2007年における、それぞれの火

2007/11/03, 16:59 | 固定リンク

11月3日 土曜日 晴れ 

 僕らのwebを担当してくれているやさくれ男、Y君から以下の記事、素晴らしいから是非、とメールあり。

http://natalie.mu/news/show/id/3965


 一読して、思った。2007年にミュージックビジネス、及びミュージシャンが抱えている問題点を、これだけ明確にあらわにしつつ、未来へのビジョンもも含めて語ることができる人間は、そうは居ない。天晴。俺も「勝手に、だけど」ひどく励まされた。これは何も音楽だけに限った問題ではない。俺は全国を旅して、いろんな業種の人間たちに会う(殆どが音楽を愛する人々で、我々はその一点で繋がっている)。心を込めて、モノを作る、あるいは売っている連中はほぼ同じ状況に立たされている。

 その一例。俺は林業を営む男と知り合いになった。輸入材に押されて、どんなに心を込めても、彼が育てた木はなかなか売れない。売れたとしてもひどく安い。商売にならないから、どんどん林業は廃れていく。山は荒れる。洪水の時に、山が果たすべき役割を果たせなくなる。しかも、彼が今、伐採している木は、彼の祖父、祖々父の代が植えたものだ。そして、伐採した後に植える若木が商品になるのは、彼の孫やひ孫の時代になる。つまり、彼はどんなに苦しい状況だったとしても、約100年後を見据えて、今日も山にひとりで入っていくのだった。そんな彼の日々に俺たちの音楽が流れていた。とても嬉しかったし、俺は果たして100年後っちゅー自分が生きていない時の事まで視野に入れてるだろうか、と自問自答せざるを得なかった。

 俺は佐野さんみたいに、的確な言葉で問題を語ることはできない。でも、アルバム「land of music」を作り、全国を一人で廻るうち、自分に出来ることを見いだした。マスのことはいつも分からん。ビジネスの才能なんて、まるでない。そんな俺に出来ることは「超現場主義」。だから、今回のソロ・アルバムは逆転の発想で、どこに頼ることもなく、自分でリリースすることにした。そうすれば、もう一度、何のために音楽を作り、それを人に届けるのかってことが本質的に理解できると思ったからだ。実験でもある。バンドでそれをやるにはリスクが多過ぎる。でも、ソロなら可能だ。多分。アルバムにはHWNR-001っちゅー品番を付けた。ヒートウェイヴ・ノーリグレッツ#1。メガストアはその役割を終えつつあった。稀に足を運んでみるとびっくりする。投げ売りだ。音楽の魂の残骸が安価で売られている。哀しかった。でも、自業自得だ。多分。

 誰であれ、この時代を生きる人々が抱えている問題は似ている。ならば、魂を入れて、モノを伝えている連中のところに俺のアルバムを置いてみよう、と。人は音楽だけでは生きていけないけれど、ある種の人間は音楽がなければ生きていけない。魂入ってるレストランとか、洋服屋とか、ジュエリーショップとか、もちろんレコード屋とか、そんなところに置いてみよう(もらおう)、と。そうすれば、単に音楽だけではなく、良いバイブレーションが勝手に連鎖していくはずだ。そっか、こんな食べ物があったのか、とか、そっかこのスーツはとても魂入ってるね、とか、エトセトラ。グレイトフル・デッドがやろうとした事の2007年バージョンは必ず、あると、俺は思っている。

 アルバムを発売して1週間あまり、その結果も応えも、これからだと思っています。いつもライヴで云うことなんだけれど、「それぞれが」「それぞれの場所」で「自分の火を絶やさないこと」。それが世の中を少しだけハッピーにするのだと、僕は思っています。

by 山口 洋