高速カモメの夜、heart of 千葉にて

2009/05/31, 02:44 | 固定リンク

5月31日 日曜日 曇り 

 本当にどうしようもないところまで追い込まれると、言葉が出なくなるって。本当だった。しばらく、オレは言葉を失っていた。出ないものはしょうがないから、喋らないことにした。前に進むために、解決するために、何もオレは何もできないってことが、こんなに苦しいことだとは知らなかった。
 それでもライヴはやってくる。オレが生きてることを唯一確認できる場所。ソロのライヴで種を蒔き続けて、フルのバンドで行けるようになるまで、そこまで辛抱強く応援してくれ、おまけにそれが実現するってことは、どれだけの情熱を持っていても簡単じゃない。でも、このANGAのスタッフは素晴らしい。二回ソロで歌って、三回目でトリオに漕ぎ着けた。「heart of Chiba」の看板は嘘じゃなかった。スタッフのNちゃんが女性として見違えるように奇麗になっていたから、てっきり恋をしたんだと思ったら、その逆だった。ごめんね、男って、そのあたりの感覚がガサツなのよ。でも、こうやって人は学び、強く、そして美しくなっていくんだね。トリオのライヴは「生々しさ」を感じて欲しい。だから、ほぼ生音でオーディエンスには楽しんで欲しい。オレは最近のライヴにありがちな、無意味に暴力的なデッカイ音が嫌いだ。先日もフェスでいくつかのライヴを聞いて驚いた。自然界にあんな低音は存在しない。そんなに出さなくても、人間の耳は優秀に出来ている。嘘だと思うなら、落語に行ってみな。小さいよ、音。小さいから、みんな集中して聞くんだよ。だから、どかーんと受けるんだよ。足りない音は人間の優秀な耳が補うんだよ。ここのエンジニアは若いのに、僕らのそんなリクエストにきちんと応えられるだけの技量を一年間で身につけていた。ちょっと、オレはカンドーしたよ。この継続する情熱こそが文化を作るんだよ。
 経験が人を作る。体調が落ちてようが、気持ちが落ちてようが、あの言葉も出ない苦しさに比べたら、何てことはなかった。だって、オレは大好きな音楽を今、この瞬間に奏でてるんだぜ。愛のあるハコで。バンドはサイコーだぜ。こんなにも違う人間たちだからこそ、あの音が出るんだぜ。オーディエンスは汗水たらして働いた金で、俺たちの演奏を愉しみにして来てくれてるんだぜ。ベリー初日でほころびようが何だろうが、そんなこと「ヘ」とも思わない経験を今、オレはしてるんだと思う。 「未来は必ずある」。「悲しいなんて事実はない。それをどう捉えるかだけだ」ってその言葉がびんびんに響いてくる。こんな時代に必死に生きてる連中を元気にしたい。オレだって、元気になりたい。この経験が45歳のオレをでっかくしてくれている。些細なことじゃ、もう悩まないと思う。だから、苦しみにも感謝してる。心からありがとう、と云いたい。現に、ライヴが終わってコンピュータに向かっていたら、言葉が出てくる。すごいよね、音楽って。
 敏さん。「カモメ」、演奏したからね。あり得ない高速カモメだったからね。カモメは不自由で自由だったからね。バンドに伝えたことはただひとつ。オレの事なんて、何も考えず無視して、煙を上げて、突っ走ってくれって。あり得ない飛び方してたからね。それから敏さん、もうひとつ伝言。ブログでも何でもいいから、サイト、立ち上げてくださいね。オレの師匠であるあなたが50の齢を超えて、再び立ち上がる。その言葉が、こんな狂った時代に生きる人々をはどれだけ励ますことか。不格好でいいんですよ。オレは今日、ファンに目の下のクマが「熊」になってますって云われましたからね。だって、「熊」出来てんだからしょうがないじゃないすか。でも、音楽だけは手を抜きませんからね。
 バンドを始めて30年。生まれて始めて、トリオツアー用に「新品」のギターアンプを買いました。小さいものじゃないと、いろんな街に行けないから。まだぜんぜん、オレの音がしません。でも、ひっさしぶりぶりにエレクトリック・ギターを弾きました。アンコールが終わって、客電がついて、突然また弾きたくなったので、頼まれてもないのに、勝手にダブルアンコールにしました。あはは。エレクトリック・ギターって、やっぱり愉しいわ。弾いてると。
 今日も一滴も飲まずに帰ります。明日になったら、また乱高下がやってきて、穴の中に落ちていくのかもしれない。でも経験が人を作る。そのことをheart of Chibaで掴んだのが嬉しい。本当にありがとう。「胸が熱くなってきそうです。何か燃えてくるものがあるはずです。」ある場所に、そう書いてあったんだけど、その通りだった。胸にはぽっかり穴があいて、そこをひゅーひゅー空気が通り抜けて痛くてしょうがないけど、それでも熱いのです。まったく、不思議な経験だよ。

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by 山口 洋  

光と闇

2009/05/26, 19:34 | 固定リンク

5月26日 火曜日 快晴

是非、読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/theRising/20090526

by 山口 洋  

this light

2009/05/25, 04:52 | 固定リンク

5月25日 月曜日 曇り 
 
 音楽に夢中になっているとき。それは今の自分が生きていることを唯一実感できる瞬間。最近、ときどき飛ぶことができる。凄いものを手に入れてしまったぁ、と思うと同時に、状況がそうさせてくれたのだから、感謝もしている。打ち上げなんて、行けない。何を打ち上げるのか、僕には分からない。深夜に帰ってきて、どうせ眠れないから、強い酒を一気に飲んで、自分を強制終了させる。コマンド、オプション、エスケイプ。そして、翌日何もなければ、確実に落ちる。深い穴の中に。耳鳴りと共に。それが今の僕の現実。音楽があって良かったと思うけど、この振幅も正直しんどい。スケジュールが埋まる前に、夏は何も決めずに長い旅に出ようか、とも思う。でも、本当にパスポートを取りにいく気力ももうない。なんか、ネガティヴで申し訳ない。長い間、ロックンロールをやってたら、こんな日々もあるさ。仕方ない。
 昨夜、魚と演奏してるのは本当に愉しかった。まったく覚えていないのだけれど、早朝に彼に電話をしてるらしい。きっと、ありがとう、と云いたかったんだろう。目覚めて、呼吸が苦しかった。息ができないんじゃない。ものすごい窒息感で身動きできない。でも、やり過ごすしかない。誰かが電話してきてくれて、いい話を聞かせてくれる。僕の友達である外国のミュージシャンの話。彼は数年前に離婚した。子供も彼の手元を離れることになった。会いたいと思っていたが、どうにも叶わなかった。クリスマスイヴの日に、3日間だけ一緒に過ごした。でも、直後に猛烈な孤独が襲ってきて、どうにもならなくなった。誰か傍に居て欲しいと、頭がおかしくなりそうになったけど、その時、傍に居てくれる人間は運悪く誰も居なかった。ふと、封を切っていないアルバムが目に入った。それを聞いて彼は深い感動を覚えた。音楽にはこんなにも力があるのかと改めて思った。魂を揺さぶられた彼は、その想いに動かされて新しいアルバムを制作した。だから、このアルバムは世界じゅうで魂の孤独を抱えている人たちに聞いて欲しい、と。そっか、あれを聞いて洪水みたいに何かが自分から溢れてきたのはそういう理由だったんだ。ありがとう。僕は今、変わろうとしている。これほど考えがまとまらない自分もかつて見たことがない。誰かや何かを、心から理解しようとすることは、時には自分が崩壊するくらいのことだってことを学んでいる。別に守らなきゃいけない自分なんて殆どないから、それ自体は怖くない。でも、今、曲が書けるなんて、到底思えない。でも、書いてみようと思う。こんな風に音楽は連鎖していくのだから。自分が書いたものが人を救えるなんて、考えたこともないけれど、窒息したときにしか残せないものがあるかもしれない。そう考えて、少し楽になった。

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by 山口 洋  

クリオネの光、代官山にて

2009/05/24, 03:32 | 固定リンク

5月24日 日曜日 大雨 

 昨日の「僕とうつの調子っぱずれな二年間」の著者、S君のblogにこのような記述が。
 「羊たちの沈黙」のレクター博士役、アンソニー・ホプキンスの言葉。「私は精神の暗部に惹かれる。人間の最も創造的な部分だからだ。精神の暗部を否定すれば人生はつまらなくなる」。

 うーん。心に闇を抱えている当人にとって、それは大変なことだ。他人にそこを指摘されるとひどく疼く。闇を抱えたまま、そのままでいいなんて思っている人間は殆どいない。どうにもならないから闇なのだ。けれど、ホプキンス氏の言葉を借りるまでもなく、闇を否定するのではなく、それを痛みと共に受け入れたなら、創造のためのある種の源となることもある。闇に居ると、あるいは深い穴の中に居ると、次第に目が慣れてくる。そこに差す一筋の光ほど眩しいものはない。量は微量でも、あれほど眩しく感じるものもない。S君は著書の中でこう書いていた。「もし、周囲にうつの人が居るならば、頑張れと励ますのではなく、共に歩みながら、足下を懐中電灯で照らしてあげてください、と」。それが愛だと僕も思う。迷えるものには愛を、子供達には希望を、大人たちには忍耐を。

 土砂降りの雨の中、代官山で魚たんとライヴ。ステージに上がったとたん、彼が「クリオネ」に見えて仕方なかった。本当だよ。響きとか、ほころびとか、いろんなハンディーはあったけど、僕らは無言のうちにその「ひかり」を描こうとしていたのだと思う。何も云わずとも、それを理解してくれるクリオネ君に本当に感謝してる。ありがとう。「悲しいなんていう事実はない。それをどう捉えるかだけだ」。その言葉を胸に刻んで、僕らは音楽を奏でていた。土砂降りの中、足を運んでくれてありがとう。「それでも世界は美しい」と僕は思う。

by 山口 洋  

僕とうつとの調子っぱずれな二年間

2009/05/23, 18:56 | 固定リンク

5月23日 土曜日 晴れ 

 いや、真面目に感動したのだ。だから、今日はロックンロール・ダイアリー史上初めての原稿書き換え。

 僕に関する書籍を長い間(多分10年以上)編集してくれているS君という人物が居る。もともと彼は僕が居た事務所の編集チームに居た。穏やかで、音楽を愛し、曲がった事が大嫌いで、それでいて溢れる情熱のある男。けれど、あることをきっかけに彼は「うつ」になってしまった。そこからの二年間を、盟友はらだゆきこの漫画と合わせてまとめた「僕とうつとの調子っぱずれな二年間」という本が送られてきた。友人であり、仕事仲間であるからして(実際、僕であろう人物も登場するし)、身内意識を持って読み始めたが、次第に僕は深い感動を覚えていた。僕の父親は激しい躁鬱で、精神病院にも入院していたから、子供の頃から、それがどのような状態か知っていたし、自分にもその血が流れていることを若い頃は極端に怖れていたし、描かれている事象の多くは僕も経験済みだった。その上で、「うつ」は完治が難しい。だから共生していこうと、彼の言葉を借りれば「僕は歪んでいるアンテナを修理に出すことにしました」と。
 
 ひどく僕の心を打ったのは、彼が励まされていたふたつの言葉。
「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」。
「悲しいことなんていう事実はない。そこにあるものをどう捉えるかだけだ」。

 この本は実際に「うつ」ではなくても、様々な悩みを抱えている現代に生きる人たちに、たくさんの示唆をもたらしてくれるだろう。今日の僕が深く励まされたように。明確な答なんてある訳がない。それでも「俺たちには未来がある」。それぞれの暗示を外す鍵は、それぞれが探すしかない。僕が今日覚えた感動は、奇妙なもので、実際どう表現していいのか、分からない。ガッツポーズとは真逆の奇妙な勇気が胸の奥にふつふつと湧いてきたのだ。それはいつも体育会系の鍵で、強引に暗示を解こうとする僕を戒める、新しい方法なのだと思う。S君、ハーピー。書いてくれて、ありがとう。引き続き、オレも探してみるぜ。
 
「僕とうつとの調子っぱずれな二年間」 文 三保航太 マンガ はらだゆきこ メディア総合研究所 ¥1,400
25日には本屋に並ぶそうです。是非。

そして、もともと書いたダイアリーはこちら。
still life with my guitar

 先日、買って一年もしない一眼レフのカメラが壊れた、と書いた。どうにもならないから、修理することにした。驚く事に、修理を依頼し、僕の手元に戻ってくるまで、メールフォームのようなものにネット上で記入し、カメラを送付し、やがて修理されて戻ってくるまで、一切誰とも「会話」を交わさないのだった。受付完了の返信メールも、もちろんコンピュータが自動的にこなす。何だか、背筋が寒くなった。「顔」が見えないから怖かった。
 旅暮らしのミュージシャンである僕は、ほぼこの7年に渡って、たった一本のギターを使っている。使えば使うほど、僕の手になじんでくるこのギターは岐阜のヤイリの職人さんたちによって、手作りで作られた。サイズはもちろん、音色から装飾に至るまで、すべて僕の意見を汲んで作ってくれた。いろんな場面で、あ、あの職人さんはあんなエプロンをして、仕事に打ち込んでたなぁ、とか、社長さんはエロ話とギターへの情熱のバランスが絶妙だったなぁ、とか、エトセトラ。旅先で、ペグ(糸巻)が壊れてどうしようもなくなった時、翌日にはスペアのペグと、それを装着するための工具が「手紙つきで」送られてきた。ありとあらゆるライヴを僕はこれ一本でこなす。どんな過酷な条件でも、きちんと反応してくれる。使えば使うほど、僕と彼女の関係は密になっていく。アルバムに「僕はこのギターを弾いています」とクレジットしてあるのは、彼らへの深い感謝の気持ちからだ。実際「live at cafe milton」はこれ一本で作られた。
 僕がこうして、文章を書いているのもネット。確かに便利だとは思う。けれど、僕は「顔」の見える関係を大事にしたい。人と関わるのは面倒くさいときもある。それでも、僕は「顔」の見える関係を大事にしたい。

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by 山口 洋  

おうちリハーサルに、おうちご飯

2009/05/22, 22:21 | 固定リンク

5月22日 金曜日 雨 
 
 いきなり幼児のようなタイトルですいません。うちのバンドのみんなのアイドル、魚たんが僕の仕事場にやってきて、おうちリハーサル。スタジオ嫌いの僕を気遣って、ハモンドオルガンを運んできてくれました。何つーか、こういうリハーサル。時間に縛られる訳でもなく、世間話をしながら、いい感じで和みます。life sizeです。
 夜になって、腹も減ったし、一人で喰うのはわびしいし、一緒に外食しようとしたら、アイドル魚たんがひとこと、こう呟きました。「ヒロシのパスタが喰いたい」。そんな事云われてもねー、ここ段ボールまみれで、何もないし、もう料理なんて、長いことやっとらんのよ。するとさらにひとこと「スーパー行こうよ」。そんな訳で、彼と行きました。約五ヶ月ぶりにスーパーへ。相変わらずちゃっちゃと買い物していたら、更にひとこと「あのさー、速過ぎるんよ。この前云ったっしょ。こんな速い買い物してたら、女の子ドン引きだよ」。うーっ。
 そして仕事場のコンロに久しぶりに火が入りましたとも。いやー、ここの台所からいい匂いがするの、久しぶりを通り越して、懐かしいねぇ。さすがに腕はまだ落ちていませんでした。作りましたとも、魂のボンゴレ。盛りましたとも、小鹿田焼の皿に。「んめー」とふたりごちて、彼は家路に着きました。帰ったあと、あの男は優しいなぁ、と。外食した方が楽なのは彼とて分かっていたと思うのです。でも、火事場みたいなここの風景を見て、こりゃいかんと。この男は本当は料理好きなんだから、餌じゃなくて、食事せな、いかんよ、と。彼はそういう男です。こんな風に、寝るまえに「今日はいい一日やったねぇ」と感謝して過ごしたいものです。ハピネスは日常の些細な事の中にあるんすね。オレ、完全に忘れてました。明後日は二人HWの魚ヒロシ組です。ボンゴレ・コンビ。気軽に遊びにきてください。
 今日はいい雰囲気だったんで、古いカメラで写真を撮りました。

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by 山口 洋  

i believe

2009/05/19, 05:25 | 固定リンク

5月19日 火曜日 曇り 

 昨夜遅く、それは突然やってきて、ひょっとしてボタンひとつで僕の人生はまったく変わってしまったのかもしれなかった。目の前が真っ暗になって、街をあてもなく歩き回って、一睡もしないまま、僕はリアム・オ・メンリィとのライヴに臨むことになった。でも、今日が特別に好きな彼とのライヴで良かったのかもしれない、とも思った。僕はミュージシャンだ。ステージで何かを起こせないのなら、そこから去るしかない。
 彼とは何度も一緒にステージに立ってきた。今回は8年振りくらいだろうか。その度に、前とは確実に違う彼がそこに居る。そもそも、彼とはそんなに喋る訳じゃないんだけれど、音楽を通じて、いろんな事が僕に伝わってくる。本当に自由な男だ。今夜は遂に、曲目表はおろか、コードさえ定まっていなかった。簡単なリハーサルをやって、「お、いい感じだ」と思うと、彼は「フィーリングはオッケーだ。じゃ、本番に取っておこう」と曲の途中で演奏を止める。新しいアルバムの曲は、収録されているバージョンとコード進行が違ったりする。楽屋でその理由を聞いて驚いた。レコーディングスタジオに入るまで、いっさい曲は用意していなかったと云うのだ。もう机の上で唸りながら曲を書くのが嫌なんだ、と。レコーディング中を示す赤いランプが灯ったなら、すべて心を無にして、即興で曲を録音するのだ、と。「へ?歌詞も?」と聞いたら、彼は「もちろん」と。あのアルバムに満ちているみずみずしさは、そこから生まれているのだった。「す、すごいね」と僕が云ったなら、彼は「I believe」と確かに云った。
 そんな訳で、僕は演奏中、彼から目が離せなかった。次の小節でどの和音に飛ぶのか、僕も「I believe」するしかないのだから。でもね、本当に愉しかった。静かに興奮してたし。見てた友人が「ありゃ、音楽マゾだ」とか「いやー、肩凝った」って云ってたけど、そうじゃないんだって。この緊張感から生み出される音にはしずくがついてる。それはリハーサルを重ねる度に失われるものなんだよ。人生が一回しかないように、この一瞬はもう過去になって過ぎ去っていく。だから、減衰していく音がたまらなく愛おしい。未来を予測しながらも、心が「無」じゃなきゃ「欲」が出て、それが音楽に反映されてしまう。そのギリギリの開放感が僕は好きなんだ。昔、リアムとスティーヴ・クーニーと演奏してたとき、まったく知らない曲が始まったことがある。隣に居たスティーヴに「オレ、知らないよ」って云ったら、彼は「じゃ、今知ればいいじゃん」と云った。目から鱗だった。音楽ってそもそもそれでいいじゃん。そこで演奏出来ないのなら、ミュージシャンとして失格じゃん、と。そのような態度で演奏し、プロフェッショナルとして成り立っているミュージシャンは本当に数少ない。
 彼が放った「I believe」って言葉はずっと忘れないと思う。僕もそうありたい。音楽だけではなく、僕をとりまく日々も。リアム、本当にありがとう。今日は眠ってみるよ。

by 山口 洋  

暴走の果て

2009/05/18, 21:59 | 固定リンク

5月18日 月曜日 晴れ 

 朝早くに大阪を出て、600キロを爆走しようとするも、名神高速の集中工事によるひどい渋滞につかまる。車内30度。ううっ、こんな時に限って何てこったい。夕方にフラフラになって、仕事場にたどり着くも、そこは段ボールの山だったことを忘れていた。嗚咽。ツアーの雑務を町中を走り回って終わらせたところに、リアム様ご一行来日の一報。「ご飯、一緒に食べませんか」って無理だっつーの。オレ、今からリアムの曲覚えなきゃ。鳥人間リアム君と空を飛ぶためには、曲が身体に入ってなきゃいかんのです。って、せっかく身体に入れても、彼がその曲をやるかどーか分からないところが、アイリッシュなんだけどね。な訳で、今夜はやることだけはやって、明日は音楽で再会を愉しみます。

by 山口 洋  

雨の大阪に想う

2009/05/17, 00:21 | 固定リンク

5月17日 日曜日 雨 

 雨の大阪って悪くないなぁ。疲れてるときに、真夏の梅田なんかを歩くと、クラクラするときがあるけど、今日は何だか自分の心象とマッチしていて、丁度いい。この感情に至るまで、25年くらいかかったよ。深いなぁ、関西。買って一年もしない一眼レフのカメラが壊れて、撮影不能。ムカついたから、もっといいカメラを衝動買いしそうになったけど、止めた。モノを増やすのは止めよう。オレはコレクターじゃないし。で、壊れたカメラに残っていた一枚の写真。まったくお前(オレのことね)は乙女なんだか、何なんだか。

 初めてのハコ、knaveはそこまで響きをdeadにしなくてもと云う一点を除いては、スタッフがいい空間をクリエイトしようと頑張っているのが分かる情熱のある場所だった。このサイズにしては生ピアノもあって、いろんなタイプの音楽を紹介していこうという気骨が好きだ。オレはまた解き放たれて、飛んだ。魂が自由になると、ライヴをやることがキツくない。それもこれも、骨を折って努力してくれたknaveのスタッフやオーディエンスのおかげだ。このシリーズ、日程的にはしんどかったけど、音楽によって、本来自分が行こうとしていた場所に再び戻ることができた。本当にありがとう。オレはジユウだ。心にある世界をもっとでっかいものにしたい、と心からそう思える。オーディエンスには音楽の力で、少しでもいいから元気になって欲しいと思う。そして、そんなあんた達からオレもエネルギーをもらう。それって、素敵な事だよ。

 でもね、一人で晩飯を喰うことだけには飽き飽きしてた。もうたくさんだ。幸いにして、旧知のSちゃんを発見したから、一緒に飯を喰いに行った。やっぱりご飯は誰かと食べるに限るね。料理は決してうまくなかったけど、美味かった。だいいち、ゆっくり食べるじゃないすか。一人だと、永遠に餌だもんね。
 
 ホテルに戻って、これを書く前に、渡辺圭一の「たまには喧嘩に負けてこい」を見てたら、今日は池畑潤二の「絶対喧嘩に勝ってこい」になってた。あはは。何だかもう。今日は久しぶりにゆっくり眠れそうです。

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by 山口 洋  

あうん、岡山にて

2009/05/16, 11:07 | 固定リンク

5月16日 土曜日 雨 

 岡山には「あうん」の呼吸で応援してくれてる連中が居るので、全部その上に乗っかる。プロのイベンターではないのだけれど、よっぽどプロだ。アルタンと僕っちゅー組み合わせでこの街に呼んでくれたのは、ちょうど11年前のこの日なんだと。何はともあれ、暮らしの中で音楽を、とずっと変わらない態度で接してくれるのは嬉しい。
 年に一回か、二回。その度に彼らの子供の成長を見ることになる。実際それが愉しかったりしてね。会場にもいっぱい居たなあ、子供達。オレは全然気にしてないので(絶妙のタイミングで泣いたりしたら、突っ込ませてもらうけど)、小さな子供の居るおかあさんも是非、どうぞ。
 岡山、楽しんでくれたすか?すごくオレは冷静だったんだけど、実のところは熱かったと云うか、このところびっくりするくらい、毎日違うなぁ。でもそれは主催者や、オーディエンスや、街や、天候や、ガキんちょたちがもたらしてくれたものだと思ってます。ありがとね。また来るかんね。それまでどうか元気で。

追伸
あまりにガキンチョの撮影に夢中になっていたら、カメラが壊れました。なので、しばらく写真はありません。悪しからず。
 

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by 山口 洋  

Carpe Diem

2009/05/15, 19:07 | 固定リンク

5月15日 金曜日 晴れ 

 名古屋から岡山に向かう。頭の中には、野田敏が25年以上前に書いた歌「カモメ」がずっと流れていた。福岡の小さなライヴハウスでこの歌を聞いたとき。音楽の持つ力に打ちのめされて、そして異様に励まされたのを昨日の事のように覚えている。すごいけど、ひょっとしたら僕にも出来るんじゃないか、と。グルーヴィーで、永遠に終わりそうになくて、この曲を聞いていると何処までも飛んでいけそうだった。誰かがカバーしているものを除いて、僕が知る限りこの曲は音源化されていない。だから、たった3回くらい「生」で聞いただけなのに、僕の心に深く浸透していることになる。20年以上前の話なのに。あれだけ歌詞を覚えられない僕が、この曲はソラで歌える。長い年月の間に、僕が勝手にねつ造しているかもしれないけど、こんな曲だ。歌詞しか伝えられないのが残念だけど。

「カモメ」 by 野田敏(ヒロシうろ覚えバージョン)

over the ocean
over the sky

ひとばんじゅう 狂ってなさい
ひとばんじゅう 歌ってなさい
ひとばんじゅう 叫んでなさい
ひとばんじゅう ひとばんじゅう

草原を越えて行こう
僕は飲んだくれてフラフラだ
僕をそこへ連れていっておくれ
そこは君が夢見た場所だ

ひとばんじゅう 震えてなさい
ひとばんじゅう 見つめてなさい
ひとばんじゅう 黙ってなさい
ひとばんじゅう 感じてなさい

君はなんて素敵
カモメのように自由だ
僕を連れていっておくれ
僕のそばに手を差しのべて

地平線を越えて行こう
そこは君が夢見た場所だ
僕らの空に雲はなく
カモメのように自由だ
自由だ 自由だ 自由だ

over the ocean
over the sky

 先日、師匠、野田敏に会ったとき、この曲がいかに僕に影響を与えたかってことと、何で歌ってくれないんすかっちゅー話をしたら、「この曲を歌うのを止めたのはね、港で実際にカモメを見たら、実にせせこましい鳥で、全然自由じゃなかったんよ」と。大笑いしたあと、僕は思ったのだ。頭の中で、飛ぶのは誰だって自由だ。不自由なカモメが草原を飛ぶはずはないのだけど、それでもその姿を「イマジン」すると素敵じゃんって。師匠を説得しても無駄なのなら、オレが歌うことにしよう。だって、これだけ鳴り響いているってことは、今のオレには必要な歌なんだから。
 リアム・オ・メンリィー一行と何故か佐渡に居たことがある。草原でリアムは確かに飛んでいた。手を翼のようにいっぱいに拡げて。アホだなぁ、と上空を見上げてみると、トンビがリアムと同じ格好をして飛んでいた。まるで、アラン・タネールの映画のワンシーンみたいだった。僕が突然スキーに恋したのも、同じような感覚なのだと思う。落下ではなくて、飛ぶようなあの感覚。僕らはカモメのように不自由だけれど、自由だよ、きっと。無いものを嘆かず、今有るものに感謝して、空を飛ぶのさ。

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by 山口 洋  

fly into the sun、名古屋にて

2009/05/14, 00:44 | 固定リンク

5月14日 木曜日 晴れ 

 ひどく風の強い日だった。草も木も舞っていた。
 
 名古屋へと向かう車中で、ふと「どうして音楽を始めたのか」今更ながら考えた。「どうしてギターを手にしたのか」考えてた。忘れるところだった。「自由」になるためだ。
 音楽をやっているとき、ときどき、オレは自由に空を飛ぶ鳥だ。風を受けて、何処までも飛んでいく鳥だ。境は何もない。何も考えない。ただ、風を受けて飛ぶのだ。オレは最近、いろんな事に囚われていた。まさに籠の鳥だった。
 地下にあるハコ、ハートランドで、風を受けて飛ぶことだけを考えていた。確かにずっとステージに居たはずだけれど、いろんな街の上空を飛んでいた。あの人の心の宇宙の中も。完璧に自由だった。最近、不自由にしていたのはオレ自身で、音楽を通して、自分が解放されていった。ああ、愉しかった。
 ハートランドに来るようになって、もうすぐ20年。ここにも音楽の神様は居たよ。ありがとう。そしてオープニングをつとめてくれた若者達はみずみずしかった。ありがとう。また、何処かの街でね。

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by 山口 洋  

splendid isolation

2009/05/12, 23:11 | 固定リンク

5月12日 火曜日 晴れ 

 空港で飛行機を待つ時間に本を読んでいた。「鋭さってのは、そこそこの才能だが、本物の鈍さと云うものは、それを上回る才能であることがある」。目眩がして、その通りだと思った。
 「一旦、コップの水を空にしなければ、飲みたい水は注がれない。空にしたからといって、注がれるとも限らないけど」。また目眩がした。
 「splendid isolation」。人はそこに立たねばならない時がある。オレは極度の寂しがり屋だけど(恥ずかしいけど、事実だからしゃーない)、その原因が分かったなら、そこに立っていなければならない。どうにもならない時は黙想する。でも風は吹いてきた。「深く考えると云うことは、ときどき祈りと同一になることがある」。その言葉の意味を理解できなかった自分が恥ずかしい。でも風は吹いてきた。

 花が咲いてたぜ。嬉しかったよ、ありがとう。

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by 山口 洋  

休養上等

2009/05/11, 16:38 | 固定リンク

5月11日 月曜日 晴れ 

 国内某所にて、ひたすら寝て休養しております。風が吹き抜け、光がさんさんと降り注いでいるので、身体や心に溜まっているものが、うまく循環されて排出されるといいなぁ、と思ってます。今更ながら自然の力は偉大です。「休養上等」、渡辺圭一のブログ「タマケン2009」からパクってみましたが、同じ一日を過ごしてみて、そのキャラの違いに唖然とします。あはは。

 映像チーム「mood films」が先日のARABAKI用に創ってくれた映像を再構築して「Live at Cafe Milton」から「夜の果てへの旅」のために、クリップを作ってくれました。楽しんでください。
http://www.youtube.com/watch?v=v415H2qkkto

by 山口 洋  

故郷のあたたかさ

2009/05/09, 19:53 | 固定リンク

5月9日 土曜日 晴れ 

 九州は暖かい。殆ど夏だよ。今年になってから、スキーやもろもろの事で、東北や雪山の中に居ることが多かったから、九州に降り注ぐ光を見るだけでびっくりする。これに育まれてきたから、決定的に性格が暗くならずに済んだのか、とかね。
 事前に何のリハーサルもしなかった。でも福岡に帰ったからには渡辺圭一と演奏しようと思っていた。しかも、2〜3曲のゲストと云う形ではなく、すべての曲で。ベースと生ギターだけってのは、僕にとっても意外に未知の領域で、ハードルは高かった。このリハ嫌いの二人組が時間が許す限り、開演前のリハーサルに取り組んだ。そこには渡辺母の手製のおにぎりがあって、涙がちょちょ切れた。美味いなんてものじゃないのだ。真ん中に入ってるのは「愛」だからね。僕らがこの街に住んで、全国に貧乏ツアーに出かけていた時代、機材車の中にはいつも渡辺母のおにぎりがあって、それで三日間くらいは「飢え」をしのいでいた。体重は50キロを切っていたし、心も渇いていたし、あれがなかったら、多分今のヒートウェイヴはない。大げさな話じゃなくて。渡辺母、会いたいなぁ。
 ほころびた場面も多々あったけど、故郷で演奏するのは、本当に愉しかった。満員のお客さんが音楽に聞き入ってくれてるのが嬉しかった。楽屋にはたくさんの友人たちが来てくれる。変わらず応援してくれる人たちがこんなに居るってのは、本当に幸せなことだと思う。本当にありがとう。
 渡辺圭一からナイスな提案があった。一人HWとか二人HWとか、トリオHWとか。いろいろあるなら、ヒロシ抜きのHWがあってもいいやん、と。そっか、そこに考えが至らなかった。つーか、オレ、それ見たい。でも誰が歌うん?でも、多分それ実現させると思います。もちろん、オレは客席に居ますけど、絶対に演奏しません。

 何はともあれ。オーディエンスやたくさんの友人達から、計り知れないほどのエネルギーと愛をもらいました。ありがとう。バンドは必ず前進させます。

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by 山口 洋  

野田敏との夜、熊本にて

2009/05/08, 23:46 | 固定リンク

5月8日 金曜日 晴れ 

 まずはお詫びを。
 昨日、僕はクロスFMの生番組に出演することになってたのですが、体調不良で、急遽キャンセルさせてもらいました。愉しみにしていたリスナーの皆さん、番組関係者の皆さん、本当にごめんなさい。おかげで休養を取ることができ、元気にツアーを続けています。
 今更ながら、野田敏は本物だった。彼が今日のために新しい曲を書いていてくれたことが、本当に嬉しかった。いつか創る彼とのアルバムの第二歩目を僕らは踏み出した。彼がひとたび言葉を発したなら、僕にはいろんなイメージが広がって、何も考えずとも、フレーズが出てくる。母親の命日に、イベンター「つくす」のアヤコの誕生日に、そんな時間を過ごせて良かった。ありがとう。

追伸
今日、「live at cafe milton」を置いてくれているお店の人と話したのですが、遠いところから時間をかけて、わざわざ買いに来てくれているのだと。それがお店にとって、とても嬉しいことだと。本当にありがとう。感謝します。そうやって、人間同士の有機的な繋がりが生まれていることに僕も励まされています。是非、お店の人と音楽や世の中やバカな話をしてみてください。

by 山口 洋  

故郷の光

2009/05/07, 04:38 | 固定リンク

5月7日 木曜日 晴れ 

 えーっと何だっけ、何だっけ。とにかく僕は光を見た。それは写真に撮ったから、見てくれれば分かると思う。雨の大阪を出て、新幹線で、九州に向かった。博多駅に着いて、外に出て、こんなに空が広かったんだって、びっくりした。何が違うって、たまたまかもしれないけど、光が違うんだ。僕は自分が南国育ちだってことを、故郷を出て20年も経って初めて実感した。それから、お寺に行って、両親や祖父母とこんこんと話した。最近のこと。おかんの命日にオレは熊本で、野田敏とライヴだって。もろもろ頼むぜって。オレもバカだけど、学んでるから見ててくれって。愛だよ。あんたらももう分かるだろって。オレはやり遂げるからなって。それから、モツ鍋を喰いに行った。春吉にある「深川」って店。オレはここのモツ鍋が世界でNO1だと思ってる。このソウルフードはね、その昔、半島から強制的に炭坑に連れてこられた人たち。でも、本当にキツイ労働で、栄養価の高いものは何もなく。そのお母さんたちが、日本人が捨てる「臓物」を使って、彼らのスピリットの源である、ニンニクや唐辛子を使って、編み出したソウルフードなんだ。決して、オシャレな食い物なんかじゃない。(深川の大将は亡くなったんだけど、彼はいつも無愛想で、氷水でいつも臓物を丁寧に洗ってた。じゃないと、臭くて喰えないんだ。)故郷に帰ったら、それを身体で喰おうと思ってた。このオレがね、七人前、喰ったんだ。ゆっくりと身体にエネルギーが充満してきた。オレはもう寝ます。帰る場所はホテルだけど、やっぱり故郷は暖かい。ありがとう。

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by 山口 洋  

天晴! 三宅伸治。

2009/05/06, 10:45 | 固定リンク

5月6日 水曜日 雨 

 今日という一日は「三宅伸治」に尽きる。彼のプロ根性、師匠への愛に深く感動した。彼とは二十年前くらいに知り合った。お互い若かったし、九州人だし、ここには書けないようなオイタも共にやったことがあると思う。えへへ。彼が清志郎さんとずっと一緒にやっていることも知っていたし、数日前に棺を担いでいるのも、ニュースで見ていた。彼の心中を思うといたたまれなくて、行きの新幹線の中で、オレが今までにもらってきた愛で心を満たしておこうと思った。
 実際のところ、スケジュール的にも、精神的にも、彼は憔悴しきっていたんだと思う。起きてしまったことと、葬儀と、ライヴと、心労の狭間の中で。けれど、ステージでは微塵もそんなところを見せなかった。日本のジョージ・ソログッドと云うより、三宅伸司そのものだった。弔いのドライヴとでも云えばいいんだろうか。ロックンロールってすげぇ、と僕は思った。彼は良い意味で、20年前と何も変わっていなかった。アンコールで「雨上がりの夜空に」を一緒にやろうと云われたけど、「今日は一人でやった方がいいよ」と僕は応えた。こんな風に何かは誰かに受け継がれてゆく。そのアンコールの後、彼は客席に約一分間、頭を下げたまま、動かなかった。その光景が美しかった。そもそも、転換のBGMが全部、清志郎さんだってのが、どうなんだろうとオレは思っていたのだけれど。別れしな、彼に「身体に気をつけてね」と云ったら、彼は「お互いこれからだよ」と確かに云った。あんた、サイコーだよ。師匠もきっと見てたよ。その時、楽屋のモニターにはライブ後、抱き合って泣いているオーディエンスの姿が映し出されていた。
 オレは恥ずかしいけど、心が澄んできた気がする。今日、云われたんだ。ヒロシはご飯を心で食べてるでしょ。だめだよ、ご飯は身体で食べなさい、と。自分がもらってきた愛で心を満たしなさい。そして、たまにはちゃんと自分も愛してあげなさい。あんたベルトがだんだん細くなってる場合じゃないのよ。ヤツレてる場合じゃないのよ。人は突然この世から居なくなるのよ。だから、いっぱい食べて、いっぱい笑って、元気でいなさい。愛してる人を心から愛し続けなさい。それって清志郎さんが云ってたことと一緒じゃんって。
 三宅伸治。ありがとう。また、何処かで元気に会おうぜ。そして、今度は一緒に演奏しようぜ。ありがとう、元気でな。

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by 山口 洋  

everyone is waiting for a sunrise

2009/05/05, 22:41 | 固定リンク

5月5日 火曜日 雨 

 「殆ど引っ越し」はどうにか3日間でやり終えた。とは云っても、一人の作業なので、ただ仕事場に膨大な荷物を運び込んだに過ぎず、まるでガレキの山のような様相を呈したまま、ツアーに出ることになった。どうして運送屋に頼まないのか、と人に云われたけれど、今回は自分ひとりでそれをやりきることに意味があるように思えたのだ。30年のバンドの重みと、人任せにしてきたことの総量と、厚意にのっかって誰かを傷つけた重みを知ることが必要だったから。随分と重かった。でも、これで全部だとは到底思えない。最後の荷物を運び込んだとき、大雨が降っていた。「洗い流してくれ」てくれてるのかな。
 いつもの自分なら、ここで猛然とギアを入れて、あっと云う間に仕事場も片付けてしまうところだけれど、それも止めた。体調がそれを許さなかったのと、昨日も書いたように「ゆるやかな考察」をするためには、空いた時間にひとつずつ片付けていくことの方が、自分に何かをもたらしてくれる気がしたからだ。性分として「待つ」ことが最も苦手だ。でもこんな時に身体に負荷をかけてまで、状況を変えようとするのは間違っている。生まれて初めてそう思った。自然に、流れに身を任せてみよう。そこで気づくこともあると思うから。
 その昔、僕が初めて尊敬するミュージシャンにプロデュースされた時のことを思い出した。締め切りが近づき、僕と彼はスタジオに缶ヅメにされていた。最後の3日間くらい、ほぼ不眠不休でふたりは働いた。水分は摂取していたと思うが、それ以外は音楽に没頭していた。後ろのソファーにはミュージシャンやスタッフがたくさんいたが、一人、また一人と疲労でバタバタと倒れていくのだ。最後にはアシスタント・エンジニアまで倒れて、朝方のスタジオには、僕と彼とエンジニアしか居なくなった。その状況になっても、ふたりは目をらんらんと輝かせて、新しいアイデアをすべて試そうとするのだ。ここに及んで、この二人はイカれてると自覚したが、実のところ、僕はとんでもなく愉しかったのだ。こんなに没入するのは自分だけじゃなかったんだってことが、とても嬉しかった。イカれてるほどの情熱があるから、音楽は人の心を動かすのだ。そのような事が今できるかどうかは疑わしいけれど、情熱の質そのものは何も変わっていない。イカれてることを自認しているのなら、それはそれで、この溢れる情熱は自分のいいところだとは思うようにしよう。でも、全ての大切な事象に、この態度で向かってることが間違いだってことに気づいたのだ。決定的に。

 ひとつ、いい事があった。運んだ膨大な荷物の中には無数のテープが含まれている。いっそ、すべて処分するかと思ったが、そこだけは思いとどまった。仕事場への道のりに、一本適当に選んで聞いてみた。それは1997年の「月に吠えるツアー」の福岡公演の音源だった。12年も前の音になると、まるで他人の音楽みたいに聞ける。だいいち、バンドのメンバーで残っているのは僕だけだったし。それがね。びっくりするほど素晴らしかった。このアホな四人は本当に音楽に真っすぐに向かってるんだってことが、伝わってきた。悪くなかった。まさか、12年前の自分に鼓舞されることになるなんて、思わなかった。4曲くらい聞いたところで、思い出したのだ。何だか、自分のギターがヘンだ。このツアーの間、メンバーやスタッフだけは知っていたけど、僕は右手を骨折していたのだった。手術で骨に金属が通され、とてもギターが弾ける状態じゃなかった。でも、こうして聞いてみると伝わってくるものがある。そこには、アホみたいな情熱があった。骨折の理由は未だに恥ずかしくて、ここには書けない。けれど、その日を境に、僕は何があっても、二度と人を殴らないことに決めた。そこまでやらかして、学んだのだ、多分。
 ひとつだけ、その頃と違うことがあるとするなら、もう月に「吠えて」はいない。それは宇宙にたくさん存在する星の中の、大切なひとつで、ときどき僕にメッセージを運んでくる。月に「想う」。僕はこの状況に感謝したいと思っている。何かを学ぶための、与えられた機会なのだ。そして、身体が疲れすぎていると、大事なメッセージを受け取れない。だから、ちゃんと喰って、眠る努力をしよう、と思った。今は人生でとても大切な時期を過ごしている実感がある。やり遂げようと、思う。

by 山口 洋  

思考の速さと、魂の古さ

2009/05/04, 16:41 | 固定リンク

5月4日 月曜日 晴れ 
 
 「Live at Cafe Milton」。たくさんの人々が手にしてくれてるそうです。本当にありがとう。引き続き、どうぞよろしく。

 殆ど引っ越しのような日々。窓から心地よい五月の風が吹き込んでくる。母親の命日に限って、九州でライヴがあるのは、何かそこに訳があるんだろう、と考える。
 
 「思考の速さと、魂の古さ」。僕は一旦考え出すと、猛烈に脳味噌が回転を始める。多分、手がつけられないほどに。レッドゾーンギリギリまで回転する。でも、当たり前の話だけれど、それを長い間持続することは出来ない。それは長所であって、ものすごい短所でもある。そして同時に二つのことが出来ない。何かをしながら、時間をかけて、もうひとつの大事なことを考察するってことが出来ない。ひとつ目の前に問題があれば、それが解決するまで、猛烈な回転と停止を繰り返し、ときどきオーバーヒートして、脳味噌そのものが焼き付くことがある。同じバンドには魚みたいな、穏やかに熟考するタイプの人間がいて、僕がスーパー高速回転を始めたらなら、「やれやれ、また始まった」みたいな感じで、距離を置いて放っておいてくれる。そして、僕の無駄な熱が冷めた頃、「これはさー、こうした方がいいんじゃないの」と絶妙な提案をしてくれる。そんな風に周囲の人間に迷惑をかけながら、支えられてきて、今まではそれで良かったのかもしれないけれど、既に持っている良さも残しながら、ゆるやかな思考にも対応できる自分でいたいと、心から思っている。
 「速い思考」の根幹には直感がある。そして「ゆるやかな思考」の中には、深い考察に基づく「揺るぎなさ - 穏やかだけれど本当の強さ」がある。今まで僕が無数に引き起こしてきたトラブルの源には、こんな理由もあったのだ、と今となっては思う。魚と僕の今のバランスは絶妙になってきた。最初にやるべき事を話し合い、互いが別の部屋で思考を重ねる。ふたつの部屋で流れている時間のスピードはぜんぜん違う。僕の部屋ではモーレツに速く、彼の部屋ではゆっくりと、でも確実に時は流れる。お互いが何処かに到達したとき、そのアイデアをすり合わせて、ひとつのものを創る。僕が「主観」にのめり込んでいるときは、彼が「客観」を担当し、その逆もまた可能だ。おそらく、理想的な話をすれば、「主観」と「客観」は鍛錬の末に、同じものになっていくのだと感じているし、その時に浮かび上がってくる作品は、とてもシンプルなものになるのだろう。そういう「根拠のない自信」が二人にあるから、この関係を維持していられるんだと思う。そしてリズムセクションは「肉体的」にそれをドライヴさせる。エレクトリック・ギターは熟考する隙を与えない。そうやって、大人のロックンロールが出来上がるんだろう、と。

 僕が焦がれる人物は、みんな「古い魂」を持っている。簡単に書くなら、生まれ変わった回数が多いとでも云えばいいのだろうか。盲目的に輪廻を信じている訳じゃないけど、でもそれはあるとも思っている。彼らはえてして、「ゆるやかな考察」をすることができて、揺るぎのない強さを持っている。些細なことには動じないのだ。それは彼らの目に書いてある。親父が死んで27年も経過して、あるところに出現し、僕のことを「あいつは小学生なんだ」と語った意味は多分そこにある。音楽を始めたとき、それは「抗う」ための道具だった。実際「抗って」いなければ、やってられなかった。心の奥底にあるパンクな精神。それは一生消えないと思う。ならば、もういいではないか。晩年のジョー・ストラマーには「穏やかな強さ」があった。彼は何処の馬の骨か分からないようなトンガったバンドのメンバーを受け入れ、奔放にふるまわせた上にまとめあげ、そして僕には「お前の火を絶やすな」と云った。でっかい人だった。

 僕らはやむなく「抗う」ことからスタートしたけれど、トシを重ねて、「全体的な視野 - ホリスティック・ビュー」をも経験と鍛錬によって合わせもち、喜びや哀しみを大切な人間とシェアすることができる。何よりも、自分と違う資質の人間の考え方を尊重することができる。そんな人間関係にたどり着くために、「若い魂」の僕は、ゆるやかにも生きなければ。でっかい魂を育てなければ。そんな時、友人からメールが来た。「昔のあんたは刃を剥くことでしか、愛を表現できなかったんだよ。そこからも充分愛を感じることは出来たよ、しんどかったけどね」、と。彼は僕がどうしようもない暴れん坊だった頃から、ライヴを見てくれている。「僕は若いあんたがドラムに蹴りを入れていた頃から、あんたの屈折した愛を感じてたよ」と。その頃、僕はバンドのメンバーに「恐怖政治」を強いていたんだと思う。弱さゆえ。バンドのリーダーたるもの、その位の激しさが必要な時もある。特に若い頃は。でも、自由を求めて音楽をやっているのに、メンバーを恐怖政治でコントロールするのは間違っている。こんなに悲劇的なことはない。僕は今、池畑潤二のドラムセットに蹴りを入れようなんて、考えたこともない。そんな恐ろしいこと。どっちかと云うと、言葉を間違えたら、僕の眉間にスティックが矢のように飛んでくるかも、と思っているだけで。それが僕を鍛える。確かに、その間には信頼とリスペクトと情熱がある。
 ロックンロールは変わらないんだ、と云ったロッカーが居たけど、僕は逆だ。変わり続けることができる。新しい「信頼」はいつだって創ることができる。自分が諦めずに変わり続けることができるなら。そう思いながら、ゆるやかに「殆ど引っ越し」をしている。

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by 山口 洋  

殆ど引っ越し、そしてR.I.P

2009/05/03, 01:41 | 固定リンク

5月3日 日曜日 晴れ 

 さぁ、「救われた」のなら、自分でやれることをひとつひとつやっていこう。後回しにしてたり、人の厚意の上にあぐらをかいて、誰かを傷つけてたり、エトセトラ。そんな暮らしとは永遠におさらばしたい。シンプルに、たったふたつのことを思って、僕は暮らしてたい。
 僕のバンドは結成30年、デビューして19年になる。デビューしてからの大半は音楽事務所に居た訳だけれど、近年、本当の意味で「独立」した。けれど、長い活動の間に、事務所の巨大倉庫には吐き気を催すくらいの大量の楽器、販促物、資料、エトセトラ。そんなものがあった。正直言って見たくなかった。巨大なミキサー卓でさえ、2つもあったのだ。それはあまりの重さにフォークリフトのパレットに載っていたりした。機材はどんどん進化する。僕が使っている楽器そのものは殆ど変わっていないのだが、録音機材はそうはいかない。進歩するたびに、買い替えて、おまけに僕は「下取り」なんてことがまったくできないタチだからして、どんどん古い機材が溜まっていく。シンプルに生きようと思ってたのに、何だ、このザマは。いざ、軽い足取りで独立しようにも、モノに足を引っ張られる。僕らのバンドはまだステージセットがない分、マシだったとは思うが、結局のところ、僕はバックれて、全部スタッフ任せにして、処分してもらった。それでも、捨てられないものがあって、僕は人の厚意の上に乗っかって、空いているスペースを使わせてもらっていた。ずるずるとその期間は伸びていた。それがいけなかった。昨日も書いたけど、僕は人の心ってものが何も分かってなかったのだ。見ないフリを決め込んで、大切な人間に嫌な思いをさせる。自分がされたら嫌なことを人に平然とやってしまう、その無神経さ。本当に独立を目指すなら、日々の積み重ねで溜まってしまったものに、向き合わなきゃならん。おまけに、この30年の間に、スタッフも何度も入れ替わった。すべての歩みを知っているのは僕だけなのだ。もう人に頼るのは止めて、自分でやろう。本当に必要なものだけを残して、シンプルに生きよう。
 ほぼ、20年振りくらいに、自分のアンプを運んで、驚いた。こんなに重かったっけ?思っていたよりは、かなり苦行だった。でも、そのおかげで、すべてを整理する決心がついた。自分の仕事場に入りきれないものは、すべて人にあげるなり、寄付するなりしてシンプルに生きよう。ファンが喜んでくれそうなものは、安価で提供するなり、プレゼントするなりしよう。そんな訳で、殆ど引っ越しのような作業が続行中です。

 そんな日々に、忌野清志郎さんの訃報を聞いた。彼の無念を想うと胸が詰まる。歌いたいのに、それが叶わないということがどれほどの事なのか、僕は想像もできない。個人的なお付き合いは全くなかったが、20年以上前に、一度だけ、殆どサシで酒席を囲ませてもらったことがある。どうして、そうなったのか、もう覚えていない。きっと氏にとっては忘却の彼方の出来事だろうけど。僕はとんでもない若造で、彼と向かい合わせで飲んでいる間、一言も喋らなかった。喋れなかったのかもしれないけど。2時間ほど経過して、彼が席を立つとき、僕がはいていた皮のズボンを指差して、「き、君の皮パン、いいね」、「ありがとうございます」。最初で最後になってしまった会話。でも、その会話の中に、イキがっている若造への限りない気遣いと優しさを、今となっては感じる。あの時は本当にすいませんでした。本当にありがとうございました。R.I.P。

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by 山口 洋  

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2009/05/02, 06:44 | 固定リンク

5月2日 土曜日 晴れ 

 chop that wood
 carry water
 what's the sound of one hand clapping
 enlightenment, don't know what it is

 ずっと、この歌が好きだった。何故好きなのかは分からなかったけど。でも、それは突然心にすっと入ってきて、そして、自分が今までとは違うステージの入り口に立っていることを教えてくれた。
 風は何色なのか?そのような禅問答を死ぬほど繰り返していると、悩みに悩んだ挙げ句、もう駄目だと思った瞬間に、突然、違う次元に行けることがあるのだ、と。実際のところ、自分に何が起きているのか、まだ正確に言葉には出来ないのだけれど、今日と云う日を忘れることは出来ないと思う。

 その昔。機嫌が良かった日の父親が「相対性理論」を延々と説明してくれたことがある。直後は何だか凄いことが分かった気になって興奮したが、翌日友達に説明しようとしたら、頭の中には何も残っていなかった。でも、今日は違う。
 
 感銘を受けた話。

 ブラックホールは決して「無 - 真空」ではないのだそうだ。そこにはこれまでの宇宙の記憶がすべて保管されていて、ある種の人々はそこにプラグインして、その記憶を取り出し、未来に役立てることが出来る、と。宇宙は炭素で出来ていて、自然界にあるものはすべて燃やせば真っ黒な炭になる。ニンゲンも燃やせば、ただの炭になる。だから、本当は誰もが星の王子様で、星の欠片なのだ、と。「自分」と云う言葉は「自然の分身」と云う意味で、今のニンゲン達はそのことを忘れがちだ、と。 
 そのような意味で、自分が深いところで抱いている様々な感情は宇宙と呼応するのだ、と。ポジティヴなものも、そうでないものも。深いところで「幸福だなぁ」と思っていれば、かならず幸福はやってくるけれど、不満や憎しみを抱えていると、それらが更に呼応しあって負のスパイラルに陥る、と。「幸福になりますように」と祈ることは、今現在、自分が幸福でないのを認めているのと同じだから、幸福になるのは難しいのだ、と。それよりも、今ここにある幸福を見つめて、それに感謝の気持ちを持てば、必ず良い方にエネルギーは流れていくのだと。


 僕はこれまで、たくさんのしなくてもいい苦労をしてきたと勝手に思い込んでいた。幼い頃に愛された記憶もないと思い込んでいた、エトセトラ。でも、恥ずかしながら、何も分かっていなかった。信じられないくらいに、何も分かっていなかった。今だって、「分かっている」なんてことは何ひとつ云えないけど。他人のせいにはしないまでも、心の深いところには長い時間をかけて、「負」の感情が積み重なっていた。それが自分の思い通りにならないことにひどく苛立っていた。時に感情が爆発して、コントロール不能になって、いろんな人を傷つけた。よりによって大切な人に限って、傷つけた。その人が感じていることをちっとも尊重していなかった。そして、何をやっても意思とは反対の方向にものごとは進み続け、本当にギリギリのところまで追いつめられた時、ある出来事があって、心が音を立ててぼっきりと折れた。折れたものは心の中にある「執着」とか「依存」とか「所有欲」とかだった。あれだけ「独立」を目指していたはずの人間が実は「執着」にも取り憑かれていた。
 ここに至って、嗚呼、オレももう終わったのだ、と思ったが、そうではなかった。追い込まれて、否応なしにそれらがぼっきりと折れたことで、実のところ、僕は考えられないくらいたくさんの愛情を注がれて、ここまで生きてきたことが見えてきた。驚いた。親や愛しい恋人、そして友人たちやオーディエンスから、有り余るほど、愛情を注がれていたことが見えてきた。自分が生まれてきたことを呪う理由なんて何処にもなかった。自分は自分のままでよくて、ただ深い愛だけがそこにあった。手放した時、それはやってきた。圧倒的な幸福感に満たされて、感動して、嬉しくて、申し訳なさすぎて、号泣した。僕には身を削って、懸命にそれを伝えようとしてくれる人が居た。その人とは意識の深いところで繋がっていて、いや、繋がろうとしてくれていて、離れた場所から、ずっと愛を送ってくれていた。その人は一番星を見つけると必ず祈る。僕らは燃やせばただの炭で、そして星の欠片なのだっだ。そうやって僕を救ってくれたのだ。今は感謝の言葉も見つからない。

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by 山口 洋  

耳を澄ます

2009/05/01, 01:07 | 固定リンク

5月1日 金曜日 晴れ 

 大きな声で誰かに意見を語る前に、誰かが語れなかったその言葉に本気で耳を澄まそう。それが理解だってことにようやく気づいた。大きな声より、語れなかったその言葉の方が多分、深い。深いから、語れないのだ。本気で耳を澄まそう。そしたら、多分、聞こえてくるはずだ。

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by 山口 洋  
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