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言葉で立ち向かう勇気

6月7日 日曜日 晴れ 自分の一番嫌いなところと聞かれたなら。 なんでもソツなくこなすところ。かな。やむなく自分の人生が身につけざるを得なかったスキルの数々。なんでもソツなくってのはある意味、なにもできないってことに等しい。音楽家としては。たとえば、オレが敬愛しているアーティストは、食えない頃にどうしようもなくなって、チリ紙交換のバイトに駆け込んだけれど、初日にクビを宣告されて、「そうか、オレには音楽しかないんだ」と覚悟を決めたと、オレに語った。羨ましい。ブルースだし、ロックだ。笑。 バイトをすると、85%くらいの確率で「社員にならないか」と言われた。最後にやっていた肉体労働の会社には「いつでも帰ってこい」という意味の永久欠番ロッカーが残っているらしい。高校生の頃から厨房に入って料理を覚え、自動車教習所であらゆる運転を身につけ、エトセトラ。んなことを繰り返してるうちに、すべての業務には共通してることがあることに気づいた。簡単に言えば、全体の進行を俯瞰して、目の前のことをやるってこと。そうすれば速いし、仕上がりも確実。 組織が苦手で、どのみちどこにも頼らず生きていくってことは、マルチタスクをこなすこと以外に道はなかった。唯一、ビル・ゲイツが作ったエクセルやワードは使える気がしないし、使えるようになりたくないから、すべて有能なスタッフに任せてるけど。 バンドを継続できているのも、自分がエンジニアをやっている部分が大きい。もっともコストがかかるところゆえ、そこを自分が自分のスタジオでやれば、目指している音には時間をかけて到達できる。それゆえ、曲を書く時間が削られているのは皮肉だけれど。そうやってチームHWにはどこにも所属しない一匹狼のマルチタスカーのプロフェッショナルが集まってきて、「強固な口約束」で運営されている。笑。 これって、現代に於いてかなり奇蹟的だと思う。楽器を搬出入するとき、自然と全員が汗をかいている姿を見て、素晴らしい、と思う。オレが苦手なタイプは自分にまつわることしかやらない。きっちりとね。見ていて、とてもわかりやすい。 繰り返すけど、いちばん難しいのは、音楽家である時間を捻り出すこと。マルチタスカーゆえの悩み。前述の大先輩は音楽しかできないので、周りが助けるしかない。一方、オレの場合は率先して音楽以外のことをやるしかない。どっちがいいのか、オレにはわからない。先輩が天才肌で、オレは地道に努力型ってことか。いつも互いに憧れていたりしてね。かようにアイロニック。   閑話休題。   女性作家のblogにおける独白を読んだ。彼女が書く文章が好きだったから。ある部分、他人とは思えなかったから。 「言葉で立ち向かう勇気」。彼女には書くことしかなかった。失礼を承知で同じ土台に並べるなら、オレはバンドをやるしかなかった。だから、わかる。書くしかなかったその意味が。 なにもなければ書く理由なんてない。なにもなければ歌う理由もない。「こんなに毎日幸せです」なんて小説や歌は誰も必要とはしない。壮絶な日々にある地獄のような経験や恐怖の数々。それら暗黒を取り込んで、そのまま書くのではなく、ある種ファンタジーに転化して描くのが作家の仕事の一部。凄まじい経験をしている最中でさえ、「こんな経験をさせてくれて、ありがとう。これで1曲書けるかも」とこころのどこかで思っている卑しさがある。そんなもんだよ。ニンゲンだもの(笑うとこです)。 その美しい、キュンとする文章の背後に、なにかとてつもない怪物が潜んでいることくらい小説を読めばわかる。一方、爆弾を開発した人間の罪滅ぼしの賞を狙っている作家の文章になにも感じないことも。これは感受性の問題で、良し悪しではない。感じるのだから、仕方ない。 生涯書かないけれど、オレもほぼ似たような体験をしてきたし、家族構成も同じ。もっと言えば、その後に起きたことはさらに筆舌に尽くせない。確かに、オレは一回死んだ。でも、奇蹟的に立ち直った。それはマルチタスカーゆえに助けられた部分も大きい。宇宙に善きことを放出してたなら、最大のピンチのときには思いがけず誰かが助けにきてくれること。これは嘘じゃない。嘘みたいなほんとうの話。 だから、長谷川博一さんのように死の床にいても、善きことを宇宙に放とうとした人物を尊敬する。ニンゲンかくあるべし。 この経験によって、その後の人生に「自分」というものがなくなった。あれだけ手を焼いていた巨大なエゴが消失して、自分が与えられた「役目」のためにまっすぐに生きるという新しいモチベーションが生まれた。「職業オレ」になって、ずいぶん楽になった。だから、そのことたちを記す必要はない。たぶん、墓場まで持っていくだろう。 胸クソが悪いのは、SNS裁判のようになっていること。匿名なら、なんとでも言える。そして、それらは意見ですらないのに、この世界で一定の力を持ってしまっていること。名が知られた人々は多かれ少なかれ、このことに苦しんでいる。有名だから、なにを言われてもいいというのは匿名による暴力に他ならない。あなたがそれを受けてみなよ。一瞬でメゲるから。言葉はほんとうに恐ろしい。 だからこそ。言葉で立ち向かう勇気を讃えたい。 これは「魂の救済」にまつわることであって、人類の普遍のテーマ。多かれ少なかれ、あなただって誰かから生まれてしまった以上逃れられないレベルの話。だから、それを断罪する権利も意味もない。 自分に流れる狂った血を自覚し、己のジェネレーションでどうひっくり返して、誰かに善を手渡すのか。それがニンゲンのいちばん気高い役目だと思う。そして同時に人として品格を問われることだと思う。 もっというならば。持って生まれた「品」はある。でも、後天的な品性の問題だとオレは思う。 人はもっと気高くなれるはずだよ。2枚目のアルバムを出したばかりのエゴまみれの若造に、長谷川さんはこんなキャッチコピーを考えてくれた。いわく 「高潔、それにも増してフール」。 このコピーには事実と励ましとがある。それがオレを奮い立たせてくれたのだ。言葉をポーラースターとして歩いていくことができる、それだけの励ましが含まれていた。できれば、オレもそんなニンゲンでいたい。          

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