ひかりを探しに

2010/04/30, 16:51 | 固定リンク

4月30日 金曜日 晴れ 

 アスファルトからの照り返しが骨身に染みる季節になった。僕はランニングタイツを脱ぎ、サプリメントをすべて止めて、生身の身体で走ることにゼロから取りくんでいる。残念ながら、化学の恩恵を失った代償は大きくて、未だ5キロ毎に入念なストレッチが必要。でも、きっとたどり着けるだろう。簡素に生きたい。

 このひと月の間。所用で九州に帰った日々を除いて。僕は仕事場のコンピュータに張り付いて、ミキシングに没頭していた。その作業が9割方終った。本当はARABAKIに出演する前に、全ての作業を終らせて、外国に逃亡するつもりだったが、残念ながら、間に合わなかった。

 今年の2月から3月にかけて。僕と細海魚は「閃き」でツアーに出た。スタッフも連れず、僕のワゴンにむき身で機材を載せて、小さな街を廻った。いつものように根拠はないけど、確信だけはあった。「ひかりを探しに」行ったのだ。ライヴを重ねる度に、手応えが増してきた。こりゃ、何だかとんでもないことになっとる、と。同じ瞬間は二度とやってはこない。僕らは千葉のライヴをレコーディングした。ライヴ盤を作る気はなかった。その現場でしか生まれないテンションと空間を記録し、それに手を加えることによって、スタジオに行くことなしに、新しい世界を構築したかった。このひと月の作業は順調に進んだ。ダイナミクスは僕らの手によってコントロールされているので、殆ど手を加える必要がなかった。それよりも、トラックに刻まれていた音に、我が事ながら、驚くことの連続だった。未だかつて誰も到達していない場所に、僕らは立っていた。僕が作業を終えた時点でも、充分に作品にはなり得る。けれど、これらのファイルを魚に丸投げして、更なる宇宙を目指そうと思う。ひょっとして2枚組にするのもいいかもしれない。僕らが生きている世界はとんでもない場所だ。けれど、同時に可能性にも満ちている。それを実感できたことがたまらなく嬉しかった。

by 山口 洋  

Land of music, それは君の心の中にあるはずさ

2010/04/29, 14:46 | 固定リンク

4月29日 木曜日 晴れ 

 ともだちのマスイぴょんがクラリネットを始めて、その発表会があるから、と仕事の合間にチャリンコに乗ってでかけた。随分前に、僕の音楽の師匠であるドーナル・ラニーに云われたのだ。「誰かから一緒に演奏することを求められたなら、相手がどんなにビギナーであっても、嫌がらずに演奏しろ。実のところ、学ぶのは俺たちの方なんであって、やってみればその意味は分かる」、と。
 「発表会」と云う場所に来たのはウン十年振り。コンサートとは違う独特の空気がホールを支配している。マスイぴょんのクラリネットは「木管」の音がした。暖かい、その人、そのものの音だった。みずみずしかった。流暢に吹かれるよりも、僕はいろんなものを受け取った。あの音はもう僕には出せない。どえらい緊張をしていたんだと思う。それでも、その音は空間に風景を描いた。いいもの、受け取ったよ。ありがとう。さぁ、春の陽射しの中、ゆっくりと走って、仕事に復帰しよう。

by 山口 洋  

R.I.P

2010/04/28, 18:21 | 固定リンク

4月28日 水曜日 曇り 

 「長距離走者の孤独」を書いた、アラン・シリトーが亡くなった。右も左も分からず、漠然とした不安を抱えていた中学生の時分、その本を何度もむさぼるように読んだ。その本がくれたエネルギーは、ジョー・ストラマーが教えてくれたものと同じ種類のものだった。深い感謝を。

 絵本作家の沢田としきさんの訃報を聞いた。彼とは沖縄で、ライヴペインティングで共演したことがある。僕とリクオの演奏が激しくなると、彼は絵筆を捨てて、素手でパーカションを演奏するように絵を描いた。僕らはその音にひどく鼓舞されたし、演奏しながら、ときどき背後で描かれている絵を観てみると、互いに影響されて、風景がどんどん変わっていくのが分かる。僕らは共に「演奏」していたのだと思うし、そのような経験はあまりしたことがない。彼は生涯をかけて、たくさんの絵を遺した。「アフリカの音」を始めとする無数の絵本、「ぐるり」や「すばる」の表紙など。作品は一貫して「生」の力に満ちていた。そのように「溢れる」人物が、志半ばで病に倒れることの無念に胸が詰まる。心から冥福を祈りたい。沢田さん、ありがとう。

 昨日のダニエル・ラノアの映像に補足を。彼は古いミキシングコンソールを「演奏」していた。すべてマニュアルの操作によって「フロウ」が作られていた。80年代に入って、ミキシングコンソールは殆どの動きを「記憶」できるようになった。今や、コンピューターを使えば、出来ないことは殆どない。けれど、「何でもできる」ことによって、「何か」が確実に失われた。僕らとて、わずか1曲のミキシングに1週間かかることがある。次第にツマミは動かなくなり、最後は「髪の毛一本」の世界になる。そこまで完膚なきまでに突き詰めるほどの音楽をやっているのか、と自問自答することも多い。デビュー盤「柱」は敢えて、コンピューター・ミキシングができないアナログのコンソールで作られた。ヴォーカルに用意されたトラックは2つだった。そしてトラックダウンは一発で決めなければならない。やり直しはできない。コンソールの前にエンジニアと僕とディレクターが並んで座り、「せーの」でツマミをいじって音を作る。そうやって作られた音は緊張感に満ちている。みずみずしいのだ。ダニエル・ラノアがコンソールを「演奏」しているときの目が好きだ。僕らはあの表情をテクノロジーの恩恵によって、失ってしまったのかもしれない。沢田さんが「演奏」しているとき、同じ目をしていたことを思い出した。「何でもできる」ことによって失われる「何か」。それを忘れずに居たい。

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by 山口 洋  

現場

2010/04/28, 02:14 | 固定リンク

4月28日 水曜日 曇り 

 夜中にこの映像を観ていて、目が覚めた。クリエイティヴな現場とは、例えばこのような場所だ。復帰しようと思う。素晴らしい。

http://vimeo.com/7904967

by 山口 洋  

春の朝

2010/04/27, 16:41 | 固定リンク

4月27日 火曜日 雨 

 生まれてきたことを呪う 理由などないさ
 
 そんな暮らしの中で

 誰もが夜明けの歌を探している

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by 山口 洋  

風が選んだ道

2010/04/26, 03:12 | 固定リンク

4月26日 月曜日 晴れ 

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by 山口 洋  

風が歩んだ道

2010/04/25, 14:21 | 固定リンク

4月25日 日曜日 晴れ 

 淡い悪意に翻弄されるより、風が歩んだ道を行こう。

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by 山口 洋  

未来をたぐり寄せる手、里山にて

2010/04/24, 02:19 | 固定リンク

4月24日 土曜日 晴れ

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by 山口 洋  

ひかりのレクイエム

2010/04/23, 02:12 | 固定リンク

4月23日 金曜日 曇り 

 ひどく疲れていた。法事のために福岡に帰ってきた。友達のバーに行かなければ、とても眠れそうになかった。顔は笑っていたけれど、心がブラウン運動のように小刻みに振動しているのは自分でも分かっていた。
 午前中に法事を執り行った。常識には甚だ欠ける。それは自分でも良く知っている。だから、心を込めることしかできない。住職はそんな僕をずっと見ていたからだろう。柔らかな態度で接してくれるようになった。お経が書いてある本を渡され(それにはルビが振ってある)、読経の間、声に出して読んでみなさい、と。何が書いてあるのかは殆ど分からない。けれど、何を伝えようとしているのかは分かる。住職と二人でレクイエムを奏でているような、不思議な体験だった。ふと見上げた母のシンプル極まりない戒名に「光」と云う字が使われていることに気づいて、はっとした。どうして、今までそこに想いが至らなかったんだろう。そうか「光」か。ここにもあったのか。
 父の姉(つまり叔母)夫妻が来てくれた。随分久しぶりに会った。彼らは結婚50年。一度も喧嘩をしたことがないのだと。穏やかに、たおやかに老いを迎えていた。「まさか、自分の身内に、このような穏やかな人々が居るなんて知りませんでした」と正直な感想を述べたら、叔母は「山口家の男たちは、穏やかで優しいのよ。その分弱いところもあるけれど。久しぶりに会ったあなたは充分そんな表情をしてるわよ」、と。いい時間だった。夫妻と会食した。父の話も祖父母の話もたくさん聞いた。今まで聞けなかったことも、思い切って聞いてみた。そして夫妻を見送った。「どうか、お元気で」。直後、僕はあり得ないコケ方をした。「またか」と思った。こりゃ膝の皿、割れたかも。そんなコケ方だった。ズボンは破れていないが、どうやらヒドく血は流れている。もうどうでも良かった。そのくらいには疲れていた。後で怖々見てみたなら、膝にはくっきりと深く二本の傷が刻まれていた。こんな怪我の仕方、あり得ないだろう。その前にズボンが破れるはずだろう、と思ったが、もう考えたくなかった。いつか、理由は分かるだろう。

 本当はこのまま東京に戻るはずだった。でも無理だ。芯まで疲れきっていた。一人で居たくなかった。わがままは承知で里山の友人のところにエスケイプすることにした。中年にだってぬくもりは必要だ。そんな理由を知ってか知らずか、いつものようにフツーに温かく迎え入れてくれた。優しさが染みるぜ。遠くに家族の声と小川のせせらぎが聞こえる。本当にありがとう。そう伝える前に、深い睡眠に吸い込まれた。

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by 山口 洋  

忘却と死の彼方にあるもの

2010/04/22, 01:05 | 固定リンク

4月22日 木曜日 雨 

 深夜。激しい雷雨の中、ひとりきり。稲妻の閃光がときどき空を青く染める。まるで、世界全体が眠らせておいた記憶をフラッシュバックしているようだった。怖くて眠れなかったのではない。僕はこのような天候が嫌いじゃない。この光景を脳裏に刻んでおきたかった。湧いてくる想いと共に。

 結局眠れなかった。朝になっても、何かを洗い流すのだけが目的で、そのために、ただただ、雨は激しく降っているようだった。家から車までの5メートルで、滅多に着ないスーツはびしょ濡れになった。母の7周忌と父方の祖母の13回忌。それが僕の役目。
 姓を残すものは、僕ひとりになってしまった。つまり、このままだと絶滅する。好んでこのような状態を作り出した訳じゃないが、それは仕方がない。でも、祖先がどのような歴史を経て今日があるのか、それはもはや知る由もない部分も多いが、出来ることはやっておきたかった。誰かを鎮かに眠らせることは、時おり制御不能になる自分を静かに眠らせることでもある。ただ、僕には分からないことが多すぎた。その声が永遠に失われる前に聞いておきたかった。親から一方的に語られた言葉ではなく、できるだけ多角的にその物事を検証しておきたかった。
 母をめぐる人々に出来るだけ会うことにした。みなさんかなりの高齢なので、ここに居る間に、僕がそれらの人々の家に出向いた。僕は親類の中で、ずっとアウトローとして、そこからできるだけ遠く離れようと試みながら生きてきたから、彼らとて、僕に話すことは躊躇があったと思う。けれど、もはやそのようなことを知りたがる人間も僕しか居ないのだと思う。知っていることを記憶の糸をたぐりながら話してくれた。呵責やそれぞれの想いと共に。知らないことが山ほどあった。でも録音はしなかった。記憶から抜け落ちてしまうようなことがあれば、それはきっと重要なことではない。語られたすべての言葉を一旦自分の胸にしまって、咀嚼しなければ、到底受け止められそうにない。ただ、ひとつだけ決定的なことは、その人物がいくつのときに「戦争」に突入し、いくつのときに「終戦」を迎えたのか。そのわずかな数年の差が、後のそれぞれの人生に多大な影響を及ぼしていることだけは確かだった。例えば、母方の祖父が満蒙開拓団の団長だったなんて、僕はまるで知らなかった。そんなこと、母は一度も語らなかった。彼女はそこから派生した様々な出来事(としかは今は書けないのだけど)と共に、無言のまま墓場に行ったのだ。こうして、カメラのファインダーを覗き、フォーカスを合わせるときのように、いろんな事が、いつかは今よりはっきりと見えてくるんだと思う。愉快な作業ではないだろう。でも出来るだけやり遂げたい。どれだけ時間がかかったとしても。

 失われつつある過去を知ろうとすることは、無理に造影剤を飲んで、レントゲンで過去を撮影するようなものだ。幾重にも渡る血筋が迷走する管と共に浮かび上がってくる。時々、身が凍る。それでも、忘却と死の彼方に僕の未来はある。

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by 山口 洋  

本質

2010/04/21, 21:56 | 固定リンク

4月21日 水曜日 雨 

 標高1000メートル。今日は誰とも会話をしなかった。走った時の独り言以外は。エンドレスでipodからロニー・レインが流れている。雨の日も晴れの日も都会でも山の中でも外国でも。彼の音楽が嫌いになったことは一度もない。彼は僕が理想だと思える生き方をして、そして死んだ。未だに彼の音楽からは仲間を信じる力と、若葉の匂いがする。

 雨と雨の隙間を縫って、やっと走れた。標高700メートルから1000メートルの峰まで。往復10キロの道のり。フル・マラソンからもうすぐひと月だと云うのに、身体はまだ恢復しない。あれ以来、嫌になってすべてのサプリメントを止めてみたのだ。そして少し太ろうと努力した。が、しかし。僕の身体はサプリメントなしには走ることに耐えられないらしく、あちこちにガタが来たまま。走行距離をどんなに落としても、体重は増えるどころか減る一方。マラソンの師匠ゲンちゃんに相談して、一度筋肉をわざと落として、もう一度作り直してみることにした。短期間に我流の努力をしすぎて、筋肉が偏っているのだ。もう少し、走ることに適した身体に作り変えようと。できるだけ、サプリメントやプロテインなどに頼ることなく。ぼんやりと次の目標が見えてきた。ミュージシャン最速のランナーは友部さん。彼は3時間17分で走る。来年1月にそれを目標に走ってみようか、と。ライバルだなんて滅相もない。彼は僕にとって、偉大なランナー。前を走ってくれていることが、とても「励み」になる。
 
 少し前に悪友とこんな会話をした。ある種の人間は、その能力があるのに、本質を見ようとはしない。観ることによって、その人物の存在が根底から揺らいでしまうから。無意識のうちに、その人物は物事を自分にとって都合の良い解釈をするようになり、自分が決めた判断基準の殻から出てくることはない。その無反省さたるや、おおよそ信じ難いことがある。かくいう僕らだって、気をつけなければ。

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by 山口 洋  

the gift

2010/04/20, 21:33 | 固定リンク

4月20日 火曜日 雨 

 山ではいつも長靴。これに勝る靴はなし。労働は山ほどある。そしてここでテクノを聴くのが好き。ある種のテクノは「悠久」とか「円環」という言葉が似合っていて、気持ちいい。今回の滞在にはいろんな目的があって、多種の洋服が必要だった。最初は音楽を演奏するための服、次に労働のための服、走るためのウェア(雨で叶わないけど)、そして明日からはスーツ。そして悪友が貸してくれた車はジャガー。何だか自分でも良く分からない。

 先日のライヴに来てくれたオーディエンスから手紙をもらった。彼女は昔、僕がやっていたラジオ番組を受験勉強をしながら聞いていた。やがて東京に出て、ライヴに足を運ぶようになった。けれど、ご両親が相次いで倒れ、故郷に帰り、介護にフントーする日々を送るようになった。彼女の日々を支えていたのは音楽。どんなに辛いときも、音楽がひかりだった。けれど、遠い福岡の街で行われている僕らのライヴに足を運ぶことは、物理的に不可能だった。ある日、僕が彼女が住んでいる街でコンサートをすることを知った。とても、とても嬉しかったのだ、と。何かのギフトだと思った、と。要約すると、このような内容だった。ありがとう。でも、ギフトをもらったのは僕の方だよ。介護がどのような日々なのか、僕も知っている。もう一度やれと云われたら、僕は自信がない。そんな彼女の日々に音楽が響いていたとしたなら、こんなに嬉しいことはない。繰り返すけど、本当にありがとう。

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by 山口 洋  

山に還る

2010/04/19, 21:26 | 固定リンク

4月19日 月曜日 雨 

 今年初めて山の家に還った。去年の空気が家中を支配していて、存在しているもの全てが、微妙な湿り気を帯びていた。窓と云う窓をすべて開け放つと、空間は急激に呼吸を始める。ほとんど死んでいたものたちが、再び息を吹き返し始める。簡単な掃除を終えて、薪ストーブに火をおこして、食べ物の匂いが漂う頃、ようやく空気は2010年になる。今読んでいる本に「時間は直線ではない」と云う表現があって、その通り、だと思う。ここにやってくると、自分が過去、現在、未来。その何処に位置しているのか、分からなくなることがある。ウォールデンの「森の生活」、ジャック・ロンドンの「野生の呼び声」、あるいはジョージア・オキーフの晩年の日々。それらの生き方に若い頃憧れて、そして、いつしかこんなことになったんだけれど、まだ遠い。まだ遠いよ。

 野焼きの後は、枯葉と、黒こげの草原と、新緑とが同居している。自然は大部分変わらないのだけれど、税金の無駄使いの残骸や、ひどく病んでしまったこの国の精神はこんな場所でもありありと感じる。太陽はまるで射さないし、澄んだ空気の中を走ることも叶わない。でも、ここで労働しながら、頭の中を整理してみよう。山里での深い深い睡眠で、随分蘇った気がする。自分にとっての財産は、モノではなく人。一人でぽつねんと居ても、独りだとはつゆ思わない。音楽を続けていることは、面倒を伴うこともある。でも、それが苦労だとはまったく思わない。こんな時代に好きなことに没頭できることの幸福を、自然は無言のうちに教えてくれる。感謝しよう、と思う。

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by 山口 洋  

2010/04/18, 22:03 | 固定リンク

4月18日 日曜日 雨 

 ライヴを主催してくれた人々は、山を下ったところにある街の高級旅館に宿を用意してくれていた。でも「そこに泊まりたくない」と小学生みたいにダダをこねたのは僕。だって、山里にある、あの日本家屋ほど、自分らしく居られる場所はない。ほんとだよ。
 突然の訪問(それも大挙しての)にも関わらず、受け入れてくれ、僕はいつしか心地よさで気絶した。そのまま眠りこけて、夕方の5時まで眠っていた。何があっても起きることはなく、ただただ眠りこける中年を放っておいてくれた。こんなに深く眠ったのはいつ以来なのか、もう思い出せない。小川の音、家族の声、エトセトラ。例えが悪いかもしれないが、徴兵されて、ようやく帰郷したら、こんな気持ちなのかもしれん、と。
 若くして、このような田舎の大家族にやってきた「嫁」と呼ばれる人たちのたくましさ、優しさ、強さ、そして乗り越えてきた数々の難問。それらはおおよそ流れ者の僕には信じ難いものだった。「偉大」だとしか云いようがない。僕がもし女性だったとしたら、到底務まるようなことではない。彼女たちは「なーんも知らんときに、連れてこられたから、耐えるとか、耐えないとかじゃなくて、こうするしかなかったんよ」と笑うのだが、僕にとって、最も尊敬に値する人たちであることは間違いない。
 子供は親の背中を観て育つ。娘たちは「今どき、どうやったらこんな子供が育つん?」ちゅーくらいよく働くし、厳しい修行を終えて、帰ってきた長男はその齢20にして、もう家業に対しての責任感と創作意欲に溢れていた。奴が見事にろくろを回す姿を観て、ちょっと涙腺緩んだぜ、オレ。

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by 山口 洋  

シークレットライヴ、九州某県山中にて

2010/04/17, 19:00 | 固定リンク

4月17日 土曜日 晴れ 

 九州某県の山の中に、いつだって僕をフツーに迎え入れてくれる村落がある。そこでは伝統的な焼き物が作られている。連中と知り合ったいきさつは長くなるから割愛するとして、都会暮らしに疲れると、僕はいつもアポなして、ここへやってくる。玄関に鍵もかかっていないので、勝手に上がり込んで、日本家屋でゴロゴロして、上げ膳据え膳でいつの間にかしっかり元気にしてもらって、僕はまた都会に戻る。こう書いてみると、随分ヒドい人間だね、オレ。
 僕に出来ることは、音楽を届けて、人々に元気になってもらうことだけ。だから、ほぼ村人限定で、古い保育園の体育館を借りて、ライヴをやる。田舎では、そのような行事は村人総出で催される。ノウハウは次のジェネレーションに引き継がれていく。焼き鳥を焼く若者、村のパン屋さん、酒屋、若い連中は交通整理に精を出す。開演時間が近づくと、老若男女がワラワラと集まってくる。ほぼ満員。実のところ、このようなライヴの方がミュージシャンにとってはハードルが高い。だって、日頃、音楽を聞かない人や、聞いていたとしても初めて僕の音楽に触れる人だらけだし、小中学生が聞いているような音楽を僕は知らないし。要するに総合的な「人間力」の勝負だからね。
 ちょっと前までなら、「どげんかせんといかん」と主催者の気持ちまで背負いすぎて空廻っていたと思う。でも、僕はどっちに転んでも僕以上でも以下でもないんであって、「背負わないこと」を「背負える」ようになったと思う。まっすぐに音楽に向かって、その空気を楽しんでいれば、人々には伝わるさ。村人の反応はそれぞれで、ミュージシャンになって良かった、と心から思った。
 心を砕いて呼んでくれて、ありがとう。実のところ、エネルギーをもらっているのは僕の方だった。小さなコミュニティーゆえ、これだけの人を集めて、ライヴを開催するのがどのようなことか、僕にもあらかた理解できる。胸には、澄んだ空気と、人々の想いと、美味しい食べ物と、腹がちぎれそうなほど笑った会話と(あんなに笑ったのは久しぶりだよ)、チャージされたよ。多謝&再見。

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by 山口 洋  

future is unwritten

2010/04/16, 16:34 | 固定リンク

4月16日 金曜日 雨 

 身の回りの整理をしながら、音楽の宇宙の中にずっと棲んでいた。魚先生とライヴの現場で「本気」で没入している世界は、予想した通り、「何かが出ている」としか思えないものだった。何かに取り憑かれているとも思うし、何かから完全に離脱もしていた。僕らは空気を握り、爆発させ、時に自らのエネルギーを持てあまして、破綻していた。リアルでいて、幻想的でもあった。この世の中で生きていて、「破綻」せずに暮らしていくことなんて、僕には無理だ。いい人で居ることなんて絶対に無理だ。感情が身体の器を超えるとき、どうしようもなく溢れたものが音になることだってある。
 
 ツアーを続けていて思ったのだ。もう二度と、僕はレコーディング・スタジオと云う閉鎖された空間で、このような「気分」になることはないだろう、と。ならば、自分たちが完全に「無」と化しているこの状態を記録したものから、普遍の作品を作れないだろうか。どうやって完成させたらいいのか分からない。目指しているのは「ライヴ盤」ではないのだから。でも、まずはそれをミキシングすることから始めてみた。誰かが投げかけたひとつのエネルギーが、もう一人の誰かに届き、反応を始める。それが連綿と繰り返されるとき、音楽は河の流れになって、動き始める。蛇行し、様々なものを巻き込みながら、やがては海へと注ぐ。いつかまた雨となって地面に降り注ぐ。でっかくて、そして矮小でもある2010年の祈りと破綻のループ。随分遠いところに来たものだと、わずかな感慨を覚えながら、まだまだ行けるはずだと、もう他人のものになってしまったような、自分たちの音に励まされたりもする。
 ひとつきかけて、この作業を終えたら、すべての楽器をファイルにして、魚先生に丸投げしようと思っている。煮るなり、焼くなり、好きにしてもらいたい。タブーは何もない。それを再び僕が受け取り、曲間のまるでない連綿と続く音楽にできたら、本当に素晴らしいと思う。それがリポビタンDのように、同じ時代を生きる人の滋養強壮に役立つなら、こんなに嬉しいことはない。
 作業に煮詰まると、身の回りの整理をする。使えるものは出来るだけ人に差し上げる。頂きを目指すためには、身軽で居なければ。盗まれて困るのは自分の心だけだ。僕は明日故郷に帰り、一週間かけて、誰かの子供として、繋がってきた血を引き継げなかった人間として、多分最後の責務を果たすことになる。もうつなぎ止めるものは何もない。はばたくだけだ。心にぽっかり空いた穴から空を見上げるとき。そこに確かに風が吹いているのを感じる。無理にはばたかなくても、その気流を捕まえたなら、トンビのように舞うことが出来る気がするのだ。

by 山口 洋  

Splendid Isolation

2010/04/15, 21:49 | 固定リンク

4月15日 木曜日 雨

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by 山口 洋  

No place to hide

2010/04/14, 22:44 | 固定リンク

4月14日 水曜日 晴れ

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by 山口 洋  

wild

2010/04/13, 18:39 | 固定リンク

4月13日 火曜日 晴れ 

 フルマラソンを走って、魚さんとツアーを終えたら、次の目標が漠然と見えてくるだろうと思っていた。それを手にしないまま、日々をやり過ごすほど、残された時間は長くないと思っていたし。ところが、ポテンシャルを全部出し切った後のダメージはかなりのもので、階段落ちの影響もあるのだが、筋肉を落とさないために、3日走らない日を作るだけで精一杯。2週間経過しても、ゆっくり15キロJOGすることしかできない。
 
 身体がこのような状態だからして、見えてくるはずのものも、まだ漠然としたまま。人からよく、「マラソンで自分の目標を掲げて、達成したときの気持ちってどんなものですか?」と聞かれる。確かに、全力は尽くした。カンドーもした。想いも込めた。けれど、人生観が変わるほど何かがあったかと聞かれるなら、応えは否。考えるまでもなく、諦めなければいつかゴールにたどり着くことは経験上知っていたし、達成するための努力は充分にやっていたし、それが自分との闘いであったとしても、安全なコースで、完璧に運営され、金を払って参加し、頂きがあるとするなら、自分で設定したタイムだっただけの話。僕は多分、残りの人生すべてを費やして、頂きが何処にあるのか不明な山に登りたいんだと思う。何処が最高到達点なのか不明な場所に挑み続けたいんだと思う。願わくば、死んだときが頂き。それだけははっきりと分かった。

 旅に出ようと思う。あてもなく彷徨ってみようと思う。かつて持っていたはずの、分かれ道での嗅覚。それを取り戻さなければ。僕は随分スポイルされてしまったようだ。野生に生きよう。そして帰ってきたら、身の廻りを限りなくシンプルにして、身軽になって、見えた頭蓋の中の風景を作品にすることに没入しよう。それを持って、もう一度世界に出てみよう。したたかに、インテリジェンスを持って、野に生きよう。肉を食らうのなら、その生き物を殺せる自分で居よう。僕が怖いものは人間だけだ。何もかもあるところには何もない。何もないところには何もかもがある。それだけははっきりと分かった。

by 山口 洋  

Running on empty

2010/04/12, 17:57 | 固定リンク

4月12日 月曜日 雨 

 フランス語にはまったく明るくないけれど、ギターはきっと女性名詞だろう。僕の感覚では、それは間違っても男じゃない。奏でれば奏でるほど、そのボディーには傷が刻まれる。でも、それは決して憎しみがつけたものではない。愛によってもたらされたものだ。
 もう十年以上前のこと。呆然とするほど、深い感銘を受けた本があって、記憶が正しければ、訳者のあとがきに「人間には治療不可能な傷がもたらされることがある。そして、それは、もはや傷のまま完治するしかないのだ」と。医学に「完治」ではなく「かんかい」と云う言葉があるように、それと共生していくのは残酷だとしか云いようがないけれど、長い歴史の間、その傷こそが文章をつむぎ、音楽を創造してきたひとつの確かな力だと、僕は信じている。

 アムステルダムのゴッホ美術館には、失意と裏切りと絶望の数年の間に、彼が描き続けた作品が、時系列を追って展示されているコーナーがある。僕は圧倒されて、しばらくその場を動けなかった。彼の中に渦巻く巨大な想いが、二次元である平面に「立体的に」浮き彫りにされていたからだ。それは美しいと云う言葉では表現できない類いのもので、だからこそ人は絵画を観にいくのだ、と。そして、それらの作品は彼が生きている間、一枚も売れなかった。何とアイロニックなんだろう、と思う。けれど、作家にとっての一番の喜びは、例えば僕ならば、100年経過しても、誰かが何処かでその歌を口ずさんでくれていることだろう。願って叶うことではないし、そのようなものを書いた実感なんてある訳もない。だから、道に生きるしかないのだと思う。「Running on empty」。

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by 山口 洋  

リハーサル

2010/04/11, 23:15 | 固定リンク

4月11日 日曜日 曇り 

 都内某スタジオにて。今年初めて、4人揃ってのバンドのリハーサル。さすがに「あけおめ」と云うメンバーは居なかったけど。心地よい耳鳴りに包まれています。

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by 山口 洋  

猿以上人間以下

2010/04/10, 20:20 | 固定リンク

4月10日 土曜日 晴れ

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by 山口 洋  

ギターの可能性

2010/04/09, 21:03 | 固定リンク

4月9日 金曜日 晴れ 

 随分前のことだけれど、増殖し続けるギターの数にぞっとした。僕はプレイヤーであって、コレクターではない。だから、いろんなミュージシャンに差し上げた。最後に買ったのはいつだろう。もはや思い出せず。
 「必要は発明の母」。少ない数のギターで地方を廻っているうちに、それで何でもこなせるようになった。もちろんヤイリギターの素晴らしいサポートがあってのことだけれど。ところで、最近ルー・リードの「メタルマシン・トリオ」を観た。彼はギターではなく、マッキントッシュを駆使してノイズを出していた。ディランは「オルガン」を弾いていた。枯れてる場合じゃないだろ、と云うメッセージを偉大な先輩方から受け取った。昨年末、おおはた君と一緒に演奏し、今年、魚さんとツアーを廻り、今一度「ギターの可能性」に僕は目覚めてもいた。誰かの言葉を借りると、「二度目の思春期」ってやつかもしれん。
 魚先生からメールが来て、「面白いギターがあるよ」と。それはとんでもなくルックスがダサく、ここまで格好悪いと、「アイツ、気でも狂ったのか」と、逆説的に格好良く見える類いのもので(なので、メーカー名は書きません)、エレクトリック・ギターの風体をなしているのに、何故かアコースティック・ギターの音も出て、なおかつギター・シンセのアウトプットも付いてるという、僕が絶対に手を出さないタイプのものだった。「うわ、格好悪っ」。それが第一印象。しかも、使用しているのがヘビーメタルの人々が多かったりして、そこに妙に興味をそそられるひねくれ者。
 な、訳で観に行ったのです。実物を。うわっ、やっぱり格好悪い。格好悪いにも程がある。ただし、ハイブリッドの可能性も感じたのです。発想は充分面白い。前述のように一本のギターにアウトプットが個別に3つあり、マキシマムに使うなら、ギターから3本ケーブルが出ていると云う意味不明な一品。格好悪いが、音も悪くはない。ただし、アコースティック・ギターの弦を張れないことだけが引っかかった。ボディーとネックにそれほどの強度がないのです。残念。エレクトリック・ギターの弦をつま弾いていて、音はアコースティックと云う違和感だけは、僕の世代には拭いがたく、買うのは止めました。うーん、メーカーに直訴してみようかな。何とかしてくれませんか?革新的に使ってみるので、と。

by 山口 洋  

Enlightenment

2010/04/08, 18:29 | 固定リンク

4月8日 木曜日 晴れ 

 この歌が「すどん」と胸に刺さったのは、もう20年も前のこと。僕は26歳のとんがっているだけの若造で、その言葉の意味も何も分からなかった。ただ、かなりの衝撃を持って、それは僕に刺さった。こりゃ、一生抜けないわ。いつもの直感がそう云った。いつか理解できる日が来るだろう、とも。そして、20年の時を経て、走っていたら、頭の中でこの歌がプレイバックされて、再び「ずとん」と撃ち抜かれた。そうだったのか、と。

 Chop the wood
 Carry water
 What's the sound of one hand clapping
 Enlightenment, don't know what it is

 Enlightenment says the world is nothing
 Nothing but a dream, everything's an illusion
 And nothing is real

 Good or bad baby
 You can change it anyway you want
 Enlightenment, don't know what it is

 すごすぎる。そして曲間に「Wake up」とフェイクが入り、「It's always up to you」と云う言葉で締めくくられる。ありがとう。その言葉しか湧いてこなかった。

 突然、24年前の風景が蘇った。僕は大学を出て、造り酒屋のラベル・デザイナー兼配達員と云うバイトをしていた。デザインの仕事がない日はトラックに乗って、酒を遠方まで配達する。嫌いな仕事じゃなかった。昼休みは河原に寝転んで本を読み、詩を書いていた。不安と云えば不安。でも、見上げる空には「大志」があった。Gene Chandlerの言葉を借りるなら「There is a rainbow in my soul」。僕はそれを今日、くっきりと思い出した。虹を想い描こう。新たな形で。

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by 山口 洋  

アナウンス

2010/04/07, 14:38 | 固定リンク

4月7日 水曜日 雨 

 ライヴに来てくれた人が一番欲しいものは何だろう?うちの場合、間違っても携帯ストラップじゃないだろう、と。長い歴史もあることだし、そのエポックメイキング的なライヴを編集することなく、まるごとCD2枚に収録して、できるだけ安価で提供する。そのようなコンセプトで制作された、ライヴ会場限定発売の「official bootleg」シリーズ。全国各地から、「ライヴに行けないから通販して欲しい」との声が絶えませんでした。分かりました。数が少ないので、お早めにどうぞ。

http://www.ads405.jp/

 今後も膨大なライブラリーの中から、随時リリースしていくと思います。作品の詳細はこちらをどうぞ。
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=09100007
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=09100015

by 山口 洋  

儚さ

2010/04/06, 20:49 | 固定リンク

4月6日 火曜日 晴れ 

 桜が好きになれなかった。この季節になると思い出すことが、桜と共に記憶されていたから。でも、「儚い」と云う感情を外人に説明するときには、いつも桜の話をする。花びらが吹雪のように舞っていたよ。

 遠く、八重山からメールが届いた。そこに記されていた言葉は、走りながら咀嚼するにはちょうどよすぎた。ありがとう。今年、また会いにいくからね。

 知識を得ようとするものは、日に日に知識を蓄えようとする
 道に生きる人は、日に日に失っていくことを目指す。どんどん無くしていってついには空っぽになった時、そこに無為がある。何もしないことによって、すべてがなされる。老子 第48章

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by 山口 洋  

如実知見

2010/04/05, 15:29 | 固定リンク

4月5日 月曜日 雨 

 多分、人は誰でも、目覚めたとき、カーテンから漏れてくる光を見て、その日の天気を知り、預かり知らぬ一日を想う。ああ、決して晴れてはいないだろう。でも、願わくば、このように生きてみるか。玄関先に奇麗と云うよりは猥雑な花が咲いていて、妙にエロティックで、決してその色が好きではないから、いいな、と思った。

 妻を亡くした住職が「如実知見」と云う言葉を使った。「事実を事実として、知ること」。あるいは「事実を事実として、身体で知覚すること」。尊敬に値するひとは、後ろ姿がいい。後ろ姿に気を遣う人は少ない。だから、そこににじみ出るんだろう。
 ある種のキツい体験をすると人はどうなるか。たいていの場合、エゴが壊れ始める。エゴによって、自分が苦しんでいたことを知る。そして地軸のようなものが自分ではなくなっていく。任せる - 流れる - 委ねる - 漂う。このようなことは本質的には、実は「主体性」を伴う、能動的な行動で、それにはひどく勇気が必要で、やがてそれらが「信じる」と云う言葉の意味だと云う、丘の上に立つことができる。そこには「人間としてやるべきことをやれ」と云う渇いた風が吹いている。答えは風には舞ってはいないけれど、そこに立っていればいいんだと思う。

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by 山口 洋  

ファン・ラン

2010/04/04, 01:39 | 固定リンク

4月4日 日曜日 曇り 

 毎月第一日曜日は草レースの日。丁度一週間前にフル・マラソンを走ったばかりで、身体はまだ回復していないし、モチベーションも低いし、階段落ちの打撲も治っていないし、ガシガシ道を削るように走る気にはまったくなれなかったのです。ただ、一度でいいから、タイムを気にせず、愉しく走ってみたい。そのような動機で出場することにしました。こんなこと滅多にないだろうから、初めて20キロに挑戦する輩のサポートをしようと。ちょいと太めのお菓子屋のボン。彼は気遣いを決して忘れない、心の優しい男です。初めての20キロ。そして2時間を切ること。了解です。僕はかなりスポ魂入ってるので、ときどき厳しいかもしれないけど、必ず達成させますとも。彼は力石徹の最後の試合のような表情を浮かべながら、最後まで自分と闘って、目標を達成しました。喜びより疲労の方が大きかったみたいだけど、その姿をずっと並走しながら観ているのは悪くなかったです。おめでと、素晴らしいガッツだったよ。でもオレのこと、嫌いになんないでね。決してイヂメたかった訳じゃないから。
 それから日比谷の野外音楽堂に、ライヴを観に行きました。Joe Henry、Jesse Harris、おおはた雄一くん、Ann Sallyさん、Emi Meyerさん、そしてハンバートハンバート。思うこと多々あり。でも、それは僕の胸の中にしまっておいていいですか。もう少しだけ気温が高ければ。それだけが残念。演奏直後のとあるシンガーと握手をしたら、手が氷のように冷たかった。きっとミュージシャンにとってもタフな状況だったんだと思います。それだけが残念。アゲイン。

by 山口 洋  

餌、改め食事。

2010/04/03, 02:01 | 固定リンク

4月3日 土曜日 晴れ 

 自分ひとりが生きていくために食べるものは「餌」で、マラソンに耐えるための身体を作るための食事は「行」。いくら細胞を入れ替えたとしても、人は喰ったもので出来てるんだから。知多半島改め、渥美半島からはるばる運ばれてきた「あさり」はその流れを断ち切ってくれるには充分な食材だった。海が育んでくれたものを、美味しく頂かなきゃバチが当たる。ちょいと遠出をして、パルメジャーノやルッコラを買いに行った。久しぶりに料理と云える行動をして、友達が作った器に持った。何だか手際も悪くなったけど、あさりは美味かった。ありがとね。

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by 山口 洋  

或る一日

2010/04/02, 13:27 | 固定リンク

4月2日 金曜日 晴れ 

 友人がやってきて、「人は何のために生きるのか。それは宇宙の進化と向上のため」、と云う言葉を教えてくれた。ひどく、ずんと響いた。知多半島から、採りたてのあさりが「ずん」と送られてきた。美味しいパスタを作ってみようか、と。しらばく忘れていたことに気持ちをシフトできるのは、こうした気遣いのおかげでもある。ありがとう。

by 山口 洋  

死線を越えて

2010/04/01, 02:54 | 固定リンク

4月1日 木曜日 晴れ 

 4月、か。
 
 この世で何が起きても、もう僕は驚かない。逆に云えば、何だって起こりうる。そんな世界に僕らは生きている。
 
 随分前、世の中で起きるすべてのことを、フリーメイソン、あるいはロスチャイルド家を絡めて語る人物が居た。彼はかつては世界を股にかけて、活躍していた人物だったが、近年は、ある種の諦めと共に、浮き雲のようにこの世を渡っていた。「それが全てじゃないっすよ、お互い道を切り拓きましょうよ」。そんな偉そうな口をきいていた自分が居たことを、恥ずかしさと共に思い出す。

 生きれば生きるほど、暮らせば暮らすほど、とんでもないものが見えてくる。末恐ろしい構図が透けて見えてくる。具体的な記述はしない。怖がってはいないけれど、軽々しく口にもしたくない。分かりやすく書くなら、そこの交差点の信号を遵守した時点で、僕らは「飼われて」いる。誰にも依存することなく、あらゆる組織に属することなく、独立して生きようとフントーしたあげく、その事実に随分前に気づかされて、愕然とした。どうあがいても、「飼われて」いる事実からは逃れられない。戸籍も住民票も抹消し、行方知れずになって、死人として扱われ、無人島の洞穴にでも暮らさない限り、そこからは逃れられない。と、書いたところで、タイムアップ。この話はまたいずれ。死線を越えて行こう。僕らはカモメくらいには自由なはずさ。

by 山口 洋  
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