「speechless」完成

2010/10/28, 00:15 | 固定リンク

10月28日 木曜日 雨 

 車の寒暖計は8度をさしていた。今年、初めてのセーターを着た。なのに、南からは台風が来ているらしい。まるで誰の心の中のようだね。今日は約7ヶ月を費やして制作した「Yamaguchi Hiroshi / Hosomi Sakana」名義の初めてのアルバム、「speechless」の音が完成する日。僕は先日ボックス・セットのマスタリングで素晴らしい「新しい才能」に出会った。その持ち主である、エンジニアの酒井君のスタジオを訪ねる。僕と魚は重箱の隅をつつくように、細部に渡って音楽に向き合ってきた。最後の化粧に、酒井君の腕がどうしても必要なのだ。

 プレイバックが始まった。解像度が高い彼のスピーカー・システム。リバーブの粒が画面の奥に消えていくところまで聞き取れる。僕と魚はこの作品を完成させるまで、沢山の流れては消える風景を互いのスピーカーの間に観てきた「はず」だった。でも、僕は今日、今までに観たことのない風景をこの部屋で観ていた。初めての体験だった。頭蓋の裏のスクリーンに映った脈略のない風景をここに記しておきたい。

 盛夏の海、緑が燃えている。そこにケルティック・クロス。でも舞台は日本の田舎の海。主人公の少年は汗を流しながら、未来に不安を抱えながら歩いている。生まれてこのかた、家庭が穏やかだったことはない。そして彼の闇はきっと消えることがない。now here man。突然、彼は大人になって、祈りと懺悔の音楽を奏でる。聞く者に何かを強いる。激しく強いる。大人になった彼は「失われた二年間」と小さく呟く。戦争、高度成長、核家族の崩壊、バブル、そして価値観の崩壊。自分に流れる狂った血について。
 不格好で、不完全だから完全。シリアスすぎるゆえにコミカル。高みを目指せば目指すほど笑えてくる何か。静寂は強く静かに流れる。彼には救急車のサイレンが音楽に聞こえることがある。AからAフラットへ転調する。それが頭蓋に反響していく。祈りと懺悔、アゲイン。息苦しさと弛緩。苦しいのは自分で首を絞めてるからなのか。喘息に苦しめられている人が「発作が起きて、吸入器を吸ったとき、どんなに自由か分かる?」と云う。ツバメの赤い喉。高い空に届けられる願い。エトセトラ、エトセトラ。

 酒井君の素晴らしい仕事が施され、すべての作業を終えて。ふと、僕と細海魚はとっても日本の人なのだと思った。典型的な日本人であるかどうか、それは分からない。多分、そうじゃないだろう。僕らはできるだけ何処にも属さないように、システムに巻き込まれないように、自由に生きようとフントーしてきた。ここには「闇」がある。うまく表現できたかどうかはともかく、その「闇」を描ききることを僕らは怖れなかった。安易は「光」は描けなかった。それが僕らにとっての「ひかり」そのものなのだから。

 今日だけは死んでもいい、と思った。きっと、明日はもうそう思わないだろう。この作品は僕にとっては(今のところ)最高傑作で、賛否入り乱れていろんな波紋を投げかけるだろう。でも、それでいいのだ。それこそが僕らが望んでいることなのだから。

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by 山口 洋