目に映るこの国、そして神戸のセクハラ。

2006/02/27, 23:38 | 固定リンク

2月27日 月曜日 

 このツアーを思い立ったきっかけ。それは「もう一度、この国を自分の目で見てみたい」と云うことでした。ツアーが折り返し地点にさしかかったこともあり、僕の目に映った風景を一旦記しておきたいと思います。あくまでも主観によるものであることをお断りしておきます。

 地方都市は、似たような現状を抱えているように見えます。例えば、大型郊外店が出来る。一時的な雇用が生まれる。人はそちらに流れる。駅前の商店街は四苦八苦する。ひどい場所では、郊外店の採算が取れなくなると、撤退する。商店街はほぼ死滅状態。つまり街はある意味破壊された状態となって放置される。郊外店の多くには、大手資本のレコード店も入っています。資本主義の世の中だから、淘汰されることは仕方ないのかもしれません。ただ、僕の心の中には割り切れないものが澱のように残ります。
 例えとして、どうかとは思いますが、僕はとある店でしか洋服を買いません。元々、着るものにあまり興味がないのと、店に行くのが面倒なのと。とは云え、あまり貧相な格好をする訳にもいかず。僕はその店で買い物をしていると云うより、店長その「人」からモノを買っているのです。彼は洋服に関して、豊富な知識を持ち、僕の職業も理解してくれた上で、勧めるものは勧め、決して押し売りをしません。彼にはこだわりがあり、仕入れたものの中から、いつも取り置きをしておいてくれます。僕は季節が変わると、気分転換に出向き、彼が勧めてくれたものの中から、いくつかまとめ買いをします。サイズが合わないものはフィットするまで、何度でも手を入れてくれます。自分の売るものに誇りと責任を持つ彼の姿はまさにプロフェッショナルで、見ていて惚れ惚れします。同じように、かつてはレコード屋さんもそんな存在でした。得てして、怖い店主が居て、何度も通ううちに仲良くなって、豊富な知識をお裾分けしてくれる。僕はそうやって、福岡時代にブルースなどのルーツ・ミュージックを身体の中に入れました。それはネット時代の今でも別の形で可能なのかもしれないけれど、目の前に「人の顔」があった云う意味に於いては違うものだと、僕は思うのです。例えば、金沢には古い金物屋さん、味噌屋さん、新鮮な食べ物に溢れた市場なんかが、歴然と暮らしの中に残っています。金沢と他の都市と何が違うのか、そこに学ぶべきことがあるような気がしています。
 同じような意味で、僕らが作る音楽はコンピュータを多用していたとしても、「人の顔」が見えるものであって欲しいと心から思います。

 雪国の暮らしは、想像を絶するものでした。僕にとってもそれらの地方を旅することはハードでしたが、所詮旅人。そこに暮らしている人たちに心から敬意を払います。東京にわずか2センチの雪が積もっただけで、トップニュースになり、交通機関がマヒすることを考えてみて下さい。弘前市は今年の豪雪で、既に今年度の除雪費用を使ってしまったと聞きました。このような事にこそ、税金を即座に投入して欲しいと思うのです。

 この国の自然はとても美しいものでした。撮影したいくつかの写真を見てもらえば分かってもらえると思います。そして、文化。例えば食べ物。ちょっと移動しただけでも、必ず違う名物があります。それらは必要に迫られて、歴史の中で作られたもので、アメリカを一日に1600キロ移動しても、こんな事は起こり得ません。それはそれは素晴らしいと思うのです。

 最後に。どの場所にも、アホみたいに音楽を愛している人々が大勢居たこと。それだけでも旅に出た甲斐があったと云うものです。

 神戸。今週6度目の富士山を観た。もうええちゅーねん。オープニングで歌ってくれた酒井君は素晴らしいミュージシャンだった。俺は23歳の時、あんな演奏は出来なかった。俺?ともかくキャラバンは進むのさ。やるしかないのさ。ポストカードが売り切れたり、いろいろと迷惑をかけてごめんよ。今日はね、自ら物販を買ってでてくれた田中さんと民やん(だっけ)がもし居てくれなかったら、ひどいことになってました。ありがとう。力を尽くしてくれた人々。俺もね、身体はひとつしかないんだ。君たちの助力がなかったら、今頃死んでたと思う。ありがとう、心から。
 終演後、みんなで飲みに出かけた。す、すまん、俺に与力がなくて。でもお店の人も、友人たちも、本当にありがとう。俺はこれを書くので精一杯です。最後に今日は飲み屋で神戸のドン、M女史に俺が襲われている写真を載せておきます。セクハラですから、これ。俺、彼女を愛してるけど、怖かった。にゃー。また会おうぜ。

追伸
 本当はもっと書きたいことあるんだけど、もうダメッす。また明日。みんな、ありがとう。

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by 山口 洋