和解

2008/03/04, 19:11 | 固定リンク

3月4日 火曜日 雨

 報告です。
 過日、ソニーとの間で「和解」が成立しました。

 ヒートウェイヴは90年から約5年間、エピック・ソニーとの契約の元、アルバムを5枚発表していました。けれど、我々のアルバムは廃盤の憂き目に遭っていて、何とかしようにも、我々の手が全く及ばない状況にありました。新しくファンになった人々が昔の音源を聴きたいと思っても、それを聴くことが(一部を除いて)叶わない状況にありました。けれど時代は変わり、配信によって、それらを届けることが出来ます。レコード会社も大きな出費やリスクを負うことなく(サーバーのハードディスクの容量とある程度の人件費を除いて)、言わば「過去の財産」によって、収入を得ることができます。もちろん我々も。ならば、それを残さず公開して欲しい、あるいはitunes musicstoreに門戸を開いて欲しい、と。それに関しては、リリースした時と違って、制作上のコストのかかり方が全く異なる訳だから、新たに違う条件で契約を結んで欲しい。そのような申し入れするために、ソニーの法務セクションを訪ねたのが、2005年9月15日のことです。
  
 その際、担当者氏は口頭で、iTunesの件に関しては無理だが、少なくとも「mora」における配信は、協議して善処するとの回答を得ました。しかし、連絡はありませんでした。「その後の推移」について質問書を送ったところ、ソニーから配達証明付きの文書が届き、要約すると、「ソニーの見解に同意するならば、配信を行うこともやぶさかではない」との内容でした。我々が契約した90年当時、世の中には「配信」なんてことを考える人は居ませんでした。したがって、契約書の中にその項目は盛り込まれていません。そこで、文化庁が後に「送信可能化権」と云う法律を作りました。文化庁の見解では、実演家(つまり我々)とレコード会社が「配信」に関しては等しく権利を保有していると云う法律です。つまり我々の許諾なしに、勝手に配信したり、それを止めたりは出来ないと我々は解釈していました。しかしソニーからの文書には「送信可能化権を含む一切の権利を当社が保有すると理解している」と記されていて、そこの見解が大きく食い違っていました。不本意ながら、話し合いがうまく行かない場合、法廷で解決しなければならないと思っている旨、弁護士が先方に伝えました。そして、2006年初頭、我々の音源は配信サイトから、何の連絡もないまま削除され、裁判が始まったのです。

<< 詳細ないきさつはリンク先を参照して下さい。>>

http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=05090015
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=05120011
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=06010015
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=06030001
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=07050012


 そして、2007年4月27日、「送信可能化権」をめぐるソニーとの裁判に、東京地方裁判所の判決が下りました。簡単に書くなら、ほぼ全面的な敗訴です。

<<判決の主文に関してはこちらのサイトにpdf形式にて掲載されています。2007年5月15日付のところにあります。リンク、ありがとうございます。>>
http://ootsuka.livedoor.biz/ 


 その後、裁判所の和解勧告を受けて、協議が始まり、先日、「和解」が成立しました。内容は平易に書くと、以下のようなものです。
 
1. 一番の争点であった、「送信可能化権」に関しては、ソニーが100%保有していること。
2. 配信に関する印税率も、新たに決めるのではなく、契約当時の印税率をスライドして適用すること。
3. 我々がソニー在籍時に残した全54曲の楽曲のうち、25曲を、ソニーは和解成立後30日以内に配信を開始すること。
4. ソニーは音楽配信の発展状況をふまえ、曲数の追加について検討すること。

 「裁判」のビフォー・アフター。変わったところは「3」の部分で、裁判以前に配信されていた10曲弱(それは我々が選んだものではありません)が25曲に増えた、と云うことのみです。その曲目を我々が選ぶことができたと云う点では「微々たる前進」と云えるかもしれません。ただし、これ以上の曲数増はソニーも譲歩してくれませんでした。その理由は1曲アップするのに、費用がとてもかかる(約8万円)、からだと。1審で完膚無きまでに敗訴した以上、2審で、それがくつがえる可能性はほぼ無いに等しく、「この時代に、この案件、この争点で」、今一度、完膚無きまでに「負けた」と云う事実を残すのも、ひとつの方法ではないかと(ワイセツ裁判のように、時代に法律が追いつくには時間がかかることもある)考えました。また、我々が敗訴したことによって、後に続くであろう人々にとって、マイナスの状況を作ってしまうのではないか、と随分逡巡しました。が、しかし。いかんせん、個人が大企業と争うことには限界があります。ひどく骨の折れる作業です。業界に投げ込んだ「小石」から巻き起こったはずの、小さな「波紋」をそれぞれの道で役立ててくれた方がいい、と判断しました。事実は包み隠さずここでお伝えした上で、僕は本分である音楽に戻る決意をしました。「それが出来ることの、すべて」でした。

 元より、これは金銭のための闘いではありませんでした。もう少しマトモな状況にしよう。それは「商売」には違いないけれど、「文化」である側面も忘れたくはない。僕らを含め、ミュージシャンがこの時代に音楽を創って、生きていくにはどのようにすればいいのか?多種多様な音楽が共存する「豊かな文化」を目指すには、どうすればいいのか?そもそも、何故、ミュージシャンは配信と云う新しいメディアで、自らの楽曲をハンドリングさえ出来ないのか?一体、「権利」とは誰のためにあるのか?エトセトラ、エトセトラ。

  その「答え」は風の中にもないのかもしれません。けれど、これからも独自の方法でそれを模索していくつもりです。幸い僕らはレコード会社に頼らない新たなアルバム製作方法(HWアルバムプロジェクト2006)を通じて、沢山の「Land of music = 音楽の場所」を見つけることができました。それらはかけがえのないものであり、励みと呼ぶにふさわしいものです。友人の言葉を借りるなら、「音楽は契約の中にではなく、それぞれの心の中にある」、と。

 これらの日々の中で、僕らをサポートしてくれた皆さんに心から感謝します。ある人物は費用を、ある人物は煩雑な調整作業を、弁護士氏は法律に於いてド素人の僕に、分かり易く説明してくれ、ある偉大なソングライターは自作の詩を送ってくれました。特に、バンド脱退と共に、この世界から潔く身を引き、家業を継いで地元で仕事を続けている当時のメンバーには多大な迷惑をかけました。藤原君、本当にありがとう。僕らはまっすぐに生き抜くことで、魂のこもった音楽を創り続けることで、その気持ちに応えたいと思っています。

 
 

by 山口 洋