heart of Chiba、千葉市にて

2010/03/20, 04:59 | 固定リンク

3月20日 土曜日 晴れ 

 何を隠そう。九州から上京して、初めて住んだ場所は千葉だった。だから、ここには酸いも甘いも、青春の思い出がある。

 僕がこのハコにやってくるのは、スタッフが音楽への愛に満ちているからだ。本当だよ。彼らは「当たり前のことをやっているだけです」と云うが、それが出来ない場所が殆どだ。会場に着く。スタッフが一気に階段を駆け上ってきて、あっと云う間に搬入は終了。全てのスピーカーのチューニングは到着前に完了している。去年の僕のセッティングはすべて覚えていてくれて、必要なものは云わずとも準備されている。若いPAエンジニアは去年より更に音を操れるようになり、不快な成分はまったくない。つまり、僕らは音楽に没入できるのだ。素晴らしいと思う。このような態度で真摯に音楽に向かっているなら、きっといいミュージシャンが巣だっていくだろう。このハコは普段忘れがちな「原点」を今一度思い返させてくれる。いつまでも初々しくあること。終演後、新しく入った19歳のスタッフ(女子)が僕のところにやってきて、「音楽で生きていくって、どういうことなんですか?」と云う質問をした。その目は不安と希望に溢れていたけれど、船出前の航海士のような凛々しさをたたえてもいた。目の前にでっかい海があるのなら、怖れず勇気を持って漕ぎ出しなさい。僕はあの気持ちを忘れたくない。ありがとう。

 今日はレコーディングをした。ツアーを続けているうちに、これは記録しておかねば、と思った。それならば、このようなハコがいい。うまく行くかどうか不明だけれど、ただのライヴ盤じゃない。今の時代を生きる人々のためのサウンドトラックのような作品。簡単に云うなら、曲間がまるでなく、ライヴを素材としてリミックスしたような、延々と連綿と続く「おわらない」音楽。音響系でもロックンロールでもなく、2010年にしか産まれない作品。そのようなアイデアが魚先生とツアーしているうちに浮かんできたのだ。いちいちスタジオに入って録音することはない。ライヴでのパフォーマンスを編集することによって、何処にもない作品が作れそうな予感がしたのだ。前述のエンジニアのおかげで、僕は歌うことに集中できた。つまらんギャグで空気を台無しにもしたが、僕らは本当に音を奏でていることが子供のように愉しかった。本当にありがとう。楽しんでくれたかな?

 唯一、僕の親族の中で、僕のことを「おじさん」と呼ぶ青年がやってきてくれた。僕も彼も親族の中ではアウトローだ。僕とは違う道で(空手なんだけどね)前を向いて生きる彼が、終演後に、「何だか完全にリフレッシュして、力が湧いてきました」。そう云ってくれたのが本当に嬉しかった。武藤曜。君は何も間違っていない。今までも、そしてこれからも。自分の人生は君の力で切り拓いてくれ。

 終演後、僕と魚先生は宮城県を目指した。約400キロ。正直しんどい。でも、明日いい音を響かせるためには、今日移動する必要があった。魚先生は無口だけれど、突如名言を吐く。「ひかりを探してちゃダメなんじゃない。ひかりの真ん中に居なきゃ」。そうなんだよ、オレもそう思う。多分、今週末から来週にかけて、僕はそれを必ず手に入れると思う。もう誰が何と云おうと、気にしない。それだけの経験はこの一年の間に積んできた気がする。僕のバンドのメンツは(昨日はリズム隊の演奏を客として観ていたんだけど)タダ者じゃない。財産だと思う。カネでは買えないのだ。この人間関係と才能は。猛然と、でもしたたかに突き進みたい。心からありがとう。何にって、全てに。

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by 山口 洋