日別アーカイブ: 2011年3月8日

比類なき情熱の集合体

3月8日 火曜日 曇り   某国の巨大な空港で、乗り継ぎ便を待っています。標高3000メートルのその小さな街に向かう日本人は僕ひとり。それも悪くない。先日の佐野さんのコンサートのこと、時差ボケの中で、記しておこうと思います。多分、うまく言葉にできないだろうけど。   楽屋に置かれたモニターでそのコンサートをずっと観ていました。始めから演奏はタイトだったけれど、後半に向けて、渦を巻いて、神がかっていく。ミラクルとしか云いようがなかった。素晴らしかった。もはや、あのレベルまで行くと、技術云々ではなく、比類のない「圧倒的な情熱」の集合体だけが、それを可能にしているとしか思えなかった。野茂さんの直球とフォークボール。それが彼にしか投げられないように、佐野元春(敬称略)の代打はこの世には居ない。それが一体どれほどのことで、どれだけのプレッシャーを背負い、闘い続けてきたのか?僕には想像することしかできなかった。感嘆すると同時に、いろんなことが自身に突きつけられるコンサートでもありました。でも、それは僕にとっては「励み」以外のなにものでもない。あれから、ずっと「心の微熱」のような状態が続いているのです。   僕の無駄な芸歴30年をもってしても、このコンサートで彼の歌を歌うってことは緊張します。でも、楽屋は常にいい感じの緊張感に包まれ、ジョークが飛び交い、それが次第にピースフルな空気を作っていく。渦の真ん中には常に彼が。凄いことです。僕はこの巨大なステージで、素晴らしいバンドのみなさんと、そして師匠と音楽を奏でていることが嬉しかったし、愉しかったし、集中していたし、何よりも幸福だった。実のところ、「お祝い」に駆けつけたはずなのに、いろんなものを受け取っているのは僕らの方だったのです。   個人的な話だけれど、僕は音楽業界に絶望していたのです。出来るだけそこと関わらずに生きていこう。そう思っていました。あれだけの規模のコンサートを成功させるには実に多くの人々が関わっています。これは僕の経験から云って信じられない話なのだけれど、関わっているすべての人が彼への、あるいは彼が作り出した音楽への愛に満ちていました。たとえば。僕はあるスタッフの動きをずっと注視していました。溢れてあまりある情熱と愛で、身を粉にして働いている人を久しぶりに観た気がするのです。終演後、旧知のプロデューサー氏にこう云われました。「君が演奏しているのを久しぶりに観たけれど、頑固すぎるほどまっすぐに自分の道を歩んできたのが分かる。それは素晴らしいことだ。でもね、今日のコンサートを観て、分かってくれたと思うけど、同じくらい大切なのは仲間なんだ。夢を大きなレベルで共有でき、共に冒険の海への漕ぎ出していける仲間。そのことを諦めないで欲しい。君にはそれができるはずだ」、と。大きなギフトでした。そして、それはこの世を生き抜くヒントでもあります。   結局、言語化不能。僕の能力では無理です。だからこそ、音楽の力だと思います。僕は僕のやり方で、未来へとそれを紡いでいくつもりです。心からの感謝を。    

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