とりとめもなく

2010/03/19, 02:58 | 固定リンク

3月19日 金曜日 晴れ 

 頭の中にいろんなことがグルングルンに渦巻いてる。とりとめもなくなると思うけど、どうかご容赦のほど。

 レースまで10日を切って、最後にやるべきか、やらざるべきか、ハムレットもどきの心境になる恐ろしいトレーニングがあった。その名を「ダウンヒル走」と云って、理想的には、10キロくらいの連続した下り坂を、箱根駅伝の復路よろしく「全速力」で駆け下りる。それによって、切れかけていた筋繊維がほぼ壊れる。しかし、これからの日々、殆ど休息か、軽いジョグしかしないことによって、壊れた筋肉は「超回復」と云うプロセスに至り、本番での30キロ過ぎに「足に来て」走れなくなるポイントが後ろに伸びる、と云うもの。
 ツアー前の強風の中での、無茶な30キロ走の後遺症が未だ抜けず、両膝に痛みを抱えたままだった。やるべきか、やらざるべきか。珍しく悩んだ。やるなら今日しかない。でも、どう考えても、後悔するのだけは嫌だった。やるべきことは全部やった。それでダメなら諦めもつく。残念ながら、近所に10キロの坂なんてない。調べると、150メートルを全速力で30本。同じ効果があるらしい。同じ目標を持ってレースに出場する、近所のヨシミにも電話でそれを伝えた。ただし、奴は僕より遥かに体重が重いし、壊れたら困るので、100メートルを20本に過小申告しておいたけど。
 短距離の全速力に、坂によるスピードが加わると、かなり恐ろしい世界になる。自分がこんなに速いのをかつて見たことがない。これ、足を踏み外したら、くじいて終わりだな、みたいな。車が飛び出してきたら、とてもじゃないけど避けられずに、吹っ飛ばされて終わりだな、みたいな。通り過ぎる人々が異様な目つきで僕を眺める。そりゃそうだよね。坂をこんなテンションで降りてくる奴なんて居ないし。20本を超える頃、臀部と太ももがおかしくなってきた。でも、それはふくらはぎではないので、よりでかい筋肉を使っている証拠でもあった。とにかく、怪我もなく「ダウンヒル走」をやり終えた。今までに感じたことのない種類の足の疲労が残った。ままよ、やるべきことは全てやった。これで心おきなくツアーに出られる。後は野となれ、山となれ。ところで、所用で僕は「鳩サブレ」を買わなきゃいけなかった。坂からの帰り道。「鳩」ショップがある。買ったとこまではいいんだけど、鳩サブレを持って、ジョギングして帰る姿はなかなかシュールだった。

 明日から再び、魚先生とツアーに復帰します。今、僕らが出している音は、この瞬間は、二度とない気がします。だから、発表するかどうかはともかく、明日の千葉と、最終日の吉祥寺はマルチトラックに記録することにしました。そして、吉祥寺の前日、僕はフルマラソンを走ります。今の僕にとって、走ることも、音楽をやることも、すべては繋がっています。根拠はないけど、これからの一週間は、多分これからの人生のターニングポイントになるでしょう。人事を尽くして天命を待つ。そんな心境です。是非、来てください。

 渋谷で、The Roostersが昨年の12/29に、福岡で行ったコンサートの映像を観ました。ルースターズはガキだった時分に、とてつもない力をくれたバンドです。そのバンドは加齢しても、イノセントで、狂気に満ち、そして鉄壁の演奏を繰り広げていました。「songs of innocence and of experience」。耳鳴りとともに、ウイリアム・ブレイクの詩集のタイトルが浮かんできました。

 帰りしな。車のipodから「my family」と云う曲が流れてきました。いつもはシャッフルで自分の曲が流れると、即座に飛ばすのですが、12年も経過すると、どんな曲だったのか忘れるのです。聞いてみるか、と思いました。ある種の「暗示」がありました。そこに「光と闇」があるんだと、自分の曲に教えてもらったのです。

My family

かつて石のように
自分を支えてきた
かたくななだけの想い

故郷を遠く離れ
木の葉のように揺られながら 
漂うだけの日々

バラバラになった花瓶のように 
家族はそれぞれの破片になり 
そこに咲いていた花たちに 
二度と戻る場所はない

ことば いたみ ぬくもり すれちがい
この冬はじめてのセーターを着る

誰かが悪いわけではなく 
誰かが憎いわけでもなく 
誰かはもうこの世にはいない

絶え間なく繰り返した諍いでさえ 
懐かしく思うこともある 
ときどき胸が痛い

薄い胸をかきむしり 
互いを思いながら眠るだろう 
日々は痛みの上にあり 
季節だけが通りすぎる

ことば いたみ ぬくもり すれちがい
遠くで誰かが私を待ち続けてる

ことば いたみ ぬくもり すれちがい
いつか彼らに出会える そのときまで

 音楽とは、時間を心の手のひらで握って、伸張したり、縮めたりすることです。また、空気の温度を上げたり、凍らせて、誰かに投げかけることです。未来を予感し、予知して、そこに奇跡的に着地させることです。エネルギーを客席に放出して、そこから返ってきたものを受け取り、また投げ返して、でっかい円環をつくることで、中空に短編映画を上映することです。本当はみんなが持っている力です。かつての僕みたいに、恐怖をたくさん持っている人、頭で先に考える人には難しいかもしれないけれど。魚先生と僕は自分の中と外にふたつの宇宙があるのを知っています。
 人の心はお金では買えません。心は誰にも盗むことはできません。どんな経験でも豊かな力に変えることができるはずです。それを人々に伝えて、僕は自分の役目を果たしたい。そう考えています。守らなきゃいけない家財があるから、セキュリティー会社に頼むのです。財産をお墓に持っていけますか?答えは否です。そんなものは幸福をもたらさないのです。大切なのは人としての「心」。そして次の世代に残さなければならない「確かな希望」。それだけだと僕は思います。

by 山口 洋