日別アーカイブ: 2011年8月6日

今日と云う日

8月6日 土曜日 晴れ 一年に一回、今日と云う日が来るたびに、僕が生きている限り、同じ話を書こうと思う。 10年くらい前、僕が「棘」と云う曲を書いた縁で、広島の原爆祈念式典のゲストに呼ばれた。身に余る大役。テレビのゲストは加藤登紀子さんで、ラジオのゲストは僕だった。僕は何ひとつ、語るべき言葉が見つからなかった。前日、広島のアホどもと、やりきれなくてゲロゲロになるまで飲み、踊り続けていた。まったくもって、ゲスト失格。 壇上に当時の首相、ミスター小泉がSPを伴って上がり、スピーチをかました。彼は人気絶頂だったが、その言葉はまったく心に響いてこなかった。会場の隅で、一輪の花を手に、プルプルと小刻みにその細い身体を震わせながら、一心に祈る老婆を見た。僕はその姿に胸をうたれた。彼女の姿こそ、「過ちは二度と繰り返しませぬから」と石に刻まれた、その言葉を体現していた。 ある作家も語っていたが、僕らはその過ちを「また」犯してしまった。その罪は重い。僕はあの老婆にあわせる顔がない。だから、出来ることをやらなければならない。当たり前だろ。 もうひとつ。キーラと云う僕が心から愛してるアイルランドのバンドとツアーに出た。ツアーバスが広島に近づいたとき、僕は「原爆資料館に行きなよ」と云った。僕は自分を確かめるため、ときどきそこに行くのだが、敢えて同行しなかった。ライヴ会場に先に到着し、僕は彼らを待っていた。戻ってきたときの、彼らの表情が変わっていた。ひとこと彼らは「ありがとう」と云い残して、嵐のような演奏をブチかました。素晴らしかった。 僕はこう思うのだ。知らないことは何も恥ずかしくない。でも、知ろうとしないのは犯罪だ。僕らは広島と長崎に出かけるたびに、何度でもそれを脳味噌に刻むべきだ。そして、繰り返してしまった過ちについて、深く考察し、反省し、未来を創るべきだ。 棘 – The Song Of Hiroshima -

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