音楽の力

2009/07/24, 11:32 | 固定リンク

7月24日 金曜日 雨 

 蒸し風呂みたいな大阪の夜。ビルの屋上みたいなバーで、居合わせたミュージシャンが歌を歌っていた。古い友人であるカオリーニョが突然オレの横に座って、友部さんの「夕陽は昇る」を歌い出した。彼の歌には彼そのものが宿っていた。湿気てるのに渇いていて、絶妙にいい加減だけど、妙に心をわしづかみにされて、演歌みたいだけど、ボサノバで、おっさんくさいのに、forever young。バサバサに渇いたスポンジみたいな心に笑いと共に染み通ってくる。何なんだ、この男は。きっとここまで来るのに、いろんなことがあったんだろう。でも、そんな事をおくびにも出さず、音楽と共に生きてきたアホな男の強烈な優しさとタフネスがそこにはあった。そんでもって、ほぼカオリーニョに密着して聞いていたオレの鼻孔に彼の汗臭さが直撃してくる。はっきり云って臭い。でも、オレは猛烈に感動もしていたのだった。そして額にじっとり汗をかきながら、もう一曲魂の底から歌ってくれた。「機械じゃないんだ人間は/情熱傾けて取り組んでみよう/なくした優しさ取り戻してこい/そして迷わず生きていけ、君のやり方で」。リクオが横からちゃちゃを入れるので、涙腺の決壊はどうにか免れたけど、ヤバかった。いい歌だった。そっか、遊びがないからこうも簡単に壊れるのか。音楽は突然心の中に入ってくることがある。真夜中の泥棒みたいに。そして奇妙な力を与えて、何も盗まずに去っていく。今までも、そうやって力をもらってきた。そして送り手となった今も、自分が書いたものがヒトを救えるなんて、思ってはいない。そんなことがあるのかもしれないけれど。ただ、どうしようもなく人間として欠損してる部分があって、それは多分永遠に埋まらないことをもう知ってはいるのだけれど、それが自分を音楽に向かわせるのだと思う。
 トリオのツアー中に、池畑潤二がこう云った。「男にとって、女性も大切だけど、どれだけ同性の友人が居るかってことが、この頃大事だと思う」、と。カオリーニョの歌はその言葉、そのものだった。ありがとう。「ヒロシの横で一度でいいからギターが弾きたい」って。あんた、いつでも歓迎するよ。今度は汗をかかない季節に会いにいくよ。

by 山口 洋