一人オリンピックその後

2006/02/24, 23:12 | 固定リンク

2月24日 金曜日 曇り 

 三重県桑名市のホテルで起床。起きたら、ここが何処か分からなかった。ツアー史上最高度の疲労を記録してたけど、俺は東京に帰らなきゃならなかった。魚先生も弱音を吐くことなく、仕事に没頭してる訳だから。それを聴くために、俺は帰る。この一週間で、相馬、東京、高岡、金沢、東京、名古屋、桑名、東京っつー移動をして、ライヴを5本やってることになる。ちょっと狂ってるし、疲れない訳がないけど、ここはがんばるしかないのさ。名古屋まで、ちゃんと指定席のチケットを持ってたけど、混んでいて、ギターを持ってる身としちゃ、そこまで移動することが出来なかった。名古屋駅を多分夢遊病者みたいに移動して、新幹線に乗って、そこからの記憶がない。乗り物じゃ眠れないんだけど、気絶してたんだろうな、きっと。
 そんな訳で、明日の浜松はヘタレます。近いので、東京からスタッフの運転する車で移動することにしました。記録係のOも帯同。そんでもってせっかく車で移動するんだから、とコメ先輩も来てくれることになりました。ネットを通じて、曲を書いてんだけど、俺は会う暇もないし、渡りに舟、浜松にコメ先輩。ありがとう。浜松のコメ・フリークも是非来て下さい。
 コメ先輩。このツアーを「ヒロシの一人オリンピック」と名付けました。3/18の東京ファイナル公演には、無事完走したなら、先輩から金メダルが授与されることになってます。だから、メゲられないのです。イナバウアーは俺、出来ないけど。ロック・ビールマンスピン(何やそれ?)なら出来るかもしれん。
 家に戻ると、相馬の母から伝言メールが来てました。「あんた、ちゃんと病院行きなさい。私より先に死んだら、許さんよ」。ははーーーーっ。しかと受け止めました。

 ところで、本題。魚さんのスーパーミックス。ほぼ完成に近づいています。もうすぐみんなにアナウンスできると思うんで、楽しみにしてて下さい。

by 山口 洋