人生と云うギャンブル

2006/04/26, 13:58 | 固定リンク

4月26日 水曜日 曇り 

 俺は競馬も競輪もパチンコも競艇も株も、いわゆるギャンブルに興味がない。どうしてかって、考えてみたことがあるんだけど、ミュージシャン-自由業の人間なんて人生そのものがギャンプルみたいで、日々乱高下を繰り返しているからして、今さらギャンブルする必要がないんだろうね。一度だけ、事務所の長に競馬に連れていってもらったんだけど、馬が走っている事よりも、日頃冷静沈着な彼が背後で「刺せーっ、刺せっー」って絶叫してるのを観察している方が面白かった。ちなみに、俺はその時、勝ったと思うけど、特別な感情は湧いてこなかった。
 用があって、金融機関に行った。待ち時間に、近頃はサラ金と銀行が提携してることを知ったりして、驚いた。すげぇ世の中だな、とか。俺はそんな用事で行ったんじゃないのに、窓口の人はしきりに俺に利殖を勧めるのだった。色とりどりのパンフレット、巧みな話術。でも、まるで気が進まない。「国債なんて、安全ですよ」。でもさ、それって国の借金だろ?結果的に、自分たちの首を真綿で締めてるようなもんじゃないの?「ひょっとして、俺はバカなのか」っちゅー考えが頭をかすめた(いや、巧みな話術に一時的に洗脳されたと書いておこう)ので、とある人物に電話して「俺ってバカなのかな?」と聞いてみた。すると、「いや、あんたはバカじゃないと思うけど、その場で話を聞いているあんたの姿を想像したらおかしい」と。結局、人生はギャンブルなんだよ。だから、老後の事なんて知らん。いや、既に老後は始まってるのかもしれん。「お客様は国民年金でいらっしゃいますよね?」。そうだよ。でも、そんなもんアテにしてたら、こんなやくざな稼業やってられんよ。今現在、いちおう社会人の端くれとして、上の世代を支える責任があると思うから払ってるだけの事で。
 ときどき、子供みたいな疑問が頭をよぎるんだ。そもそも、土地っていったい誰のものなんだ。始まりは誰のものでもないだろ?最初に誰かがそれを囲って「これは俺のものだ」と主張した。その権利に関して、争いが頻発。こんな事云ってたら、「おまえ、原始共産制にするしかねーだろ」って話になる。うー、頭痛い。
 俺が生まれたのは60年代。高度成長のまっただ中。ケネディーが暗殺され、オリンピックがあって、金利は上がり、水俣病があり、イタイイタイ病があり、安保があり、一億総中流意識ってのがあって、万博があって、(すごく中略)現在に至る。ここに至るまで、俺に影響を与えたスピリットについての歌を書いている。結局、人間は学ばないのか?そうかもしれんけど、そうじゃないと俺は思いたい。人生はギャンブル、そしていつも道を歩いていることでしかなくて、答は永遠に風に舞っている。渋谷の街を歩きながら、そうでしかないよな、と呟くしかなかった。

by 山口 洋