日別アーカイブ: 2011年3月31日

message on a radio

3月31日 木曜日 晴れ 朝5時に起床し、8時に生放送のラジオで歌うってことは、ダラクサなミュージシャンにとってはある意味、殺人的。 パーソナリティーの中西哲生さん。あれだけまっすぐに人の目を見る人物に久しぶりに出会った。先日、お会いした(正確には挨拶させて頂いた、かな)野茂さんと云い、スポーツで自身を極めた人物に共通の、凛とした佇まいが素晴らしい。番組は僕がやっていたような、成り行きまかせのものとは全くベクトルが異なり、秒単位で進行していくのだが、僕が観察する限り、彼は常に全体を見つめている。あくまでも想像だけれど、サッカーという競技を通して、そのホリスティック・ビューは培われたのだろう。きっとどの道も同じところに繋がっている。 「被災地へメッセージを」と云われ、僕は言葉が出てこなかった。残念ながら、それが僕のメッセージで、大切なことは音楽の中に込めたから、許してもらいたい。語れないから、僕は音楽を続けているのだろう。 その後、青森放送の生番組に出演。このようなことが起きると、メディアへの露出が増えるってことが、いいのか悪いのか、僕には良く分からない。ただ、ミュージシャンである以上、請われたなら、情に流されることなく、自分のやれることをやる。それが役目だとは思う。 100キロマラソンのための練習を再開した。コロラドでは標高が高すぎて、とてもじゃないが走れなかった。震災が起きて、何も出来ないもどかしさは全てスキーにぶつけた。朝から晩までバカみたいに滑り、身体を使い、無になることで考えた。山は僕のストレスなんて、軽々とアースしてくれた。スキーに必要な筋肉は速筋で、マラソンは遅筋。余計な筋肉がついたせいで、走りにくいったらありゃしない。でも、体幹だけはブレなくなった。何も脱臼するまでやることないじゃん、と人は云うけれど、脱臼しなきゃ分からないことも、この世にはある。 僕にとって、直情的な時代は終わった。少なくとも、3つの方向から物事を見つめていたい。その三点を結んだ真ん中に、自分のやるべきことが浮かんでくる。そんな気がする。

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