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2009/05/02, 06:44 | 固定リンク

5月2日 土曜日 晴れ 

 chop that wood
 carry water
 what's the sound of one hand clapping
 enlightenment, don't know what it is

 ずっと、この歌が好きだった。何故好きなのかは分からなかったけど。でも、それは突然心にすっと入ってきて、そして、自分が今までとは違うステージの入り口に立っていることを教えてくれた。
 風は何色なのか?そのような禅問答を死ぬほど繰り返していると、悩みに悩んだ挙げ句、もう駄目だと思った瞬間に、突然、違う次元に行けることがあるのだ、と。実際のところ、自分に何が起きているのか、まだ正確に言葉には出来ないのだけれど、今日と云う日を忘れることは出来ないと思う。

 その昔。機嫌が良かった日の父親が「相対性理論」を延々と説明してくれたことがある。直後は何だか凄いことが分かった気になって興奮したが、翌日友達に説明しようとしたら、頭の中には何も残っていなかった。でも、今日は違う。
 
 感銘を受けた話。

 ブラックホールは決して「無 - 真空」ではないのだそうだ。そこにはこれまでの宇宙の記憶がすべて保管されていて、ある種の人々はそこにプラグインして、その記憶を取り出し、未来に役立てることが出来る、と。宇宙は炭素で出来ていて、自然界にあるものはすべて燃やせば真っ黒な炭になる。ニンゲンも燃やせば、ただの炭になる。だから、本当は誰もが星の王子様で、星の欠片なのだ、と。「自分」と云う言葉は「自然の分身」と云う意味で、今のニンゲン達はそのことを忘れがちだ、と。 
 そのような意味で、自分が深いところで抱いている様々な感情は宇宙と呼応するのだ、と。ポジティヴなものも、そうでないものも。深いところで「幸福だなぁ」と思っていれば、かならず幸福はやってくるけれど、不満や憎しみを抱えていると、それらが更に呼応しあって負のスパイラルに陥る、と。「幸福になりますように」と祈ることは、今現在、自分が幸福でないのを認めているのと同じだから、幸福になるのは難しいのだ、と。それよりも、今ここにある幸福を見つめて、それに感謝の気持ちを持てば、必ず良い方にエネルギーは流れていくのだと。


 僕はこれまで、たくさんのしなくてもいい苦労をしてきたと勝手に思い込んでいた。幼い頃に愛された記憶もないと思い込んでいた、エトセトラ。でも、恥ずかしながら、何も分かっていなかった。信じられないくらいに、何も分かっていなかった。今だって、「分かっている」なんてことは何ひとつ云えないけど。他人のせいにはしないまでも、心の深いところには長い時間をかけて、「負」の感情が積み重なっていた。それが自分の思い通りにならないことにひどく苛立っていた。時に感情が爆発して、コントロール不能になって、いろんな人を傷つけた。よりによって大切な人に限って、傷つけた。その人が感じていることをちっとも尊重していなかった。そして、何をやっても意思とは反対の方向にものごとは進み続け、本当にギリギリのところまで追いつめられた時、ある出来事があって、心が音を立ててぼっきりと折れた。折れたものは心の中にある「執着」とか「依存」とか「所有欲」とかだった。あれだけ「独立」を目指していたはずの人間が実は「執着」にも取り憑かれていた。
 ここに至って、嗚呼、オレももう終わったのだ、と思ったが、そうではなかった。追い込まれて、否応なしにそれらがぼっきりと折れたことで、実のところ、僕は考えられないくらいたくさんの愛情を注がれて、ここまで生きてきたことが見えてきた。驚いた。親や愛しい恋人、そして友人たちやオーディエンスから、有り余るほど、愛情を注がれていたことが見えてきた。自分が生まれてきたことを呪う理由なんて何処にもなかった。自分は自分のままでよくて、ただ深い愛だけがそこにあった。手放した時、それはやってきた。圧倒的な幸福感に満たされて、感動して、嬉しくて、申し訳なさすぎて、号泣した。僕には身を削って、懸命にそれを伝えようとしてくれる人が居た。その人とは意識の深いところで繋がっていて、いや、繋がろうとしてくれていて、離れた場所から、ずっと愛を送ってくれていた。その人は一番星を見つけると必ず祈る。僕らは燃やせばただの炭で、そして星の欠片なのだっだ。そうやって僕を救ってくれたのだ。今は感謝の言葉も見つからない。

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by 山口 洋