住職は通風、心温まる街、奈良にて。

2007/09/13, 23:18 | 固定リンク

9月14日 木曜日 曇り 

 若い頃、リュックをしょって世界のあちこちに出かけ、その風景の中で、「旅に沈没」してる輩を沢山見かけた。それは自分の中では恐怖と共にある。あの頃の旅と今のそれとはかなり違うんだけれど、無味乾燥なホテル暮らしをどうにかしないと、突然沈没しそうになったりもする。そんな時に必要なものは人の温もりだ。ちょっと一緒に晩飯を喰えるだけでもいい。些細だけれど、そんな事だ。俺にとって大事なことは。

 昨日、奈良の街を歩き回っていたら、ビーサンの鼻緒が切れた。この夏、何処へ行く時も一緒だった860円のビーサン。嗚呼、夏が終わったと、哀しくなった。でもこのツアーが素晴らしいのは、移動中、しじゅうビーサンで居られることで、夏の終わりを訳もなく認めたくなかったから、無印良品で1250円のビーサンを買った。

 今日の会場「蔵武D」は古い古い町屋の中にあった。随分前歌わせてもらった「ひびきの郷」からさして遠くない場所だった。道がまるで、教習所のクランクみたいなとこなのだ。築180年、新しい梁と昔からの梁が混在してる蔵だった建物。控え室は同じ長屋の中にある「託児所」で、久しぶりに俺は「おっぱいの匂い」を嗅いだ。多分、43年振り。忘却の彼方にあったけれど、多分、この場所に野郎共が同席していたなら、これって絶対に「おっぱいの匂い」だよな、と男の子チックに語り合ったことだろう。会場をぐるりと眺め回して。そこにはPAらしきものはなかった。ただ、かの有名なボーズ博士が開発した、そう、俺の寝室にもある小さなスピーカーが2個あるだけだった。まじすか?と最初は思った。けれど、ギターを「ポロロン」と鳴らしてみて、これで全く問題がないことに気付いた。暮らしの中に音楽がある。増してや、周囲にはずっとずっと昔から、奈良に住んでいる人々が居る。だから、これでいいのだ。この音量で。

 ライヴはね。かつて体験したことがないものだった。俺のギターの音よりも、厨房の揚げ物のはねる音の方がデカかったりする。ぐひひ。そりゃ戸惑ったけど、いいじゃん。それで。お腹がすいてる人が居るんだし。最前列に運ばれたイカリングがどれだけ美味そうに見えたことか。だから、最後の曲を歌い終わったら、そのイカリングちょうだい、っちゅー約束をして、頂きましたとも。そのイカリング。外では鈴虫が鳴き誇り、俺はただ音楽を奏でていた。気がつくと、厨房には坊主頭の方がいらした。後で聞いたなら、彼は近所の住職さんだった。奈良ならでは。そして彼は通風だった。久しぶりに俺は沢山の人と美味い食卓を囲んだ。いや、囲ませてもらった。いいなぁ、奈良。住んでると、大変なこともあるんだろうけど。住職が教えてくれた。野生動物がこれだけ街を闊歩してんのは、インドと奈良だけですよって。そりゃ、街に居る鹿はスポイルされてるけど、山の中には一切のコミュニケートを拒むすんごいのが居ますよって。俺は無性にそいつに会いたくなった。

 みんな足を運んでくれてありがとう。奈良に来たら、蔵武Dで飲んでみて下さい。適度にいい加減。適度にまっすぐ。そして昼は暖暖(のんのん)と云う茶粥屋さんが併設されています。もちろん喰いますとも、明日朝イチで。本当は泥になるまで飲んでたかったけど、今日はホテルに帰ります。だって、そっちの方が余韻が残っていいじゃないすか。ありがとう、心から。奈良。また戻ってきてヨカですか。

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by 山口 洋