、全国を廻っているシンガー森君。旧知のパーカッショニスト永原元、ミスチルやゆずのギタリスト河口君、それに主催者高部某。これを制御しようなんて考える方が間違ってるんであって、とりあえず曲を知っていようがいまいが、立ってるミュージシャンとは演奏するに限る。リハーサルは不要。我々は都留市の山の中でしか描けない風景を描いた(と思う)。いつの間にか巨大な50畳は人で埋め尽くされていて、それぞれに音楽を楽しんでいた。素晴らしかった。
 ライヴが終わっても、音楽は止まなかった。近年稀に見る声を持った女性シンガーとも演奏したし、本業はカレー屋さんなのに、素晴らしいギターを作る職人さんにも会ったし、何故かセクシーなフラメンコを踊る女性が居て、俺と河口君はニセモノのフラメンコギターを弾いていた。
 と書いて伝わるだろうか?恐るべし、山梨県都留市。日本をどれだけ廻っていたとしても、まだまだこの国の懐は深い。だいいち、あれだけのオーディエンスは殆どが「車」でやってきたはずなのだが、いったい何処に駐車したのだろう?謎は深まるばかり。この頃、何処に行っても同じようなライヴばっかりやっていると嘆いているミュージシャンは今すぐ、「高部家」に行くべきである。芸のない者は去るしかないっちゅー厳しい掟はあるが、ここの人々は音楽、つまり「音を楽しむ」と云う一番の肝の部分を心から知っている。恐れ入りました。頼まれなくても、来年必ず再訪します。心から、ありがとう。多謝&再見。

追伸 「チャウの秘密」
俺はチャウの出生の秘密が知りたくて、仕方がなかった。奴はニンゲン様の意思によって、出来たのではなく、山間部にありがちな、多少、強姦チックな犬同士の自由恋愛活動によって誕生したらしい。もし、メス犬であるチャウが更なる自由恋愛活動によって、身ごもったら、是非この私に連絡されたし。

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by 山口 洋  

黄色い椅子

2008/09/19, 19:20 | 固定リンク

9月19日 金曜日 雨 

 思考の海に沈む前には、お茶を飲みながら本を読む。それが自分にとってはとても大切な時間。現実世界から切り離されているような、それでいて何処かで繋がっているような不思議な感覚を覚えたら、ギターを持って、自分の頭蓋にある世界へと歩んでいく。だから、読んでいる本がそんなに面白くなくても、構わない。でも、最近読んだ何十冊かの本はつまらなかった。本屋に行ってもときめかなくなってきた。最近の本屋は本を売るための涙ぐましい努力に溢れている。事情はそれなりに分かっているつもりだから、批判する気はないし、その資格もない。ただ、「本よ、お前もか」と嘆きかけていたところに。
 今日、読んだ本は同世代で、敬愛している作家のものだった。多分、出版されたすべての本は読んでいるだろう。それがね、本当に素晴らしかった。ニンゲンって捨てたものじゃないじゃん、と思わせてくれる類いのものだった。甘酸っぱさから、厳しい現実まで。描かれた風景と共に、旅をして、そしていつもの黄色い椅子に自分が座っているのを知覚するまで、しばしぼーっとしていた。この人は目を閉じると、きっと風景が見えてくるんだろうなぁ、と。音楽はLとRのスピーカーの間に立ち上ってくる風景でありたい、とずっと思ってきた。だから、直接メロディーと関係なくても、目を閉じると見える風景を言葉で描いてきた。奇跡的にはまった時には不思議な風景が現れてくる。その時間がとても好きだ。静かな興奮。人は暗闇の中から見える「ひかり」を目指している。だから今日はその風景が見えてくるまで、椅子の上でじっとしながら時間を過ごしている。

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by 山口 洋  

「壊」

2008/09/18, 17:15 | 固定リンク

9月18日 木曜日 雨 

 先日、千葉のライヴを日付を勘違いして、飛ばすところだったと書いたが、知人に、「今度のスターパインズ観に行くねー」と云われて、奴がうちのサイトをチェックしたところ、「またしても」一日ずれていた。その手の間違いが起きないように、愛用の「八重山手帳」に自分でスケジュールを記していると云うのに。もはや、俺は「全面的」にスケジュールに関する「自信」がなくなってきた。the boomの栃木さんがライヴの日にひとりでスタジオに入って、笑顔でドラムを叩いていたっちゅー逸話を持っているのだが、そのうちそれを超えそうな気がして、怖い。なので、マネージャーさん、お願いします。ライヴの前の日に念を押してくれんですか?

by 山口 洋  

フィジカル

2008/09/17, 01:21 | 固定リンク

9月17日 水曜日 晴れ 

 最近、ここに「飲むことに興味を覚えなくなった」と書いたが、本当に酒場に居ることが辛くなってきた。俺もさんざん酒場で騒いできたから、偉そうなこと何ひとつ云えないんだけど、酔客のでかい声とか、混じり合う紫煙とか、とみに辛い。飲むなら、静かにいい音楽を聞きながら、好きな酒をゆっくり飲んでいたい。
 このところ音楽に没頭できているし、本も読む時間もあるんだけれど、何か足りないと考えて、はたと気がついた。ライヴ以外で身体を動かしていないのだ。深い思考の海に沈むには、実は結構な体力が必要だ。体調が良くないと、発想も健全にはならない。そろそろ、泳ぐことを再開しようかな。

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by 山口 洋  

覚悟

2008/09/16, 19:19 | 固定リンク

9月16日 火曜日 曇り 

 のっけから固い話で恐縮だけど。

 この時代にミュージシャンをやってるってことは、「野たれ死に」する覚悟を持つって事である。地方を廻っていても、都会に住んでいても、決して景気がいいなんて話は聞かない。昨日、リーマン・ブラザースが崩壊したってニュースを聞いた。そりゃ、ある種の人間は「恐慌」を連想するかもしれん。もともと興味はないけど、一握りの金持ちが、大多数の貧乏人を支配するって図式も崩れてきたのかもしれんとは思う。俺は予言者でも何でもないけど、そう遠くない未来に、今までの価値観がすべて崩壊するような事が起きる気がしている。その気配を肌で感じる。それって何だって?俺も分からないけど、金がタダの紙切れと化す、とか、多分そんな事だろう。 
 人は既得権益にしがみつく。それはニンゲンの哀しい習性でもある。手にしたものは失いたくない。でもミュージシャンなんて、元々保証なんて何もない。だから、「野たれ死に」する覚悟は必要だ。カネが紙切れになったところで、音楽を止めることはないだろう。喰えないなら、どうにかして生きていくだろう。ギターの弦が手に入らなくなったら、針金を張ってでも弾くだろう。そりゃ、多少の不安はある。でも、不安がなくなったらハッピーかと聞かれるなら、そうでもない。不安がなくなったら、危機感も失うことになる。そりゃ、動物としてマズい。死んでる目をしてまで、俺は生きていたくない。野生の動物に「死んでる目」をしてるものは居ない。そんな目では生きていけないからだ。俺の兄弟みたいな男はひどい病に冒されても、ギャグを忘れず、激しい痛みに耐えて、生きてる。俺はあんたからたくさんの事を学んでるよ。歌を書いたんだよ。今度届けにいくぜ。ありがとう。

 自分のサイトに、自分が書いた歌詞を載せるのに「誰かの許可」が必要だなんて、俺は納得しない。だから、兄弟に届けるためにもここに載せておくよ。

 ニンゲンは他人と会うことで、別の人生の可能性に触れることができる。価値観は絶対に横並びではないはずだ。既得権益にしがみつく奴らはそのままにしておけばいい。これは「勝ち組」とか「負け組」とかそんな話じゃない。大切なのは「覚悟」だと思う。
 そんな事を考えていたら、車のラジオから「born to run」が流れてきた。自ら好んで聞くタイプの曲じゃないんだけど、不意に流れてくると、「ロックンロールの可能性」みたいな得体の知れないものが、涙腺を直撃して、決壊しそうになる。俺は、あらためて、こういう感情に動かされてきたんだなぁ、と実感する。どんな時代だって、可能性は無限大だと、俺は思うけどね。

life goes on / 日々は続く 

鳥たちが夕暮れの空に 不気味でシュールな絵を描いている
駅前のネオンサイン 決して交わることのない 無数の電波が飛び交っている
腐って朽ち果てていくのは いつだって食い物だけじゃないらしい
暮れてゆく空に 紫の月に 兄弟 あんたを想うのさ life goes on 

あんたは月とルナティックに踊り 俺は太陽の闇に踊らされて
「人生はカーニバルだ」って 互いに無茶な道を歩いてきた
けれどいつも同じトラブルばかり 性懲りもなく 繰り返すのは どうしてなんだって?
そこには多分 深い意味と 暗い闇と 血の轍とがあるのさ life goes on

メインストリートに吐いたゲロの中から 二人で宝石を拾ったっけ 
ピンチの時に 輝くんだよ どうしようもないときに 響いてくるんだよ 
生き残るためにグロテスクな人種になるしかないのだとしたら 
応えはノーだと 「人生はカーニバルだ」と もう一度云ってくれ life goes on 

あんたに願いを届けるために ツバメが飛び立っていったぜ
赤い喉で 背中は白い荒野で その翼にありったけの怒りを込めて 
でもあの空の裂け目から すべてが壊れはじめてる
急ぐんだ ブラザー 踊り続けようぜ 道を切り拓こうぜ life goes on

手に負えない怒り
流した後悔の涙
この血に脈々と流れる
暴力と嘆きの刃

すべて許してしまえ
すべて受け入れてしまえ
この世はいつだってジャングルなのさ
ミザリーとミステリー 

you choose to live.
you choose to give
you choose to believe.
you choose to survive

あんたは水で出来ている あんたは祈りで満ちている そしていつだって渇いている
あんたは怒りで出来ている だからそこはかとない優しさがある
あんたには消えない喜びと哀しみがある まだ熱く燃えるものがある
お互い 流れ続けようぜ 死ぬまで生き延びようぜ 道を切り拓こうぜ 踊り続けようぜ life goes on

by 山口 洋  

本業に戻る

2008/09/14, 21:53 | 固定リンク

9月14日 日曜日 晴れ 

 某所に隠遁して、本業であるソングライターに戻っています。ツアーの合間に時間を捻出して、ソングライティングに精を出す暮らしにもようやく慣れてきました。ライヴとソングライティングでは使っている脳味噌の場所が違います。多分。なので、慣れが必要なのです。でも、ソングライティングの世界では、どのような思考も自由です。ようやくその世界を楽しめるようになってきた気がするとです。誰に促されたたわけでも、強制されたわけでもなく、書きたいから書く。ようやく、その場所に立っている気がするとです。

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by 山口 洋  

猛獣

2008/09/13, 16:40 | 固定リンク

9月13日 土曜日 晴れ 

 キーラの新しいライヴdvdが出来たと。トレイラーを観てるだけで、ワクワクする。奴らの音楽に向き合う時の顔が好きだ。猛獣そのもの。そして数少なくなった、本物のバンドだと俺は思う。こういう意思に俺は励まされる。あいつら、前向いてがんばってんなぁ、とか。そういえば、新しいアルバムで俺はギターを弾いた。海を超えてのファイルのやり取りだったので、いくつかのテイクを弾いて、渡したのだが、いちばん訳の分からんテイクが採用されていた。目の前に面白いことがあったら、後先考えずに、猛然と突き進む。そんな事をいつも彼らから教えられている。素晴らしい。

http://entertainment.ie/Kila/

by 山口 洋  

横浜にて

2008/09/12, 14:10 | 固定リンク

9月12日 金曜日 晴れ 

 横浜サムズ・アップです。昨日も書いたけど、とてもリラックスして演奏できるとです。ロコ・モコも頂きました。美味かったっす。演奏しているうちに、ますます元気になって暴走しました。つーか、中学生みたいな記述ですいません。燃え尽きました。また戻ってきます。ありがとう。多謝&再見。

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by 山口 洋  

秋の風

2008/09/11, 18:33 | 固定リンク

9月11日 木曜日 晴れ 

 海の近くに居ます。秋の風が吹いとります。煮詰まったら本を読みながら、音楽に向き合っています。いい時間です。でも、秋の風はミドル・エイジだろうが何だろうが、センチな気分も運んできます。海では「海の家」の撤収作業ももうすぐ終わりそうです。今まで、サーファーとは何の縁もなかったけれど、話してみると、とっても気持ちのいいニンゲンが多いです。俺の育った地域では、サーファーは軟派の代表選手みたいな認識をされていました。もちろん、俺もです。すいません。でも、随分前にハワイのノースショアでとんでもない波を観て、こんなものに乗ってる奴は頭おかしいし、自然に対するリスペクトを持ってなけりゃ、即、死だな、と思いました。このエリアには会社に行く前に、波に乗ってからっちゅー人たちがわんさかいます。午前6時頃、そこらの通りから、チャリンコにボードをのっけて、おっさんたちが出てきます。好きなんだろうなぁ。なかなか、いい光景です。
 俺はと云えば、でっかくて可愛い犬連れて、海辺を散歩したいっすね。些細な夢です。このエリアではリードをつけずに、犬たちが走り回っています。「イヌが自由に走るなら、何故ニンゲンにそれが出来ない?」。そんな歌がありましたね。NYに住んでいるアニキ一家に新しいイヌがやってきたとです。俺の気持ちを知ってか知らずか、反則なくらい可愛いそのイヌの写真をしょっちゅう送ってくれるのですが、俺はジェラシーと可愛さで、悶絶しています。うー。ウチのハナが死んで2年経ちましたが、未だ出会いがありません。うー。キャンプに行って、寝袋で一緒に寝て、あの癖になる肉球の匂い(臭いかも)にまみれてみたいっすね。変態と云われようとも。

 明日は横浜のサムズ・アップでライヴです。関東近郊でも、気楽に足を運べて、店に音楽に対する愛があって、スタッフがオープンマインドで、飯喰えて、飲めて、音楽聞いてっちゅー場所が増えつつあります。演奏する方も、「じゃ、今日はサムズで歌ってくるかー」みたいな感じで、無駄な力を入れずに、音楽に向き合える素晴らしい場所です。来月かな、スターパインズでもやるけど、9月のセンチメンタル病にかかった人は気軽に遊びに来てください。どっちみち、クールに始めても、最後はヒートしてしまうので。待っとるよ。

追伸
先日、サムズにとあるライヴに行った際、あまりに居心地が良すぎて、長居したなら、駐車場の門限を過ぎて、帰れなくなりました。そんな訳で、「居心地良すぎの終電注意報」発令中です。

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by 山口 洋  

心臓に突き刺さるまで

2008/09/10, 19:46 | 固定リンク

9月10日 水曜日 晴れ 

 俺が大好きな曲に「あんたの夢が心臓に突き刺さるまで」という一節がある。果たして、そのように生きているのか、っちゅー問いを己に投げかけてみる。応えは否(ノン)。確かに、音楽をやる前にやらねばならぬことが多すぎた。やらねば前に進めなかった。それも事実。けれど、本物のニンゲン、あるいは男として、「インディペンダント」な存在として、必要なスキルを手に入れるために、避けては通れなかった道だとも思えてきた。
 以前にも書いたと思うが、まごうことなき中年にさしかかって、妙に「青春」しているようなフツフツと湧きあがってくる、この感情は何なのだろう?と。「見る前に跳べ」とか「書を捨て、街へ出よう」とか、ずっと前に鼓舞された言葉は数知れず。けれど、酸いも甘いも乗り越えて、再びやってくる中年の思春期のようなもの(以前、佐野さんが俺に同じ言葉を語ってたけど)が確かに胸の中にあるのだ。それは初期衝動とは違う初期衝動(意味不明)で、冒険へと自分を駆り立てる。今一度、あらためて、自分で規定してしまわない限り、不可能はないことのように思える。

 何ヶ月か前、やんごとなき理由で、産まれてから今日に至るまで、詳細に振り返った。いや、振り返らねばならなかった。それは筆舌に尽くし難いほど、しんどい作業だった。だから、「自分を振り返った方がいいよ」なんて言葉は他人には云えない。けれど、その作業のおかげで、確実に見えてきたことがある。固くなるけど、何のために自分の生はあるのか?哺乳類として「種」を残すためなら、俺は完全に失格だ。子供が居ないから。けれど、人にはそれぞれの「役目」ってもんがある。俺の考えでは、それが「ない」ニンゲンなんて居ない。だから、行こうと思う。漕ぎ出そうと思う。自分の夢が心臓に突き刺さるまで。

 ショーンの映画には溢れる情熱があった。答なんて何処にもなかった。清々しかった。でも、答がないから「応え」なのだ。そんなもの、一生かかっても手に入れることは出来ないだろう。

by 山口 洋  

三浦半島を行く

2008/09/09, 23:21 | 固定リンク

9月9日 火曜日 晴れ 

 未だ、映画の余韻の中に居た。そのせいかどうか不明だけれど、昨夜、行ったことのない横須賀の夢を観た。こりゃ、何か理由があるのだろう、と行ってみることにした。街の成り立ちは、とある場所にとっても似ているけれど、今日のところはインスピレーションの収穫はなかった。夜、行ったなら、また違う顔に出会えるだろう。せっかくここまで来たのだから、三浦半島の先っぽまで行ってみることにした。漁師たちの荒くれ顔(褒めてますから)、久しぶりに観たなぁ。さぁ、音楽に戻ろう。

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by 山口 洋  

それぞれの荒野

2008/09/08, 21:27 | 固定リンク

9月8日 月曜日 晴れ 

 映画、「into the wild」の余韻をずっと引きずっている。と云うより、そのような「余韻」を持たせてくれる創作物に最近出会わなかったので、感謝している。封切りと同時に映画館に足を運んだ友人達は、一様に「感想なんて書けないけど、不思議な感動を覚えた」と僕に語った。おそらく配給会社も、どうプロモーションすればいいのか、難しい映画だったと思う。結局は「自分探しの旅」のようなところに落ち着いていて、それはそれで間違いではないと思うのだが、自分自身が受け取ったものが、それだけでは「全く」ないところにこの映画の素晴らしさがあると、僕は感じている。

 僕にとって、都市生活は間違いなく「荒野」である。ここでは自然の摂理がまったく通用しない。「荒れ方」が違う。ひどく荒んでいると思う。だから怖い。本物の荒野で熊に喰われて死んだなら、諦めもつくだろうが、昨今、新聞を賑わせているような理不尽な死に方だけはしたくない。「現代の荒野」に住んでいる者の中で、本能的にこのままスポイルされながら生きていく事に「危険」を察知したなら、「本物の荒野」に突入したくなるのは当たり前だと思う。そして「本物の荒野」は厳しい。その圧倒的な自然の力の中で、本当の無力さを知る。摂理を受容する以外に、生きていく道はない。そして「ハピネス」は決して一人では成り立たないことを知る。「本物の荒野」の中で、独りで存在していることによって。

 「forgive(許す-赦す)」と云う単語を覚えたのは、ショーンの映画でたびたび印象的に使われるからだ。受け入れて、許す。まずは自分の魂を救済すること。そんなシチ面倒臭い日々の向こうに、「gift」や「ハピネス」はあるのだと、僕は思っている。

by 山口 洋  

into the wild

2008/09/07, 00:10 | 固定リンク

9月7日 日曜日 豪雨 

 念願かなって、待ち望んでいたショーン・ペン監督の第四作目「into the wild」を観た。一言で書くならば、近年稀にみる傑作だった。あくまでも、俺的には。
 いつものようにそれは「それぞれの魂の救済」について描かれた映画だったが、ニンゲンへの深い愛に満ちていた。かつての作品は、虐げられた側、あるいは心に傷を負った側に重きを置いて描かれることが多かったが、この作品に於ける彼の視線はとてもフラットだった。それゆえ、未だかつて感じたことのない種類の「感動」が話の半ばあたりから襲ってきて、終わった後にはしばし呆然としていた。滅多に使わない言葉だけれど、その「感動」の正体が何なのか、帰りしなから今に至るまで、ずっと考えているのだが、言葉が見つからない。
 昔から彼のことを勝手に「他人とは思えない」存在として意識してきた。同じ時代に生きて、このような作品を作り上げてくれること。それは俺にとって、励み以外のなにものでもない。このディープな作品をもっと理解したい。だから、何度でも映画館に足を運ぼうと思っている。

by 山口 洋  

「heart of Chiba, pride of all」、千葉県千葉市にて

2008/09/06, 03:51 | 固定リンク

9月6日 土曜日 晴れ 

 「heart of Chiba」ANGA。看板に偽りなし。読んで字の如し。

 一年ぶりにやってきた。実は千葉には上京してすぐの頃住んでいたことがある。甘酸っぱい思い出の残る街。

 この街に音楽を根付かせるために、スタッフは前にも増してフントーしていた。俺はミュージシャンだ。リハーサルで音を出してみれば分かる。ハコに入った時、若いPAエンジニアはスピーカーのチューニングをしていた。そのEQっぷりに「若いのに、ええ耳しとるなぁ」と実は感激していた。それから彼はリッチー・ヘブンスか何かの弾き語りの音源をかけ、更にチューニングを施した。ギターを繋いで弾いた。「完璧」だ。不快な成分、皆無。彼はいつの日か大物になるだろう。俺は彼に聞いてみた。「前回とサウンドシステム変えたの?」と。「いや、同じです」、と彼。つまりここのスタッフの想い、奏でられた音楽、そして彼の手腕。それが音を育てたのだ。音とはそう云うものだ。興味のない人にはまったくどうでもいい話なんだろうけど。直感的に電源がきれいだと思った。彼らはきちんとアースを取っていた。素晴らしい。
 見た目が怖い照明君は、実はとてもナイスな奴だった。創意工夫が見えた。一部や二部で楽屋に帰ってくるたびに、若くてコワモテの彼とがっちり握手を交わした。ブッキングマネージャーはいつものように情熱を込めて仕事をする。新メニュー「昭和丼」は残念ながら、喰えなかったけど。愛はしっかりと受け取った。ありがとう。
 おそらく同輩であろうオーナー氏はブラジル音楽が好きで、カフェ・ミルトンに行ってみたいと。そりゃ、是非行ってください。そうやって、互いの空間が影響しあっていくと、いいなぁ。

 ブライアン・ブレイドのライヴを観てから、俺は音楽に没入するようになった。これだけ集中できる環境をもらったならば、後はやるだけなのだ。観たことのない音楽の神様が下りてきて、後はそれに運ばれていくだけだった。いい時間だった。

 そうそう。オープニングを努めてくれたユダ君の演奏。リハの時、良かったなぁ。一年たって、いろいろ経験したんだなぁ、こいつ。音楽に嘘をついてないところが好きだなぁ。

 ハコから歩いてすぐの映画館で「into the wild」の看板を見つけた。でも、明日にしよ。ステージに立っているうちに、すっかり俺は解放されていた。saicoちゃんが先日歌ってくれたから、俺に「希望」についての歌があるのを思い出した。いろんな事は繋がっていくものなのだ。俺に云える言葉は「ありがとう」だけ。後は音楽の中に、気持ちを込めて、これからも旅を続けます。でもって、また、戻ってきます。それまでどうか、元気で。「heart of Chiba」、その言葉に「pride of all」を付け足して。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ブレインウォッシュ

2008/09/05, 16:49 | 固定リンク

9月5日 金曜日 晴れ 

 まったく、何て日々だ。旅ガラスだからして、生活の中心が「旅」なのは仕方がない。俺の脳味噌はものすごい「短期的な集中力」を誇るのだが、飽きっぽくて、おまけに複数の事を同時に処理できない。だから、何かを考えている時に、いろんな事を持ちかけられると「瞬時」に頭がウニになる。ひとつひとつの事案をものすごいスピードで解決していく以外は、生き延びる方法はない。

 朝、目覚める。コンピュータにはたくさんのメールが届いている。でも今日は繋がらなかった。無線LANを調べ、コンピュータを換えて、調べ。問題は俺ではない。回線だ。カスタマーセンターに連絡する。どうやら、早朝からこのエリアで工事が行われた影響らしい。まったく、もう。ぷんぷん。でも、繋がらない時に「焦る」この感覚は何だろうと、少し背筋が寒くなる。繋がらなくてもいーじゃねーか。俺、生きてるんだし。でも、繋がらないと、妙な「精神的残尿感」があって、落ち着かない。これもひとつの確実な「洗脳」だ。気をつけよう。

 復帰したコンピュータには昨日会ったベーシスト、ローランド君からとてもナイスなメールが届いていた。無機質な文字でも、その人柄がにじみ出ている。黒人ミュージシャンならではの言い回しってものが確実にあって、その手のことはすぐに吸収する俺。まだ俺の音楽を聞いてもいないのに、「僕はその話、乗ったよ。ブライアンにもちゃんと伝えておくね。ナチュラルで正しいことってのは、いつかちゃんと形になるって、僕は思ってる」。みたいな内容。話の展開、はやっ。これは文明の恩恵の素晴らしい例。

 やっと形になりつつある新曲の一行目は、俺が棲んでいる街の駅前で見かけた不気味な光景から始まる。無数のムクドリが駅前の大きな木に群がっている。圧巻と云うよりはヒッチコック的。その下で、人々(老若男女)は、皆同じ首の角度で携帯の画面を見つめている。本当に恐ろしい光景だった。行き交う人々たちの間には何のコミュニケーションもない。けれど、電波を通じて、無数のコミュニケーションが成立している。怖い。寝る前に歯を磨き、携帯の充電をする。出かけるとき、家にそいつを忘れようものなら、一気に不安に陥る。トイレにそれを落としてデータを消失したら、人間関係まで終わってしまったような錯覚に陥る。それって、いったい何だ?

 話の続き。先日、初めてiphoneを使っている人を観た。触らせてもらった。なるほど。こいつはすげぇ。で、通りがかりにパンフレットをもらってしまう俺。俺が生きている世界はもう「マグマ大使」や「鉄人28号」の世界を超えてしまった。ギター一本抱えて、小さな街を廻るなんてうそぶいているけれど、本当は違う。リュックサックには絶対に軽くならないマッキントッシュ、おまけに一眼レフ、それからポータブルなカーナビに携帯。充分、洗脳されてるっちゅーの。現代の芭蕉や寅さんが身軽になるのは難しい。

 そんな事を考えているところにマネージャーから携帯に電話。打ち合わせを済ませて、「じゃ、明日がんばってください」と云われ、俺は「ほえ?」。「明日って何のこと」。「ヤマグチさん、明日千葉でライヴっすよ」。「うそ?」。慌てて、自分のサイトを観たら、確かに明日はライヴになっていた。危ねぇ。俺は明日、ショーン・ペンの映画を観る気満々だった。そこでエネルギーをもらって、日曜日の千葉のライヴにノリノリで乗り込むつもりだった。俺の手帖。土曜日には「ショーン映画封切り」、日曜日には「千葉」と確信を持ってぶっとい字で書かれていた。俺は自分が信用できなくなってきた。何はともあれ、ここで決定的なミスを冒さなかったのは、文明のおかげだ。脆弱。千葉のみなさん、ちゃんと気持ちを切り替えて、行くからご安心を。

 某宗教に洗脳されてしまった人を引き戻すために、更なる「洗脳」を施すのだ、と云う興味深い話を聞いた。その人いわく、現代文明は洗脳そのものだと。そうかもしれん、と思う。

 小さな街を労力を使って、たくさん廻るより、ネットやテレビの恩恵に預かった方が断然早いことは分かっている。でも、それはバーチャルなコミュニケーションだ。否定もしないし、恩恵も感じているけど、決定的に違うのだ。「観たような、分かったような、手にしたような気」になってはいけない。俺は昨夜ライヴに足を運ばなければ、「gift」はもらえなかった。dvdには収録できない「何か」がそこにあるのだ。
 
 我々は総理大臣が「やーめた」と二人も続けてのたもうような国に住んでいるのだ。でも、間接的とは云え、奴らを選んだのは自分たちだ。奴らへの批判は自分にも向かっていることを忘れたくない。

 ニンゲンには危機を察知するためのセンサーが備わっていると思う。あまりに洗脳されてしまうと、いざっちゅー時にそいつはスポイルされて働かなくなる。文明との付き合い方を考え直してみようと思う。

by 山口 洋  

想いが円環を描くとき

2008/09/04, 03:20 | 固定リンク

9月4日 木曜日 晴れ 

 今日は鼻息ブヒブヒです。久しぶりにコーフンを抑えきれんとです。

 まずは、音楽好きのS君が俺のためにダニエル・ラノアの最新DVDを輸入してくれたことから話は始まる。この作品は素晴らしい出来なのだが、未だに日本のレコードショップでは買えない(多分)。煩雑な手続きなんてやるはずもない俺のために彼は輸入してくれたのだった。果たして、その作品の中で、恐るべきグルーヴを叩き出す痩身の黒人ドラマーに目が釘付けになった。彼は俺がドラマーに求める要素を全て持っていた。繊細かつスポンテニアス。そしてグルーヴィー。このようなグルーヴを出せたら、もう俺はこの世でやることないわいっちゅーくらいのドラムだった。
 話は変わって、マーカス・ロバーツトリオ(これがまた驚愕のトリオなのだが)のベーシスト、ローランド君が来日してるから、ライヴに来ないかと誘いを受けた。俺は軽い気持ちでライヴに行ったりはしないタチだし、今日は会場がコットンクラブだし、何だかなぁ、とも思いつつ、マーカス・ロバーツトリオで聞いたローランド君のベースもタダものじゃなかったし、いっちょ行ってみるか、と足を運んだ。果たして、そのドラマー「ブライアン・ブレイド」の写真を観て、ピーンと閃くものがあった。俺、この男、何処かで観たことがある。資料によると、ディラン、ジョニ・ミッチェル、ウェイン・ショーターともやってるらしい。でも、彼らと演奏してるのを観たんじゃない。違う。うーん。
 
 ミュージシャンがステージに上がってきた。俺は2mの距離でほぼ生音を聞くことになった。簡単なMCの後、ドラムを叩き出した瞬間に、ノック・アウト。「あいつじゃーーーーー」。本当に彼はあの男だったのだ。何という偶然。単なる無知とも云うんだろうが。S君も、ローランド君を紹介してくれた人物も、一直線で繋がった。ニューオリンズの「本物」のジャズマン達の演奏は凄かった。神がかっていた。余計なものは何ひとつない。特殊効果、皆無。ただ、ただ、そこに音楽があるだけ。本物のグルーヴと音楽への愛があるだけ。俺は痺れた。頭がジンジンした。前のボックスシートに座っていたアベックに「椅子を蹴らないでください」と注意されるほど、音楽にのめり込んでいた。そして、演奏する彼らの表情は高潔だった。

 終演後、ローランド君を紹介してもらって、エレベーターを下りてる間にムクムクと忘れていた感情が蘇ってきた。この数年、俺はドメスティックな活動に終始していた。小さな街をできるだけたくさん廻ってきた。そこから学んだことも数多い。けれど、その間にパスポートも切れてしまった。最後に外国に行ったのは、矢井田瞳ちゃんとのキーラの音楽の橋渡しをしに、アイルランドに渡った時だ。多分、3年も前のことになる。あれほどギターを抱えて、武者修行のような旅を、ところ構わずやっていたのに。
 彼らの演奏を聞いていて、心底思ったのだ。このリズムセクションと演奏したい、と。それがレコード会社に頼らずとも、不可能ではないと思えるだけの経験を積んできたのだと。金銭的なことも、ミュージシャンとしての資質も。そのために地を這うような、この数年があったのだと。多分、俺は遠くない未来に、ギターを抱えてまた海を渡るだろう。実現するとか、しないとか、そんなことを怖れはしない。強く願えば、叶うのだ。たとえば、20年以上前に、池畑潤二の演奏を初めて聞いた時と同じことを思ったのだから。
 ツアー暮らしは愉しいことばかりではない。時に、自分が今何処に居るのかも不明になって、すり切れそうになる。でも、その日々の中で甚だ鍛えられる。どんなに身体の調子が悪かろうが、心の調子が悪かろうが、ステージに立たねばならない。強くなる。そして、忘れた頃に、今日のようなgiftがもらえる。諦めず続けること、それもひとつの立派な才能なのだ、あらためて教えられる。同時に俺の演奏はスレていたのかもしれない、とも思う。媚びていたのかもしれない。オーディンスにハッピーになって欲しくて、くらだない話もしすぎたかもしれない、とも思う。とにかく、俺は目の前に道が見えた。まっすぐな音楽の道。やるべきことはたくさんある。完全な中年の域に達して、妙に青春を過ごしているような気持ちになるのは、どうしてだろう、とも思う。俺はきれいな魂の持ち主でいたい。life goes on! さぁ、歯磨くぜ。

 

by 山口 洋  

きれいなたましい

2008/09/03, 02:09 | 固定リンク

9月3日 水曜日 晴れ 

 下北沢でsaico(鈴木彩子)ちゃんのライヴにゲスト出演。告知しなかったのは、彼女のファンだけで売り切れることが分かっていたから。すまぬ。このオファーは彼女から直々にもらった。真摯なものだった。歪んだところが微塵もなかった。だから、きついスケジュールでも、受けた。
 実際、その魂は素晴らしく奇麗なものだった。ギタリストと二人で奏でられる世界は危うく、そして美しかった。ありがとう。また何処かの空の下でね。

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by 山口 洋  

再見

2008/09/02, 21:24 | 固定リンク

9月2日 火曜日 曇り 

 後ろ髪を引かれながら、東北の某街をあとにした。旅の去り際は難しい。できれば、見送られない方がいい。風のように来て、風のように去る。それが理想だけれど、難しい。みんな、元気でね。また会う日まで。

by 山口 洋  

プチ・ワークショップ

2008/09/01, 21:19 | 固定リンク

9月1日 月曜日 曇り 

 芸能人と違って、ミュージシャンの歯が命、とは思っていないが、ニンゲンは喰ったもので出来ているから、噛めない俺がニンゲン以下であったことは間違いなかった。おそらく、あのまま放置していたならば、ポーグスのシェーンの前歯フォロワーになるしかなかったのだと思う。俺は「テクマクマヤコン@秘密の歯医者さん」のファミリーに助けられた。道が何であれ、そのプロフェッショナルな心意気に助けられた。ちょっと涙ちょちょぎれたぜ。

 何はともあれ、俺は明日のために歯を磨くことにした。

 俺は引き続き、東北某所に居た。何かちょっとでもいいから、恩返しをしたかった。子育てや仕事に少しだけ余裕が出来て、昔弾いていた楽器を「久しぶりに取り出してみよう」と思う人々が増えているのは、とても嬉しいことだ。俺のギターはヤイリギターが治してくれる。でも、旅先で出会ったそのギターは久しぶりにメンテを施されて、とても嬉しそうだった。一小節にどれだけの音符を刻めるか、なんてことに俺は興味はないのだ。その楽器がどれだけ愛されてきたか、これから持ち主とどんな音楽を奏でていくのか、それを夢想しているのが好きだ。
 某所に夜な夜な人々が集う。それぞれにギターを持っていた。上手下手なんてことはどうでもよくて、演奏にはその人格が丸ごと出てしまうものだ。俺は二人の演奏者の真ん中に入って、グルーヴを調整したり、テンポを出したりする。俺の右側に居たギタリストは少年のような表情で弾き、左側のギタリストはプチ哲学者のような顔で弾いた。機が熟して、俺が演奏を止めてみる。すると、どうだろう?
そこには二人が描く音楽の風景が浮かび上がってきた。それはもはや、演奏にまみれた俺が描くことができない「オヤジなのにイノセント」な風景だった。輝いていた。ちょっとカンドー。楽器を演奏することを「教える」ことなんて、基本的に不可能だと思っている。だから、職業としてそんなことをやるつもりはない。けれど、ライヴの後に、演奏することの素晴らしさを伝えるってのも、旅ガラスの自分の役目かもしれん、と思ったりもする。

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by 山口 洋  
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