8ビートは進化する

2008/12/31, 15:58 | 固定リンク

12月31日 水曜日 晴れ 

 大晦日。池畑さんからバットが届いた。今年、ヒットを一本も打てなかった打率000の俺へのプレゼント。嬉しかったなぁ。来年は打ちますとも、必ず。
 8ビートはただうるさい音楽のためのものではない。簡単な分だけとても深いのだ。多分、そこに一生関わっていくんだと思います。今年一年、サポートと応援、本当にありがとう。来年はビッグイヤーにしようと思っています。皆さんに幸あれ。道を切り拓こうぜ。よいお年を。

 多謝&再見。

by 山口 洋  

ナツコの情熱

2008/12/30, 18:51 | 固定リンク

12月30日 火曜日 曇り 

 イスラエルの外相が「これは戦争なんだから、民間人の犠牲者が出るのはやむを得ない部分もある」と発言したのを見て、頭の中の血管が何本が確実に切れるのを感じた。
 そんな時、ナツコが作った映画を観た。ナツコはマサルや俺が妹のように可愛がってきた29歳の女性。先日、月の庭で、久しぶりに会った。彼女が5年もの月日をかけて、いろんな人物の助力を受けながらも、ほぼ独力で、東ティモールの映画を作っているのは知っていた。その映画がとんでもなく素晴らしかった。まだ公開の日取りも決まっていないから、詳細は記せないけれど、本当に素晴らしかった。この世界にはイスラエルの外相のような人物も居れば、ナツコのようなニンゲンも居る。俺はモーレツに励まされた。怒ってないで、自分の仕事に没頭しよう。そして、この映画を一人でも多くの愛すべきニンゲンたちが観てくれるように全力を尽くそう。ナツコ、本当にありがとう。僕はダメなニンゲンの一人として、君を心から尊敬します。

by 山口 洋  

life goes on!

2008/12/28, 23:30 | 固定リンク

12月28日 日曜日 曇り 

 たっくさんの友人達が集まっていた。俺のマサル偏愛っぷりはホモの領域も超えているので、タチの悪い友人どもが俺を泣かそうと躍起になっていた。歯も磨かず、風呂にも入らず、俺は注がれるままに、日本酒を飲み続けていて、やがてマサルの家の離れで気絶した。
 そして多分午前4時頃。突然その感情はやって来て、涙が溢れて止まらなくなった。もういいや、出しちまえ。知るか。生まれてこのかた、よくもこんなに泣けるもんだと自分でも感心するぐらい号泣して、心優しいKに介抱されて、ボロボロになった。隣でリクオがいびきをかきながら寝ていた。奴にはゲロ吐いてんのも見られたし、号泣してんのも見られたし、もう隠すもんは何もないわい。
 昼過ぎ。月の庭では餅つきが行われていた。いい風景だった。俺は泣きすぎて、頭が痛かった。でも、何だか、どこかがすっきりしたような、ヘンな感情。庭ではマサルの友人たちが舞踏を繰り広げ、大人も子供も、それぞれに楽しんでいた。マサル、あんたはつくづく凄い男だよ。その人生を賭けて、俺に残してくれたことは絶対に忘れん。友人たちとそれを受け継いでいくよ。life goes on!

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by 山口 洋  

ありがとう、マサル。

2008/12/27, 23:13 | 固定リンク

12月27日 土曜日 曇り 

 やっとマサルに会いに行ける。三重県の鈴鹿山脈に沈んでいく夕陽があまりにきれいだった。また、テメー、こんな演出しやがって、と。何だか腹が立った。
 今日はリクオが「月の庭」でライヴをやるのに、俺と中川敬が勝手に乗っかった。俺にはどうしても歌いたい歌があった。気持ちが混乱して全然歌えなかったけど、魂は込めた。最後に「満月の夕」でマサルの息子ミッキーが三線を弾いてくれた。「頼むから、こっちの道に来るんじゃないぞ」と先輩風を吹かせたけれど、ミッキーは既に大物の香りをプンプンさせていた。さすがだ。

 久しぶりの月の庭。新しいスタッフはあの風をちゃんと受け継いでいた。あの友達は新しい命を授かり、マサルの奥さん、カホリちゃんは何だか超然としていた。何が「life goes on」だ。いちばんダメなのは俺じゃん、と亀山の寒い風に吹かれながら思った。

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by 山口 洋  

渋谷炎上、東京都渋谷にて。

2008/12/26, 22:52 | 固定リンク

12月26日 金曜日 曇り 

 嗚呼、日々が濃密すぎて、忘れないうちに記しておかないと。でも、忘れるような事ならどうでもいいのかもしれないけど。

 12月26日。俺は45歳になった。感慨なんて、まるでなし。四捨五入したら50っつーことと、随分長生きしたなぁ、と。まぁ、凡人がゆえ、ここまで生きて来れたのかもしれんけど。

 久しぶりにバンドでステージに立った。たった一本限り。でも、彼らはやっぱり凄かった。このメンツで音楽をやっていて良かった。俺たちのステージはほぼ生音で演奏しているのだけれど、池畑潤二が本気でドラムを叩くと、その音に異様に高揚して、鼓舞される。渡辺圭一の音は暴力的に聞こえるけど、センスは抜群。魚は魔術師だと僕は思う。客席の向こうに、来年の音が確実に見えた。たくさん曲を書いて、もっとたくさんバンドのライヴをやりたい、と思わせてくれた。

 その日は会社の仕事納めが多かったのだと。それゆえ、足を運べない人たちがたくさん居たのだと、後で聞かされた。この数年、僕は地方をたくさん廻ってきた。小さな会場が多いから、必然的にお客さんとの距離も近い。その地方地方で出会った顔が少なくとも100人は居た。そっか、この師走の忙しい時に、東京砂漠まで足を運んでくれたのか。ありがとう。もちろん、云うまでもなく、東京在住の人たちも、ありがとう。ライヴゆえ、ほころびた箇所も多々あったけれど、音楽に向かえる喜びを力一杯こめて演奏したよ。

 手前味噌だけれど、チームheatwaveは全員で10人以上になる。照明の柏木君なんかはデビュー以来の付き合いになる。僕はスタッフに全幅の信頼を置いている。メンバーと同じく、彼らとも一緒に旅をしたくなった。だから、来年はそれを増やせるように、音楽バカが好きな事を精一杯やって、オーディエンスの日々が少しだけ明るくなるように、未来に向けて進んでいきます。ライヴ中にも云ったけど、今年一年のサポート、心からありがとう。どうか、よいお年を。

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by 山口 洋  

リハーサル最終日

2008/12/25, 22:35 | 固定リンク

12月25日 木曜日 曇り 

 リハーサル最終日って「たった二日やんけ」っちゅー突っ込みはなしで。やることは全部やって、たくさんの楽器はスタッフ達によって、車に積み込まれました。後はステージに上がってみない限り、ウチのバンドはどうなるのかまったく分かりません。それでこそ、ライヴだと思っています。じゃ、明日みなさんに会えるのを楽しみにしています。

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by 山口 洋  

リハーサル初日

2008/12/24, 02:55 | 固定リンク

12月24日 水曜日 曇り 

 クリスマス・イヴの日に、野郎ども、イベント等を除けば、約一年振りに集結して、リハーサル。俺はこの一年、生ギター一本と云うシチュエーションが多くて、耳が繊細になったのはいいのだけれど、ひっさしぶりぶりにバンドの音を聞いて「うわ、音デカっ」みたいな浦島太朗状態。でも、ローディー君いわく「ヒートウェイヴみたいに生音の小さいバンド居ませんよ」と。最近のバンドはリハーサルでも、ドラムやベースがモニターから返ってるらしい。信じられん。その昔、師匠、ドーナル・ラニーのバンドとリハーサルした時に、その音の小ささ(小さいと云っても、すべてがきちんと聞き取れるのだ)に唖然としたのだが。

 何はともあれ、バンドはやっぱり愉しい。会わなかった空白の時間を音が埋めてくれるから。みなさんのリクエストも含め、演奏を楽しんでいます。こんな時代だからこそ、音楽は素晴らしい。そう思ってもらえるようなライヴにしたいと考えています。うー、懐かしいぜ、この耳鳴り。

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by 山口 洋  

多謝

2008/12/23, 00:54 | 固定リンク

12月23日 火曜日 晴れ 

 たくさんのリクエスト、ありがとう。

by 山口 洋  

歌うこと

2008/12/22, 00:48 | 固定リンク

12月22日 月曜日 曇り 

 たくさんのリクエスト、ありがとう。
 先日、僕の前にヒートウェイヴでヴォーカルをやっていた中原英司に会って思い出したんだけれど、僕は歌いたくてシンガーになった訳じゃない。もちろん音楽は大好きだったけれど、自分がスポットライトを浴びて歌うことに、まったく興味はなくて、素晴らしいシンガーの横で、ザクザクと(キース・リチャードみたいに)キレのよいリズムギターを弾いていれれば、それで良かった。曲を書くのは好きだったけれど、作詞は中原が担当していたし、歌詞を書くことになるなんて、まったく考えてもいなかった。
 ところがどっこい、僕が21歳の頃。ライヴの前の日に中原が辞めた。地元じゃそこそこ人気も出ていたので、キャンセルする訳にはいかなかった。仕方がないから、僕が歌ったら(いや、あれは歌じゃなかった、多分。思い出したくもないが)、客席から「金返せ!」と罵声が飛んできた。その瞬間、「歌う」ことに真剣に取り組んでみるか、と思った。それからだ。僕のギターが誰かに褒められるようになったのは。歌うことに必死で、ギターのことなんて何も考えちゃいない。その余裕がない。誰も歌を褒めてはくれないが、ギターは褒められる。そうか「手放せば」いいのか。そう気がついてから20年あまり。先日のツアーでリクオのピアノと歌だけっちゅー(たった1曲だけど)状況で歌ってみて、ようやくその意味が身体で分かってきた気がするのです。
 学ぶってことは、かように時間がかかることなのだけれど、バンドも僕自身も前進を続けています。久しぶりに会うバンドのメンバーと音を出すのを楽しみにしています。

by 山口 洋  

12/26@duo

2008/12/21, 21:49 | 固定リンク

12月21日 日曜日 風の強い日 

 おっす。今年最後のバンドのライヴに向けて、羽を休めています。連絡をいくつか。
 こんなご時勢ってこともあり、念末の忙しいさなか、12/26@duoに足を運んでくれる人たちには、2009年に向けて、エネルギーを持って帰って欲しいな、と思ってます。我々は24,25日の二日間、リハーサルを行います。そんな訳で、どこまで応えられるか不明ですが、もし聞きたい曲があったら、12/24に日付が変わる頃まで、このサイトの掲示板にてリクエストを受け付けます。セットリストを作る上で参考にしたいと思っています。

 渡辺圭一デザインの「life goes on T-シャツ」3種類が会場で販売されます。詳細は近日中に「news」にアップされると思います。それから、いつも我々をサポートしてくれている代官山のジュエリーショップ「knife*acoustic groove*」が「希望を載せて飛ぶ為の羽根3号」を作ってくれました。限定30個、会場では協賛特別価格¥20,000だそうです。3号、実物を見ましたが、とってもデカいです。飛べそうです。ありがとう。

http://d.hatena.ne.jp/theRising/

 2009年最後のライヴ。みなさんに会えるのを楽しみにしています。

by 山口 洋  

西から風が吹いたら

2008/12/20, 15:33 | 固定リンク

12月20日 土曜日 晴れ 

 「西から風が吹いたら」と云う新しい歌を先日、野田敏が歌ってくれた。よく晴れた日に、自分の暮らしを見渡すことができる山にパートナーと登って、新しい風に吹かれてみる。それだけの歌なんだけど、何だかじんわりと染みる。もう4日経ったけれど、ずっと頭の中で鳴っている。僕が今住んでいる街には「小高い丘」すらもないんだけれど、今日は少しだけ時間があるから、駅前にコーヒーを飲みに行ってみようか、と思う。

 新聞にしろ、テレビにしろ。世の中が不況だ、解雇だ、恐慌だ、円高だ、株は下がり続けてる、エトセトラ。絶え間なく、そう叫んでいる。おそらくそれは事実だろう。でも、そうやって人々を煽るだけでいいのだろうか?ますます財布のひもは固くなり、金は廻らなくなり、スパイラルのように、転がり落ちていくだけじゃないんだろうか?こんな時代だからこそ、どう生きたらいいのか、どんな価値観を持てばカネに左右されずに生きていけるのか、そんな議論をした方がいいんじゃないだろうか?僕は一度も正社員になったことがないから、ある日突然解雇される恐怖感は本質的には理解できない。けれど、違う角度から考えると、人生そのものが常にギャンブルだったからして、趣味でギャンブルをやる必要はなかったし、今までたくさんのレコード会社をクビになった経験から云っても、それで音楽を辞める気には毛頭なれなかった。音楽にはカネ以外の部分であり余るだけの魅力と深さがあったからだ。そうやって、たくさんのレコード会社を流れ、レコード会社ジプシーのようになった挙げ句、たどり着いたのが、本当の意味で「独立」して生きるってことだった。比較するのはどうか、とも思うが、野茂選手が南米のリーグに行ってまで投げ続けて、最後に「悔いが残る」と云って、現役を退いた気持ちは僕なりに理解できる。何をもって「ハピネス」と呼ぶかは人によって異なる。彼はただ単純に「投げたかった」のだ、多分。

 故郷で僕をずっと応援してくれている親子が居る。娘さんは車椅子に乗っている。先日の福岡の会場は3階にあった。エレベーターはない。その時、2階のレストランのスタッフが笑顔で出てきて、「良かったらおんぶしましょうか?帰りも気軽に声をかけてくださいね」、と。彼女は「本当の意味でのバリアフリーだった」と記していた。親子は特定非営利活動法人を立ち上げ、地域での活動を支援している。その表情は輝いていた。実のところ、エネルギーをもらっているのは僕の方だった。
 僕らの音楽を必要としてくれている人が居るのなら、何処にだって出かけていって演奏する。それでいいではないか、と思う。そしてたまに疲れたなら、「西から風が吹いたら」、駅前にコーヒーを飲みにいく。それは些細な僕の「ハピネス」でもある。

by 山口 洋  

レコーディング

2008/12/19, 15:17 | 固定リンク

12月19日 金曜日 晴れ 

 つーか、レコーディングである。今日くらいは音楽から離れていたかったが、男の約束は果たさねばならん。詳しくは書けないのだけれど、旅の途中で出会った連中が居て、奴らの音楽には北国の空気とやるせなさが同居していて、とても好きだった。俺は知ってることをすべて伝えておいた。新しい曲が送られてきて、そこで彼らは自身にしか奏でられないものを歌っていた。何だか、とても嬉しかった。だから、手を抜かずにフレーズを抜いて、スペースたっぷりにギターを弾いた。
 これからは地方の時代だと思う。地方で暮らすことはとっても厳しいと思うけれど、そこでしか奏でられないものがある。それが全国にあるいは世界に波及していくことを、俺も夢見ている。

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by 山口 洋  

学ばない中年、東京に戻る。

2008/12/18, 18:21 | 固定リンク

12月18日 木曜日 晴れ 

 イベンター「つくす」に見送られて、学ばない中年2人、東京に戻る。「つくす」にはいつもちゃんと礼を云っていないので、本当にありがとう。怒濤の一週間だったけど、愉しかったな。
 それにしても、車中のリクオはゾンビみたいだったが、大丈夫か?奴は明日から、仙台、弘前、能代と更に3連ちゃんでライヴをやらかすらしい。どうかしてる。気をつけてな。

 テレビからは暗いニュースばかり流れてくる。でも、俺は思うのだ。必要が発明の母であるように、今は価値観の大いなる転換期なのだと。カネだけが人生ではない。こんな時代だからこそ、必要に迫られて得ることができる価値観がある。どこまでも好きなようにはみ出して転がっていこうと思う。この旅で得たものを12/26のライヴでバンドにフィードバックしてみようと思う。待っとるよ。

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by 山口 洋  

ホモ・ジャングルツアー完走、福岡市にて。

2008/12/17, 18:09 | 固定リンク

12月17日 水曜日 曇り 

 約一年かけて、リクオと全国を廻ってきた「hobo jungle tour」改め「ホモ・ジャングルツアー」。故郷、福岡にて完走。あれだけ同じ風景を見てきた訳だから、新しい曲の歌詞が微妙に似てたりするのが笑える。どんな時代であれ、友人や音楽は素晴らしいものだ。いつも九州で帯同してくれているイベンター「つくす」と「今回だけは頑張った自分たちを褒めてやった方がいいから、ツアーの最終日は温泉ね」っちゅー取り決めを前もってしていたにも関わらず、結局、怒濤のようなスケジュールでライヴをやり、せっかくの移動日にも性懲りもなく楽器を握って、ライヴと同じテンションで演奏をくり広げ、バーに行けば、DJになって踊り狂い、「あと一杯だけ」と云う言葉は守られたためしがなく、エトセトラ。でも、「人生はカーニバルだ」つーのがマサルと俺の共通した意見だから、これでよかろう。とんでもなく疲労は襲ってくるが、好きなことしかやっていないから、それは疲労とは呼ばない。
 今日の会場は初めてだったのだが、エンジニアのY君の腕が素晴らしく、演奏に集中できた。彼は本当に「余計なことは何もしない」のだ。勘違いしている人間が多過ぎるのだが、エンジニアの仕事とは、「何もしないこと」なのだ。それによって、ダイナミクスはミュージシャンがコントロールすることができる。見事なまでに0dbに揃っているミキサーのフェーダーを見て、今どきこんな奴がまだ居たんだと、密かにカンドーする。
 
 はてさて。忘年会をかねて、飲み屋に集まってくれた友人達はもう何十年の付き合いになる輩も居る。それだけの長きに渡って応援してくれるってのはありがたいことだ。最後にヒートウェイヴのヴォーカルだった中原英司の店に行って、お開きに。奴もプロフェショナルなバーテンダーになっていた。それがまた嬉しい。さぁ、残すは12/26と27。あと二本。がっつり行くぜー。

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by 山口 洋  

野田敏との夜、熊本市にて。

2008/12/16, 17:48 | 固定リンク

12月16日 火曜日 曇り 

 僕の師匠、野田敏の新しい門出の夜に、たくさんのオーディエンスがつめかけてくれ、温かく彼を迎え入れてくれたことが、とても嬉しい。本当にありがとう。リクオは忙しい日々の中、彼の曲を全部譜面におこしてくれ(それって、俺の仕事じゃん)、おかげで当日限りのリハーサルが円滑に進んだ。イベンター「つくす」は開催のために奔走してくれ、会場「ぺいあのplus」のオーナー夫妻は早くから店をあけて、リハーサルをやらせてくれた。熊本のメディアの皆さんもたくさん来てくれて嬉しかった。
 何よりも野田敏はその歌をまずは家族に向けて歌っていた。彼がどれだけ素晴らしいミュージシャンであるか、家族さえもあまり知らなかったらしい。あれだけ長きに渡ってステージに上がっていなかったから、その緊張感たるや大変なものだったと思うが、やっぱり彼は「本物」だった。あと、5本俺たちと一緒にやらせてくれるなら、驚異のパフォーマンスを見せてくれると思う。

 僕は懐古趣味で彼を呼んだのではない。この時代に彼の歌が必要だと心から思うし、何よりも、僕がそれを聞きたいからだ。この時代、リストラや精神的に弱っている人たちが彼の歌を聞いたら、どんなに励まされるだろう。彼の書いたいくつかの歌は25年に渡って、僕の頭の中で鳴り続けている。そして、表には出ていない名曲がたくさん、たくさん埋もれている。30年前に書かれた「今夜こそ」はまったく古くなっていなかった。今日、通りで「今夜こそ」と心をギラつかせている若者も、家族を養うために頑張っている父ちゃんにも、それはロックンロールのファンタジーとして、力強く響くだろう。

 何はともあれ、彼の歌を世に問うための長い長い旅路が始まった。今日が父親の命日だっちゅーのも何かの因縁だろう。何年かかるか不明だけれど、必ず実現させます。ま、敏さんあってのアルバムだから、俺の力だけではどうにもならないんだけれど。でも、今日、彼の魂から何かを受け取ったなら、どうか声援を送ってください。

 最後に。敏さん。本当にありがとう。でも、俺、すっぽんみたいにしつこいですからね。新しい歌、書き続けてくださいね。首を長くして待ってます。

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by 山口 洋  

hometown、福岡にて。

2008/12/15, 16:46 | 固定リンク

12月15日 月曜日 曇り 

 あまりにもモーレツに旅をしていると、旅に埋没すると云うか、沈没してしまうと云うか、ホリスティック・ビューを完全に失って、自分が何処に位置しているのか分からなくなることがある。そんな時、運良くホームタウンに居たなら、自分の暮らしを見下ろす丘に登って、心の平穏を取り戻すとです。明日の父親の命日を前に、墓参りに行くとです。マサルに会ったなら、よろしく、と。

 明日はいよいよ熊本にて我が師匠、野田敏登場です。残席僅か、迷わず来てください。彼は僕の人生を変えた男です。明後日の福岡で、長かったリクオとのhobo jungle tourもいよいよ最終日。それから12/26は渋谷のduoにて、今年最後のヒートウェイヴです。待っとるよ。もうひとつ、12/27にリクオが故マサルの店、三重県亀山市の「月の庭」にてライヴをやるのですが、中川敬と共にゲスト出演します。葬儀にも行けなかった分、彼から受け取ったものを届けにいくつもりです。

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by 山口 洋  

小倉にて

2008/12/14, 11:12 | 固定リンク

12月14日 日曜日 雨 

 ギャラリーSOAPはいつ来ても、確かなカウンターカルチャーの匂いがする。絵画だったり、音楽だったり、本だったり、映画だったり、人そのものだったり。リクオと俺はガサツな割には繊細な演奏を望んでいたりもする。誰かの言葉を借りるなら「振り幅」ってやつなのか。いろんな意味で、今日はその「振り幅」がでかかった気がする。この街にはまだ裏路地に、あの「小倉」が存分に残っている。昭和の匂いがぷんぷんする。それがSOAPの空気にも反映されてるところが素晴らしい。いつも、いつもありがとう。また会う日まで、どうかお元気で。多謝&再見。

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by 山口 洋  

確かなる満月の夕、佐賀県佐賀市、浪漫座にて。

2008/12/12, 15:52 | 固定リンク

12月12日 金曜日 曇り 

 確かに今日は満月だった。三重県ではマサルの葬儀が行われていた。俺は佐賀にやってきた。築100年を超える素晴らしい建物、浪漫座。響きが素晴らしい。リクオが居てくれてこそ、なのだが、ふとギターを持たずに歌ってみようと思った。俺は生まれて初めて、「満月の夕」を歌だけで歌った。多分、マサルがそうさせてくれたんだろう。奴の葬儀の日に、俺は未来に繋がる新しい発見をした。三重では葬儀の際、息子のミッキーが三線でその曲を親父のために歌ったのだそうだ。こんな風に勝手にいろんなことが繋がっている。その道筋を作ってくれたのが、あの男だったのだ。ありがとう。佐賀の友人達、いつも、ありがとう。君たちの未来に幸多からんことを。いい夜だったよ。

追伸
マサルが首謀者になって、作られたアルバム「eagle talk」。是非、聞いてください。僕らのアルバムが売られているサイトads405でも手に入れることが出来ると思います。

http://d.hatena.ne.jp/tuktukcafe06/20081210

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by 山口 洋  

マドロスな野郎ども、長崎県長崎市にて。

2008/12/11, 03:07 | 固定リンク

12月11日 木曜日 晴れ 

 友人マサルの死は、かつて体験したことのない「死生観」を俺にもたらしてくれつつある。親のそれとも、大好きだった犬のそれとも、まるで違う。例えようがないくらい悲しいのだけれど、それでも一抹の妙な晴れやかさを伴っていて、結論なんかにはたどり着くはずもないのだけれど、このヘンな感覚は岡田マサルのそのものである気もする。彼の「死」によって、いかに「生きる」かというシチ面倒くさい命題がくっきりと目の前に見えてきつつある。マサル。俺は通夜にも告別式にも行けないけれど、旅の中でそれを考え続けてる。

 リクオと九州にやってきた。無意味に熱いマドロス野郎、工藤ヒロシ(写真参照)の店「R-10」。出島ワープの中にそれはある。充分なホスピタリティーと無意味なまでに熱い奴らの店だから、この街に来たなら、是非行かれたし。リクオと俺の新しい曲に、それぞれ「life goes on」と云う同じ文言が使われていて、おかしかった。曲調がどんなに違っていたとしても、同じエッセンスを旅の中で感じたのだろう。奴はライヴ中に飲んで指がもつれることがあるので、今日から一杯につき罰金制をもうけた。焼酎5000円、ワイン3000円。ステージには確かにミネラルウォーターしか置かれていなかった。会場も充分に熱くなって、俺は自分の水を飲み干してしまった。リクオのピアノの脇に、ミネラルウォーターが二本あったから、それを飲んだなら、なんと中身は焼酎だった。おい、そこまでして飲みたいのか。罰則に、隠れ飲酒と云う項目はなかった。まったくもう。

 引き続き、マサルヘ。俺は初めて「満月の夕」の歌い方が分かった気がするよ。ここ長崎でマドロスな連中に囲まれていることによって。そして、工藤ヒロシ。俺はライヴ後の打ち上げで、あんな凄まじい刺身の盛りを見たことがない。「ありがたいけど、こんなに喰えないよ」と俺が云ったなら、「大丈夫ですよ。生きてるものは無駄にはしません。明日はこの魚で美味しい出汁を取ります」って。素晴らしい。終演後、新春恒例のFM長崎の「ヒートウェイヴ特別番組」も録ったので、聞いてね。

 ありがとう。長崎。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ありがとう、マサル。

2008/12/09, 14:07 | 固定リンク

12月9日 火曜日 氷雨 

 12月9日、午後11時23分。岡田マサル、永眠。
 みんなに見送られて、拍手の中、笑顔で一生を終えたんだってね。つくづくあんたは凄い男だよ。

 あんたが居なくなって、本当に寂しい。でも、あの痛みから永遠に解放されて、前にも増して自由になって、心おきなく、あの変てこりんな踊りを好きなだけ踊れるんだね。マサル、本当にありがとう。これ以上の言葉は見つからない。ゆっくり休んだら、あんたが心から愛した家族や、友人達や、どうにもならないこの世界を見守ってくれ。残念ながら、俺は別れの言葉も云いに行けない。でも目を閉じれば、いつだってあんたに会える気がする。これからもずっと。だから自分の現場で全力を尽くすよ。あんたと共に探していた「愛」を込めて。交わした無数の言葉、そして教えてくれたこと。ずっと胸に刻んで生きていくよ。もう一度だけ。心からありがとう、マサル。R.I.P。

by 山口 洋  

on the road, again完走、宮城県白石市にて。

2008/12/08, 18:43 | 固定リンク

12月8日 月曜日 曇り 

 ここ3年に渡って、日本中をできるだけくまなく、できる限り独力で廻ってきた。福井県だけは行くことが叶わなかったが。その本数、今や不明。多分100カ所は超えるだろう。何故、そうしたか、と問われるなら、そうしたかったからだ、としか応えようがない。自分の足で歩き、自分の目で見たいものがあったからだ。随分と悲しい光景も見た。その分だけ、美しいものも見た。そして「land of music」は確かに存在していた。誰かの心の中に、あるいは小さな街のハコの中に。

 その旅の終わりに。宮城県白石市にある「カフェ・ミルトン」を選んだ。マネージャーには「そりゃ、無茶苦茶ですよ。もっとコンディションがいい時にやりましょうよ」と云われたが、どうしてもそこで区切りを付けたかった。そして、俺の置かれた状況は彼の云っていた通りになった。情けなかった。喉はすり切れたボロ布みたいで、風邪は治らず、疲労がたまると襲ってくる歯痛は耳にまで及んでいた。情けなかった、アゲイン。自分で決めておきながら、このテイタラクは何だ。

 カフェ・ミルトンには音楽の神様が棲んでいる。人口3万人足らずの街にある小さな店。そこに何故神様が棲んでいるかってことを記すのは野暮だから止めておく。その代わりにこの旅の集大成として、確かな「land of music」を収めたライヴ盤をここで録音して、世界に届けるのが旅ガラスとしての自分の役目だと思っていた。これで、俺の旅はしばらく終わりだ。次の場所に向かうために。

 2days。あのスペースによくこれだけの人数を、と毎回思うのだが、たくさんの人が足を運んでくれた。旅の中で出会った野菜たちも、心のこもったフードも酒も、オーディエンスの心と胃袋を満たしていた。二日目。ミルトン・ママの誕生日。楽屋で、大切な友人が危篤だと聞かされた。俺はどうすることも出来なかった。約800キロの距離を超えて、俺は奴の魂と会話した。自分に出来ることは、目の前の現場で全力を尽くすことだけだった。狭いにも程があるステージに上がると、不思議と無駄な力が抜けていった。「nothing - 無」。俺はもう何も考えていなかった。奴の魂と自分のそれは確かに繋がっていて、音楽の神様が真ん中で笑っていた。気がつくと、客席には笑顔や泣き顔、いろんな表情があった。自分で云うのも何だけれど、素晴らしいライヴだった。誤解を怖れず書くなら、ある種宗教的な体験だった。どんな力が働いていたのか、自分でも分からない。ただ、この時代に、リスクをしょって逆風にめげず、笑いを忘れずできるだけ「まっすぐに」生きて来た人たちのエネルギーの集合体としか呼びようのないもの - が渦巻いていた。

 これを盤にできるどうか、それは聞いてみて決めようと思っている。上記の、「実態がないけれど、確実に存在していたもの」。それを録音するのはどだい無理な話なのだ。だからこそ、人はライヴに足を運んでくれるのだから。でも、それが記録されていることを祈っている。旅のまとめとして、最終日にたどり着いた「音楽の深さ」を記録したものとして、人のエネルギーが連鎖するものを証明するものとして。

 長い間、俺を苦しめていたクソ忌々しい親知らずは、プロフェッショナルである歯医者さんに抜いてもらった。痛みから、解放された。抜かれたその歯をもらったのだが、なかなか愛嬌のあるロッキンな歯だった。あはは。そして13歳の少女から素晴らしい人生の目標も教えてもらった。これだから、旅はやめられない。

 on the road, again。関わってくれたすべての人に感謝します。本当にありがとう。そして、マサル。俺が伝えたかったこと、伝わってるよね。あんたのメッセージは確かに受け取ったよ。Life goes on。

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by 山口 洋  

宮城県白石市にて、アゲイン

2008/12/07, 17:53 | 固定リンク

12月7日 日曜日 曇り

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by 山口 洋  

宮城県白石市にて

2008/12/06, 17:50 | 固定リンク

12月6日 土曜日 曇り

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by 山口 洋  

あるケアマネージャーからの報告

2008/12/04, 00:44 | 固定リンク

12月4日 木曜日 晴れ 

 昨日記した人物とはまた違うケアマネージャーからの報告。自分が母親を介護した経験から云って、それは金銭的にも、体力的にも並みたいていの事ではなかった。俺の場合、まだ若かったからよかったようなものの、東京と福岡を多い時は月に10回以上往復し、同時にアルバムを作り、ツアーをやっていた。それを約2年続けて、俺も疲れ果て、入院した。そんな時、ケアマネージャーと呼ばれる人の助けにどれだけ励まされたことだろう。
 ひとつだけ確かなこと、いつか誰もが老いると云うことだ。老人が敬われない世の中はおかしい。意味不明な大金をばらまく余裕があるのなら、まっとうな金の使い道があるのではないか?そして、そんなアホな政府を選んでいるのは、国民である我々なのだった。嗚呼。いつだって、この世は矛盾に満ちている。そんな中で、理念と現実の狭間に翻弄されながら、人々は音楽を聞きにやってくる。ならば、やっぱり「人生はカーニバル」でなきゃいかんのだと、俺は思う。以下、その現場からの報告。

 知っている人も多いかとは思いますが、国は2003年から毎年2200億円の社会保障費を削減し続けています。これは2011年まで続けられる予定。毎年、2200億円削減です。
 このうち介護保険関連だけで見てみると2003年は2200億円のうち300億円を介護報酬の引き下げでカット。2005年には420億円を施設の居住費・食費を保険対象外としてカット、2006年にはまたまた60億円の介護報酬引き下げでカット、となっております。介護保険の財政難という大義名分がまかり通っていますが、実は多くの自治体で介護保険の財政は黒字となっています。介護給付費準備金という名目で2006年までに2140億円のお金が貯められています。
 また国の介護保険の決算でも2006年度は予算に対して1400億円、2007年度は900億円のお金が使われていません。要するに介護報酬の引き下げや軽度者からの介護の取り上げをした結果、お金が余っていて、きちんと使われていないということです。これに対して国はもっともらしい回答をしていますが、だいたいどのような言い分かはご想像付くと思います。
 財源の話になると賛否両論出てきますが、国家予算全体の中で介護も含めた社会保障をどうするのかという視点が我々にも必要なのではないかと思います。
個人的には防衛費などは殆どいらないと思っているけれど、仮に必要だというのであっても8兆円も要らないだろうって思います。上記の2200億とかいう数字が鼻くそみたいに思えてしまう8兆円。ちなみにF-1戦闘機を1時間飛ばすためには、お年寄りが通うデイサービスの送迎車1台の8年分の燃料になるそうです。
 
 介護従事者の労働条件が厳しいのは、介護報酬の低さに集約されています。要するに収益が上がるようなシステムになっていないということ。福祉に過剰な収益をもたらすことに意義を唱える人もいますし、福祉に市場原理を持ち込むことに意義を唱え、国として行うべきという人もいます。どちらにしても福祉に携わるものが金の話をすること自体タブーな風潮が残っています。市場原理でもすべて国庫で賄うにしろ、我々は月給40万をよこせとか言っている訳ではないのです。この地域のケアマネージャーの給与は手取りで17,8万ってとこです。現場の介護福祉士やヘルパーさんはさらに待遇が悪いです。お年よりはさらに少ない年金でやりくりしていて、生活保護だけは受けたくないといって行商を続けながら必死でがんばってる80歳の人もいます。信じられない話かも知れませんが、この北海道の冬を灯油を買えずにストーブを使用しないですごす高齢者がたくさんいるという事実です。どうやって過ごすか分かりますか?朝はできるだけ布団から出ない、日中は暖房の効いている図書館や市役所の待合室やスーパーの休憩室で時間を潰します。でもこれはカチンコチンの道を自力で歩いて行ける比較的元気な老人の話。援助がなければ外出できない老人はどのようにしているのか、ご想像ください。現場の凄惨さは殆どニュースになりませんし、こんな話は普通にあります。搾取する側とされる側という簡単な図式では括りたくはありませんが、こと介護の現場においては、搾取されているもの同士が支え、支えられているという悲惨な状況なのかも知れません。
 
 老いて行くということは常に「喪失」との戦いという一面が多くあるように思います。友人や伴侶が亡くなり、自身の手足や身体の不自由が奪われていくことにどう折り合いをつけていくのか。その中に今、今日生きている実感と僅かな希望を持って生きていくことは、個人個人が折り合いをつけていくことなのかもしれません。が、最低限の「生きていく希望」や「普通に生きる権利」を奪い取ろうとする今の国、もしくは政治にはやはり?マークがついてまわります。介護に従事している人の笑えるような笑えない合言葉、「お年寄りのケアプランより、自分たちのライフプラン」、「僕たちの生活も毎日がターミナル」。
 
 僕もそうですが、若いときや親が元気なうちは、殆ど関係のない話かもしれません。なので、無理を言っても仕方ないかも知れませんが、ニュースにもならい事実がたくさん日々繰り返されていること、それを発信することも必要、もちろん無知ではなくそれを知ろうとすることも大事。あとはイマジンして、自分にできることをするしかない。そうっすよね?

by 山口 洋  

確かなるland of music、その名をくう。北海道札幌市にて。

2008/12/03, 03:16 | 固定リンク

12月3日 水曜日 曇り 

 どうにか、こうにか札幌にたどり着いた。俺の残存体力がどれだけあるのかも不明だった。でも、今日は名門ジャズクラブ
「くう」。オーナーは同輩だ。とにかく心を込めよう。決してアリーナは満席とは云えなかった。でも、ハコが育んだ歴史、オーディエンスがくれるエナジー。それをまとめて、静かに宇宙に行くだけさ。もとより美声ではない。でも、それを越えてまでも、音楽には可能性があるはずさ。今日、このステージに立てる喜びを感じよう。
 終演後、老人介護の職に就く友人の話を聞く。その話はあまりにも「no future」だった。だから、調べてみよう、と思う。老人を大切にしない国、そのような仕事に従事する人々に、まっとうなサラリーを払おうとしない国。そんな国に未来はないと、俺は思う。昨日会った高校生が希望を持つことが難しいのは、老人達が楢山節考みたいに捨てられる社会に生きているからだ。そして、それはいつかは我が身だ。大人たちが「lifeは愉しいもんだぜ」っちゅー日々を送ろう。ヒドい病でも決してメゲないあのマサルのように。俺は奴が何故偉大なのか、旅をしていて気がついた。奴は決して、どのような人物であろうとも、人を恨まないのだ。人を信じないマサルを俺は見たことがない。そんな事を思いながら、たくさんの曲を演奏した。「ひかりは必ず窓の向こうから溢れている」。俺はいつだってそう思う。ありがとう。札幌。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ミュージシャン教壇に立つ、旭川市にて。

2008/12/02, 16:41 | 固定リンク

12月2日 火曜日 曇り 

 旭川に滞在中、俺はずっと弟みたいなトミーの家に居た。ホテル暮らしは無味乾燥、もう飽き飽きしていたから、素晴らしく居心地が良かった。いい音楽を聞いて、二人で静かに酒を飲んでいた。ところで、トミー某は旭川の由緒正しいミッションスクールの教師である。その縁で昨年、全校生徒を前に歌わせてもらった。イノセントな彼女たちの前で歌うのはなかなか得難い経験だった。
 な、訳で。再会だ。俺は学校には苦い思い出しかないから、校長先生であるシスターとお話しするだけで、訳もなくキンチョーする。人前で、しかも女子高生を前にタメになる話なんて出来るわけもないのだが、一時間割りあてられていたから、一生懸命話した。汗かいたぜ。明日に期末テストを控え、もうすぐ巣立っていく三年生。その目には期待と不安が入り交じっていた。俺は彼女たちのこれからの人生が実り多いものであることを祈らずに居れなかった。実のところ、エネルギーをもらったのは俺の方で、不安を抱えながら、音楽に夢中になっていたあの頃の気持ちが蘇ってきた。最近、いい表情をした大人を見かけることは少ない。子供たちには「大人になるのって愉しそうじゃん」。そう思って欲しい。年を重ねることに希望を見いだして欲しい。そのためにも、「lifeはカーニバルだ」ちゅー毎日を送ることをまっとうしようと思った。みんな、元気でね。また、何処かの空の下で会おう。ありがとう。多謝&再見。

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by 山口 洋  

ラジオに出演

2008/12/01, 19:07 | 固定リンク

12月1日 月曜日 快晴 

 アーリー野澤さんのDJによる番組に出演。愉しかったっす。放送は今日の8時からだって。旭川のみなさん、聞いてね。FMりーべる、83.7Mhzです。

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by 山口 洋  
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