Legendary heart

2006/01/28, 23:29 | 固定リンク

1月28日 土曜日 曇り 

 柴山俊之さんの事を書こうと思う。前回のLost in timeもそうだけれど、今回のライヴが柴山さんの誘いじゃなかったら、受けなかったと思う。何故なら、俺はニューアルバム・プロジェクトのミキシングの真っ最中で、6.2Kを1db(分からなかったすいません。要は細かいってこと)上げるだの下げるだの。そんな世界に居た。所謂地獄耳になっていて、聴こえないものまで聴こえたりする。だから、ライヴをやってる場合じゃない。実際のところ、リハーサルをしている時間もない訳だし。
 サンハウスと云うバンドは俺が福岡で1979年にヒートウェイヴを始めた時点で、既に伝説になっていた。俺はヘソ曲がりだし、若かったし、伝説に興味はなかった。今をどう生きるかって事にしか。それよりも生で観ることができるルースターズにひどく感銘を受けてた。生意気な事を書けば、「俺にも出来るかも」と思わせてくれたけど、超絶なライヴを目の前で繰り広げていた。後になって、ルースターズがサンハウスに多大な影響を受けていた事を知ったけれど(多分、俺がルースターズに影響を受けたみたいに)、思うに影響を受けたからと云って、手を繋いで歩んでいくのではなく、「お前はお前の道を行け」ってな関係が良かったんだとは思う。
 九州の北部から生まれてくる音楽を「めんたいロック」とジュッパヒトカラゲにされた時期があって、運が悪いと「めんたいこロック」と呼ばれたりした。若かった俺はインタビュアーにそう云われる度に、「俺は違います」と云ってキレてた。だって、諸先輩から学んだ事は「お前はお前の道を行け」って事なんであって、それを一緒くたにされたら、タマらん。「俺とお前は違うんじゃ」と云う一点に於いて、みんなロックンロールに身を削ってた訳だし。
 池畑兄と演奏するようになって、彼よりも上の世代のミュージシャンと出会う機会が増えた。実際のところ、出会ってみると人間的には「独立」と云う言葉の意味を体現している人たちばかりで、その機会を増やしてくれた池畑さんには心から感謝してる。きっと20代の頃には理解できなかったんだろうけど、今になって感謝の気持ちと共に理解できるリレーションと云うものがある。
 で、柴山さんである。彼は俺より一回り上の世代になる。ロックンロール第一船団と云うものがあるとするなら、彼の世代やその仲間はいつも先頭を走ってきた。あるいは走ってこざるを得なかった。いつも切り拓いてきた人々である。表現の方法は違うのかもしれないけれど、彼等が切り拓いてくれたからこそ、歩いていける道がある。その関係性の中には「徒弟制度」のようなものはない。誤解を怖れずに書けば、本当にない。この道をついて来いと云われた覚えは一度もないし、云われたとしてもついて行かないけれど、それでも彼らが道なき道を開拓してくれた事に永遠の恩義を感じている。荒野をゼロから開拓するのと、先達の轍が残っているのとじゃ、えらい違いだ。
 もうひとつ。バンドと云うものは名うてのミュージシャンが揃っているから、ゴキゲンになるというものではない。キース・リチャーズがスタジオミュージシャンになれないように、スタジオミュージシャンはキースにはなれない。手っとり早くグルーヴには辿り着けないけれど、グルーヴやダイナミクスと云うものは、音楽理論なんてものを遥かに超えたところにある。だから、手にするのは面倒臭いけど、素晴らしい。その命題に柴山さんたちは今一度挑んでいる。ミラクルを手にしようと、フントーしている。 自分の伝統芸の中に埋没していないところに強烈に胸打たれる。フツー、考えるのだ。自分の人生は後どれくらいなのか。どれだけ金を持っていれば、楽に暮らしていけるのか。家族を養えるのか。でも、そうじゃない生き方を体現するのがどれほど難儀なことだろう。そんな意味で、ジヤイヤは途上のバンドだった。それが素晴らしかった。俺はミックスの1dbの世界の中で、本当に大事なものを受け取った気がしています。ありがとうございました。今日の写真は柴山さん愛用のマイクです。刻まれた「キ」と云う文字がいろんな事を語っています。さ、俺は俺の道を行こう。多謝&再見。
 


 
 

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by 山口 洋