厄明けの日

2006/02/03, 19:28 | 固定リンク

2月3日 金曜日 天候不明 

 同じく、厄明けを迎えた人物と、「今日は飲み明かそうぜ」と語ってはいたものの、諸事情でそれは叶わず。でも、信心深くない俺ですら、目の前の暗雲が晴れたような気分になる。確かにロクでもない3年間だった。時に身の危険も感じたけど、幸か不幸か、また生き延びた。誰かの歌じゃないけど、「サヴァイヴァーズ・バンケット」っちゅー気分ではある。せっかくもらった生だから、悔いのないように生きようと、改めて思う。

  このところブログの更新が滞ってるのには訳がある。単純に、毎日ミックス三昧で、何の色気もなくて、書くことがない。短気で、集中力が持続しない俺なら、あっと云う間に終わりそうだけど、今回に限ってはそうじゃなかった。(終わってないけど)何せ、内包してるいろんな矛盾とか、相反するものとか。光と影、ネガとポジ、ドライとウェット、広さと狭さ、大きさと小ささ、夢想と現実、エトセトラ。何ひとつどちらかに振り切れていなかった。無理に振り切るのも良くないことは分かっていた。でも、それが日々で、その中に音楽がある。フィクションとは云え、まったくノンフィクションじゃないって訳でもない。あぁ、面倒臭い。ファンタジーは何処に。

 それら相反するものをどのようなバランスで配置するのか。それこそ無数の組み合わせがある。そりゃ、一回でうまくいきゃ苦労しないさ。でも、その日々を書き綴ってると、だんだん愚痴っぽくなってくる。それは気分が良くない。あぁ、面倒臭い。

 厄明けの日に。

 逆転の発想。ダサいと呼ばれているものを思いっきり真ん中に据えたら、開き直りのあまり、クールに思えることがある。人呼んで、ダサ・クール。それこそが自分が探しているものだった。80年代に自分が作ったもの、あるいは写真なんてものを見せられると、ダサさの余り死にたくなることがある。しょうがないんだけど、エバー・グリーンなものにもう少し目を向けていれば、と後で悔いる。分かりやすい話で書くなら、おまえ、何で、もみあげ刈り揃えてんの?とか、何でジーンズ、折り返してんの?とか。そのサングラスはねーだろ?とか。つまり2006年に生きているのなら、決して時代に流されることなく、そこで生息してることの意味をちゃんと見つけておかないとね。そんな音楽がもうすぐ完成する予定。そしたら、街に繰り出そうと思う。美味いだろうな、酒。
 
 

by 山口 洋