日別アーカイブ: 2013年8月10日

続・福島県相馬市にて

8月10日 土曜日 晴れ 福島県相馬市にて。福島県二本松が生んだ、偉大な先達、遠藤ミチロウさんとお盆を前に、死者を弔い、生者と交わり、現実を直視し、未来を創る。「相馬盆歌」を相馬で演奏し、浜通りと中通りを音楽で繋ぐ。書けばたったこれだけのことなのに、たったこれだけのことを実現するだけで、多大な労力が必要でした。無駄な圧力も受けました。それが今のこの国で、そして福島なのです。ほんとうに疲れました。でも、はっきり書いておきます。逃げなくて良かった、と。 このことは事の発端からきちんと記しておきたいと思います。ただ、このところの僕のスケジュールは常軌を逸していました。真面目に身の危険を感じるほどでした。「ここで死んでも何の意味もない」。そう思いながら、自分を鼓舞して生きてきました。ようやく今夜は眠れます。だから、すこし落ち着いてから記すことにします。ちょっと待っていてください。僕らが何をやりたかったのか、僕がミチロウさんのどの言葉にぐっと来たのか。それを伝えることには意味があると思うのです。 早朝の松川浦で、ミチロウさんの最後の行動はやっぱりこの人を信じてきて良かったと思うものでした。この人は本気で故郷を思いやっているのです。僕は知名度や(これ、云うまでもなくミチロウさんをさしているのではありませんから、誤解なきよう)見せかけや、エトセトラ。そんなことは信じません。その人の心が志が何処を向いているのか、大事なことはただそれだけなのです。 この国はだんだんおかしな方向に行ったのではありません。元からおかしかったものが、原発事故というあり得ない状況によって露呈したにすぎないのです。放射能という物質は人と人との関係をズタズタに切り裂きます。それは今も進行中です。何も終わってはいません。 とある村長さんが「もう疲れた」とおっしゃったその言葉の意味が僕なりに理解できます。闘う者は託されるのです。多くのものを背負わされます。でも僕は云いたい。あなたがおかしいと思うのなら、あなたのやり方で闘うべきです。お盆を前に闘う先達を真横で観ていて、心からそう思いました。

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