僕とうつとの調子っぱずれな二年間

2009/05/23, 18:56 | 固定リンク

5月23日 土曜日 晴れ 

 いや、真面目に感動したのだ。だから、今日はロックンロール・ダイアリー史上初めての原稿書き換え。

 僕に関する書籍を長い間(多分10年以上)編集してくれているS君という人物が居る。もともと彼は僕が居た事務所の編集チームに居た。穏やかで、音楽を愛し、曲がった事が大嫌いで、それでいて溢れる情熱のある男。けれど、あることをきっかけに彼は「うつ」になってしまった。そこからの二年間を、盟友はらだゆきこの漫画と合わせてまとめた「僕とうつとの調子っぱずれな二年間」という本が送られてきた。友人であり、仕事仲間であるからして(実際、僕であろう人物も登場するし)、身内意識を持って読み始めたが、次第に僕は深い感動を覚えていた。僕の父親は激しい躁鬱で、精神病院にも入院していたから、子供の頃から、それがどのような状態か知っていたし、自分にもその血が流れていることを若い頃は極端に怖れていたし、描かれている事象の多くは僕も経験済みだった。その上で、「うつ」は完治が難しい。だから共生していこうと、彼の言葉を借りれば「僕は歪んでいるアンテナを修理に出すことにしました」と。
 
 ひどく僕の心を打ったのは、彼が励まされていたふたつの言葉。
「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」。
「悲しいことなんていう事実はない。そこにあるものをどう捉えるかだけだ」。

 この本は実際に「うつ」ではなくても、様々な悩みを抱えている現代に生きる人たちに、たくさんの示唆をもたらしてくれるだろう。今日の僕が深く励まされたように。明確な答なんてある訳がない。それでも「俺たちには未来がある」。それぞれの暗示を外す鍵は、それぞれが探すしかない。僕が今日覚えた感動は、奇妙なもので、実際どう表現していいのか、分からない。ガッツポーズとは真逆の奇妙な勇気が胸の奥にふつふつと湧いてきたのだ。それはいつも体育会系の鍵で、強引に暗示を解こうとする僕を戒める、新しい方法なのだと思う。S君、ハーピー。書いてくれて、ありがとう。引き続き、オレも探してみるぜ。
 
「僕とうつとの調子っぱずれな二年間」 文 三保航太 マンガ はらだゆきこ メディア総合研究所 ¥1,400
25日には本屋に並ぶそうです。是非。

そして、もともと書いたダイアリーはこちら。
still life with my guitar

 先日、買って一年もしない一眼レフのカメラが壊れた、と書いた。どうにもならないから、修理することにした。驚く事に、修理を依頼し、僕の手元に戻ってくるまで、メールフォームのようなものにネット上で記入し、カメラを送付し、やがて修理されて戻ってくるまで、一切誰とも「会話」を交わさないのだった。受付完了の返信メールも、もちろんコンピュータが自動的にこなす。何だか、背筋が寒くなった。「顔」が見えないから怖かった。
 旅暮らしのミュージシャンである僕は、ほぼこの7年に渡って、たった一本のギターを使っている。使えば使うほど、僕の手になじんでくるこのギターは岐阜のヤイリの職人さんたちによって、手作りで作られた。サイズはもちろん、音色から装飾に至るまで、すべて僕の意見を汲んで作ってくれた。いろんな場面で、あ、あの職人さんはあんなエプロンをして、仕事に打ち込んでたなぁ、とか、社長さんはエロ話とギターへの情熱のバランスが絶妙だったなぁ、とか、エトセトラ。旅先で、ペグ(糸巻)が壊れてどうしようもなくなった時、翌日にはスペアのペグと、それを装着するための工具が「手紙つきで」送られてきた。ありとあらゆるライヴを僕はこれ一本でこなす。どんな過酷な条件でも、きちんと反応してくれる。使えば使うほど、僕と彼女の関係は密になっていく。アルバムに「僕はこのギターを弾いています」とクレジットしてあるのは、彼らへの深い感謝の気持ちからだ。実際「live at cafe milton」はこれ一本で作られた。
 僕がこうして、文章を書いているのもネット。確かに便利だとは思う。けれど、僕は「顔」の見える関係を大事にしたい。人と関わるのは面倒くさいときもある。それでも、僕は「顔」の見える関係を大事にしたい。

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by 山口 洋