日別アーカイブ: 2011年3月26日

僕らの音楽、その力。青森県弘前市にて。

3月26日 土曜日 雪 音楽を続けていて、良かった。 「gift」をもらったのは、実のところ演奏している僕らの方だった。 心から、ありがとう。 人は信じるに足りる生き物。それが僕の実感。僕らは前日から弘前入りしていたが、悪いヴァイブレーションはまったくなかった。ほんとだよ。欲も得も、何もなかった。ただ、みんなが音楽の力を信じていただけ。素晴らしかった。全国各地からこの公演をサポートするために友人たちが集まってくれていた。 首謀者サイトー・ヒロシはあらゆる手段を使って、宣伝活動にいそしみ、楽器やPAは弘前じゅうから集められ、弘前学園大学はほとんど無償で会場を提供してくれ、新聞記者たちは記事を書くため集まってくれ、複数のカメラで映像は記録され、音はマルチトラックで録音され、全国の友人たちは誰に云われるでもなく勝手に配置についた。何てビューティフルな眺め。僕らはただ、ステージの上で音楽に集中すればいいだけだった。オープニングで魚先生のエレクトロニクスと共に、詩を朗読してくれたカトウ・ノボルのステージを脇から見ていて、僕はこのコンサートの成功を確信した。 たくさんの取材を受け、僕ら史上初めて、u-streamでライヴは生中継された。遠くはドイツから、石垣島から、たくさんのファンがメッセージを送ってくれた。中継に使われていたカメラはiphoneたったひとつ。素敵な眺めだった。 大切なこと。僕らは「募金してください」と一言も発しなかった。スタッフたちも、オーディエンスにそれを一切強要しなかった。それは暗黙のモラル。「募金」の「募」の字を書けなかった僕が、ひらがなで書いた「ぼきんばこ」が会場の入り口に置かれていただけ。だから、終演後、箱を開けるのが怖かった。コワモテのサイトー・ヒロシはその役目を誰かに押しつけた。ヒロシ。分かるぜ、その気持ち。ところがどっこい。そこにはたくさんのお金が入っていた。びっくりするくらいの。金額は生々しいからここには書かない。人の思いやりは金額じゃ推し量れないから。 話は前後するけれど、リハーサルが終わった頃。福島県相馬市からの電話が鳴った。僕らをずっとサポートしてくれたレコード店、モリタミュージックだ。彼の家は津波で流され、店舗も壊滅的な被害を受けた。震災後、初めて会話ができた。何というタイミング。閃いた。モリタ君は避難生活を送っている。彼が現場をいちばん良く知っているはずだ。彼にすべてのお金を送って、使い道は現場で考えてもらおう。ライヴが終わった頃、彼からメールが来た。もうすぐ相馬に60世帯の仮設住宅が建設される。音楽を聞きたがっている人たちがたくさんいる。でも、その道具がない。だから、そのお金でCDラジカセを買いたい。ラジオも聞けるし。こうやって、オーディエンスからの募金は60台のCDラジカセになって、相馬市で音楽を奏でることになった。コワモテのサイトー・ヒロシも僕も、実のところ、このプロセスにはぐっと来た。みんな、本当にありがとう。たかがラジカセ。されどラジカセ。僕はその60台にほおずりしたい。尊いラジカセだよ。 関わっていた誰もが食事をすることも忘れ、働いていた。しかし、腹減った。函館からパスタの麺や具材、そして美味しいパンが運び込まれた。長崎からはシェフが本職の工藤ちゃん(彼もまたヒロシ)が送り込まれた。工藤ちゃんがシェフ。僕がアシスタント、speechless最終公演先の函館の首謀者、浜野某はパンを焼きまくる。こうやって夜はふけていく。美しい夜。さぁ、帰るか。みんなで弘前の魔界、アサイラムを片付けて、外に出ると、激しく積もった雪が僕らを出迎えてくれた。悪くなかった。本当だってば。 もう一度だけ。 音楽を続けていて、良かった。 「gift」をもらったのは、実のところ演奏している僕らの方だった。 心からありがとう。 僕のギャラはあの木村さんから差し入れられた「奇蹟のリンゴ」。充分すぎる。sprit of 津軽。 僕の宝物は「仲間」だ。あんたら、最高だよ。

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