HEATWAVE 『夕陽へのファンファーレ』

2014/12/03発売
HWNR-009
¥3,200 (税込み)

  1. Don't Look Back
  2. Life Goes On
  3. I Believe in You
  4. 冬の朝
  5. 愛と希望と忍耐
  6. 焦燥のブルー
  7. プレシャス
  8. Force = Surrender
  9. Fanfare For the Wasteland
  10. 相馬盆唄
  11. Alone Together
  12. Starlight

  • HEATWAVE TOUR2014 "Don't Look Back"

    会場にて先行発売!

    11/12@大阪・梅田シャングリラ
    11/13@福岡・DRUM Be-1
    11/17@東京・duo MUSIC EXCHANGE

    11/20 19時より
    Artist-Direct Shop 405にて、先行注文受付開始!
    (11/26より順次発送)
    ご注文はこちら »

    12/3より
    全国のCDショップ(タワーレコード、HMV、ツタヤ、山野楽器、新星堂など)や、Amazon等通販サイトで発売!


 12月3日、多くの人が待ち望んだ、HEATWAVEの7年ぶりのアルバムとなる『夕陽へのファンファーレ』がリリースされる。
 2011年3月11日の東日本大震災と、福島第一原子力発電所の事故。多くの人々の暮らしを奪った未曾有のデザスター。深い敗北感や焦燥、憂鬱を乗り越えて、絶望の淵から這い上がり、HEATWAVEの音楽もようやく新しい一歩を踏み出した。アルバム『夕陽へのファンファーレ』を通して紡がれる物語からは、多くの人々を励ます確かな希望が感じられるはずだ。
 どんよりとした社会の雰囲気を払拭し、世の中をよりよく機能させるための意思。アルバムには、2014年/2015年を生きる私たちに必要なエッセンスが詰め込まれている。

 11月13日の、福岡でのライブの翌日、東京へ発つ前の空港のコーヒーショップで、山口洋にアルバムリリースに至る長い道のりを話してもらった。

聞き手、文 野田隆司(ハーベストファーム)写真、三浦麻旅子

2014年11月13日、福岡にて。

 11月13日、福岡市のDRUM Be-1で、HEATWAVE TOUR 2014「Don’t Look Back」を聴く。
 今回は大阪〜福岡〜東京と回る、HEATWAVEとしては実に4年ぶりのツアー。当初は、ニューアルバム『夕陽へのファンファーレ』のリリース記念として準備されていたものの、アルバムの制作が大幅に遅れてしまい、CDが納品されたのが初日の大阪公演の前日。セットリストは急遽書き換えられた。

■ 今回のツアー、大阪と福岡の2本を、やってみた印象はいかがですか?

 池畑(潤二)さんと(細海)魚と、(渡辺)圭一、つまりバンド全員、とても前のめりだし、ツアーをやって意識が変わってきたのがすごくわかる。
 魚とも話したけど、彼がステージでおどけたことをするのも、ライブに来た人にいい気持ちで帰って欲しいという、最大の努力なんだよね。あんなにシャイな人物が、ああいうパフォーマンスをやっていることにものすごく励まされるわけ。池畑さんは池畑さんなりに、魚とは違うやり方で、生きてることをちゃんとみせてくれるわけでしょ。

 平日にも関わらず、会場は年齢層やや高めの観客でフルハウス状態。新旧の楽曲にカバー曲を織り交ぜたセットリストは実に新鮮で、ニューアルバムからは6曲が披露された。バンドは躍動し観客は熱狂した。アルバムに込められたメッセージがきちんと深いところまで届く、とても印象的なライブだった。

■ 昨夜ライブの後、すごい数の人がCDのサイン会に並んでましたよね。

 99%おっさんだったよね。(笑)でもさ、彼らが仕事を終わった後にスーツをつけたまま見に来てくれる訳じゃん。俺はああいう人たちを絶対に元気にしてやろうって、無駄に燃える。(笑)で、自分で決めてしまわなければ不可能はないし、人生はもっと豊かなものになるはずだということを、体を張って伝えたいんだよね。
 ステージ上で “悪い気は全部魚に送ってくれ”と言ってたのは、あながち嘘じゃないんだよね。俺は、同世代からすごくネガティブなパワーを感じるわけ。そういうエネルギーを魚の方に送ってもらって、俺が場を循環させる。それに応えて魚はピースとかやってるし。(笑)
 みんなが生きていく上で受けてしまった様々なネガティブなものを浄化じゃないけど、まずは祓っていかないと。だって、みんなそういう厳しい世の中で生きてると思うもん。よくみんな仕事帰りに足を運んでくれるなぁと思うし。

■ それは、ありがたいですよね。

 アルバム作ってツアーに出て、メンバーの変化もわかるし、ようやくバンドも一つになってきたし。ヒロシは本気なんだっていうことがわかってくれていると思うし。お客さんは、それに本気で応えてくれてるから、すごく嬉しいよ。人が生きていける理由というのは、自分が世界の役にたっているという実感じゃん。俺はステージにたっているときだけは、生きてる意味があると思ってやってるからさ。
 しんどかったけど、これでちょっと先が見えてきたというか。あと5年ぐらいはいけるかなみたいな。(笑)今年でバンドを作って35年だから、40年までいけるかなぁみたいな気分になるよね。

■ 昨夜のライブでHEATWAVEとしてのライブは今年わずか4本目です。一般的なバンドだと、もっと頻繁に顔を突き合わせてやってるイメージです。4人で顔を合わせることもほとんどないわけですよね。まるで、サッカーの代表選手みたいに、必要なときに招集されるみたいな感じにも見えます。

 そう、そんな感じ。だから、ぐっと会ってぱっと別れる。それぞれに強烈な人たちだから、ずっと一緒にいることに耐えられないと思うよ。だけど、それぞれにすごいものがあるからさ。その一瞬にかけて、集中して、音楽やって、酒飲んで、お疲れ、終わり、みたいな。それが50をすぎたバンドの正しいあり方だと俺は思う。今回の一連のレコーディングを通して、50を過ぎたバンドが長続きしない理由が、本当にわかったもん。それぞれの生き方があるわけだからね。そんなに私生活で仲がいい必要なんてどこにもないし。誰も知りたくないだろうし。(笑)そのためには、俺がかなりの部分で身を粉にして働くしかないわけ。

■ メンバーのみなさんの、HEATWAVEへの帰属意識みたいなものはあるんですかね。

 それぞれに違うと思うけど、帰属していると感じてる人は一人もいないんじゃない。多分、池畑さんは、ヒロシのヴィジョンを実現するために力になりたいって思ってくれてんじゃないかなぁって思うし。魚は多分、音楽の実験とか、音楽をやっている喜びとかオーディエンスを元気にする喜び、可能性とか、一緒にそういう旅をしている感じがする。(渡辺)圭一は、出来の悪い弟っていうか。兄弟みたいなものでしょう。(笑)だれも帰属しているとは思ってないと思う。
 ただバンドのメンバーそれぞれが、ミキシングができたり、マスタリングができたり、デザインができたりするケースって、ほとんどないと思うんだよね。だから今回のアルバムではあえて、4人でできる可能性を示したわけ。

“311”という逆境を経て、
作りたかったのは、
人を奮い立たせる音楽。

 今年4月にリリースしたソロアルバム『Songs of Experience』を、山口洋は、ブルース・スプリングスティーンがかつて4トラックでレコーディングしたアルバム『ネブラスカ』に例えて話していたことがあった。今回の『夕陽へのファンファーレ』も、同じスプリングスティーンの1枚のアルバムに近い場所にあると話す。

 ある日、友達の店でブルース・スプリングスティーンの『The Rising』っていうアルバムが流れててさ、震災の前と違って聞こえたんだよ。そのバーのマスターに、“俺もこのアルバム持っていて、聴いてたけど、なんか響きが違う”って言ったら、“僕もそうなんですよ。ヒロシさんもそう思うかなぁと思ってかけたんです”って。
 改めてiPhoneに入れ直して、走るときに聴いてたら、グッと来たんだよね。1曲目の『LONESOME DAY』を聴いて、あぁ、こういうことだなぁと思ったの。ちょっと暑苦しいんだけど(笑)、人をすごく奮い立たせるものがある。俺もそういうものが作りたかったんだと思う。あれはちょっと元気出たよ。

■ 随分前に沖縄にライブで来た時に、車であのアルバムを流していて、割と否定的な感じだったので、ちょっと意外でした。

 あのアルバムって“911”の後に出たアルバムでしょ。 “311”を経験して、あのアルバムの聴こえ方が変わったんだよね。あれは不思議な感じだった。ああいう、とてつもないことを経験した後に、どうやったら生きていることの素晴らしさを表現できるのかっていうのが音楽の役目だと思うからさ。

■ “311”は、山口さんにとって、どういう経験だったと思いますか。

 “311”自体、俺にとっても大きな逆境だったんだけど、そこから這い上がって生きていることは素晴らしいといえる場所までたどり着かなきゃって考えてた。
 あの時にさ、明日があることが当たり前じゃないということがわかったわけじゃん。ああいう負の経験というのは、二度と繰り返してはいけないし、あの経験を本当に、後世にいい教訓として生かしていかなきゃ意味がないと思うから。世の中のことを嘆いてもしょうがないし。世界は変わらないけど、自分は変われるわけだからさ。すべての苦い経験、つらい経験は、自分を変えていくためのきっかけだと思うんだよね。それを発信したいんだよね。

 “311”の後、山口洋は『MY LIFE IS MY MESSAGE』というプロジェクトをスタートさせた。東日本大震災で、津波や原発事故の被害を受けた地域はあまりに広い。そこで彼は友人が暮らす、福島県相馬市中村町1丁目1番地に向けて、この活動を行っている。

■ “311”は、ミュージシャンにも様々な変化をもたらしましたが、その中で周囲との関係性に変化があったりしましたか?

 “311”をきっかけにもたらされた人間関係ってあるよね。いい風に変わっていったミュージシャンもたくさんいるし、逆に仲違いしたミュージシャンもいるけど、それは仕方ないと思う。
 ヤイコ(矢井田瞳)ちゃんのように、音楽を通じて、なんとか世の中をよく機能させようとする人を見ると、本当に目頭が熱くなる。福島のことも一生懸命やってくれているし。自分で考えてピックに“YAIKO”って何百枚も書いて、売れたお金を全部俺たちのプロジェクト(『MY LIFE IS MY MESSAGE』)に預けてくれるんだよね。本当に、スピリットが汚れてないというか。俺は、そういう人たちと連帯している気持ちがすごくある。自分のエゴのために音楽をやってる人にはまったく興味がないんだよね。すべてに自分が正しいことをやっているとは思わないけどさ。

■ 現状の流れの中で、『MY LIFE IS MY MESSAGE』のプロジェクトは、今後どういう場所を目指すのですか?

 本当を言うと、しんどかったから止めようかなと思ってたんだけど、一昨日と昨日だけで何十万円も寄付をもらってるわけ。そういう人たちの気持ちの受け皿として、やっぱり継続させなきゃいけないよね。
 今年、渋谷でもう1回みんなと一緒にライブをやれるし。いいミュージシャンにもいっぱい会えるし。彼らのスピリットが素晴らしいからね。それをつないでいくことは、孤立している人を勇気づけられると思うんだよね。それはすごく意味があると思うんだ。

 少し、長期的に考えてることはね、農業とか漁業とか、林業とか、第一次産業で孤軍奮闘している仲間たちを、音楽を介してうまくつなぐこと。
 今年、北海道の「ライジングサン・ロック・フェスティバル」で、『MY LIFE IS MY MESSAGE』のステージは、佐藤タイジがもってきた太陽光の電気でまかなわれていて、俺たちの仲間がフードを出していたの。それが1000食ぐらい売れたんだよね。
 生産者を勇気づけ、食べた人は美味しいと言い、ミュージシャンも美味しいという気持ちでステージに上がって演奏する。しかも太陽光の電気なんだよね。それはすごく意味のあることだし、誰も傷つけないじゃん。ポジティブなバイブレージョンを循環させることができることが、よくわかったわけ。みんなエゴじゃなくやってるわけだし。そういうところに情熱傾けることに、俺はストレスがないんだよね。
 孤立している生産者たちをつないで、可能性を示すということを音楽を通じてやることが、ここ1〜2年でできてきたんだよね。送られてくる野菜に魂入ってるのが食べたらわかるもん。人は食べたものでできてるんだから、本当に美味しい気持ちを込めて作られた食べ物を流通させなきゃいけないと思うわけ。そういうことも含めて、心ある人が連帯していけばいいと思う。手間はかかるけどね。

 “311”の後、日本中に蔓延する不安を共有し、少しでもそれをぬぐい去り、一歩でも前を向こうという意思。わけのわからない漠然とした不安がのしかかる、先の見えない世の中だからこそ、音楽をはじめとする表現や安全な食が灯してくれる灯りは、とても大切なのだ。

アルバム制作の決意、実験、そして挫折。

 “311”をくぐり抜けて、ようやく立ち上がった山口洋は、 HEATWAVE のニューアルバムの制作を決意する。そこから スタートした様々な試みは、なかなか思うようには進まなかった。挫折と失敗ばかりが繰り返され、時間だけが経過していくことになる。

2013 年 2 月某日。 アメリカの山中からのメール。

■ HEATWAVE のニューアルバムを録音すると宣言したのは、 2013 年 2 月だったということですが、そこに至るいきさつを教えてください。

 “311”の後に、ミュージシャンのほとんどは、音楽をやることに何の意味があるんだろうと考えたと思うんだよね。まさに、 そういう経験だったわけじゃん。
俺はミュージシャンである前に人間だと思ったから、人間としてできることとして『MY LIFE IS MY MESSAGE』というプロジェクトを始めたの。こういう性分だから、やらないという選択肢はなかったし、やるからには全力でやった。すごく 傷ついたこともあったけどさ。
傷ついてるときは、思い切り傷つかないとだめなんだよ。もちろん傷つきたくないよ。でもそれは芸の肥やしだからね。本当に辛かったけど、あの時逃げなくてよかった。人間がすごいのはさ、そこから這い上がってくるわけでしょ。そんなこんなで、音楽に戻ってくるのに 2 年くらいかかってしまったわけ。
アメリカの標高 3000m の山の上で、昨日のライブでも演っ た新曲を改めて聴いてみた時にさ、今、同じ時代に生きていることが一番大事なことだし、それを届けることには意味がある っていう風に思ったから、「HEATWAVE のアルバムを出す」 ってマネージャーに連絡をしたの。

■ その時、すでに今回の収録曲はある程度出揃っていたんですか。

 できていたのもあったけど、やっぱり、“311”を経てふるいにかけられるよね。“311”以降に書いたものでも、ソロアルバムには入れたけど、バンドのアルバムから外したものもある。
今回の『夕陽へのファンファーレ』は、自分の表現欲で作らなかった初めてのアルバムなんだよね。今までは、自分を表現したいという欲で作ってた。でも今回は全然そんなことはなくて、世界が少しでもよりよく機能するようになるための音楽を作りたかった。だから、そもそもの動機が違ったわけ。でも、 その動機なかったら、あの果てしない作業を貫徹できなかった と思う。

2013 年春~夏。
「HW SESSIONS」という実験。

 2013年5月、千葉のライブハウスで HEATWAVE のライブを聴いた。『HW SESSIONS』と名付けられたライブは、アルバムのレコーディングに向けた公開セッションに近い形で、2013年 3 月から 6 月にかけてマンスリーで行なわれていた。 (その後、2014 年 2 月にも 2 回開催されている)ほぼ新曲 のみが爆音で演奏されるスリリングなライブ。普段のライブと は異なる、ある種のラボのような不思議な空間だった。

■ 『HW SESSIONS』というライブシリーズがありました。 あのシリーズは、新しいアルバムの下敷きにもなったと思うん ですが、目的は何だったんですか?

 曲をブラッシュアップするという目的もあったし、何よりライブで実験してみようということだった。通常のレコーディング・スタジオでいいものを録るのが難しいのはわかってたから、 2 回目のライブから、マルチ・トラックを回して録音しておく ことにしたの。
100回のリハーサルよりも1回ライブをやった方が、その曲やバンドのポテンシャルがわかるわけ。これは伸びるとか、 伸びないとか。ライブの時はみんな本気だからね。
例えば、池畑さんのドラムとか見てくれたらわかるけど、ライブのときにすごいものが出てくるじゃん。

■ 通常のカッチリと構成されたライブとは少し趣が違いましたけど、個人的には“途中”のものが聴けて面白かったですね。結構手応えは感じていたんですか?

 うーん、『HW SESSIONS』では、手応えを感じたり、感じなかったり。非常に悩みながらやってた。性分としてチャレンジングなことしか燃えないんだろうね。自分で自分を焚き付け るための、逆境が必要というか。

2013 年 8 月、伊豆。
“2013 年のロックンロール”はどこに?!

■ 『HW SESSIONS』の後、実際にスタジオにも入られてますよね。

 『HW SESSIONS』の後、伊豆にすごく古くていいスタジオを見つけたからさ、去年の8月に 5 日間くらいそこでレコー ディングしたの。

■ HEATWAVE のレコーディングってどういう形でやるんですか?

 俺たちは、スタジオでもライブと同じで、歌も含めて全部一緒に本気で録ってる。スタジオでは、こんな風に演奏してくれとは、一言も言わない。俺はただ黙々と真ん中に立って、歌っ てギターを弾いているだけ。お互いに影響し合いながら形になるのを待ってるの。
バンドやるってことは、その人のエキスが出ないと意味がないし、エキスを出すのに時間がかかる人もいるわけじゃん。それはもう永遠に演奏をしながら待つ。池畑さんがドラムを叩いてくれるようになってからはそういうスタンス。

■ 実際に伊豆でのレコーディングはどんな感じだったんですか?

 その時録ったものは、何かが足りなくて、何も感じなかった。 オーディエンスがいるいないっていうのもあるかもしれない。 ライブは1回きりだけど、レコーディングはやり直しがきくしね。とにかく笑っちゃうぐらいダメで。(笑)俺が求めている 2013 年のロックンロールのカタチっていうのは、レコーディング・スタジオの中になかったんだよね。唖然としたもん。もちろんちゃんと録音はできてるんだけどさ。

■ 何が足りなかったんでしょうね?

 その欠けている何かこそが、俺が一番大事にしてるものなんだけど。そのロックンロールの一番大事なものが入っていなかった。それは俺にとっては我慢できる類いのことではなかった から、ボツにした。スタジオが悪いわけでもないし、その時の空気とかなんだろうけど。なんか興奮しなかったんだよね。自 分の想像を超えた世界にいけなかったら、そのままリリースで きなかった。
サッカーに例えると点をとる意識がみえない試合とかさ。(笑) そんなのあるじゃん、フレンドリーマッチにもなってないみたいなの。

■ そうなった原因は考えましたか?

 何でそうなったのか俺にはわからないけど、あの頃は 2011 年以降の世界に対して、メンバーそれぞれの態度の違いが大きかったからじゃないかと思った。今でもまったく一緒じゃないし、バンドって違う個性があるから素晴らしいんだけどね。その違いを俺がまとめきれなかったんだと思う。演奏していて辛かったもん。

■ 一度レコーディングした音源をボツにしてしまうというのは、 すごく重い判断ですよね。それなりにお金もかかっているわけだし。

 失敗っていうのは、うまくいくための学ぶ場所だから。そりゃ痛いけどさ、(笑)お金じゃないもん。津波で家を失った人や原発事故の影響で地元に住めなくなった人のこと考えると、大したことない。
そんなにお金はかけられないけど、それに勝る何かを残すの って、逆境に追い込まれたときの情熱だと思うんだよね。それだけはバンドのメンバーに対しても示さなきゃと思ってたからさ。
今みんなと同じ時代に生きていることが大事だから。その作品が 10 年後のマスターピースであるより、同時代性が大事だと思うんだよね。

 伊豆でのレコーディングの後、HEATWAVE のアルバム制作は、完全に暗礁に乗り上げてしまうことになる。

2014年1月 。
ソロアルバムのレコーディングで垣間見えた、 HEATWAVE のアルバム制作の方向性。

山口洋は、HEATWAVE のアルバム制作を宣言したものの、 伊豆でのレコーディングの後、その作業は完全に暗礁に乗り上げる。ソロツアーの行く先々で、多くのファンから HEATWAVE のニューアルバムを待望する声を直接耳にするたびに、その事実は重く響いてきた。
そうした中、HEATWAVE ではなく、山口洋のソロアルバ ム『Songs of Experience』のレコーディングがスタートすることになる。

 去年 8 月に伊豆のスタジオでレコーディングしたんけど、アルバムにできなかった失敗が負のトラウマになっていたわけ。 でもファンはもうアルバムが出ると思っているわけじゃん。アルバムを断念して全国を回ったときに、みんなが、今新しい曲 をアルバムで聴きたがっていることを改めて肌で感じたの。
だからバンドではできなかったけど、俺が一人で実験も含めて録音して届けようと思って、今年の元旦から意を決して、期限を決めて録音をはじめたの。2 月のアメリカ行きの飛行機のチケットを買っておいて。その時までにできないんだったらタメだって、ちょっと追い込んでやった感じ。あの時は、もうバンドのアルバムを作れるという自信はなかったんだよね。

■ ソロのレコーディングをする上で、何か決めごとはあったんですか。

 まず、全部一人でまとめるのがいいと思ったのと、期限を決めておいたこと。あとはドラムを叩かない。それ以外は自分のやれることを全部やってみるって感じ。そこでいろんな実験を した。
俺は、シンガーで、ソングライターで、ギタリストで、ほかの雑多な楽器も演って、なおかつプロデューサーなわけでしょ。 いろんな人格でやらないと破綻するから、簡単じゃなかった。

2010年、山口洋と細海魚は『SPEECHLESS』というアルバムを発表した。ライブ音源からノイズを取り除き、生身のダイナミクスを壊さないように新たな音を配置して、緻密なミキシングで作り出されたもの。
細海魚は、今回の HEATWAVE のニューアルバムにおいても、『SPEECHLESS』と同様の方法で制作を進めることを山口に提案した。

 HEATWAVE のアルバムに関して、バンドのいろんな音源の素材を組み上げて作るという、以前『SPEECHLESS』というアルバムでやったアイデアを、改めて魚が出したんだけど。 ソロアルバムの作業をする中で、バンドのアルバムでも同じことが本当にできるのかどうかも測れたんだよね。そこで、ある程度自分が好きな音を作れるという確信がもてた。音がいいというのは、好みの問題で、絶対的な指標はないわけじゃん。で もソロアルバムを作る中で、コンピュータをつかって、自分が 好きな音に持っていくことができるという自信ができた。

■ 『Songs of Experience』のレコーディングでやった作業が、『夕陽へのファンファーレ』の橋渡しになった部分もあるんですね。

 俺はエンジニアとしての専門教育を受けてないから、そこにたどり着くにはエンジニアの 10 倍ぐらい時間がかかるけど、 たどりつきたい風景は確実にあるわけだから。そこには絶対にいけると信じているからさ。それも結局情熱だよね。そういう実験がソロアルバムで1ヶ月かけて十分にできたよね。
『SPEECHLESS』は当時は画期的だったけど、今回はあの時のクオリティではダメなのことはわかっていたの。あのアル バムの質が低いってわけじゃなくて、もっと進化した形でやらないとダメだった。その可能性は俺が示さないと、誰も能動的には動かないなぁって思ってたからさ。

『SPEECHLESS』での経験を下敷きに、 終わりの見えない孤立無援の作業へ。

■ 具体的な制作のプロセスを教えてもらえますか。

 『SPEACHLESS』は1本のライブをもとにできているんだ けど、今回は、クオリティを上げるために、リハーサルや『HW SESSIONS』の何本ものライブとか、合計約 16 時間分の素材があったわけ。『SPEACHLESS』の約 10 倍だよ。聴くだけでも地獄のように大変だった。(笑)
アメリカの山の中にいるときに、自分への毎日のノルマのような感じで、どこがどうなってるのかをきっちり聴いてたの。 1曲ごとに設計図みたいなものを描いて、この曲のこのテイクとこのテイクをエディットしてとか。そうすればこういうアルバムになるはずだっていうのが見えたわけ。でも確信はなくて、砂で城を作るみたいな、かなり切ない、はなはだ根拠のない始まりだった。ここに向かっていくっていうことが、本当にできるのか、自分でも身震いするくらいだった。(笑)孤立無援で、 誰も助けてくれないし、ちょっとビビってた。
結局、CD が売れないといわれる時代の中で、お金をかけずにいいものをつくるには、ライブで実験をしたり、リハーサル をした時に、すべてマルチ・トラックで録音しておいて、膨大なデータを自分で編集して作っていくしかなかったんだよね。

2014年6〜7月。
CHABOさんが教えてくれたこと。
“丁寧”をパイのように日々重ねていくという生き方。

 2014年6月から7月にかけて、『MY LIFE IS MY MESSAGE 2014』と題して、山口洋と仲井戸”CHABO”麗市のツアーが全国12カ所行われた。2013年9月に続く2度目のツアー。山口は、このツアーを通して多くのインスピレーションを受け取ることになる。そこでの経験は、そのままアルバムを作る上で非常に大切な指針として浸透していく。

 アメリカから帰ってきて、アルバムの本格的な制作の前にCHABOさんとツアーをやらせてもらったことは、すごく大きかった。
 未来を作るために人間ができることは、今を一生懸命生きることだっていうことは重々わかっていたよ。でもCHABOさんはそれに加えて、丁寧に生きるということを教えてくれた。より丁寧に人間同士のコミュニケーションをとること。そうやって丁寧を、パイのように毎日重ねていくと、タッチが柔らかくてしなやかに変わるんだよね。本当に情熱のこもった素晴らしいものになるんだよ。そのことを身をもって教えてくれたわけ。
 CHABOさんが、あれだけやってるんだから。一回り若い俺がやらないとダメだろうというのが、常に頭の中にあった。あの人はあれだけ丁寧に生きているんだから、身震いしたとはいえ、そこにたどり着かなきゃダメっていうエネルギーをもらったよね。

■ きちんと先輩から大切なものがバトンタッチされている感じですよね。

 CHABOさんが手を抜かずにやってることが俺に影響するわけでしょ。そういうことだと思うんだよ。一つの物事に対してネガティブなことばかり言ってたら、ネガティブなことしか連鎖しないじゃん。
 CHABOさんは、この世に居ない人のことも引き受けてるって感じることがある。大変なことだよ。それを横で見ているとわかるんだよね。人々の期待とか、それに対する努力とかを見ていて、俺が彼を励ますことができる唯一のことは、俺がちゃんと生きることでしかないわけ。出来の悪い弟が、ちゃんと生きてるのを見てもらうというか。そういうことを連鎖させれば、いいのかなって思うよ。
 だって、南青山で、(下地)勇とやった日、勇も輝いていたでしょ。本当に俺も客として見せてもらったけど、ジェラシーなんか何もない。素晴らしいよね。なんか、人を輝かせられる何かがあるんだよね。

情熱を携えてヴィジョンへと向かう
長く孤独な闘いの日々。

 山口洋のブログ『ROCK’N’ROLL DIARY』で「レコーディング航海日誌」がスタートしたのは、5月22日のこと。以来、断続的に続いてきたシリーズは、マスタリング前の10月8日まで続く。ブログ上では、ツアーなどを挟みながら、レコーディングにおける様々の悪戦苦闘が伝えられた。本格的な作業が始まるのは『MY LIFE IS MY MESSAGE』ツアーを終えた7月後半だった。

■ 16時間分の音源を、一つのアルバムとして再構築していく具体的なプロセスを教えてもらえますか。

 例えば『Don’t Look Back』のテイクが10曲あるとすると、この録音のドラムだけは使えるとか地獄耳で楽器のパーツパーツを聴いて組み合わせていく。
 一番いいのは、みんなで一緒に演奏してるわけだから、そのままミックスさえすれば使えるという絶妙な演奏があれば、それにこしたことはないんだよね。そういうのが3曲ぐらいあったけど、大抵それは無理だったわけ。
 でもテイクが10曲分あると、音の表情は全然違うわけじゃん。選ぶテイクによって全体の印象も変わる訳で。そういうことを考えるのが、すごく大変だった。素材があったらあったで迷うからさ。だから曲によっては3つのテイクに手を付けて一番良くなるものを選んだのもある。はなはだ時間かかったよね。

■ ライブのテイクがもとになっているのは何曲あるんですか?

 『夕陽へのファンファーレ』の中の4曲はライブのテイクがもとになってるんだけど、誰もわからないと思う。1曲目の『Don’t Look Back』とか『プレシャス』ってもとはライブなんだよ。ライブのリズムトラックに、俺が2週間ぐらいかけて、いろんな音を足したり引いたりして、歌を入れたり。でも、そんなのわからないでしょ。でも、それができる時代だし、できる技術があるからさ。
 ライブの素晴らしい瞬間を、ライブ盤として出すんじゃなくて、バンドのミラクルなところをパッケージングするためには、そういう手間のかかるやり方しかなかった。誰もそんなことやった人いないと思うけど。

■ 作業が長引くと、見失ってしまったりってことはないですか?

 3ヶ月くらいの間、本当にほかの仕事をせずに没頭してたからね。幻をみるくらい集中していた。多分、誰もやったことがないアルバムの作り方だっていうのはあったからさ。
 みんなに伝えたいのは、自分が不可能だと思わなければ不可能はないんだよね。情熱さえあれば自分のヴィジョンにたどりつける。その状況を受け入れて、あきらめずに丁寧にやることだと思う。
 とにかく、とても大変な作業だったから、スタジオに、“お前ならできる”とか(笑)、人に見せられないような標語が毎日増えていった(笑)。客観性を見失わないようにするのはとても大変だった。それを回避するために、毎日走りながら夕陽をみて。(笑)そこで自問自答して、リセットして頑張るみたいな。フィジカルにものを考えるってすごく大事なことなのね。作為じゃないアイデアが浮かんでくるから。自分の欲でやっていたら、多分途中で頓挫してたと思う。

『ガーディアン・エンジェル』、
そして『Fanfare for the Waste Land』。

■ 『Fanfare for the Waste Land』というインストゥルメンタルの作品は、アルバムをより印象深いものにしていますよね。

 ある日、フランシスコ・タレガっていう人が書いた曲の一部分が浮かんできたの。最初、その曲が何なのかもわからなかったんだよね。でも俺の曲じゃないことはわかったの。そしたら、俺の親父が、すごくヘタクソなんだけど、昔ギターで弾いていて、いつもその場所でつっかかってたのを思い出したんだよね。それが『アルハンブラ宮殿の想い出』の一節で。それがわかって、結構ジーンとしてさ。

■ “父のギターの音に耳を澄ましてる”っていうと、『ガーディアン・エンジェル』(アルバム『日々なる直感』に収録)で歌われた世界そのままですね。

 親父の形見のギターを弾いて、それを録った時にね、自分のやりたかったことが音楽として結実したなぁっていうのがすごくあった。なんかあのメロディいいよね。
 古い曲で著作権が切れていたから、『Fanfare for the Waste Land』っていうタイトルに変えてもいいという許可が下りて、先人の遺産を有効に使わせてもらった。生きてる者がつないでいかないといけないよね。

2014年10月。
マスタリング〜細海魚とのキャッチボール。

■ マスタリングという作業のことについて、少し教えてください。

 マスタリングというのは、音の全体のバランスを整える作業なんだけど。今のCDはラジオでかけた時に負けないために、弁当箱にご飯をぎゅうぎゅうに詰め込むように音作りされているのね。ある程度詰め込まなきゃいけないんだけど、弁当箱に詰める時にバランスが変わっちゃうわけ。俺は、丁寧にやることによって、スペースを残して、そこにみんなの想いを投影できるようなものにしたいと思ってるんだけど。

■ マスタリングを、魚さんに任せることにしたのはどういう理由からだったんですか?

 今までのマスタリングはプロの人にお願いしていたんだよね。そうすると本当に1日で終わるわけ。俺たちはソファにふんぞり返って、指示だししてさ。(笑)
 今回俺は、CHABOさんから学んだ生きる姿勢といったものが、音楽に反映されると信じていたからさ。マスタリングを魚と2人でやるとちょっと大変になるとはわかっていたけど、そこを乗り越えていくことに意味があったんだよね。

■ 着地点を見つけるのに、相当に苦労されたようですが、マスタリングの作業で途方に暮れていた中で、魚さんが見つけた解決方法はどういうものだったのでしょうか。

 こういう録り方だから、奇跡のバランスで成り立っているわけ。何かがちょっと崩れるだけで、バランスが全部崩れてしまうような脆い音楽なんだよね。
 マスタリングに使うコンプレッサーというエフェクターを通しただけで音が変わってしまってさ。その感じが何日やっても全然うまくいかなくて、ツアーをしながら毎日、魚とやりとりをしてたの。
 あるとき、とあるコンプレッサーがあってね。俺が、“このコンプレッサー使ったけど、あんまり音が変わらないよ”って言ったことに、魚が何かひらめいたらしくて。普段メールでしかやり取りしないのに、珍しく電話がかかってきて、“コレ聴いてみて” って言われてさ。それでようやく俺たちに光が見えてきた。

『夕陽へのファンファーレ』。
“丁寧”の積み重ねが、情熱として結実した。

■ 今回、相当に時間がかかってしまいましたね。

 余裕をもっていたはずなのにね。すべてが滑り込みだったけど、やり遂げた充実感はあるよ。俺の中ではもう過去のものになっちゃった。もちろんこれから宣伝して売らなきゃいけないんだけど。
 実際、今年4ヶ月スタジオに籠ってたんだけど、本当にその間収入がないわけ。(笑)そういうことにも耐えなきゃいけない。そういうことが責任感にもつながるし。今更そんなことでビビるぐらいなら、こんなことやらないけど。でも、緊張感にはなるよね、たいして持っていないお金が目減りしていく日々とかさ。(笑)結構スリリングで楽しかったよ。(笑)
 だからこそ今は、本当にオーディエンスに向かって“買ってくれ”って自信をもっていえるもんね。そういうとこは変わったかな。

■ 完成したアルバムを聴いたメンバーの反応はどうだったんですか。

 何も言ってくれないよ。(笑)本当に何のリアクションもない人たちだからね。(笑)
 昔からそうだけど、自分一人で音楽をやれと言われれば、すべての楽器を演奏できるし、自分なりの完成型はあるわけ。でも一人でやるんだったら山口洋でしょ。HEATWAVEっていうバンドなわけじゃん。猛烈に個性の違う人と演奏することによって、曲を作った時と、まったく違ったものになる。こんな曲なはずじゃなかったって曲もあるよ。もちろん、結実しないことはよくある。でも自分が想像していたのと違う世界に行けばいくほど俺は嬉しいんだよね。

■ 山口さん自身は完成したアルバムを聴いて、どういう風に感じたんですか。

 最終的にマスタリングも終わって、出来上がった音をスタジオの帰りにカーステレオで聴いた時、俺たちの丁寧の積み重ねが情熱になって、他人の音楽みたいに流れてきたときにはすごく感動した。本当にやって良かったなぁって思ったよ。

■ これからどういう風に活動を展開していきますか。

 この音世界、もう一歩先にいったツアー、このアルバムを表現できるツアーを来年ぜひやりたい。
 ただ今回、ほかの事務所の社長に“そんなことも知らないの?”って言われたんだけど…。今大変な時代だから、ライブのお客さんが土日じゃないと来れないっていうわけ。でもすでに、でも土日のスケジュールって、来年の8月ぐらいまで空いてないのね。どうすんだよって思ってるんだけど。
 お客さんが入らないと、俺たちも成り立たないからさ。それはちょっと早めに動かないといけないって考えてるんだけど。でも、そういう時代なのであればしょうがないから、時期は遅くなるかもしれないけどバンドのツアーもやるし、やっぱり新しい自分たちを見せられるように、このアルバムを売ることを頑張んないといけないよね。

 「俺にはこの音楽が必要。おそらく必要とする人は多いと思う」。山口洋から、アルバム『夕陽へのファンファーレ』の感想を求められたとき、そんな風に答えた。山口は、同時代性を口にするが、同時に力強い普遍性も備えたアルバムだと思う。時代に寄り添いながら、音楽を手に前に進もうとする意思は、多くの人に勇気を与えてくれるはずだ。
私も今日から、少しの情熱と丁寧さを胸に生きていきたい。

聞き手、文 野田隆司(ハーベストファーム)写真、三浦麻旅子