病葉

2007/02/25, 16:20 | 固定リンク

2月25日 日曜日 晴れ 病葉

 昭和82年の作詞作業に取りかかった。ipodに記録された「その岩」が語った言葉を咀嚼する。考えすぎて、分からなくなったら、ほぼ毎晩夜の街で酒と共にその世界に沈没する。昭和82年と俺の間には「団塊の世代」ってものが横たわっている。この世代については書きたいことが山ほどある。でも、今はそれを自分の中にとどめておいて、発酵してくるのを待つことにする。ただ、大量の人間が定年を迎えて、マーケットが拡大する、とか、セカンドライフを田舎で、なんて言葉を聞くとき、ふつふつとわき上がってくるものがある。
 昭和82年氏は「病葉」と云う言葉を使った。今までに聞いたこともなかった。「諦めとはある種のespoirである」。病葉はもっとサイクルの大きな再生について考えるべきである。うーん。
 書いたこともないようなでかいテーマを平たい言葉で。そこに辿りつくまで、コンピュータには永遠に文字が刻まれる。その道のりは平坦ではないけれど、実りがある。何故なら、それはある種の「復讐」でもあり、自分について考えることでもあるからだ。「病葉」が朽ちて、次の世代のジェネレーションのための寝床になるのであれば、それもまた大きな再生だと思うのだ。

 かつて、この国は大家族だった。高度成長と共に、核家族化した。付き合いは途絶えた。老人たちが尊敬されにくい世の中になり、ある種の知恵は伝承されることなく死に絶えた。街の風景は効率化を優先するあまり、サイディングと看板に埋め尽くされ、財産を守るためにセキュリティーが強化される。都会はアスファルトで埋め尽くされて、呼吸を停止。だから、地下に動脈を作る。一握りの富裕層が沈黙の塔に住み、人の心は金で買えるとうそぶく。金利は殆どなく、仕方なく国債を買って、国の借金を増やし、自分の首を真綿で絞め、その国債はアメリカの国債を買い、その金でかの国はミサイルを作る。大家族時代、ある種の家には「奥の院」のようなものがあった。そこにはいろんな意味で障害のある人が住んでいたりした。いや、住む場所があったとも云える。たとえば犬神家の助清のような。そのような人物は確率的に必ず生まれる。この時代、共生するにはどうしたらいい?俺の場合、分かりやすく目につく障害がないだけの事で、自分がまともだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。だから、歌を書いている。

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by 山口 洋