リハーサル、僕らが旅することの意味。

2006/03/17, 23:01 | 固定リンク

3月17日 金曜日 晴れ 

 久しぶりにバンドのみなさんに会った。それぞれにいろんな事があったに違いない。けれど、それを詳細に渡って聞き出す輩が居る訳でもなく。それぞれに無茶苦茶な日々だったことだけは多分、間違いない。体調も決して万全だとは云えない。でも、それでもみんな音楽に、笑いを忘れず真剣に向き合う(俺は喉の調子もあったんで、相当楽させてもらってたけど)姿が素晴らしいと、自分の居るバンドだけど、そう思う。演奏は空白の時間を埋めて、やがて、明日へと繋がっていく。もうこの瞬間は二度と来ない。それが儚くて、美しいと、俺は思う。
 決してごまかす訳じゃないのだ。その時に応じて、ヒットを打つ方法ってものがある。がむしゃらに気合いを充填して空回りしても、三振してすごすごとベンチに帰るのがオチだ。旅をすることの意味。それはそんなやり方を学んでいくことだと思ってる。デッドボールでも出塁したことには変わりない。誰かが二塁に送る。ポテンヒットでも一点はまぎれもなく一点なのさ。心の中に消えない炎がある限り、多分それを追い求めるだろう。誰が何と云ってもその歩みは止めないだろう。そんな事を考えながら、小さな声で歌を歌っていた。静かな幸福だった。記録係のOが俺に聞いた。「このツアーが山口さんにもたらしてくれたものは何ですか?」。それは愚問だと応えた。そんなに簡単に物事は変わりやしない。でも蒔いた種は10年後、思いもかけないような花を咲かせることがある。忘れかけてた分だけ、喜びもでかい。だから、10年後を何となく見据えて、続けていくことだ、と。旅ってそんなものじゃないの?と奴に伝えた。もちろん出会った人々がくれた力が絶大であることは云うまでもなく。
 俺はこの後に及んで、音と戯れているのが愉しい。本当に愉しい。だから、それを観に来て下さい。

by 山口 洋