光と剥がれた爪と38本の薔薇の花

2009/12/29, 01:38 | 固定リンク

12月29日 火曜日 曇り 

 目覚めたとき、足の親指に違和感を感じた。オレは初めて親指の爪の下の風景を見た。何だか色を塗る前のダルマみたいだな、と思った。待てよ、て、ことは。剥がれた爪もあるはずだ。探してみると、何とも形容しがたい、固くて、黒い物体がおふとんの国に転がっていた。グロだな、と思って光にかざしてみると、妙に美しかった。ドブの中に差し込む夕陽のようだった。悪くなかった。これでオレは二枚目の爪を失った。確実に死んでいるのはあと2枚。運が悪けりゃ、合計5枚の爪が剥げるだろう。だから何だ、と思う。痛みもまるでない。走り始めたベリー初期に、合わない靴で闇雲に走ったり、レースに出たりしていたせいだ。でも、もう学んだ。靴を換え、ワセリンと5本指のソックスをはき、爪へのダメージは確実になくなった。いつかへんてこりんな新しい爪が生えてくるんだろう。それでいい。失ったものと得たもの。比べるまでもない。走ることは、孤独で、喜びで、哀しみを捨てることで、考えることで、考えないことで、無になることで、タイムマシンで、本当に大切なものを見つけることで、希望で、オレにとっては家族でもあり、挫折の連続で、身体を知覚することで、心と魂の場所を知ることで、細胞を生まれ変わらせることで、感謝を見つける場所で、赦しを乞う場所で、愛を叫ぶ場所で、原始的で、創造的で、肉体的で、精神的だ。もたらされたもので、一番大きなことは、「光」は観念ではなく、実存することを知ったこと。そして同じ「光」は二度とないこと。それらは「ひかり」と云う言葉で総称されること。それを見るたびに、「大丈夫だ」と思う。訳もなく。一人だけれど、独りではない。絶対に。
 死ぬまで走っていたいと思うようになった。音楽を奏でるように。だから、無茶をして壊れないようにしようと思う。走れないのはきっと耐えられない。人に見られたい訳じゃない。レースも4時間を切ったら、もう出ないかもしれない。競いたい訳じゃない。ただ、ただ、人生も、音楽も、走ることも。ひかりを目指していたいだけだ。願わくば、揺るぐことのない愛と共に。
 赤い薔薇の花が届いた。生まれて初めて買った。でも官能的で好きじゃなかった。ちっとも美しくなかった。知らなかった。赤い薔薇にひかりはなかった。花屋に行った。この仕事が好きだから働いてるんです。そう顔に書いてあるお姉さんと花選びをした。何だか、楽しい作業だった。「ありがとう」。本当にそう思ったから、店を出るときにお姉さんに伝えたら、彼女の笑顔がひかりになって、それが花にふりそそいだ。

by 山口 洋