それぞれの荒野

2008/09/08, 21:27 | 固定リンク

9月8日 月曜日 晴れ 

 映画、「into the wild」の余韻をずっと引きずっている。と云うより、そのような「余韻」を持たせてくれる創作物に最近出会わなかったので、感謝している。封切りと同時に映画館に足を運んだ友人達は、一様に「感想なんて書けないけど、不思議な感動を覚えた」と僕に語った。おそらく配給会社も、どうプロモーションすればいいのか、難しい映画だったと思う。結局は「自分探しの旅」のようなところに落ち着いていて、それはそれで間違いではないと思うのだが、自分自身が受け取ったものが、それだけでは「全く」ないところにこの映画の素晴らしさがあると、僕は感じている。

 僕にとって、都市生活は間違いなく「荒野」である。ここでは自然の摂理がまったく通用しない。「荒れ方」が違う。ひどく荒んでいると思う。だから怖い。本物の荒野で熊に喰われて死んだなら、諦めもつくだろうが、昨今、新聞を賑わせているような理不尽な死に方だけはしたくない。「現代の荒野」に住んでいる者の中で、本能的にこのままスポイルされながら生きていく事に「危険」を察知したなら、「本物の荒野」に突入したくなるのは当たり前だと思う。そして「本物の荒野」は厳しい。その圧倒的な自然の力の中で、本当の無力さを知る。摂理を受容する以外に、生きていく道はない。そして「ハピネス」は決して一人では成り立たないことを知る。「本物の荒野」の中で、独りで存在していることによって。

 「forgive(許す-赦す)」と云う単語を覚えたのは、ショーンの映画でたびたび印象的に使われるからだ。受け入れて、許す。まずは自分の魂を救済すること。そんなシチ面倒臭い日々の向こうに、「gift」や「ハピネス」はあるのだと、僕は思っている。

by 山口 洋