日別アーカイブ: 2011年1月5日

Soul Mining

1月5日 水曜日 曇り 猛然と創作意欲に燃えております。ブルータス、やっとかよ。そんな感じです。どっちに転んでも、僕の本分は新しい曲を書くことで、長い時間をかけて、心の中にたまっていたすべての感情が、ようやく化学反応を起こし始めた気がします。溜めすぎだろ、自分、みたいな。でも、無理矢理それらを吐き出すのは避けたかった。何故なら、それらはまだ咀嚼しきれていない状態で、現実味を帯びすぎて、このままじゃ、ファンタジーは描けない。創作者に必要なものは「吐露」ではないと思います。しかし、長かった。 部屋でギターを弾きます。この楽器に今更ながら能動的になれたのは、おおはた雄一君の影響が大きい。僕は彼のように毎日楽器屋をパトロールする情熱はないけれど、同じ楽器を愛するものとして、変態楽器に賭ける彼の情熱に撃たれました。変態楽器は変態ゆえ、愛するのが難しいから、育てて愛してやる(分かる?)みたいな、ありあまる情熱。一方、歌うことに関して云えば、大島保克に学ぶところが大きかった。彼の歌に向かう姿勢にはかなり影響を受けました。とかく、同世代のミュージシャンが歌う歌にリアリティーを感じなくなっていたのです。それらは(僕にとっては)机の上で書かれたもので、体験から、あるいは魂で書かれていなかった。響いてこない。そして手癖にまみれている。それは同時に自分にも云えることでした。このままじゃいかん、と。ある酒場でヤスの歌が流れ、僕は撃ち抜かれた。奴は魂で書き、そして歌っている、あまりにも繊細な震えがある。僕は彼にメールを書いて、「今年はヤスが嫌がっても、俺、一緒に演奏するかんね。ひひ」、と。 音を奏でる、あるいは音像を構築する行為に関してはダニエル・ラノアの影響が大きい。もはや、誰も到達できない地点に彼は立っていると思います。音楽が音楽として2010年に奏でられる理由。それをひたすらに追い求める。その姿勢に撃たれます。ともだちが彼の自伝を送ってくれました。英語で書かれているので、辞書を引き引き読んでいます。面白い。彼は表現することの難しさに、ときどき癇癪を起こして血まみれになったりするのだけれど、それは表現する者として、ある時期にはとてもまっとうなものだと思える。僕は酔ってステージに立つのが好きじゃない。他人がやるのは自由だけど、音楽の神様に無礼を働いたら、いつかそれに抹殺される。そのくらいには僕らがやっていることは大衆的で、かつ神聖なものだと思います。彼の親友である、クリス・ウィットリーとの関わりは読んでいて、涙が出る。彼の死後、ダニエル・ラノアが始めたバンド「Black Dub」にはクリスの娘がリードシンガーとして抜擢されている。むろん音楽的な才能を買ってのことだろうけど、その情けの深さにも撃たれる。 強い向い風が吹く日。僕はインターバル走に出かける。心臓が口から出そうになるほど追い込んで、「いったい何をやってるんだろう」とは思うけれど、ファンタジーを描くため、あるいは自分の闇の世界に迷い込んで、そこからひかりを描くためには体力が必要なのです。おおはた君の新譜のタイトル「光を描く人」。秀逸だと思う。

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