原始人

2010/06/30, 23:41 | 固定リンク

6月30日 水曜日 晴れ 

 右も左も分からず、ただがむしゃらに走ることを始めてから、一年が経った。「何故、走り始めたのか?」と多くの人に聞かれるのだけれど、うまく応えられない。僕は生まれ変わりたかった。ゼロから人生をやり直したかった。細胞をひとつ残らず入れ替えたかった。そしてそれを実現するには、走ることしか思い当たらなかった。
 知識もないまま、ただがむしゃらに走っていたから、あちこちにガタが来て、最初はどうなることかと思ったが、「必要は発明の母」と云う言葉は本当で、故障するたびに、ひとつひとつ学んでいった。果たして一年が経ち、どうなったのかと問われるのなら、いろんな事が劇的に変化した。演奏しているとき、指先にまで神経が行き渡っているのを感じる。それをかなりの確率で自在にコントロールできる。無意識のうちに。脳内に浮かんだ風景を中空に描くとき、それらの行動が「勝手」に連動して起きる。僕はもともと喉が弱かった。今も決して強くはないが、声に張りが増して、遠くに伸びるようになった。どんなにタイトなツアーをこなしても、身体が根を上げることはなくなった。客席とエネルギーを循環させることで、逆にエネルギーを受け取ることが可能になった。稀に強力にネガティヴなエネルギーを受け取ったなら、ガシガシ走って地球にアースしてもらう。自分の中にそのような感情が湧いてきたときも同じように。精神が弱っているときは肉体がそれを引っ張り上げる。何はなくとも、最後に必要なものは体力だった。僕はようやくそれを手に入れたのだ。
 3月に初めてフルマラソンのレースに出て、掲げた目標を達成した。でも、それだけのことだった。少しだけ自分を褒めてやろうとは思ったが、自分が人と競うことを好まないことや、結果や評価が欲しいのではないことがはっきりした。じゃ、何のためにと聞かれるなら。僕は21世紀に生きる原始人になりたい。本来備わっているはずの野生を取り戻したい。音楽を野生と知性で奏でる雑種の野良犬で居たい。何にもスポイルされたくはない。喰って、寝て、走って、愛して、歌って、踊る。そのエネルギーがオーディエンスを幸福にする。望んでいるのはただそれだけ。
 頭蓋に渦巻いているものを、どう表現していいのか分からないまま、僕は旅を続けている。書けばいいのか、音楽にすればいいのか、はたまた映画にするのか、複合的に表現するのか。何にせよ、生きているうちに表現しなければ、と思う。それを実現するための一歩として、必要なのが「体力」だった。これからだと、思う。

 そんなことを考えていたら、僕が今世界で一番好きなバンドから共演しないか、とオファーがあった。「やっほう、喜んで」と返事をする前に自分のスケジュールを確認したら、見事に自分のライヴとバッティングしていた。残念。でも、きっと今は「その時」じゃないんだろう。

 それから、もうひとつ。

 過日、僕が信頼しているプロモーター氏から新人のアルバムが送られてきた。その男の名、ジョン・スミス。何だか山口洋並みに平凡。でも彼は本物だった。弱冠27歳。どんな境遇が彼のような男を育んだのか不明だけれど、希有な才能を有していることだけは間違いない。先達の名前を語って彼の才能を伝えるのは好きじゃないけれど、確かにジョン・マーチン、ジョン・レンボーン、そしてニック・ドレイクの影響が聞き取れる。でも、当たり前だけれど、その誰とも違うし、彼はそれを踏まえた上で2010年の歌を書き、演奏し、そして歌う。それが素晴らしい。願わくば何を歌っているのか、僕のヒアリング能力がもう少しあれば、と思うんだけど。ギターに関して云うなら、恐るべき才能。きっと僕と同じで、ギターだけ取り上げられるのは好きじゃないだろうけど、27歳にして、あのリズム感は素晴らしすぎる。その齢の頃、僕はようやくバック・ビートをマスターしたばかりで、あんなリズムは演奏できなかった。
 僕がこのプロモーター氏を信頼しているのは、音楽に対して、溢れて余りあるだけの情熱を持っている人だからだ。自分の手を汚して生きる、「進化しすぎたミーハー(失礼)」みたいな人だからだ。一見、実現不可能だと思えるヴィジョンを可能にするために電卓をはじく人だからだ。この時代、コストを削減するために電卓は必要だ。でも、それの本当の存在理由は上記のようなことのためにある、と僕は思う。
 ジョン・スミス。7/14に吉祥寺のスターパインズカフェで、招待制のプレミアライヴが行われるそうです。残念ながら、僕はツアーで行けないんだけど、興味のある人は是非。つーか、一緒に演奏したかった。残念。

 詳細は以下に。
http://www.mplant.com/johnsmith/index.html

by 山口 洋  

移動日

2010/06/29, 19:40 | 固定リンク

6月29日 火曜日 雨 

 先日、写真家の松本さんに撮影してもらって、久しぶりに自分の顔をまじまじと見た。今頃気づく自分もどうかと思うが、かつて「完全な」一重まぶただった「はず」の目が左だけ「二重」になっていた。何かの間違いか、と思ったが、全ての写真でそうなっていた。うーん。不思議だ。 
 さて。山を降りて、一瞬だけ東京に戻りました。明後日から北海道を廻ります。函館、苫小牧、札幌、旭川。自信を持って、一年前とは「違う」ものをお見せします。気軽に足を運んでください。
 写真は帯同してくれていたイベンター嬢が撮影したもの。カメラの中に残っていたのです。

img10060031_1img10060031_2img10060031_3
by 山口 洋  

湿った鍵盤

2010/06/28, 19:31 | 固定リンク

6月28日 月曜日 雨 

 間断なく雨は降り注ぐ。刈り取ったばかりの草はぐんぐん伸びていく。その生命力に呆れる。縁側には巨大ナメクジ(苦手な人が観たら、失神すると思う)が出現し、怪獣映画のアイデアに使えそうな緑色の巨大蛾が自ら照明に飛び込んで絶命し、観察して飽きることはなく。
 しばらく弾かない間に、山の家のピアノの鍵盤がダメになってしまった。押しても戻ってこない。きっと湿気にやられたんだな。楽器が演奏されることなく、朽ちていくのを見るのは忍びない。夏になったら、専門家に聞いて治してやろうと思う。
 ずっと家じゅうが「蒸れて」いる状態だったから仕方ないのだが、足は無数のダニに喰われ。ちょっと前なら「キーっ」となっていたところだが、これもまた自然の摂理。しゃーない。山の中では何でも自分でやらねばならないのだが、何故がストレスは感じない。雨でびしょ濡れになって、虫の死骸を顔面に浴びながら高圧洗浄していても、何だか愉しい。

img10060030_1img10060030_2
by 山口 洋  

峠を登る

2010/06/27, 19:24 | 固定リンク

6月27日 日曜日 雨 

 麓から登ってみようと思ったのだ。標高差500メートル。距離にして16キロ。愉しみながら、ゆっくりと。でも大雨。しぶきをかけて、そのまま走り去る車、「がんばれ」と声をかけていく人、ゆっくりとスピードを落として、追い抜いていく人。まるで、世の中そのままだなぁ、と。そんなことを思いながら走っていたら、あっと云う間だった。もしかして、強くなったのか、僕の心肺。

img10060029_1img10060029_2img10060029_3
by 山口 洋  

故郷の愛、小倉にて

2010/06/26, 04:19 | 固定リンク

6月26日 土曜日 雨 

 花田裕之さんの生誕50周年を祝うライヴ。彼の故郷、北九州は小倉にて。過日の東京に比べれば、規模は小さかったの「かも」しれないけれど、そこに込められていた愛はどちらがでっかいとか、そんなものではありませんでした。何だか、長い時間をかけて愛されるってことは凄いなぁ、とつくづく感嘆。僕の今日の「一番の」役目は音頭を取っていたEさんと共にバースデーケーキをステージに運ぶことでした。はい。がんばってみました。その直後の寡黙な花田さんの言葉、素晴らしかったです。
 僕らはHWトリオで演奏しました。初めて観た人へ。僕らのバンドには本当は細海魚さんと云う素晴らしい鍵盤奏者が居ますから、9/20に是非観に来てください。何はともあれ、いい一日でした。多謝&再見。

img10060028_1img10060028_2img10060028_3
by 山口 洋  

音の滴、福岡にて

2010/06/25, 12:02 | 固定リンク

6月25日 金曜日 雨 

 いったいいつ建設されたのだろう?この古い能楽殿には、歴史と共に、言葉にできぬ「念」のようなものがたっぷりとしみ込んでいる。激しく降る雨が天井を叩く。それもひとつの音楽。このような場所ではそれに抗ってはいけない。歴史と共に、環境と共に、溶け込んでいくことだけを考える。PAチームはこの建物の響きを知り尽くしていて、何ひとつ注文を出すことはなかった。ありがとう。運営も完璧。心が無になってからは、ひとつひとつの音の滴まで愛おしく感じながら演奏した。自由だった。本当にありがとう。ワールドカップで寝不足の中、足を運んでくれて、ありがとう。愉しんでくれたかい?

img10060026_1img10060026_2img10060026_3
by 山口 洋  

高圧洗浄機

2010/06/24, 20:02 | 固定リンク

6月24日 木曜日 晴れ 
 
 物欲はないと書いたけど、ウソです。欲しいもの、あります。高圧洗浄機。ベランダ、窓ガラス、風呂場から換気扇まで。水圧でうりゃー、と洗ってくれるやつです。無意味にデカいベランダに苔が生えて、遊びに来た友人たちがほぼ100%コけるので危険なのです。今まではデッキブラシで頑張っていたけど、限界です。薪ストーブで火を扱えるようになり、斧で薪を割れるようになり、チェインソーでジェイソンごっこができるようになり、草刈り機も、もはや三代目になり、着々と男の階段を昇っています。てな訳で、麓のホームセンターで買いました。普段、買い物の吟味なんてしないのに、この手の買い物になると無駄に「スペック」をチェックしたくなるのはどうしてなんですかね?
 聞きしに勝るこの威力。水圧だけで、こびりついた汚れを吹き飛ばしていきます。ついでに心の垢も洗浄できたらいいのに。さて、作業を終えて、走ったら、一旦福岡に戻ります。明日は「住吉能楽堂」でライヴです。随分前に、ホットハウス・フラワーズのリアムとライヴをやったことがあります。記憶が正しければ、ステージには「足袋」をはいて上がらなければいけなかったような。気軽に遊びに来てください。

img10060025_1
by 山口 洋  

峠走

2010/06/23, 19:56 | 固定リンク

6月23日 水曜日 曇り 

 山に来たもうひとつの理由。「寝る」。このひと月、満足に寝る時間がなかった。身体はタフになったし、一晩眠れば、一気に回復するのは分かっていたが、その時間がなかった。ここはテレビも映らないし、ネット回線はアナログだし、携帯の電波状況も悪い。おまけにギターも持ってこなかったし。僕には睡眠が必要なのだ。夜の10時にビールを3本飲んで気絶して、朝の8時まで寝た。
 
 「峠走」をやってみたかった。本当は10キロ全速力で下り、ゆっくりと10キロ登る。でも、まだそこまで元気じゃない。標高700メートルから1000メートルまで。標高差300メートル、片道5キロの道のりを、キロ5分30秒で登り、4分15秒で駆け下りてくる。いやはや、キツかった。心拍計をつけて走っていたけど、怖くて直視できなかった。もはや、上半身裸で、原人みたいな格好で走ってる僕に、観光バスの乗客が目を白黒。確かに、こんな高い場所まで、麓から走って登ってくるなんて不可能だからね。浮いてます。

 ここでも口蹄疫の影響は大きく、移動する際には車を消毒します。殆ど報道されなくなったけれど、何も終っていません。それが僕の実感。牛君は今日も元気に草をはんでいます。彼らには何の罪もないのに。

img10060024_1img10060024_2
by 山口 洋  

挫折と云う名の収穫

2010/06/22, 19:30 | 固定リンク

6月22日 火曜日 雨 

 睡眠不足のまま、飛行機に飛び乗って山に還った。このまま都会に居て、忙殺されることに身の危険を感じたのと、山仕事が溜まっていたのと、誰とも話すことなく、考えたいことがあったのと。
 雨の中、うりゃーっと草を刈る。つーか、ここジャングルか。この作業、闘いだ。でも、ストレス解消には丁度いい。ばっさばっさと草をなぎ倒しながら、ボックスセットのタイトルを考えてみる。今日、空港の本屋で「敗北という収穫」という名の本を見かけたのだ。これって、云い得て妙だなぁ、と。このボックスは「milestone - 道標」であり、そして「挫折と云う名の収穫」でもある。収穫のない「挫折」や「敗北」はないと思うのだ。でも決して僕らの場合「栄光のマイルストーン」ではないんだけどね。

 ところで、レーシングシューズ。速いランナーたちのパタパタと地面をはじくような足音。どんなに頑張っても、あの音がしなかったのだが、何だよ、この靴履いたらするじゃん。ちょっと嬉しかった。でも、たかが標高1000メートルでも、高地を走るのはキツい。

img10060023_1img10060023_2img10060023_3
by 山口 洋  

憧れのレーシング・シューズ

2010/06/21, 18:49 | 固定リンク

6月21日 月曜日 曇り 

 ようやく素足でも月間300キロは走れるようになった。でも、靴の劣化が激しい。2ヶ月もたない。これから夏場に向けて、本格的にスピード強化をしようと思う。いよいよレーシング・シューズか、僕も。店員さんに聞いてみた。「そりゃ、もうこのような靴を履いてください」。6足目にして、遂にそこにたどり着いた。明日からは九州なのだけれど、その前にひとっ走りしてきます。

img10060021_1
by 山口 洋  

人生の祭典、恵比寿にて

2010/06/20, 21:27 | 固定リンク

6月20日 日曜日 曇り 

 花田裕之さんの50歳を祝う祭典。楽屋に入りきれないほどのミュージシャンと、満員のオーディエンスと共に、恵比寿にて。彼がギターを弾いている姿を初めて観てから、もう30年の月日が経った。おそらく、だけど。お互い、好き好んで「歌う」と云う役目に就いた訳じゃなく、やむを得ない状況の中、気がついたら、自分が歌う立ち場になっていたと云う意味で、花田さんから勝手に力をもらってきた。できれば、スポットライトを浴びたくない。でも、音楽が好き。人はそれを「ややこしい」と一言で片付ける。彼がギターを弾く姿。その人生と静かな情熱のすべてはそこに凝縮されている。彼は「ありがとう」としか語らなかったけれど、それは僕が花田さんに投げかけたかった言葉でもある。正確には「ありがとうございます」だけど。何を得て、何を失おうとも、すべては過ぎていく。でも、継続は情熱そのもので、才能で、そして力なのだ、ということをあらためて教えてもらった。何よりも、あれだけ寡黙な人が、あれだけの人々に愛されている。そこにエレクトリック・ギターを抱えて居合わせることができて幸福だった。僕は石橋凌さん、花田さん、井上富雄さん、Kyonさん、池畑潤二さんと共に演奏させてもらったんだけれど、男たちの愛情がそれぞれの音にこもっていて、ぐっと来た。素晴らしい夜だった。

img10060022_1
by 山口 洋  

撮影

2010/06/19, 18:49 | 固定リンク

6月19日 土曜日 晴れ 

 スントー・ヒロシの発案で写真家、松本康男さんによる撮影。実のところ、僕も含めた「溢れて、渇いた」この3匹。POSTというユニットを組んでいたことがあるし、北京で伝説の三つどもえの大喧嘩をやらかしたこともある。ひひ。僕があまりに写真嫌い(撮るのは好きだけど)なので、近年、いわゆるアーティスト写真と云うものはずっと同じだった。松本さんに撮ってもらって、久しぶりに自分の顔をまじまじと見たが、確かに経験が顔に刻まれていたし、そんなに嫌いな顔でもなかった。

img10060019_1img10060019_2
by 山口 洋  

うたの日、渋谷にて

2010/06/18, 01:22 | 固定リンク

6月18日 金曜日 雨

img10060018_1img10060018_2
by 山口 洋  

リハーサル

2010/06/17, 22:21 | 固定リンク

6月17日 木曜日 晴れ 

 近々行われる某一大イベントのためのリハーサル。今年初めて、エレクトリック・ギターを弾いた。いい音じゃのう。忘れかけてたよ。でも、とても愉しい。それにしても、今日参加させてもらったバンド総勢6名のうち、僕が一番年下で、殆どが福岡県人。何だか、知らない間に受け継がれる地域的なDNAってものがあるのかもね。

 あまりにもあっけなくリハーサルが終ったので、NYから来日したばかりの心の兄貴のウェルカム・ディナー(ごちそうしてもらったけど)を浅草の名店にて。幾つになっても、彼に会うと背筋が伸びます。「お前、黒い!」とただ、一言。仕方ないやん。

img10060017_1img10060017_2img10060017_3
by 山口 洋  

何という一日、移動日

2010/06/16, 23:18 | 固定リンク

6月16日 水曜日 晴れ 

 あまりの慌ただしさに、何をやっているのか、自分が何処に居るのか、今日、何をしなきゃいかんのか、訳が分からなくなってきた。ま、でも笑いながら乗り切るぜ。音楽に忙殺されてんのなら、そりゃ幸福ってもんだ。 
 「お客様、チェックアウトの時間が過ぎておりますが」とフロントからの電話で起こされた。ところで、ここは何処のホテルだ?ああ、近江八幡か。いかん、早く帰らねば。やっぱり昨夜のうちに帰っておくべきだったか。いや、そりゃいくら何でも無理だ。どりゃー、帰るぜ、と450キロの道のりを走り出したら、車のクーラーが壊れた。暑い。地獄だ。こんな日に限って、真夏日。33度だと。窓を全開にして走ってるせいで、道中、明日のリハーサルの曲を覚えるはずがそれもままならず。おまけに東名はトラックの火災で通行止め。何てこった。でも、それもまた人生。こんなこと「ヘ」でもないわい。激しく迂回して、どうにか東京にたどり着く。
 ん。走るなら今だ。楽器を家に投げ込んで、そのままマラソンコースに行く。あちこち走ったけど、やっぱりここが最高だ。あまりの暑さに上半身裸になって走っていたら、マラソンの師匠、ゲンちゃんとすれ違った。でもストレスは全部地球に吸い取ってもらった。復活だ。
 留守にしている間に、庭の紫陽花が咲いていた。鑑賞する時間もなく、ツアーの雑務を整理し、メールや原稿の返事を書きまくり、飯を喰う暇もなく既に23時。明日は久しぶりにエレクトリック・ギターを弾くので、整備し、クソ重いアンプを積み込み、エトセトラ。さて、曲を覚えよう。うー、ビール飲みたい。何の実りもない文章でごめんね。でも、本当にそんな一日だったのよ。まだ終ってないけど。

img10060016_1
by 山口 洋  

滋賀県近江八幡市にて

2010/06/15, 01:27 | 固定リンク

6月15日 火曜日 雨 

 梅雨の雨雲の間を縫って、麦畑の中を走る。近江商人の街にある酒遊館は由緒正しき西勝酒造の古い蔵を改造したスペース。初めて訪れてから、もう16年の月日が流れた。このシリーズの最終日。開場してから、その蔵にはトム・ヴァーラインのギターの音がしっとりと流れていた。天井を叩く雨の音と響き合って、シュールだった。僕も雨に影響されて、しっとりと始まったけれど、やっぱりこみ上げてくる何かがある。ただ、ただ、それを紡いだ。ド平日の雨の中、足を運んでくれてありがとう。いい夜だったよ。

img10060015_1img10060015_2img10060015_3
by 山口 洋  

琵琶湖を走る、滋賀県近江八幡市にて

2010/06/14, 12:48 | 固定リンク

6月14日 月曜日 曇り 

 300キロ移動して、やってきました近江八幡。琵琶湖、いいねぇ。明るいうちに走りだします。どう考えても、10キロ走る時間しかないのだけれど、ままよ、あまりに琵琶湖が海みたいにデカいから、見とれていたら、あっと云う間に20キロ。明日はこのシリーズ最終日です。

by 山口 洋  

梅雨とともに、広島県福山市にて 

2010/06/13, 23:49 | 固定リンク

6月13日 日曜日 雨 

 例えば、だけれど。僕らを支え続けてくれたファンが40台も半ばにさしかかる。子供は大学生と高校生。そんな話は良く聞く。昨年、ようやくマイホームを手に入れて、その支払いは定年後の70歳まで続く。給料はどんなに頑張っても思うようには増えず、細君も一日に4時間のパートに出る。家のローン、子供への仕送り、生活費、エトセトラ。それらを差し引いたなら、僕らのソニー時代のボックスセットを家長が手に入れたいと望むことは「家族会議」にかけられる。そうか、そうだよな、と初めて僕は気づく。そんな事をソロのツアーで学ぶ。

 四国、中国地方が梅雨入りしたと、ラジオで聞いた。高知を出て、瀬戸大橋を通って、広島県福山市にたどり着いた。ポレポレのオーナー、ユウさんはいつものようにハイチのコーヒーをいれてくれた。実のところ、ポレポレのライヴはどんなにでっかいコンサートよりもハードルが高い。ユウさんの前では、取り繕っても意味がないからだ。何を思ったか、ユウさんは僕のライヴの幕間に歌ってくれると云う。その時の彼のMCを採録。「ヒロシがここで初めて歌ったときのこと。彼は僕と同じものを見てるけれど、ヒロシはそれを反対側から見てるなぁ」と。あはは、云い得て妙。そして、ユウさんは「超」脱力したまま、彼の人生哲学「棚からボタ餅」を歌ってくれた。何だかなぁ、もう、かないません。一生かけても、あの歌詞は僕には書けません。でも、僕は彼の歌を聞いて、無駄な力が完全に抜けてしまった。今まで何処でもやったことのないような感覚をライヴ中に味わった。作為がなく、そのままで、自由で居ることほど難しいことはないし、それが永遠の憧れなのだけれど、そのヒントを教えてもらった気がする。だから、ツアーは止められないし、ニンゲンは面倒くさいけど、面白い。ユウさん、足を運んでくれた皆さん。本当にありがと。自由に空をはばたいて、また戻ってきます。ワン。

img10060013_1img10060013_2img10060013_3
by 山口 洋  

高知県高知市にて

2010/06/12, 01:47 | 固定リンク

6月12日 土曜日 快晴 

 昨夜は高知の海が育んだ幸を頂いた。僕が今まで喰っていた「カツオのたたき」は偽物だったってことが良く分かった。頂いたものは、まったく違う食い物だった。唖然。「ウツボ」ってこんな味がするんだ、とかエトセトラ。

 おそらく、梅雨入り前の最後の快晴。南国の太陽を身体いっぱいに浴びて、ネガティヴな感情は地球に吸い取ってもらおう。汗をかきかき、海まで走った。
 旅を続けていて一番嬉しいのは、一年に一度しか会えない人たちが、元気で居てくれること。僕のライヴのために奔走してくれている主催者夫妻がとてもいい顔をしていたから、「どしたの?」と聞いたなら、走ってるんだと。そうかい、そうかい。最近そのような人たちがとみに増えて、とても嬉しい。彼らが腐心の果てに、選んだのはロッキンな会場だった。高松に続いて、ロッキン。でも、何の問題もない。音楽には力がある。高知のオーディエンスは静かに、そして熱かった。僕は何も考えず、彼らが発するエネルギーに乗っかって、運ばれていっただけのこと。音楽がもっと彼らの日々に、当たり前に根付いていくのも、そんなに遠くはないだろう。そのような希望をもらった一日だった。来てくれて、本当にありがとう。高松に続いて、バンドで上陸できること、本気で考えてるからね。それから、今回、スケジュールの都合で行くことが出来なかった四国の街の人々。本当にごめん。三豊も、松山も、徳島も。必ず再訪します。
 どうか、来年まで元気でね。また会おう。多謝&再見。

img10060012_1img10060012_2img10060012_3
by 山口 洋  

2010年のspace oddity

2010/06/11, 19:20 | 固定リンク

6月11日 金曜日 晴れ 

 高松のRUFF HOUSEの今城君から面白い話を聞いた。David Bowieが自身のシングルに往年の名曲「space oddity」のすべての楽器の個別ファイルを収録している、と。ミキシングをした経験がない人にはわかりづらい話かとは思うが、うーん、簡潔に書くなら、通常レコーディングでは、楽器は個別のトラックに収録されている。それらをミキシングすることによって、楽曲は完成する。つまり、それらのファイルがあるのなら、どのようにリミックスすることが出来るのだ。云うまでもなく、新しく音を付け足し、2010年の「space oddity」を制作することができる。これは素晴らしいアイデアだな、と思った。実際に聞いてみたのだが、ヘッドフォンから漏れる音、椅子のきしむ音、いろんな音が入っていて、実に生々しい。過去の曲をこのような方法で伝えることは、画期的なプロモーションだと僕は思う。ただし、レコード会社に「所属」していた際の音源は100%無理だろう。けれど、自分たちが独立してからの音源ならば可能だ。似るなり焼くなり好きにしてもらう。それは10年前だったら、信じ難いほどのアップルの快進撃にも通じるものだと思う。ユーザーを信じて、ソースを公開する。学ぶところ多し。ところで、僕らの音楽でそんなことやってみたい輩は居るのだろうか?それが問題なのだけれど。

 高松から高知へ移動した。陽が沈む前に、どうにか走る時間を捻出。高知駅前から鏡川沿いを走り、かの川が海に注ぐのを確認して戻ってきた。ああ、気分がいい。

img10060011_1img10060011_2img10060011_3
by 山口 洋  

むさくるしいけど、愛すべき夜、香川県高松市にて

2010/06/10, 03:20 | 固定リンク

6月10日 木曜日 晴れ 

 しかし、過酷だ。このところの忙しさは常軌を逸してる。何だかすべてが同時に動いているので、僕ひとりじゃどうにもならない。本気でマネージメントのあり方を考えないと、身体が足りない。湯水のように送られてくる連絡事に対応しながら移動し、飯を喰いながらメールに返信を書き、パーキングで弦を換え、どうにか高松にたどり着きそうになったら、高速道路は事故で通行止だった。アーメン。
 
 昨日は小さな音だった。そして高松のRUFF HOUSEは読んで字の如く、ロッキンな場所である。爆音だ。そしてエンジニアはキティラーなのだ。狂ってる。でも決して暗くない。それはオーナーの今城君が本物のポジティヴなナイスガイであることに起因している。分かった。僕は今日、発火するだろう。行けるところまで行く。一年間、待っていてくれた人たちで会場は満席だしね。うーん。むさくるしい。でも、愛すべき夜。最後の曲で、5歳の少女が泣いていた。僕が何かをやらかして、泣かせたのかと気になっていたら、彼女「あの人(僕のこと)凄すぎて、見た事ないもの見て、何だか泣けてきた」と。あはは。初めての体験だったよ。懲りずに、またライヴにおいでね。

 高松は随分、撒いた種が実ってきた。バンドで上陸するのも、そう遠くはない気がする。僕は諦めないからね。何年かかろうとも。と、とりあえず、今夜は寝てもいいすか。来てくれて、本当にありがとう。いい夜だったよ。おやすみ。みんな、来年までどうか元気で。

img10060010_1img10060010_2img10060010_3
by 山口 洋  

三重県亀山市から奈良県奈良市へ

2010/06/09, 00:53 | 固定リンク

6月9日 水曜日 晴れ 

 三重県亀山市。我が友、マサルの墓参りに行く。僕は普段、人にカメラを向けないし、ましてや墓の写真なんて絶対に撮らない。でも撮った。マサルがこの空に居るような気がしたからだ。彼とはたくさん喧嘩もしたし、殆どの場合、僕が一方的に怒っていただけだけれど、本当に僕は彼が好きだった。でも、彼の不在を感じているかと問われるなら、応えは否。彼はいつも僕の心の中に居る。死んでまで、不思議な男。
 僕はランニングに着替えて、マサルに捧げるRUNをした。ありがとう。少し心が軽くなったよ。

 三重から奈良に抜ける道。最後は車線もなくなり、車一台が通るのがやっとになる(写真参照)。この時代にこんな道を抜けて奈良に行くのが僕は嫌いじゃない。会場の蔵部Dは古い町並みの中にある。初めて来たときに思ったのだ。こんな静かな家並みの中で、ライヴなんてやっていいのだろうか、と。最近、やはり苦情が来たらしい。ならば、出来るだけ小さな音で、音楽の宇宙を伝えようではないか。僕はこの店のスタッフや自主的に手伝っている人たちが好きなのだ。真ん中に音楽への愛がある。来る度に細やかな気遣いは行き届いていく。それさえあれば、僕は何も要らない。
 とはいえ、苦労はした。僕のギターの音より、遅れて入ってくるオーディエンスがドアを開ける音の方がデカいのだ。音楽をやっているとき、僕の耳は更に精密になる。本当に、こんな耳じゃなければ良かったのにと、恨めしく思うこともある。でも、みんな楽しんでくれたみたいで、良かった。

 どうせ誰かに会いにいくなら、きれいな魂に会いにいきたい。今日はたくさんのきれいな魂に会うことができた。それが何よりも僕を奮い立たせる。本当にありがとう。また戻ってくるよ。それまでどうか元気で。多謝&再見。

追伸
 それからこれは私信。連絡先が分からないから、ここに書くことを許してくれ。駒村。君が元気になって、本当に嬉しい。

img10060009_1img10060009_2img10060009_3
by 山口 洋  

過去を創造すること

2010/06/08, 14:56 | 固定リンク

6月8日 火曜日 曇り 

 随分前のこと。作家の井上光晴さんを追ったドキュメンタリー「全身小説家」を観ていて、この人は「過去を捏造」してるんじゃなくて「創造」してる、と思ったことがある。確かに、身の回りのクリエイター達を観察してみると、そのような傾向は多かれ少なかれあるものなのだ。僕も虚言癖があると、ときどき云われるが、そのようなつもりはない。「創造」しているかどうかは不明だけれど、決して嘘をついているつもりはないし、絶対に嘘はつかない。あくまでも僕の中では。
 先日、故郷に帰った際、僕を幼少の頃から知っている友人が居て、「お前は小学生の頃、とんでもない嘘をついたことがある」と。話はこうである。僕の家は丘のてっぺんにあった。屋根の上に滑り台があって、庭まで滑り降りることができる。だから、観に来ないか、と。云うまでもなく、僕の家にそんなものはない。で、友人たちがやってきた。「ないじゃん、滑り台」。すると、僕はこう云ったらしいのだ。「今日、母ちゃんが片付けたんだ」。ほんとかよ?今となっては真偽のほどは定かではない。でも、本当に僕がそう云ったとするなら、屋根の上の滑り台を夢想しすぎて、現実と理想の区別がつかなくなった可能性はある。確かにそんなガキだったとは思う。

 このところは「過去を一旦、総括する時期」なんだと思う。ボックスセットの制作に関して、スントー・ヒロシとやり取りしているうちに、とても大事な話を思い出したのだ。くっきりと。
 
 これから書くのは本当の話。僕がモノを作って生きていく上で、衝撃を受けた出来事。その場には何人か居合わせていたから、虚言ではないことを確かめてみようとは思っているが。多分、1996年のこと。アルバム「TOKYO CITY MAN」を制作するにあたって、グラフィック・デザイナー、スントー・ヒロシのアイデアで、ジャケットは横尾忠則さんに描いてもらおうと云う話になった。僕は面識がない。だから、スントー氏、マネージャー、事務所の社長、レコード会社のディレクターと共に僕はギターを抱えて、横尾さんのアトリエを訪ねた。喋るのは得意じゃないから、彼の前でアルバムに収録されている曲を歌った。そして、「ジャケットを描いて欲しいんです」、と。彼は即座にこう応えた。「もう、描きました」、と。初対面で、なおかつオファーした瞬間に。「モ・ウ・カ・キ・マ・シ・タ」。文字で表すと、僕にはこんな風に聞こえた。そして、彼は二階に行って、一枚の絵を手に戻ってきた。それがあのジャケットの - 裸の男が東京の空を飛んでいる - あの絵だったのだ。一瞬にして魅了され、いったいぜんたい、今、僕の目の前で何が起きてるんだろう、と不思議な気分になった。僕は時空を超える、彼の思考の虜になって、帰りに本屋に寄ってみた。彼の本を読んでみたくなったのだ。そこで見つけた本のタイトルが「私と直感と宇宙人」。もはや、ひれ伏すしかなかった。素敵だった。

 あの出来事は決定的に僕を変えた。自分の中にあったくだらない価値観はかなり崩壊した。何故、この話を書いているかと云うと、スントー・ヒロシからその日の模様を横尾さんが撮影し、「photo photo everyday」と云う本になって出版されてるよ、と聞いたからだ。その本の帯にはこう書かれていた。「僕は毎日が楽しみで眠れません」。またもや、ひれ伏すしかなかった。いつか云ってみたい。その台詞。

 そのようなエネルギーを全身に受けて、僕はツアーに出ます。えっと、奈良、高松、高知、福山、近江八幡。そして戻ってきて渋谷。ちと過酷ですが、「僕は毎日が楽しみで眠れません」。そのような想いでステージに立ちたいと思っています。

by 山口 洋  

Garmin、恐るべし

2010/06/07, 15:49 | 固定リンク

6月7日 月曜日 曇り 

 昨日、手に入れた時計のこと。Garmin社のものなのだけれど、はっきり云ってデザインは好きではない。でも、昨日実際に走ってみて、GPSの精度に驚いた。最小単位は1メートルなのだけれど、僕の車に付いている安物のカーナビより、はるかに精度が高い。自分で設定しておいた距離ごとに、ラップタイムは時計が勝手に採取してくれるので、それだけでも随分楽だ。ディスプレイは3画面あって、表示するものは自分で決められるのだけれど、このペースで走ると、この区間のラップはこのタイムになるだろうというモードはかなり正確で、驚いた。こりゃ、凄い技術だな。
 昨夜、走行データ管理のためのソフトをいくつかダウンロードして、インストールした。僕のコンピュータはマッキントッシュなので、いくつか面倒なことはあったが、平たく云って、問題はなかった。そして、今日。走った後に、この時計が計測したデータがどのようになるのか試してみた。
 まずは時計からコンピュータにラップタイム、高度、心拍数、GPSが測位した位置情報、消費カロリーと云ったものがワイヤレスで送信される。次に、そのデータはGARMIN社のサーバーに自動的にアップされ、そこに作られた僕のページに表示される。高度、走行スピード、心拍数などがグラフ化され、分かりやすい。それだけでも相当びっくりしたが、データはgoogle mapと連動していて、僕が走ったように、その地図の上をポインターが走るのだった。いや、参った、つーか、ちょっと怖かった。すごい時代だな、と。

img10060007_1img10060007_2
by 山口 洋  

新しい時計

2010/06/06, 19:17 | 固定リンク

6月6日 日曜日 晴れ 
 
 ときどき、一緒に走ってきたマスイぴょんが今日北海道のレースで、念願の4時間切りを果たしたと。何だか我が事のように嬉しかったな。君の努力は陰ながら、見てたよ。次第に闘う男の顔になっていってたのもね。おめでとう。

 物欲はないと書いたが、欲しいものはある。走ることはだんだん原始的になってきて、今や色気も何もなく、箱根駅伝の学生ランナーが着ているのとほぼ同じ格好の中年ランナー。つまり、行き着く先は機能性で、オシャレである必要なんかない。具体的な目標は口にしないけれど、それを達成するためには、これからはシビアな練習を積み重ねる必要がある。僕が走っているコースは距離表示が、かなりいい加減なのだ。今まではそれで良かったけれど、これからはきちんとしたラップを取るために、もっと正確に計る必要がある。ツアー先で距離表示がある場所を探すのは難しいし、せっかく山の家でトレーニングをしても、ラップが分からないのはもったいない。これからはインターバルトレーニングもやらねばならないし、身の危険を回避するためには心拍数を計り、カロリー計算もして低血糖も防がなきゃならない。原始的になってきたとしても、そのような機械だけは探さなければ。あるのか、そんなもの?
 でも、あったのだ。その時計はGPSで動いているので、地球上のどんな場所でも、ほぼ正確に距離を計ることができる。ツアー先でも、山の中でも。今日は違う道にしようと思っても当然追随してくれる。毎日同じ場所を走るのなら、同じ地点を通過したときに自動的にラップを計測し、信号待ちでは一時停止し、トレーニングモードでは鬼監督の代わりにアラームで走るべきラップタイムを教えてくれる。当然、心拍計もついていて、カロリー計算もでき、コンピュータにはそのデータをワイヤレスで送信できて、何処をどういうタイムで走ったのか地図上でも確認できる。
 早速走ってきたけど、こりゃ優れものだ。手に入れて良かった。ところで、ずっと使ってきた古い時計にも妙な愛着が湧いていた。真面目に走っている誰かにプレゼントしようと思う。

img10060006_1img10060006_2img10060006_3
by 山口 洋  

その5年間を振り返る

2010/06/05, 15:07 | 固定リンク

6月5日 土曜日 晴れ 

 ソニー在籍時のボックスセット。書籍編集者S君によるインタビューを6時間。1990年から95年まで。その5年を振り返る。こんな機会でもなければ、どう生きてきたかなんて考えもしない。誰かにそれを語ることで、忘れかけていた記憶の点が線となって、見えてくるものがある。決して戻りたくはないけれど、それらの日々は決して無駄ではなかったし、いくつかの作品は稚拙だけれど、ひどく愛着がある。僕らはいつも時代と微妙にズレていた。世の中がバブルに浮かれていた頃、僕らはビンボーの極みに達していたし、どちらかと云うとアプローチが早すぎて、すんなりと時代に受け入れられたとは云い難い。けれど、高度成長が終わり、その様々なツケが澱となってあぶくのように湧いてきた1995年。僕らの音楽と時代は初めて、一度目の符合を果たすのだった。
 アルバム「NO FEAR」の冒頭は地平線から朝陽が昇ってくるように、小さなオルガンの音の地平を破って、テレキャスターが唸りを上げる。そしてアルバム「1995」の最初のぐしゃぐしゃな音は、「夜の地下鉄車内のゲロのような音」にしてくれ、とエンジニアに注文したことを思い出した。そしてスネアが唸りを上げて、混迷のジャングルへと電車は走り出す。何にせよ、どこまでいっても、変わらない自分がそこには刻まれていて、同じ分だけ変わろうとしている姿もそこにある。かなりの不完全さと無欲さと貪欲さ。でも、書かなければ、頭がどうにかなりそうな必然性がそこにはあったのだ、と今となっては思う。

img10060005_1img10060005_2img10060005_3
by 山口 洋  

脳内に拡がるこの風景

2010/06/04, 17:49 | 固定リンク

6月4日 金曜日 晴れ 

 首相が変わったら、宮崎の牛くんたちはまったく報道されなくなった。狂ってる。僕は政治には期待しない。でも、幸か不幸かこの世に生まれてしまったのなら、僕だってまっすぐに生きることで、この世界の役に立ちたい。書くのが恥ずかしいけれど、この頃本当にそう思う。
 頭の中に爆発しそうなくらい、いろんなイメージが広がっている。正直に云って、それをどう表現したらいいのか、ずっと考え続けているけれど、方法が見つからない。おそらく、もう音楽だけでは無理なのだろう。けれど、まずは音楽からそれを始めたい。ミュージシャンとモノ書きを両方やるような生き方は好きじゃない。でも、その風景がでかすぎて、メロディーも歌詞も何もかもついていかないのが現状。この一年間に経験したことは、いろんな意味で多大なものを僕にもたらした。それを豊かな形で書き記して、僕は世界の役に立ちたい。その方法を見つけるために、ひーひー云いながら海辺の道を走っている。僕はもう光を探してはいない。うっすらとその中に居るのを感じている。だから、ぐるんぐるんに意味不明な風景が見えてくるんだろう。
 朝、目覚めて。「ああ、今日も生きてたんだ」。そんな単純なことに感謝する。残された時間がそんなに長くないことも分かっている。だったら、悩んでいる暇はないのだ。行けるところまで行かなければ。

 ソニー時代のbox setについて、沢山の問い合わせを頂いています。下記で予約できます。いち早く手にしたい人は9月のバンドのツアーの会場でもっとも早く手に入ると思います。

http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=3127&cd=DYCL000001685&lay=otona
http://www.ads405.jp/

by 山口 洋  

ハンガーノック

2010/06/03, 21:13 | 固定リンク

6月3日 木曜日 晴れ 

 目も覚めるほどの晴天だった。作曲活動も煮詰まっていたし、いつものように走り出した。あまりの暑さに上半身裸。最近は誰かに出会っても、もはや私だと気づいてはくれないいでたちで(ファッショナブルなランナーの真逆で、徹底的に装備は軽くなり、小銭すら持っていない)、ぐんぐん走る。気分良いし、今日はレースペースで30キロいっときますか。
 終盤、それは突然やってきた。ふた月前にサプリメントもすべて止めた。その分、食べものは出来るだけ自分で作って、気をつけていたつもりだったが、ツアーの疲労と重なって、突然の低血糖状態。フラフラだ。目眩もする。身体に力がまったく入らない。多分、貧血も併発してる。ハンガーノックだ。こりゃ、夏場は気をつけないと本当に危険だね。
 結局、ニンゲンに戻るまでかなりの時間を要した。舐めたらあかん。今日のはそういうメッセージだったんだと思う。

by 山口 洋  

Travessia

2010/06/02, 18:39 | 固定リンク

6月2日 水曜日 晴れ 

 昨夜はライヴを終えて、弟分と深く話しました。うっすらと空が明るくなるまで共に時間を過ごしても、もう深酒をすることはありません。それが時間の無駄でしかないことを、ようやく互いに悟ったのです。ホテルに戻ったのは午前4時。ここ数日の移動は半端じゃなかったので、さすがにチェックアウトを12時に延長したのですが、メールをチェックすると「はよー、東京に戻ってこい」との催促多数。ランチの誘いも何もかも断って、9時にはホテルを出て、一路360キロを突っ走ります。
 眠い目をこすりながら聞いていたのは、ミルトン・ナシメントのCD。昨日オープニングで歌ってくれたサダム君がステージに登場する際、流れていた曲があまりに素晴らしかったので、弟分に「そのCD、帰り道に聞くからくれ」、と半ば強奪。それが素晴らしいのなんの。芳醇な音楽の力。猛スピードで流れていく車窓と相まって落涙多数。ポルトガル語が心に刺さったのは初めての経験だったのです。

トラヴェシーア

君が行ってしまった時
僕の人生には夜が来た
僕は強いが どうにもならない
自分の家はもう自分のものではなく
この場所さえも もう僕のものではなく
あまりにも この身は孤独で
耐えられない
語るべきことだけが 溢れてくる

星の闇へ 声を飛ばす
僕はもう留まりたくはないのだ
この道は石ころだらけ
なのに 夢など見られるはずがない
そよ風でできていた夢は
暴風がかき消してしまう
この涙を止め
僕は死を願おうとするだろう

けれども この人生
君を忘れようとしながら 僕は続けていく
もう死はたくさんだ
生きるべきことはたくさんあるはず
もう一度愛を育みたくなるだろう
また それがたとえ不可能でも
傷つくことはないだろう

何故なら もう夢は見ないのだから
自らの腕で
人生を切り開いていくのだから

 この詩が芳醇なサウンドに乗せて歌われるとき、目の前の道に「明日」が本当に見えるのです。 

img10060002_1
by 山口 洋  

「光」、三重県桑名市にて

2010/06/01, 18:16 | 固定リンク

6月1日 火曜日 晴れ 

 9月のバンドのツアー、スタッフより発表になりました。「News」を参照してください。

 身体も心も戦闘態勢に入っています。どんなに慌ただしくても、僕を引っ張り上げてくれた「走ること」の時間だけは作ります。6時に起きて、朝の光を浴びながら走る20キロはまた格別です。6月だと云うのに、陽焼けが進行して、職業不詳の男になってきましたが、そのあたりはあまり突っ込まないでください。
 シャワーを浴びて、360キロ車で南下します。三重県桑名市にある「FORUM(写真参照)」は古い付き合いの、出来の悪い弟分が経営しています。幾つになろうとも、諦めない限り、ニンゲンは進化するんだってことを、奴に見せつけておかねばなりません。46歳になって、今が一番タフで、身体がキレています。ステージに弟分が勝手に置いた、どんとさんの遺影と我が友マサルの遺骨をバックに、汗をかきかき音楽に没入しました。楽しんでくれたかい?

 私は風だ。
 私は力だ。
 私は道だ。
 私は夢だ。
 私は光だ。
 私は命だ。

 ライヴ中、このような言葉がぐるぐる頭の中を廻っていました。初めての経験でした。

img10060001_1img10060001_2img10060001_3
by 山口 洋  
- end -