ハレもケもある毎日

2010/05/31, 17:09 | 固定リンク

5月31日 月曜日 晴れ 

 小松から羽田に向かう飛行機の中でこれを書いています。長くなるけど、是非読んでください。漱石は「草枕」の冒頭にこう書いています。「智に働けば角が立つ。情に棹されば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい」。ごもっとも。彼が生きていた時代から基本的には何も変わっていないのかもしれん、と。

 突然ですが、バンドは今年デビュー20周年なのです。昨年は結成30周年。まぁ、でも、その、あの、続けることが一番難しいことなのだけれど、自分で自分を祝うことでもなかろう、と。1990年、僕らは当時のエピック・ソニーの社長であった丸山さんの男意気に惚れて、契約を交わしました。1995年に契約を終了するまでの5年間に5枚のアルバムを残しました。現在それらはすべて「廃盤」の憂き目に遭っており、新しくファンになった人たちが聞きたいと願っても、叶わない状況にありました。オークション等でかなり法外な値段で取引きれていると云う話を聞くことは、あまり気分の良いものではありません。おまけに僕らは2007年に「送信可能化権」についてソニーと裁判した結果、完膚なきまでに敗訴しており(詳細を知りたい人はこのblogの検索エンジンで検索してください)、それらがアルバムとして、誰かの耳に触れることはもうないだろう、と半ば諦めの境地に居ました。その裁判の結果にもある通り、すべての権利はレコード会社が有しており、僕らの作品は僕らの手の届かないところにあるからです。
 
 そんな訳で、今回ソニーから連絡がきて、正直「ほぇ?」と我が耳を疑いました。僕が10歳若かったなら、「何処の誰にモノ云っとるんじゃ、ボケーっ」と即、キレてたんでしょうが、僕も大人になりました。担当者の方も随分骨を折ってくれたのだと思います。タキシードの戦闘服で身を固めて(ウソ)、再びソニーの門をくぐったのです。バンドの代表として。交渉人として。

 飛行機が着陸態勢に入り、キャビン・アテンダントに怒られました。続きはまた後で。

 僕の希望はこうでした。全てのアルバムをリマスターして廉価版で個別に出して欲しい、と。それは企業の論理にて叶いませんでした。はい、もうキレません。資本主義の世の中である以上、それは仕方のないことです。結果、ソニー在籍時に残した5枚のオリジナルアルバム、シングル、マキシシングル(要するにほぼすべての音源)、それからライヴ映像、PVなどをまとめたDVD、新たなブックレットをボックスセットにして、みなさんに届けると云うものです。もちろんリマスタリングには僕が立ち会い、音質は現在の音楽と比べても遜色のないものに補正します。デザインは炎の男スントー・ヒロシが、ブックレットは長年僕の書籍を編集してくれた敏腕編集者のS君が担当します。その他の詳細についてはソニーからのアナウンスがあるまで、ちょっと待っていてください。
 CDが売れないこの時代。おそらくソニー在籍時のアルバムが復刻されるのは、これが最初で最後になると思います。このボックスが高くて買えない、あるいはあの曲だけが聞きたい。そのような人々のために、ボックスセット発売と同時に、すべての音源がソニーより「配信」されます。もともと、「配信」に関して揉めていた訳ですから、これらの音源が再び聞いてもらえることは僕らにとっても画期的なことです。関わってくれたすべての人に深く感謝します。どうもありがとう。

 そのボックスセットと「願わくば」ですが、「新しい音源」を抱えて、バンドは9月にツアーに出る予定です。僕らは永遠に前を向いて進んでいきます。走り続けることによって、僕の身体には新しいグルーヴが渦巻いてきました。おそらく、近年になかったくらいグルーヴィーなライヴになるでしょう。こちらもアナウンスがあるまで、待っていてください。

ハレもケもある毎日。まっすぐ走ってきて良かったと思っています。みなさんの長年に渡る声援がなければ、このような事は起こらなかったでしょう。心からありがとう。明日は三重県桑名に行きます。みんな来いよー。

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by 山口 洋  

プロフェッショナル・アウトサイダーの死、石川県金沢市にて

2010/05/30, 09:23 | 固定リンク

5月30日 日曜日 

 富山から金沢への移動中に、デニス・ホッパーの訃報を聞いた。前立腺ガンによる合併症、享年74歳。彼は僕のヒーローだった。世界中のひねくれた若者たちに、計り知れないエネルギーを与えた。一番心に残っている台詞は、ショーン・ペンに向かって放ったアドリブ、「ところで、君はアヒルのケツから立ち上る虹を見たことがあるかい?」。僕はその台詞に衝撃を受けて「プロフェッショナル・アウトサイダー」と云う曲を書いた。晩年に遺した映画「フラッシュ・バック(だったと思う)」。是非観られたし。僕の好きな彼のすべてがそこにある。劇中、ディランが歌う「people get ready」が流れる。あまり知られていないけれど、これほど素晴らしいカヴァーはかつて聞いたことがない。ありがとう。R.I.P。

 金沢は近江町にある魔界、メロメロ某にはここで撮影された僕の写真が多数飾られていた。「近江町ブルース」を歌ってくれた写真の彼はもうこの世には居ない。身体はエネルギーに満ちていた。魔界のエネルギーに身を任せて、思い切り演奏した。後悔なし。受け取ってくれたかい?ライヴ中も話したけれど、生きててなんぼだよ。どうか身体に気をつけて。僕は必ず戻ってくる。心からありがとう。多謝&再見。

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by 山口 洋  

育っていくこと、富山県高岡市にて

2010/05/29, 01:30 | 固定リンク

5月29日 土曜日 曇り 

 東京から富山へ空路で移動することは、日本列島を輪切りするように移動すること。その際、槍が岳を含む、美しい日本の屋根を越え、航空機は一度、日本海上空に出て、そこから立山連峰をのぞみながら、ランディングする。札幌の丘珠空港から中標津に向かう路線と並んで、とても好きなコースのひとつ。この飛行機に乗るときだけは、僕は小学生みたいに窓際の席を取る。今日の風景、写真で是非観てね。

 富山県高岡市。田んぼの真ん中にあるカフェ・ポローニャ。初めてやってきたミュージシャンが僕。それは5年前の話。それから22回もコンサートが行われた。いきさつや詳細が知りたかったら、このblogのスーパー検索エンジンに「高岡」と入れて、検索してみてください。満員の客席。何よりも嬉しかったのが、音楽が「文化」としてこの街に根付いてきていること。静かな曲はミュージシャンを集中させてくれ、オバカな曲では騒ぐ。オーディエンスが実のところ、ライヴを作っていることを自覚しつつ、働いた尊いお金を使って参加してくれていること。それがとても嬉しかった。だって、初めて来たときにはお互いに妙な緊張感があったしね。この街、主催者、スタッフ、云うまでもなくオーディエンス。心からお礼を云いたい。ありがとう。多分、間違いなく、今年中に違う形で帰ってきます。それまで、どうかお元気で。多謝&再見。

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by 山口 洋  

on the road

2010/05/28, 18:12 | 固定リンク

5月28日 金曜日 晴れ 

 明日からツアーに復帰します。まずは北陸。富山、金沢、そして桑名を廻ります。みなさんに会えるのを愉しみにしています。詳細は「News」を。

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by 山口 洋  

2010/05/27, 01:38 | 固定リンク

5月27日 木曜日 雨 

 朝から晩まで、都会で打ち合わせ三昧。土砂降りの雨にも打たれた。面倒なことも多々あるけれど、今は足下を踏み固めなければ、前に進めないことは分かっていた。でも、クリエイティヴな発想を持つニンゲンに会うのは楽しい。そして、帰りしな。それは突然やってきた。
 
 僕は光の中に居た。もう探してはいなかった。かぐや姫だったか、何だったか忘れたが、とにかく僕は光の中に居た。くっきりとアテのない未来を見たのだ。嬉しくて、クリエイターどもに連絡した。今まで本気でつき合ってきた連中は、ほぼ即座に、僕がまくしたてることを理解してくれた。グルーヴの源は僕だったのかもしれん。源流と云う意味では。でも、ここから大河に繋がる流れを、音楽で作っていけると、僕は思う。僕は一回死んで、やっと生まれたのだ。2010年に想う某年某月某日。それは僕にとって、二つ目の誕生日なのかもしれない。

by 山口 洋  

闘うときが来たようだ

2010/05/26, 20:20 | 固定リンク

5月26日 水曜日 曇り 

 随分と長居をしすぎた。闘うときが来たようだ。そんな時に、渋さ知らズの新譜「渋夜旅」に付属しているDVDを観て、完全にノックアウト。偉大なバンドだ。こりゃ、すげぇ。とんでもないもの観てしまった。一言で書くなら「ビバ!ニンゲン」。僕はこういうエネルギーを信じていたい。ありがとう。

by 山口 洋  

何かが動きはじめている

2010/05/25, 18:34 | 固定リンク

5月25日 火曜日 晴れ 

 もう二度と足を踏み入れることがないだろうと思っていた、大企業の瀟酒なオフィスビルのロビーで打ち合わせをした。巨大迷路に迷い込んだような、浦島太郎になってしまったような不思議な気分だった。それから僕はグラフィック・デザイナーのスントー・ヒロシに会うため、彼のオフィスに出向いた。いつものように僕が仕事のオファーをする前に、「ブヒブヒ・グヒグヒ」彼は語り続けた。変わってねーな、素晴らしい。
 彼が何かを取り出してきた。忘れもしない、1995年3月20日。地下鉄にサリンが撒かれた日、僕はスントー・ヒロシのアイデアで、写真家の藤代冥砂さんによってポラロイドで写真を撮られていた。新宿の街を歩き回って、夜まで撮影は続いた。その写真がほぼ現存していたのだ。たかが15年前。そして、あの日。その写真に記録された自分は、もはや自分ではなく、街の風景はまるで異国のようだった。香港?タイ?高度に発達したチェンマイ?軽く目眩がした。僕もスントー・ヒロシも藤代さんも、その日、それぞれに何かを感じていたと思う。晴れているのに曇っていて、光は遠いところから差してきて、訳もなく鳥肌が立つような感覚。社会なのに魔界。本能が感じる不気味さ。それが如実に記録されていた。僕はその日から一度も藤代さんに会ったことはない。それから彼が世界中を旅して、素晴らしい写真を撮っていたのは知ってはいるが。先日、とある半島の先っぽまで出かけた際、彼がそこに住んでいて、僕の友人と知り合いであることを知って少し驚いた。ふーむ、会うべき人とは会うべきときに会うのだろうから、さして驚くことではないが、何かが1995年を中心に動きはじめている。どこに行こうとしているのか、それはこの仕事を進めていけば、きっと分かるだろう。根拠はないけれど、そう思う。
 続いて。つい先日。ジャーナリストの悪友と会った際に「一度、政治家と呼ばれる人に会ってみたい」と書いた。そして今日。会ったのだ。いや、正確には遭遇した、か。僕は数時間かけて、複数の自民党の国会議員とその秘書らしき人物たち、そしてとある国の元外交官をつぶさに観察する機会を得た。彼らは今まで僕が会った誰とも違う目をしていた。そして、自分の云いたいことを「揺るぎなく」語った。本当に「揺るぎなく」、「よどみなく」。軽く吐き気を催した。逆に云えば、それだけのエネルギーがあるってことだ。その隣で、僕の尊敬する人が憔悴しきった表情で「よどみながら」語っていた。すごくリアルだった。彼の胸に去来するものが「言いよどみ」の中から伝わってくる。政治家がゴミで、彼が素晴らしいなんてことを云いたい訳じゃない。まったくこの世は魔界だ。このシュールとしか言いようのない、善意と悪意と本物と偽物がごちゃ混ぜになった空間の中で、僕もそこに生きていることを実感したのだ。この数ヶ月、自分を世界が剥離してしまったと感じていた。どうしていいのか分からなかった。でも、行けるとこまで行け。でなきゃ、何も見えてはこない。満員の地下鉄に揺られ、そう気づいたのだ。何かが確実に動きはじめている。

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by 山口 洋  

days #4

2010/05/24, 02:16 | 固定リンク

5月24日 月曜日 雨

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by 山口 洋  

days #3

2010/05/23, 17:02 | 固定リンク

5月23日 日曜日 雨

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by 山口 洋  

days#2

2010/05/22, 19:33 | 固定リンク

5月22日 土曜日 晴れ

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by 山口 洋  

days

2010/05/21, 13:25 | 固定リンク

5月21日 金曜日 晴れ

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by 山口 洋  

ホロスコープ

2010/05/20, 19:17 | 固定リンク

5月20日 木曜日 雨 

 僕は占いに頼って生きてはいない。今も昔もこれからも。ただ、この数年に渡って、自分が経験したことを乗り越えようとしているうちに、音楽でも実生活でも「宇宙的」としか云いようのない感覚を身につけつつある。それは主に、走ることによって、地球にアースしてもらうことから、もたらされた部分が大きいのだけれど。確かに「宇宙」と繋がっている感覚がある。そして、それの持つ途方もない力は、身体や精神をスルーさせておくことの方が重要で、抗ってもどうにもならない事を知った。
 ひょんな事で旧知の友人から連絡があった。しばらく連絡を取らない間に、彼はホロスコープを用いる占い師になっていた。メールに記されたweb siteにアクセスしてみると、僕を解析した文章が載っていて、ひどく興味をそそられた。ほほう。こんな世界があるのか。僕は彼に「解析(でいいのかな?)」を依頼した。「あの感覚」が具体的に理解できるかもしれん、と思ったからだ。そして寄せられた彼の回答の抜粋が以下。

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この数年、これまでにない激動の時期であったということは、
天体の動きからもつぶさに感じられるところです。

まず、今天を動いている冥王星という星、
これが、2008年の1月に山羊座(山口さんの主となる星座)に、
入ってきました、一旦逆戻りをした後、
2008年の11月に再び山羊座に入って、
以来ずっと、山羊座の最初の辺りをウロウロとしています。
2009年に入ってきた辺りから、山口さんには、
この冥王星はガツンと来るような経験を、
もたらしてきたたのであろうと思います。

冥王星は、太陽系の一番外にある(現在は)準惑星です。
いわば、太陽系と宇宙との接点となり、
宇宙のエネルギーを太陽系に送り出す、
その発端の星なのですが、その冥王星と、
山口さんの出生時の太陽(通常「私は○○座」と言われている部分)
がピッタリと重なったり、通り過ぎたり、また戻ってきたり、
と言う動きが、先述のように展開されています(今も)
※これ以降、天の空の動きをトランジットと言う言い方をします。

冥王星のキーワードは「破壊と再生」です。
物騒な言い方をすればブルドーザーのような形での地ならしでなく、
核兵器で徹底的に木端微塵にするような破壊です。
先に書きましたけど、地上の倫理では無い、
宇宙の倫理が山口さんに直接流れ込んできた訳ですから、
日々が「ありえない」ことの連続であってもおかしくはありません。
プラス出生時の月の位置でも、この冥王星は関係していますから、
公的、私的(月は私的領域を象徴します)に於いて、
全面改訂が成される、そんな印象も見受けられます。

言わば天の星は、山口さんへ、
これまで構築してきた人生に固執してはならない、
と言うメッセージを与えたと言うことになります。
そしてそれは今でも続いています。

加えて、トランジットの土星が乙女座にずっと、
この数年滞在しており、こちらは山口さんには、
ブルドーザー的な地固めを促す作用を示してきました。
端的に言えば、エゴの見直し、ある種の悪癖であったり、
エキセントリックな性格の修正指示、
と言う意味にもなりますし、乙女座は個人の中での、
人格の完成を意味します。健康を示唆する星座でもあり、
件のランニングは、先の冥王星の破壊の後の、
地均し的な意味合いも感じられます。
土星と冥王星のコンビネーションは、
「限界を具体的な方法で、突破する」ですから。

この2つの天体が山口さんに「外」からの影響をもたらしました。

※参考までに山口さんが生まれたときの冥王星は、
乙女座の14度にあり、これは家系に浅からぬ因縁があり、
そこにしがらみを受けてしまうと言う意味合いがあります。
これはある種の宿命と言うこともできると思います。

次は「内」からの影響です。

出生時間が不明なので具体的な特定は避けますが、
去年の春を中心とした前後の時期に、
山口さんは新たなサイクルに入っています。
生まれ変わりの時期、と言ってもいいかもしれません。
これまでの総括的なできごともあったと思いますし、
終わらせなければならないことや、
まとめなければならないことが多々あったかと思います。

後そこに、例えばブログで書かれている先祖や血といった、
因縁的な問題、ある種、精神世界的な世界との繋がり、
が絡み合い、ひとつひとつのできごとだけでは、
感じ得ないであろう、複雑で壮絶な世界が、
展開されたのであろうと思います。
先に、「内」と書いた山口さんの中の体内時計、
(以降、この動きをプログレスと呼びます)と、
トランジット、そして山口さんの宿命が、
重なると言った、かなり稀有な配置の時期が、
去年を中心に起こっていました。

出生の山羊の太陽を、プログレスで進めていくと、
去年から前の5年程の時期は、
水瓶座の15〜20度辺りへとコマを進めていました。
この辺りのエリアは、周囲とのバランスシートが、
崩れやすく、干渉やそれまでの「ネコを被っていた部分」が、
剥がされたり、マニュアル通りでない事態に、
対処することがあるような時期です。
ここで学べることは、たったひとつ「心を開く」と言うこととなります。

去年のある時期から、プログレスの太陽は水瓶座21度にあります。
サビアンシステム(意味は自分とこのサイトを見てください)では、
「絶望し幻滅した女」と言うシンボルが与えられています。

これは世を儚んで…と言う意味では無く、
自分の理想や精神を発達させるには、
身体や、世俗的な生活、心地よさを感じる心などが、
邪魔になってしまうと考えていくようなことです。

なのでそう言うものを排除して精神性を限界まで拡張していく、
その為には肉体や生活を犠牲にしてまで、
自分自身を鍛えていく…と言うような意味合いになります。
その結果誰よりも自分の技術を高めていくことができるのです。
これが何を指すのかは語るべくも無いでしょう。

21度はある種、極端な度数ですので、
これからはメリハリをつけながら、自分自身の「理論」や思想を、
理想的な姿で形作っていく時期となります。
これは5年程のスパンで続けられていくでしょう。
その中で自分自身の「子供」の部分をしつけたり、
誰かに「単なる情熱任せでなく、経験を通して積んだ」
自分自身の経験を伝えたりと言う行為を、
通過していくことになると思います。

運勢、と言うことを見ていけば、
やはりこれからも激動である流れが感じ取られます。
7月終わり〜8月にかけて、
今年のピーク的なできごとが起こるような感じがします。
その時点での時代の流れにも影響されるところは、
少なくは無いのかなと思いますし、
件の冥王星で起こった変化を修飾し、
さらにリアルに地固めを行うような時期が、
この時期に展開されるようです。
また、この時期、事故(骨折や頭、骨、腰に関わるようなこと)
には用心しておいてください。

仕事面では、2003年頃に活動を再開したHWの、
新たな展開であったり、その前後を契機とした、
キャリアの新しい展開やそれまでの活動内容の、
見直しであったりすることが考えられそうです。

家庭面での変化(引越とか改築とか)を、
暗示させるような動きもありますが、
幾度かの紆余曲折を経て、来年の頭や春頃に、
キチンとした流れに落ち着くのかなとも思います。
また、「家」、「家系」に関することで即決は控えた方がいいかと思います。

またその時期を契機にして、数年スパンで、人間関係に対する、
見直しや関係性の整理などが予想されます。
去っていく人は去っていくかもしれませんし、
ここで残った人は固い絆で結ばれた人となるでしょう。
また、これまでだったら受け入れがたいと思っていた人たちとの、
関係性を要求させられたり、規格外の人たちとの関係性を、
作っていくべき、と言う流れも感じられるかもしれません。
ここで揺らされず、しっかりとした関係を作っていくところは作っていき、始まるものは受け入れ、去っていくものは無闇に追わない、
(多分そのような人だとは思いますが)ことが大切だと思います。

いずれにせよこれは「外」からの影響でありますが、
「内」としてはこの数年の制限から解放される暗示が出ています。
これも今年の夏辺りから始まっていくでしょうし、
過度にストイックになるでもなく、けど箍が外れる訳でもない、
自分自身の「理想」に向けて再始動(すでにしていたらゴメンナサイ)、していける時期となるでしょう。
けど、周囲の動きが「激動」であることは自覚しておいた方がよいと思います。
それが山口さんに与える影響もそれなりのものがあるでしょうから。

8月下旬〜9月の中旬辺り、12月上旬〜年末までは、
言動や契約ごとには注意が必要です。
決まったとしても御破算になってしまう可能性もあります。

先に書いた冥王星の動きは、今年の初冬辺りまでに、
ひとつの役割を終えます。
また今年の誕生日を契機に、爆発的なエネルギーを、
得られてそこから「窓」が開かれるという暗示も感じられます。
リスクは大きいかと思いますが、恐らく突き進んでいく、
そんなことも感じさせる流れです。

これまでのホロスコープの流れを見ていると、
徹底して山口さんに「破壊と再生」と言うメッセージを与え、
さらにそれを修飾するような補助的流れもあり、
ここまで徹底した変化を起こさせる流れというのは、
まず他の人には無いだろうと思います。

そこから再生していく(であろう)山口さんが、
夏の激動の時期を通して、最終チェックが行われる、
と言うのが今年の(ホロスコープ)的には、
ハイライト、と言う感じがします。
で、山口さんだったらそれは乗り越えられるものだと思っています。
それ程までに、これまでの天体が山口さんに伝えたメッセージと言うものは、
強力であり、かつてない糧を与えたものだと確信していますので。

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いやはや、何とも。面白い世界があるものだね。書かれている内容に、素直に感銘を受けた。
確かに、その通りだったからだ。「抗えない力」をこのように解析する方法があるんだね。
僕は徹底した「現場」あるいは「経験」主義だから、これからも自分のやり方を変える気はないのだけれど、彼の忠告は頭の何処かにしまっておこうと思う。ありがとう。何にせよ、僕は君が
おそらく紆余曲折の末に、自分の確かな道を見いだしてくれたことが嬉しかったよ。

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by 山口 洋  

5月のフール

2010/05/19, 15:51 | 固定リンク

5月19日 水曜日 雨 

フール 降り注ぐ 五月の雨 窓をたたく 光と影 こぼれ落ちる 約束とか あきらめとか 裏切りとか    
フール 耳を澄ます こぼれ落ちる 沈黙とか なぐさめとか 血の味とか 忘れられぬ 握りしめた 手のぬくもりとか 

いつか必ず真実が 君を自由にする日がくるだろう

フール わけもなく あてもなく 暮らしてる 手に負えないこのフール

クール 振り返らず 夜の道を 歩いてゆく 求めてみる やり直してみる 微笑んでみる 信じてみる 空に祈る

フール 橋の上で 今日を生きる 見上げてみる

この世に居場所をなくした魂は いつか空に溢れる光になるだろう

クール 夜明けの歌 口ずさむ 見届ける 流れされてゆく あまりにも近く あまりにも遠く 折り返してゆく 怒りの赤 屈辱の青 空しすぎる たおやかに 願わくば うららかに

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by 山口 洋  

解放

2010/05/18, 20:16 | 固定リンク

5月18日 火曜日 晴れ 

 結局のところ、この音源をミキシングするのに、ひと月半を費やした。外国逃亡の夢も泡と消えた。そんな時間は何処にもなかった。同時に複数のことができない性格が恨めしくもあるが、それはもう一生治らないだろう。明日、全てのデータを入れたハードディスクは魚先生の家に向けて、飛び立っていく。さぁ、次のプロジェクトに移行する前に今日はすべてを荒い流そう。居間ではずっとチャーリー・ヘイデンの静かなアルバムがエンドレスで流れていた。この音楽には随分癒してもらったなぁ。

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by 山口 洋  

アーカイブの意味

2010/05/17, 02:27 | 固定リンク

5月17日 月曜日 晴れ 

 ある人がある人に僕の音楽の橋渡しをした。それに際して、「ヒロシのプロフィールをちょうだい」と。そんなもの、僕にはない。興味を持ったこともない。いつも必要に迫られて、ライヴの主催者なり何なりが、一生懸命作ってくれたものが複数存在するだけで。だいいち、僕のこのシチ面倒臭い人生を把握しているのは、今や僕だけで、それを文字に起こして、今さら吐き気を催す気もない。
 で、その人は云った。「エポックメイキング的なこと、教えて」。僕は考えた。いくつもある。例えば、「僕は中川敬と一緒に国後島で演奏したことがある」。そんなミュージシャンは殆ど居ないだろう。けれど、多分記録は残っている。それが以下のリンクのこれだ。あれから時代は変化した。僕も若かった。

http://www.five-d.co.jp/heatwave/kunashiri/kunashiri1.html

 今、読んでみると、いろんな意味で、それがいい経験だったことが分かる。帰国して、僕は晴美埠頭で「売国奴」だったか「非国民」だっだか忘れたが、どっちにしても同じようなことは云われた。だから何だ。世界は何も変わってないじゃないか。ほぼ10年経過して、この経験が僕の血や肉になっていることだけは確かなのだ。だから、ありがとう、と僕は云いたい。

by 山口 洋  

来客

2010/05/16, 12:38 | 固定リンク

5月16日 日曜日 晴れ 

 来客途絶えることなく。自分の仕事との兼ね合いもあるが、基本的に来るものは拒まず、去るものは追わない。タイミングが合えば、それは必然なのだから。酒癖の悪いジャーナリストの悪友がやってきて、ひとしきり飲んで、語る。しばらく会わない間に、奴の眼光は鋭さを増していた。奴は官房機密費を暴き、先ほどまで元首相に会っていたのだと。その男が放った一言はとても興味深いものだった。僕は国政を動かすような政治家に会ったことは一度もない。けれど、機会があれば話をしてみたい。決して好きにはなれないだろうが、あの甲殻類並みのツラの皮の厚さにはとても興味がある。それが先天的なものであるはずもなく、どうやってそれが形成されるのか、興味がある。

by 山口 洋  

small town talk

2010/05/15, 14:24 | 固定リンク

5月15日 土曜日 晴れ 

 おびただしい数の人に会って、少し人酔いする。幸福がなければ、不幸もない。その逆もまたしかり。人の心に堆積した澱のようなものに触れるとき、今日はそれを自分が受け止める余裕があるかどうか判断して、ない、と判断したなら、多少の不義理は良しとする。ようやく学んだ処世術。僕は何事にも本気になりすぎるのだと。
 居心地の良い酒場にて。多数の医者と呼ばれる人たちにあった。この世の「澱」は職種が違っても、基本的には同じだと云うことを知る。複合的に一点を見つめることは、その問題の本質を「あぶり出し」のようにくっきりと浮かび上がらせる。思うに、この国が高度成長を目指し、核家族化が始まったとき、何かは確実に崩壊した。老人達が尊敬されない世の中はおかしい。そしてこの世は、はかなくて、醜くて、たまに美しい。猫が平和に暮らせる街には風情がある。そこにセコムは必要ない。何を守り、何をさらけ出すのか。学ぶことは多い。しばらくして、何故かギターが運ばれてきて、僕は演奏することになった。魚屋さんだとか、医者だとか、焼豚屋さんだとか、エトセトラ。何だか不思議な空間だったが、ポケットに芸があり、どんな場所でも本気になれることは僕を蘇らせてくれる。ありがとう。

by 山口 洋  

没入

2010/05/14, 18:51 | 固定リンク

5月14日 金曜日 晴れ 

 気分転換に走る以外は、音楽に没入する日々です。ただし、没入しすぎて、かつてのように生活が荒れないように気をつけています。自分のために餌ではなく食事を作るとか、気に入った器に盛るとか、仕事の前に掃除するとか、エトセトラ。自分の暮らしに、ある程度執着するのは、この頃大事なことのように思えるのです。

 インタビュー第10弾です。ようやく1997年までたどり着きました。

http://d.hatena.ne.jp/theRising/20100513

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by 山口 洋  

Tragedy

2010/05/13, 17:07 | 固定リンク

5月13日 木曜日 曇り 

 もはや「老年」と呼ばれても仕方ない齢にさしかかっても、この落ち着きのなさ。大好きだよ、ピーター。あんたの生き方にはグルーヴがある。

http://www.youtube.com/watch?v=UhHxmSsesS4

 でもって、このリハーサルも素晴らしい。「tragedy」ねぇ。ふふ。

http://www.youtube.com/watch?v=jkC0C4CgJwc&feature=related

by 山口 洋  

流れを変える

2010/05/12, 12:30 | 固定リンク

5月12日 水曜日 曇り 

 いいニュースもあった。同時に、目覚めたとき、内蔵が腐ってしまったような気持ち悪さもあった。自分の創作と向き合うためには「多少の不義理」を良しとすることと「風邪をひかない」ことだと云った人がいた。その通りだと思う。流れを変えよう。そう思って、汗をかきながら走り、横浜に出向いて、きれいな魂と、情熱に裏打ちされた肉体に会った。電車の中で読んでいた本にトライアスロンに関する記述があって、水泳で3キロ(できる)、自転車で155キロ(多分できる)、マラソンで42.195キロ(できる),,,,,,,,,,,,,,。うーん、僕は何処に向かおうとしてるんだろう。旧知のプロデューサー氏が送ってくれた冊子に、氏が小林多喜二の人生を軸に、中村八大を考察している文章が載っていて、とても興味深かった。いわく、「未来への展望が一向に見えてこない今の日本も、漠とした閉塞感と不安感に押しつぶされそうな社会も、満州事変から太平洋戦争に突入していった大正末期から昭和初期にかけての、多喜二が生きた時代とそれほど変わっていないのかもしれない」。それは僕の実感でもあった。親の世代がそこをどう生きたか、僕は可能な限りそれを検証している。それが彼らの後の人生に与えた影響は計り知れないからだ。そして、それは自分たちが次のジェネレーションに与えるものを「想像」することでもある。こんな時代だからこそ、必然として素晴らしい歌が生まれてくる(ことがある)。「人の知的な深みは、その人が抱え込んだ葛藤の深さと相関する/by 内田樹」。アイロニックだけれど、悪いことばかりじゃないさ。

by 山口 洋  

学ぶ

2010/05/11, 16:24 | 固定リンク

5月11日 火曜日 雨 

 悩める子羊たちに伝えられることは、何もない。何もないから、僕に聞くな。ただ、経験したことは伝えられるかもしれん。
 
 音楽は独学。所謂アカデミックな教育は一切受けていない。だから、未だに音符と音楽が結びつかないし、ホーンや弦の人たちに、それが理由で随分いじめられたこともある。その代わり、一度演奏してくれさえすれば、対応できる。とある国で演奏中、知らない曲が始まったことがある。隣にいたベーシストに英語でこう云った。「この曲、知らんぞ」。彼はこう云ったのだ。「今、知ればいいじゃん」。確かに。僕にとって、音楽とはそういうものだ。僕のギターがこんなスタイルになったのも、誰にも習わなかったからだ。おまけに始めた頃はフォークギターも買えなかったから、家にあったガットギターに鉄の弦を張って弾いていた。結果的にそれが僕を鍛えた。大事なことは、それでも弾きたかったか、どうかだけだと思う。
 教えてくれ、と云われて、ケチで教えないのではない。本当に大切なことは教えられる類いのことではない。本には書けないし、文章にはできない。それが本質。だからこそ、音楽。勝手に盗め、吸収しろ。「how to」 に頼っていたら、それ以上には絶対にならない。応えは机の上にはない。あるとするなら道の上だ。

 学校では何も学べないことを学んだ。僕は田舎の芸術学部美術学科と云うところに在籍していた。ありがちなアート系へのドロップアウト。でも、そこにはクリエィティヴなものの「欠片」もなかった。教授は僕の創作への態度を批判するのだが、彼らは教授と云う職に就きつつ、ときおり個展を催していて、そこには何の魅力も感じなかった。ゴッホ、いや、誰でもいい、尊敬する絵描きのあの溢れるような情熱はまるでなかった。たったひとりだけ、ドン・キングのような髪型をした教授が居て、彼の言葉はすっと体に入ってきた。今でも忘れない言葉がある。「いいか、山口。恋をするなら全身の体毛が揺らぐような恋をしろ」。その通りだと思う。僕はこの言葉を聞くために4年間、大学に通っていたようなものだ。

 走ることが行きづまった。どうにも、こうにも前に進めなくなった。「盗もう」と思って、師匠のゲンちゃんに頼み、一緒に走ってもらった。聞くよりも、彼の後ろにコバンザメ
のようにくっついて、その姿を網膜に焼き付けた。彼がサバンナを駆けるガゼールなら、僕は農耕民族の隣町への移動、みたいだった。なるほど。一番欠けていたのは「躍動感」か。僕があのように躍動すると、エネルギーを無駄にロスすることは間違いない。けれど、躍動しなければ、目標が達成できないのなら、それを手に入れるしかない。僕のやり方で。
 ゲンちゃんは3時間を切るアスリートで、バーのオーナーでもある。お礼をかねて、飲みに行った。ジェリー・ガルシアがスティール・ギターを弾いていた。あんた、趣味いいね。しばらしくして「じゃあね」と店を出た。1キロくらい歩いただろうか。ガゼールが夜の闇を切り裂きながら走ってきた。「ヒロシさん、鍵忘れてますよ」。ガゼールはまた店に駆けていった。記憶が正しければ、ゲンちゃんにはお礼にビールをごちそうしたはずだ。3杯くらいは。あんた、飲んで、その走りはないだろう。つーか、僕はいつもと違う道を通って帰っていたのに、何故彼は僕を見つけられたのだろう。野生か。うーん、学ぶことは多い。

by 山口 洋  

インタビュー

2010/05/10, 11:02 | 固定リンク

5月10日 月曜日 曇り 

 久しぶりの更新です。敏腕編集者S君と気長にやっていきます。では、どうぞ。

http://d.hatena.ne.jp/theRising/20100510

by 山口 洋  

お悩み相談室

2010/05/09, 15:17 | 固定リンク

5月9日 日曜日 曇り 

 随分前のこと。インタビューだったか何だったか忘れたけれど、渡辺圭一が僕を評して、こう語ったことがある。「ヒロシはね、目の前の川に溺れてる人が居たら、着の身着のまま飛び込んで、自分が溺れる。そんな人です」。あはは、残念ながらその通りです。
 どうしてか分からないけれど、朝から晩まで、いろんな「お悩み」が持ち込まれる。あのね、もしも的確にそれらに応えられるのなら、こんな人生送ってませんから、俺。稀に目の前の扉を開けて差し上げることはできる「かも」しれないけれど、そこから先の道を歩いていくのは君なんだし。野坂昭如さんが書いたCMソングにこういうのがあったでしょ。「ソソ、ソクラテスかプラトンか。ニ、ニ、ニーチェかサルトルか。みーんな悩んで大きくなったー。オレは大物だー」。

 写真は悩める子羊にタメにならないエロいアドヴァイスをする中年。bariちゃん撮影。北海道にて。「あれは3年前」。

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by 山口 洋  

都府楼の香り

2010/05/08, 18:21 | 固定リンク

5月8日 土曜日 晴れ 

 昨夜、DJの今中ちゃんからピーター・ウルフの新譜をプレゼントされた。心ときめく新譜なんて、もうあまりないのだけれど、近年の彼の音楽は大好きだからして、本当に嬉しかった。レーベルはverve、素晴らしい。それから僕は誰かの深い悩みを聞いた。根拠はないけど、乗り越えられない試練なんて与えられない。僕はいつもそう思う。再び根拠はないけれど、まっすぐに遠くを見て歩け。それでいいし、それしか出来ない。

 多少の二日酔いと共に目覚め、部屋にはピーター・ウルフが流れた。午後の陽射しに良く似合う素晴らしい音楽だった。昨年亡くなった大好きなミュージシャン、ウィリー・デ・ヴィルに捧げられた曲が収録されていて、彼の優しさにぐっと来た。

 亡母命日。ポストにはそっと線香が入っていた。そして、毎年忘れずに故郷の香りを送ってくれる人が居る。都府楼の香り。「東風吹かば においこぜよ 梅の花/あるじなしとて 春な忘れそ」と。いい句だね。あれから6年。いろんな事があった。ありすぎた、とも思う。男子は永遠のマザコン。愛と云うものは素晴らしくて、ひどくやっかいなものだ。看病に追われて、死んで、ひどく憎んで、すべてを許した。それは僕を成長させてくれた。セピア色に変色した写真のサルみたいな幼児は立派な中年になった。たとえ母がどんな人物であったとしても、地球上にたった一人しかいない、僕の母親であることに変わりはないし、大切なものは何も失われていない。僕はまだやり残したことがある。だから、遠くを見て、まっすぐ歩いていくだけだ。ありがとう。

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by 山口 洋  

Land's end の奇妙な縁

2010/05/07, 14:32 | 固定リンク

5月7日 金曜日 雨 

 事の始まりはiphone。
 昨日、遠くに住むとても親しいともだちからメールがきた。でもiphoneでは「了解」以上の文字を書かない。書きたくない。面倒くさいから。そんな時は電話をする。「おー、ひさしぶり」。偶然明日、こっちに出てくるのだと。じゃ、会おう。そうやって僕らは駅前のコーヒーショップでとりとめもない話をした。ともだちはびっくりするくらい澄んだきれいな目をしていた。「ところで、今からどこに行くん?」。ともだちは、ある半島の端っこにある小さな漁村に住んでいる人に会いに行くのだと。「じゃ、ドライヴがてら送っていくよ」。ぼくらは雨の中、Land's endに向けて車を走らせた。そこで出会った人は、今や絶滅危惧種とも云えるホリスティック・ビューを持った熱い男だった。いい目だった。アゲイン。何だか、この暑苦しさ、誰かに似てるなぁ、あは、俺か。
 彼はある作家が「日本百景」に選んだ魚屋で絶品の刺身をごちそうしてくれた。「うんめぇ、ありがとう。じゃ、僕は帰るね」。そう云おうとしたら、「近所に最近出来た喫茶店があるんで、コーヒー飲んで行きません?」。断る理由はどこにもなし。でも、この小さな漁村に、こんな時間に開いている喫茶店があるとは思えなかった。でも、あったのだ。いい感じの店が。2010年に寅さんが生きていたら、ふらっと入ってきそうな店が、路地の角に。
 その店主には見覚えがあった。古くからの友人で、敏腕プロデューサー。スタジオや事務所で何度も会ったことがあるし、一緒に仕事をしたこともある。でも、まさか、彼がこんなところに居るはずがない。音楽業界のメインストリームに居る人だし。でも、その人だった。お互い顎が外れんばかりに驚いて、間違いなく本人だと確認して、男の抱擁。「な、何してるんすか、こんなとこで?」。「ど、どうして、ここに来たの?」。彼は業界を少し外れて、6年前からこの街に住み、地元の幼稚園の合唱団をプロデュースして「I love you, OK」を歌わせたりして、CDをリリースする傍ら、自治体の依頼で、漁村に店をオープンさせていた。昔スタジオで頻繁に出会ったいた頃とは見違えるようなまなざしをたたえていた。何だかなぁ、ときどき本当にびっくりするなぁ。切れそうに細い運命の糸が奇跡的に繋がっていって、出会いをもたらす。僕は彼に会ったとき、「ああ、彼とはようやく本当の意味で仕事をする時が来たんだと」直感した。多分、それは間違っていないだろう。iphone以前に、この糸を操作していたのが、もうこの世には居ない僕の兄弟みたいな男だったのだ。僕はあいつに云いたいことがある。「よう兄弟、あんたが居なくなっても、大切なものは何も失われやてやしない」と。ありがとね。

 今宵、3人の、合計6つの、いい目に会った。それは僕にとってはとてもプレシャスなことだ。日付が変わって、母親の命日になった。「何だか、いい一日になりそうだよ。ありがとう」。僕は彼女にそう報告した。仏壇には奇麗なバラの花が咲いていた。

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by 山口 洋  

ハイチ地震復興支援コンサート

2010/05/06, 21:47 | 固定リンク

5月6日 木曜日 晴れ 

 僕が二年に一回くらい訪れる広島県福山市に、ポレポレと云うお店がある。オーナーのユウさんは「まぁ、座らんかね」って感じで、まずは美味しいコーヒーを飲ませてくれる。僕の記憶が正しければ、それはハイチのコーヒー。とても美味しい。人の手を「ちゃんと」経た味とでも云えばいいのか。ユウさんはとても温和な人物なんだけど、その実、音楽に関してはとてもシビアな眼力を合わせもっていて、ライヴ後に、ひとこと微笑みを交えて、どきっとするような事を云われたりする。もちろん溢れる愛があってのことなんだけど。だから、ポレポレはツアー中の心温まる止まり木で、同時に僕にとってはシビアな場所。それがミュージシャンを鍛える。そんな店を小さな街でずっと続けてきたユウさんを僕は心から尊敬してる。
 
 ユウさんがハイチのミュージシャンを呼んで、元在日ハイチ大使も交えてツアーをする、と。まじすか?お店どうするんですか?僕に出来ることがあれば、何なりと。でも、その音楽を聞いたことがないので、何とも。で、送られてきたアルバムを聞いて、ぶっ飛んだ。こりゃ、本物だわ。これがブードゥーなのか何なのか、知識に乏しい僕は判断のしようがないのだけれど、大地と神と心とが直結した「魂の音楽」であることは僕にも分かる。すごい。胸に「ズンズン」と響いてくる。

 ユウさんはツアーのフライヤーにこう書いている。

「2010年1月12日、ハイチ共和国で起こったマグニチュード7.0の地震。報道などでご存知のとおり、地震規模の大きさやハイチの政情不安定に起因する社会基盤の脆弱さが相まって22万人以上の人が亡くなり、総人口の約3分の1にあたる300万人が被災したと推計されています。単一の地震災害としては近年空前の大規模なものであり、西半球の最貧国であるハイチにとって、想像を絶する厳しい状況となっています。
 私たちは1997年より、ハイチから音楽家や画家を招き、経済的には貧しい国でありながら豊かな文化を持った民衆がいることを日本に紹介してきた「ハイチ文化交流の会」と申します。2001年よりNPO法人e&g研究所を創設し、ハイチにゴミ収拾車を送ったり、ハリケーン・ジーン緊急救援事業を実施(AMDAと共同)してきました。

 地震直後、ハイチの友人知人たち誰とも連絡が取れず心配していたところ、ようやく連絡が取れた元在日ハイチ大使マルセル・デュレ氏から「ハイチの至宝ともいうべき音楽家アゾールと、長年ハイチ音楽をリードしてきたブロー・バクールが幸運にも無事であること、そのふたりが急遽来日し、コンサートツアーを行い、自身で日本の人々に救済を訴えたいと願っているので、ツアー企画を引き受けてほしい」との要請が入ったことがきっかけで、この度「ハイチ地震復興支援コンサートツアー」企画を立ち上げました。

 コンサートツアー収益金は全額ハイチ救済のために使わせていただきます。また各会場でも募金箱を設置し、救済募金も募ってまいります。

 集まった募金は地震直後よりハイチで医療活動を行っている「AMDA」の義肢支援及び、やはり地震直後よりハイチに行きガレキ撤去工具、家族用テントの配布をし、現在は校舎が崩壊した学校再開事業を行っている「ピースウィンズ・ジャパン」に寄付します」。

 まったくもう。彼は居ても立っても居られなかったんだと思う。でも、行動するのに理由はそれで充分だと思う。僕は自分の耳で聞いた音楽が本物だと思わなければ、ここには書かなかったと思う。そして僕はハイチのことは殆ど何も知らない。ただ、本物の魂を浴びにいくのだけでもいいと思う。知らないことは何も恥ずかしくない。知ろうとしないことは恥ずかしいけれど。

 このサイトの「イベント情報」にツアースケジュールが載っています。本当は今僕の手元にある「音楽」を聞いてもらうのが一番早いのだけれど。興味がある人は是非足を運んでください。

http://gambaro-haiti.com/

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by 山口 洋  

新しいマシン

2010/05/05, 01:47 | 固定リンク

5月5日 水曜日 晴れ 

 ギターなんて、ぶっとい音のケーブル一本。それでオッケーだとずっと思っていたのだが、おおはた君や魚先生に影響されて、宇宙に行ける可能性をもう少し探ってみようか、と思う今日この頃。新しい機材をいろいろ買ってみて、弾いてみる。しかし、このルックスだけは何とかならんもんかね?

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by 山口 洋  

スポイル

2010/05/04, 16:21 | 固定リンク

5月4日 火曜日 晴れ 

 汗が吹き出してくる。連休で海沿いの道はバーベキューの家族連れでいっぱい。その煙の中を縫って、ただゆっくりと走る。タイムトライアルでもビルドアップでも何でもなく、ただ21キロを自分のペースでゆっくり走るだけ。19キロで膝にガクっと衝撃が走って、まるで走れなくなる。まったく僕はどれだけ化学と科学にスポイルされてたんだと、自分が情けなくなる。嗚呼、またか。
 走ることは、誰の指図も受けず、必要なものは靴だけで、好きなときに、好きなだけやることができる。身体に溜まった嫌な感情を地球がアースしてくれる。それが理由だったはずなのに、低血糖、低体重、貧血、膝や関節の痛み。いろんなものを乗り越えるために、用具やサプリメントが必要になり、次第に煩雑になった。フルマラソンを走って、目標を達成して、それらが芯から嫌になった。とはいえ、あれだけ走れたんだから、生身で走ることも、そんなに難しくはなかろうと思っていたが、ところがどっこい。これはほぼゼロからのやり直しに近い。ならば、やり直してやろうではないか、と思う。出来るだけバランス良く栄養を摂取して、体幹ウェアなんて着なくても、まっすぐに走れる体幹を鍛え、鋼鉄でしなやかな膝を持とう。面倒だけれど、やりがいはある。

流れに逆らって泳ぐには力と勇気が必要だ。
浮かぶだけなら、死んだ魚でもできる。サミュエル・スマイルズ

安全な場所に身を置いて、勇敢であるのは簡単なことだ。イソップ

いい言葉だ。

by 山口 洋  

新しいチャレンジ

2010/05/03, 19:58 | 固定リンク

5月3日 月曜日 晴れ 

 来年1月に行われるフル・マラソンにエントリーした。目標は具体性を帯びるまで秘密。とりあえずは化学や科学の力を使わずに、生身の身体と精神だけで走れるようになること。ランニングタイツとサプリメントを止めて、ようやくハーフを走れるところまで身体は復活した。まだまだ先は長い。

 某所で「勇気」にまつわる言葉を紹介していた。ぐっと来るものがいくつかあったので走り書きを転載。

 勇気とは臆病と無謀の中間による美徳である。ミゲル・デ・セルバンデス

 流れに逆らって泳ぐには力と勇気が必要だ。
 浮かぶだけなら、死んだ魚でもできる。サミュエル・スマイルズ

 弱い人は人を許すことができません。
 許すと云うことは強さの証なのです。マハトゥマ・ガンジー

 安全な場所に身を置いて、勇敢であるのは簡単なことだ。イソップ

 死ぬよりも苦しむ方が勇気がいる。ナポレオン

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by 山口 洋  

ARABAKIにて day2

2010/05/02, 01:33 | 固定リンク

5月2日 日曜日 晴れ 

 ん?今年バンドで演奏するのは、ひょっとして初めてか?
 記憶が正しければ、全員あまりに忙しくて、リハーサルをやったのは3週間くらい前の話だった。全員、脳内初期化の可能性あり。リスキーではある。
 が、しかし。バンドにはマジックがある。もちろん素晴らしい才能を持ったメンバーと演奏することが前提なのだけれど。僕はこのバンドとステージに上がると、マグマのようなものが身体の底から突き上げてくる。本当だよ。全員の音が重なり合うとき、得体の知れないエネルギーが身体の深いところから、突き上げてくる。それがある限り、僕はバンドをやり続けるだろう。突拍子もない宇宙に行ってしまったとか、とんでもなく速い曲があったとか、珍しく弦が切れてハンドマイクで歌ったとか、いろいろあったけれど、マグマのように熱い音を東北のみんなに届けられて嬉しかった。心から、ありがとう。どうかみんな元気でまた会おう。

 メンバーはまたそれぞれの場所に散った。ぐっと咲いて、ぱっと散る。それが大人のバンドの良さだと思う。

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by 山口 洋  

ARABAKIにて

2010/05/01, 01:09 | 固定リンク

5月1日 土曜日 晴れ 

 僕が新聞で見かけた記事が正しければ、ARABAKIは4万人を集めると云う。ってことは二日で8万人?すごいね。東北の人々がこのフェスを愛しているのがステージに立っていると分かる。徹底した地域密着。そのあり方がとても好きだ。亡くなった井上ひさしさんに通じるものがあると思う。

 ところで、ミュージシャンは同窓会に行くのだろうか?僕は一度も行ったことがないし、ミュージシャンのともだちがそれに出かけたと云う話も聞いたことがない。フェスの楽屋ヤードは多分、ミュージシャンにとって、それに近いものがある。一応簡易プレハブ小屋がそれぞれのバンドに割りあてられているのだけれど、そこに居るのは着替えるときだけで、多くはバーベキューなんかをやるエリアに居る。久しぶりに会うミュージシャンやスタッフがわんさか居て、「おー、久しぶり」と云う会話があちこちで飛び交っている。多分、あまり過去を振り返らない人種だから、それはそれで悪くない。僕らは経験上、来年「確実に会える」とは思っていない。だからこそプレシャスな時間でもある。
 
 僕は今日、夜のステージを任された。ミュージシャンに声をかけて、この山の中で夜を過ごす人たちに音楽を届けて欲しい、と。でも、本当に山の夜は寒いのだ。だから、それを知っているミュージシャンに逃げられた(泣)。でも、フライング・キッズの浜崎くん、花田裕之さん、うつみようこちゃん。この3人が残ってくれて、寒さで指がかじかみ、マトモにギターも弾けないような状況の中、それぞれの素晴らしい音楽を響かせてくれた。感謝MAX。皆さんとセッションするのは僕にとっても大いなる喜びなのだが、いかんせん、僕のMCっつーのはどうなんだろうね。本当に申し訳ない。

 浜崎くんとは清志郎さんの「トランジスタ・ラジオ」を、花田さんとは歌詞を書かせてもらった「old guitar」を、ようこちゃんとは一緒にレコーディングした「新しい風」を演奏した。それぞれに素晴らしかった。ようこちゃんは寒さの中、最後まで残ってくれたので、嬉しくて羽交い締めにした(写真参照)。僕と彼女はもはや性別を超えた、おっさんとおっさんの付き合いなのだ。ここに13年前のPVがあるのだけれど、バイオリンのHONZIはこの世には居ない。だからこそ、一瞬を大切にしよう、と思う。寒い中、会場に残ってくれたオーディンス。本当にありがとう。楽しんでくれたかい?

http://www.youtube.com/watch?v=FNK9l1VLCPc

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by 山口 洋  
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