タエコのこと

2009/12/14, 20:21 | 固定リンク

12月13日 月曜日 晴れ 

 彼女の名前はタエコ。名前をつけたのはオレ。漢字で書くなら「耐子」。決して「多恵子」ではない。年の頃は70数歳。死んだオレの母親と同じ頃に生まれたんだろう。背は低く、腰は曲がり、時速2キロでしか移動できない。そして、眼光は鋭い。

 オレが走っている海沿いのマラソンコース、全長7,7キロには防風林が併設されている。海があって、砂浜があって、マラソンコースがあって、防風林があって、最後に国道が走る。幾重にも重なったパイのような構造が続く。平和と云えば、平和。でも、闇もある。時々、報道されるのだけれど、その防風林には100名を越すホームレスが住んでいる。夕暮れ時に走っていると、防風林からサンマを焼く匂いが漂ってきたりもする。ある時、海岸を清掃している職員が老人が座っているのを観た。仕事を終えて、帰ろうとすると、その老人は朝と同じ格好をしていた。つまり、死んでいたのだ。

 タエコも間違いなくここに住んでいる。初めて会ったのは二ヶ月くらい前。走り終えて、コースの端にひとつだけある自動販売機でスポーツ飲料を買おうとしたとき。タエコは販売機のあらゆるところを漁っていた。金が落ちていないかどうか。これは彼女が生きるための「労働」だ。そう思ったから、ずっと待っていた。けれど、いくら待っても彼女はそれを止めようとしなかった。しびれを切らして「すいません、飲み物買ってもいいですか?」。そうオレが話しかけても、じろっとオレを睨んだだけで、それを止めようとはしなかった。そうか、耳は聞こえるんだ。でも、その瞬間。ある意味で、オレは魅了された。近くで観る彼女はグランドキャニオンのように、深い深い皺が幾重にも刻まれていた。それはオレが想像もできない、壮絶な人生を送ってきたことを物語っていた。タエコには生への執着がある。その力がオレを惹き付けたんだと思う。自分が彼女だったら、どうだろう。多分、もう生きることに執着しないで、やってくる死を待つかもしれない。

 それから、オレは彼女に会う度に、会釈をするようになった。「こんにちは」と。ランナーはすれ違うときに、挨拶をする。それと同じだ。けれど、一度も何かが返ってきたことはないし、彼女が笑っているのを一度も観たことがない。ときどき、疲れ果てたタエコは海岸に座って、海や、夕陽や、家族連れや、恋人たちをずっと観ていることがある。その光景を観ると、胸が締め付けられる。哀しい顔をしないように、速度を上げて通りすぎる。そして、得体の知れない感情がこみ上げてくる。同情や、憐れみじゃない。怒りとも違う。社会って一体なんだろう。これだけ「生」へのエネルギーに溢れた人物が屋根の下で生きていけないのはどうしてなんだろう。自己責任。それも正しい。でも、この国の総理大臣には、オバマと対話するのと同じように、タエコとも話して欲しいと思う。彼女が口を開いたとき、そこからは想像もできないような道程が語られるに違いないのだから。彼女の横を通り過ぎて、いつもオレは自問自答する。オレに一体何ができる。歌を書いて、演奏して、そしてタエコが元気で居てくれる限り、挨拶をしよう。いつの日か笑ってくれることを夢見て。

 今日もタエコに会って、オレは走っていた。個人的な事情で、オレはどうしていいのか分からなくなっていたことがあった。突然眩しさを感じて、海を観ると、夕陽が黄金色に輝いて、海に輝く道が出来ていた。そうか、諦めず光の方に行けばいいのか。オレはそう思った。そして、願わくばタエコもこの光景を観ていますように、と。

by 山口 洋