感謝のrun、1932キロ

2010/03/31, 19:18 | 固定リンク

3月31日 水曜日 晴れ 

 3日間走らないと筋肉は退行を始める。フルマラソンを走りきって、今日で3日目。二日酔いの僕が、もうひとりの自分に聞いてみた。「どうするん?」。すると彼は応えた。「あんた、その前にやらなきゃいけないことがあるでしょ?」。そうだね。それを忘れちゃいけない。僕を育ててくれた、マラソンコースと海にお礼を云いに行かなければ。この海沿いのコース、往復15,4キロに僕は育てられた。各地のマラソンコースを走ってみれば、よく分かる。先日のフルマラソンのコースは「金メダルロード」と云って、小出監督のもと、高橋尚子さんや有森裕子さんが走っていた道だ。そこよりも、僕らのコースはいつも砂まみれで、距離表示も微妙に「長く」て、強風が吹き荒れ、過酷だった。だからこそ、僕は本番で「楽」に走れたのだ。トップで帰ってきた実業団の選手が「風が強かった」とインタビューで語っていたが、僕にとって、それは風が強いうちには入らなかった。
 何はともあれ、僕らのマラソンコースは同じ表情が二度とない。海沿いだから。それゆえ、キツかったけれど、飽きなかった。ひかりを目指して、来る日も来る日もバカみたいに走り続けることができた。砂まみれになると(ときどき1メートルくらい堆積するのだ。強風の翌日は)それを作業員の皆さんがきれいにしてくれる。月に一回行われる草レースは皆がボランティア。本当に頭が下がる。彼らが居てくれなかったら、僕はどうにもならなかったと思う。
 近所をバカみたいに全速力で走っていたのがふた月ほど。身の危険を感じて、マラソンコースに出たのが9月の終わり。そして10月に初めて草レース10キロに出て、12月には自主的にフルマラソンを走った。そして本番で、その記録を約30分短縮した。振り返ると完全にイカれてると思う。詳細な記録を取り始めてから、僕は1932キロ走っていた。平均してひと月300キロを超える。バカだ。でもあのコースがなければ、それは絶対に出来なかった。海に風に富士山に人々に。僕はいつも無言の励ましを受けていた。

 さぁ、マラソンコースと海にお礼を云いに行こう。ランニングタイツははかない。ストレッチもしない。時間も気にしない。今日くらい許してもらおう。ゆっくりゆっくり走ろう。階段落ち - フルマラソン - ライヴ。かなり無茶な日々を乗り切った肉体はボロボロで、筋肉痛、打撲痛もここまで相まると、意味不明。でも、走ることは僕のともだちだ。決して裏切らない、大切な僕のともだちだ。戦闘的に走らないことは、こんなに愉しいことなのか。身体が風を感じる。昨日も書いたけれど、空が広い。僕は海にたどり着いて、こころからの感謝を伝えた。本当にありがとう。僕を育ててくれて、ありがとう、と。

 走り終えた僕の雑感。人は誰でもその気になれば、42,195キロを走ることは出来る。6時間でいいのなら、ふた月もあれば出来るだろう。4時間を切るとなると、かなりの覚悟と練習が必要になる。このレベルはランナーの15%。3時間を切るとなると、ある程度仕事を放棄して、年単位の時間をかけて、真剣に取り組まなければ無理だ。例えば、僕がそれを目指すとするなら、多分一年半はかかるだろう。ここに至るとランナーのわずか1%。3時間を切ったものがアスリートと呼ばれ、4時間を切ったものがランナー。それ以外はジョガーだと。走り終えたら、今後の目標がぼんやりと見えてくるだろう、と思っていた。けれど、かなりの達成感があるだけで、それは未だに見えてはいない。さぁ、一年半後に3時間を切るぜ。そんな風にも燃えてこない。ただ、走り終えたその日だけは、自分が好きになった。とりあえずは少し太りたい。筋肉と骨だけの自分はあまり好きじゃない。でも、走ることは僕のともだち。多分、一生の。足が動く限り、世界中のいろんな街を走り続けるだろう。そんな気持ちと身体を手に入れたことだけは、素直に嬉しい。

 とりあえず、今度ハーフのレースに出るんだけど、怖い。そう考えている人たちのサポートに廻ってみようと思う。ヨシミと一緒に走る愉しさを伝える側に廻って、そしてこれからの事を考えようと思う。本当にありがとう。

 どうにもならない悩みを抱えている人は、靴を買って(お願いね!!!)、ゆっくりゆっくり風を感じて走ってみてください。自分を追い込む必要なんてないです。ゆっくり、ゆっくりで自分が愉しいと感じるペースで。続けているうちに、地球はいろんなネガティヴな感情をアースしてくれます。そして身体が元気になっていくにしたがって、心にも張りが出てきます。走っていないと、気持ち悪くなってきます。太っている人は確実に痩せます。ご飯が美味しくなります。って、何処が「rock'n roll diary」やねん、と自分で書いていて思うけど、sex, drug & rock'n rollの時代は終りました。だからと云って、僕も健康のために走っているのではないけどね。いい作品を作るために、いいライヴをやるために、一番必要なものは「体力」なのです。それは本当です。

by 山口 洋  

分かれば分かるほど、何も分からなくなる。

2010/03/30, 14:15 | 固定リンク

3月30日 火曜日 曇り 

 分かれば分かるほど、何も分からなくなってしまった。これ以上に今の気持ちを表現できる言葉はない。何だか、不思議だけれど、いつもより空が広く見える。何も変わってないはずなのにね。多分、変わったのは自分の方なのかな。月がとってもきれいだったよ。桜が咲き始め、少し苦手な季節が今年もやってくる。久しぶりにバーに出かけて、アイリッシュを飲んだ。カウンターには男どもが居て、一席ごとにスペースが空いていて、無駄なことは喋らない。そして、その隙間を埋めるように、アナログ盤のペンタングルが流れていた。左のスピーカーからバート・ヤンシュ、右からジョン・レンボーンのギターが。ははぁ。僕はその中間に位置してるのか。分からないことはない。このアルバムは実は魚さんのもので、15年前に、彼の家で流れていて、あまりの素晴らしさに「くれ」と頼んで、もらったものだ。あり得ないけど、彼はそれを誕生日に僕にくれた。中には「英国盤だよ、大事にしてね」とメッセージが入っている。家にあるより、ここでときどき誰かの耳に触れる。その方が有意義だと思ったから、ずっと預けてある。そして、マスターが忘れた頃にかけてくれる。アナログ盤はかければかけるほど、音が良くなる。それはコンパッションだと、僕は思う。人と人の隙間。音と音の間。その隙間に未来の映像が浮かぶ。そんな日々を送らなければ。
 家はマラソンの残骸と、ライヴの残像で、無惨なことになっていた。みんな朽ちていけばいいのだ。モノは何も満たしてはくれない。貧しくても清ければ、それでいい。柔らかな心があれば、それでいい。ヴァーモントからの国際電話でうつつの世界から帰還し、しばらく話した。「僕は世界と剥離してしまったんだ」と伝えたら、「大丈夫だ。オレはもっと剥離してる」と。永久凍土はどんなぬくもりも拒否する。そこにはマンモスの牙が眠っている。そこからDNAを採取して、マンモスを蘇らせるようなことは止めた方がいい。ずっと、ずっと眠らせておけばいい。朽ちることより、遥かにドリーミーだよ。アーメン。

by 山口 洋  

吉祥寺にて。ツアー最終日。

2010/03/29, 06:21 | 固定リンク

3月29日 月曜日 曇り 

 東京。吉祥寺。楽しんでくれたかな?忙しい中、来てくれて、ありがとう。

 ツアーは今日で終了しました。本当にありがとう。フルマラソンを走って、ライヴをやって、そして眠れずに朝になりました。

 魚先生が居てくれて良かった。いつものように根拠はなかった。彼とツアーをしよう。直感がそう云った。笑わないで聞いて欲しいのだけれど、僕は空気の粒子が見えるようになってしまった。ひかりの粒もときどき見える。情熱を持てないことに、まったく夢中になれなくなり、分かれば分かるほど、何も分からなくなってしまった。道に迷ったなんてことではない。何も迷ってはいない。ただ、分かれば分かるほど、何も分からなくなったのだ。禅問答みたいでごめんね。でも、それが僕の実感。
 誤解のないように伝えておくと、僕は薬物を摂取しないし、ベジタリアンでもないし、特定の宗教を信仰してもいない。ただ、この一年の間に、何度もスピリチュアルな体験(この言葉遣いは好きじゃないけど、そうとしか書きようがない)をして、自分の価値観は大きく変化した。例えば、実態は不明だけれど、何度も音楽の神としか表現しようのないものに出会った。ついでに書くなら哀しみの神ってものも存在していた。時空をねじ曲げてしまうほどの、圧倒的な哀しみがこの世にはあることを知った。そして、走っているときに確かに「ひかり」を観た。出会ってしまったものは仕方がない。宇宙と繋がっていると云う確かな感覚もある。根拠はない。確かな感覚があるだけで。同時に世界と自分が「剥離」していくのも感じていた。決して孤立しているとは思わないけれど、剥がれているものは剥がれている。世界と折り合いをつける方法は「ひかり」しかなかった。安易にこの言葉は使えないけれど、それは「希望」と云う文字に置き換えてもいいかと思う。
 若い頃、圧倒的な「生への執着」があったはずなのだが、気がつくと、それもない。心配ご無用。僕は自ら命を絶ったりしない。「何が何でも生きてやる」みたいな部分がなくなっただけの話。だからと云って何も諦めてはいない。繰り返すけど、魚先生が居てくれて良かった。道中、彼とそんな話をした訳でもない。二人は無口だ。空白の時間が沢山ある。でも、それがまったく苦痛じゃない。彼がどう思ってるか知らないけど。ただ、音楽を通じて、ああ、この人には伝わってるわ。僕はそう感じたのだ。で、当然うまく行く日も行かない日もあるんだけれど、このようなコントロール不能な感情を中空に創造力を使って、風景にする。最初は雑念まみれ。僕らはニンゲンだからね。でも、スポッと音がして、はまるべきところに感情が収まったら、後は何も考えない。勝手に身体が動き、言葉がうなぎのように出てくる。そしてふたつのエネルギーは渦になり、ちびくろさんぼの最後のシーンみたいに、何が始まりで終わりなのか、どっちがどの音を出してるのか、やってる自分たちでさえ分からなくなる。ナルシズムじゃない。エネルギーを発しているのは自分たちだけれど、その実「無」なのだ。鉱石ラジオみたいなもので、電波をキャッチして、それを民に伝えるイタコのような感覚。

 今日は前置きが多くてすまんね。どうしてって、この手の話は誤解を産みやすい。その誤解はひどくやっかいなものになることがあるから。エクスキューズや、責任逃れのインフォームド・コンセントではなくて、ちょっと前に記したように、この一週間は自分にとって、大きなターニングポイントになると思っていたから、それを自分のためにも記しておきたいし、ひょっとしてこのような感覚を持っていて、誰にも話せず、苦しんでいる人が居るかもしれない。それは決して共有できる類いのものではないから、ややこしいんだけどね。先日ディランを観たとき、この瞳の深さは、圧倒的な孤独によって培われたに違いない、と僕は思ったから。

 僕らは「幼稚な時代」に生きていると思う。哀しいくらいに。別に僕が崇高だと云いたい訳じゃない。でも、例えば、テレビを観て、そう思わないかい?僕は耐えられない。僕には「耳」がある。耳の聞こえない人のために「字幕」は必要だと思う。でも、バラエティー番組に「字幕」は必要かな?過多だよ。吐きそうだ。僕らの時代は享受することに慣れすぎている。説明されることに慣れすぎている。他人と繋がることを求めすぎている。でも、それは何も繋がってはいないよ。ちょっと待ってくれ。僕は考えたい。考えさせてくれ。とにかく世界はうるさい。エンターテイメントも同じ。この世界を生きていると、弁当箱にぎゅうぎゅうに詰められたご飯粒を更に無理に詰め込まれているような息苦しさがある。ふくよかに、隙間をあけて盛ってくれ。苦しい。違う国に出てみようと思う。世界じゅうそうだったら、本当に嫌だけれど。そうじゃないことを祈りたい。

 息苦しいとき、走ってその感情をアースする。惑星は偉大だよ。それを受け取ってくれる。昨日42.195キロを走った疲労は確かにあった。けれど、それよりもアースされた感覚の方が大きくて、僕は元気だった。さぁ、朝陽がもうすぐ昇ってくる。しばらく旅に出ようか、とも思う。あてもなく。

img10030031_1img10030031_2img10030031_3
by 山口 洋  

たまには自分を褒めてやろう。3時間42分19秒で完走。

2010/03/29, 00:43 | 固定リンク

3月28日 日曜日 雲り 

 ただ、ただ寒かった。筋肉が硬直していた。でもやるしかない。僕の身体が何処まで持つかは不明。ダメなら完璧に壊れる前に棄権しよう。ただ、壊れないのなら、絶対にギブアップはしない。そう決めた。勝手にだけれど、僕はいろんなことを背負っていた。僕が出来るのは、死力を尽くして、目標を達成することだけ。
 一体何度あったのだろう?多分5度くらいだと思うけれど、風と相まって体感気温は限りなく0度に近かった。陸上競技場には総勢2万人の人々が居て、トイレに行くのもままならない。けれどスタートラインに立つ頃には不思議と冷静だった。おまえがやってきたことは間違っていない。ならば、それを存分に発揮するだけだ。イチ市民ランナーとして。オマエは凡庸な男。でも、積み重ねてきた努力は尊重されるべきだ。ただ、それだけだ。

 号砲が鳴った。スタートラインを越えるまでに、ひしめき合う人々で時間がかかる。越えた瞬間に自分の時計をオンにした。ここからは自分との闘いだ。この大会をバックアップしている小出監督がマイクを握って励ましている。何だか、おかしなところに来てしまったなぁ、と思う。僕が立てた作戦は、身体の調子も加味して、キロ5分20秒のラップをとことん貫くと云うものだった。僕は4分50秒で走り続けることが出来る。練習では。身体の調子がどんなに悪くても、30秒のマージンがあれば、それで最後まで行けるだろう、と云う作戦だった。そのまま走り続ければ、ゴールのタイムは3時間45分になる。それでも、この状態の僕には奇跡的なタイムだ。でも、それを目指そう。
 ところがどっこい。マラソン人気で、すごい人の数。まったく前に進まない。最初の一キロのラップは6分20秒。これじゃ4時間を切るのは夢のまた夢。でも、焦るな。お前にはチャンスが来る。必ず。自分で云うのも何だが、僕とヨシミは正直な人間なので、スタートラインに着くときに、フルを4時間のところに並んでしまった。この大会にはペースランナーが居る。彼らに着いていけば必ず4時間が切れますちゅーランナーが8人も居たのだ。彼らが結果的に渋滞を巻き起こしていた。つまり彼らの前を走らなければ、4時間を切れないと云うことでもある。8キロあたりでその原因を突き止め、二度と彼らに会わないように、抜いてから、レースは随分楽になった。そして、そのあたりで、ヨシミも見失った。何度も振り返ったけれど、奴は見えない。後は奴の健闘を祈るしかない。
 15キロまでは快調に走れた。4分台を記録し始めた。愉しかった。でも寒い。走っても走っても、身体が暖まらない。指先から凍るように筋肉が麻痺していく。そして、16キロあたりでとんでもない坂がやってきた。ま、まじすか。こんなん登ったら死ぬぜ。リカバーするのに2キロを費やした。僕は身体にこれ以上落ちたらお前は終わりだっちゅーラップタイムを記していた。このあたりで、ようやく自分の「最低」ラインまで巻き返した。でも、キツい。こりゃ、とんでもない闘いだ。理由は寒さと風。それに尽きる。 
 何のためにこんなバカなことをやっているのか、その理由はここには記さない。ただ、身体とゼッケンには記した。求められていなくても、僕はそこに向かって走る。絶対に諦めない。僕にはそれしか出来ないから。
 それにしても、沿道の声援には何度か涙が出た。人はときどき、どうしてこんなに優しいのだろうと思う。彼らが発する「がんばれー」と云う、普段はまったく反応しない言葉にどれだけ僕は励まされたことだろう。思い返せば、ゼッケンの交換所に居た少女はどう観ても中学生だった。「がんばってくださいね」と云われ、「ありがとう」と云うしかなかった。おばあさんがランナーのために、コップに水を注いでいる。一瞬の一期一会。でも、言葉は「ありがとう」しかない。本当にありがとう。その無数の一期一会に僕は励まされたながら走った。
 25キロを過ぎたあたりで、ふとももが完全におかしくなってきた。こんなことは今までに一度もなかった。階段落ちで打撲した場所が繋がっていって、この状態になっているとしか思えなかった。もうダメだ、と何度も思った。足が云うことを聞かない。つらないことだけが奇蹟なだけで、それがいつ起こるともしれない恐怖しかなかった。それでも、僕のラップタイムは落ちなかった。ひとえに根性だと思う。そして希望だと思う。それさえあれば、人は頑張れる。落ちないラップを時計で観たとき、僕は自分を信じようと思った。お前はあれだけの練習を積んできたはずだ。だから、絶対に大丈夫だ。怖がって、ラップを落とすな。行けるところまで行け。後はどうにかなるはずだ。
 そこからはほぼ地獄だった。周囲に足がつるランナーが増え始め、僕はどんどん追い抜き始めた。抜く時に表情を観ると、僕より辛そうな顔をしている。そっか、みんな辛いんだ。僕も地獄だけれど、そこからはゴボウ抜きショーだった。行けるところまで行け。この辛さはあと一時間で終わりだ。でも、全力を尽くさなかったら、お前が後悔するだけだ。40キロまでラップは落ちなかった。ほぼ奇跡的だと思う。最後の一キロ。陸上競技場が目に入った。同時に、僕をマラソンに導いてくれた、とんでもなく速いS君の後ろ姿も。嘘だろ、と思った。彼と何度レースに出ても、瞬時にして視界から消えていく彼が居る。最後の力を振り絞って、猛然と走った。最後の坂で追いついた。そして抜いた。でも彼も追いかけてくる。これは誰かとの闘いではない。闘っているのは自分だ。トラックに入って、僕らは一緒にゴールした。ネットタイム(自分がスタートラインを通過してゴールするまでのタイム)3時間42分19秒。やりきったぜ。ゴールしてから、もう歩けなかった。こんな平凡なタイムでも、もう歩けなかった。でも、僕は死力を尽くした。目標を達成した。自分の努力と周囲の協力と励ましのおかげで。ところで、ヨシミが帰ってこない。奴が4時間を切れなければ、僕の喜びも半減だ。3時間49分。奴は帰ってきた。良かったな、お前。こうして男たちの闘いは終わった。

 sion氏の歌に「たまには自分を褒めてやろう」ってのがある。僕は40キロから、感動だか、何だか、訳の分からない涙でぐしょぐしょになって走っていた。ここ一年で自分が経験したこととか、人生をゼロからやり直すこととか、エトセトラ。その最終関門に4時間を切ることを自分で設定したのだった。僕は自分が好きになった。今日だけはお前を褒めてやる。それは胸を張って云える。お前は良く頑張った。それも胸を張って云える。そしてお前は一人では生きていない。それだけで充分じゃないか。本当にありがとう。明日はライヴ。音楽に全力を尽くします。是非、来てね。みんな心配かけてゴメンネ。

 写真はゴール直後の灰になった、ヨシミと僕。

img10030030_1img10030030_2img10030030_3
by 山口 洋  

不安

2010/03/27, 23:24 | 固定リンク

3月27日 土曜日 曇り 

 心の中には「不安」しかなかった。こんな身体で走れるのか。まっすぐ歩くことさえ困難な僕が。無様な姿をさらしたどうしよう。僕は明日、近所のヨシミ(36)と初めてのフルマラソンに参戦する。ツアーの宿なんて自分で取ったことはない。海外でもそれは同じ。でも、今回はエントリーと同時に、でっかい部屋をブックしたのは僕。
 ヨシミが家に来るまで、僕は普段着でJOGをしてみた。うーん、微妙。階段落ちで痛めた数カ所が、走りに絶大な影響を及ぼしている。どうにもならん。実のところ、フルマラソンを3時間30分で走れる練習をしてきたし、その自信もあった。何故なら3時間を切るメニューをこなしていたからだ。でも、この身体じゃどうにもならない。考え得る治療は全部やった。でも、一番効いたのは「ロキソニンバップ」で、それは島根に住んでいるガンを患った友人が、命を賭けて、僕のために岡山まで運んでくれたものだった。ロキソニンは処方箋がなければ手に入れられない。奴は自分の疼痛を押さえるための薬を僕にくれたのだった。金本。お前の魂を僕の身体に貼ったぜ。そして僕は全力を尽くす。お前のためにもな。
 ボロボロの身体に温泉は効いた。とにも、かくにも。なるようにしかならん。逃げるのだけは嫌だ。身体が云うことを聞かなかったら、壊れる前に棄権するしかない。たかがマラソン。でも悲壮と云えば、そのままだった。とにかく寝よう。だだっ広い部屋にはヨシミのイビキがこだましていた。

by 山口 洋  

68歳、我が道を往く。

2010/03/26, 01:27 | 固定リンク

3月26日 金曜日 曇り 

 学校では何も学べないことを学んだ。その代わり、ディランは僕の先生だった。「俺の後をついてくるな」と云うタイプの。歌はどうやって書けばいいのか、どうやって時代と向き合えばいいのか。どうやって転がり続ければいいのか。果ては僕の人生に絶大な影響を与えたネイティヴ・アメリカンのローリング・サンダーに繋がる道まで。ミュージシャンにとって大切なことは、すべて彼から「勝手に」学んだ。高校生の時分に、5分の歌が持つ計り知れない可能性を教えられたことは、その後の人生に決定的な影響を与えた。
 本当の事を云えば、今回の来日はパスしようと思っていた。レース前だし、ツアー中だし、会場はあまり好きではないし、もちろん買えないことはないが、ディラン先生にしてはチケットが高過ぎる。彼がこんな法外な値段を望んでいるとは到底思えないし。何だか釈然としなかった。で、俺は階段から落ちた。到底スタンディングの2時間に耐えられる身体ではない。でも、友人たちが用意してくれたのだった。二階席の一番前の席を。座りなら、何とかなるかもしれん。行ってみるか。
 「転がり続ける」とか「変化し続ける」とか「ネヴァー・エンディング」とか、エトセトラ。云うのは簡単。でも、それを68の齢まで「実践」できる人間が一体どれほど居るんだろう?正規にリリースされた彼の作品は多分、全部持っている。音楽がスポンテニアスなものであることくらい、身を以て知ってもいる。だがしかし。アレンジと云うより、彼の歌い回しは長い時を経て、殆ど原型をとどめておらず、曲によっては、終ったあと、「あぁ、あの曲だったのか」と理解できる有様。しばらく観ない間に、彼はギターではなく、何故かオルガンがいたくお気に入りのようで、彼が弾いていなかったら、殆ど許し難いようなフレーズを、最初から最後までレズリーを高速で回しっぱなしのまま、弾きながら歌うと云う暴挙(失礼、「光景」にしとこう)。1曲だけ、ギターを抱えて歌ってくれたが、何だかあまり似合っておらず、一体この人は何処まで変わり続ければ気が済むんだと、開いた口が塞がらなかった。な、何故にオルガンなのだ。機会があったら聞いてみたいが、きっと彼は「この楽器は魔法のような音がするのだ」とか云うんだろう。
 でも、実際のところ、自分がどう感じていたかと云えば、かつて経験したことのない奇妙な感動を覚えていた。殆ど死滅してしまったパンクロッカーよりも、彼の方がよっぽどパンクだと思ったのだ。その態度が、精神が、今、この時代を生きることが。アンコールになって、「タン」と云うスネア一発と共に「like a rolling stone」が始まって、無条件降伏。涙腺決壊。僕はノスタルジーに浸っていたのではない。「how does it feel? / to be without a home / with no direction home / like a complete unknown / like a rolling stone」。この脳髄まで刷り込まれた言葉が、2010年の歌として、言霊と共に心臓を撃ち抜いたのだった。訳するまでもなく、その言葉は今の僕にとって、順接、逆説、両方のひかり、そのものだった。随分前、渋谷公会堂で亡くなったどんと氏と一緒に、彼がこの歌を歌うのを聞いたことがある。その時はピンと来なかったのだけれど。この1曲だけで、充分に心を持っていかれたのだが、続いて始まった曲は聞いた事のないものだった。だがしかし。サビに来て分かった。それは「blowin' in the wind」だった。「友達よ、答えは風に舞っている」。確かに僕には日本語でそう聞こえた。参りました。降伏します。彼は確信がなければ、アンコールでファンサービスなんてしないだろう。つまり、それは彼からのメッセージだと受け取った。書かれてから、どれだけの時間が経過しても、それは有効なものだった。つまりはニンゲンの本質を描いていると云うことだ。アンコールのメンバー紹介を除いて、彼は一言も発しなかった。「サンキュー」さえ云わなかった。その潔さに打たれた。何だか、とんでもないエネルギーをもらった気がする。自分がやらなきゃいけないことを、徹頭徹尾、我が道を往く68歳から教えてもらった気がする。ありがとう。座ってるのも辛かったけれど、僕は自分の道を往きます。

by 山口 洋  

初恋の人からの手紙

2010/03/25, 19:04 | 固定リンク

3月25日 木曜日 雨 

 みなさんに心配かけてすいません。本当にびっくりするくらいの、沢山のメール、電話、メッセージをありがとう。むっちゃ痛いっすけど、生きてますんで、ご安心を。

 ところで、31年前の初恋の人から手紙が来ました。ウソです。ベッドで唸ってる僕に、知人が「これ、面白いからやってみたらと」「初恋の人からの手紙」ちゅーサイトをメールで教えてくれました。簡単な情報を入力すると、その手紙が表示されます。内容があんまりおかしかったから、載せておきます。笑うと痛いっちゅーに。文中の( )は僕の突っ込みです。

---------------------------------------------
ひろし、ひさしぶり。
今でもデートのたびに水筒を持っていますか?(持ってねーよ) 当時、おばちゃんみたいだったひろしをなつかしく思います。(おばちゃんって、どういう意味だよ)

少し上からものを言うひろしが「スタイルだけは一流だな」などと失言してお別れすることになったあの日から、もう31年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。(そんなこと云った気がする)

あ、そうそう、お手紙を書いたのには特に理由はないんです。ただ部屋の掃除をしていたらひろしからの昔の手紙が出てきたから、なつかしくなって。びっくりさせてごめんなさい。

思い返してみると、いつも恋愛の主導権を握っているのはひろしのほうでしたね。何を言っても言いくるめられたし、いつも夜に電話して泣かされていたから、寂しくて5人ぐらいキープをつくっていたような記憶があります。そういえば何を勘違いしたのか「おまえにはおれがいないとダメなんだよな」なんて言っていましたね。それを伝え聞いた学校の女子全員が爆笑していたのを覚えています。(うっ)

そういえば私にとっては9人目の彼氏でも、ひろしにとっては初恋の相手なんですよね!今思い出した。そうそう、最初のころのひろしは「元カノからまだ連絡がくる。めんどくさい」なんて嘘ばっかり言ってて(笑)。妄想もそこまでいくかとこっちが恥ずかしくなったものです。(見かけよりウブなんだよ、俺は)

まだ付き合いはじめでラブラブだったころ、ひろしは「おれは10人ぐらいと付き合った後に、おまえと結婚してやってもいいよ」と言ってくれましたね。人間性もどうかと思いますし、あのころは「ひろしが10人と付き合えるのっていつだろうか」と不安になりましたが、その後どうですか?(ほっといてくれ)

恋愛を総合的に考えれば、私はひろしと付き合えたことを、とても感謝しています。つらいことをつらいと思わなくなったのも、イライラをうまく忘れられるようになったのも、ひろしのおかげです。(そうか、そりゃ良かった。でも、つまり、俺は滑走路ってことか?)

いろいろ書きましたが、私はひろしのことがそれでも好きでした。これからもひろしらしくいられるよう、そしてたまにはスーパー以外で洋服を買って(笑)、幸せをふりまいてください。(スーパーで洋服なんか買わねーよ。山の家に行ったときに、周囲に溶け込むために、全身「しまむら」にするけど)

またいつか会いましょう。では。(君こそ、おばさんになってないことを祈るぜ)

P.S. まだバク転の練習はしていますか?(身体固くてできないつーの)

---------------------------------------------------

 写真は昨夜の事後現場です。この程度の階段でも、こんなことになりますからね。みんなも気をつけて。もちろんライヴはちゃんとやるから、是非きてください。以上、現場から東海林がお届けしました。

img10030027_1img10030027_2
by 山口 洋  

全裸階段落ち

2010/03/24, 23:43 | 固定リンク

3月24日 水曜日 雨 

 雨の日は走ってはいけない。そのことで、ひどく叱られたことがある。

 レース4日前。最後の刺激を筋肉に入れる必要があった。10キロのJOGと5キロのレースペース走。練習自体は大したことないのだが、いかんせん雨は止まなかった。天気予報によるとレース当日も雨の可能性あり。ならば、それを体験するっちゅー意味でもやっておくか、と。5キロを26分30秒で走ればよかったが、今日は23分40秒。それでもまだ余裕はたっぷりあった。これにて、本当に長くてキツかった練習も終わり。後は食事と軽いJOGで体調を整えるだけ。全部やったぜ、やりきったぜ。充実した気持ちで帰ってきた。
 身体が冷えきっていた。っていうか、ツアーで疲れてもいた。ストレッチを終えて、風呂に入っていつものようにマッサージをした。ところで、ツアー暮らしの間に、ボディーシャンプーだの、何だかんだ。切らしていた。補充するものは階段のところに置いていた。仕事場の風呂は二階にある。
 あー、面倒くさい。と濡れた身体のまま、全裸(すいません)でそれを取りに行った。急いでいたのが災いしたんだろう。階段の一歩目で完全に足を滑らせた。身体が信じられないくらい宙に浮いたところまでは覚えている。そのまま頭から落下して強打。受け身も取れないまま、衝撃で気絶。どれくらい経過したのか不明だけれど、呼吸困難で気がついた。下まで落ちてくる間に背中を強打したらしく、呼吸が出来ず苦しい。「うーん、オレは階段から落ちて、全裸で死んだとこ、発見されんのか、そんな人生嫌じゃ」と思ったものの、身動きできず。そのままじっとやり過ごして、呼吸が回復するのを待った。苦しい。視界が暗い。良く見えない。相当頭打ってるなこりゃ。階段から落ちたくらいで、こりゃ大変なことになったわい。まずは救急車呼ばなきゃ。でも全裸じゃん、俺。とにかく身動きできないので、じっとしていた。30分くらいして、視界も呼吸もマシになった。どうにかソファーまでたどり着いて身体をチェックした。骨は折れていない。折れたらこんなものじゃない。でも、足の裏と臀部、背中の打撲が特にひどい。とりあえず、ロキソニンを貼って明日まで様子をみよう。つーか、ロキソニンを貼る行為ですら、苦行だった。でも、受け入れよう。起きてしまったことは仕方がない。
 「いてー」とソファーで苦しんでいたら、沖縄のおばあから電話があった。まただ。当たり前だが、この事実は俺しか知らない。「云っただろ。雨の日に走るなって。お前は疲れきってるんだよ。今度はこんなことじゃ済まないよ」。彼女は何も云わずともお見通しだった。

 レースまで、これだけ努力を重ねてきてオチがこれかい。と笑うしかないのだが、とにかく目の前の出来ることに全力を尽くそうと思う。とりあえず、寝てみよう。な訳で生きてますんで、どうぞご心配なく。みんなも家の中だって、こんなことがあるから気をつけて。特に一人で住んでる人はね。誰も助けに来ないって、こういうことかって、身にしみたよ。

 今は全裸じゃありません。念のため。

by 山口 洋  

2700キロとプロの仕事

2010/03/23, 02:24 | 固定リンク

3月23日 火曜日 曇り 

 魚さんとのツアー、現在走行距離2700キロ。最終的には3000キロを超えるだろう。
 
 今日はいくつかのプロの仕事に感嘆した。ヤイリギターはもう僕のギターの修理を完了してくれていた。素晴らしい。僕らはこのようなクラフトマン魂に支えられて、ツアーを続けることが出来るのです。本当にありがとう。このところの全てのアルバムに彼らの名前がクレジットされているのは、そのプロの仕事に敬意を払いたいからです。

img10030025_1img10030025_2img10030025_3
by 山口 洋  

白銀と茶色の世界

2010/03/22, 02:17 | 固定リンク

3月22日 日曜日 曇り 

 魚先生は本日「hosomiの世界」なる単独公演中。ならば、行くべ。雪山へ。あ、その前に走んなきゃね。居合わせたマラソン部員に、走る愉しさを伝えた。いつの間に僕はそんな身分になったのか。素人だっちゅーに。でも、出来ることなら、同じ怪我や失敗はして欲しくない。ただ、それだけ。あれだけお願いしたにも関わらず、合わない靴を履いて、爪が死んでしまった輩、一名。沢山の人から「走ってます」と連絡があります。あの。最後のお願いです。靴だけは店員さんに相談して、適したものを買ってください。決して見た目で選ばないでください。じゃないと、僕みたいに爪を失うことになります。
 一人、雪が溶けかけたスキー場に行った。山頂近くはアイスバーン、麓はドロドロの雪。コンディションは最悪。随分忘れてたなぁ。思うようには全く滑れなかった。でも、この感覚は何ものにも変え難い。

img10030024_1img10030024_2img10030024_3
by 山口 洋  

route 4 revisited、宮城県白石市にて

2010/03/21, 02:05 | 固定リンク

3月21日 土曜日 曇り 

 何度も何度も一人で種を蒔いた場所に、ようやくバンドの誰かと行くことができるのは無上の喜びでもある。そんな簡単なこと、と思うかもしれないけど、実はそんなに簡単でもない。ミュージシャンなんて、しょーもないライヴを一回やってしまったら、それで終わり。長年に渡って共に音を紡いできた誰かが加わると、どうなるか。1+1=2ではない。ひとつひとつの音の雫から、どっちが音を出しているのかもはや不明なカオスまで。音楽は自由で無限で永遠だと、このごろ思う。楽しんでくれたかな?
 魚先生との演奏はどちらかと云うと広い場所が適している。風景を描くためのキャンパスが広い方が、そりゃ楽に決まってる。けれど、ここは決して広くない場所にギュウギュウにオーディンスが居てくれる。だから、目を閉じて、ぐっと集中する。すると、その狭さが広く見えてくる。ほんとだよ。僕らはまたひとつ可能性を掴むことができた。嵐の中、足を運んでくれて、本当にありがとう。
 最後の曲で、僕の大事なヤイリギターがウンともスンとも云わなくなった。さすがに酷使に耐えられなくなったのか。8年だもんな。早速、ヤイリ病院行き。元気になって、吉祥寺のライヴまでに帰ってきてくれよ。

img10030023_1img10030023_2img10030023_3
by 山口 洋  

heart of Chiba、千葉市にて

2010/03/20, 04:59 | 固定リンク

3月20日 土曜日 晴れ 

 何を隠そう。九州から上京して、初めて住んだ場所は千葉だった。だから、ここには酸いも甘いも、青春の思い出がある。

 僕がこのハコにやってくるのは、スタッフが音楽への愛に満ちているからだ。本当だよ。彼らは「当たり前のことをやっているだけです」と云うが、それが出来ない場所が殆どだ。会場に着く。スタッフが一気に階段を駆け上ってきて、あっと云う間に搬入は終了。全てのスピーカーのチューニングは到着前に完了している。去年の僕のセッティングはすべて覚えていてくれて、必要なものは云わずとも準備されている。若いPAエンジニアは去年より更に音を操れるようになり、不快な成分はまったくない。つまり、僕らは音楽に没入できるのだ。素晴らしいと思う。このような態度で真摯に音楽に向かっているなら、きっといいミュージシャンが巣だっていくだろう。このハコは普段忘れがちな「原点」を今一度思い返させてくれる。いつまでも初々しくあること。終演後、新しく入った19歳のスタッフ(女子)が僕のところにやってきて、「音楽で生きていくって、どういうことなんですか?」と云う質問をした。その目は不安と希望に溢れていたけれど、船出前の航海士のような凛々しさをたたえてもいた。目の前にでっかい海があるのなら、怖れず勇気を持って漕ぎ出しなさい。僕はあの気持ちを忘れたくない。ありがとう。

 今日はレコーディングをした。ツアーを続けているうちに、これは記録しておかねば、と思った。それならば、このようなハコがいい。うまく行くかどうか不明だけれど、ただのライヴ盤じゃない。今の時代を生きる人々のためのサウンドトラックのような作品。簡単に云うなら、曲間がまるでなく、ライヴを素材としてリミックスしたような、延々と連綿と続く「おわらない」音楽。音響系でもロックンロールでもなく、2010年にしか産まれない作品。そのようなアイデアが魚先生とツアーしているうちに浮かんできたのだ。いちいちスタジオに入って録音することはない。ライヴでのパフォーマンスを編集することによって、何処にもない作品が作れそうな予感がしたのだ。前述のエンジニアのおかげで、僕は歌うことに集中できた。つまらんギャグで空気を台無しにもしたが、僕らは本当に音を奏でていることが子供のように愉しかった。本当にありがとう。楽しんでくれたかな?

 唯一、僕の親族の中で、僕のことを「おじさん」と呼ぶ青年がやってきてくれた。僕も彼も親族の中ではアウトローだ。僕とは違う道で(空手なんだけどね)前を向いて生きる彼が、終演後に、「何だか完全にリフレッシュして、力が湧いてきました」。そう云ってくれたのが本当に嬉しかった。武藤曜。君は何も間違っていない。今までも、そしてこれからも。自分の人生は君の力で切り拓いてくれ。

 終演後、僕と魚先生は宮城県を目指した。約400キロ。正直しんどい。でも、明日いい音を響かせるためには、今日移動する必要があった。魚先生は無口だけれど、突如名言を吐く。「ひかりを探してちゃダメなんじゃない。ひかりの真ん中に居なきゃ」。そうなんだよ、オレもそう思う。多分、今週末から来週にかけて、僕はそれを必ず手に入れると思う。もう誰が何と云おうと、気にしない。それだけの経験はこの一年の間に積んできた気がする。僕のバンドのメンツは(昨日はリズム隊の演奏を客として観ていたんだけど)タダ者じゃない。財産だと思う。カネでは買えないのだ。この人間関係と才能は。猛然と、でもしたたかに突き進みたい。心からありがとう。何にって、全てに。

img10030022_1img10030022_2img10030022_3
by 山口 洋  

とりとめもなく

2010/03/19, 02:58 | 固定リンク

3月19日 金曜日 晴れ 

 頭の中にいろんなことがグルングルンに渦巻いてる。とりとめもなくなると思うけど、どうかご容赦のほど。

 レースまで10日を切って、最後にやるべきか、やらざるべきか、ハムレットもどきの心境になる恐ろしいトレーニングがあった。その名を「ダウンヒル走」と云って、理想的には、10キロくらいの連続した下り坂を、箱根駅伝の復路よろしく「全速力」で駆け下りる。それによって、切れかけていた筋繊維がほぼ壊れる。しかし、これからの日々、殆ど休息か、軽いジョグしかしないことによって、壊れた筋肉は「超回復」と云うプロセスに至り、本番での30キロ過ぎに「足に来て」走れなくなるポイントが後ろに伸びる、と云うもの。
 ツアー前の強風の中での、無茶な30キロ走の後遺症が未だ抜けず、両膝に痛みを抱えたままだった。やるべきか、やらざるべきか。珍しく悩んだ。やるなら今日しかない。でも、どう考えても、後悔するのだけは嫌だった。やるべきことは全部やった。それでダメなら諦めもつく。残念ながら、近所に10キロの坂なんてない。調べると、150メートルを全速力で30本。同じ効果があるらしい。同じ目標を持ってレースに出場する、近所のヨシミにも電話でそれを伝えた。ただし、奴は僕より遥かに体重が重いし、壊れたら困るので、100メートルを20本に過小申告しておいたけど。
 短距離の全速力に、坂によるスピードが加わると、かなり恐ろしい世界になる。自分がこんなに速いのをかつて見たことがない。これ、足を踏み外したら、くじいて終わりだな、みたいな。車が飛び出してきたら、とてもじゃないけど避けられずに、吹っ飛ばされて終わりだな、みたいな。通り過ぎる人々が異様な目つきで僕を眺める。そりゃそうだよね。坂をこんなテンションで降りてくる奴なんて居ないし。20本を超える頃、臀部と太ももがおかしくなってきた。でも、それはふくらはぎではないので、よりでかい筋肉を使っている証拠でもあった。とにかく、怪我もなく「ダウンヒル走」をやり終えた。今までに感じたことのない種類の足の疲労が残った。ままよ、やるべきことは全てやった。これで心おきなくツアーに出られる。後は野となれ、山となれ。ところで、所用で僕は「鳩サブレ」を買わなきゃいけなかった。坂からの帰り道。「鳩」ショップがある。買ったとこまではいいんだけど、鳩サブレを持って、ジョギングして帰る姿はなかなかシュールだった。

 明日から再び、魚先生とツアーに復帰します。今、僕らが出している音は、この瞬間は、二度とない気がします。だから、発表するかどうかはともかく、明日の千葉と、最終日の吉祥寺はマルチトラックに記録することにしました。そして、吉祥寺の前日、僕はフルマラソンを走ります。今の僕にとって、走ることも、音楽をやることも、すべては繋がっています。根拠はないけど、これからの一週間は、多分これからの人生のターニングポイントになるでしょう。人事を尽くして天命を待つ。そんな心境です。是非、来てください。

 渋谷で、The Roostersが昨年の12/29に、福岡で行ったコンサートの映像を観ました。ルースターズはガキだった時分に、とてつもない力をくれたバンドです。そのバンドは加齢しても、イノセントで、狂気に満ち、そして鉄壁の演奏を繰り広げていました。「songs of innocence and of experience」。耳鳴りとともに、ウイリアム・ブレイクの詩集のタイトルが浮かんできました。

 帰りしな。車のipodから「my family」と云う曲が流れてきました。いつもはシャッフルで自分の曲が流れると、即座に飛ばすのですが、12年も経過すると、どんな曲だったのか忘れるのです。聞いてみるか、と思いました。ある種の「暗示」がありました。そこに「光と闇」があるんだと、自分の曲に教えてもらったのです。

My family

かつて石のように
自分を支えてきた
かたくななだけの想い

故郷を遠く離れ
木の葉のように揺られながら 
漂うだけの日々

バラバラになった花瓶のように 
家族はそれぞれの破片になり 
そこに咲いていた花たちに 
二度と戻る場所はない

ことば いたみ ぬくもり すれちがい
この冬はじめてのセーターを着る

誰かが悪いわけではなく 
誰かが憎いわけでもなく 
誰かはもうこの世にはいない

絶え間なく繰り返した諍いでさえ 
懐かしく思うこともある 
ときどき胸が痛い

薄い胸をかきむしり 
互いを思いながら眠るだろう 
日々は痛みの上にあり 
季節だけが通りすぎる

ことば いたみ ぬくもり すれちがい
遠くで誰かが私を待ち続けてる

ことば いたみ ぬくもり すれちがい
いつか彼らに出会える そのときまで

 音楽とは、時間を心の手のひらで握って、伸張したり、縮めたりすることです。また、空気の温度を上げたり、凍らせて、誰かに投げかけることです。未来を予感し、予知して、そこに奇跡的に着地させることです。エネルギーを客席に放出して、そこから返ってきたものを受け取り、また投げ返して、でっかい円環をつくることで、中空に短編映画を上映することです。本当はみんなが持っている力です。かつての僕みたいに、恐怖をたくさん持っている人、頭で先に考える人には難しいかもしれないけれど。魚先生と僕は自分の中と外にふたつの宇宙があるのを知っています。
 人の心はお金では買えません。心は誰にも盗むことはできません。どんな経験でも豊かな力に変えることができるはずです。それを人々に伝えて、僕は自分の役目を果たしたい。そう考えています。守らなきゃいけない家財があるから、セキュリティー会社に頼むのです。財産をお墓に持っていけますか?答えは否です。そんなものは幸福をもたらさないのです。大切なのは人としての「心」。そして次の世代に残さなければならない「確かな希望」。それだけだと僕は思います。

by 山口 洋  

R.I.P

2010/03/18, 14:27 | 固定リンク

3月17日 木曜日 晴れ 

 アレックス・チルトン。享年59歳。心臓発作で死去。

 いつだって、好きなミュージシャンの訃報を聞くのは辛い。ヘナチョコで、とんがっていて、それでいて妙にポップで、でもクールで、外見はピーター・バラカンさんにそっくりで、曲が限りなくシンプルで、短くて、軽快。何があっても、飄々と我が道を往く。その態度がとても好きだった。

 絶大な人気を獲得することはなかった。でも、少年時代に心に傷を負った者たちに、確かな「ひかり」を残した。僕が勝手に他人だとは思えない、ポール・ウエスターバーグもその一人。その名も「アレックス・チルトン」と云う、アラレもない曲を書いている。
 彼には一度も会ったことがない。けれど、自分で出かけていけばそれは可能だっただろうし、一緒に演奏することも出来ただろう。そのような後悔を残さないように生きなければ。心から、ありがとう。ゆっくり休んでください。

http://www.youtube.com/watch?v=HgiMlXJQ9G4&feature=related

 最後に好きな言葉を。小林秀雄さんの至言。

 「眼の前に一歩を踏み出す工夫に精神を集中している人が、馬鹿と云われ、卑怯と云われながら、終いには勝つであろう。デカルトが「精神には懐疑を、実行には信念を」という一見馬鹿みたいな教えを書いた。人々は困難な時勢にぶつかって、はじめてそういう教えに人間の智慧の一切があることを悟るのである」。

by 山口 洋  

師匠の愛

2010/03/17, 21:03 | 固定リンク

3月16日 水曜日 晴れ 

 去年の今頃、僕はスキーにどっぷりはまっていました。この齢になるまで、スキー場に行ったことがあるのは、フジロックに出演するためだけ。それ真夏じゃん、みたいな。そんな喰わず嫌いの僕を決定的に変えてくれた人物と、ド素人の僕を懇切丁寧に指導してくれたS先生には、深い感謝の気持ちを持っています。
 そのS先生から突然メールが届きました。先日の長野のライヴに来てくれたのだと。もー、先生、水臭いなぁ。声掛けてくれればいいのに。会いたかったなぁ。あの凍てついた山道を、スキーの仕事が終ったあと、やって来てくれたのかと思うと、涙ちょちょぎれました。感激。
 今年は走ることに時間を費やしすぎて、「一度も」滑っていません。すいません。でも、先生からのメールいわく、「スキーは自転車と一緒で、身体が覚えています。2,3本滑れば大丈夫です」、と。レース前なので、無茶はできないけれど、今週の東北ツアー。帰りにちょこっとだけ寄ってこようかなぁ。何はともあれ、先生の心遣いが本当に嬉しかったのです。

by 山口 洋  

たんおめ魚先生、名古屋にて

2010/03/16, 05:54 | 固定リンク

3月16日 火曜日 曇り 

 名古屋の栄。ビジネスオフィス街の昼飯時。てんでそぐわないランナーの格好をして、走りました。あの奇妙キテレツな風体も、ぜんぜん恥ずかしくなくなりました。慣れって本当に恐ろしいね。

 さて。魚先生は本日バースディ・ボーイでした。あまり知られてないと思うけど、彼は僕よりひとつ年上です。バンドの野郎共なんて、滅多なことがなけりゃ、誕生日に特別なことはしません。はい。そういうものです。オレも魚先生も、祝われるのは、そりゃ嫌じゃないけど、恥ずかしさの方が先に立つっちゅーか。でもオーディエンスに「おめでとー」と云われた日には、オレとて、歌いますとも。彼とはもう18年の付き合いになりますが、観客との「例の曲」の大合唱は悪くなかったです。ありがとね。

 名古屋のハートランドの音響チームはいい仕事をしてくれました。ミキシングコンソールのフェーダー(音の上げ下げをするツマミみたいなもの)は触らないためにあるのです。ダイナミクスはミュージシャンがコントロールするもので、決してエンジニアが作るものではありません。そんな意味で、冒頭からバースディ・ボーイとオレは音楽の宇宙に没入することができました。こんな音楽、地球上でオレたちしか出来んぜ、と本気で思います。愛のある照明もありがとね。音には雫がついています。みずみずしい雫が。それが大きくなったり、重力に負けて落下したり、あるいは中空に浮かんでみたり。そのような風景を全力で描いていることは、ミュージシャンにとって幸福以外のなにものでもありません。楽しんでくれたかな?
 
 終演後、我々は東京を目指しました。正直しんどいけど、時間は有限。明日は明日で有意義に使いたかったからです。オレと魚先生は、もはやあまり酒場には行かなくなりました。道中も静かに会話しているか、あるいは二時間無言でも、別に平気です。バースディ・ボーイは今夜、とてもいい助言をくれました。「ヒロシは天涯孤独だし、しがらみがないんだから、外国に行って、何処にもない音楽を作ってきて欲しい。それが出来るだけのスキルと経験とリレーションを持ってるんだから」。「オレたちもいつまで生きてるか分からないんだから、頭がおかしくなるんだったら、音楽でなった方がいい」。要約すると、人生は一度ってことすね。目が覚めました。それはすなわちバンドを辞めるって意味ではありません。HWは永遠です。メンバーが生きている限り。ただし、音楽の冒険を「本気」でやるには最後のチャンスかもしれない。そういうことです。何処にもなかった音楽に向かって没入する。どうでもいいことに時間を割くのは止めよう。そう思いました。

 我々は実りあるツアーを続けています。残すは千葉、白石、吉祥寺。是非、見に来てください。

img10030016_1img10030016_2img10030016_3
by 山口 洋  

移動日

2010/03/15, 21:28 | 固定リンク

3月15日 月曜日 雨 

 京都から名古屋に移動。

 不器用だとは思うのです。もっと、違う人生があったとも思うのです。でも、メディアに出て、自分たちが翻弄されることより、何度でも何度でもドアを叩きつづけることを選んだのです。たまに、移動がしんどいなぁ、とか思うこともあります。今回はスタッフも一切連れてこなかったので、楽器運びも20年振りくらいにやってみました。腰、痛いです。通常、僕らの機材は巨大なケースに入っています。でも、フレキシブルに移動できない。なので、むき身で軽くしました。でも、それで訪れることができる街がひとつ増えるのなら、その方がいい。一人で種を蒔いた場所に、マエストロ魚先生と再訪してみる。悪くないです。明日は名古屋に宇宙を描きます。是非、来てください。

 ツアー中に、各地を走りました。長野の街、岡山の後楽園から旭川のマラソンコース、そして今日は名古屋城の周回コース。沢山の情報をありがとう。その街を自分の足で感じることは、なにものにも変え難い。目の前のこの道は、遠く離れた自分の家と繋がっている。不思議な感覚を覚えます。諦めなければ、それは不可能ではない。行きたいところに、人は行くことができるのです。

 思い出したのだけど、ツアーに出る前に、ここしかないと云うタイミングで、最後のハードな練習をしました。その日、近所の樹齢1000年を超える大銀杏の木が倒れるほどの強風が吹いていました。恒常的に風速15メートルくらい。こりゃ、しんどいぜ、と走る前に覚悟しました。このまま最後の仕上げをせず、レースに挑むのか、それとも風でヒドいタイムを出して、悪いイメージのまま出場するのか、エトセトラ。逡巡したあげく、30キロ走りきることを選びました。とんでもない練習でした。前に進まない。砂嵐で目があけていられない。それでもキロ5分10秒をキープしました。支えていたのはタダの根性。でも5キロ走っただけで、すべてのエネルギーを使い果たしました。それほど風が強かったのです。オレは考えました。棄権するのは自由。練習だし。でも、どうしても中途半端なまま、投げ出すのが嫌だったのです。結局、その条件のまま30キロ走りきりました。フルを走ることより、よっぽどキツかったです。ラップは5分22秒。でも体感として、フツーの条件で4分50秒で走ることよりキツかった。身体にガタも来たけれど、でも走って良かった。あれほどの悪条件はもう考えられない。それでもオレは走りきった。諦めなかった。確かな自信がつきました。

 ときどき、世の中だったり、人だったり、幸福だったり、分からなくなるのです。でも、自分だけは、未来だけは、変えることができる。そう思っています。見なかったフリをするのは簡単。でも見てしまったのなら、火中の栗を拾いに行かねばならないことだってあるのです。カネで誰かを雇うのではなく、自分の手を汚す。そのような人物で居なければ、死ぬときにきっと後悔すると思うのです。
 

by 山口 洋  

京都にて

2010/03/14, 20:55 | 固定リンク

3月14日 日曜日 曇り 

 京都。その街でいろんな経験をした。でも、待ってくれてる人が居るから、オレたちは行く。
 拾得。日本で一番古いハコ。実に35年を超える歴史を誇る。オレはオーナーのテリーさんの変わらぬホスピタリティーが大好きで、拾得に行くと云うより、テリーさんに会いに行くって感覚の方が正しい。いつまでも元気で居てくださいね。
 会場に着いたとき、前日のセッティングがそのまま残っていた。見覚えのあるそのストイックなセッティングは八重山の唄者、大島保克のものだった。八重山が産んだ二人の天才、大島保克と新良幸人は、数少ない本物のミュージシャンだ。何だよ、会いたかったなぁ。ヤス。連絡くらいしろよ。旅先で、大好きなミュージシャンとすれ違うのは、ひどく運がなかったような気分になる。仕方ないんだけどね。でもここで彼の唄を聞いたら、ぐっと来るだろうなぁ。オレが云うのも何だけど、是非足を運んでください。彼は毎月ここでやってるみたいです。つーか、オレが観たい。
 魚先生と俺。ひかりを探しに、届けにきました。受け取ってくれたかな?当たり前だけど、同じ瞬間は二度とありません。来てくれて、本当にありがとう。オレたちはステレオタイプなリアクションを求めてはいません。そのライヴが何処に行くのか、自分たちにも分からないし。だから、それぞれに、それぞれの「ひかり」を持ち帰ってくれれば、嬉しいのです。

img10030014_1img10030014_2
by 山口 洋  

岡山にて

2010/03/13, 02:40 | 固定リンク

3月13日 土曜日 晴れ 

 岡山にて。早起きして、後楽園から旭川沿いを走る。もう春だよ。この地方は。同じ国で、同じマラソンコースでもこんなに違うものかと、びっくりする。ここはのどかだ。戦闘的な気分には絶対にならないだろう。
 魚先生と俺は岡山に宇宙を届ける。この二人組のバランスは実に微妙なところで成り立っている。それゆえ、ひとつ歯車が狂うと、成層圏をグルグル廻るだけの、使用済みの衛星みたいになる可能性もある。けれど、二部からは今日のノリと、バイブレーションと、ひかりを探しにいくことができた。それもこれも。長きに渡って、僕らを応援してくれる連中の心意気が僕らをサポートしてくれるからだ。本当にいつもありがとう。遠くから、沢山来てくれて、本当にありがとう。受け取ってくれたかな?

img10030013_1img10030013_2img10030013_3
by 山口 洋  

移動日

2010/03/12, 22:39 | 固定リンク

3月12日 金曜日 晴れ 

 早起きして、上信越マラソン部の連中と長野の街を走りました。知らない街を走ることは、いつだって愉しいものです。街中から見ることが出来る山並み。頂きには雪を冠して。
 魚先生と長野から岡山まで600キロを移動。さすがに疲れました。馴染みのパブに足を踏み入れると、ロニー・レインが流れていました。疲れた身体にギネスと音楽は染み入ります。今日は早く寝ます。おやすみ。

img10030012_1img10030012_2img10030012_3
by 山口 洋  

ツアー初日、長野にて

2010/03/11, 02:50 | 固定リンク

3月11日 木曜日 曇り 

 豪快に寝坊しました。あの、自分の名誉のため、申し上げておきますが、このようなこと、滅多にありません。会場入りが大幅に遅れました。リハーサルをして、寝癖を直す暇もなく、ステージに上がりました。でも、ライヴは素晴らしかったす。何よりも、何度も長野にやってくることで、(主催者はいつも大変だと思うけど)音楽が根付いてきたと云うか、どんな振り幅で演奏しても、それを受け止めてくれると云うか。僕と魚先生は音楽に没入することが出来ました。「ひかり」、受け取ってくれたかな?つーか、僕らも探してるんだけどね。こんな風にやりたかった。無駄に喋ることもないし、ただ、そこには音楽があるだけ。そんな場所を長い時間をかけて作ってくれた、長野のオーディエンスと主催者とハコのスタッフに心から感謝します。本当にありがとう。もうひとつ謝ることが。カメラとコンピュータを接続するケーブル。持ってくるの忘れました。なので、写真はありません。ごめん。
 このハコで7年。エンジニアを務めているテツロウ君。来る度に、いい音になってます。それが、本当に死ぬほど嬉しい。彼は今日、殆どミキサーを触らなかった。触ることより、ミュージシャンを信じて、触らないことの方が遥かに難しいのです。ミュージシャンが「いかに演奏するか」より、いかに「演奏しないか」の方が遥かに難しいように。
 ライヴを終えたら、地元の人々が心を込めて作ってくれた食べ物が並んでいました。魚先生と俺、年齢を足したら90歳弱。レンコンの炒めものとか、筑前煮とか、自分ちで採れたイモで作ったコロッケとかおでん、とか。僕らの弱点見抜いたな、みたいな。心を込めて作ってくれたものほど、美味しいものはありません。いいスタートが切れたました。それもまた、ひとつの確実な「ひかり」でした。さ、明日は長野を走るぜー。

by 山口 洋  

ひかりを探しに

2010/03/10, 01:55 | 固定リンク

3月10日 水曜日 雨のち晴れ 

 魚先生と本気で「ひかりを探しに」行きます。是非、来てください。 

by 山口 洋  

リハーサル、そして白銀の世界

2010/03/09, 22:29 | 固定リンク

3月9日 火曜日 雪 

 魚先生とツアーのための一日限りのリハーサル。ひとことで云うなら、やっぱり、宇宙。ライヴ、愉しみにしていてください。スタジオを出たら、白銀の世界。北国の人が見たら、笑っちゃうようなことなんだろうが、帰りの50キロ、凍てついた道をノーマルタイヤで帰るのは、なかなかスリリングだった。

img10030009_1img10030009_2img10030009_3
by 山口 洋  

明らかに見る

2010/03/08, 22:59 | 固定リンク

3月8日 月曜日 晴れ 

 実りある一日だった。こんな風に時間を過ごせたのが嬉しい。

 唐突だけれど、「諦める」って言葉の語源、知ってる?オレはそれを知ったとき、目から鱗が落ちた。それは仏教用語で「明らかに見る」なのだと。そもそもは、決してネガティヴな言葉ではなかったのだと。モノゴトを「明らかに見た」とき、達する境地がある。それが「諦める」ことの本当の意味だと。私事だけれど、昨夜オレは「明らかに見た」ものがあった。その事実に目が眩んだけれど、このように考えると、気持ちの持ちようがまったく変わってくる。それでも、伝えたいことはただひとつ。「答は机の上ではなく、道の上にある」ってことだけ。それはオレにとって「諦めない」と同義だ。

 ふと「諦める」って言葉を、英語で使ったことがないことに気づいた。「give it up」か。ああ、確かに使ったことがない。

 続いて、筋肉の話をしてもいいかな?

 走り始めてからの、自分の肉体の変化は驚きの連続だった。マッチョを目指している訳ではないので、形がどう変わろうと、その行き先に興味はなかった。まずは陽焼けに始まり、顔色がいつも悪かったオレが「売れないAV男優」みたいになった。友人には「どしたん?戦争に行ってきたん?」と云われた。脂肪は日に日に減少していき、骨と筋肉だけに変わっていった。6月に買ったジャケットは11月にはガバガバになり、ジーンズのサイズは国内最細のものでも詰めなければならなくなった。白髪が減り、むやみに腹が減るようになり、嫌いだった焼き肉を喰うようになり、ビールが無茶苦茶に美味く感じるようになり、熱を出さなくなり、乗り物に乗らなくなり、嫌なことがあっても、走るとクリアできるようになった。まぁ、その陰では、貧血、低血糖、体重減、栄養障害、順番にやってくる身体じゅうの痛み、きしみ、もちろん筋肉痛、エトセトラ。いろんな弊害もあったのだが。
 
 特に変化したのがふくらはぎだった。こんなことになるのなら、毎日、定点で写真を撮っておけばよかった。ゾンビが地中から這い出てくるように、筋肉が盛り上がり、せせり上がり、本当にもうすぐゾンビが筋肉を破って出てきそうになった。相当、気持ち悪い。ふと、気づいたのだ。レースで「こいつはタダ者じゃない」と云うランナーの見分け方。ふくらはぎを見ればすぐ分かる。単純に引き締まっていて、造形が美しい。縦に筋肥大しているのだ。いわゆる美脚。それに比べ、俺のは横に筋肥大している。ははぁ、なるほど。長距離を走るには、できるだけ面積のでかい筋肉を使う方が楽に決まってる。殆どが身体の裏側の筋肉を使うのだが、ふくらはぎよりも、太もも、臀部。より大きな筋肉を使った方が効率が良い。オレのふくらはぎが横に筋肥大するのは、ふくらはぎをメインに使っている証拠だった。こりゃ、まずいぜ。そこからフォームの改造に取り組んだ。オレの筋肉にパワーはないから、とにかく節約、省エネ。ふたつの軸で走っていたものを、できるだけまっすぐにひとつの軸で走るようにし、落ちていた腰をできるだけ上げ、背筋を伸ばして、遠くを観て走るように心がけた。かかと着地もやめ、足の裏全体で受け止めるように、リリースも決して地面を蹴らないように。車の運転に例えるなら、無駄な動きの多いドライバーは得てして、視線が近い。遠くを見れば、無駄な動きは減り、疲労も激減する。基本的にはそれと同じようなものだ。そのような訓練を始めてから、ふくらはぎが今度は細くなり始めた。待望の縦への筋肥大が始まったのだ。本当に人間の身体は面白い。って、この話、読んでる人、面白いのかな?各地で、「走り始めました」って声を聞くから、同じ失敗をしないように、参考にしてくれ。

 繰り返すけど、「大切なことは机の上にはなく、道の上にある」と気づいたことか。もちろん、座って「熟考」することも必要だ。でも、頭でっかちは良くない。心は机の上にはない。ニンゲンはフィジカルとメンタルのバランスが鍵だ。走ることによって、無駄な考えもそぎ落とされる。大事なものが見えてくる。フィジカルにメンタルなことを修正できるようになったと思う。それが大きい。目の前ではブレインウォッシュのすごい嵐が吹いていた。強敵だ。でも、オレは机の上で死なない。死ぬなら、道の上だ。

 はてさて。

 文化放送の「リッスン」と云う番組に出演してきた。ツアー前だし、そのオファーを受けている時間はなかった。でも、クンクンと嗅いでみたのだ。そのオファーのメールの匂いを。いつもの直感が「行くべきだ」と云った。パーソナリティーはシンガーソングライターの押谷さんという、うら若き女性だった。話が進むうち、オレは激しい年齢差もあって、だんだん彼女の父親のような気分になってきた。でも彼女は目を輝かせて、オレの話を聞いてくれるのだった。何かが伝わった、かもしれん。彼女は何かに依存することなく、自分の力で立とうと、生きようと、歌おうとしている人物だった。そのような人物の心にに自分たちの音楽がエネルギーとして響いていることが、とても嬉しかった。呼んでくれて、ありがとう。誰かと面と向かって言葉を交わしたのは久しぶりだったよ。オンエアは3/16の25時からだそうです。

 山里に住む友人達から電話があった。「いつでも帰ってきんしゃい」。ありがとね。そのうち行くぜ。

 さぁ。身体にエネルギーがみなぎってきた。魚ちゃんと「道の上」へ。ステージに上がるとき。「ウェッヘイ!生きてるぜ」と思う。明日は一日限りのリハーサルです。みなさんに会えるのを愉しみにしています。マラソンコース情報、ありがとね。長野、岡山はもう充分すぎるほど、教えてもらいました。京都、名古屋のみなさん。どうぞ、よろしく。

by 山口 洋  

棄権

2010/03/07, 13:21 | 固定リンク

3月7日 日曜日 雨 

 第一日曜日はレースの日。今回はフル・マラソン前の最後の20キロレースだったから、いろんなことを試しておきたかった。しっかりとしたタイムを出して自信もつけたかったし。スタートは朝の8時過ぎ。起きて、すぐ走るなんてことは出来ないから、5時に起きて、必要なカロリーを摂取する。食事の量も質も、もちろん実験のうち。予定では、20キロのレースの後、更にレースペースで10キロ走って、最後の長距離練習にするつもりだった。 
 
 そういえば、昨夜。季節はずれの巨大ゴキブリの来襲を受けた。随分昔のことだけれど、ガールフレンドに「今度はゴキブリ殺せる人を選ぶわ」と云われたことがある。深夜に友人を呼びつけて、どうにかしてもらったこともある。だいぶマシにはなったが、ゴキが歩いた跡をまたぐのも嫌だ。あのテカテカした身体を観ているだけで目眩がする。飛んだりしたら、失神する。苦手と云うより、無理なのだ。目をつぶって、見なかったことにしようか、とも思った。けれど、安眠できるはずもない。半分泣きながら、殺生した。こんなに嫌いなゴキでも、バタバタしながら死んでいくのを見ると、辛くなる。すまん。許してくれ。成仏してくれ。だから、オレのところには出ないでくれ。多分、15キロビルドアップ走くらいのエネルギーを使った。情けな。

 レースの前の日はウェアも含めて、遠足の前の日のように用意をしておく。準備は完璧。でも、雨は止まなかった。気温も低い。ちょっと前のオレなら、構わず出場していたと思う。でも学んだ。寒い雨の日に走ると、どうなるか。この気温だと、間違いなく低体温になる。手袋をしていても、指先から凍るように冷えてくる。そして体調を崩す。今、風邪をひくのはマズい。だいいち、来週からツアーが始まる。自然現象には勝てない。仕方ない、棄権することに決めた。 

 ツアーの話をまったくしてなかったね。音の魔術師、魚ちゃんとツアーに出ます。彼と音楽を奏でることは、オレにとっては特別なものです。二人の頭の中にある宇宙を音楽を通じて、ひとつにしていくような。中空に絵を描いていくような。架空のような、実在するような。静かで、強い。そんな世界になるでしょう。多分、無駄な話はしないし、ずっと音楽に向かっていると思います。来てくれた皆さんはそれを、ゆっくりと椅子に座って、それぞれに楽しんで欲しいのです。そこに、生きぬいていくための「ひかり」を感じてくれたら、嬉しいです。是非、来てください。会場はいつも僕がひとりで演奏しているところばかりです。そこに違う個性が加わると、音楽はこれほど変わるのか、と。それを地方に住んでいる人たちにも楽しんで欲しいのです。みなさんに会えるのを愉しみにしています。

 各地でゆっくり走ってみようと思ってます。もう激しい練習はしないので、ライヴ前に、その街を感じてみたいのです。ツアー先に、走ることに適している場所があったら、是非教えてください。その土地が感じられて、できれば信号がないと、最高です。


山口洋 & 細海魚 (HEATWAVE) / TOUR2010 ひかりを探しに

3月11日(木) 長野・ネオンホール
開場/開演=19時/19時30分
チケット料金=4,000円(税込/ドリンク代別)
チケット販売=1月16日(土)より、ネオンホール店頭、電話予約、メール予約 (info@neonhall.com) にて発売
問=ネオンホール (TEL_026-237-2719)

3月13日(土) 岡山・Blue Blues
(岡山市表町3丁目12-12 千日センター街 宗正ビル2階)
開場/開演=17時/18時
チケット料金=4,000円(税込/ドリンク代別途500円)
チケット販売=1月16日(土)より、電話予約、メール予約 (nf_nm@ms2.megaegg.ne.jp) にて発売
問= Blue Blues (TEL_086-227-5000)

3月14日(日) 京都・拾得
開場/開演=17時30分/19時
チケット料金=4,000円(税込/ドリンク代別途600円)
チケット販売=1月16日(土)より、電話予約、メール予約 (jittoku_terry@hotmail.com) にて発売
問=拾得 (TEL_075-841-1691)

3月16日(火) 名古屋・HeartLand STUDIO
開場/開演=18時30分/19時30分
チケット料金=4,000円(税込/ドリンク代別途500円)
チケット販売=1月17日(日)より、メール予約(getchicket@nifmail.jp)、HeartLand STUDIO店頭にて発売
*メール予約の際は、下記必要事項を明記の上、ご送信願います。 (1)お客様のお名前(フリガナ), (2)お客様のメールアドレス, (3)お客様のお電話番号, (4)お客様のご住所, (5)予約希望枚数(お一人様4枚まで)
問=HeartLand STUDIO (TEL_052-202-1351)

3月20日(土) 千葉・ANGA
開場/開演=17時30分/18時30分
チケット料金=4,000円(税込/ドリンク代別途500円)
チケット販売=1月16日(土)より電話予約、メール予約 (anga@kf7.so-net.ne.jp)にて発売
問=ANGA (TEL_043-224-7769)

3月21日(日) 白石・cafe MILTON
(宮城県白石市八幡町6-18-1)
開場/開演=17時30分/18時30分
チケット料金=4,000円(整理番号付/飲食代別)
チケット販売=1月23日(土)12時よりcafe MILTON店頭にて発売、同日21時より電話にて予約受付
問=cafe MILTON (TEL_0224-26-1436)

特別公演!
hosomiの世界
3月22日(月) 白石・cafe MILTON
(宮城県白石市八幡町6-18-1)
出演=hosomi
開場/開演=14時00分/14時30分
チケット料金=3,000円(ケーキ&お茶付)
チケット販売=お電話にて予約受付
問=cafe MILTON (TEL_0224-26-1436)

3月29日(月) 吉祥寺・Star Pine's Cafe
開場/開演=18時30分/19時30分
チケット料金=4,000円(税込/飲食代別)
チケット=1月16日(土)より、SPC HP予約、SPC店頭にて発売
問=Star Pine's Cafe (TEL_042-223-2251)

img10030007_1
by 山口 洋  

不完全の美

2010/03/06, 16:05 | 固定リンク

3月6日 土曜日 雨 

 雨の土曜日。確かに「情けない週末」。

 車のipodから、珍しくスティービー・ワンダーの古い作品が流れていた。この時期の彼の音楽は、殆ど神がかっていて、ミュージシャンとしてジェラシーを超えても余るだけの凄さがある。特に驚きを禁じ得ないのが、彼自身が演奏する「ドラム」。歌心、リズム感、文句なし。どんなに素晴らしいドラマーでも、このリズムは刻めない。ところで、ある曲で「ん?」と引っかかった。彼にしては珍しくピッチ(音程)が良くない箇所があったからだ。繰り返し、聞いてみると、確かに少しだけハズれているけれど、それが何とも云えない「感情の揺らぎ」として聞き手に伝わってくる。たまたまハズれたのか、それとも確信犯なのか、オレには分からない。けれど、それも含めて、ぐっと来るところが素晴らしい。
 用があって、コンビニに立ち寄った。そこには典型的な「j-pop」と呼ばれる音楽が流れていた。鉄壁のオケ、サビになると必ず裏返るヴォーカル、エトセトラ。さっきまでスティービー・ワンダーを聞いていたからだろうが、圧倒的な「違和感」を感じた。音楽が「四角い」のだ。一番の理由はヴォーカルのピッチだと思う。このヴォーカルのピッチは「完璧に」修正されている。今の技術ではそれが可能だ。それが気持ち悪い。オレは歌手としては、甚だピッチが悪い部類に入る。レコーディングの現場で、自分のピッチの悪さに自己嫌悪に陥ったことが何度もある。けれど、それが「味」、または「表現のニュアンス」として聞こえる場面と、音楽的に「気持ち悪く」聞こえる場面とがある。その違いは「感覚」でしかないのだけれど。美空ひばりさんの歌を耳を澄まして聞いてみる。彼女のピッチの揺らぎはほぼ人間業ではない。決して「ジャスト」の音程ではないことが多い。それをコントロールするだけの技量が、結果的に圧倒的な説得力となって、聞き手に迫ってくる。1オクターブを12の音で区切ったのは西洋人の都合であって、実はその間には無数の音が存在している。楽譜化不能。人間の歌はフレットレスなのだ。ギターだって、ちゃんとチューニングしたからと云って、完璧な音程の和音が出ている訳ではない。甚だ不完全な楽器なのだ。それゆえ、弾く人の個性が出て、聞き手に伝わっていく。
 とあるミュージシャンをプロデュースしていたとき。オレも禁断の「ピッチの修正」をやらねばならなかったことがある。エンジニアと二人きり。深夜のスタジオで重箱の隅をつつくように、細かい作業を積み重ねた。ところがどっこい。一度ピッチをいじり始めたら、いろんなところが気になって仕方がない。際限もなくピッチ修正の「袋小路」に入ってしまい、そこから出られなくなる。整形手術を試みた人物が、次から次にいろんな箇所が気になっていき、最後には「人間の表情」を失ってしまうのと同じだ。確かに、ぱっと見るには奇麗になったのかもしれない。けれど、その人は大切な「個性」まで失ってしまうことがある。
 このような音楽が街に溢れ、育っていった子供たちが可哀想だと思う。カラオケに行き、ピッチとリズムで機械に点数を出される。これはオレのネタなのだけれど、友人にカラオケに連れていかれ、自分の曲を歌ったら、「46点」だった。そんなことに意味はない、とオレは思う。「オレはお前と同じがいい」ではなく、「オレとお前は絶対に違う」と思って生きてきた。全然違っていていいと思うのだ。不完全な美がある。それが好きだし、伝えていこうと思う。思い返してみると、グラム・パーソンズ、マーク・ベノ、ロニー・レイン、エトセトラ。好きなシンガーはヘナチョコな人が多い。けれど、それは他の追随を許さない圧倒的にヘナチョコな個性だし、その人の生き方がにじみ出ているから、好きなんだとオレは思う。

by 山口 洋  

早春と新しい靴

2010/03/05, 19:15 | 固定リンク

3月5日 金曜日 晴れ 

 早春の公園にて。確かに春の香りがする。園児たちが屈託のない笑顔で走り回る姿をずっと観ていた。色眼鏡かもしれないが、まるでイノセントな子も居れば、既に邪気を持つ子も居る。そうか、人間社会の本質はこのトシにして既に始まっているのか、と。君たちの未来に幸多かれ。
 「人は成熟するにつれ、若くなる」と云ったのはヘルマン・ヘッセ。「昨日の僕は今日より老けていて、明日の僕は昨日よりずっと若い」と歌ったのはディラン。子供たちを観ていて、「人は成熟なんてしないけれど、気の持ちようじゃ老けもしない」と、オレは思う。
 3足目のマラソンシューズも寿命。ちょうど2ヶ月でダメになる。レースを前にして、勝負靴は何にするか随分迷った。イチかバチか、ソールの薄いレーサーモデルにするかどうか。でもソールの減り方を観れば良く分かる。オレのプロネーション(足の軸)は決して褒められたものじゃない。3足目にして、ようやく跳ぶように(あくまでもオレの中でのイメージの話)走れる靴にたどり着いたのだから、今回はそれにしよう。

img10030005_1img10030005_2img10030005_3
by 山口 洋  

2010/03/04, 00:51 | 固定リンク

3月4日 木曜日 雨

 何十年もかけて、ひとつづつ疵が増えていく。でもその度に愛おしくなる。そんなギターに出会えて、幸福だと思う。

img10030004_1
by 山口 洋  

脱皮

2010/03/03, 23:02 | 固定リンク

3月3日 水曜日 晴れ 

 食事中の読者は、食事が終わってしばらくしてから読むことを勧めます。

 練習から帰ってきて、砂まみれの靴下を脱いだとき。「めきっ」と可愛い音がして、死んでいた5本の足の爪のうち、最後まで残っていた爪が剥がれました。こう書くと、痛そうですけど、まったく痛くありません。10本のうち半分の爪を失うことに関して、さんざん脅されましたが、ぜんぜん大丈夫です。靴さえ気を使えば、何の不自由もなく走れます。たまに机の角やなんかで、爪のない指先をぶつけたりすると、痛いくらいです。ただし、失った爪の下の風景は、何とも形容し難いもので、それを写真に撮って、公開するのははばかります。「大丈夫。すぐ生えてくるよ」なんて云った人は多分、爪を剥がした経験がないんだと思います。いっこうに生えてくる気配はありません。ところで、後生大事に取っておいた訳じゃないすけど、剥がれた爪(写真参照)って、結構きれいなんすよ。不潔でいて、高潔。みたいな。光にかざすと、深いパープルだったりするのです。

 そうそう。「ディランに会えるかもよ」と連絡をもらって、色めきたったものの、自分のスケジュールを確認して、がっくし。その日は遠い場所でライヴでした。アーメン。あの、「会う」とはサインをもらったり、写真を撮ったりすることではないのです。分かるよね?人間同士が出会うってことです。ヴァン・モリソンの時は自分で断りました。何故なら、僕はレコードを買うファンの立場で「永遠に」居たいと思ったからです。彼の性格なんて知りたくもなかった。でも、ディランは「あの深い目」を見てみたかった。どれだけ深いのか。でも、つまりは縁がなかったってことです。最近つくづく思うのだけれど、「会いたい」と強く願い、そこにまっとうな理由があって、かつそれに見合うだけの努力をしていれば、必ず「会う」ことが出来ます。本当に。まったく宇宙ってどうなってんだ、と自分でも不思議に思うけれど。ポジティヴな想いは連鎖して、それを引き寄せるのです。同じように、ネガティヴな想いを吐き出していると、いつかそれは自分を滅ぼす刃となって向かってきます。これも本当です。って俺がこの手の事を記す必要もないので、このへんで。「夕食バンザイでした。スタジオにお返しします」。

img10030003_1
by 山口 洋  

海原

2010/03/02, 00:34 | 固定リンク

3月2日 火曜日 曇り 

 相変わらず失語中です。すいません。何故かスイスに居る兄貴からのメール。彼の言葉はいつも的確で、タイムリーです。

 「ヒロシ。池や湖に自分を置かず、海原に向けて進んで行って下さい」。確かに。

img10030002_1
by 山口 洋  

近況

2010/03/01, 21:03 | 固定リンク

3月1日 月曜日 晴れ 

 3月(絶句)。

 長い文章を書かないので、各方面から「生きてるかー」と。生きてるよ。ずっと、深い思考の中に居て(今もだけど)、言葉が浮かんでこないだけのことです。相変わらず、走ってるんで、そちらもご心配なく。今日は30キロをレースペースで。目標のタイムは写真のように、手にマジックで書いておきます。30キロを2時間35分。ラップ5分10秒。このままフルを走りきると、3時間38分。余力はまだあったけれど、微妙なところに居るなぁ、と。本当はレース前に42.195キロ走っておきたいんだけれど、これ以上の長距離練習をやることは、僕のレベルには、効果よりも、ダメージや怪我をする確率の方が高いのです。とにかくあとひと月を切りました。慢心せずに前に進んでます。

img10030001_1
by 山口 洋  
- end -