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2008/05/08, 17:59 | 固定リンク

5月8日 木曜日 晴れ 

 「本能がノーと云うのなら、それを引き受けてはならない」。誰の言葉だろう?ひょっとしたら、自分かもしれない。最近そのようなことが多すぎて、失語症になっていた。でも結局はすべて、しがらみに屈した自分が悪いのだった。オ・キーフが何故あのような暮らしを送ったのか?ダニエル・ラノアが何故あのような形で作品を発表するのか?ジャコメッティーの作品は何故陰まで美しいのか?すべてはそこに繋がっている気がする。本能に従わず生きていると、必ずストレスを抱えるハメに陥る。音楽は未来を予見できなければ演奏できない。未来を見据えて今を生きる。その程度には本能を身につけているはずだったのだが。

 先日、とある閉鎖された空間で、ほぼ半日過ごさねばならなかった。苦しかった。空気が流れていかないのだ。多くのレコーディングスタジオが好きになれない理由もそこにある。止まっている空間は何かが吹きだまって、澱のように積み重なっている。同じように誰かから受ける悪意も、空気さえ流れていれば、いつの間にか消えてなくなる。空気が流れないのなら、自分が流れていけばいい。応えは残念ながら、風の中にはない。

 母親の命日にたくさんの愛をもらった。何のかんの云って、人の心に救われる。

 名古屋のライヴに病と共生している親友が来てくれた。抗いようのない運命を受容している姿は、苦しみを超えて、美しかった。凛々しくさえあった。翌日、奴に会いにいくつもりだったが、二日酔いでエネルギーが落ちている自分の姿を見せる訳にはいかなかった。リクオがよく歌う曲の中に古今東西の名言を引用しているものがあって、「人間の死亡率は100%です」というのがあるのだが、本当にその通りだと思う。奴の目の中にある光はそれを踏まえて、輝いていた。ありがとう。

 ピアノを始めた人物に簡単なコードを教えた。しばらくして訪ねてみると、ピアノの上に書きかけの歌詞がのっかっていた。とてもいい光景だった。何気なく、その歌詞をアドリブで歌ってみたら、田園風景が広がった。懐かしさの中に夏の香りがした。音楽はいつだって僕らの心の中にある。

 はじめてその曲を誰かと演奏するとき。インスピレーションが泉のように湧いてくる。その瞬間が好きだ。みずみずしい。ファースト・テイクには何かがある。そして人生にリハーサルはない。

 モノが増えていくのが耐えられなくなった。どうしても必要なら、一生モノをできるだけ選ぶようにしよう。けれど、どんなに探しても鞄だけは見つからなかった。結局、登山用のリュックサックに戻った。多分、どうしようもなくバックパッカーなんだと思う。心のどこかが。

 さぁ、明日のために穏やかな美味しいものを食べよう。

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by 山口 洋