友と語ること

2006/08/04, 23:52 | 固定リンク

8月4日 金曜日 晴れ 

 たまに、心がもう持ちこたえられなくなることがある。鏡を見ると、目に光がなくなっている。そんな時は意地を張らず、信頼できる友人にありのままを話す。愚痴と云うよりは流れ出てくるままに吐露する。これまでの経験から、九州人にありがちな、「そんな事、人に云えるかい」っつー感じで、自分の中に溜め込んでいると、いつか自分が壊れることを知っている。自分を客観的に見れてるうちは、まだ戻ることができる。こうなるにはどこかに理由がある。友人と、その原因の場所まで下りていく。原因を見つけたら、複雑にこんがらがった糸をほどいていく。自分で自分を追いつめてた事が分かる。涙が出てくるんだったら、泣けばいい。let it be。すべてあるがままに。簡単な事じゃないけど、すっと心が軽くなる。
 新しい音楽を創ることは、深い深い暗闇に自らの意思で入っていくことでもある。体力がなければ、帰ってこれなくなることがある。その世界では「わずかな光」でさえ、眩しく見える。それをじっくり観察して、また地上に戻ってくる。しんどい作業だけれど、仕方がない、と思う。フィジカルとメンタル。そのバランスが崩れていたなら、望んでいる音は鳴り響かない。
 今宵は友人と互いの父親について沢山話した。俺の父親は数学者だった。こう書くと、アカデミックに捉えられがちだけど、そうじゃなくて、あり得ないくらいまっすぐな求道者だったと書くのが、正しいと思う。残念ながら、俺にはその手の才能がまったくなかった。彼は6次元を研究していた。4次元までは何となく理解できる。でもその先は何度説明を受けても、俺には理解不能。ある日、機嫌の良かった彼は息子に「相対性理論」を教えてくれた。かの有名な「e=mc2」。たぶん、いろんな例を用いて、分かりやすく説明してくれた。「おおーーっ」と俺はかんどーした。すげぇ、宇宙とか人生とか、過去とか現在とか、目の前で起きていること、とか。全部これで説明できるんだ、と。翌日、俺は学校に行って、友達にその凄さを説明しようとした。けれど、俺の頭の中には何も残っていなかった。つまりは理解していなかったのだ。
 彼は死んで、俺はミュージシャンになった。自分と自分の外側に、2つの宇宙があるのを感じる。その間を繋いでるイタコみたいだと、自分で思うことがある。随分遠回りしたけど、友人と話していて、俺が求めているものは父親が随分前に教えてくれた「相対性理論」にかなり似てることに気づいた。ちゃんと説明できないんだけど、確実にそこにある何か。曖昧模糊としながらも、そこにある何か。「わずかな光」。意味もなく、おおっーーーー、と思った後で、すっと心が軽くなってることに気づく。たぶん、それでいいんだよ。へべれけになりながら、俺は友人と、父親と確かな愛に感謝する。明日はがんばらないことをがんばりながら、また道を行こうと思う。

by 山口 洋