星の下 未知の上 そしてノーザン・ライツ

2006/02/01, 23:17 | 固定リンク

 2月になった。厄明けまで後2日になって、いつから俺はこんなにシチ面倒臭く、あーでもない、こーでもないと思い悩む人間になったのか?思考がループしてる原因を探るためにも、昨夜からの自分の行動を思い返してみようと思う。読んでる皆さんのためになるのかどうかは甚だ不明だけれど、ね。

 確かに俺は今までのミュージシャンがやってきた事より、多くの事例を抱えてはいる。未知の方法で音楽を作ってるし、ミキシングもやってるし、目が覚めてから、仮眠をむさぼるまでの間、音楽や、それにまつわる諸々の事の中に埋没してはいる。でも、今の時代、八百屋さんだって、魚屋さんだって、自分が売りたいものと、生きていくこと、社会の中で存在してる意味、エトセトラ。そんなものの中で七転八倒してるって意味では大差はないはずだ。バンドをやってるのは、死滅したヒッピーの「共同幻想」を現代に照らし直して、より小規模だけれど、現実を見据えた上で「個人」の強烈かつバラバラな「意思」の集合体みたいなものが、音楽の奇蹟を起こすことができると信じているからだ。それをバカみたいに信じているからだ。大事なのはイマジンする力とギャグとわずかな金、そして「honest」であること。うん、こう書いてみると、多分それは間違っていない。

 今朝。午前5時。ようやく「光」に辿りついて、それを暮らしてる街の中で聴いてみたくなった。ここで、グっときたら、もうこの曲に関わってんのは終わりだ。そう決めて、ミックスし終えた曲をipodに入れた。そぼ降る雨の中、風邪を引かないように、ダウンジャケットを着て、フードもかぶった。ヘッドフォンはいつものやつじゃなくて、低音が良く聴こえるこいつにしよう。完璧だ。

 朝の首都高にトラックが走っていく。ドラムがビートを刻み始める。お、いいぞ。完璧だ。音楽に合わせて、歩くスピードを調節する。景色が流れていく。雨が降っている。濡れる。歌詞が染み通ってくる。心も濡れる。そして、音楽はハイライトに向かっていく。その時だった。丁重に俺は刑事に呼び止められた。二日前のこの時刻。付近で強盗事件があったらしい。あくまでも丁重に、そして執拗に。彼は職務質問を続ける。云うまでもなく、俺にやましいことはない。名前も電話番号もその日のアリバイも何もかも。洗いざらい彼に告げた。何故に、こんな時間にこんな格好で、空を飛びたそうな踊りを舞いながら、この道を歩いていたのかも。確かに俺の振る舞いは怪しい、と自分でも思う。でも、信じてくれ、刑事さん。俺は無実だってば。戒厳令じゃないんだから、俺は好きな時間に街を歩いていいはずだ。職務質問にしては随分長い取り調べの上、俺は放免となった。彼も大変な職業だと思う。こんな時間に働いているなんて。でも、その後、失われたインスピレーションは二度と戻ってこなかった。それが問題なんだよ。アーメン。

 昼に起きた。3時頃、メンバーやスタッフがやってきた。今までのミックスを聴いてもらった。俺は仕事部屋から逃げた。早朝の「確認作業」に自信が持てなかったから、対峙する勇気がなかった。この根性なし。反応は少なくとも、「オー、イェーッ」と云うものではなかった。全員が満足するものを、必ずしも目指している訳じゃないけど、多分、この曲はまだ手を入れる場所がある。そう受け取った。何だか、最近よく揺れてる自分が情けなくなった。

 夜。久しぶりに佐野元春さんにお会いした。彼とて、いろいろあるに違いない。でも、体温がいつも変わらない。真似ができない。素晴らしい。つい最近、とある事で励ましのメールをもらったところだった。「時間があれば、近く会おう」と記されていたが、こんなに早く実現するとは思っていなかった。

 それは、佐野さんがやられているポッド・キャスティングの番組で、「music united(だったと思う。間違ってたらすいません)」と呼ばれるものだった。つまり、真の独立を目指すミュージシャンの「勝手な連帯」を目的としたもので、俺の前には藤井一彦がゲストとして呼ばれていた。
 実際の会話は番組を聴いてもらうとして、先人との1時間半に渡る会話はとても有意義なものだった。時に俺より長く生きている方として、同じフィールドに立っている方として、一人の人間として、男として、ミュージシャンとして、シンガーとして。あるいは同じ時代に生きるソングライターとして。エトセトラ。どさくさにまぎれて、どうしても聞いてみたかったことを幾つか尋ねてみた。その応えはこうだった。

1. 「この時代にhonestであろうとするほど、ポリティカルにならざるを得ないんだ」。

2. 「男にはね、何度だって思春期がやってくるんだ。でも俺は23歳ではないんだ」。

 そっか。目から鱗。帰りしな、マネージャーとトンカツを喰いながら(俺、ロースカツ。マネージャー、ヒレカツ。笑うところです)、自分の何度目かの「思春期」について考えてみる。ふむ。思い巡らせていたことが、違う色彩で見えてくる。確かに鮮やかに見えてくる。そっか、これは灰色じゃないんだ。たかが言葉、されど言葉。イマジンの石。空に高く、もう一度投げてみよう。

 家に帰った。ずっと、考えている。メールがきた。そこにはフィンランド人のマジシャンの言葉が記されていた。いわく。
 
 「フィンランドの冬空にはオーロラが現れます。それは世界中のどんな魔術よりも不思議で威厳があり、畏怖の念を持つと同時にこんなに美しいものは無いと思わせるものです。今、この瞬間だって、遠い空にはオーロラが踊り狂っているかもしれないんです。そういうふうに思えば、突然いろんなものが見えるようになることがあります。足元だけを見ていると、砂や土や石ころしか見えなくても、ちょっと視線を上げればそこには深い森も、どこまでも続く砂丘も、あるいは雪景色を裂く一本のみちだって、見えてくるかもしれないんです・・・」。

 俺もまた、自分の足元しか見ていなかったことに突然気づいた。机の上には今日、佐野さんから頂いた最新のマキシシングルが置いてあった。タイトルは「星の下 路の上」。閃いた。それは自分が生きている場所を指し示していた。「星の下 未知の上」。「死ぬまで悩みなさい」って事が「へっへー。わっかりました。あったりまえじゃん」。そう云えるような明日の朝がやってきそうな気がしています。訳もなく、佐野さんはもちろんのこと、刑事さんも含め、今日(メールもね)出会った人々すべてに「ありがとう」と云いたくなったところで、焼酎を飲んで寝ます。ありがとう、アゲイン。明日、また出直します。ワン。

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by 山口 洋