no method

2007/06/04, 23:38 | 固定リンク

6月4日 月曜日 晴れ 

 「どうやって生きていけばいいのか、分かりません」。そんな内容のメールや手紙が数多く寄せられるようになった。時代はかつてないほど荒廃しつつあるんだろう。俺は一介のミュージシャンだ。答なんて、残念ながら、俺にも分からん。 

 昨日、エイモス・ギャレットのギターを聞いていて、ハタと思い当たったことがある。「no guru, no method, no teacher」、ヴァン・モリソンの至言。「導師もなく、メソッドもなく、教師もなく」。

 エレクトリックギターの歴史なんて、たかだか50年くらいのものなのだ。それゆえ、エイモスがギターを手にした時には、おそらくメソッドのようなものは存在しなかった。誰もが、見よう見まねから始め、試行錯誤の末に自分のスタイルを生み出した。だから昔のミュージシャンは実に個性豊かだ。

 例えば、ドラマー。始めはロックドラマーのメソッドなんてなかった。ジョン・ボーナムはハイハットを熊のように叩くし、チャーリー・ワッツはスネアを叩く瞬間にハイハットを抜き、リンゴ・スターは8の字を描くようにそれを叩き、キース・ムーンに至ってはハイハットそのものがない。「永遠の詩」っちゅー映画の中で、後にドラマーになった息子ジェイソンにジョン・ボーナムがドラムを教えている。確かに息子はバカテクになったが、面白くないのだ。個性がない。

 メソッド、教則本、how to本。それらの使い方を誤ると、没個性に繋がるっちゅーアイロニックな結果が待っている。

 この時代、誰もが荒野の上に立っている。あるいは薄氷の上に。ならば、「no guru, no method, no teacher」。「個」を見つめて、前を向いて、自ら切り拓くしかないのだ。「ほっこりするような」エイモスのライヴだったけれど、実のところ、俺はこのような思いを強くした。きっと、短所は個性に繋がり、ピンチは同時に最大のチャンスでもあるのだ、と。

by 山口 洋