脱皮

2009/11/30, 20:17 | 固定リンク

11月30日 月曜日 晴れ 

 靴下の中に固い破片のようなものがあった。ん?と思って、見てみると、それは死んでしまった爪だった。そっか、脱皮か、ともうひとりのオレが云った。

 股関節の痛みは新鮮だった。きっと新しいトレーニングによってもたらされたんだろう。今日は休養日に充てようと思っていた。けれど、走らないと心の調子が悪くなるのは目に見えていた。有森さんが云ってた。「調子の悪い日は歩くといいですよ。歩けるのなら。じっとしているよりはずっといいです。そうやって私は怪我を克服しました」。マラソンコースまで3キロまっすぐに歩いて、自分の身体に聞いてみた。身体は「走ってくれ」と云った。ゆっくりと、ただ長い距離を走るだけのトレーニングはようやく卒業した。あちこちにガタが来てはいるが、次のステップに入る準備は出来た。身体に負担がかからないように、レースペース走を5キロやってみることにした。フルマラソンで4時間を切るためには、1キロを5分40秒で走り続けなければならない。後半の失速を考えると、5分20秒で、何処までも走ることが出来るように鍛えなければならない。レースペース走とは、身体にその時間の感覚を染み付かせるためにある。5キロを26分44秒。見事に5分20秒ぴったりのラップだった。まぐれかもしれないが、自分の感覚に驚いた。毎日、1キロ通過するごとにラップを計っていた成果が出た。しかし、このペースを42キロ持続させるにはまだ途方もない努力が必要だし、怪我をしないように注意も払わねばならない。風邪をひいたら、筋肉はひと月恢復しないし、3日練習を休むと、積み重ねてきたものがゼロに戻る。結構シビアな闘いなのだ。出場する大会は決めた。3/28がその日。明日、事務局に申し込む。オレは健康になりたい訳でも、マッチョになりたい訳でもない。前を向いて、走り続ければ、どんなに遠くても、必ず辿りつけることを、ニンゲンは自分を変えられることを、やり直せることを、光を掴めることを、自分に証明してみせたいだけだ。

 来年は新しいアルバムを作る。曲も書き続けたい。デビュー20周年であるし、オレたちが積み重ねてきたことの「祭り」もやりたい。プロになって20年、業界に友人は少ないけれど、本気でモノを作り、世の中を少しでも良くしようとフントーしている友人達は沢山居る。その祭りに行けば、野菜もあるし、食い物もあるし、器もあるし、写真もあるし、ジュエリーもあるし、エトセトラ。そんな祭りを本気で夢想したりもする。どんな道でも、歩き続ければ同じところに繋がっている。それが勝手な連帯の意味だと思うし、「お前はお前の道をゆけ」人生への最大のエールだと、オレは思う。

 居間のド真ん中に、アイルランドを兄貴のトシと旅した際、彼が撮影した一本足がない若い馬の写真がある。その馬は悠然と大西洋を見つめていた。程度の違いはあっても、不具でないニンゲンなんていない。それを卑下するのか、自分にしかない特徴だと思うのか。それを毎日、若い馬から教えられ続けている。

 オレの愛馬はギルドのD-35。こんなに弾きにくいギターはない。でも、弾けが弾くほど最高だよ。

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by 山口 洋  

誰かと一緒に走ること

2009/11/29, 17:23 | 固定リンク

11月29日 日曜日 曇り 

 40日で1200キロ、メインは野宿で、使った金、わずかに10万円。見事に88カ所を歩き通したお遍路君(23歳)に会った。出発前より10キロ痩せて、いい感じに陽焼けした青年の眼には未来の光があった。「で、どうなん?君の88の煩悩は?」と聞いたなら、「それがですね、全然出発前と変わってないんですよ。野宿してたら、隣に女の子が居てくれたらどんなにいいだろう、とか思うんですよね」。がっはっは。素晴らしい。君に未来あれ。

 どうしてもオレに走りを教えて欲しいと云う輩が現れた。云っとくけど、オレ、素人に毛が生えたみたいなもんだよ。あんたも、モノ好きだね。でも分かった。そこまで真剣なら、オレも受けて立つ。まずは安物のマラソン時計をプレゼントして、偉そうに、いかにマラソンが周囲に惑わされず、自分のラップを着々と刻むことが大事かって話をした。輩はまだ8キロしか走ったことがないのだと。ならば、15キロ行ってみますか。オレひとりだと、どうしても根性論に行き着くので、マラソンの友、ヨシミにも来てもらって、3人で15キロ走ることにした。オレは練習のし過ぎで、初めて股関節に痛みを抱えてはいた。でも、今日走れませんってのはあり得ないだろうと。今までに走ったことがないくらいゆっくりと、海を見ながら、世間話をしながら走った。これはこれで悪くない。意外に楽しい。輩は見事に完走した。誰かの達成感を手助けできるのは嬉しいものだ。そして、オレとヨシミはまったく息を切らすことなく、平然と走れることに自分たちの成長を感じ取った。輩は来週10キロのレースに出るのだと。オレとヨシミは再びハーフに出て、その翌週は二人で遂に自主的フル・マラソンに挑戦する。どうなることやら。

by 山口 洋  

涙腺

2009/11/28, 17:35 | 固定リンク

11月28日 土曜日 晴れ 

 涙腺がユルくてかなわん。
 午前中、珍しくテレビを観ていた。寅さんの山田洋次監督が現代を憂いていた。家族や地域社会が孤独な人間を支えなければ、レボリューションを起こさなければ、と発言されたところで、氏の優しさに、ホリスティック・ビューに突如涙腺決壊。
 続いて番組は「新日本紀行」に変わった。昔から、この番組が好きだ。今日は熊本の五木が舞台だった。五木は平家の落人が住み着いた山村で、とんでもなく貧しかった。だから、子供は奉公に出される。その子供が故郷を夢見て口ずさんだのが「五木の子守唄」。村近くの峠の名前は「子別峠」。さっき決壊した涙腺が再び潤み始める。五木の村はもうすぐダムに沈む。人口は3分の1になった。その昔から正調五木の子守唄を歌い続けてきた92歳のおばあさんの歌を聞いて、オレの涙腺ダムも完全に崩壊。そのおばあさんの歌を受け継いで、村の小学生に歌を教える50歳のおばさん。そして、最後に中学を出て、鹿児島に行っていたが、故郷が忘れられず、帰ってきた20歳の娘さん。彼女は村の蕎麦屋で今もその歌を歌う。鹿児島で一人で寂しかったとき、いつもその歌を口ずさんでいたのだと。これが歌だと、オレはカンドーを超えて、ぐしゃぐしゃになって、泣くだけ泣いたら、妙に爽やかな気分になった。こんな歌を作らにゃいかん。

 さぁ、走ろう。土曜日のマラソンコースは普段仕事で走れない人たちが沢山居る。中には好きになれない輩も居るけれど、見ず知らずの人間とすれ違う時に挨拶を交わすのはいいものだ。今日は蓄積した疲労を取るために、できるだけゆっくりと21キロを走った。タイムを上げるためにガシガシ走るのもいいけれど、こうやって変わっていく季節を眺めながら、いろんな事を頭に浮かべて、感謝して、走るのが好きだ。ありがとう。ごめんなさい。愛してるよ。もう言葉はそれだけでいい。

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by 山口 洋  

上がらないラップ

2009/11/27, 15:09 | 固定リンク

11月27日 金曜日 晴れ 

 自主的ハーフマラソン。21キロ余。どうにもラップが上がらない。ハードトレーニングで身体が疲弊しているんだと思う。店のウインドウに映った自分の姿を観て、失笑。昨日、帽子を買ったのだ。帽子、ランニング、デジタル時計、小銭と水が入ったウエストポーチ、うし、宇宙に行けそうな靴。あはは。もうファッションなんてどうでもいい。

 新しい曲を書いています。音楽でみんなが元気になってくれるといいなぁ。12月のライヴは二本だけ。12/26のおおはた君とのライヴは楽しみです。彼の演奏は素晴らしい。お世辞抜き。一緒に演奏できるのを楽しみにしています。ライ・クーダーとデビット・リンドレーみたいになるといいなぁ。12/28はサムズ・アップで小坂忠さんの後ろでギターを弾いてます。素晴らしいミュージシャンが沢山居るので、これまた楽しみっす。上原ユカリさんのドラムに「今度こそ」置き去りにされないように頑張ります。ひひ。さぁ、スキーをチューニングしてもらわなきゃ。先日、兄貴のトシにチューニングの方法をこんこんと説明してもらったのですが、89度とか、このワックスがとか云われてもちんぷんかんぷん。まずは近くのショップに行って、質問攻めにしてみます。

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by 山口 洋  

奇妙な縁

2009/11/26, 19:10 | 固定リンク

11月26日 木曜日 晴れ 

 自分の廻りで、オレのコントロールできない奇妙な縁が渦巻いているのを感じる。それがギフトなのか試練なのか、その両方なのかもしれないけれど、自分から何かを画策したりすることなく、ただまっすぐに生きてみようと思う。オレにはそれしか出来ないから。

 街に戻った。マラソンの友、ヨシミとマラソンの師匠であるゲンちゃんに会いに行った。根掘り葉掘り、分からないことを質問攻め。ゲンちゃんは先のフルマラソンで遂に3時間の壁を破ったのだ。でも、ゴール直後に撮られた彼の姿を観て、愕然。あのサバンナのガゼールのように走るゲンちゃんが、生まれたての子鹿のようにうずくまっている。聞けば、ゴールの後、1時間くらいその場を動けないほど疲弊したのだと。恐ろしい。根性もののオレとヨシミはとにかく走るのだが、巻物にはオレたちのようにやれとは何処にも書いていない。ゲンちゃん曰く、距離を走ることも大切だが、それによってもたらされる身体のダメージの方がデカいのだと。それよりも、二人とも充分走るための足は出来ているだろうから、これからはスピードを身につけるための様々な練習に移行した方がいいだろう、と。何にせよ、相当な努力をしなければ、初心者のオレたちが初めてのレースで4時間を切るのは難しい。何でそこまでやるのと聞かれても、オレたちには走らなきゃいけない理由があるのだ。
 気になっていたことがあった。身体は無茶苦茶に引き締まっているのだが、体重の減少がいつになっても止まらない。このままだと、マラソンの前に骨と皮になってしまう。買い替えた洋服も既にガバガバになってきた。ゲンちゃん曰く、カロリーを消化した分だけ、喰わなきゃいけないと。炭水化物を中心に喰え、と。そっか、分かった。無理をしてでも喰おう。で、ゲンちゃんからモチベーションを上げるための罰ゲーム。彼はこの街でいい音楽が流れるバーをやっているのだが、もし4時間を切れなかったら、タイム分だけの無料シークレットライヴをやるのはどーすか、と。うう?走った挙げ句に罰ゲームは嫌だ。でも、ちょっと考えてみよう。
 それから彼は音楽をシャロン・シャノンに変えた。ああ、久しぶりだな。彼女にももう10年くらい会っていない。帰りしな、随分とご無沙汰しているアイルランドやドニゴールの友人たちのことを思い浮かべながら歩いた。そして、家に着いてメールをチェックしてびっくり。ドニゴールのローカル新聞からインタビューの申し込み。最近、オレにはこういうことが多過ぎる。本当に不思議なことが連鎖するのだ。

 今日はいつもの15キロにレースペース走を入れてみた。高地トレーニングの効果は抜群で、前より確実に速くなっていた。ついでに坂道ダッシュも開始した。毎日、走る話ばかりでごめんね。ちゃんと新しい音楽にも向き合ってるから、ご心配なく。

 写真はオレが勝手に実家だと思っている友人の家の風景。辰巳芳子さんが愛用しているすり鉢はこのようにして、ひとつひとつ電気を一切使わず手で作られる。圧巻。

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by 山口 洋  

雲の上を走る

2009/11/25, 19:47 | 固定リンク

11月25日 水曜日 曇り 

 今日は東京に戻る日。朝6時に起きて、霧の中を走り出した。高地トレーニングも三日目になると、空気が清々しくて、キツさも和らいでくる。こうやって一歩一歩前に進むんだろう。自分の足の力で、峰に出た。そこにはこの季節特有の雲海が広がっていた。言葉を失った。眼下には一面に雲。そこに差し込む朝陽の光。神々しかった。オレは雲の上を走っていた。信じられなかった。昨夜は満天の星で、今日は雲海。オレは本当に恵まれてる。普段オレはいつもカメラを持ち歩いてる。でも、一眼レフは重いので、走る時には持っていない。毎日海辺を走るときも、沢山の美しい光景に出会った。でも、それは脳裏に刻むことにしてる。でも、この光景は忘れないように記録しておきたかった。雲海は刻々と姿を変えるのだ。間に合わないかもしれない。多分ギリギリだろう。家まで5キロ。ちょうどいい。レースペース走(レースのペースでぶっとばして走ること)をやってカメラを取りに帰ろう。延々と下りの道を1キロ4分台でぶっとばした。汗が吹き出してくる。あまりの暑さにシャツを脱いだ。上半身裸に下半身はウシ。でも走れるじゃん、オレ。家にたどり着いて、車で峰に行って、撮影したのがこの写真。残念ながら、あの神々しさはかなり失われていたけど。

 山での3日間。宇宙を感じた。そして話した。星とも話した。すべてに感謝した。自分にも感謝した。いいライヴも観せてもらった。願いも託した。身体も鍛えた。雲の上も走った。曲も書いた。やれることは全部やった。後悔なし。まっすぐに歩むだけだ。

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by 山口 洋  

満天の星

2009/11/24, 19:22 | 固定リンク

11月24日 火曜日 晴れ 

 昨夜はオレが国内で見た夜空の中で、一番美しい夜だった。澄んだ空気に輝く満天の星。オリオンが立体的に見えて、その間に無数の星屑が散りばめられている。言語化不能。たくさんの流れ星がひとつひとつのチャプターの終わりと始まりを告げているようで、観客はオレひとりの天体ショーを、寒さも忘れて見とれていた。最近訃報が相次いだ。本当に今年は沢山の人や動物を見送った。そのひとりひとりと静かに会話ができた。やがて、自分の宇宙と外の宇宙の何処に境があったのか分からなくなる。多分、それらは繋がっているんだと思う。人は自分を愛で満たしていれば、宇宙的な愛を受け取ることもできるし、それを送り返すこともできる。そして大切なものは心から失われない。人は一人だけれど、決して独りではない。誰かが云ってたように、時間はただの概念に過ぎないと、この頃思う。

 高地トレーニング、二日目。標高1000メートルの20キロのアップダウンは本当に堪える。巻物にはクロスカントリーでもイーブンペースで走るようにと書いてあるが、そんなの無理。心臓が破れる。さまざまな巻物を読んで、休養もひとつのトレーニングだってことが身にしみて分かりつつある。これまでは蓄積した疲労を根性で乗り越えようとしてきたが、破壊された細胞を生まれ変わらせるためには休むしかないらしい。

 走っている間に、メロディーと歌詞が同時に降ってきた。忘れないように家に戻るのは難しかったけれど、ようやくいろんなことが実を結んできた気がしている。

 夕方。山を降りて、麓の街まで50キロ。ライヴを観に行った。SION & 松田文さん、SAICO、そして鮫。鮫の全編熊本弁はとても好きだった。SAICOのギターは瑞々しい音がした。紫陽花についた雫のような音。もうあの音はオレには出せない。SIONの歌は、自分の手を汚して闘ってきた男にしか歌えないものだった。ぐっと来た。松田さんのギターはとても繊細だった。同じ時代に生きて、新しい歌を紡いでくれていることが本当に嬉しかった。オレも頑張らなきゃ、と心から思った。いいエネルギーをもらったら、オレは出来るだけ一人になりたくなる。楽屋に寄って、挨拶をして、帰りの50キロ「このままが」とダミ声で歌いながら帰った。濃い霧で20メートルの視界でも、「オレもたまには自分を褒めてやろう」と思った。いい時間だった。心から感謝を。

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by 山口 洋  

高地トレーニング開始

2009/11/23, 19:15 | 固定リンク

11月23日 月曜日 晴れ 

 いつか書いた四国のお遍路君はついに88カ所目にたどり着いたらしい。その前祝いに、香川のダチ、ラフ・ハウスの今城君の店に現れて、オレが渡した餞別で酒を飲んでいったらしい。おぬし、最後まで使わなかったのか。いい男じゃ。帰ってきたら、ヨシヨシしてやるからな。

 さぁ、標高1000メートルで高地トレーニング開始。でもね、真面目な話、平地の倍くらいキツい。登りには登りの、下りには下りのキツさがあって、酸素は薄いし、いつもの半分を走るのがやっと。マラソンの巻物も新たに2冊買って、ここでクロスカントリーのトレーニングを取り入れることにした。今月中にはLSD(ゆっくりと長い距離を走ること)を卒業しようと思ってる。ところで、オレはどうやらCW-X(通称 - うし)の伝道師になったようで、会う人みんなに勧めるようになってしまった。あれだけ「うし」を毛嫌いしてたマラソンのライバル、ヨシミからもメールが来て、「真面目に購入考えてます」と。うしし。本当にね、これで怪我の可能性はかなり軽減すると思う。肉体を使う仕事の人、立ちっぱなしの仕事の人にもいいと思うよ。それではオレの情けないにも程がある「うし姿」をどうぞ。

 ところで。マラソンの弊害をひとつ。オレはどんな寒い国に行っても自分の口から「寒い」と云う言葉は滅多に吐かなかった。でも、山の11月。いつもは平気なのに異様に寒い。何だかおかしい。はたと気づいた。皮下脂肪が殆どなくなったせいで寒いのだ。同輩がメタボで悩む中、オレは太りたくて悩んでる。アイロニックだね。

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by 山口 洋  

里帰る

2009/11/22, 16:46 | 固定リンク

11月22日 日曜日 雨 

 九州の某山中に世界で一番居心地の良い友人の家があって、ちょっとだけ寄っていくつもりが、うちにはないコタツに入ったが最後。もう出ることが出来なくなってしまった。運ばれてくる絶品の手料理とか、誰かの差し入れの鮨とか、ふにー、もうダメだ。居心地良すぎる。撃沈。そして勝手に実家に任命。同じ年の友人には中学生の娘が居るのだが、この子が素晴らしくてね、こんな娘が居たら、オレ死ぬほど頑張るだろうな、とか思う。オレは東京の親に任命されて、天にも昇る気分。いつも突然現れて、思い切りくつろがせてくれて、本当にありがとね。

by 山口 洋  

風音、福岡にて

2009/11/21, 10:50 | 固定リンク

11月21日 土曜日 曇り 

 午前中に、博多駅前のホテルから街の中心街を抜けて、大濠公園まで走ってみる。知っていたはずの路地を抜けて、公園をぐるぐる周回しながら、いろんな事を考えてみる。

 「風音」。KBC(九州朝日放送)の名物ディレクターだった故岸川さんを忍ぶイベント。この街から巣立ったミュージシャンで、彼にお世話になっていない人はいない。残念ながら、タッチの差でオレはお目にかかることはできなかったのだが。石橋凌と云う人は人間として、男として、恩義を絶対に忘れない人だ。彼がこの街や岸川さんの素晴らしさを後世に伝えようと、どれだけフントーしていたかは知っていた。つい先日、30周年ツアーで、帰ってきた時に心から思ったのだ。この街に生まれたがゆえ、面倒なこともたくさんあった。でも、胸を張って云えるのは、この街がオレたちを育ててくれた。このトシになって、猛烈な感謝の気持ちがこみ上げてくる。
 たくさんの年上のミュージシャンを差し置いて、凌さんから最後に演奏してくれ、と頼まれた。正直、荷が重かった。でも、それを引き受けて、感謝を込めて演奏することが、40の齢をはるかに超えた自分たちの役目だと思った。
 客席の表情や、打ち上げに居並んだものすごい数のミュージシャンのそれが、何かを物語っていた。楽屋では10年振り、20年振りの再会もたくさんあった。それは会ったことのない岸川さんが繋いでくれた縁だ。心から感謝を。
 打ち上げの席で、凌さんに質問した。ずっと胸の中にあったオレの夢のひとつ。「オレはショーン・ペンの映画の音楽を作りたいんです」。彼は「クロッシング・ガード」でショーン監督のもと、ジャック・ニコルソンと共演している。「ヒロシ君、それは叶うよ」。どこからどう手をつけていいのか分からないけど、オレもそんな気がする。ずっと、このまままっすぐに歩いていけば。

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by 山口 洋  

パッショナート

2009/11/20, 20:27 | 固定リンク

11月21日 金曜日 晴れ 

 イタリア語で「情熱の持ち主」のことを「パッショナート」云うのだと。素敵な響きだね。オレもかくありたい。
 早起きして、10キロ走り、飛行機に乗って、故郷に帰った。駅前のホテルは無味乾燥で、急にこの街を走ってみたくなった。当たり前だけれど、都会のド真ん中を走ってる輩なんて、居ない。自分の故郷の中心街は思ったたより小さくてあっと云う間に目的地にたどり着いてしまいそうだったから、中州だとか、天神だとか、もう二度と走らないであろう場所を選んでみた。随分変わったなぁ、と思う。明日のイベントに出演し終えたら、何日か山に籠って、プチ高地トレーニングをしてみようと思う。あ、明日はHWトリオでの出演です。楽器車が走らなかったから、アコースティック・ギターだけだけど。 

by 山口 洋  

真実一路

2009/11/19, 04:04 | 固定リンク

11月19日 木曜日 曇り 

 「真実一路」。その使い古された言葉が頭から離れない。ひどく誤解されているんだろう。弁解も叶わない。でも真実はたったひとつ。恥じ入ることがなくて、過去の自分を充分に反省したのなら、前に向かって進むだけさ。i believe in you. 真実はいつか自由をもたらしてくれる。それを引き寄せられるように生きてみよう。
 寒くなって、星が奇麗に見えるようになった。オレも祈る。届くように。そして、今年初めてのセーターを着て、灯油を注文する。何だかもの哀しいけど、同時に引き締まる想いもある。心が澄んでくる。汚れちまった哀しみにこそ、真実一路。誰かがプレゼントしてくれた駅伝の本にこう書いてあった。「俺たちが行きたいのは箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所」。オレは選手みたいに走れないけど、その気持ち、良く分かるよ。今はその時かどうか、その見極めが大切だ。今までは、いつもオレがそう思ったときが「その時」だった。でも、それは違う気がする。分からなくても、想像しよう。充分にアンテナも張っていよう。きっと、その時は来る。諦めることなく、研ぎすましていよう。その間、笑いを忘れないようにしよう。もっとデカい人間になろう。人に感謝するように、自分にもたまには感謝しよう。持ちこたえてくれて、ありがとう、と。自分を愛で満たせない人間は、誰も愛せないと思うから。

 CW-Xは聞きしに勝るすごい製品だったよ。立ちっぱなしで働いてる人には心からお勧めします。本当に「牛」は嫌いだったけど、素直に良さを受け入れられる自分の方がもっといいと思う。ただし、紛れもない石油製品であることに、若干の違和感はあるんだけどね。

by 山口 洋  

blood brothers

2009/11/18, 03:10 | 固定リンク

11月18日 水曜日 晴れ 

 NYから中国を経由して、兄貴のトシがやってきた。いつもの儀式として、浅草の蕎麦屋の名店(絶品)で待ち合わせた。通りをオーラを発しながら兄貴が歩いてくる。別に褒めてもらおうなんて思っちゃいないが、オレに「走れ」とのたもうたのはこの人である。で、「オレは来年3月にフルマラソンに出て、4時間を切るのが目標なんだ」と云ったら、「誰もそんなに走れとは云っとらん。お前は変態だ」と云われた。ままよ。それも屈折した愛だと受け取っておこう。それから来年彼が計画しているプロジェクトの話をひとしきり聞いた。相変わらず、この世界のためにまっすぐに生きる姿勢にオレは打たれた。オレとて、随分前に彼に出会わなければ、もっとイージーな人生だったとは思う。けれど、後悔は何ひとつない。いつだって、彼は今しかないと云うタイミングで現れて、絶妙な言葉を残して去っていく。
 「お前にプレゼントがあるんだ」と手渡されたのは、男どもの憧れ、filson社のバッグだった。この会社はアラスカ開拓時代に創設され、今も昔も商品に対して、永久保証をする。堅牢にして、質実剛健。男の一生モノだ。「いつか観たお前のバッグパックは格好悪くてかなわん。洒落と云うものは、モノの主張と使う人間の主張が響き合って、時間をかけて歩みよって出来るものだ。お前もこれが似合う男になれ。で、お前が死んだら、オレの息子達に手渡してくれ」。まったくもう。かなわん。確かに、そのバッグは見れば見るほど素晴らしかった。もう一生、オレは鞄を買うことはないだろう。
 続いて。「お前にどうしても云っておきたいことがある。今のうちにちゃんと遺言を遺しておけ。お前は天涯孤独なんだから。いつかお前とした約束はオレが必ず果たす。でも、法とはそんなに甘いものではない」。全米の少年死刑囚の写真を撮り続けた男にそんな事を云われると、それもそうだな、と思わざるを得なかった。でも、それって兄貴、オレが先に死ぬことが前提になってないすか?あなた、オレより5つ年上ですから。
 とんでもないアスリートでもある彼としばしスポーツの話をした。男達は寄る年波に抗うものだ。そして話はCW-Xのことに及んだ。知ってるよね?先日も沖縄で友部さんにその素晴らしさを力説されたばかりなのだが、オレはどうしても好きになれなかったのだ。知らない人のために説明するなら、イチローが自主トレの際に身につけているあれである。ランナーにも良く見かけるのだが、オレと友人達はそれを「牛」と呼んで心の底から嫌ってきた。あの身体に密着した感じと、信じられない最悪なデザイン。オレはとんでもないマラソンシューズも履いてる。デジタル時計も身につける。でも、どんなに勧められても、あの「牛」だけは嫌だった。本能的に。でも、トシは熱心に勧める。「おう、ヒロシ、お茶の水に今から買いに行こうぜ」。とほほ、まじすか。オレとトシはスポーツ用品店に行って、彼に勧められるままに「試着」までさせられ、帰りにはしっかりと「牛」を手にしていた。とほほ。でもね、これ、すごいわ、本当に。テーピングをしている状態と同じなのだ。上着は背筋を中心に引っ張られる。膝は完全にホールドされる。ちょっと走ってみたのだが、上体がブレない。しかも、保温性に優れ、汗はちゃんと放出してくれる。ランニングはもちろん、スキーにも使えるし、飛行機の移動でも、エコノミークラス症候群には絶対にならないだろう。長距離の運転にも向いてる。唯一、この最悪な見た目だけを除けば。ついでに、オレは手袋まで買って、明日からは「牛」に短パンを重ね着して、走ることとなった。どれだけ情けないのかは、明日気が向いたら写真を撮るから見てくれ。もはや、ロックを奏でる資格なし。でもね、思うのだ。これで怪我の可能性が軽減するのなら、格好なんてどうでもいい。オレには行きたい場所がある。そこに行くためなら何だって平気だ。

 トシと出会った頃。当たり前だけれど、お互いもっと若かった。随分無茶もやった。でも、いろんな事があって、相変わらず人生のその先を指し示してくれる兄貴が居てくれるのはオレの財産だと思う。本当にありがとう。来年の彼のプロジェクトは出来る協力は何でもしたいと思う。自分のために、世界のために。その前に多分、コロラドに一緒にスキーに行ってしまいそうだけど。屈折してるのかもしれないけど、血と同じくらい濃い兄弟とか愛とか、それを受け取れる自分は幸福だと思う。

by 山口 洋  

再生への一歩

2009/11/17, 18:35 | 固定リンク

11月17日 火曜日 雨 

 ツアー中に驚いたこと。身体から出てくる汗の量が尋常ではなかった。ときどき、オレはレスラーかと思った。多分、運動を続けたことで、新陳代謝が良くなったんだろう。でも、あのスケジュールだとどうしても痩せる。無理してでも食べるようにはしているが、なかなか追いつかない。沖縄でおばぁにもキツく云われた。「運動してもいいけど、これ以上痩せたらダメだ」と。

 あは。ツアー中にはいろんなものが差し入れられる。いつも本当にありがとう。今までは殆どが「酒」だったが、今回は「クエン酸」とか「サプリメント」とかが多かった。本当にありがとね。オレはもう家では一滴も飲みません。

 一日中雨が降っていた。ツアーの雑務を終わらせたら、身体がムズムズして仕方なかった。走りたかった。雨の中、走り出した。身体が軽い。多分、痩せたんだろう。何だかカモシカになったみたいだ。雨は次第に強くなり、身体が芯から冷えてきた。でも、折り返しのところまで来てしまったから走って帰るしかない。寒い。21キロ。帰った時には、身体は氷のようになっていた。教訓。寒い雨の日は走るな。危険だ。先日、この街で行われたマラソンで、一人亡くなったらしい。舐めてはいけない。靴下を脱いだら、死んでいた爪がペロリと剥げた。とてもグロい光景だったが、まったく痛みは感じなかった。生まれて初めて、爪の下の風景を観た。ふーん、こんな風になってるんだ。そもそも爪って何なんだろう?ここに新しい爪は生えてくるんだろうか?でも、これも再生へのひとつの勲章のようなものだと思う。

by 山口 洋  

the Gift

2009/11/16, 18:41 | 固定リンク

11月16日 月曜日 曇り 

 今日は抜け殻。走る気力もなかった。

 生きていると、稀にgiftがもらえる。オレはこのツアーでとんでもない贈り物をオーディエンスやメンバーやスタッフや友人たちからもらった。それを残りの人生の推進力にして、新しい音楽にして、みんなに伝えたいと思う。本当にありがとう。

 高校生の時分、バンドがやりたいと思う輩はゴマンと居ると思う。今も昔も。けれど、それを30年続けられる幸福者がいったいどれだけ居るんだろう。今までにバンドに居てくれたたくさんのメンバーたち。関わってくれたスタッフたち。支えてくれたたくさんのファンのみなさん、そして友人たち。本当にありがとう。最強で最高のバンドの一員で居れることを心から嬉しく思っています。このメンバーが元気で居てくれる限りは、みんなと同じ時代に生き、新しい音楽を作り続けます。心から、ありがとう。そして、これからもどうぞよろしく。

by 山口 洋  

渋谷炎上、ツアー最終日、東京にて

2009/11/15, 18:20 | 固定リンク

11月15日 日曜日 快晴 

 言葉が見つからない。何を書いたところで、もはや陳腐なものにしかならないと思う。伝えたいことはこれだけ。生まれてきてよかった。心からありがとう。もう一度、ありがとう。そして、みんな愛してるよ。

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by 山口 洋  

夕陽は昇る

2009/11/14, 20:55 | 固定リンク

11月14日 土曜日 曇り 

 東京に戻った。
 実は沖縄滞在中に、ライヴ以外にもうひとつ大切な用事があった。18年前に一度会っただけなのに、突然連絡をくれて、オレを励ましてくれたユタであるおばあに会うこと。正しいときに正しいことをすれば、それは必ず叶うと思っているから、オレは事前に連絡もしなかった。けれど、やっぱり会えた。かなり奇跡的に。14人の孫を持つ彼女がオレに投げかけてくれた言葉は、とてもじゃないけどここには記せない。それほど、オレにとってはひとつひとつの言葉が美しく、厳しく、そしてでっかくて、優しくて。あまりに大切なものだったから。何も説明しなくても、彼女はすべてお見通しだった。信じられないけれど。ひとつだけ書くなら、オレの最大のミステイクは酒だった。気がつかなかった。何てこった。その背景から、理由に至るまで、すべてを説明してくれた。そして、オレをぎゅっと抱きしめて、「私の息子よ」と。落涙。「お前は必ず生まれ変わって、夢を実現させる」と。
 どうしてこんなことが起こるのか、自分でも分からない。けれど、そのくらいに人生とは不思議なものだと思う。おばあ、心からありがとう。教えを守って、オレは自分の夢を必ず実現させるからね。友部さんの言葉を借りるなら、「夕陽は必ず昇る」。どうか、いつまでも元気で。

 さぁ、明日は最終公演。東京にて。迷わず足を運んでください。みんなに会えるのを愉しみにしています。渋谷で燃え尽きます。

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by 山口 洋  

沖縄にて

2009/11/13, 20:28 | 固定リンク

11月13日 金曜日 雨 

 その日はやってきた。那覇にバンドの音が響く日。持っていけなかった機材をどうにかするために、沖縄中のVOX AC30をかき集めてくれ、かの地では滅多にお目にかかれないらしいレズリースピーカーもちゃんとステージにセットされていた。最近、涙もろくてどうもいかん。それを観ただけで、ぐっと来るから。開演前には弘前の悪友ヒロシがDJを努めてくれ、八重山を始めとする離島からもたくさん友人たちが来てくれた。
 しかし、ライヴ前にこんなに緊張したのは久しぶりだ。グレッチの弦を1曲目で切ったのも生まれて初めて。気持ちが入りすぎてるっちゅーか、何っちゅーか、あんたもいいトシしてまだまだ青いね。でも、バンドはその日に出来ること、全てをやり尽くしたと思う。後悔なし。蒔き続けてきた種を育ててくれて、ありがとう。魂の入ったサポートに心から感謝します。次にバンドで沖縄に来るのに30年かかってたら、オレ75歳だからね。もう生きてないかもしれないしね。そうならないように、新しいアルバム作って必ず戻ってくるからね。それから、この「アライラム2009」と云うイベント。オーディエンスだけではなく、ミュージシャンにも沢山のものをもたらしてくれてます。ビジネス臭、一切なし。まっすぐに、ど真ん中に、文化のために。本当に素晴らしい。桜坂劇場には地方の文化のあるべき最高の形があります。ふたつの映画館があって、カフェがあって、本屋があって、レコード屋があって、音楽も演奏できて、市民大学もあって、スタッフは生き生きと働いていて。是非、みんなで盛り上げてください。来年、もし呼んでもらえるなら、期間中はずっと滞在したいと思ってます。いつも、この言葉しか見つからないんだけれど、本当にありがとう。愛してるよ。みんな、どうか元気で、また会おう。

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by 山口 洋  

遂に沖縄上陸

2009/11/12, 17:46 | 固定リンク

11月12日 木曜日 曇り 

 いやはや、長かった。実に30年かかって、フルバンドで沖縄に上陸を果たした。飛行機が那覇空港に着陸したとき、何だかぐっと来るものがあった。メンバーは全員爆睡してたけど。些細な夢だと思う。デビューしたその年に行くことが出来るバンドも山ほど居ると思う。でも、我々はそうはいかなかった。諦めず、種を蒔き続けて、それを育ててくれる人たちが沢山居て、ようやくこの日が来た。飛行機の中で読んでいた小林秀雄の本にこう書いてあった。

「確かなものは覚え込んだものにはない。強いられたものにある。強いられたものが、覚え込んだ希望に君がどれだけ堪えられるかを教えてくれるのだ」。
「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と云われ、卑怯と云われながら、終いには勝つであろう。デカルトが「精神には懐疑を、実行には信念を」という一見馬鹿みたいな教えを書いた。人々は困難な時勢にぶつかって、はじめてそういう教えに人間の智慧の一切があることを悟るのである」。

 人はどこまで頑張れば一人前として認めてもらえるのか、と何かの歌の一節が頭をかすめたことがある。けれど、今は抱きしめたいだけで、抱きしめられたいだけだ。i believe in you. 地元のタウン誌の表紙にHWが載っていた。嬉しかったよ。

 ままよ。残念ながら、普段バンドのツアーで使用している全ての機材を、この日程で沖縄に持ち込むことは不可能だった。だから、どうしても必要なデカイ機材は航空便で送り、持てるだけの機材は手荷物で持ってきた。いつものように航空会社はとっても冷たいのだが、その量を観て、納得。こりゃ、機嫌も悪くなるわな。とにも、かくにも。明日は迷わず来てください。オレと圭一は昼過ぎにラジオに出た後、会場に向かいます。

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by 山口 洋  

愛と希望とメンタイ、故郷、福岡にて

2009/11/11, 23:02 | 固定リンク

11月11日 水曜日 曇り 


 いったいどれだけ寝たんだろう。考えられないくらい長い間、ホテルで眠りこけていた。チャージ完了。晩秋の故郷を歩いて、墓参りに行った。そしてバンドを30年続けたこととか、いろんな事を報告して、オレの大切な人たちの幸福を祈った。いい時間だった。

 会場を埋め尽くしてくれた沢山のオーディエンス。楽屋にはひっきりなしに友人達が。そして故郷に帰ると、全員演奏に力が入りすぎるのはどうしてなんだろう。これは多分、一生治らん。イベンターからも友人達からも、もちろん云うまでもなくオーディエンスからも、身に余るだけのエネルギーと愛をもらった。日本のあちこちから「福岡のHW」を観にきてくれてありがとう。本当に嬉しかった。オレ達はこの街に育てられた。この街に生まれて良かった。心からありがとう。どうか、元気でね。多謝&再見。

 このエネルギーは沖縄に持っていくぜーーーー。待ってろよー。

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by 山口 洋  

移動日

2009/11/10, 22:51 | 固定リンク

11月10日 火曜日 雨 

 車窓はすっかり秋の色。乗り物では絶対に眠れないのだが、道中の95%気絶したように眠っていた。明日に向けてチャージしよう。さぁ、故郷だ。

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by 山口 洋  

才能とは継続する意思のことである、大阪にて

2009/11/09, 02:21 | 固定リンク

11月9日 月曜日 晴れ 

 昨夜のうちに大阪に入っていた。うっしゃー、梅田の街を走るぜ、とランニング姿に着替えて朝から走ってみたが、どうにも足が動かなかった。状況がそうさせたのか、オレが疲れていたのか、それは不明のまま会場へ。
 とにもかくにも、SEが流れて、会場からの熱気っつーか、期待感のようなものをステージ脇で受け取った。あれほど疲れたミュージシャンを鼓舞してくれるものはない。明日は移動日だ。最後の一滴まで絞ってやろうじゃないか、と思った。トシを取ってから、確かに明日の事も考えるけど、明日はunwritten、だから走るのだ。ライヴだから詳しくは書かないけど、いろんなハプニングがあって、あんな曲やこんな曲が聞けて良かったね。オレも楽しかったよ。バンドは当たり前の事かもしれないけれど、成長を続けてる。
 大阪はデビュー以来、ずっとSOGO大阪がイベンターだ。ウチの担当はFである。奴が初めて担当したミュージシャンがウチらである。それから13年。いろんな事があった。でも今日奴が「これが音楽っすよね。いいエネルギーもらいました。オレらは間違ってません。死ぬまで一緒にやりましょう」。と、飲み屋の帰りに云ってくれたのが嬉しかった。奴らの職業は運が悪ければ、一週間続けて、やってくるミュージシャンのためにお好み焼きを喰い続けなければならない。時には腐る。いつまで、こんなこと続けられるんだろう、と。でもF。多分、オレたちは間違ってない。そんなエネルギーをオーディエンスと音楽からもらったよな。ありがとう。大阪。またアルバム作って、戻ってくるかんね。多謝&再見。

 ツアー中の詳細は渡辺圭一監督の「たまけん2009」で頻繁にアップされてます。

http://d.hatena.ne.jp/tamaken2009/

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by 山口 洋  

ベリー初日、そしてクリオネmax、名古屋にて

2009/11/08, 01:23 | 固定リンク

11月8日 日曜日 

 何というか、やっぱり「ベリー初日」。ライヴはやってみんと分からぬ。たとえ30年やってたとしても。過去の何かにすがるのではなく、前を向いて音楽を紡いでいるところが伝わったなら、嬉しい。マネージャー様が風邪をひいたとか(危険!)、魚ちゃんとはもう17年のつきあいになるけど、あんなにハジけたクリオネは初めてみたとか。ひひ。忙しい中、足を運んでくれて、ありがとう。音楽が明日を照らすヘッドライトでありますように。多謝&再見。

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by 山口 洋  

run

2009/11/07, 18:35 | 固定リンク

11月7日 土曜日 晴れ 

 さぁ、明日からツアーだ。やれることは全部やった。後は愉しむだけだ。30年分の音楽の奇蹟、是非観に来てほしい。

 海沿いのマラソンコースを感謝を込めて21キロ走った。あれだけ長いと感じていたハーフも、レースでなければ軽々と楽しんで走れるようになった。故障とのつき合い方も覚えつつあるし、何よりも自分の身体に自覚的になった。固い身体もストレッチで少しづつ柔らかくなりつつあるし、贅肉はもう殆ど燃えてしまったし、腹筋は6つに割れてきた。別にマッチョは目指していない。けれど、これほどまでに身体が変わっていくことに驚いている。願わくば、心も同じであって欲しいし、幾つになっても人は変わることができる。そして心の底にある大切なものは絶対に失われない。走って得たことは「推進力」だと思う。人生を明日に押し出す力のようなもの。諦めなければ、必ずその場所にたどり着く。けれど、やみくもに根性だけでやろうとすると、身体は壊れる。自分の心と身体の声を聞きながら、適度に休息を取り、遠い目標に向かって一歩づつ足を動かし続けること。次第に強い意志が宿ってくる。人に感謝することを覚え、「愛」の本当の意味について深く考えるようになる。いろんな経験がなければ、オレは走らなかったと思う。だから、起きたこと、ひとつひとつに心から感謝している。さぁ、明日からはそれを音楽に乗せて人々に届けようと思う。それがオレの仕事だ。
 ところで、海沿いの道を見とれるくらい美しいフォームで女性が走ってくる。この人はタダ者じゃないな、と思ったら、有森裕子さんだった。走っていることがひとつの作品みたいに美しかった。いっそ、オレも走るのを止めてずっと見ていようかと思ったが、あの美しい残像をそのまま持って帰ることにした。

 90年代のある時期、バンドを支えてくれたモーガン・フィッシャーから便りが来た。そこには彼が心血を注いで、世界中のミュージシャンと作り上げた作品「miniatures」が同封されていた。この作品は世界中のミュージシャンに「1分の曲」を作ってもらい、それを彼がコラージュするというもの。書けば簡単。けれど、基本的にキチガイであるミュージシャン約120人とやり取りするのは「契約」なんかも含めて並大抵じゃない。参加しているのはジョン・ポール・ジョーンズ、ロバート・フリップ、ハワード・ジョーンズ、レヴェラーズ、パダ・オリアダ、フレッド・フリス、ロバート・ワイアット、レジデンツ、スティーヴ・ミラー、エトセトラ。良くもまぁ、これだけのミュージシャンを集めたものだと、その情熱にのけぞった。日本からはthe boomの宮沢和史、加藤登紀子さん、それにオレが参加している。随分前の話だから、もう忘れてたけど、オレとモーガンはスタジオに入り、二人で全ての楽器を演奏し、丁度来日中だったヴァン・モリソンのエンジニア、ミック・グロソップにそれをミックスしてもらって仕上げたんだったっけ。予算もまるでないのに、あれよあれよと云う間に事は進み、オレは彼の人間力の凄さに感嘆した記憶がある。多分、出来ないことなんてないのだ。誰かの途方もない「夢想する力」が大きなうねりを産んでいき、それがまっとうなものであれば、必ず連鎖していく。それが音楽の力だとオレは思う。このタイミングでそれが突然送られてきたのにも、何か意味があるんだろう。ありがとね、モーガン。たまにはパブでビール飲もうや。

 さぁ、ツアーに出るぞー。

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by 山口 洋  

it's too late to stop,now

2009/11/06, 17:15 | 固定リンク

11月6日 金曜日 晴れ 

 昨夜、ハードだったリハーサルが終わった。気分を切り替えよう。バーに出勤して、しこたま飲んだ。all or nothing。ゼロかゲロか。その性格だけは変わらないらしい。

 ひどい二日酔いで目覚めた。でも、走りたかった。身体がウズウズする。晩秋の陽射しを浴びて、21キロ走った。

 バンド30年目にして、ようやくフルバンドで沖縄に行く。心から嬉しい。変わらぬ体温でずっと応援してくれた人たちに演奏で応えようと思う。本当にありがとう。

http://www.sakura-zaka.com/asylum2009/index.html

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by 山口 洋  

リハーサル最終日

2009/11/05, 22:00 | 固定リンク

11月5日 木曜日 曇り 

 リハーサル最終日。やり残したことは何ひとつなく。さぁ、ようやくみんなに会えるね。愉しみにしてるよ。

 今日はメンバーだけでなく、チームHW、久しぶりに全員集合。マネージャー、ローディー、PAチーム、照明チーム、物販チームにトランポさん。やっぱり仲間はいいもんだね。

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by 山口 洋  

リハーサル2日目

2009/11/04, 22:51 | 固定リンク

11月4日 水曜日 晴れ 

 昨夜は昂っている気を鎮めようと、バーに出勤。疲れきった身体にホットワインと極上の音楽と、思いやりの数々とパンの差し入れは染みました。ありがとう。

 さて、気分を切り替えて。リハーサル2日目。今年はバンドの活動が少なかったので、やることがてんこ盛り。どんなにリハーサルを重ねたところで、ステージに立ってみなければ何も分からないのだけれど。間合いだとか、呼吸だとか、今相手が何を考えているか、とか、未来を予測したり、とか。随分形になってきました。乞うご期待。写真は肉食系HWが虎の穴に入っている間に、草食系HWが打ち合わせをしているの図。客人がやってきて、「ヒロシ君、どうしたん?戦争にでも行ってきたん?」と。行く訳ねーだろ。日に焼けて、走って、身体が締まっただけだっつーの。

 確かに8時間も演奏すると疲労困憊するけれど、ロックンロールは肉体で精神を突破するところが、やっぱりどうしようもなく好きなのです。ワン。

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by 山口 洋  

懐かしき耳鳴り、リハーサル初日

2009/11/03, 22:25 | 固定リンク

11月3日 火曜日 曇り 

 さぁ、リハーサル初日。久しぶりにバンドのメンバー全員が揃った。ああでもない、こうでもない、といろんな曲をやってみる。新しい曲もやってみる。それにしても、懐かしい。この耳鳴り。そして寒さで、あまりに奇麗な満月。あれやこれやと仕事がてんこ盛りなので、たくさん書けないけれど、愉しみにしといて下さい。

新インタビュー、更新されてます。アルバム「1995」あたりです。
http://d.hatena.ne.jp/theRising/20091103

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by 山口 洋  

人と音楽、鎌倉にて

2009/11/02, 19:49 | 固定リンク

11月2日 月曜日 雨 

 昨日レースを終えて、砂まみれの身体をきれいにした。さぁ、切り替えよう。そんな時は真っ白いスーツを着る。それから、オレは友人達と鎌倉の教会で行われたゴスペル・クワイアーのライヴに行った。飲み友達のお菓子屋のボンが出演しているからだ。日本で、しかも鎌倉でゴスペル。本物のそれを目の当たりにしたことがあるオレとしては、正直なところ、今ひとつピンと来ていなかったのも事実。でも、そのライヴは素晴らしかった。正直言って、そんなに上手くはない。でも、常々思うのだが、人の心を動かすのは技術だけじゃない。彼らには「歌いたくてたまらん」と云う一番大事な動機があった。オレもそれを忘れないようにしなければ。そのチームは来るものは決して拒まず、去る者は追わない。そして、信者であろうが、なかろうが、歌いたければ誰だって入れる。その日本的にアレンジされた、ゆるい「規範」も好きだった。ところでお菓子屋のボンは冒頭でソロを取った。そのハジケっぷりと、最後まで声が持たないところと、満面の笑顔。良かったねぇ。ちょっとグッと来たよ。オレは子供の運動会(行ったことないし、子供も居ないけど)に行って、応援してるような気持ちだった。いやはや、何と云うか、ありがとう。街と人々と暮らしと音楽。オレの前に座っていたのはお坊さんと外人。教会にお坊さん。坊主頭がゴスペルで揺れている。いい眺めだったよ。
 それからKの店に行った。奴は地元の音楽的な名士でもある。一言で云えば、骨のある男。奴と音楽、そして社会やヒロシマの話をした。オレにはヒロシマのどうにかしなきゃならんけど、どうにもならないプロジェクトがある。奴は被爆二世だった。ふむ、もう出版社に話をするのは止めて、こういう骨のある男と行動を起こした方がいいのかもしれん、と思った。

 ところで。ベランダに毎日猫がやってくる。頼みもしないのに、やってくる。昔、このような状況から二匹、猫を飼ったことがあるオレは、心はぐらんぐらんに揺れるのだが、残念ながらしょっちゅう旅に出る身なのだ。だから、お前を甘やかすことは出来んし、餌はやれん。許してくれ。こうして、毎日ヘンなにらみ合いは続いている。

 レースの疲労を取ろうと、ゆっくり走り出した。小雨混じりの中、タイムを気にせず走るのは気持ち良かった。今まで支えてくれたコースや海や曇天や人々に感謝していたら、あっと云う間にハーフを走っていた。気持ち良かった。

 明日からいよいよツアーのリハーサルが始まる。全ての楽器を整備した。楽器車に積み込まれる前に、見渡して。随分減ったなぁ、と思う。とっかえひっかえ楽器を使っていた頃の半分以下の量だと思う。それも旅の成果なんだろう。ディランの30周年ライヴにはスティーブ・クロッパーとG.E.スミスと云う二人のギタリストが居た。G.E.スミスがゲストに合わせて、殆ど毎曲ギターを換えていたのに比べて、スティーヴ・クロッパーは最初から最後までずっと同じ一本のギターだった。できれば、そんな風になりたいと思う。

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by 山口 洋  

born to run、確かな光、ハーフマラソン完走

2009/11/01, 13:26 | 固定リンク

11月1日 日曜日 晴れ 

 レース当日。 
 実のことを云うと、柄にもなくキンチョーして、あまり眠れなかった。朝、サプリメントを飲むのも忘れたし、大嫌いなバナナも買ってあったのに、喰うのを忘れた。何だか今日のオレはヘンだ。結果を出せずに、積み重ねてきたことが無になるのが怖かったのか、おまけに昨日から新しい膝痛にも悩まされていた。でも、さすがにあれだけのライヴをやってきたからだろうか、最後にはなるようにしかならん、お前は出来ることを全部やってきたんだから自信を持て、開き直った。目標はまずは完走。どんなトラブルがあっても絶対に諦めないこと。そしてあわよくば、2時間を切ること。でも、オレは自主的にハーフを4,5回走ったが、最高のタイムは2時間12分なのだ。つまり12分以上短縮しなければならない。ハードルは決して低くはない。

 今日は編集者のS君、そしてしょっちゅう一緒に飲んだくれてるヨシミ君と参戦。S君はモノが違うのだ。こっちはリトルリーグ、彼は社会人野球みたいな。で、ヨシミ(呼び捨て)。オレはこの街で一番根性があると自負していたが、奴のそれも結構とんでもない。どんなに仕事で疲れていても練習は欠かさない。やると決めたら絶対に諦めない。何なんだ、こいつの根性は?と常々感じていたら、奴は元ボクサーだった。はよ、云わんかい、それ。

 午前8時20分。スタート。とんでもない風が吹いている。海風が砂を巻き上げ、まっすぐ走るのも難しいほど。オレは毎日このコースを走っているけれど、こんな悪条件は初めてだ。吹き付ける砂で身体は痛いし、だいいち目を開けることも難しい。ランナーの顔の汗には砂が張り付いて、全員ゾンビみたいになっている。あのS君がズルズルとペースを落としている。おおっ。オレのトレーニングも無駄じゃなかったのね、と一時は彼を抜いたりもした。でもラップを確認すると、1キロを4分台で走っている。どう考えても、オレには速過ぎる。案の定、足にきた。しまった、速すぎたか。S君にもヨシミ(再び呼び捨て)にも軽々と抜かれ、オレは息も絶え絶えになっていった。でも、積み重ねてきたことは無駄じゃなかった。このままどうにか10キロ持ちこたえたら、折り返しの頃には体力が恢復してるだろう。そして最後の7キロはド根性あるのみだ。折り返しでS君とすれ違う。爽やかな笑顔。こりゃ無理だ。そしてヨシミ。奴との差は700メートル。頭の中で「London calling」が鳴った。にゃろめー、絶対追いついてやる。折り返して、猛然とスパートした(あくまでもオレの中での話)。一キロを5分台前半で走れば、2時間を切るのも夢じゃない。オレはヨシミの名前を勝手に「エナミー・ヨシミ」に変えた。仮想敵だ。もちろん積み重ねてきた「感謝」も忘れなかったけれど。それからは快調に走れた。キツさと妙な気持ちよさで、何だか訳が分からなくなってきた。何が自分を動かしてるのか分からないけれど、確かに光を見て、実はちょっと泣けた。そして頭の中のBGMはベタで申し訳ないけれど「born to run」に変わっていた。今までに体験したことのないヘンな感動をしながら走っていた。そしてゴール。エナミー・ヨシミには遂に追いつけなかったが、わずか3秒差。1時間55分27秒。もう歩く気力も残っていなかった。

 街の友人達が応援に来てくれて、浜辺でヘナヘナと座り込んだまま、ヨシミと飲んだビールは美味かった。もう奴は敵ではない。自分の記録を17分短縮したんだから、少しくらいは褒めてやろう。そしてヨシミとオレは次のステージを目指す。今年中に奴と自主的42.195キロに挑戦してみようと思う。レースではなく。ロック・ミュージシャンのマラソン日記に長々とつきあってくれてありがとう。さぁ、今日はゆっくり休んだら、いよいよツアーに出るぜ。

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by 山口 洋  
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