日本奇人変人列伝 - あり得ない行程 - ビバ庄司屋

2006/02/15, 19:57 | 固定リンク

2月15日 水曜日 晴れ 

 今日と云う一日がここまでのツアーの中で、一番すさまじかった。

 昨夜、弘前の音楽界を束ねている某斉藤(名はヒロシ)さん達と飲んだ。愉しかった。そこでの会話の内容はとてもじゃないが、ここでは口に出来ない。イマジンして下さい。音楽を心から愛している人たちってのは得てして、奇人変人であって(褒めてますから)、どの土地に移動しても、必ずキーパーソンと呼べる奇人変人がコミュニティーの中心に居る。日本も捨てたもんじゃない。それぞれの奇人ぶりに関しては通りすがった俺がおいそれと書く訳にはいかないので、もう少し親しくなったら、書いてみようと思う。それぞれのエピソードがそれぞれに強烈であることだけは間違いない。でも、俺はそういった人々に気に入られる才能を持ってるみたいで、それはとても嬉しいことなのだ。

 朝、っつーか、殆ど眠ることのないまま、俺とコメは弘前から山形に移動することになっていた。俺たちは東北をナメていた。雪の怖さをまだナメていた。ホテルに前述の竹内君、イケメン・ロッカー君が迎えにきてくれて、弘前駅まで送ってくれた。記録係のOとはここで別れた。そう、俺とコメはまだ東北をナメきっていた。自分たちの身に巻き起こる事の凄まじさに気付くことなく。

 コメの荷物は俺のそれを凌駕していた。奴は両手にギターを2本持っていた。先に旅慣れた俺は奴の哀れな姿を見て、笑った。おまけに、奴は首からも機材をぶら下げ、背中には物販が詰まった「これからどちらの山のピーク、攻めるんですか?」みたいなリュックサックをしょっていた。かく云う俺も背中にギター、右手に超重いトランク、左手にはコンピュータとカメラっつーいでたち。哀れな二人組は弘前駅に立った時点で、ロック難民と化していた。弘前駅から青森駅までは在来線だった。つまり、通勤とか通学とかの人民が沢山居るってことなのだ。俺たちはトイレに行くこともままならず、ホームを歩くだけで精一杯。背中のギターがつっかえて、満足に列車に乗ることもできず、乗り込んだ時には前夜の酒も相まって、既に涙目になっていた。雪はどんどん深くなる。山あいの駅ではホームに積もったそれは俺の身長を遥かに超えていた。(ほんとだってば。信じて下さい)前夜、地元の人が云ってたっけ。「山形は遠いですから、気をつけて下さい」。俺たちはこう思ったのだ。「だって、東北を移動するだけじゃん」。し、しかし、東北はデカかった。ナメてた俺たちが悪かった。何とか青森に着いた。待ち時間を過ごすにも、ホームには何もないし、第一寒い。駅前にコーヒー屋が見えたが、そこに辿りつくまでに、どれだけの労力を使ったことか。俺とて、昔はリュックをしょって世界を旅した男なのである。でも、その経験を持ってしても、この旅は過酷だ。難民ロッカーはコーヒー屋で互いの身を案じた。「俺たちは山形に行けるんだろうか?」。八戸行きの特急に乗り込むまで、また同じだけの労力を使った。途中、ヤケを起こした俺は「青森りんご目玉オヤジ」っつー意味不明の携帯ストラップを3つ買った。何で、そんなものを買ったのか、自分でも理由が分からない。とにかく、特急に乗った。今度こそ座ることができる。
 八戸に着いた。乗り換え地獄はまだ序章だってことを難民たちは知らなかった。俺たちはまだ東北をナメていた。ここで新幹線に乗り換えて、仙台を目指した。俺たちは「腹が減っては戦ができん」とか何とか云いながら、やっと駅弁にありついていた。コメが地図を見ながら云った。「山口さん、ところで山形ってどこすかね、見つかりませんよ」。そして二人は探した。や、山形は俺たちが思っていた場所より遥か遠くにあった。茫然自失。意気消沈。新幹線にテロップが流れる。東北を貫く山脈を越える在来線はほとんど運休。北海道では落雪で若者が亡くなった。云々。おい、コメ。俺たちゃ、山脈越えなきゃいかんのだよ。二人は無口になった。仙台に辿り着き、重い荷物と足取りで、在来線乗り場に向かった。駅員さんに涙目で訴えた。「あ、あの。ぼくたち山形に行きたいんですけど」。彼はこう云った。「雪崩で運休してます」。アーメン。山形は「世界の果て」なのか?お前がそんな歌を書くからだ。理不尽にもそんな想いが頭をかすめた。俺たちに残された手段は山脈を迂回するバスしかなかった。また歩いた。山形はチベットなのか?いや、そんなはずはない。
 バス停には沢山の人が並んでいた。俺たちのアホみたいな荷物は好奇の視線の対象になった。あるいは、他の乗客からはあからさまに迷惑がられていた。コメがすかさず、運転手に訴えた。「こ、これを、荷物室に入れて下さい」。運転手はこう云った。「じゃ、最後にね」。そして乗客は次々に乗り込んでいく。ロック難民は我が身を呪った。ま、また立ちっぱなしかよ。立ちヒロシ。くー。でも、どうにかこうにか座席を確保した。前方に座ったコメの首が発車とともに、がくっと折れた。コメ、す、すまん。許してくれ。

 山形には地元のイベンター、ツゲさんが迎えにきてくれていた。まるでアホな弟どもを思う姉御のような方だった。救われた。ホテルに直行してチェクインした。つ、着いた。つ、着いたぞコメ。山形はチベットじゃなかった。ホテルの鍵は暗証番号で開けるタイプのものだった。俺は自分の誕生日をそれにした。さぁ、このいまいましい荷物とおさらばだ。でも開かない。開かないんだってば。俺はフロントに戻り、涙目を通り越して、泣きながら訴えた。「ぼ、僕の暗証番号、誕生日なんです。でも開かないんです」。「お客様、誕生日は?」「1226です」。「あの、お客様ごご自分で1216とお書きになっていらっしゃいます」。今度は俺の首が折れた。お、俺は自分の誕生日を間違っていた。もうダメだ。脳も身体も限界に達してる。

 こんな俺たちを哀れに思ったツゲさんが山形名物の蕎麦を食べに連れて行ってくれた。正直なところ、もうどうにでもなれっつー気分だった。でも、信じられないくらいうまかった。俺たちは餓鬼のごとく、喰いまくった。「うめー」、「うぐぐっ」。その店の名は庄司屋と云う。あのね、今日はボキャブラリー少ないから、美味いとしか書けないんだけど、本当に美味いんだってば。更に驚いた事に、俺たちは喰ったら元気になっていた。コメと飲みに行く約束までしてしまった。恐るべし、庄司屋。

 そんな訳で果たしてツゲ姉さんが奇人変人なのかどうかを確かめに、コメと夜の街に出かけます。あの、山形のみなさん。ここまで辿り着いたからには、明日のライヴで全力を出し切ります。だから、観に来てくれー。

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by 山口 洋